2004年1月



DATE:  1月31日(土)23時31分23秒
TITLE: 露ネタ
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

Capo Gallo(1897) 墺ダービー馬
|Yunak(1911)
||Evolutsia(1931) 露ダービー
||Evolicya(1933) カリニン賞

Yunak の母父はRulerみたいですね。


ソ連初期の生産牧場といえばボロネシ地方のチェスメンスキー牧場。1927・1928・1930・1932年と露ダービー馬を排出しましたが、
現在はサラブレッド生産はしていないみたい。
http://www.eliseev.ru/ippo_old/cmi031.html

チェスメンスキー牧場所有のタゴールなど16頭の種牡馬は、1920年代~30年代に
ヴォスホード牧場に譲渡されたとのことなので、
この時期にチェスメンスキー牧場はサラブレッド生産を止めたのかもしれません。
ちなみにヴォスホード牧場の最初の露ダービー馬は1933年Sprutです。
ヴォスホード牧場については
http://www.horseworld.ru/?article=17
が参考になります。

あと新興のサラブレッド生産牧場として
ЗАО Кавказ があります
http://kavkaz-kurg.narod.ru/index.html
グラスノダールの生産牧場だそうで、ヴォスホード牧場の近くみたいです。
100頭あまりが供用されていて、涙もののラインゴールド系の種牡馬が
心を惹かれます。




メールライン 投稿者:ふてき  投稿日: 1月31日(土)10時24分21秒 

Buccaneer
|Good Hope
| |Good Boy(1883) クラシンスキー

Touchstone
|Champagne
| |Highlander
| | |Baronet(1883) クラシンスキー

Isonomy
|Ruler(1884) クラシンスキー
| |Mortimer(1892) クラシンスキー
| |Culloden(1901) クラシンスキー

Galtee More
|Hammurabi(1903) デルクリスキー
|Fervor
| |Graf Ferry
| | |Ladro
| | | |Khrustal
| | | | |Kharkov(1950) ドネプロペトロフスキー

Tagor
|Granit
| |Zagar
| | |Berezka(1941) デルクリスキー
| | |Gazon
| | | |Dagestan(1956) オヌフリエフスキー
| |Douglas
| | |Derzkij
| | | |Gudzon(1960) オヌフリエフスキー
| | | |Bagrad
| | | | |Dekabrist(1972) デルクリスキー
| | | |Suzdal
| | | | |Kastet(1979) ドネプロペトロフスキー
| | | | |Gzhatsk(1984) ドネプロペトロフスキー

Sorrento
|Brimston
| |Bunchuk(1928) ストレレツキー
| |Geroinya(f,1932) ストレレツキー
| |Budynok(1926) ストレレツキー
| | |Tabor(1938) ストレレツキー
| | | |Gazavat(1943) デルクリスキー

Matchbox
|Horkay
| Balbinus
| | |Raphael
| | | |Ranzhir(1947) オヌフリエフスキー

Brelok(by Igrok?) だけは相変わらず住所不定なのでハズシてます。
ダービー馬で素性を知りたかった最後の4頭、Brelok(1937)、Evolutsia(1931)、
Sproot(1930)、Red Terror(1921) がFT4にも記載されてなかった(恐らく)ってのは
ネット界隈に流通する中途情報の出所とも案外近しいソースから
引いてきてるってことなんでしょうかね。。。



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こんな感じかな 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月30日(金)22時21分58秒 

分かる範囲の外国産の露ダービー馬

【ポーランド産】
 クラシンスキー牧場 ------ 5頭
 1.Good Boy, 1.Baronet, 2.Ruler, 10.Mortimer, 19.Culloden
 
【ウクライナ産】
 デルクリスキー牧場(第63牧場) ------ 4頭
 21.Hammurabi, 53.Berezka, 55.Gazavat, 84.Dekabrist
 ストレレツキー牧場(第60牧場)------ 6頭
 38.Budynok, 40.Bunchuk, 44.Geroinya, 49.Brelok, 50.Tabor
 52.Gibrid, 
 オヌフリエフスキー牧場(第175牧場)----- 3頭
 59.Ranzhir, 68.Dagestan, 72.Gudzon,
 ドネプロペトロフスキー牧場(第65牧場)----- 3頭
 62.Kharkov, 91.Kastet, 96.Gzhatsk

ちなみにヴォスホード牧場(ロシア)は40頭のダービー馬を輩出しています。



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いろいろと 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月30日(金)19時06分4秒 

>> Guru殿

たびたびの教授ありがとうございます。とても興味深いですね。
ホントこの問題は生産国確定を悩ませます。
二重帝国時代のチェコだって自治議会は消滅していたけ
どボヘミア王位は存在していたようですし、
ロシア帝国時代のウクライナはどうなんだ?とか・・・。
ここまで神経質になる必要もないのでしょうけど(^。^)



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ありがたいことです 投稿者:ふてき  投稿日: 1月29日(木)00時48分31秒 

自分も念願の老荘大学へ逝ったつもりで愉しんでおりますんで(^_^;)
なんつうかこう久々にオールドパンクを聞き狂いたい心境。

Lord God have mercy, all crimes are paid ♪

Ruler はFT4でもPOLなんで一安心。
この馬は繁殖の方でも著名ですよね。
ロシアダービー馬2頭にポーランドダービー馬が4頭ですか。
活躍馬が4代目にまで出たわけっすからこれはもう悲願成就の域でしょう。

Royal Realm といえば産駒の*ローヤルアッシュGB Royal Ashe*(1917) という牡馬が
1924年に輸入されているようですね(SireLine)。



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SOMEWHRE IN ENGLAND (Harrison) 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月28日(水)21時19分42秒 

>>連合王国の“連合”は4つの国の連合ではなく大ブリテン島とアイルランドの“連合”
>>を意味すると理解することはできないでしょか?

私もそのように理解しています。1801年の段階で Great Britain はもう統一王国で、
Wales, Scotland はもはや憲法上は「国」ではないし、国という意識も過去のものに
なっていたでしょう。"U.K. of Great Britain and Ireland" は、歴史的事実と
して「二つの王国」が合併して一体となり、その領土は(当時)二つの島からなって
いる、という意味にすぎないというのが私の解釈です。

#もちろんアイルランドのカトリック教徒は、そんなことは死んでも受け入れねえぞ
#と怒り狂ったわけですが (^_^;; 

Wikipedia も Kingdom of England と Kingdom of Scotland が統一して Kingdom
of Great Britain になり(1707)、それが Kingdom of Ireland と合併して
United Kingdom of Great Britain and Ireland になったとしています。

http://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Great_Britain
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Ireland

なおメイトランドその他によりますと、スコットランドとアイルランドの個別事情は
少し異なります。アイルランドには下院 100名の議席が割り当てられ、彼らは保守党
と自由党の間で、しばしば議席数に不釣り合いなキャスティングボートを握りました。
一方、施行されていた法は、スコットランド法がローマ法の影響を受けていたのに
対して、アイルランドの法はイングランドのコモンローを基礎としています。だから
合併後もスコットランドについては固有の法が一部に残ったわけです。

あと、大ブリテン島とアイルランドの間にあるマン島、英仏海峡のチャネル諸島は
連合王国の一部ではなく、属領であるとされています。独自の議会と通貨を持ち、
連合王国の議会制定法はこれらの島を対象として含んでいることが明白でない限り、
自動的には適用されず、裁判の上訴は貴族院(連合王国の場合)ではなく、枢密院
における国王に対してなされるというような点です。



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勉強になります 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月28日(水)19時00分8秒 

ペルーのナシオナル大賞(アウグストレギーア)(G1)の開催が
2月15日になったみたい。なんでここまで延期になったんだ??

>>第1回露西亜ダービー馬
Baronet も Good Boy も両頭とも名門クラシンスキー牧場の生産馬なの
ですけどね(^。^) 前者はRUS産で後者はPOL産とは・・・微妙ですね。
第2回のRulerもクラシンスキー牧場の生産馬でして、
19世紀のポーランド最強馬との声もあるらしい。。。
波2000ギニーの競走名に名前を残しているほどですし、
RulerをRUS産と明記したら現地の関係者の気分は良くないでしょう.
「植民地時代の半島生産馬に KOR は付くか?」
これは歴史オタの間ではよく話題になるネタでして。。。(^.^)
私は常識の範囲で生産国を区別できるなら
そうしたほうが良いのでは・・・と思いますが如何でしょうね。

>>Guru 殿
詳細な解説ありがとうございます。大変勉強になります。
つまり1800年のAct of Union 以前のアイルランドと大ブリテン王国は
同君連合で、1801年以降は「連合王国」という単一国家であり、連邦制(この
言葉が適切ではないかもしれませんが)ではない、と理解してよいのですね。
ただ民衆レベルの意識では必ずしもそうではない、ということでしょうか。
さらに質問ですが、アイルランド併合以前のイギリスの国名は
「大ブリテン王国」で、“連合”が国名に入っていませんよね。となると、
「もはや大ブリテン島王国とアイルランド王国
は存在せず、大ブリテン島とアイルランドの連合王国が存在することになった
のである。かくして又連合王国の単一の議会が存したのである。」の
メイトランドの言葉を理解して、連合王国の“連合”は4つの国の
連合ではなく大ブリテン島とアイルランドの“連合”を意味すると
理解することはできないでしょか?
Guru殿のお考えを教えてください。
(このBBSを歴史の授業化してすみません、管理人さん!)

>>通りすがりさん

GSBのIRE産馬の記載状況は実に価値のある情報で、大変参考になります。
IRE血統書が付属する形だったGSB第19巻(~1901年産駒)以前は、
GB産とIRE産を区別して把握することは、問題ないということですね。
問題は混在されている第20巻~第36巻までということかぁ~。

カナダJCはに生産記録が残されていると聞いたことがあります。
AUSスタッドブックのデータで、カナダ産の名馬 Bunty Lawless を
アメリカ産にしてしまっているとのは、
USA血統書だけではカナダ産を判断するのは難しいということなのかな。
編集済



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今気がついたんで追加 投稿者:通りすがり  投稿日: 1月28日(水)03時36分13秒 

20世紀前半・中葉の馬でも輸出された場合、そちらの血統書には
イギリス産かアイルランド産か区別して書かれていることが多い。

カナダは20世紀前半に独自の血統書を出していたことがあります。
サラブレッドに限らず馬の出生記録は法律により保存されているはずで
農務省あたりで調べることは可能かもしれません。



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GSB第1巻・第2巻は 投稿者:通りすがり  投稿日: 1月27日(火)22時21分49秒 

大ブリテン島の血統書です。

第3巻は大ブリテン島の血統書の後ろにアイリッシュ・メアズの項があり、
最古の生産記録は1755年となっています。これに収録されているのは
血統が第1巻・第2巻に遡ることができる牝馬です。更にその後ろに愛蘭
成績書の索引で大ブリテン島に出自するとされている牝馬の項があります。
以後、大ブリテン島血統書にアイルランド血統書が付属する形で第19巻
(~1901年産駒)まで続きます。バードキャッチャーもソロンも紛れ
もなくアイルランド産馬です。前者は同時期の大ブリテン島にも同名馬が
いたので、アイリッシュバードキャッチャーと通称されました。

第20巻から英愛混合血統書となりますが、アイルランド独立運動先鋭化
と軌を一にしているのは偶然でしょうか。この時代の生産馬は母馬の翌年
産駒の父がどこで供用された種牡馬かで判断するのが基本になるでしょう。
イギリスで出産し、子馬を連れてアイルランドに渡って種付けという状況
は考えにくいことですから(その逆も)。ブランドフォードはすぐ下が父
ロイヤルレルムですからアイルランド産と判断できます。

第37巻(1969年産駒~)以降はアイルランド産馬に in Ireland の
注記が付くようになっています。



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God Save the Queen 4 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月27日(火)21時51分46秒 

北アイルランド「自治政府」は、独立戦争を和平に導くために 1921 アイルランド統治法が
制定され、アイルランドを南北に分割し、それぞれに議会開設を認めたことからきています。
南は 1922年にイギリス・アイルランド条約を受け入れて英連邦の自治領 Irish Free State
となり、1949年には英連邦からも離脱して完全独立。この間の北の地位は正確な記述に照ら
して確認はしていませんが、英連邦の自治領ではなく英本国の一部で、なおかつ自治議会と
自治政府を持つ(その点ではスコットランド、ウェールズとは違い、自治権を有する)と
いうものだったと思われます。そして北アイルランド紛争が激化した 1972年、その意味の
自治も停止され、以後27年間にわたって中央政府の直轄統治下に置かれることになると。



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God Save the Queen 3 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月27日(火)21時06分52秒 

行政面の違いで最たるものは、閣僚ポストで「スコットランド相」
Secretary of State for Scotland があり、Scotland Office
(現在は Department for Constitutional Affairs の一部)
があったことです。これは内閣つまり中央政府レベルの問題であり、
スコットランドが独自の行政権を持っていたわけではありません。
http://www.scottishsecretary.gov.uk/ 




God Save the Queen 2 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月27日(火)20時45分20秒 

1999年に復活したスコットランド議会(Scottish Parliament)については
またいずれ調べて書きます。ただここでも厄介微妙な問題があって、確かに
スコットランド議会は 1707年に閉鎖されたのですが、法律や教育制度では
イングランドと異なる独自のものを維持してきました。面白いのは、新しい
スコットランド議会の開会挨拶で、議長が「今日は連合王国の女王という
だけでなく、スコットランド女王(Queen of Scots)として、文字通り
われわれの中に列席(The Queen among us)していただき云々」と述べた
そうです。これは社交辞令にすぎないかもしれませんが、スコットランド
の場合、かなり強力な内政権限を持つ議会を創設したことで、同君連合的
な意識が生まれているのかもしれません。

http://archive.honya.co.jp/contents/khirose/London/9907/990701.html

北アイルランドについては全然そんなことはなく、1998年の南北アイル
ランド国民(住民)投票で和平案が支持され、北アイルランド地方議会
でも和平案が承認されて、1999 地方分権法で北アイルランド自治政府
に大幅な自治権が移譲されたのですが、直後の 2000.2 には IRA の
武装解除義務違反で早くも直轄統治に逆戻りし、自治政府は機能停止。
その後も一進一退の繰り返しが続いています。

http://www.local.co.jp/news-drift/comment-wahei.html



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God Save the Queen 1 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月27日(火)20時44分46秒 

英国制史の古典、F.W.メイトランド『イングランド憲法史』小山貞夫訳
創文社1981(原著は The Constitutional History of England, 13ed.:
初版は F.W. Maitland,1908)に当たってみました。

プランタジネット朝以来、英国王は dominus Hiberniae(アイルランドの領主)
という称号を名乗っていましたが、国王の権威の及ぶ地域は一部の諸州、都市に
限られていました。ハンプトンコートの亡霊妻を何人か持つヘンリー八世は
1541年に King of Ireland と名乗ります。17世紀から18世紀にかけて
イングランドの革命(王権と議会の抗争)をめぐって、アイルランド人は三回
にわたって結局は負け組となったカトリックのスチュアート家(王党派)の側
につき、三回とも敗れて、すさまじい占領と略奪、土地の収奪を受けます。

国制に関しては、この時代は「国王はたまたまイングランドの国王であったが、
しかしアイルランドの王でもあったのである。」(445頁)つまり同君連合です。
またアイルランド議会はイングランド議会に従属する地位に置かれ、カトリック
教徒は選挙権を奪われましたが、議会そのものは存在していました。

その後1783年に、アイルランドは一時的に立法権を回復します。これはアメリカ
独立戦争などで弱ったイングランドに対し、アイルランドのプロテスタント勢力
が圧力をかけて貿易の自由化や議会法の改正を求めたもので、1783年から1801年
までの18年間、アイルランド議会はイングランド国王の下でイングランド議会
と対等の立法権を手にします。しかしフランス革命の影響を受けたユナイテッド・
アイリッシュメンの武装蜂起は鎮圧され(1798)、その反動でイングランド政府
は両国の議会の統合を提案し、アイルランドのプロテスタント勢力はこれを受け
入れて 1800 Act of Union が成立します。

1801年の連合については、「...しかしながらこの連合が二つの独立王国の連合
であって、従属的な王国の吸収でなかったことは、理解すべきである。連合は
1801年1月1日に効力を生じた。..もはや大ブリテン島王国とアイルランド王国
は存在せず、大ブリテン島とアイルランドの連合王国が存在することになった
のである。かくして又連合王国の単一の議会が存したのである。」(448-9頁)
と、1801年以前は同君連合であったことを強調しています。行政権は国王の
代理たる総督の手にありましたが、イングランド議会と対等の権限を持つ議会
を持っていたのですから、同君連合と言ってさしつかえないでしょう。

スコットランドの場合、1707年の連合によって同君連合は解消され、一人の
国王を戴く一つの大ブリテン島王国となり、両国議会も合体して単一の議会に
なりました。アイルランドでこれに当たるのが 1801年の合併で、それまでは
実態は植民地でも、法制度上は同君連合だったということです。

United Kingdom の "United" というのは、元々は四つの王国だったものが
最終的に一人の君主を戴き、単一の議会を有する統一王国になったという意味
だと思います。「連合王国」というと「同君連合」、あるいは連邦制王国の
のようなイメージがあるので、私は正確には「統一王国」と訳した方がいいと
思います。政治学では通常イギリスは連邦ではなく、単一国家だと(少なく
ともブレア政権の分権化改革までは)と教えられています。しかし「諸王国の
連合」だと理解している人も結構多いようです。確かに法律や教育制度など
については、各地域で独自のものが残っていました。ただし政治的に普通の
自治体より上位の決定権をもつ自治政府や自治議会はなく、その点はイング
ランドの他の地域と同じです。(行政面では少し違います。)



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基礎知識不足でつ 投稿者:ふてき  投稿日: 1月27日(火)20時33分33秒 

http://hanran.tripod.com/irish/record/history.html

Brian Boru もそっち由来だったんすね。
そのうち「競馬からみる世界史」出版されたりしないでせうか。
切望してるんですが。

>>生産国の表記問題

植民地時代の半島生産馬に KOR は付くか?
ってなネタとも然程かけ離れた話じゃないですかな。。。

しかしこうしてみると当事国関係者や歴史学者やらが寄って集って公式見解を示し
一般に流通させるのが正解なのか、今のままあえて結論を出さずに両表記とも放置し、
個々人の嗜好、政治的信念に委ねるのが正しい道か。。。いよいよ判らなくなって来ますた(笑)
いっそシャーガーの骸にでも尋ねてみますか。

>>英国純粋父系の危機

ベタですがやはりセントサイモン系の国内での消滅が最大のエポックだったのでしょうね。

>>第1回露西亜ダービー馬

Baronet(RUS/1883) by Highlander(GER) out of Miss Dare(RUS)
Good Boy(POL/1883) by Good Hope(GER) out of Miss Make(POL)

でした。
あとFT4で気になったのは東独がGDRじゃなくてEGだったことっすね。
なんかこれだとEDみたいで面映い違和感を覚えちゃうんですが。強迫観念。

#今週ブックの香港主要レース結果では Super Kid がセン馬になってますた_| ̄|○



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勉強不足でした 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月27日(火)17時49分9秒 

>>グル殿

ご教授ありがとうございます。これから補習してまいります。
いろいろ復習をしたところで質問なのですが、
イギリスにおける同君連合というのは、1603年~1707年のイングランド王が
スコットランド王を兼ねた時期であり、1707年の両国合併によって同君連合は解消し、
「グレートブリテン王国」いう1つの国の君主となり、
さらに1800年の合同法によってアイルランドが合併されて、
「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」なって以降は、
あくまで「連合王国」の王となった。つまり、イギリス王がアイルランド王を
兼ねている同君連合の状態ではないと理解できそうなのですが如何でしょうか?
現在のイギリス国王が北アイルランド王を兼ねているとは言わないですよね。
現在、各自治議会も復活し、4つの国でイギリスは構成されていた・いるといっても
凡そ間違いではないと思うのですが、国制的に同君連合であるとは言えないのでは?
イギリスの国制については全く素人なので、
教えて君ですみませんが、ご教授くださいませ_(._.)_。

P.S. 連合王国の「連合」とは、4つの国の連合という意味ではなく、
  グレートブリテンとアイルランド(今は北のみ)の連合という意味なのですね。
  知らなかったです。



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アイルランドに平和を 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月27日(火)09時05分32秒 

細かい突っ込みですが、1800年の Act of Union でアイルランド議会が廃止され、
立法権を失い、一般にはこれで英国とアイルランドは正式に合併したもの(-1922 
アイルランド自由国の成立まで)とみなされています。それまで国制上は英国王
が愛国王を兼ねる同君連合でした。実態はもちろん英国人総督の植民地支配。

「反逆者は失敗に身を捧げる。彼はプロフェッショナルな敗者である。希望や
成功を夢見ないと言うのではない。彼はサイコロの目がいつも自分に不利に
出ることを知っている。(中略)反逆者が望む唯一の成功は反逆自体である。
反逆の精神が生き延びさえすれば死は敗北を意味しない。反逆者は
世に知られず、忘れ去られることを恐れない。何千ものアイルランドの反逆
者たちが歴史に記録も残さずに死んでいった。彼らの犠牲はこれからも世に
知られることはないだろう。」 --- ショーン=オフェイロン 『アイルランド』

騎手倶楽部なんかは民間団体ですから、国制の変動とは関係なく独自に運営し、
統計をとることができたでしょう。ただ実際問題として、独立前のアイルランドの
牧場主は英国人の不在地主が多かっただろうと思いますが。。

今では四歳(いまだにこう呼ぶのは私だけ?)春のクラシックは英愛仏三国で
一つの体系みたいになっちゃってますが、1950年代以前は勝馬もほとんど
異なり、成績書は別立てだったというのも合理的ですね。逆に種牡馬は
Birdcacther のように両島間を頻繁に往復したりすると、供用地別の統計では
データが連続せず、意味がなくなってしまいます。



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眠いので乱筆 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月27日(火)02時31分17秒 

FT第4巻の生産国については、刊行前からちょっと話の種になりました。
第1回露ダービー馬のポーランド産馬2頭もロシア産になってません?

GBとIREの問題ですが、もともとGB血統書ではIRE産馬を人目で区別できるような表記は
されていないのですよ。IRE独立後も血統書の体裁は変わらなかったよう。
さすがにIREがクレームをつけたらしく、現在ではIRE産表記が付くように
なりましたが、それも1950年代以降じゃなかったかな。
古い時代のIRE産の判断は生産者などから判断するしかないのじゃないかな(もっと楽な
判断方法があるのかもしれないけど)。

FT第4巻は、生産国を付記するにあたって、細かに生産者までチェックしたわけではなく、
古い時代の場合は、単に血統書のメインの国名に従ったとのこと。
なので1つの血統書で複数の国を網羅している場合、
AUT&HUN&CZE や USSR、RUS&POL、SAF&ROD(ZIM)、USA&CAN&MEX 
などは古い時代のものは正確でない可能性が高いそうです。
最近の血統書は、複数の国を網羅している場合はちゃんと生産国を区別して
表記してあるのですが、古い時代の血統書はそこまで親切でないのですよ。
1930年以前のアメリカ血統書もカナダ産やメキシコ産を何の付記もなく
堂々と掲載しています(*_*) 発行する側としては、含ませてあげている国なんぞは、
自分の国の一部みたいにしか思っていなかったのでしょう。

ただIREは、GBの植民地ではあったけど連合王国の本土領であったことは
なかったのじゃないかな。
ジョッキークラブも別々に存在していたのだし、区別して当然な気はします。
IREは、成績書は18世紀以来独立して刊行しています。
ただGB成績書もIREの成績が記載されるけど今も。やはり元宗主国の誇りなのかな。
編集済



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GBとIRE 投稿者:魔春  投稿日: 1月26日(月)23時56分6秒 

そもそもある時期にはアイルランドという国自体が独立国家でないので、
Irish Birdcatcherでもイギリス産、という解釈なのでしょうね。
#同様な問題はCZEとかPOLでもありえますね。
その辺をどれくらい厳密に取るかで、Blandfordとかの超マイナー分枝で
残ってくる馬は出るのかも知れないですな。
っても、DonatelloがFRだから大概ここで切れますが。



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微妙な問題 投稿者:ふてき  投稿日: 1月26日(月)23時24分13秒 

>>欧州血統ヲタ

間違いなく萌えてるでしょうね。
今んとこ情報チョウラィ!щ(゚▽゚щ)メールは来てませんけど。

他の国となると南ア、ウルグアイ、スロバキア辺りでそこそこクラス(国内比)の
種馬が残ってるようです。
近年の勢いですとディバインギフト分枝の南ア産スプリンターが
一足先にシャヒーンあたりで名を挙げそで怖いんですが(笑)

#南アは地味にザボス系も残してますよね。

>>英国父系

FT4なんですが。
Birdcatcher も Solon も Blandford も英国産となってますね。
これって英国支配下の愛国領土で生まれた馬達でしたっけ?
オフィシャルな記録としてはあくまでGBということなんでしょうかね。。。

とりあえずそのへんを愛産として話を進めますと、仰る通りオーウェンチューダー系
くらいなのでしょうね。特に寝具寝具のいくつかの分枝となりそうな。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=Fayr+Jag&g=5&inbred=Standard&x2=n
Fayr Jag というのが昨年重賞勝っているようですが、残念ながら勝ち馬自身が愛産。おまけにセン馬。
Treasure Kay とか Reprimand の後継にも僅かな可能性。。。
Abernant--Abwah--Absalom というのは恐らくもう駄目ぽ。。。
あとはハイハット系 Master Willie がハードル用を出してるかも(笑)



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ところで 投稿者:魔春  投稿日: 1月26日(月)20時57分54秒 

Darley Arabian以来ず~っとイギリス(アイルランドは含まず)で父系を繋げてる
種牡馬って、現在どれくらい存在するんでしょうね。
基本的にWhaleboneの系統はBirdcatcherで切れますが、Touchstoneの方はHyperion
の系統がず~っとイギリス残留組。このなかでも現在もっとも栄えてるCadeaux Genereux
に関していえば、父のYoung GenerationがIREだからアウト。恐らくSing Singか
Mummy's Pet辺りの生き残りでイギリス供用の馬がいれば、というとこですが、果たして。



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まぁ 投稿者:魔春  投稿日: 1月26日(月)11時59分21秒 

欧州辺りの血統ヲタでショウナンカンプとかみて
「プリンスリーギフトの父系を未だに持たせている日本は凄い」
みたいに思ってる人は案外いるんじゃないかな、とか思ったことはあり。


中国の世紀か 投稿者:ふてき  投稿日: 1月25日(日)21時54分16秒 

こうして眺めてると、客死したアルダンもある意味幸せだったのか。。。
なんて気分にさせられたりします。

いずれ Hokkai Mao Wong(CHN) なんつー名前の馬がJCに招待される日が来ちゃったり
するんでしょうか。まぁ血統だけに絞って考えたらそう遠い話でもないんでしょうけど。

父系表は某牝馬の産駒紹介に究極のこだわりを見た思い(^_^;)



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隔世の感 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月25日(日)19時21分15秒 

スリルショウ・タイトスポット・ゴールデンフェザントが同じ牧場で種牡馬生活ですか。
何となくセピア色の血統世界という感じが イイ!!(゚∀゚)イイ!! ですな。
中国血統の開祖たちとして、永く名と血を受け継いでいくことを期待。

名誉マイナー父系表、ちょこっと補充しました。



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期待は裏切られる為にある 投稿者:ふてき  投稿日: 1月25日(日)12時45分52秒 

>>Alrayed

でしたか。
一応名馬と名牝の配合ではありますね。
Life's Magic は繁殖成績が芳しくないこともあってか最近名前を見る機会が
少なくなってた印象です。
そんなわけで存在自体、自分の脳内から完全にデリられてますた(^_^;)

デルマに登録されているロシア事情には「まだまだこれから感」が在りますから、
隠れコミュニスト達にとってのお楽しみ袋は必ずや残っているはずです(笑)

>>ロシア血統書

なるほどです。
古い時代に関しては現在流通している馬名表記はネットであろうと
それなりの書籍であろうとあくまで暫定扱いという理解で逝かせていただきまする。
今後は例の露西亜産と烏克蘭産の混交問題が訂正されていくことも期待できますね。

>>中国血統書

血統書の体裁って意外に自由度が高いものなんですね。
彩りの部分にお国柄が反映。。。って程のものでもないですかな。

2003年中国産では父ホッカイルソー母ホッカイカーラの牡駒に期待。
http://www.longtoufarm.com/2003h7.htm# 



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期待を裏切ります 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月25日(日)00時55分57秒 

Landr(RUS)1999 の父Алрэйдですが、ローマ字転写はAlreyd ではなくAlrayedでした。
キリル文字のローマ字転写ですが、ロシア語はそのまま単純に転写すればよいのですが、
外来語は発音に順じて転写をするので、単純に文字の入れ替えができないのが辛いです。
言い訳ですけど(^。^)
Alrayed はアメリカ産で Alydar の産駒です。ロシア血統ではありませんでした、残念です。
Landr は2001年は露ダービーは3着でしたが、シーズン末のクボク・ナシボファを制してします。
去年はロシア版ゴールドカップで古馬の頂点に立つもクボク・ナシボファの惨敗で、
年度代表馬だけでなく、最優秀古馬のタイトルも逃したようです。

ファミリーテーブルのロシア馬のローマ字転写ですが、転写の基準が統一されておらず、
かなり信用できません。当時の資料を確認してみると、イギリスとドイツの雑誌では
転写の方法が違っていたりしており、国によっても転写の方法の違いがあるようです。
現在、ロシアではイギリス式のローマ字転写が行われいるようです。
それはソ連崩壊後、ウェザビーがロシア血統書の整備に全面協力したことが理由のようです。
ロシア血統書は近年に3度目のリニューアルが行われました。
①ロシア帝国~ソ連時代の旧血統書、②ロシア連邦以降の血統書、③ローマ字版血統書
という流れでして、現在はローマ字版血統書が公式のものです。
これらは3つの血統書は時代は重なっていません。
国際血統書委員会に承認してもらうために段階を経たと考えてください。
①が未公認、②が準公認、③が公認です。
公認されたのは最近なので③はまだ第1巻しか刊行されていません。
ロシア以外にもウクライナ・グルジア・モルドバなどの生産馬も含まれています。
ちゃんと国号で表示されているので、一目で生産国を区別できます。
この第1巻におけるローマ字転写の基準が、キリル文字のローマ字転写のスタンダードに
なることは間違いないでしょう。過去の馬の転写も訂正する必要がでてきそうです。
今度、確認しておきます。

話は飛ぶのですが、最近、中国血統書の第1巻を見る機会がありました。
とても遊び心がある出来具合です。
一見すると絵本では?と思うようなファンタジーっぽい作り。
表題も可愛らしい丸文字で血統書としては異彩を放っています。
かなりGoodでしたよ。
編集済



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見つけますた! 投稿者:ふてき  投稿日: 1月24日(土)16時56分6秒 

しかしこの系統、何ゆえ日本の生産者に不人気だったのかしらん。
向こうでの不発がその理由の全てとも考え難いわけでして。
某愛蘭牝馬の大一番ゲトーもそこまで強烈なインパクトを残す。。。とは逝かんかった。
のでしょうね。

しかし順番待ちぼうけで枯れちゃいそうな分枝がもう2、3ありそうっすね(^_^;)



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リンク先ミス 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月24日(土)07時51分36秒 

こっちですね。父系表の方の拡張子は htm です。
http://teenoso.hp.infoseek.co.jp/update.html 



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まだ骨格だけですが 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月24日(土)07時50分6秒 

新大陸の「名誉マイナー父系表」を作り始めてます(藁
いつもの場所に 馬名(すべて小文字).htm というファイルで置いてあります。
すぐ分かるでしょうが、いちおうヒントを書きますと、ライバルの後継種牡馬は
日本に続々と輸入されたのに対し、こちらの後継、いや直系の輸入種牡馬は
恐らく一頭も輸入されてません。  
http://teenoso.hp.infoseek.co.jp/update.htm 



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コミュニストの野望 投稿者:ふてき  投稿日: 1月23日(金)18時55分45秒 

>>結局 Floridon 直系だけですかね、タゴール系でまだ残っているのは。

デルマなんか見てるとチェコやらスロバキアやらでクラシックを勝った
連中がいるらしいのでその辺にも断末魔の最期の叫びを期待したいものです。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=flogiston&g=5&inbred=Standard&x2=n
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=FAUST4&g=5&inbred=Standard&x2=n&pedloggedin=0

Floridon 以外となるとこの Rant というのがフィンランド(!)で種馬に
なってるようですね。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=rant&g=5&inbred=Standard&x2=n
産駒が一頭登録されてますが、これがFINなのかいな?
まぁ普通に考えれば主用途は平地競馬用のサラ生産じゃないでしょうね。
たしかフィンランドはハーネスやってるってのをどこかで読んだ記憶が。

あ、あと95年のロシアダービー馬が Fabij 産駒と思われます。

Gurzuf 1992 牡  / FNo. 19 / St. Simon 系 (クロス 5代表示) 
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  Floridon     Derzkij      Duglas      - Zapoved      6-b 
Fabij        Feya       Element      - Figura       4-o 
 1986 栗      Aramis      Razgar      - Albina       4-o 
  Biva       Bashanta     Steinadler    - Beshtau         
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
  Montcontour    Luthier      Klairon      - Flute Enchantee  14-c 
Goryanka       Moskvitchka    Mossborough    - Tout Sweet Twenty 1-w 
 1987        Athens Wood    セルティックアッシ- Belle of Athens  19-b 
  Groza       Gaubitza     Balto       - Grebionka     19  
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
 Grog     1946 : 5 * 5   :  6.250%
 Baltic Baron 1938 : 5 * 5   :  6.250%
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
                     SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 

ファミリーテーブルも近年のロシアダービーは圏外なもんで、とりあえず露馬名の
ローマナイズはデルマに準じて入力してみますた。
正確なところは英語名併記の最新版スタッドブックにあたらないと厳しいのでしょうね。



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徹夜明け一服 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月23日(金)06時45分16秒 

Fabij産駒といえばドイツにも一頭やってきたというぢゃありませんか。
結局 Floridon 直系だけですかね、タゴール系でまだ残っているのは。

|Florizel II  (1891, Brother to Persimmon) 
| |Floreal   (1908, 1911_Russian Derby, ロシアで 12戦 11勝)
| | |Tagor   (1915, 偉大なるロシア土着父系の祖) → Marcel (by Cyclonic)
| | | |Granit II   (1930)
| | | | |Douglas   (1947_Soviet Derby, ソ連主流父系) 
| | | | | |Derskiy  (1954, or Derzkiy, full-brother to Zadornyi)
| | | | | | |Floridon  (1975, 1978_Soviet Derby, 1979_USSR 賞) 
| | | | | | | |Fabij   (1986)
| | | | | | | | |Florans (1999)
| | | | | | | | |Fint  (1999)
| | | | | | | |Flagman  (1983, 1986_Soviet Derby) → Akbash (by Balliol Boy)
| | | | | | | | |Efes  (1990, or Ephes)

ちょっと調べた限りでは、*ゲイ<丶`∀´> (f)の牝系子孫で走った馬というと、
地方重賞(中津?)の平成権力(キャタオラ)くらいですか。



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言語の壁越えられず 投稿者:ふてき  投稿日: 1月22日(木)23時33分35秒 

>>タラベラーノ

一応スクープみたいで。
ちょっと前の「ラレプブリカ」にもアメリカかアルゼンチンで乗りたいという
コメントはあったんすよね。
賞金支払いが滞っている現状で声掛けられたら普通いっちゃうでしょう。
4月に Fastway 騎乗で「ラティノ」挑戦とも。北米移籍はどうやらその後のようです。

>>露西亜関連

イヤハヤ申し訳なし、です。
致命的に誤解して書き込んだのはこっちの方ですた(^_^;)
結果的には瓢箪から駒であれこれ貴重な情報を頂けましたです。

ダービー馬も取り違えちゃってましたね。
結局この2冠馬がチャンピオンシップも獲った訳ですか。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=akbash&g=5&inbred=Standard&x2=n
Balliol Boy ってのは聞いたことなかったですが、Saumarez の弟なんですね。
Alreyd の素性も把握してませぬが、スペル的に露語風にも見えるんで内国産の期待(笑)

しかしレース写真見ると4コーナーがかなり急角度に見えますね。
内埒沿いがスッポリ空いてるのはその所為もあるのかしらん??

KGB資料庫漁り。楽しそうですなぁ。
本格的なキリル相手だと、そうお気楽なことも言ってられんのでしょうけど。。。

>>亜統計

マルドッティ先生は9年連続なんですねぇ。密かに凄いっす。
今やキャラクターも相まってアルゼンチン競馬の「顔」と言っていい存在か(笑)

>>Procopio

これはもう故障なんでしょうね。
8月に勝って以来ご無沙汰だったかと。
「エルパイス」が読めなくなってその辺の事情も皆目不明なのであります。


ビッグニュース!! 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月22日(木)19時04分24秒 

タレベラーノがマローニャスに移籍って、ラナシオンが伝えているね。
財政難に苦しむペルーよりもアメリカ資本が入り
先が明るいウルグアイの方がよいと判断したのかな?



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誤解してました 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月22日(木)03時28分56秒 

私もよく確認しなかったので早合点してしまいましたが、
2003年7月6日にタゴール系 Fabij 産駒が勝った3200mの重賞は
地方競馬ピヤティゴルスク競馬場で開催された地方重賞ですね。
ですので、同日に開催されたダービーも露ダービーではありません。
モスクワ競馬場で行われた露ダービー及び2歳馬・古馬の
チャンピオン戦は2003年7月20日に開催されています。
http://www.oldmill.hotmail.ru/skachki2.htm

2003年度のロシア(モスクワ競馬場)の主要競走は以下の通りです。

2003.06.08 Priz Bolshoy Letniy (G1) (露2000ギニー)
 1600m 1:38.6 Akbash(RUS)2000,c (Balliol Boy = Alfina)
2003.06.08 Priz Analogichoy (G2) (露1000ギニー)
 1600m 1:43.5 Ezhba(RUS)2000,f (Balliol Boy = Elektra)BALLIOL BOY
2003.06.29 Bolishoy Priz - Oaks (G1) (露オークス)
 2400m 2:38.8 Sonar(RUS)2000,f, (Observation Post = Samara) 
2003.07.20 Bolishoy Priz dlya zhapebtsov i kobil (G1)(2歳最強戦)
 1600m 1:44.8 Rodnik(RUS)2001,c (Dotsero = Regbi)
2003.07.20 Bolishoy Vserossiyskiy Priz - Derby (G1) (露ダービー)
 2400m 2:35.4 Akbash(RUS)2000,c (Balliol Boy = Alfina)
2003.07.20 Priz Ministra Celiskogo Khozyaystva Rossiyskoy Federatsii(G1) 
  3200m 3:28.6 Landr(RUS)1999,c (Alreyd = Andromeda)        (古歳最強戦)
2003.08.10 Priz imeni S.M. Budennogo (G1) (露セントレジャー)
 2800m 3:07.5 Teralit(GER)2002,c 
2003.08.24 Kubok N. Nacibova (G1) (露チャンピオンシップ)
 2400m 2:32.9 Akbash(RUS)2000,c (Balliol Boy = Alfina)
編集済



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亜の統計 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月21日(水)22時29分28秒 

レビスタパレルモに騎手・調教師の最終統計が発表されましたが、
年始に速報で発表されたものと比べ、微妙にずれているようです。
サンイシドロの統計の発表が遅れたのが影響しているようですが。。。

Jockey (Argentino y San Isidro)
Pablo G. Falero    396 (Arg.181 : S.I.215)
Jacinto R. Herrera  212 (Arg.121 : S.I. 91)
Juan C. Noriega    190 (Arg.109 : S.I. 81)
Jorge Valdivieso   158 (Arg. 77 : S.I. 81)
Jose R. Mendez    135 (Arg. 82 : S.I. 53)
ファレイロは5年連続8回目の首位。
ファレイロとエレラの1位・2位は3年連続9回目。

Trainer (Argentino y San Isidro)
Juan C. Maldotti   162 (Arg. 59 : S.I.103)
Roberto A. Pellegatta 120 (Arg. 70 : S.I. 50)
Carlos D. Etchechoury 81 (Arg. 22 : S.I. 59)
マルドッティは9年連続10回目の首位獲得。

ラプラタは騎手・調教師ともに初の首位。

種牡馬・馬主・生産者統計はブエノスアイレス地区のみは発表されていますが、
地方競馬を含めた全国統計は3月過ぎにならないと発表されません(スタッドブックの
HPの統計は全国統計です。)。
しかし地方競馬分が加わっても大きな順位変動はないです。
トップは Southern Halo が復権。Roy は首位から10位に転落です。

話は飛んで、ウルグアイの年度代表馬は Procopio でしたね。
尻切れトンボの感は否めませんが(~o~)



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露 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月21日(水)21時59分52秒 

> 昨年のロシアダービー同日に行なわれた3200mの重賞・・・

ソ連時代「ソビエト社会主義共和国連邦」と呼ばれた古馬最強決定戦の
ことですね。ソ連崩壊後は「ロシア連邦大統領賞」となり、
2002年は「ロシア連邦農業大臣賞」の名で開催されています。

ソ連~ロシアでは、2歳・3歳(ダービー)・古馬のチャンピオン戦を
同日に行うのが伝統で、これを3歳クラシックとは別に3冠と
呼んでいました。3歳馬と古馬はシーズン末の「比較賞」で雌雄を
決するという流れだったのですが、ソ連時代は同時期に
社会主義圏国際競馬が行われていたので、
「ソ連セントレジャー」同様「比較賞」にも有力馬が集まらないことが
多かったようです。両競走が復権するのは、1980年代に入り、
ソ連が社会主義圏国際競馬の参加への意欲が失せ始めてからです。

「比較賞」はロシア連邦になり「チャンピオン賞」と改称され、
さらには2002年からロシアのジョッキークラブにあたるナシボフが
スポンサーになり「クボク・ナシボファ(ジョッキークラブ杯)」と
なり、ロシア競馬の一大イヴェントへとなりました。
ちなみにロシア競馬は未だ国の管理下にあり、
ナシボフが試行団体というわけではありません。
http://www.nasibovcup2003.ru/program/index.shtml

マイナー競馬信者の最後の理想郷、ロシア競馬ですが、
日本国内の某機関に資料が埋まている可能性あり・・・との情報を掴みました。
まだ訪問していないので何とも言えませんが、
近いうちに調査してきたいと思います。あるといいのですが(^。^)

編集済



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Choba B CCCP 投稿者:ふてき  投稿日: 1月21日(水)17時27分25秒 

http://www.usa2017.com/beatles/ussr.html
思い出すのはシャドリン、リャプキン。。。王子ファソにとって神そのものでした。

パレスタイン系じゃないんですが、昨年のロシアダービー同日に行なわれた
3200mの重賞をタゴール系 Fabij 産駒が勝ってるようで。
http://www.equestrian.ru/hippodrome/races.php?race_id=81
キリル文字なんでイマイチ自信ありませぬ。
勝ち馬は Fint とでも書けばいいのかな。
肝心のダービー、オークスは Brief Truce と Observation Post に
獲られちった模様。

あと、Gay Warrior の母馬*ゲイニダって輸入されてるんですね。
今のところさしたる成果は上げてないようですが。



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あと1年待ってれぼ 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月20日(火)23時48分6秒 

Hardicanute がジム親父へのプレゼントだったかも知れないわけですな。
調査本当にありがとうございます > 通りすがり様、不適応者様

同じ Fighting Don 産駒の Gay Warrior II がソ連で成功したことが
ポールのヲカルト的連想で USA--->GB--->BACK IN THE USSR に
つながった、てなことはあるわけないですな (^_^;;

I'm back in the U.S.S.R.
You don't know how lucky you are boys
Back in the U.S.S.R.



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用意したわけじゃありませんが 投稿者:ふてき  投稿日: 1月20日(火)23時45分11秒 

絵に描いて額に入れたかのような「酷い間違い」でしたね。
キロ換算すると180kg以上になります(^_^;)
「ポンド」ってきて「通貨」がこれっぽっちも連想できない情けなさや(笑)

考えてみたらエイントリー競馬場は彼にとって地元と言って差し支えない場所なんすね。
英国経験もなくビートルズヲタでもない自分には条件反射でこれが弾き出せなかったでつ。

これほどのニュースなんで手綱を引く写真がネットに落ちているかと思ったんですが、
チョロっと探した範囲では残念ながら見つけられず、でした。
ビートルズヲタサイト方面からどっぷりと探せば或いは有りそうな気もするのですけど。



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タイトルは「日本の種牡馬録によれば」 投稿者:通りすがり  投稿日: 1月20日(火)23時00分49秒 

でした。斤量は7ストーン4ポンドです。



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気になって戻ってきましたが 投稿者:通りすがり  投稿日: 1月20日(火)22時57分58秒 

まあそういうことで。
鹿毛のセン馬です。センを漢字で書こうとして文字化けしたみたい。
414ポンドは1着賞金です。頭差で勝ちました。
他のレースのタイムは3秒落ちくらいで、この馬のタイムは9秒落ちくらい。
ちなみに人気は21頭立ての下位8頭をまとめた「その他」で20対1。
この日は平地4鞍、ハードル、GNという編成で、このレースは平地の第1レース。
騎手名は僕の書き間違いで、正しくは McIntosh でした。



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躾の悪い 投稿者:ふてき  投稿日: 1月20日(火)22時04分10秒 

掲示板で誠に申し訳ございませぬm(_ _)m
読めない部分がどうにも気になっちゃって文字化け解消ソフトとか色々使ってみましたが、
上手いこといきませんでした。。。

自力で大胆に解読してみますんで、酷い間違いがありましたらご指摘ください。

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ハーディカヌートの実の兄にドレイクズドラム Drake's Drum という馬はいます。
ただしスペルは Drakes Drum が正式で、こんなところが××××。
GSBによれば Harvest Maid の1961年産です。父 Fighting Don の牡馬。
エイントリィは今でこそ障害専門ですが、当時は平地兼用でした。
この馬が勝ったのは Hylton Plate というハンデ戦で、斤量は414ポンド。
6Fを1分25秒2で走り、××××います。
××のレースはこれほど遅くないので、あまり強くはなかったかも。
この日は××、ハードル、GNの××××でした。
クレジットは馬主 Mr.J.McCartney 調教師 C.Crossley 騎手 MacIntosh

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8割くらいはいけてると思います。タイトルはお手上げですが。。。

血縁関係のウラを取って頂いたのでスッキリいたしました。ありがとうございます。
Fighting Don ってジュライCやらナンソープSの勝ち馬を出してるようで
やはり当時としてはスプリント寄りの種馬ではあったんでしょうね。


変な投稿しちゃったかな 投稿者:通りすがり  投稿日: 1月20日(火)20時27分23秒 

でもまあ読めるよね。
確かにハーディカヌートの半兄です。



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晩云のキN諜乕によれば 投稿者:宥りすがり  投稿日: 1月20日(火)20時19分19秒 

ハゥ`ディカヌゥ`トの銚の徨にドレイクズドラム Drake's Drum 7・C・い泙后」
ただし兆は Drakes Drum が屎盾で、こんなところがズと昵C襪呂困發△蠅泙擦鵝」
GSBによれば Harvest Maid の1961定ョbです。幻 Fighting Don の孫谷。
エイントリゥ`は書でこそ嬾墾検餤ですが、輝瓶は詞栽饑岸でした。
このが恠ったのは Hylton Plate というハンデ大C如■益度p署は414ポンド。
6Fを1蛍25昼2で恠り、硤餓の・_獷魑辰討い泙后」
麿のレゥ`スはこれほど゚Wくないので、あまり所くはなかったかも。
この晩は峠仇4旭、ハゥ`ドル、GNのセウ匹如△海譴脇週悗竜擅吋讒`スでした。
クレジットは麼 Mr J. McCartney  ユ{縮次 C. Crossley  返 MacIntosh



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日本の種牡馬録 投稿者:ふてき  投稿日: 1月20日(火)17時02分18秒 

持っているのは1969年版だけっす。
載っているのは輸入三代の祖父格*ハードリドンまでですし(^_^;)
ちなみにこれ、相当以前に古本屋で買ったのですが、巻頭には某氏にあてた
白井透氏のサインが入ってるという(^_^;)

http://www.barretts.com/catalog/CATOC201/pdf/26.pdf
この辺のセリカタログによると*ハーディカヌートの兄 Drake's Drum の戦績は
2~5歳で7勝(英国)ということのようですね。
もし障害専門馬だったのなら平地系種牡馬本方面から追っかけるのは
結構厳しいのかもしれませぬね。。。

Palestine 系の繁栄って本流 Pall Mall に限らずオセアニアが主舞台だったんすね。
Gaius の産駒には91年のNZダービー馬 Cavallieri というのもいるようですが、
デルマのコメント欄見るとなにやら海外輸出されたらしい。
で、ググって見ますと何とドイツの馬術界方面に活路見出した模様。
http://www.infodienst-mlr.bwl.de/la/hul/deckhengste/cavallieri_xx.htm
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=Cavallieri&g=5&inbred=Standard&x2=n 



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もしかして 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月19日(月)23時39分53秒 

『日本の種牡馬録』に *ハーディカヌートの紹介があれば、それで分かるかと思ったり。
#真の歴史家はもちろんGSBに当たるでしょうが (^_^;;

まぁジョン本人というより、ヨーコが作った平和の使徒というイメージが厭なのですよ。
それよりは軽薄、独善、強欲、曲に深みがない、専制的、出しゃばり....と叩かれ
まくってるポールの方が、逆にそういう余計な先入観を感じずに評価できるわけで。。。

それはそうと、この馬あたりが Palestine直系最後の末裔でしょうかね。
Australian Stud Book では Cheerine Kid という別名で登録されてます。
幸いに玉付きらしいので、ニュージーランドの辺境で種牡馬入りせんかなと淡い期待。
http://www.japanbloodstock.com/home/ja/horse/ped/s/u/super_kid_1999c.asp 



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ジョンはペケでしたよね 投稿者:ふてき  投稿日: 1月17日(土)09時44分18秒 

>>ボーア戦争

例の本では軽く一節触れられているだけですね。
「戦争は極度の被害をもたらした。」と。
かの国では鉱脈の発見・開発に付随して各地に競馬場が作られていった歴史があるようで。

>>Drake's Drum

残念ながらFT4には Harvest Maid の仔は Hardicanute しか記載されてないっす。。。
ですが、多分恐らくほぼ確実にご指摘の一頭でいけるんじゃなかろうかと。
特に根拠も無いですが、生国、生年、スペルの三拍子揃ってるのでしたら、
9割方ハーディカヌートの兄と踏んでよろしいのではないでしょうか。

http://www.iol.ie/~beatlesireland/beatlesfactfiles/beatlesfactfiles01/TheMcCartney/JamesMcCartney(f).htm
この記述見るとグランドナショナルの直前のレースで勝ったとな??
もしそうなら、さぞ「祭り」になってたんでしょうねえ。
まぁむらさき賞をキタサンなんとかが勝つようなものか(^_^;)



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久々の快晴 投稿者:ふてき  投稿日: 1月17日(土)09時43分39秒 

>>3冠馬

シービー3冠の年はあまり中継見なかったんすよね。
塀の内側に居たわけじゃないのですが(^_^;)
ルドルフはかなりの基地やっちゃってますた。
例の遠征のときなぞ中継無かった(当地では)もんで、
朝一玄関で新聞待ったという厨房ぶりですよ。
朝刊に結果速報間に合わなかったんですが(笑)
今思えば競馬の結果で最も凹んだ瞬間はあの敗戦だったかも。
不思議なもんで、もしこの歳になってリアルタイムにあの2頭の2冠馬が居たら
たぶんシービー派になってたんだろうなぁとは思いまする。

>>Irene(1890)とLammas(1891)

フォローありがとうございます。

Irene 1890 牝  / FNo. 19-c / Newminster 系 (クロス 5代表示) 
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
  Adventurer    Newminster    Touchstone    - Beeswing      8  
Sir Amyas Leigh   Palma       Emilius      - Francesca     12-g 
 1876 栗      Moulsey      Teddington    - Sabra       3  
  Muddle      Mandragora    Rataplan     - Manganese [F4-d]  4-c 
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
  Cardinal York   Newminster    Touchstone    - Beeswing      8  
Esther Stockwell   Licence      Gameboy      - Malaga       3  
 1879        Stockwell     The Baron     - Pocahontas [F3-n] 3-m 
  Queen Esther   Hepatica     Voltigeur     - Vanish       19-c 
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
 Newminster      1848 : 3 x 3   : 25.000%
 Stockwell = Rataplan 1849 : 4 x 3   : 18.750%
 Birdcatcher     1833 : 5 x 5   :  6.250%
 Glencoe       1831 :   5 * 5 :  6.250%
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
                     SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 

Lammas 1891 牡  / FNo. 19-c / Newminster 系 (クロス 5代表示) 
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
  Hermit      Newminster    Touchstone    - Beeswing      8  
Candlemas      Seclusion     Tadmor      - Miss Sellon    5-d 
 1883 鹿      Marsyas      Orlando      - Malibran      12  
  Fusee       Vesuvienne    Gladiator     - Venus (F22)    22-b 
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
  Cardinal York   Newminster    Touchstone    - Beeswing      8  
Esther Stockwell   Licence      Gameboy      - Malaga       3  
 1879        Stockwell     The Baron     - Pocahontas [F3-n] 3-m 
  Queen Esther   Hepatica     Voltigeur     - Vanish       19-c 
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
 Newminster 1848 :   3 x 3   : 25.000%
 Touchstone 1831 : 4 * 5 x 4   : 15.625%
 Glencoe  1831 :     5 * 5 :  6.250%
-------------------- ----------------- --------------------------------------------
                     SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 

>>喜望峰ダービー

風との戦いが勝負を分ける。なんてなかなか面白そうですね。ケニルワース競馬場。

で、うまくすればアフリカ遠征の旅費は浮きそうっすか。
一番最後に残るのがモスクワですかな(^_^;)



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遅レスですが 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月16日(金)19時02分18秒 

1979年のカツラノハイセイコのダービーはさすがに記憶がない(^.^)
記憶にある最初の馬がミホシンザンでして、シービー、ルドルフには間に合わず、
3冠馬はナリタブライアンまで見ることができなかった世代です。
最近も続編がやっていたようですが、リアルタイムで見ていたのは
「逆襲のクトロバジーナ」までですね。
大学の時に暇つぶしで他もいくつか見ましたが・・・クトロバジーナが
出てこないのでつまらんです(-.-)

初期の南アダービーがポートエリザベスで行われていたのは、
当時、ジョッキークラブの本部がポートエリザベスにあったからでしょう。
20世紀初頭にヨハネスに移転されています。
Irene(1890)とLammas(1891)も南アダービーを勝っているようです。

南アフリカの主要競走はちゃんと調べておきたいですね。
FT4巻の製作の際、南アフリカは協力的で直ぐにメールの返事をくれたそうです。
一度メールを送って追い合わせてみようかしら。

関係ないですが、Heritage の喜望峰ダービーの説明にはちょっと疑問があります。
Western Province Derby が Cape of Good Hope Derby になったとあるのですが、
Western Province Derby は Cape Augus Guineas の前身ではないかと。
この辺については、もう少し調べがついてから報告します。



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訂正 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月16日(金)18時44分20秒 

Harvest Time じゃなく Harvest Maid です。



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休養明けです 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月16日(金)18時41分37秒 

パールダイヴァーの追加情報有り難うございまする m(_ _)m
Carbine などの豪州からの出戻り組に相当するのが南アフリカにもいた
ということですかね。ちょうどこの時期はイギリスがボーア戦争(今日の
イラク戦争に相当する帝国主義戦争)でケープ植民地を拡張していた頃で、
英国人の関心が南ア競馬にも向いていたのかも知れませぬ。
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/bore01.html

ところでもう一つ、チト奇妙な検索願いなんですが、
*Hardicanute の母 Harvest Time の産駒に、Drake's Drum あるいは Drakes Drum
という馬(1961生)がFT4で記載されているかどうか見て頂けませんか?
何故かと言いますと、親孝行な Paul McCartney が 1964年 父 Jim の誕生日に
そういう名前の競走馬をプレゼントし、それが1966年3月にアイントリーの
ヒルトン・ブレイト競馬場で優勝したという記述があるのですよ。http://beatles.at.infoseek.co.jp/chronology1966.html
ただインターネット検索では、生年などから、それらしき馬は Brisnet に
DRAKES DRUM (GB) 1961 by FIGHTING DON out of =HARVEST MAID (GB) 
と登録されているだけで、もしそれだとすると同様に母の生年推定から
*ハーディカヌートの兄弟かもしれないというわけで。
まぁ血統的にはどーでもいい問題なんですが、Live and Let Die のポールが
手綱を引いた馬となれば、ミーハー的関心が沸いてやまないわけでして (^_^;;
http://www.brisnet.com/cgi-bin/Pedigree/names.cgi 



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御自愛を 投稿者:ふてき  投稿日: 1月14日(水)18時08分31秒 

1906年以前の勝ち馬ですが、おまけ的?に数頭登録されてるのを見つけますた。
(施行年度は生年から類推)

1898 Verdant Green(1895) -- Pearl Diver -- Master Kildare -- Lord Ronald -- Stockwell
1899 Green Sea(1896) -- Pearl Diver
1900 Wild Plunger(1897) -- Pearl Diver
1901
1902 Peerless(f,1899) -- Pearl Diver
1903 Campfire(1900) -- Pearl Diver

Pearl Diver はスチュワーズカップ等を勝ち、ロイヤルハントカップで Gay Hermit の2着。
代表産駒の Campfire は南アダービー勝利後英国へ移籍、1906~07年シーズンには主要短距離競走を
勝ちまくり、最強スプリンターとしての名声を得た、と。
(以上「世界の競馬と生産」より抜粋)

#国別色分け血統表、ファミリーテーブル方式に従って弱冠修正いたしますた。

シュクラン ラクム(shukran la-kum. ) 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月13日(火)22時44分51秒 

アッ・サラーム アライクム. [ as-salaamualaykum. ] (あなた方の上に平安あれ)

Heritage だと 1885年からレースは始まっていて、今の競馬場に落ち着いたのが
1907年ということみたいですね。
取り急ぎ御礼まで。ちと風邪気味のところに何年ぶりかの冷蔵庫掃除で気分が
すぐれませぬ。



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人道支援 投稿者:ふてき  投稿日: 1月11日(日)10時24分9秒 

人民の期待に応える内容になっている否か(^_^;)

FT4でもSADerby は1920年分からの掲載になっておりまして。
不明3頭の中では唯一この牝馬が登場してます。(デルマにも登録アリ)
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=FILLETTE4&g=5&inbred=Standard&x2=n&pedloggedin=0
うち同様に遺産サイトも誤タイプが多いようなのでご注意をば。
ちなみに Devinco の母 Devona は同名違いじゃないかと。
これだと2頭の Itary Derby 馬と兄弟になっちゃいますんで。

あとの2頭は aro.co.za に登録があります。
一応デルマにも入力しときましたのでご確認ください。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=DIANA31&g=5&inbred=Standard&x2=n&pedloggedin=0
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=WATER%20BABY4&g=5&inbred=Standard&x2=n&pedloggedin=0

NZ Derby 馬の Uniform は南アでスタッド入りしたっぽいですか。。。
あとは Child Water が本邦輸入のアルビオンこと*Proud Albion の兄馬のようで。

>>Napajedla

Regulus は確かに消えちゃってますね。単なる「移動」であって欲しいのですが。
デルマの登録産駒は現地ヲタが思い入れ込めて全力投球したって感じっす。

追伸。新年版早速頂きますた。



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またまた厚かましく御願い 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月10日(土)20時30分24秒 

初期の南アフリカダービー馬父系が3頭ほど分かりませぬ。人道的支援をば
お願いつかまつります m(_ _)m

1907 Diana(f)  Uniform    ← ???
1908 Filette(f) St Fillian   ← ???
1909 Adair(f)  Broxton(1891) ← Ayrshire ← Hamton ← Lord Clifden
1910 Desert Queen(f) Greatrex(1900) ← Carbine   ← Musket
1911 Devinco   Dundonald(1898)   ← Carbine 
1912 Van Raalte St. Maurice(1898)  ← St.Simon
1913 Eiffel Tower Sir Daniel(1902) ← Winkfield ← Barcldine ← Solon
1914 Water Baby  Child Waters ← ??? 
1915 Blanche(f)  Simontault(1893)  ← St.Simon
1916 Matrimony   Sidus(1897)     ← St.Simon
1917 Noble Lady(f) Greatrex(1900)
1918 Contentment  Pietri(1908)  ← St.Frusquin ← St.Simon
1919 Grenade    Moscato(1906) ← Marco ← Barcldine

http://www.tbheritage.com/TurfHallmarks/SouthAfrica/SASADerby.html

それから、Regulus (c1992 by Lincoln) が Napajedla から消えてますね。
去年生まれの産駒も何頭か登録されてはいるんですが。。。
http://www.napajedlastud.cz/plemenici.html 



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世代ズレにて御免 投稿者:ふてき  投稿日: 1月 9日(金)22時23分42秒 

最初のやつはリアルタイムだったんですが。
調べてみるとあれは1979年ですから、ダービーがカツラノハイセイコで
菊花賞がハシハーミット、ハシクランツのワンツーだった年ぢゃあないですか。
どう頭を捻っても同じ年に経験したこととは思えないのですが。
競馬の方がとてつもなく遠い脳内メモリに逝っちゃってますですよ。。。
まぁそもそもこの年から5~6年は熱心に競馬ヲッチしてないんですけど。

>>国際競走

なんつっても国際競走の最大の問題は輸送費ですよね。
モンテビデオ、ブエノスアイレス間は例外としても。
自国の賞金支払いがままなってないペルーやブラジウから自腹切って遠征しようってのは
今後も辛いことこの上ないのではと思われ。
ブラジウ大賞の勝馬がチアゴあたりに一度遠征すれば獲得賞金がそっくり溶けちゃうわけで。
そういう意味では仰る通りマローニャスの地理的アドバンテージは大きいのでしょうね。

>>Gran Premio de los Tres Anos(3歳大賞)

スペイン人らしからぬ?身も蓋もないネーミングです(笑)
↓この馬あたりがダービーダブル達成してるってことなんでしょーね。
http://www.pedigreequery.com/index.php?search_bar=horse&query_type=horse&h=AKELARRE&g=5&cellpadding=0&small_font=1&l= 



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ほほう(クアトロバジーナ風) 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 9日(金)12時39分13秒 

Bat Ruizero は良い感じで古き南米血統が融合されていています。
一昔はこういう血統がアルゼンチンというイメージだったのですけどね。

今回の麻呂国際の成功は、ホセPラミレス大賞がカルロスP大賞とならぶ南米2大国際競走と
称されていた時代への回帰を思わせるものでしたね。
アルゼンチン勢がブラジル遠征に消極的になってしまった現在、
マローニャスは亜・伯の両方から有力馬を集めることをできる立地を
限りなく活かしていけそうです。
復活するラテンアメリカJC協会大賞を含めた3つの国際競走が
今後主体になっていくのかもしれませんね。
ただ、カルロス→ラミレスの日程が厳しいことは、今回のBat Ruizero勝利で
証明してしまいました。
かつてアルゼンチン勢がラミレスを席巻した時代はカルロスが11月開催だったので、
ラミレスまでは充分なローテーションが組めたのですが、
G1日程が過密になりカルロスが12月開催になってから初めてアルゼンチン勢が
本気でラミレスを狙いにいった今回がこの結果ですから・・・来年が注目です。

1951年以前のスペインダービーの名称は
Gran Premio de los Tres Anos(3歳大賞)
でした。



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首都競馬 投稿者:ふてき  投稿日: 1月 8日(木)16時35分15秒 

サルスエラが復活した暁に如何なレースタイトルで施行されるかに注目ってことですね。
種牡馬トップ20内で他の注目は Alexandrovich とかいうムトト産駒くらいっすか(笑)

Bat Ruizero は亜残留組では以前から最贔屓してる一頭なんすが、
ここ久々もあって低く見過ぎてしまった感じ。
しかしこの父 Bat Atico のファミリーは南米で大繁栄ですなぁ。
改めて活字で見ると壮観の態~(9-g)
意外に一父一子継承パターンで細長く続く父系になりえる鴨鴨。



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次はペルーG1 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 8日(木)13時36分35秒 

スペインダービー
1952-1983 Premio Villapadierna
1984-1985 Premio Campofrio - Derby Espanol
1986-?  Gran Premio Philips - Derby Espanol
?  -1996 Premio Villapadierna

結局、マーロニャス国際競馬は残り3つをアルゼンチン勢が持っていっちゃいました。
ラナシオンでも自慢混じりで報道してましたね。
でも11馬身さはつきすぎかな。
麻呂公式の写真はとてもGood。ちゃんと保存しておきましたよ。



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西班牙生産者侮り難し 投稿者:ふてき  投稿日: 1月 7日(水)18時39分21秒 

>>Y.Emilius

なるほどです。こりゃ混乱の火種もいいとこで。
牝系図で整理するとこんな感じになりますか。

Goosander(1805 Hambletonian) 2nd-Oaks/GB
|Shoveler(1816 Scud) Oaks/GB
| |Mercy(1822 Merlin)
| | |Mouche(1827 Emilius) 2nd-Oaks/GB
| | |Young Emilius(c 1828 Emilius)
| |Young Emilius(c 1833 Emilius)
|Sailor(c 1817 Scud) Derby/GB

当時一級のファミリーだったんでしょうね。
Mercy の牝系は現在も濠州あたりでG1馬を輩出してるようです。

>>Gran Premio Nacional

ご教示ありがとうございます。
文字通りの内国産馬選手権だったわけですね。

FT4(3)では1986~88でPremio Derby Espanol(Gr.1)ともなってまして、
これの勝ち馬がVillapadiernaと全く一緒なので恐らく1986年からスペインダービーと
言う表記がオフィシャルになったという事かもしれません。
1983年までがPremio Villapadierna(Gr.1)となっていて、一方で84~85に同距離同所で
Premio Campofrio(Gr.1)というのがありますので、これが空白を埋めてるのかもしれません。
もしそうであれば、

ビラパディエルナ大賞~カンポフリオ賞~デルビイエスパニョール賞

という競走名の変遷になるのではないかと。

ところで去年のスペイン首位種牡馬はなんと内国産馬で、かつ西2000ギニー馬で、おまけに
父が*レシテイションで。。。ということは。。。あわわ。。。ギャラントマンだよミゴリだよ!
http://www.intaberri.net/iturf/03spasem.htm 



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スペインネタ 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 7日(水)04時04分36秒 

Gran Premio Nacional は内国産限定ダービーです。
格はとても高く、かつてはGP.Villapadierna(ダービー)よりも倍近く賞金は高額でした。
マドリード閉鎖直前でも両競走は同じような賞金額であったと記憶してます。
スペインの3歳クラシックは、3冠プラスGP.Nacional の4冠路線と考えて問題なしです。

GP.Villapadierna(ダービー)の前身の競走は別にあります。
3歳馬賞とか言ったっけなぁ~。
ちょっと正式名を思い出せないのですが(後で調べておきます)、
もともとその競走がスペインダービーだったのですが、
GP.Villapadiernaが創設されると、ダービーが入れ替えられました。
一重賞に格下げされた3歳馬賞は、その後5年ぐらい続いたのち
廃止されたはずです(たぶん??)。
格下げ後の3歳馬賞を別競走と見なしGP.Villapadiernaの歴史に加えるか、
新旧ダービーを全くの別競走とみなすか、議論が分かれるところです。
いつかちゃんと調べようと思いながら、未だに手を付けていません(^。^)
編集済



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かなり古い話題ですが 投稿者:通りすがり  投稿日: 1月 7日(水)01時46分52秒 

GSBは Emilia の父を Y.Emilius (son of Shoveler) と書いてるんですが
それは同時期にもう1頭 Mr.Sowerby's Y.Emilius がいたからのようです。
この Y.Emilius は 1928年生まれの鹿毛で母 Mercy (Merlin - Shoveler) でした。

途中まではエチェベリと同じスペルっす 投稿者:ふてき  投稿日: 1月 6日(火)22時07分53秒 

>>統計関係

統計作業自体は開催規模の大小に関わらずに最重要事項と思われ、です。
アーニングインデックスやコンパラブルインデックスなんつー指数が
ある程度以上の量と形態がなければ意味なさない代物なんじゃないかぁ。。。
と、ただそれだけの戯言です(笑)

>>ペルーの競馬シーズン

恒例行事の「シーズンチェンジ」はこれからも十分ありそうですね。
このまま何事もないとはとても思えない(笑)
まぁその前に開催中断の心配をすべきかも知れんのですが。

>>Chiquetete

Congreve いや Copyright まで遡って再考してみます(父系表参照しつつ)に、
これって欧米以外で土着繁栄した父系統としてはオセアニアの Star Kingdom に並ぶ
最大級の大木だったのではなかろうか、と。
歴史(かれこれ80年以上)と国家単位における拡散を考えるとそれ以上の評価でも
いいんじゃないでしょうか。G1級競走勝ち馬はベネスエラを含めた主要競馬国全てで
輩出しております。
誇り高き老巨木の最期はいつの日になるか。。。

FT4に出てくる競走名でGran Premio Nacional(Spain)というのがあるんですが、
これってPremio Villapadierna(ダービー)の前身的存在という見立てで良いんでしょうか?
距離2400mで1920~63年まで掲載、Premio Villapadiernaが同距離で1964~77年まで掲載と
されているんで、まず間違いなかろうと踏んでいるのですが。。。
ご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願いいたします。

ラミレスですが、心情的に Pugliese、馬券的には Grand Vitesse ってところで。
http://www.tbheritage.com/TurfHallmarks/SpainVillapadiernaDerby.html 



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新年そうそうネタは満載 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 5日(月)17時38分43秒 

マローニャスの公式サイトは、充分合格点でしょう。
ウルグアイダーフラインと合わせれば、ウルグアイ競馬はサイトは充実しました。

モンテビデオ市大賞はポトリレヘンドが勝ちましたね。
エスティムーロとあわせて牝馬2大タイトル奪取。
ちなみにウルグアイの年度表彰は1月の国際競走の成績までが審査対象です。
これで最優秀古馬牝馬は確実でしょう。

統計についてですが、昨年度ウルグアイは430競走。
この競走数で種牡馬統計がどれほど意味があるかと言ってしまえばそれまでですが、
まぁ無いよりかはマシかと(^.^) 話のネタにはなります。
20世紀初頭のペルーでは、年間90競走たらずでも、一応は種牡馬統計があったり。。。
無いよりはマシです(^.^)

貴重なフラミニオの父系を存続させた Chiquetete の種牡馬成績は
一発屋で終わる可能性が高い・・・かな。

2004年度のペルー競馬ですが、開幕日が2003年12月31日でしたね。
やはり不思議な競馬国です、ペルーは。
週単位で日程を割り振りしている結果、そのような開幕日になったのでしょうけど、
普通なら、1月1日で区切ってほしいものです。
ペルーの競馬シーズンはいい加減さは歴史が物語っています。
ペルーの競馬シーズンが1月~12月になったのは1953年からで
1952年以前は原則的に2月~翌1月でした。
しかし年によって流動的で、閉幕が2月だったり3月だったり。
極めつけは、1930年シーズンです。
開幕が4月6日で閉幕が翌年5月24日でした。シーズンが1年2ヶ月だったのです。
まぁ、南米競馬もここまでどっぷり浸かってしまえば、もう驚きませんけど(^。^)
この辺の情報も表に整理中です。まとまりましたら送りますよ。

> あっあと Done Deal って移籍してたんですね・・・・

これからもエチェチョウリイ師一族つながりで、
良質馬が亜から宇へ流れてくる可能性は大。
それよりも「エチェチョウリイ師」の正確な発音の仕方っていまだ疑問。。。(^.^)
編集済



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公式サイト 投稿者:ふてき  投稿日: 1月 5日(月)09時50分56秒 

ご教示どもです。早速リンクを差し替えときました。
動画はさすがに無いようですが、それ以外のコンテンツは
上質な部類じゃないでしょうか。ラティノサイトの中では。

Ritz は分母の大きさで寄り切っちゃってる印象もありますが(^_^;)
アーニングなんてどうなんだろうか。。。
そもそもこの位の規模でその類の指数を適用するのは難しい部分もあったりして。

Chiquetete の牝系をFT4に従って変更いたしました。
他にも相当やらかしてますね、これは(笑)

あっあと Done Deal って移籍してたんですね。
今回はウルグアイ調教馬としての出走のよう。
厩舎はエチェチョウリイ師の息子のとこで。



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麻呂の統計 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 4日(日)21時10分50秒 

ウルグアイの2003年度の統計が発表されましたね。

Jockey :
Richard Eramia  46
Fernando Olivera 40
Heber Eugui   27
エラミアが1997年についで2度目のリーディング獲得。
ラスピエドラスでもリーディングを獲得し、
1997年・2003年と連続で2競馬場での首位。
ちなみに両競馬場で首位を獲得したのはエラミアだけ。


Cuidador :
Hayne Gonzalez  23 
Walter Baez   19 
Luis A. Belela  17 
バエスまたもリーディングを逃す。
3度目の2位。

Caballerizas
(Ganadas) Gavroche   22
(Sumas)  Los Pirineos $1.814.030

Criadores
Haras Gavroche   $6.899.735
Haras Don Alfredo  $6.370.197
Haras Los Apamates $3.123.405
最後の逆転されドンアルフレド首位陥落。
1994年~1997年と4期続いたドンアルフレドの首位もストップ。

Padrillos :
Ritz     $3.834.309
Gulpha Gorge $3.227.012
Potridoon   $3.211.367
リッツ、通算3度目の首位を獲得(1992,1997,2003)

マローニャスもオフィシャルサイトを開設しましたが、
統計はまだ更新されていなかったので、別の所から情報をいただいてきました。
編集済
http://www.maronas.com.uy/home/index.php 



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今年もまた 投稿者:ふてき  投稿日: 1月 3日(土)18時32分50秒 

お世話になります。
なんか昔のチリってマルチプル大レースウイナーが多い印象で
この種の調べモノに関しては他国より多少は楽なんじゃないかと。

今年はいよいよ頂き物パソコンが逝くであろう手応えがあります。
今んとこ対策を用意しておりませぬが(笑)



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某所よりダイヤルアップで 投稿者:グル・アガ  投稿日: 1月 3日(土)08時16分40秒 

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
ポーラデポトリージョス勝馬父系表作成、大変ご苦労様でした m(__)m
こちらの更新は昨年よりも亀の歩みになりそうなヨカーン。

メール届いたでしょうか?>魔春様



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旧年中はお世話になりました 投稿者:ふてき  投稿日: 1月 2日(金)16時15分4秒 

本年も引き続きよろしく願いまするm(_ _)m

>>リオダービーを“ブラジルダービー”と主張するカリオカは
>>至るところで見かけますね。

北海優駿こそ日本ダービーと主張していた人間がここにも一人(笑)
それはそれとして、サンパウロとリオの3歳クラシックの評価ってのは
施行時期・順序が今の体制に定まった時点で「勝負あり」ですよね。
ただ近年のように海外からの青田買いが加速することにより、全く違う視点からの
リオクラシックの愉しみ方ってのは生じてきてるのかもしれません(笑)



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新年のあいさつ 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 1日(木)10時13分45秒 

あけましておめでとうございます。
今年もなにとぞご贔屓にお願いします。

リオダービーを“ブラジルダービー”と主張するカリオカは
至るところで見かけますね。
エルエンサーヨを“チリダービー”と主張するサンチアゴっ子と同じかと思われ(-.-)
今年は1931年以前のリオダービー勝ち馬を調べきりたいところです。