2004年7月8月



審判買収 投稿者:ふてき  投稿日: 8月 9日(月)19時03分24秒 

といえば、ふた昔前のW杯南米予選では恒例行事というか、そこまで明け透けにやれっか!
ってな状況だったと聞いたことがあります。。。嘘か真か。
近年は地球が小さくなったせいか、そう派手な話も聞かないですね。
まぁFIFA前会長が全ての元凶だった為かもしれませんが。

#いずれ国際審判員の基準として、一定以上の資産保有ってのが加えられるかも。



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ゴウ・コム・ア・マゥン 投稿者:魔春  投稿日: 8月 8日(日)23時45分19秒 

主審が中国寄りになるとある種パラノイア的に言われるなかで、主審の
意図ではなく技量の拙さで日本に有利になってしまったのは皮肉。
ていうか、審判買収とか結構安易に言われるけど、巧くないとバイアス
をちゃんとかけて裁くのも難しいよな、と思われ。



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コンキスタ! 投稿者:ふてき  投稿日: 8月 8日(日)11時31分38秒 

コパダアジア制覇おめでとー!

Koji Nakata empurrou para o fundo das redes - com a mao. 
(葡→英機械翻訳)
Koji Nakata pushed for the deep one of the nets - with the hand.

苦笑。
http://esporte.uol.com.br/futebol/ultimas/2004/08/07/ult59u86511.jhtm 


インデペンデンシア賞日程 投稿者:ふてき  投稿日: 8月 1日(日)21時31分23秒 

ここまでパーフェクトに素のスルーが決まっては笑って誤魔化す以外に対処不能(^_^;)
JCPサイトが年間日程と言わずとも月間日程位アップしてくれれば助かるんですが。。。

自分は20数年前のPK失敗が未だにトラウマになってるチキンハートなんす。
普通の校内サッカーですが(笑)

個人的には究極のPK伝説といえば大谷対宇学がまず思い起こされます。
中継が尻切れになった憤りも記憶にありますし(^_^;)

ttp://www.earthcape.ne.jp/users/rero/pk.html



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昨日は神を見た 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 8月 1日(日)17時58分13秒 

昨日は年甲斐も無く叫んでしまった。
まさしくあの時、川口は神になりました(^。^)

>管理人さま

例の作業ですが、まぁ暢気にきましょう。
こちらのほうである程度まとめたので、ぼちぼちと報告します。

29日に開催したインデペンデンシア賞ですが、
以前は開催を29日で固定していたのですが、
近年は29日に最も近い日曜日に開催されていましたね。
さらに古い時代には29日は祭日で競馬が無かったので、
30日に開催日を固定していた時期もあるのですよ。
こちらも、ぼちぼち勝ち馬一覧を報告します。



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難しい問題です 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 8月 1日(日)17時52分46秒 

>>通りすがりさん

ご返答ありがとうございます。
これは、当時の資料を確認していかないと難しいそうですね。
今のところ確実に確認できるカナダでのロイヤルプレートは
3つと言うそうです。



どうなんですかねえ 投稿者:通りすがり  投稿日: 7月31日(土)23時01分1秒 

プリンスオブウェールズを称したレースの正体は。わかりません。
香港のクイーンエリザベスⅡカップは女王から賜ったカップですけど、
エリザベス女王杯は女王の来日を記念してJRAが作った杯ですし。



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またまた 投稿者:ふてき  投稿日: 7月31日(土)17時45分15秒 

ありがたく頂戴いたしますm(_ _)m
DBがアレな状態で突っ込みの方もままならず。。。

それと現在エクセル&ワード不備な状況に陥っておりまして、
例の作業が全面ストップしております。何卒ご了承くだされm(_ _)m



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ついでに 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月31日(土)14時19分22秒 

以前に作成した、亜の GP. Ciudad de Buenos Aires(Int.) のデータですが、
1993年の勝ち時計が間違っていましたので、訂正版を挙げておきます。
これは手持ちの資料が間違っていたので、ご勘弁を!です。
なんとなく引っかかっていたので、別資料で確認したら案の定でした。。。
編集済
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/argentina11.pdf 



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まいった、謎だらけ 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月31日(土)00時18分25秒 

自分で蒔いた種で、ドドドとアリ地獄状態。
謎が謎を呼んでいます~~~。

>>もしそうなら、どこかに小さく過去の勝ち馬名を描いてたりはしないものでしょうか(^_^;)

キン肉マンの超人オリンピックの優勝ベルトには、
歴代チャンピオン名が刻まれていますが(^。^)
競馬ではそう言う話はあるのかな。。。

>通りすがりさん

前にプリンスオブウェールズプレートは「カナダ第三のロイヤルプレート」と書いたのですが、
プリンスオブウェールズHやプリンスオブウェールズスティープルチェースは
王室から盾or杯は賜っているのでしょうか?
もしそうならば「カナダ第三のロイヤルプレート」という言い方は
訂正が必要ですかね?
「プレート」という名称では「カナダ第三」というのは間違っていないと思うのですが・・・。



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競馬史は奥が深いです 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月31日(土)00時05分53秒 

3・4日ばかり家を空けていまして、遅くなりました。

通りすがりさん。毎度、ご教授ありがとうございます。
勉強になります。

>ケベックダービー
納得です。回次については。施行団体は違うけど競馬場&歴史は受け継いだという
感覚なのかな。
競走の回次についての数え方については、各国でも諸々と混乱ありですね。
諸外国では、日本のように公式タイトルとして「第~回」と
冠しているケースが少ないので、第3者が数えた場合に違いが
生じてくるのかもしれません。
アメリカン・レーシング・マニュアルのチャート(成績)を見ても、
年度によって重賞の回次にずれがあるようです。
南米重賞なんぞは、正確な回次を記すことが無謀が行為ですし(笑)


>ケベックのクイーンズプレート
古いアメリカン・レーシング・マニュアルを確認してみたところ、
1850年代が丸々抜けていました。注などから推測して
もしかしたら、1850年代もケベック・クイーンズプレートは
開催されていた可能性はあるかもしれませんね。
1870年代のアメリカン・ターフ・レジスターに
オンタリオのクインズプレートの記録は載っていましたが、
ケベックは記載されいるのかな・・・記憶が曖昧です。

オンタリオのクインズプレートも、
古いアメリカン・レーシング・マニュアには1879年以前の記録は
詳細は無く勝ち馬だけでしたが、1971年の雑誌『カナディアン・サラブレッド』
に掲載されていた勝ち馬一覧には、馬主や一部の騎手や勝ち時計が記載され、
2年前にウッドバインの公式サイトでダウンロードできた勝ち馬一覧では、
さらに詳細な情報が追加されています。
ケベック・クイーンズプレートの場合も、本気なって調べる人がいれば、
どうにかなるのでしょうが、現在、平地も行われていない競馬場の
過去の重賞を調べる物好きはいないのでしょう。
興味があるのは、ここに顔を出す皆さんぐらいではないかと(^。^)


Gペガサスさんのご指摘ですが、
結論から言いますと、申し訳ありません!私の間違いです。
ガセネタを流してしまいました。
1939年は間違えて1932年の血統を記入してしまいました。
Worthmore--Archipelago が正しいです。
1940年のほうは、なぜかQueen's Plateのデータが混入。
勝ち馬はHoodが正しいです。Willie the Kid は2着ですね。
これらのミスは色々と理由があるのですが・・・言い訳は止めておきます(笑)。
タイム、重量、騎手、調教師名については間違なしです。
そのままご利用ください。

Lion Hearted については英国産馬で確認済みなのですが、
まさか大英帝国産限定戦だったとは知りませんでした。
第3回からカナダ産限定ということなので、第1回と第2回が大英帝国産限定戦と
理解してよいでしょうか?

一応、訂正版です。ついでに少しばかり開催日を追加しました。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/canada02.pdf 


またこんなのも作りました。
アルゼンチンはG1が多くて大変なので、とりあえず1979年以降の情報から
整理しているところです。1978年以前はぼちぼちと埋めていきます。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/argentina01.pdf 
編集済



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ライオンハーテッド 投稿者:ふてき  投稿日: 7月30日(金)22時43分7秒 

英国産了解です。
ご確認頂きありがとうございました。

なんとなく「プレート」って大皿みたいなものかと思ってたのですが、
もしそうなら、どこかに小さく過去の勝ち馬名を描いてたりはしないものでしょうか(^_^;)
まぁ描いてあったとしても簡単に我々が手にとって確認できるわけではないですが。

#勿論、天皇盾にだってそんなこと書いてないでしょうけど。。。

それにしても2つのクイーンズ(キングス)プレートは実に対照的な歩みを見せた
ことになりますね。廃れてしまった方がケベック州民の施行管理下にあったことが
後世になって情報混乱を招く一因となったのかも(^_^;)



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ケベックのキングズプレートも 投稿者:通りすがり  投稿日: 7月30日(金)19時16分52秒 

1906年以前の勝ち馬が54頭判っていると書いたのは57頭の間違いでした。
それから計算すると1953年は101回目になるはずです。
1934年は第83回で、ちゃんと計算は合っています。
2回分ずれてしまったのは何故かと考えますと、戦争のためでしょうが、
このレースは1945年にはヴァレーフィールドで行われているのです。
1944年はステークス一覧のコピーがどこに消えたかわからなくて
確認できないのですが、この年も別の競馬場で行われたとすれば、
他場での実施分を抜いたと考えることもできます。
まあしかし断定はできません。おそらく単なる錯誤でしょう。

ヴァレーフィールドなんて競馬場は聞いたこともありませんが、
Valleyfield Exhibition Co. という団体があったようなので、
おそらく共進会の余興に速歩をやってたような小競馬場かと。


適当に書き込む癖が直ってない 投稿者:通りすがり  投稿日: 7月30日(金)19時05分57秒 

みたいで、申し訳ないのですが、ちょっと訂正。
最初ののケベックダービーはドーヴァルパークで1925~33年に行われ、
1934年と35年はブルーボンネッツで代行されました。

初期のプリンスオブウェールズプレートはブリティッシュエンパイア産馬限定でした。
ライオンハーテッドがアルゼンチン産馬だった可能性はありません。

このレースとは別に、旧ウッドバインでプリンスオブウェールズHというレースが
1926、27、29、31、32年に行われています。
ブルーボンネッツでも1908~17、20~24年に
プリンスオブウェールズスティープルチェースを実施していました。



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どうも 投稿者:ふてき  投稿日: 7月29日(木)22時18分35秒 

はじめまして。
書き込みありがとうございます。
チェックは本当に助かりますm(_ _)m

作成者のLBさんの御降臨を待たねば滅多な事は言えないのですが、
とりあえず自分なりに調べてみました。
(と言ってもほぼファミリーテーブルの守備外なので、デルマ他のネット頼みですが)

・Lion Hearted
デルマで父の Bucks Hussar(GB) の産駒一覧をみると、英産と亜産共に登録されてるようです。
年代順にソートしても、この種馬がアルゼンチンへ輸出されたという痕跡は感じられないです。
亜産の全て(二頭ですが)が持ち込みなのか、それとも同名異馬の Bucks Hussar というのが
他に居たのか、そのあたり情報不足につき判断いたしかねます。申し訳ありません。

・Hood
デルマもご指摘の通りの登録状況ですね。
LBさんのご判断を待ちましょう。

・Archworth
どうやら Worthmore--Archipelago(1927), by *Archaic で間違いなさそうです。
ところでこの馬、今で言うところの加三冠相当ですね。
と、以上です。

今後ともご指導いただければ幸いです。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=progeny&search_bar=progeny&h=BUCKS+HUSSAR&sort=Year&done=y&filter=All%20Horses&cf= 



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Prince of Wales Stakes 投稿者:Gペガサス  投稿日: 7月29日(木)18時56分1秒 

通りすがりましたGペガサスと申します。
PDF版の上記Stakes Historyですが、当方の資料と違っている点があります。
お調べいただければと思い、お知らせいたします。
第1回の勝馬Lion Heartedが一部の資料によりますとArgentine Bredとなっていますが
British Bredとの表記もあり、判別できません。
あと、40年の勝馬はHood(1937 by Marine--*The Wishing Well(1923), by Viceroy )
ではないでしょうか? Willie the Kid(King's Plate勝馬)は2着だと思います。
39年の勝馬Archworthの血統はWorthmore--Archipelago(1927), by *Archaicでは? 



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とりあえず 投稿者:ふてき  投稿日: 7月29日(木)08時22分2秒 

ケベックダービーを大雑把に纏めると

第1回~10回(1925-34)Dorval Park
第11回(1935)    Blue Bonnets
第12~24回[第1回~13回](1961-73)Blue Bonnets(別団体)
第25回~26回[第14回~15回](1975-76)Woodbine

となりますか。
クイーンズプレートの方はネットでどうこうなる次元じゃなさそですかね。
カナダの古新聞閲覧なんかが可能であれば、また違うんでしょうが。。。



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ケベックダービーの妖しい回次は 投稿者:通りすがり  投稿日: 7月27日(火)19時04分36秒 

まあそれなりの根拠はあるみたいです。
Dorval Park という競馬場で1925~34年にケベックダービー
をやっていて、1935年にはブルーボンネッツで代行しました。
だから1961年を「再開」と考えれば理屈は通ってます。
ブルーボンネッツは1953年限りで平地が廃絶して
別団体の手で1961年に再開されてますんで、「続いてない」と思うんですが。



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詳しくは調べてませんけど 投稿者:通りすがり  投稿日: 7月27日(火)18時56分0秒 

ケベックのクイーンズプレートは1850年代はまるまるやってませんし、
19世紀にはかなり抜けがあるんですよ。
それが本当にやってないのか記録が落ちてるのかは別にして。
1906年までは詳細不明で54頭の勝ち馬だけが判明という状況ですね。
キーンランド図書館に1903年以降の北米の成績が揃っていますが
1906年まではケベックの成績は入ってないんじゃないかと。
19世紀を調べるにはスピリット・オブ・ザ・タイムズという週刊競馬新聞と
ターフ・フィールド&ファームという隔週刊競馬新聞がありますが
カナダの成績までは網羅してなかったような気がします。



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どうなんでしょう 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月27日(火)11時14分1秒 

>通りすがりさん

僕の手元の資料によれば、ケベッククインズプレートの創設は1836年。
1917・1933年は開催されず。最後の開催は1953年で勝ち馬がChain Reaction と
なっています。数えてきますと、1953年の開催が第116回となり、
通りすがりさんのお持ちの情報とずれがあるようです。
う~ん、難しいところです。

>ケベックダービーは1961年の創設でここでは1973年まで続き
>(なぜか1968~73年は第19~24回を名乗ります)、
>1974年と75年はウッドバインで第14~15回を実施しました。

1968~1973年の回次のずれですが、
ケベッククインズプレートが3歳戦になるのが1950年なので、
1950年とケベックでの第1回のダービーと数えた・・・と推測できないでしょうか?
もしかしたら、クインズプレート廃止からケベックダービーの創設までの空白を
埋めるような、ダービー相当に3歳戦が存在したのかも?



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ありがとうございます 投稿者:ふてき  投稿日: 7月26日(月)22時11分31秒 

>>ヂプロマット

なるほど。最終的に東大へ流転してた、と言う話でしたが、
そういった経緯があったわけですね。
しかし、この類の問題は今も昔も変わらずに、ですかな。

果たして老ヂプロマット自身にとっての真の幸福とは、如何ようにして
処されることだったのか。。。

>>モントリオール競馬場

http://www.hdem.com/historique/image2f.html

これ見ると、大昔は両用トラックだった感じっすね。
現在は他所へ移転したか、平地競馬用トラックを潰して建物でも建てたか、
そんなとこでしょうか。

ケベックダービーはそんな前に廃止されてましたか。
海外競馬齧り立ての頃、「優駿」かなんかでレース名を見たような気がしてたんですが、
恐らく何か他のダービーと取り違えてたんでしょう。さすがにその時代の「優駿」は
読んだことないですから。それにカナダも××ダービーが多いですし(^_^;)

競走名に回次を振ってくれる主催者は実にありがたい存在なのですが、
途中で何やら怪しい混乱を起こしているのが、いかにも仏系住民の為せる業
と言ったらお叱りを受けるでしょうか(^_^;)



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モントリオール競馬場は 投稿者:通りすがり  投稿日: 7月25日(日)23時26分29秒 

数年前1周を5fから7fに伸ばして平地競馬再開の噂があったんですが
その後はさっぱり聞こえてきませんね。
ここでやってるトロット・モンディアルは世界のトロット競走の十指に入る
大レースです。もっとも北米ではペースが主流でトロットは傍流ですが。

ここのキングズプレートは1950年に第97回をやって、
翌年ケベックキングズプレートの名で第98回、
1952年に第99回ケベッククイーンズプレートをやって以後廃絶しました。
ケベックダービーは1961年の創設でここでは1973年まで続き
(なぜか1968~73年は第19~24回を名乗ります)、
1974年と75年はウッドバインで第14~15回を実施しました。



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一万五千円の名馬ヂプロマット号の隠退 投稿者:通りすがり  投稿日: 7月25日(日)23時14分24秒 

『馬の友』という古い雑誌に事情が載ってました。

・・如何せん当年取って二十歳の老境に入り、然かも今日は多数の
良サラブレットが輸入されあるを以て流石の名馬も往にし昔の祇王
祇女を牡馬にしてそぞろに秋の哀れをかこつ身となり、加之病を得
て遂に無残や同局淘汰馬の数に入り、此儘にして置かば由なき人の
手に移り一層の悲しき運命にも遭はんも知れざるを、現所長の山田
仁市氏や前所長の山下甫氏など気の毒がりて極力尽力の結果、今は
駒場の農科大学獣医学科の厩舎に繋がるることとなれるが、彼も日
本の馬匹改良の為に斯く許り貢献せし昔の夢を繰返して御規則とあ
れば用なき後の身は棄てらるる恨めしの世を、彼は此頃の夜寒む朝
寒むに何と観じて居るであらう。実に同情に堪へぬ次第である。

なるほどです 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月25日(日)22時30分46秒 

補足サンクスです。
やはりというか、フランス語ですね。
ケベックダービーも今は無い可能性が高いのかな。
もしかしたらトロット競走の重賞になっていたりして。。。



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軽く検索した 投稿者:ふてき  投稿日: 7月24日(土)19時15分26秒 

限りですがモントリオール競馬場というのが元々ブルーボンネッツ競馬場だった、感じすか。
http://travel.yahoo.com/p-travelguide-2803783-montreal_hippodrome_montreal-i

プログラムを見ると今やってるのはトロット、ペース、アンブルだけですかね。
http://www.hdem.com/index.htm

ここの歴史コーナーにも「クイーンズプレート」に関して何やら書かれてるようです。
http://www.sonacc.com/quebec/quebec.htm
内容把握は自分にはちょっと無理ぽですけど。

ということでケベックダービーは結構前に消えていた可能性があろうかと。



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もしかしたら 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月24日(土)17時48分15秒 

ケベックのクインズプレートとケベックダービーは同じかもしれません。
クインズプレートは1950年ごろに内国産3歳戦になるのですが、
どうやらクインズプレートの廃止とケベックダービーの創設が繋がるみたいなのですよ。
以前、疑問に思ったまま調べていないのであくまでも推測ですけど。。。
それにしても、ケベックダービー&ブルーボンネッツ競馬場って、まだ存在するのかな?



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いつもながら 投稿者:ふてき  投稿日: 7月23日(金)22時57分46秒 

頗る有益な情報、ありがとうございまする。
知ってるようで知らない加競馬史。
下り坂の古メモリに無理くりでも刻み込みたいとこです(^_^;)

>>威爾斯王子賞牌

貴重なPDFファイル、またまたサンクスです。
ここで起きてる情報混乱ってのは「権威あるメジャーな二次情報」に対し
「元祖・公式でありながら影響力脆弱化」というパワーバランスの問題もありますかね。
まさに悲哀です。

>>女王賞牌

読み返したんですが、ブルーソンのネタ本でも軽く(ホントに少しですが)触れられてました。
しかし見捨てられた片一方も70年頃までは地味に施行されていたんすね。
仏系住民の反対運動にもめげず(大嘘)
ブルーボンネッツ競馬場というと。。。ケベックダービーですか。

ウッドバインクイーンズプレートの初期がヒート制というのも初耳でした。
トリビアネタとして絶好!



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余談 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月23日(金)14時37分42秒 

ついでにカナダ競馬の余談。

カナダのクインズプレートは2つ存在したことをご存知でしょうか。
最初のクインブプレートは1830年にケベック州モントリオールに
女王杯が贈られたことに由来します。
しかし競馬の中心がトロントに移っていき、1960年にオンタリオ州にもクインブプレートが
贈られることになたのです。オンタリオのクインズプレートは1882年以降はウッドバインの
番組に組み込まれ、一方ケベックのクインズプレートはブルーボンネッツ競馬場で
開催されていきました。たしかケベックのクインズプレートですが、
勝ち馬一覧によれば確か1970年代初頭に廃止になったはずです(資料が埋もれており、
すぐには確認不可)。

現在ウッドバインで開催されているクインズプレートですが、
1860年から1868年までは1マイルのヒート競走でした(もちろん3歳戦ではない)。
1860年から1865年までは3ヒート決着、1866年と1867年は2ヒート決着です。
現ダービーのルーツがヒート競走であるのかカナダぐらいではないでしょうか。



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南米ネタではないですが 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月23日(金)14時17分17秒 

心中察していただき感謝です。
そのうちチャットでも。
ウイルスメールは困ったもんですよね。夏になって多くなったというか。
夏休みになって暇になったサイバーオタクがせっせとウイルス散布に励んでいるのかな。

エンリケ・ビバの動向ですが、渡米したというのも伝聞記事なので
どこまで信用におけるか疑問。もうちょい事実確認が必要なようです。

18日カナダの第2冠プリンスオブウェールズSが開催されましたが、
フォートエリーの公式サイトで創設1929年と書いてあるのに、
未だに古いアメリカンレーシングマニュアルの勝ち馬一覧に引きずられて
創設を1953年としている一般の競馬サイトが多いように思われます。
一応、1929年からの勝ち馬一覧を作成しました。
細かな日付や、騎手・調教師のフルネームはまだ未調査なので、
公開するのは恥ずかしいのですが、1952年以前の情報はそう出回っていないようなので、
少しは利用価値があるかと思います。

因みにプリンスオブウェールズ略史は以下のような感じです。

カナダ3歳3冠クラシックの第2戦。創設は1929年で、第1回の競走は“プリンスオブ
ウェールズ・プレート(Prince of Wales Plate)”の名でトロントのソーンクリフィパーク(Thorncliffe Park)で開催された。
19世紀末から20世紀初等にかけて、ソーンクリフィパークは有力な
生産者ロバート・デービス(Robert Davies)の生産牧場であった。
デービスは1871年のクインズプレートで所有馬フロス(Floss)に自ら騎乗して
制するなどの経歴を持つ馬主であったが、1888年にソーンクリフィパークに
生産牧場を開設し、カナダを代表する生産者となった。1916年にデービスが死去すると
彼の息子は牧場を売却。この地を購入したメリーランド州ボルチモアの投資グループは、
ソーンクリフィパーク競馬生産協会(Thorncliffe Park Racing & Breeeding 
Association Ltd.)を組織し、1917年に競馬場を開設した。
新興の競馬場ソーンクリフィパークは、英国王室からプリンスオブウェールズの
プレートを賜わることに成功し、オンタリオJCとケベックのクインズプレートに次ぐ
カナダ第三のロイヤルプレート競走を開催し権威を高めていた。
競馬場は1944年にオンタリオJCの所有となり、さらに1947年に始まった
オンタリオ州競馬の再編の流れを受け1952年に閉場。
“プリンスオブウェールズプレート”は1953年から舞台をウッドバインに移し、
翌1954年に現在と同じ“プリンスオブウェールズステークス(Prince of 
Wales Stakes)”に名称変更、1959年にはフォートエリーに場所を移して
同年に創設された3冠クラシックの第2戦として位置付けられ現在に至る。
編集済
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/canada02.pdf 



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聴牌 投稿者:ふてき  投稿日: 7月22日(木)08時41分42秒 

お気持ち、お察しいたします。
ストレス発散の放出口をお探しでしたら、お気軽にお声かけください。
チャットでもいたしませう。

Biba 騎手の人物史ってのも随分と波乱万丈っすね。
時代的に当時の大統領となるとウイルソン、ハーディング、クーリッジあたりですかね。
(参考-歴代大統領一覧サイト)
まさかフランクリン・ルーズベルトってことはないでしょうけど。。。。
どなたかノンフィクションで彼の伝記を纏めてくれませんかね(無理難題)

実はウイルスメールの差出人がレビスタパレルモの名義になっていたんですよね。一応。
こちらから向こうにメール送ったことなどなかったのですが、
あちらのアドレス帳かなんかにうちが登録されていたんでしょうか。
驚きました。



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精神崩壊 投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月21日(水)22時44分1秒 

“ウイルス攻撃再び”は大変でしたね。
でも無事に復旧してなによりです。

今月はいろいろ手を付けすぎたことにより精神崩壊をきたしています。
あれもこれもと調査・整理しているうちに、
わけがわからなくなり、反動で無気力状態。
なんも手を付ける気力がなくなっています。
個人での力に限界を感じる今日このごろです。

中神騎手は帰国しているようですね。
某記事を読んでいないのですが、詳しい情報を知りたいものです。
一方、ペルーに渡った美馬孝之について。
日本に帰国後の彼の動向を掴めずに困っていたのですが、
どうやら渡米して、アメリカ大統領の馬の世話などをし、
最後はカルフォルニアで客死したらしいです。
波乱万丈な人生だったと言えるのかな。
編集済



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無意識の自傷行為か 投稿者:ふてき  投稿日: 7月17日(土)16時41分39秒 

アルゼンチン発のウイルスが重傷のパソコンを直撃してしまいました。

うちからも皆様の元へ不審なメールが届くかもしれません。
お手数おかけしますが、ご対処下さりますようお願いいたしますm(_ _)m
http://www.symantec.com/region/jp/avcenter/venc/data/w32.beagle.ab@mm.html 



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残酷な現実の笑い方 投稿者:ふてき  投稿日: 7月12日(月)08時33分27秒 

のちほど上書き装着し、ジックリ愉しませて頂きまする。

指輪物語は原作読まずにビデオを見てしまうという掟破りをしますた(^_^;)
#エルロンドは亜名馬エンブルーホ4×4を持つアメリカ産馬?!

選挙で投票を行なわない者に政治を批評する資格なし。
レースに勝馬投票しない者に競馬を批評する資格なし。

ということで(^_^;)
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=elrond&g=5&inbred=Standard&x2=n 


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改良版 投稿者:グル・アガ  投稿日: 7月11日(日)21時58分52秒 

いつものパスワードで複合する monkey.lzh.enc で置いときます。
オリジナル2作目は三流ゲテモノSFと割り切れば、核兵器を崇拝する
新人類とか出てきて、それなりに楽しめたのですが (^_^;;

表面に傷有り格安無保証の中古DVD Lord of the Rings を購入。
幸い中身に影響はなかったようで、突っ込みどころを探して楽しんで
おりまする。



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続編 投稿者:ふてき  投稿日: 7月 9日(金)16時04分0秒 

ジーラ&コーネリアスの配役がキーになりそうですね。
そのへん色々と妄想可能でしょうけれど、そもそもオリジナルの二作目以降が
「続編に良作なし」の代名詞のように貶されちゃいましたので(^_^;)

関係ないですが、チャールトン・ヘストンがブッシュジュニアの強力な支持団体の
ライフル協会会長である。。。ってのは些か出来すぎのオチですよね。



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パロディSF第二弾 投稿者:グル・アガ  投稿日: 7月 9日(金)01時02分57秒 

monkey.lzh なるファイルを普通に解凍するだけでOKっす。
古いバージョンに上書きコピーも可。