2004年12月





あいかわらず 投稿者:ふてき  投稿日:12月30日(木)19時23分27秒 

南ア事情よく分かっておりません。

頭の整理のために3歳牡牝クラシックと古馬の中距離大競走だけを
3大競馬場別に乱暴にまとめるとこんな感じでしょうか。

ケニルワース競馬場(ケープタウン)
(牡)ケープアーガスギニーズ(1600m)(1)、ケープダービー(2000m)、
(牝)ケープフィリーズギニーズ(1600m)(1)、
(古)J&Bメット(2000m)(2)、

ターフォンテン競馬場(ヨハネスブルグ)
(牡)トリプルクラウン1600(1600m)、南アクラシック(1800m)(2)、南アダービー(2450m)、
(牝)トリプルティアラ1600(1600m)、南アフィリーズクラシック(1800m)(2)、南アオークス(2450m)、
(古)サマーカップ(2000m)(1)、スキーピングトロフィー(2000m)、

グレイヴィル競馬場(ダーバン)
(牡)南アギニーズ(1600m)、デイリーニュース2200(2200m)(3)、
(牝)南アフィリーズギニーズ(1600m)、ウーラヴィングトン2200(2200m)(3)
(古)ダーバンジュライ(2200m)(3)

括弧内の数字が設定された3冠を意味してます。

とりあえず自分の場合、上記体系を覚えるのが先決でしょうか(笑)
ちなみにホースチェスナットが勝った3冠とは
・ケープアーガスギニーズ
・南アクラシック
・南アダービー
ということでしょうかね。

関係ないですが、南アの下級重賞って馬の名前がついたものが多いんですね。
ハワイとかコロラドキングとか自国の名馬は当然としても、
あんまり関係なさそうなダリアとかアレフランスとか、
挙句の果てはマッチェム、ゴドルフィンバーブ、ダーレイアラビアンですもん(笑)



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ものすごい遅れたネタ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月30日(木)03時26分0秒 

南アフリカで今シーズンから2団体共同でチャンピオンシリーズを創設したとか。
幾つかのカテゴリーに分かれているようだけど、メインの古馬戦線は、
 ①11月 Summer Cup(G1)
 ②1月 J&B Met(G1)
 ③7月 Durban July H(G1) 
これって1970年代初頭まで「Big 3」と呼ばれた南アフリカ古馬3冠の復活じゃないですか!
でもSummer Cupは1999年に新設された競走なので往年古馬3冠とは違うのですよね~。
当時のSummer Cupは改名を重ね、今年またChampion Stakes(G1)から
Skeaping Trophy(G1)と改名されています。
Skeaping Trophy(G1)は5月開催なので、この競走もシリーズに組み込めば
バランスが良かったのではと思います。

南アフリカは近年の行政区改編にともない、従来の4競馬地区も解体。
さらには2つのグループが競馬再編に乗り出す過程で、
各々がボーナスシリーズを作るなど、対立し合ってきましたが、
(ホースチェスナットと一方の団体が企画した3冠馬なので「南ア初の3冠馬」と
言うには無理がある…。)、
お世辞にも纏まっているとは言えない状況でしたが、
ここにきて統一的な路線を確立しようという意欲は買えますね。
今回の各シリーズは、なるべく旧3大地区に均等に振り分けたという感じです。
ただ、そこを意識したためか3歳3冠にダービーが外されたのは
ちょっと首をかしげます。ダービーを3冠から外しちゃだめでしょう。
そりゃ一時期はG2に格下げになっていたけれど(^。^)
編集済
http://www.goldcircle.co.za/news/archive/0408301221.shtml 



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すごい裏話で 投稿者:ふてき  投稿日:12月29日(水)19時34分22秒 

ホームページ自体が職員の手作りだったというのがなんとも。
まぁ恐らく向こうの管理人さんも自分と一緒で、一度ページを作っちゃうと
間違いの再確認とかしないんでしょうね。
で、さらに毎年同じフォーマットを利用しちゃうので、結果として半永久的な
放置プレイを満喫させられる羽目になると(^_^;)



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公式の方がミス 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月29日(水)19時16分53秒 

まぁV.S.C.の公式サイトがミスしているので、管理人さんに非は全く無しかと(^。^)
それにしてもV.S.C.のサイト更新担当者が詳しい番組を把握しておらず、
H.C.Hの同名G1と間違えたと考えるには、あまりにも凡ミスというか。。。
ちなみにクラブイピコの公式サイトはV.S.C.のHP職員に作ってもらったとのこと。
理由は当時C.H.S.にパソコンに詳しい人がいなかったからです。
V.S.C.のサイトがチリのJCで開設が一番早かったのもそういう訳です。
クラブ間の対立が目立つチリですが、裏では普通に交流があるということです。



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ご指摘大感謝です 投稿者:ふてき  投稿日:12月29日(水)18時45分16秒 

とんだ間違いですね。背中に汗が。
とりいそぎ修正(削除)しました。
本当のところはリステッド下のクラシココンディシオナル扱いですかな。。。
にしてもこんな凡ミスに丸々2年気づかなかった管理人は
90日間の業務停止処分相当ですな(-_-;)
些細なミスでも結構ですので、お気づきの際はお気軽にご一報くださいましm(_ _)m

拓銀倶楽部なんていう馬主名義があったのですか。
全くの初耳なんでアレですけど、今は無き拓殖銀行関連なことは確かなんでしょうね。
拓銀破綻による連鎖倒産で大借金を負った身には複雑な思いも(^_^;)



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2月のALBERTO SOLARI MAGNASCO 投稿者:むー  投稿日:12月29日(水)17時31分40秒 

全然関係ない話題ですみませんが、2月にヴァルパライーソでエルダービーと同じ日に
行われていたPREMIO ALBERTO SOLARI MAGNASCOはG1ではない方ですよね。
G1はチリ競馬場で行われる方だったような。



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やはり 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月29日(水)16時41分21秒 

騎乗速歩でしたか。公認での繋駕速歩は競馬法以降に復活したということですね。

ゲルトネル氏の名前は名義人(馬主)にも見られますね。
北海道競馬の名義人といえば「拓銀倶楽部」名がよく見受けられます。
これは拓殖銀行の株主クラブでしょうか。
編集済



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ゲルトネル氏 投稿者:ふてき  投稿日:12月29日(水)16時13分56秒 

聞いたことない名前っす。。。
その当時、数多いたドイツ人貿易商の一人ですかね。

サイマルされるマローニャスの2レースが通常のクラシコと違って
最終とラス前に組みこまれてるのは北での馬券発売上の都合を
優先したからでしょうね。

ここはひとつマッチベター祭りでもって、新春の祝いといきたいものです。



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函館の速歩は騎乗ですね。 投稿者:通りすがり  投稿日:12月29日(水)00時04分35秒 

明治末期の鳴尾速歩競馬会は繋駕をやりましたが、馬券禁止時代の公認競馬に
繋駕はなかったと思います。秋田県の地方競馬が日本唯一のソルキー競馬だと
自慢していたわけですから。昭和天皇が最後に御覧になった競馬が摂政宮時代
の秋田の繋駕でした。函館では大正10年秋~14年春に紳士騎乗速歩競走が
行われ、よく知られた名士が出るので人気がありましたが、腕前は小樽在住の
ドイツ人ブルノ・ゲルトネルが断然だったようです。

1月6日にマローニャスの2レースを北米で発売するようです。



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当時のことですから 投稿者:ふてき  投稿日:12月28日(火)19時11分32秒 

勿論VTR確認なんてないでしょうし、レース後のクレームで
歩型違反を認めちゃうと言うのもなかなかに謎な気がするのですが。
それとも単に馬主の政治力の問題でしょうか。

6ハロンの障害競走ってのは見ものでしょうね。
これが直線セパレートコースだと人間のハードルそのまんまですな。

修行中の三男坊の成功は馬主サイドのバックアップも大きかったのでしょう。
ていうか、もう国に帰って来るのかと思ってたのですが、引き続きの奉公模様ですかね。



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ふむふむ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月28日(火)12時33分49秒 

騎手も障害競走の騎乗技術不足で事故も多かったと聞きますね。
そういえば中山大障害も当初は柵がもっと高かったようですし。

>>続氏が1位のメイスイは走ったと抗議して…
ということは函館の速歩は騎乗速歩競走だったということで良いですか?
番組表だけ見ても騎乗か繋駕か区別できないケースが
ありまして…(調べれば判ることですが勉強不足でして(^。^))

当時の速歩競走は各クラブ騎手免許が発行されていない騎手が
騎乗しているケースが多々あります。
紳士(ジェントルマン)速歩競走でない時でも、アマチュア騎手が騎乗している時もありますし。
速歩競走は特別な騎乗技術が求められるので
免許が発行されていない騎手の騎乗が認められたのかな?
ちゃんと調べようと思ったまま手付かずです。

ウルグアイの首位調教師は逆転でEtchechoury家の3男が獲得しました。
これで3兄弟すべてタイトルを獲得したことに…快挙?かな。



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センニンブロは大正9年9月12日 投稿者:通りすがり  投稿日:12月28日(火)00時21分33秒 

内藤精一騎手を背に第1レースの速歩2マイルで4ハロンものハンデをつけられ、
4秒差の2位でゴールしましたが、続氏が1位のメイスイは走ったと抗議して、
繰り上がり優勝しました。続く第2レースは新馬障害6ハロン、新馬はこの開催
まで平地未出走という意味なのでセンニンブロにも出走資格があり、快勝しました。
馬政局が競馬クラブに障害を押しつけたのに対し、函館が新馬による6ハロンという
奇策で応じた結果です。この馬は十勝種馬牧場産、父ヲルバン、母ジョリースヰー、
どちらもフランスからの輸入馬というアングロノルマンでした。

プレッチーポリーの名の由来はそうでしょうね。改名したのは御賞典拝受の1ヶ月
ほど前のことですが。もともと第二カーネーションと称し、盛岡の奥羽六県連合競馬
で3戦3勝したのを見込まれて平出氏に買われた馬で、公認競馬でもその名で走って
いました。改名の動機はわかりません。小岩井農場産、父ピュアクリスタル、母豪抽
カーネーション。種牡馬ラーヂカーネーションを産んでいます。



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センニンブロ 投稿者:ふてき  投稿日:12月27日(月)22時56分20秒 

名前の由来もなるほど納得です。
しかしこの↓記事内容だと平地を2勝したように読めまする。

ところでプレッチーポリーって名はあのプリティポリー由来ですよね。
Pretty Polly(1901) が活躍したちょい後の明治41年生まれですし。
http://keiba.nifty.com/nc/hotnews.php?param%5Bmode%5D=ref¶m%5Btype%5D=nikkan¶m%5Bno%5D=1630 



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勉強です 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月27日(月)14時27分26秒 

続秀太郎はプロ扱いの時期もあったんですね。
倶楽部登録騎手名簿を確認したら名前がありました。
続秀太郎=アマチュアと決め付けていました。
戦歴も着外分まで判明しているとは・・・驚きです。

続家は郷土史に名を残す名家のようで、
ほじくれば色々とネタが出てきそうです。
函館に限らず当時の各地の競馬では、
そのような人物がごろごろいるのでしょうね。




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ご教示いただいた 投稿者:ふてき  投稿日:12月26日(日)10時05分15秒 

キーワードを元に関連サイトを幾つか読んできました。

で、ちょっとばかり驚いてます。

秀太郎の祖父で箱館丸の続豊治とは福士成豊(続卯之吉)の父親だったんですね!
ttp://page.freett.com/haruyamate/new_page_7.htm
福士成豊の名前でしたら流石にちょくちょく耳にします。
今年の初めには開拓の村に保存されてる旧宅も見てきたばかりで。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/shiseki/hokka/ho1.htm
おそらく秀太郎とは叔父-甥の関係になるのでしょうね。
秀太郎の渡欧にもそんな家柄だったことが影響してそうです。

そういえば、函館から来た知人が「函館には競馬の調教師が建てた豪邸がある。」と
言っていたのを思い出しましたが、もしかしたら調教師と言うよりは
この話題に登場する名士達の誰かのことだったのかもしれません。



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その可能性は十分ありますね。 投稿者:通りすがり  投稿日:12月25日(土)22時48分33秒 

↓の平出氏は初代で、続氏を後援したのは2代目ですが、その人も石川県出身。
石川県と函館は北前船つながりなんですね。続氏の祖父は続豊治と言って、
日本最初の洋式船函館丸を造った船大工だそうです。
http://taxi.hakoweb.com/annai.htm

続氏のホテルは千人風呂と称する温水プールを3面も持ち、冬にはそれを
スケート場にしたり、かなり派手な経営をしていたようです。盛岡の一条
友吉氏(下総御料牧場の星旗など輸入した人)と謀って日本サラブレッド
協会を作り、血統登録をしようとしましたが、官製血統登録を目論む当局
の容れるところにはなりませんでした。



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郷土史にも疎い 投稿者:ふてき  投稿日:12月25日(土)21時09分33秒 

まじめに勉強してれば知ってておかしくないはずなんですが。平出氏。

もしかして湯の川のホテル経営も平出氏がスポンサーだったという
可能性はないですかね。旅人宿業もやっていたということは↓

トロッタモンドはチリ馬として今アメリカに最も高く売ることができる
であろう成績を残したですか。
セントレジャーの内容はかなり強引なロングスパートから最後まで持たせきるという
いかにもこの国の大レースの本命馬「らしい」ものだ、とは思いました。

まぁ来年か再来年のJCダートに来る可能性はそれなりにあるのではと(笑)
http://www.donan.info/modules/pukiwiki/index.php?cmd=backup&page=%5B%5B%CA%BF%BD%D0%B4%EE%BB%B0%CF%BA%5D%5D&age=3 



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続秀太郎は微妙なところで 投稿者:通りすがり  投稿日:12月25日(土)09時52分29秒 

大正元~6年にはプロ扱いです。平出氏から謝礼を受け取っていたのでしょう。
早稲田在学中に馬券黙許に遭遇し自分で馬を買って自分で乗り始めたわけですが、
馬券禁止後渡仏して1年半滞在するも馬政局の輸入馬を護送して帰国。
その後は湯ノ川温泉ホテルを経営しているので家業の都合かもしれません。
傍ら北洋漁業の元締平出喜三郎を説いて平出農場を開き、生産育成調教に当たって
時折自らも騎乗し、プレッチーポリーで帝室御賞典を勝ったりしてます。

37戦23勝は着外の可能性も拾ってのものですが、黙許時代には抜けがあるかも
しれません。大正はほぼ間違いないと思います。勝てそうな馬しか乗ってませんし。
明治41年19=9・6・2・2、大正元年4=3・1・0・0、
2年7=6・0・1・0、3年2=2・0・0・0、4年2=2・0・0・0、
6年1=0・0・1・0、9年(速歩)2=1・0・1・0
自分では乗っていませんが、持ち馬のセンニンブロが1日に速歩と障害で2勝した
こともあります。当時は障害を走る場合に限って1日2走が認められていました。
歩様の違うレースをこなさせるというのはすごい調教技術だと思います。

セントレジャー馬は28日に渡米するようですね。慎重派のローラ・デセロー厩舎
なので、米国デビューは夏頃でしょうか。



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クリアドレス大賞って 投稿者:ふてき  投稿日:12月25日(土)09時38分30秒 

コンパラシオン大賞と合わせてワンセット、って感じで覚えてましたけど、
それは単に「今の姿は端から見るとそう見える」ってだけの話なんすね。

日本でも元々は非サラ限定の重賞競走だったものが現在はサラの重賞に
なってるのって結構ありそうですね。地方に限れば。
(道営も農林大臣杯が一時アラブ重賞になったことが。。。)
現行のJRA重賞の中には流石にないでしょうけど。



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疑問多し 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月25日(土)01時49分18秒 

ARMではピンカイのパナマ戦歴はアメリカ以前となっていますね。
アメリカ以後の戦歴は加味されていないような気もします。
どうんでしょうね。

続秀太郎はアマチュア騎手でしたね。
戦歴はすごいの一言ですが、
当時の記録は着外馬の騎手名がないので、
ホントはもうちょい着外が多かったのでは…とも思ったりします。
当時の新聞で着外馬の騎手まで記載されてるのは
ジャパンガゼットだけだったと思うので確認はできませんけど。

そもそも最強馬論争は相対的評価で行わなれて初めて成り立つもので、
それを絶対的基準で評価したならば、過去の馬なんぞは鼻にも掛からない。
そうと理解しながらもミーハーさが抜けた今、
長年の情報の積み重ねが数学的な分析に転化されてしまうのですよね
でも強く記憶に残っている馬というのはミーハーだった時代ばかりだったりするのです。

亜ではアラブ競走の戦歴は各種統計に含まれるようです。
そういえばパレルモのクリアドレス大賞(G1)は、
創設の1884年から1892年まで9年間は3歳牝メスチーサの限定戦でした。
現G1の中でも特異な歴史をもつ重賞です。



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なるほど! 投稿者:ふてき  投稿日:12月24日(金)23時21分32秒 

調べたら、バレルレースってロデオの一競技なんすね。
そういや真ん中のゴールに向かって走ってくる馬のレースって
古い西部劇で見た記憶があったような。。。

ということでポルトアレグレのあの競走もガウショ文化の
一端を引き継いでいるものと勝手に納得しました。
レースタイトルにもなってますし。

最強馬論争は不毛な結果に終わることが多いですから。。。
例えばタニノムーティエをタイムマシンで現代に連れてきて
リーディング厩舎にでも入れて、最新の調教施設でトレーニング積ませたら
どれほど違った馬になるもんでしょうか。
ダービーでキングカメハメハに勝てる馬になるとは流石に言わんですが、
さりとてそうみっともない競馬をするとも思えないんですよね。
なんというか、剥き出しの資質だけを単純に比較してみたいものです。
まぁこうなると、もはや神のみぞ知る領域でしょうけど。



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ブラジルのQHというと 投稿者:通りすがり  投稿日:12月24日(金)21時50分54秒 

カンポスくらいしか思いつきませんでしたが、クリチバでもやってましたか。
大昔のQHの写真には柵付きセパレートのを見た気もしますが、最近は全然ですね。
デザーモなんかが生まれたルイジアナあたりの草競馬は間に柵を立てた2頭立てで
中央にゴール、両端同じ距離にスタート地点、どっちが先にゴールに来るからしい。
バレルレースなんかも柵はないけど中央にゴールのスタイルは同じです。
┄┄┄┄⊃
────────|────────
              ⊂┄┄┄┄

日本最強馬はナリタブライアンだと思ってますけど、これは感覚というより頭で判断
してる部分が大きいんでしょうね。年をとってミーハーな気分が消えてしまっている。
記憶に残ってる馬はタニノムーティエですね。逃げ馬だとタマミ。
でもテンや上がりのタイムを今の馬と比べれば勝負にならないことは明白ですからね。
タニノムーティエが日本最強だと叫びたいのは山々なれど・・・



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ミーハー大歓迎 投稿者:ふてき  投稿日:12月24日(金)20時27分30秒 

前にも書きましたけど、シービー、ミホシンザンが3歳だったシーズンは
あんまり熱心に競馬見てなかったんですよね。結構虫食い的競馬人生。
シービーに纏わる様々なサイドストーリーはドラマ性たっぷりですからね。
もし今だったら(皇帝じゃなく)シービー派になってただろうな、ということで。
熱心に見た中で5頭あげるなら、マルゼンスキー、トウショウボーイ、
シンボリルドルフ、メジロマックイーン、トウカイテイオーという感じでしょうか。
異論反論ありましょうが、関西馬って大昔は縁遠かったんですよ。道民的に(子供ですし)

アラブと言えばアルゼンチンなんかよく第一レースで組まれてますよね。
あれも騎手、調教師の勝ち鞍に含まれてるんでしょうか。
ブラジウはタルマンで何年か前までクオーターやってましたが、最近は見かけません。
伯産のクオーターホースは米国で結構走ってるようですけども。

続秀太郎騎手。またまた初耳です。
しかし何なんでしょうか、この勝率。長く乗れなかったのが実に惜しいっす。

ところで、毎年この時期クリスタウ競馬場で初出走2歳馬のための特別な競走が
あるのですが、これが仮策で仕切られたセパレートコース(直線700m)で
行なわれるんですよ。
世界的に見ても珍しいんじゃないかと思うんですが、実際どうなんでしょう?
↓ここの下のほうに写真があります。
http://www.turfeonline.com/ 



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南カリフォルニアは9月後半 投稿者:通りすがり  投稿日:12月24日(金)15時50分41秒 

フェアプレックスパーク開催になるので、一流騎手は東部へ行ったりしますが、
パナマでは騎手招待競走をやって、ピンカイやソリスなんかよく里帰りしてます。
こういう時の勝ち鞍はどう計算してるんでしょう。DRFが数えてることは確かですが、
ピンカイの世界新記録のときは後になってメキシコシティでの1勝を数え忘れてたことが
判明、実はもう達成してましたってオチがついたような。ちなみにクォーターホースの
競馬に乗って勝ったこともありますが、DRFの方針でそれはカウントされてません。
してみると日本の騎手はどうなんですかね。中央競馬にも少し前までアラブがあったし、
佐々木竹見騎手なんか随分アラブに乗ってるはずですしね。

ところでもう一人渡欧した騎手がいます。続秀太郎。
厩舎の助手のようなことをやってて、騎手免許は下付されなかったと
本人が言ってるので乗っていないことは確かですが、
日本での成績がすごい。平地35戦22勝、騎乗速歩2戦1勝でした。





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DATE: 12月24日(金)03時48分54秒
TITLE: やはり
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

パナマの公式サイトにピンカイの略歴が掲載されていました。
デビュー2年目の1965年にパナマの首位騎手を獲得しているそうです(249勝)。
パナマでの通算成績が書かれていますが、アメリカンレーシングマニュアルの
記載もものと一致しない。どうしたものかな?
改めて思うのですが、ラテンの各種統計は集計ミスはざらなんですよね。
ピンカイの戦歴も少なからずズレがあってもおかしくないかな。

統計の集計ミスといえば日本もそう。特に戦前の成績書附の統計は。
種牡馬成績で同馬名の馬を取り違えて集計しているケースも多々発見しています。
騎手成績もあやしいんですよね~。




DATE: 12月24日(金)02時07分28秒
TITLE: 昔を懐かしむ
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

Guambia Bo は移籍初戦ですかな。
実に微妙な戦歴の馬すから全く×の可能性も大かもしれません。
とにかく一回走ってからですね。

全く話は飛ぶのですが、今日はミスターシービーのビデオを見ていました。
僕がのお気に入り馬ベスト5は、ミホシンザン、ミスターシービー、メジロマックイーン、
トウカイテイオー、マイシンザン。このセレクトで年齢がばれてしまいますが(^。^)
特にマイシンザンの秋天回避は僕の熱狂的な競馬熱を冷ますのに充分なショックを与え、
以来、興味は海外競馬へ。。。なんて自分の思い出などは置いといて、
改めてミスターシービーの菊花賞を見て、これほど度肝を抜くような強い勝ち方で
菊花賞を制した馬はいないだろうと改めて痛感してました。
着差をみればナリタブライアンのほうがスゴイだろうっていう声もあがるだろうけど、
あの3コーナーからの仕掛けでの楽勝劇…今見てもドキドキするようなレース。
シービーを最強馬と言う人は少ないし最近の最強馬投票でもトップ10にも入らない。
でも、菊花賞のレースをだけで充分にシービーは、
20世紀ベスト5に入る名馬だ!と言いたいです。

なんて、ミーハーな書き込みをしてしまいました。
たまにはこんなレベルのネタもありということで(^。^)




DATE: 12月22日(水)17時34分58秒
TITLE: 今宵は銀杯で乾杯
NAME: ふてき  MAIL: 

マローニャスへ遠征する外国勢はブエノス組がほとんどのようで。
まぁしょうがないっすね、これは。

マッチベターの宇産はまだ3歳になったばかりですから
主力が古馬になる来年以降がより期待できるんじゃないでしょうか。
と思ったものの、逆に残された手駒が少なくなるのでした。。。残念。
でもまぁ複数の地域で後継を残せそうな状況になったのは心強いですよ。

そういや週末のドバイに Guambia Bo の名前がありますね。
もちろん私的注目は同厩 El Hurano の方ですが。

HOMEPAGE: http://www.emiratesracing.com/eq/RaceCards.cfm?racefile_id=4426




DATE: 12月22日(水)02時09分9秒
TITLE: ぼちぼち
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

各種リーディングが気になるところです。
宇種牡馬ランクでのマッチベターの5位以内は厳しいくなりました。
僕は5位まで整理しているので実に惜しいです。

サンイシドロのHPでも「国際」の位置はまちまちなのですが、
PDFの公式番組表では「GP. Internacional~」ですね。
色々と調べた結果、ラナシオンとレビスタパレルモ(ネットじゃなく雑誌のほう)に
掲載されている番組表は公式番組表に忠実のようです。
仕方が無いので、これに従います。
最近のサンイシドロの刊行物(サンイシドロの支配人が著者)でも
1977年以前に関しては「国際」の位置を明確に区別しているのに、
1978年以降については誤魔化していることが判明。
なので、だれもツッコミを入れてこないでしょう(^。^)

麻呂国際のエントリーが発表されましが、
マイルのほうがメンバーが良いかな…という印象です。
編集済
HOMEPAGE: http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/arg19.pdf DATE: 12月21日(火)16時50分38秒 TITLE: 「国際」問題 NAME: ふてき MAIL: 厳密なハポネと安直なラティノによる究極のせめぎ合い。 まさに終わりなき闘いですか。 実況で「グランプレミオインテルナシオナルカルロスペリェグリニ」だったのは 話し言葉ということで、ある意味選択の余地も無かったのではと。 Memo と Wolf は渡米後の直接対決は無かったようですね。 タフに善戦を続けた Memo の方が個人的な印象度は高かったですが。。。 チリの生産者の多数派の心算って、もはや「ダービー馬を作ろう」よりも 「2、3歳そこそこで米国へ移籍させ即戦力たりえる馬を作ろう」という 意識が強くなってるんじゃないですかね(MP精神)。 DATE: 12月21日(火)01時50分34秒 TITLE: ぼやき NAME: Lucky Boy MAIL: 全くどうでもいい話なのですが、パレルモ国際とサンイシドロ国際のレース名で、 "Internacional"をどこに入れれば良いかで悩んでよります。 Gran Premio Internacional Carlos Pellegrini Gran Premio Carlos Pellegrini (Internacional) どっちなのだろう?ってね。 成績書が刊行されていたころは厳密に区別されていたのですが、 1980年代以降は資料によって一致しないのです。 当時の番組表で確認できればよいのですが、さすがにそれはできないので、 生産者協会の月刊誌やレビスタパレスモ、新聞ラナシオンなどで確認したのですけど。。。 カルロスのVTRを見ても画面上で一致していないので、 どっちでもいいのかなとも思うのですが、 1977年以前は厳密に区別していたことを考えると、 すこし気になってしまうのです。。。どうでもいい話でした(^。^) DATE: 12月20日(月)20時16分59秒 TITLE: そんなもんさ NAME: Lucky Boy MAIL: セントレジャーで敗北したMemoは、打倒Wolfのために果敢に初の芝レースの エルダービーに出走しましたが、あっさりWolfの返り討ちに会っています。 それでも2着は確保していることを考えれば、Memoの実力も抜けていたと言えそうです。 ちなみにWolfは無敗で3冠制覇です。 当時の雑誌には「この後の両雄の対決は舞台を北米に移すことになる。。」なんて 書かれていますが、その後の結果はご存知の通りです。 Wolfの北米での戦歴を加味しても、Wolfがチリ競馬史上最強馬だという声があるのは、 現在のナシオナル3冠の困難さを現地の関係者も理解しているからでしょう。 近年の「エルダービー」のレベル低下は研著ですね。賞金も3冠で一番低いし。。。 もちろんダービー制覇は夢なのだけど、 ダービーの賞金以上で買い取るから出走前に売ってくれ!というオファーがくると、 馬主は馬を売っちゃうんだよね~。ダービーに勝てるとは限らないから~ というのが現地の関係者の嘆きでした(^。^)。 エルダービーのレベル低下を食い止めるには、 日程を年前にずらして、3冠を同年度の開催にするというのが一案なのですが、 エルダービーは、140年続く伝統のバルパライソ夏季開催のメインイベントなので、 日程変更も厳しいそうです。 まぁ伝統だけにぶら下がって生き続けるダービーもありかな、とこの頃思ったりです(^。^) DATE: 12月20日(月)17時22分25秒 TITLE: ふむふむ NAME: ふてき MAIL: 1990年のセントレジャーにはそんなストーリーがあったのですか。 今まであまり気にしたこと無かったんですが、Memo と Wolf はある意味 ライバル関係にあったと言えるわけですね。 #種牡馬としては結局 Memo の勝利に終わりましたかな。 崩れ逝くチリ3冠ということなら「エルダービー」のレベル低下ってのも 見過ごせないポイントかもしれません。 これは3冠の施行順的に貧乏くじ引いてる部分があるかもですね。 青田買いの加速化に直面してみると。 DATE: 12月20日(月)00時07分6秒 TITLE: チリは予想通り NAME: Lucky Boy MAIL: カリブ競馬は嵌ったら抜け出せそうにない雰囲気です。 一通りの競馬史並びに主要重賞史と各種統計は希望はあるのですけど、 明らかに個人の力では限界を越えている気がしますね(^。^) 夢ははこのあたりの競馬まで手を付けるというということで。 チリセントレジャーの結果をみて、改めてナシオナル3冠の困難を痛感。 一層、El Ensayo馬のセントレジャー挑戦はなくなるかも。 Wolfはクラブイピコ3冠馬で且つエルエンサーヨを大楽勝。 同期のイポードロモチレには最強馬Memoがいたため、 その年のセントレジャーへ遠征したクラブイピコ組はWolfだけ。 さらに初ダートという状況で、結果は3着以下を7馬身ちぎって、 Memoとの一騎撃ちに勝利。Wolfぐらいの抜けた能力がないと2冠は厳しいのでしょう。 ナシオナル3冠の前の各クラブ3冠で力を使い尽くしてしまう現実もあるからなぁ~。
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DATE: 12月19日(日)15時13分36秒 TITLE: ガイアナと聞いても NAME: ふてき MAIL: 人民寺院事件位しか連想できないザマなのですが。 あん時は日本のマスコミも大騒ぎだったですよね。 ネットで調べたところ、この国って南のブラジウ、西のベネスエラとは まともな陸路で繋がっていないんですね。ギアナ高地だ、アマゾンだ、と 厳しい地形がその理由だそうで、正に陸の孤島。 そんな訳でガイアナ以東に在る南米大陸内の小国群は南カリブ諸国との 結びつきの方が必然的に強くなっていった、と。 バルバドスは確かスタウト調教師の出身国でしたよね。 ここもそれ位しか引き出しに入ってないです(^_^;) にしても、歴史の悪戯か否か、独立後の植民地に残留、土着、さらには流転、 という旧宗主国民末裔の悲哀滲む姿ってのは実に深いものがありますね。 ノー天気な南国リゾートと言う背後景色もミスマッチ感満点ですし。 DATE: 12月19日(日)12時38分25秒 TITLE: ハズバンズでしたか。 NAME: 通りすがり MAIL: もひとつ地味なんで調べたことありませんでした。 そういえば昔写真で見ただけですがバルバドスのギャリソンサヴァンナ競馬場って 右回りでしたね。西半球では珍しい。英国人の冬休み先として一番人気らしいですし 一度は行ってみたい国です、バルバドス。 あのあたりの成績ってトリニダードトバゴ当局のデレク・コーツィー氏1人におんぶに だっこのような。バルバドスの公告もTT公告の末尾に併載されてて、「サービスだ」 と言ってましたが。調べに行ってもジャマイカとTTに関しては間違いなく全部わかる でしょうけど、バルバドスとマルティニークは成績書があるかどうかも怪しいですね。 その他の島国はサラブレッド競馬かどうかすら怪しいかと。 ニューカレドニアの競馬場跡としか思えない競馬場でも「私は馬主だ。年に10日開催 しておる」と証言した人がいました。案外世界中の島国で競馬をやってたりして。 DATE: 12月19日(日)11時31分20秒 TITLE: 首位じゃなかった NAME: Lucky Boy MAIL: 2位のPatrick Husbandsがバルバドス出身です。 1993年にバルバドスの首位騎手を獲得しています。 1999,2000,2002年のウッドバインの首位で、 ここ数年はトッド・カベルとウッドバイン首位を分け合っているようです。 かつて南カリブは成績書も一緒で、各種リーディングも一緒でしたね。 いつから国ごとにかわったのかな。 ガイアナの競馬は独立までの運命だったということですかね。 旧英国植民地の典型的な統治の失敗例というべきか。 環境があまりも厳しくて無作為な移民政策によって人口増加を狙い、その結果……。 今でも紳士面してシラを切り続けるイギリスが 世界中に残した負の遺産の1つとあっさり言うには、悲しすぎる現実ですけど。 DATE: 12月19日(日)05時10分50秒 TITLE: トッド・カベルはマニトバ生まれの NAME: 通りすがり MAIL: 生粋のカナディアンですよ。 リーディング5位のエミール・ラムサミーがトリニダードトバゴ出身で 10年くらい前「カリブのサンデー・ホーリー」って触れ込みで渡加。 5指に入るまでなったところで南カリフォルニアに移転しましたが失敗。 またトロントに戻って頑張ってます。トリニダードの武豊って感じです。 同地出身のスポーツマンとしてはクリケットの英雄ブライアン・ララに 次ぐ知名度があったかもしれません。 ガイアナにはもう競馬はないようです。南カリブの国際レースは12月や 3月にバルバドスで行われていて、ジャマイカ、トリニダードトバゴ、 マルティニークから参加してたかと。もともとこの4ヶ国には馬の国境は なくて、いわゆる内国産も「カリブ産馬」で統一してるはずです。 ポートオブスペインの公園でヤシジュース飲みながら休んでいると 何年も洗ってないようなヨレヨレの背広に蝶ネクタイの白人の老人が来て 話しかけてきましたけど、淋しいんでしょうね。ガイアナ生まれだとか。 赤道直下の植民地で生まれ育って欧州式の暮らしを続けて死ぬ人・・・ DATE: 12月18日(土)21時07分50秒 TITLE: あいまいが普通なのかも NAME: Lucky Boy MAIL: >> メキシコの国境50km圏内・・・ アグアカリエンテが北米に組み込まれているのも納得です。 メキシコシティーも1960年代ぐらいまでは北米統計に組み込まれているようです。 1966年の北米最多勝のAvelino Gomezのメキシコでの勝ち鞍13は 全てラスアメリカス競馬場でのものです。 以前にアメリカンレーシングマニュアルでメキシコシティーも含まれていたのを 確認しましたが、メキシコシティーが対象外になって以降も、 アグアカリエンテは対象内でありつづけたのが判って、 何だか統一されていないなぁ~と思った次第です。 セントクリストファー・ネーヴィスやグラナダ、仏領マルティニークなどの 小島でも競馬が行われているというニュースを見た事があります。 確か西インド諸島競馬連盟といった組織が存在するはずです。 以前に存在した南カリブ競馬(バルバドス、ガイアナ、トリニダードトバコ)が 主体となって組織されたらしい。 ただガイアナは今は競馬は行われていないのかな。 今のオンタリオの首位騎手はバルバドス出身で、バルバドスでも首位騎手を 獲得しているみたいですね。 DATE: 12月18日(土)16時34分31秒 TITLE: 知らないことばかりで NAME: ふてき MAIL: >>ピンカイ 下記サイトの記述によれば1964年デビューで66年に渡米してるようなので、 少なくとも一回は巴のリーディングを獲ってるんじゃないでしょうかね。 >>赤石孔 全くの初耳でした。 当時の墺洪帝国って競馬レベルも高かったと思うんで、 調査次第では結構なお宝にありつける可能性があるかもしれませんね。 >>プラード騎手 故郷でもタイトル獲ってましたか。 パナマ、ペルー、ベネスエラ辺りから米国へ行って花咲いた騎手の中では 相対的に遅咲きの部類といえるんですかね。 そういえばタラベラーノが来年アルゼンチンで騎乗するつもりだったものの 「何か」がネックになってライセンスが発行されなかったようですね。 本人は「また次の機会に」と言ってるようですが。。。 やはりペルーも賞金が貰えてなくて(支給が遅れている)苦しいと言う話。 >>ジョン騎手 ヴァージン諸島の中にセント・ジョン島というのがあるらしいので もしかしてもしかしたら何らかの関係があったりしませんかね。 しかしヴァージン諸島って英領と米領の両方あるんですね。知らんかった。。。 HOMEPAGE: http://www.geocities.com/rvotaw1/bio.html DATE: 12月18日(土)02時58分52秒 TITLE: なるほど NAME: Lucky Boy MAIL: アルゼンチンの女性騎手といえば Marina Lezcano のことではないでしょうか。 ランキング5位以内は6度。残念ながら首位は獲れませんでした。 1976年は非常に惜しかったのですけど。  1976 2nd (62)  1978 4th (52)  1979 5th (52)  1980 3rd (??)  1982 4th (76)  1984 4th (81) 4冠馬テレスコピコの主戦騎手で、3冠競走を7勝、オノール大賞を3勝、 アルゼンチン共和国大賞を2勝など、他多くの重賞を勝っています。 ピンカイはパナマ時代にタイトルを獲得している可能性は大だと思っています。 でもネット情報ではパナマ時代のことはあまり語られておらず、 判らずじまいです。パナマは諸々と調べたいことが山積みです。 スインバーン家のルーツはインドだったのですか。 知りませんでした。親子3代にわたる騎手ということですか。 インドの騎手ランキングは全国集計より 伯や豪のように地区ごとでランク発表するのが一般的と考えて よいのかな。 赤石孔は僕も興味あります。美馬孝之のほうは記録が残っていましたが、 赤石孔の場合はどうなんでしょうか。 墺の成績書に当たるなら現地まで行かないと無理っぽいですね。
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DATE: 12月18日(土)03時14分3秒 TITLE: 「北米」って米+加+ NAME: 通りすがり MAIL: メキシコの国境50km圏内なんですよね。あと革命前のキューバも。 今は競馬がなくなっちゃってますけど、カリエンテとか「北米」でして。 米国領でもプエルトリコは入りません。最近になって知ったことですが 米領ヴァージン諸島にも競馬があるそうで、今年BCに初騎乗のジョン騎手 (名字がジョンってのがスゴイんですが)はヴァージン諸島出身でした。 メキシコは国境50kmを投資優遇地帯にしていて通貨も米ドルが流通。 昔はその地域にはパスポートだけで入れましたが、首都へ行くにはビザ またはツーリストカードを手に入れる必要がありました。国境での入国は 墨→米は厳重な審査がありましたが、米→墨は検問所すらなかったです。 DATE: 12月18日(土)02時58分52秒 TITLE: なるほど NAME: Lucky Boy MAIL: アルゼンチンの女性騎手といえば Marina Lezcano のことではないでしょうか。 思います。ランキング5位以内は6度。残念ながら首位は獲れませんでした。 1976年は非常に惜しかったのですけど。  1976 2nd (62)  1978 4th (52)  1979 5th (52)  1980 3rd (??)  1982 4th (76)  1984 4th (81) 4冠馬テレスコピコの主戦騎手で、3冠競走を7勝、オノール大賞を3勝、 アルゼンチン共和国大賞を2勝など、他多くの重賞を勝っています。 ピンカイはパナマ時代にタイトルを獲得している可能性は大だと思っています。 でもネット情報ではパナマ時代のことはあまり語られておらず、 判らずじまいです。パナマは諸々と調べたいことが山積みです。 スインバーン家のルーツはインドだったのですか。 知りませんでした。親子3代にわたる騎手ということですか。 インドの騎手ランキングは全国集計より 伯や豪のように地区ごとでランク発表するのが一般的と考えて よいのかな。 赤石孔は僕も興味あります。美馬孝之のほうは記録が残っていましたが、 赤石孔の場合はどうなんでしょうか。 墺の成績書に当たるなら現地まで行かないと無理っぽいですね。 DATE: 12月18日(土)02時56分38秒 TITLE: まだ NAME: Lucky Boy MAIL: Edgar Prado (PER)1985 (USA)1997-1999 (by wins) 今のところ確認できる北米&南米のWタイトルは彼だけです。 ちなみにアメリカの統計は北米統計なのでカナダも含みます。 DRFの集計対象の「北米」とは米&加ですが、 以前はメキシコも含んでいたので、 年度によって対象範囲が基準が一致しないのですよね。 カナダの騎手リーディング整理をするにあたって、 どうしたらよいか悩みました。 ブラジルとオーストラリアは、一応は全国成績も集計されますが、 州ごとで都市競馬を対象にランキング付けをするのが一般的。 カナダも全国集計もあるとのことですが(未確認)、 オンタリオ州のレベルが抜きん出ていることを考えれば、 州ごとのランク付けを採用して、 オンタリオ州のランキングを整理するでよいかな・・・と納得させています。 で、オンタリオ州の首位騎手を見ると2名ほど、 北米最多勝の獲得者がいました。  Avelino Gomez   (CAN-Ont.)1956,1957,1959,1960,1964,1966 (USA)1966 Avelino Gomezが1966年の北米最多勝を獲得したときは、 オンタリオで304勝、ケベックで1勝、メキシコで13勝の計318勝という 成績でした。アメリカで0勝で北米タイトル獲得なんて、 変な感じです。純粋にアメリカのみの騎手統計ってないのかな?と 思った次第っす。  Sandy Hawley    (CAN-Ont.)1969-1974,1978,1988,1990 (USA)1970,1972,1973,1976 まぁ彼は言わずと知れたカナダの伝説の騎手ですが、 調べなおしてみて1973年の北米タイトルは当時の最多勝利記録だったと 初めて知った次第っす。 >>東欧圏とかベルギー、スペイン辺りまで対象にしちゃうとキリが無さそうですしね。 確かにそうなんですが、これほど血統情報も簡単に入手できるように なってしまった現状、マイナー国の古い騎手成績にでも目を向けて、 微妙な記録でもさぐるぐらいしかないかなぁと、 歴史&統計オタは思ってしまいます~。
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DATE: 12月18日(土)01時24分50秒 TITLE: アルゼンチンで昔 NAME: 通りすがり MAIL: やたら勝ってる女性騎手がいませんでしたっけ・・・勘違いか。 スエーデンあたりは女性騎手だらけだったような気も。 パナマで聞いた話だと腕のいいのはデビューして数ヶ月とか数日で渡米すると。 ピンカイはパナマで500勝くらいしたはずですけど。 スインバーンは父親がインドの一流騎手で 息子の方はボンベイで1シーズン(半年)勝ちまくったんですが すぐイギリスへ行っちゃったんでリーディングは取れてないでしょうね。 赤石孔という騎手がオーストリア・ハンガリー帝国で乗ってたというんですが、 私が調べた限りでは記録がないんですよねえ。ドイツやフランスでも乗った らしいんでいつか調べてみたいとは思ってるんですが。明治42年14歳で渡欧、 昭和2年帰朝してます。 DATE: 12月17日(金)23時26分55秒 TITLE: 昔の NAME: ふてき MAIL: 東欧圏とかベルギー、スペイン辺りまで対象にしちゃうとキリが無さそうですしね。 アメリカで活躍する中南米出身の騎手つっても本国でリーディング獲ってる ケースは少ないよな気もしますし、これってパート1国レベルだとなかなか ありそうで少ない代物かもしれませんね。 そういやコーセンにしろアスムッセンにしろ米国で首位の経験はなかったんですな。 あ、それと英・愛の首位騎手の座を双方獲ったのがエデリーただ一人というのが かなりの衝撃ですた。 DATE: 12月17日(金)17時44分48秒 TITLE: 騎手データ NAME: Lucky Boy MAIL: 今週で今年の南米3冠もおしまい。残る楽しみは麻呂国際。。。 たらたらと各国の首位騎手を見ていたら、 意外と2ヶ国にわたってタイトルを獲得した人物がいるのに気が付きました。  Patrick J. J. Eddery   (GB) 1974-1977,1986,1988-1991,1993,1996   (IRE)1982  Arthur E. Breasley  (GB) 1957,1961-1963  (VIC)1943/44-1945/46  James A. Cassidy   (NSW)1985/86   (NZ) 1981/82  Rudecindo Diaz   (CHI)1901/02   (PER)1908  Esteban Rodriguez   (ARG)1907   (URU)1904,1912,1914,1916  Pablo G. Falero (ARG)1994,1996,1997,1999-2003 (URU)1997-1991 19世紀には独と墺との両タイトル制覇もあるのでは?と思うのですが、 墺の騎手資料はさすがに持っていないので判断できず(^。^) あと、1995年の伊の首位騎手Jacqueline Fredaはもしかしたら 世界で唯一の女性首位騎手ではないかなと思います。 最多のタイトルホルダーはリオのヒカルドで間違いないかと。
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DATE: 12月17日(金)16時12分30秒 TITLE: これですか NAME: ふてき MAIL: コース設営状況の連続写真なんかもありますね。 いくら多目的スタジアムとは言えアスファルトコースを造っての 四輪競走つうのは前代未聞でしょうか。それとも米国辺りじゃ結構あるんかな? まぁなんにせよここのスタジアムが意欲的というか実験的なのは確かなんでしょうね。 今朝の朝刊に出てましたが、パリ五輪が実現したらここが競技場として 使用されることも既に内定してるとか。 余談ですが、07ノルディック世界選手権で行なわれる距離系競技のスタート&ゴールに 札幌ドームの口をあけて使用するかもしれない、というのは個人的に楽しみな企画っす。 HOMEPAGE: http://www.imp.mc/rocwebsite/index.htm DATE: 12月17日(金)01時40分32秒 TITLE: フランススタジアムで12月4日に NAME: 通りすがり MAIL: 欧米のトップドライバー16人を集めたトーナメントがありました。 シューマッハは準々決勝で敗退したけどスペシャルマッチで面目をほどこしたとか。 人工芝の上に土を盛ってその上にアスファルトを流し込む荒技で 変形8の字型立体交差付き1000mコースを造ったというから驚きです。 観客は6万人だそうで、競馬の時を上回ったようですね。 DATE: 12月10日(金)11時58分15秒 TITLE: マッチレースは先行有利 NAME: ふてき MAIL: お祭りの草繋駕競走なんかですと、前に行った馬は基本的に歩いていて 後ろの馬が馬体を併せて来ると全力を出して抜かせずコーナーへ進入、 後は延々それの繰り返し。もうこれは何十周やっても抜けないよ、という展開。 もちろん大競馬場でのサラ平地とは比べられる代物ではないのですが、 本質的な馬の競走心理(競走相手は一頭だけ)は恐らく一緒のもので、 それが人の目にわかりやすい形で現れてるんじゃないかな、とは思いました。 多頭数で各馬・各人の思惑が複雑に絡む競走とは全く異質といってもいいかも。 サラブレッドのマッチレースも余程能力(特にスタミナ)に違いがない限り 先に行った馬のアドバンテージは大きいということなのでしょうね。 DATE: 12月10日(金)01時09分30秒 TITLE: たぶん NAME: Lucky Boy MAIL: マッチレースはドバイミレミアムとモンジューの話だったかも。。。 まぁ、ともかく一度はビックホース同士のマッチレースが見てみたいものです。 >>安西何某さん… このネタは触れる価値すらないというのが正直なところです(^。^) 一時の盛り上がりは今の4様ブームと変わり無いなぁ。 この手の話題は往々にマスコミが作り上げて、 それに商売人が乗って輪をかけると言った感じなのでしょうけど。 まぁ日本競馬界には、安西某の事件なんぞ屁でもない胡散臭い話が横行しているのに、 マスコミはそういうところには興味はないようですね。 最後に一言、こんな形の代表産駒は嫌だよねニッポーテイオー!
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DATE: 12月 8日(水)23時36分55秒 TITLE: マッチ企画 NAME: ふてき MAIL: 春麗対ZCぢゃあなかったですね。 そういや片方は引退でしたか。 南ダコタのDGフレーム氏マンセーとか言ってる自分には 安西何某さんを非難する資格は全くない、ということに今更気がつきました。 DATE: 12月 8日(水)19時17分54秒 TITLE: ちょっと訂正 NAME: Lucky Boy MAIL: La Copa と合併したのは Reina Isabel II でした。 1972年の La Copa は現行の La Copa の前史と捉えてOKのようです。 現地の資料でもそのように書かれています。 2レースあったLa Copaを1873年に1つに合併して新たに創設した形を とったということみたいです。 最近はマッチレースが行われたという話は聞きませんが、 少し前に企画段階までいったというニュースを聞いたような…。 名の知れた馬だった気がするのですが、全く思い出せません(^。^) 競走の種類 投稿者:ふてき  投稿日:12月 8日(水)08時05分53秒 関係ないですが、競馬を対象とする「賭け」に振り替えて考えると面白いかも。 マッチレース→個人間で行なわれるベットエクスチェンジ。 ステークス→主催者胴元によるパリミュチュル方式。 カップ、プレート→ブックメーカー相手の賭博(これはチト苦しい)。 ここからきっと何かの本質が見えてくるはず。。。と思ったものの実際はそうでもなさそ(笑) 現行 La Copa と1872年のアレは全然別物なんですね。 そりゃそうですよね。少し考えればわかりそうなものを。 ネーミングだけは引き継いだのかもしれませんが、 そもそもひどく一般的な名称なわけですし。 「伝説の名馬」によればラフィアンのあのマッチレースも 最初はフーリッシュプレジャー、マスターダービー、アヴァタルの 3頭対決の企画だったものが、 アヴァタルが離脱、 ラフィアンが加わる、 マスターダービーに辞退してもらう、 という流れだったようですね。 -------------------------------------------------------------------------------- おそらく 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 8日(水)00時17分52秒 >>馬主同士が取り決めて走らせたのをマッチレースと呼んでたのかも… そのようですね。チリでも普通に3頭のマッチレースが行われています。 もちろん賞金は一着馬の総取りですが。 智とは違い、亜・宇・秘の成績書にはマッチレースの結果は全く記載されていません。 マッチレースが行われたことがあったのかも判らずです。 19世紀のチリでマッチレースが多く行われていたのは、 競走馬の絶対数が少ない&公式番組競走が少なかったことがあるのかも。 1873年第1回エルエンサーヨの出走世代の1870/71年生のチリ産馬はわずか15頭。 1883年第11回のMirafloresの世代でも49頭にすぎません。 第1回韓国ダービーでは該当世代の誕生馬は100頭ほどだという話でしたが、 チリに比べたら可愛いものです。 ただわずか生産頭数15の時点でクラシック競走を創設してしまったチリって、 ちょっと良い感じです。 日本ダービー創設までの紆余曲折を考えれば、さすがラテン気質といったところです。 もちろん創設当初のエルエンサーヨは外国産馬に開放してます。、 内国産限定になるのは1897年からで、再び外国馬に開放されるのは パート1国入りする1986年になってからです。 1872年にLa Copaというヒート競走(1000m)と単独競走(1800m)の2競走が行れましたが、 翌1873年に新たにLa Copaと重賞が創設されたました。 今のLa Copaはこちらをルーツとしますが… 確か最近になって La Copa とSanta Isabelの2つの重賞が合併させられたんでしたね。 この重賞史はどうなるのだろう?? 編集済 -------------------------------------------------------------------------------- 3頭のマッチレース 投稿者:通りすがり  投稿日:12月 7日(火)23時33分53秒 なんてのもありますよ、古い横浜の記録を見てると。 してみると昔は馬主同士が取り決めて走らせたのをマッチレースと呼んでたのかも。 マッチレースに対する言葉がスイープステークスで、これは主催者が出走馬を募って 登録料を保管しておき、勝者に授与したレースのことですね。 植民地アジアではそのどちらも少なくて、カップやプレートが多かった。あらかじめ 主催者が決めた賞金を交付するか、価値のあるカップを授与するレースで、出走馬は 規定の登録料を払うけれど、その多寡で賞金が上下することはない。 カップには寄贈者の名前が付けられたりしますが、ある人が200ドルを寄付したのに 作られたカップは100ドルのものだった(つまり100ドルをクラブが着服)ために 裁判になって、クラブが勝った事例もあります。クラブは1開催全体で予算を組むので 寄付を受けてから後どうするかは裁量だということですね。 -------------------------------------------------------------------------------- でしたか 投稿者:ふてき  投稿日:12月 7日(火)20時14分2秒 ラフィアンなんかも11戦10勝と記されるのが普通のようですしね。 フーリッシュプレジャーの公式な生涯獲得賞金にあのマッチの賞金が 含まれているのかどうかは存じませんけども。 そういやチリの初期の La Copa なんかの競走はヒート制でしたっけね。 (念のため「世界の競馬と生産」でも確認しました) 当時は何かと古の英国風味が濃かったのかもしれません。 -------------------------------------------------------------------------------- 統計マニアとしては気になります 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 7日(火)18時38分47秒 各位ともどもありがとうございます。 英国では18・19世紀にマッチレースは良く行われていましたよね。 中には成績書に記載されていないものも多いとか。 問題は、そのマッチレースが公式番組として主催されたかどうかで、 統計に組みこまれるかどうかと言ったところなのでしょう。 チリの「特別競走」マッチレースは、番組外競走であることがわかりました。 番組外競走であるのですが、競走結果は成績書にはちゃんと記載して くれているのは親切この上ないです。 ちゃんと統計の注に「特別競走は含まない」と書かれていましたよ。 統計では「特別競走」の成績・賞金は加算されていませんが、 一般に生涯成績を示す時は「特別競走」も含むのが普通のようです。 これはフライングチルダースやエクリプスの生涯成績と同じですね。 小ネタとしては、デヴュー戦でEl Ensayoを制し、 当時古馬にも開放されていたLas Oaksを2度制覇した19世紀の名牝 Mirafloresが生涯3度のマッチレースをしています。 そのうちEl Ensayoで2着に下したTerrorとのマッチレースが2度です。 La PruebaでTerrorの返り討ちに会ったMirafloresは、 次の一般戦で再びTerrorを降すのですが、納得いかないTerrorの馬主がMirafloresにマッチレースを申し込んだとのことです。 結果はMirafloresの勝利。さらに再度マッチレースが行われ、 またもMirafloresの勝利で終わっています。 編集済 -------------------------------------------------------------------------------- 2頭立てといえば 投稿者:ふてき  投稿日:12月 7日(火)17時18分24秒 昨年のペルーG3でもありました↓ ベネスエラなんかもよく3頭立てにはなってるようですけど。。。 マッチレースの統計上の扱い。 これは今まで考えたこと無かったです、不覚にも。 公式か非公式かの判断基準自体が国によって時代によって バラバラかもしれないですね。 近代アメリカのマッチレースは賞金の出所が競馬主催者な場合が多いでしょうから 統計上も公式な競走、という扱いを受けてるような気もしますが。。。いや違うか? 横浜競馬のオフデイ開催というのは初めて聞きました。 娯楽色が強い内容だったのでしょうけど、実際に馬券を売っているのに 非公式扱いというのはちょっと意外な印象でした。。。 チリの場合はどうなんでしょうかね。 他競走と比べて高賞金、ということは純粋に馬主同士のサシ勝負だった 可能性が高い気もしますが。。。 http://homepage1.nifty.com/futeki/2003-p-040.htm -------------------------------------------------------------------------------- 今はありませんけど 投稿者:通りすがり  投稿日:12月 6日(月)23時53分16秒 出走投票が2頭だけで結果的にマッチレースになった例なら昔はありました。 近い例では小倉の障害オープンでキングスピードとブゼンエイトが戦ってますね。 もちろん中央競馬の統計には加えられています。 明治30年代までの横浜競馬は月・火・水の3日間で、開催日はバンクホリデーとなり 居留地の会社や商店は休みましたが、実はそのあとの土曜日に Off Day という開催日が ありました。主に3日間で勝てなかった馬が競いましたが、馬主同士が取り決めたマッチ レースもよくありました。中には距離ハンデをつけた豪州馬と支那馬のマッチも。 ただし、Off Day の勝ち鞍は通算勝利度数には加えられていません。クラブが番組を 作って馬券も売ってるんですが、非公式戦と見なされているわけです。通常の3日間の レースで結果的に単走や2頭立てになった場合は、もちろん1勝と数えられます。 -------------------------------------------------------------------------------- マッチレース 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 6日(月)20時23分48秒 >> 大山鳴動鼠一匹 まさしく今年のカルロスがその通りかと。 ただラミレス関しては亜組&クリスタウ組は馬場や遠征の利点から そこそこ集まるでしょう。亜組はカルロス惜敗馬がどれほど登録してくるかも 注目ですね。好メンバーで3年ぐらい頑張れば、 ラミレスだけ国際G1復帰もあるかも! ただいまチリの成績・統計を整理しているのですが、 19世紀の成績統計が独自集計のものと一致しない。 どうしたものかと調べていると、どうも「特別競走」と題するレースが 統計(種牡馬成績や騎手・馬主成績)に含まれていない。 「特別競走」は賞金が飛びぬけて高く、どういったものかと調べてみたところ、 どうやらマッチレースのことと判明しました。 19世紀のチリではこの「特別競走」がやたら行われています。 他の国々ではマッチレースの結果は各種統計に組み込まれるのかな?と またも新たな疑問が生じた次第です。 -------------------------------------------------------------------------------- なるほど 投稿者:ふてき  投稿日:12月 6日(月)17時27分52秒 担当の人ならすぐに気が付きそうな気もするのですが、 まぁそれが彼らの彼らたる所以でもありますし。 ただこの試みの意欲は買えますよね。高感度アップ(笑) 次回訪宇の際には是非とも問題個所をまとめて突っ込んできてくださいませ。 コンパラシオンといえば今度の「ラミレス」、他国勢が随分と強力になりそうですね。 いや、例によって例の如く大山鳴動鼠一匹になるかもしれませんけども。 -------------------------------------------------------------------------------- 興味はないと思いますが・・・ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 6日(月)16時03分0秒 最近の麻呂の公式サイトでは、開催週の重賞の略史を紹介し、 丁寧にも回次まで付けてくれています。 先週の旧G1コンパラシオン賞とエスティミューロ賞は第92回と第74回となっています。 しかしウルグアイ重賞は名称変更が実に多い。当時の成績書を確認すれば すぐにわかるのに、時代が下るにつれて成績書巻末の重賞勝ち馬一覧が 混乱してくるのです。名称が違う時期の勝ち馬が消えてしまったり、 別の重賞に組み込まれてしまったりと見るに耐えない状況です。 なので、最近の成績書巻末の重賞一覧をそのまま信用できません。 さて、先週のコンパラシオン賞は実際は以下のような変遷です。   1st-17th  Pemio Comparacion (1892,1893,1895-1898,1902-1912)   18th-30th  Premio Juan Victoria (1913-1924)  31st-35th  Premio Imperio - Comparacion (1925-1929)  36th    Premio Chile - Comparacion (1930)  37th    Premio Imperio - Comparacion (1931)  38th    Premio Ernesto Pineyrua - Comparacion (1932)  39th    Premio VII Conferencia Panamericana - Comparacion (1933)  40th    Premio Ernesto Pineyrua - Comparacion (1934)  41st-59th  Pemio Comparacion (1935-1953)  60th    Pemio Stefano Jacini (Presidente 1950) - Comparacion (1954)  61st-67th  Pemio Comparacion (1955-1962)  68th-80th  G.P. Comparacion (1963-1975)  81st    G.P. 250 anos del Proceso Fundacional        de la Ciudad de Montevideo (1976)  82nd-89th  G.P. Comparacion (1977-1984)  90th-102nd Pemio Comparacion (1986(twice)-1997) 103rd-104th G.P. Comparacion (2003-2004) 第92回とされてしまったのはPremio Juan Victoria 時代の勝ち馬が 全て消されてしまった結果でしょう。 第74回とするエスティミューロ賞のほうは、 開催されなかったとする1917~1934年は、Premio Adolfo Artagaveytiaの名で 開催されているので、実際は第92回目です。 一応、確認資料をどうぞ。 http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/0099.JPG -------------------------------------------------------------------------------- Rob-al-ca 投稿者:ふてき  投稿日:12月 4日(土)17時31分13秒 >>ホーエイ 複数プレイのヤオでしたか。 リオでも最近似たような事件があって?大騒ぎらしいですが、 この種のチームプレイ犯行ってリスクがデカ過ぎると思うんですがね。。。 もしこの馬主所有のまま宝永が繁殖入りしていたとしたら 一体どんなことになっていたのやら。 頂戴したホーエイ情報をデルマに追加・修正しときました。 >>ロバルカ氏 Roberto Alvarez Calderon でロバルカ氏なのですね。全く知りませんでした。 向こうってこういう呼び方の習慣があるんですかね。 もし彼がJCのトップになったら何かと楽しいことが 期待できそうですね。>LBさん的に しかし伺った限りの印象では選挙とか強そうなタイプじゃ無さそうでもあり。。。 http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=HOEI&g=5&p=0&f=1&l= -------------------------------------------------------------------------------- 馬券禁止時代 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 4日(土)10時50分55秒 ホーエイのような事例は多聞にあったのでしょうね。 ジャパン・クロニクルは阪神競馬の成績が詳細に記載されていて 僕も活用しています。(国立図書館のマイクロコピー代は値下げしましたが、 それでもキツイ・・・)、 京都競馬の記載もあるかなと期待していたのですが日刊版にはありませんでした。 週刊版は未確認ですが、馬券禁止時代の京都競馬の成績は、 競馬場が山奥に引っ込んでしまったせいか新聞記事がないです。 まだ京都日日新聞が未調査ですが・・・。 通りすがり様、もしご存知でしたら、京都競馬のお勧めの新聞資料があれば、 教えて頂けないでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- ちょっとビックリ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 4日(土)10時40分33秒 ペルーJCの公式サイトに写真入りでロバルカ氏のJC会長選出馬の記事が! ロバルカ氏にはリマ滞在の際に大変お世話になり自宅にも招いてい頂きました。 以前からロバルカ氏が著名なジャーナリスト&競馬史研究家であることを 知っていたので、スタッドブックの職員の方を通じてアポを とって頂いたという経緯でした。 ペルーも一通り整理が終わり細かな疑問点もまとまったので、 ロバルカ氏にメールで尋ねてみようかな・・・と思っていたところなのですが、 今は時期が悪いかなぁ~。 -------------------------------------------------------------------------------- ホーエイは30戦12・9・4・5 投稿者:通りすがり  投稿日:12月 3日(金)22時57分52秒 で確定。国会図書館でジャパン・クロニクル読んできました。 問題のレースは御賞典拝受の翌日行われた豪抽優勝戦ですね。 馬券禁止時代でも親分衆の間では巨額の金が動いてたんでしょう。 ホーエイには「who was the best horse in the race」と注が付いてて、 よほど露骨な騎乗法をやらかしたようですが、実は勝ったラヂユースは 尾形騎手のアスベルと前々日対戦して楽勝してるんですよ。 妨害なんかしなくても勝てたはずなのに、万全を期したのか、 あるいは尾形騎手が事前の誘いを断ってたんでしょうね。 この馬主は割に早く死んだようで、ホーエイも現役中に名義が変わり、 引退後は松方公の千本松農場で繁殖生活を送れたのは幸いでした。 -------------------------------------------------------------------------------- なにかと 投稿者:ふてき  投稿日:12月 1日(水)08時31分11秒 曰く付きの馬だったわけですね。>ホーエイ 天下の「大尾形」だけに逸話の重みも違って感じちゃいますなあ。 チーコ高値の理由は間違いなくリナの見せた高い競走能力から来てるのでしょうね。 にしても高額。今のダービー賞金額に置き換えて考えてみても数頭しか該当しないはず。 子孫が本土に戻ることは無かったんでしょうか。。。うーん残念。