2004年11月



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尾形藤吉師の自伝を読んでたら 投稿者:通りすがり  投稿日:11月30日(火)19時47分36秒 

ホーエイの馬主はヤクザで騎手に圧力をかけて八百長を仕組む。
尾形騎手もホーエイに徹底的に邪魔されてホーエイの騎手を殴ったと。
温厚で人の悪口を言わない尾形師が自伝で唯一罵った相手が・・・

ホーエイはまだ確定じゃありませんがおそらく30戦12・8・4・6。
リナは東京でも走ってました。19戦13・2・2・2。
リナの一人娘のチーコは1万円という記事が昭和初期の雑誌にありました。
ダービーの1着本賞金と同額で売れたんですから期待されてたんでしょう。



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御自愛くだされ 投稿者:ふてき  投稿日:11月29日(月)23時13分28秒 

マロ'05、大きな変化なしですか。
暮れのOSAF会議前に番組を先行リリースできるってのが、しがらみのない
パート2国の特権とも言えましょうか(笑)

一応ペリェグリニ大賞は亜、伯の3歳勢が有力とみとりますが。
今年も古馬の代表格として Grand Vitesse が登場しますんで
世代間力量差を計るに打って付けのモノサシになってくれるのでは、と。



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ぼちぼち 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月29日(月)22時29分56秒 

週末は風邪でダウンしてました。
急に寒くなってきた感じです。管理人さまの地元はもう雪も降っているようですね。

ホーエイは大正2年輸入ですか。
ホーエイ自身の生年の誤りの可能性も捨てきれない気がしてきました。

ジャパンカップも終わり、日本の海外競馬ファンは香港へ目がいくことでしょうが、
こちらはぼちぼちサンイシドロ国際の展望を考える時期ですね。
麻呂国際もぼちぼちと出走希望のニュースが聞こえてきているようですし。
で、麻呂の来年の重賞番組が発表されましたが、
今年と変わりはないですね。
マローニャス大賞のG1格上げはあるかなとも思ったのですけど。
編集済



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依存症患者の末期 投稿者:ふてき  投稿日:11月28日(日)21時55分0秒 

個人的には道端の雑草の肥料にすらなれない現代日本の埋葬システムに忸怩たる思いが。

ついでですが、父系表の Duke of Marmalade の解説部分が何か別な馬のものと
入れ違ってる気がするのですが如何でしょうか。躁転した際にでもご確認頂ければ。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=duke+of+marmalade&g=5&inbred=Standard&x2=n 



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ややや 投稿者:グル・アガ  投稿日:11月28日(日)12時45分10秒 

フォローアップ有難う御座います>LB師
目下のところ気力が湧かず、頂いた資料も棚晒しで寝ております(^^;
ネット依存症10年間の終末ステージかも。。。




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ありがとうございますっ! 投稿者:ふてき  投稿日:11月27日(土)20時20分20秒 

無理強いしていまい誠に申し訳なく存じておりまするm(_ _)m
御蔭様で個人的には非常にスッキリといたしました。
勢いでデルマにも登録しときましたです。

もしネット依存症に陥った際は当方を恨んで下さっても構いませんので(^_^;)
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=ROUVRAY&g=5&p=0&f=1&l= 



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墓参りから帰って来てすぐ 投稿者:通りすがり  投稿日:11月27日(土)19時35分30秒 

ネットに接続。なんだかネット中毒になりそうですが・・・

ROUVRAY (GB), br. 1904
Sire: St. Simon, 1881
Dam: Society Lady, 1898
 Sire: Ladas, 1891
 Dam: Pelf, 1888
  Sire: Pursebearer, 1879
  Dam: Bonnie Marden, 1877
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=bonnie+marden&g=5&inbred=Standard&x2=n



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リナの 投稿者:ふてき  投稿日:11月27日(土)10時47分20秒 

貴重な繁殖情報どうもです。
(下の方の11戦11勝というのは見つからないのですが。。。)
知名度は随分と低いリナですが、競走で示した能力はそれなりのものだったようですね。
繁殖で名を残せないと如何な名競走馬であっても時と共に人々の記憶から去り逝く。
それが競馬のもつ宿命ではありますけど。
リナが横浜の御賞典を勝った大正3年6月13日の前日の12日(横浜競馬初日)の
一般戦で例のコイワヰとレッドサイモンのライバル対決最終戦があったんですね。
そのあたりが当時の競馬における新旧交代の瞬間だったのかと。

厚かましいお願いで申し訳ないのですが、
この父の Rouvray の血統って既に判明しているのでしょうか。
どうもネット検索では太刀打ちできない極みにいる馬のようでして。
(SireLine での登録状況は既に記憶になく、グルの父系表にも載っていないようで。。)
もし差し支えないようでしたら父系だけでも暴露して下さればありがたいのですが。



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下の方で11戦11勝なんて書きましたが 投稿者:通りすがり  投稿日:11月27日(土)03時03分14秒 

馬主シャール・エマール氏の回顧話を丸写ししただけでして、
リナは同氏の所有馬として11戦10勝、その後他人に譲渡されて3戦0勝でした。
横浜でだけ走ってます(大正5~6年の東京は未調査ですが)。
大正6年の春競馬を使われた後、S・アイザックス氏に売られてすぐ同氏の牧場
(今のJRA総研)で繁殖入り、18年間供用されて不受胎9回、生後直死3回、
6頭の産駒のうち競走馬になったのが4頭、唯一の牝駒チーコは李王職蘭谷牧場へ。

ホーエイは調査未了ですが大正4年春までに阪神、東京、横浜で10勝してますね。
リナもホーエイもよくレコードを出していて、当時としては非常な快速馬でした。



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仏ダービーは 投稿者:ふてき  投稿日:11月26日(金)21時38分58秒 

同期同父で紛らわしい Bikala の方かと。
Kalaglow の母馬の一件はデルマのコメント欄にもありますんで、ご興味の方は。

今から何十年か後に取り違え馬修正版の「リアルファミナン」などという
超科学な代物が発表されたりは。。。しませんか(^_^;)
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=kalaglow&g=5&inbred=Standard&x2=n 



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ミトコンドリアDNAは 投稿者:通りすがり  投稿日:11月26日(金)19時38分24秒 

母から子に伝えられるので、同じファミリーナンバーの馬は共通の
牝系祖先を持っているはずですが、数年前イギリスで調べたら
半分以上違ってたという話を聞いたことがあります。
300年の間にはあっちこっちで取り違えがあったでしょうし。
最近でも仏ダービー馬カラグロウの母が違ってましたしね。

ホーエイは大正2年輸入です。



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南米の血統書が 投稿者:ふてき  投稿日:11月26日(金)18時59分23秒 

信用できないのはマクリーン先生のお墨付きですし(笑)
まぁしかし南米に限らずですが、こうして生年や毛色などの矛盾点が露呈して
正誤保留扱いになる馬というのはまだ救いがある、と言えやしませんかね。
完全犯罪的に別馬が入れ違ったままで現在に伝わっているケース、データの改竄。
悪意じゃない単なる登録上のミスを含めると相当な件数ありそうな。
幾つかは風の便りに聞いたりもしますが、それも氷山の一角という気が。

ペルーダービー勝ち馬表、サンクスです。ほぼ完成形っすね。
そういえば先週日曜の二冠目「オルティス」を勝った Sinjon が
連闘で今週のリステッドに出てきますね(笑)
新聞の短評だと「ダービーの調教代わり」だそうで。

あと関係ないですが、ペリェグリニ開催時のブエノスアイレスで
レーティング(ランキング)導入などが主要議題の会議があるようですね。
来年からアルゼンチン、ブラジル、チリはランキング制を導入するようにと
某国際なんとか機関から勧告されたらしいです。
ただ何故そこにペルーの名が無いのかは分かりませんが(^_^;)



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ついでに 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月26日(金)13時08分32秒 

ペルーダービーは、以前にここで全父系を紹介したのでアップしなくていいかなとも
思ったのですが、一応アップしました。新作期待の方は、また次回に。

重賞勝ち馬一覧って実際はあまり需要はなさそう。
こんなのばっかり作って無意味かな~と思ったりもするのですけどね。
まぁ好きでやっているのですけど。
このBBSを訪れる方は奇特な競馬ファンかと(^。^)

みなさまへ。公開したデータは多いに活用なさって結構なのですが、
ただ元のPDFファイルをそのままで流布するのだけは遠慮してくださいね(^。^)
編集済
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/07.peru.pdf 



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南米でも 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月26日(金)12時54分51秒 

時代の古い血統書は往々に誤りがある可能性を考えてよいのかな。
南米でも、どう考えても血統書のほうが違うのでは?と思う箇所があります。
19世紀のウルグアイダービー馬で血統書で馬名・父・母と一致するのに
生年がどうしても1年一致しない。
次巻に記載されている「訂正」項目にも該当しておらず、
大変困っているところです。

ホーエイの輸入年は何年なのかな。
父・母名はAUS Stud Book のDBと一致するのですよね。
現地で詳しいAppearanceの繁殖を確認すれば、
日本側に伝えられているホーエイの生年が元々誤っていたという
オチもありえるかもしれません。それか、
父・母名は一致するのですから、日本側に伝わった血統が
根本で誤りだったのかも。推測ですけど。

> Guruさまへ連絡
「ペルーダービー100年史」の誤植を見つけましたので、
確認してみてください。
1908年の調教師は J, CasellaではなくRudecindo Diaz。
1913・1914年の調教師はE.BermudezではなくEnrique Medina。
1913年の勝ち馬Pekinは牡でなく牝(巻末の勝ち馬一覧)。
1948年の勝ち馬Daiquiri の負担重量は54kでな56k。
1952年の勝ち時計は2:30.1/5ではなく2:27.2/5。
逆にオフィシャルの成績書の巻末付録の勝ち馬一覧では
1903年と1904年の調教師が Luis A. Benites となっていますが、
これは誤りで、「ペルーダービー100年史」の
Elias Zarate とCarlos M. Zavalaが正しい。
ちなみにCarlos M. Zavala は19世紀にエルエンサーヨを8度制覇した
チリの伝説の名騎手です。



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なるほど 投稿者:ふてき  投稿日:11月25日(木)23時18分30秒 

リナ数え年の理由さえ解明できれば。なのですね。
日本のその当時の現場担当者が多少でもラティノ的メンタリティを
持っていたとしたら、その仮説は十分支持し得るんじゃないかと。

バウアーストック問題もそこから先へは容易に進めそうにないようですね。
今後再びこの牝系からG1馬が出ることがあれば調査熱が高まって。。。
。。。まぁありえない相談ですかな。


リナAUS(f 1908? Rouvray) 帝室御賞典(横浜・春)1914、オースタラリヤンH(横浜・春)1914
|オグデン(c 1921 *ガロン) 3着-連合二哩(東京・春)1925

宝永なんかとは比べちゃいけないですが、リナって繁殖面ではイマイチだったんすかね。
「歩み」から拾えるのはこの一頭だけではと。
JBISとかで確認はしてないですけど、牝系自体もあまり聞いたことがないですし。

長い間お騒がせしました。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月25日(木)19時57分22秒 

当方はホーエイ1907年生で行きます。
リナと同時期の豪州抽籤馬にもう1頭サラブレッドを発見しまして、
それは満年齢でした。また、競馬法成立後の豪抽にはサラブレッドが多いんですが、
それらも満年齢でした。たとえばオシマは1925年秋の時点で6歳、1919年生。

ではなぜリナが数え年なのかと考えたら、この馬は鹿毛なんですね。ところが母の
ローズスコットが1909年に産んだ牝駒は黒鹿毛。これって別馬じゃないのかと。
母馬に1908年以前の繁殖記録はないんですが、昔は子馬が産まれても登録しなかった
ことも往々にしてありますしね。むしろ外国産馬は満年齢という慣習がありながら、
それからすればリナを生年も毛色も違うローズスコットの1909年牝駒と=にして
血統書第1巻に登載した日本競馬会の方がおかしかったのではないかと。

バウアーストックも1926年秋に5歳なので1921年生まれのはずですが、
母フリヴォリティーの1921年産駒は黒鹿毛の無名の牡駒。
そこで1922年産駒のブラウンメグが豪州で繁殖入りした記録がないので、
これが日本に来たバウアーストックだろう、生年が合わないから登録できない、
サラ系だというのが今日までの流れになっているわけで・・・
しかしブラウンメグは鹿毛、日本のバウアーストックは黒鹿毛です。
最も蓋然性が高そうなのは母の1921年産駒が牝だったという仮定なんですが。



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御三方へ 投稿者:ふてき  投稿日:11月24日(水)21時01分34秒 

むーさま。

本体に対応する形の「別冊」としてでも刊行されたりしないかな、と妄想してますが、
未だに本体が完売してない状況ですからまぁ普通にアリエナイ話なのでしょうね。

デルマに Tex Fina と 弟の Tucson を加筆・登録しときました。

LBさま。

頂戴しました。サンクスです。
絶滅父系となると、写真を見る目も変わります(^_^;)

行き過ぎた情報化であまりに世界が狭くなるのも興醒めですしね。
南米競馬メディアのメジャー化ってのはアリエナイでしょう。幸か不幸か。

通りすがりさま。

結局オーストラリアンスタッドブックが同名異馬の母 Apearance を
取り違えて登録していた、いうことだったのでしょうね。
馬齢のカウントにも一貫性なしですか。
資料によってバラバラと言うなら、各編者のカウントの仕方が
それぞれ違っていたため、というオチに持っていけたんでしょうけどね。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=TUCSON6&g=5&p=0&f=1&l= 



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Handsome は1906年まで 投稿者:通りすがり  投稿日:11月24日(水)18時59分49秒 

走ってました。ホーエイの祖母ではあり得ず。残念。

馬券黙許時代に輸入されたサラブレッド競走馬はすべて満年齢と書きましたが、
例外もありました。ただし数え年ではなく、逆方向です。1908年秋の時点で
セッツ      英 6歳 1902年生
ノースヘッド   豪 6歳 1902年生
エキサイトメント 米 5歳 1903年生
インテグリテー  米 4歳 1903年生
トニック     米 4歳 1904年生
トライムファント 米 4歳 1904年生

そしてレースには出なかったけれど種牡馬になった馬に数え年が。
ロバーツ     米 6歳 1903年生

多分にいい加減だったような気がしてきました。すると後の輸入馬についても、
単にリナの年齢の数え方が間違ってただけだったりして。
いずれにせよホーエイと豪州の Appearance との関係が切れてしまった今となっては
これ以上追求する気力もありませんけど・・・



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たまにはこんなのも 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月24日(水)15時00分17秒 

気分転換にどうぞ。

http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/foto.htm 



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思うところ… 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月24日(水)13時53分43秒 

南米の中央・地方競馬は、首都競馬と地方部競馬なんですよね。
この関係はありそうに見えて実はラテン特有。
欧州や日本のように歴史が重要な国家基盤を形成している国と、
近代以降の国家しか持たず憲法で国が成り立っている国である南米諸国とでは、
国土に対する考えも異なっているでしょう。
国全体として歴史感を共有する日本と
首都圏一極集中の社会システムから抜け出せない南米諸国は、
都市部と地方との関係も相違があるでしょうし、
尽きるところは南米の首都圏のジョッキークラブが全国組織に
発展しないの理由も見えてくる気がします。
同じように憲法によって国が成り立っているアメリカは、
圧倒的な経済力と民間の成熟度で、DRFなどのマスコミが全国を網羅し、
結果その資料をオフィシャル化させてしまうほどのパワーがあるのですけどね。


> むー様。
ペルーの重賞格付けは恐らく1978年から始まるのですが、
パート1国になるのは1986年からで問題なしです。
旧G1競走はとりあえず1986-1992年まで挙げましたが、
詳しいG1格付けの年代はFT4で確認してください。
ペルーの格付けは資料によって違いがあり、
且つ公式資料も誤りが多く信用できない、
現地の関係者も誰も把握していないというヒドイ状況だったのですが、
FT4記載のペルーG1の格付けは、僕がXaarさんと現地に行って
JCの図書館や国立図書館にてレープロまでも引っ張り出して
確認してきたものなので間違いと思います(それでも100%とは
言えないのですけど(^。^))。
Felipe Pardo y Barredaの1987年勝馬はTex FinaでOKです。



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ペルーのG1勝馬名、感謝です 投稿者:むー  投稿日:11月24日(水)03時46分8秒 

Lucky Boy様
無事ファイルも落とすことができましたし、旧G1レースの勝馬名も教えていただき
ありがとうございます。これでG1格付けされてから(1986年からですか)の
ペルーG1勝馬名はコンプリートしたかなと思います。
(1985年からですと1985年のOSAFがわからないのですが)
Lucky Boyさんに教えていただけなかったらあと何年かかったことやら。
ちなみに例えば「Clasico Santorin」はFT4のG1レース一覧だとinclude1990年-1992年
と書いてあり、てっきりその期間にG1格付けされていたものかと思っていましたが、
違うのでしょうか。やはり1986年からG1の数を減す前の1992年までなのかな?
あと、Felipe Pardo y Barredaの1987年勝馬TexfinaはチリのGran Premio Internacional
にも勝ったペルーの名牝Tex Finaのことですよね。

ふてき様
>FT4はもう1冊勝ち馬表がセットされていたら尚よかったのにー、ですよね。
もうまったくその通りで、北米や欧州、豪新、伯といったところは別の媒体もありますから
何とかなりますが、亜、智の一部や宇、南アはどうしようもありません。
(南アはスポンサーの変更が多いためかレース名の変遷もすごいですし)



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なにぶん疎い方なのですが 投稿者:ふてき  投稿日:11月23日(火)16時38分50秒 

その辺の発掘調査が進んで、実はシンコイワヰは盛岡でデビューしていた!とか、
そんなネタが出てきたりすると楽しいのですけれど。

どこのメディアだったか忘れましたが、アメリカのウェブサイトの記事で
「Candy Ride は2002年8月のパレルモ競馬場でのデビュー戦の前?に
どこか名も知れぬ競馬場で既に実戦デビューしていた。」
のような(あくまで「のような」)内容があって、これはどういうことかと思い
少し調べたんですけど結局よくわからなかったんですよ。
ただそれが事実だったとしても全然不思議じゃない空気はアリますから(笑)
先月は地方のロサリオでG3(かの地では随一の競走かと)がありましたが、
ラナシオン紙でも全く取り上げられてなかったです。
地方最大規模のロサリオがそんな塩梅ですから後は推して知るべしなのかいな、と。

余談ですが、アレキパなんて最近ではJCPサイトも結果フォローが滞ってしまう位で、
ネットヲタにとっても相当の情報僻地なのですが、そんなレベル・水準の競馬場から
全米リーディング騎手が誕生しちゃったりするのもまた競馬の持つ素晴らしさのひとつなわけで。



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ペルーから美馬騎手が帰ってきた頃 投稿者:通りすがり  投稿日:11月23日(火)02時02分13秒 

盛岡の黄金競馬株式会社が人気さかんで増資し、資本金を2万5千円にしてるんですね。
その頃の最強馬はコイワヰですが、この馬を持っていた絹川安松氏の談話が当時の雑誌に
出ていまして、
「現在は十三頭を所有しております。厩舎は鳴尾にありまして今此内を六頭は東京へ
三頭は函館へ、外に二頭は南部に預けておきます」
とあるんですね。4月の阪神競馬が終わってから、精鋭は東京へ遠征し、おそらく
横浜にも回るでしょう。先に北海道に送ってある馬もいる。で、13頭の「外」に
2頭を南部へ。これ、盛岡のことだと思います。公認競馬は4歳以上でしたから、
3歳馬を盛岡で走らせたんじゃないでしょうか。
昭和初期にも北海道の3歳競馬は有名でして、来年公認競馬で活躍すべき3歳馬の
成績紹介の記事が雑誌に出ていたりします。
クラブ競馬時代の日本は東京や阪神がモンテリコやクラブイピコデサンチアゴに当たり、
盛岡や帯広なんかはアレキパやプンタアレーナスに当たるというか、
日本はどんどん変貌したけれど南米はその頃のままだとか、
そんな感じじゃないかなと思ってます。



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ウラとらなかったのは当方も一緒 投稿者:ふてき  投稿日:11月21日(日)18時34分20秒 

エクアドル産馬だったようです。>ペンテリカスダンス
「Pentelicus Dance (ECU)」でググって普通に出てきました(-_-;)
この馬アメリカで走ってたのですね。
まさかそういう形の参戦とは夢にも思わず、ブルッホ競馬場のサイトを漁っては
レースリザルトのどこにも名前が出てないなぁ~等と呟いてました(^_^;)

PDFファイル「金杯ポトランカス」確かに。お手を煩わせましたm(_ _)m
カラカラ系のペルーにおける復権が事実上消滅しつつある現状(G競走にはこの2年
出走すらしてないはず)ですと、もはやどこかの秘血統受け入れ国にでも望みを繋ぐ
しかないですかね。レベルなんてどうでもゑゑじゃないか、とばかりに。
http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&q=pentelicus+dance+%28ECU%29&lr= 



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僕は無罪だ~~! 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月21日(日)17時40分59秒 

成績書の勝ち馬一覧が間違っていました。
眠気に負けて確認を怠りました。ペルー資料はそのまま信用しちゃいけない…(言い訳です)。
 × Thtat Police → ○ That Police
 × Snow Wing → ○ Show Wing
あと Clasico Hipodromo de Monterrico は1990年に記念競走が入るので、
以降は1年ずつ繰り下がります。
Hipodromo de Monterrico(創設1957年)
1986 Sergis Khan
1987 Tio Onofre
1988 El Guru
1989 That Police
1990 Shurok(Clasico 30 Aniversario de la Inauguracion de Hipodromo de Monterrico)
1991 Show Wing
1992 Kimberley
1993 Faaz

アップしました。
● Copa de Oro - Potranas
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/01.peru.pdf

少なくともペルーでは QUINKE DE ROSAS が最後のカラカラ系G1馬ですね。

クラシコデルカリベって 投稿者:通りすがり  投稿日:11月21日(日)17時21分29秒 

米国産出走できましたっけ?
最近あっちの方にはトンと縁がないのでよく知らないんですが。



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またマルチ 投稿者:ふてき  投稿日:11月21日(日)11時24分21秒 

通りすがりさま。

馬名索引に出てくる馬をSireLineに入力したもので、ちょっと気になってました。>生年
まぁ今はそのソフトを使えない状況ではあるのですが。。。 

ブログの方でちょっと触れましたが、カリブ国際の出走予定馬にもエクアドル代表の
名があるようですね。これおそらく米国産ですが。

http://futeki.moe-nifty.com/blog/2004/11/post_28.html

コロンビア競馬の混沌とした事情についてはペルーのラレプブリカ紙にも
良く記事が載るのですが、内容が専門的というか、翻訳サイトを経由しても
サッパリ意味がわからんので、ほとんどスルーしちゃってるんですよね。
何やら動きがあるのは確かなんですが。

むーさま。

管理人が無駄に早過ぎなもので申し訳なく(^_^;)
「早い」「安い」「不味い」と3拍子揃った大衆食堂を志向してたもので(^_^;)
FT4はもう1冊勝ち馬表がセットされていたら尚よかったのにー、ですよね。
絨毯調査はかなりしんどい作業です。
で、ご質問の件、当方も全然把握してない個所だったので逆に大助かりでした。
ということで、

情報提供ありがとうございます。>LBさま

FT4で掲載外の馬の血統はBris.netのDBで拾えるようですので
ご興味の方はそちらが有効かと。デルマは未登録馬が多いです。
折角なんで一頭だけ入力してきました↓
パート1国のG1を勝った最後のカラカラ直系?

あと、Snow Wing と言う名は Bris.net でもペルースタッドブックでも
SHOW WING (PER) 1988 by FESTIVAL TOWN out of =ANYMORE (ARG) .
となってるようですが如何でしょうか。
それから、Thtat Police は That Police でダイジョブですよね。

追伸。pdfファイルなのですが、01.peru.pdfが11.peru.pdfと同一の内容に
なってる気がします。当方、デスクトップに置いていたものに上書き保存してしまったので
昨日頂いた01.peru.pdf(Copa de Oro-Potrancas)が(Clasico Pamplona)に変わって
しまいました。
ご確認頂ければ幸いです。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=QUINKE+DE+ROSAS&g=5&p=0&f=1&l= 



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フジモリ復活? 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月21日(日)03時23分58秒 

Quetzal がエクアドルに移籍していたとは気が付きませんでした。
多くのペルー産馬がエクアドルに輸出されていますが、
重賞勝ち馬が移籍(しかも金杯勝ち馬)とは初耳です。
どういう経緯なのか興味が、まぁこのクラスならエクアドルで
チャンピオンになるも納得といったところでしょうか。

>ドミニカの日本人からエクアドルの競馬はつぶれたなんて言われましたが…

それはあながち間違いではないのかも。
どう調べても、以前のサンタセシリア競馬場と現在のブルッホ競馬場との
繋がりが見えないのです。ブルッホ競馬場とグアヤキルJCとの関係も
よく分からないのですが、もしかしたら前競馬場が潰れて一時の空白を経て
現在の競馬場ができたのかもしれません。
今度、エクアドル競馬についても詳しく調べてみたいです。
ボゴタの競馬は復活していないようです。
テーチョの跡地は住宅地になったそうですが、
ロスアンデスはどうなっているのかな。
純粋なコロンビアダービーの名称はテーチョ以降は受け継がれていないようですし、
今でもコロンビアは地方競馬しか存在しないといえるかもしれないですね。

モンテリーコの地方競馬戦は今は行われていないようです。
洪水で北のチクラーヨの競馬場が閉鎖されたのが原因かと。
交流競馬といえばチクラーヨにも国際競馬ファスタがあって、
リマ、アレキーパだけでなくエクアドルからも馬が集まる一大イベントでした。
砂漠の中の安っぽい雰囲気のアレキーパの競馬場と違い、
チクラーヨは写真で見る限り立派な競馬場なのに洪水で流されるとは…。
ただ、ペルーの地方競馬の成績は、当地では記録が残っているっぽいです。
リマでは把握できないですけど。

最初のペルー訪問の際は陸路でエクアドルからペルーに入りましたが、
フジモリ人気はすごかったですよ。そこら中に彼の名前が書かれているし。
日本にもすごく好意的でした。失脚後に訪問した時も彼を擁護する声のほうが多く、
彼の部下が悪いと言った意見でしたね。
また現大統領トレドがあまりにも不評なので、フジモリ待望論も多く聞かれます。
南米の歴史を考えれば、将来フジモリ氏がが大統領に返り咲くのじゃないかな。
汚職と腐敗にまみれて失脚・亡命したガルシア大統領が
大統領選に出馬できるぐらいなのだから(^。^)



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ペルー旧G1(1986-1992) 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月21日(日)02時24分5秒 

とりあえずペルー旧G1です。
Ciudad de Lima(創設1946年)
1986 Lutz
1987 Artigal
1988 Misilero
1989 Universitaria
1990 El Duce
1991 Machahuay
1992 Snow Wing
Ernesto Ayulo Pardo(創設1985年)
1986 Marfil
1987 Mi Colorao
1988 Misilero
1989 Westbury
1990 Westbury
1991 Machahuay
1992 Run And Deliver
Felipe Pardo y Barreda(創設1948年)
1986 Reflectora
1987 Texfina
1988 Summer Girl
1989 Niniveh
1990 Hermana Sol
1991 Greek Forest (Clasico Felipe Pardo Aramburu)
1992 Africa Mia  (Clasico Felipe Pardo Barrreda y Felipe Pardo Aramburu)
Hipodromo de Monterrico(創設1957年)
1986 Sergis Khan
1987 Tio Onofre
1988 El Guru
1989 Thtat Police
1990 Snow Wing
1991 Kimberley
1992 Faaz
Santorin(創設1976年)
1986 Furze Breek
1987 Silent Secret
1988 Oro Morado
1989 Gran Papito
1990 Westbury
1991 Valedero
1992 Picoton
Velocidad(創設1917年)
1986 Frau Astrid
1987 Stratos
1988 Old Mario
1989 Chono
1990 Sukhoi
1991 Quinke De Rosas
1992 Shenda
編集済



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訂正・再アップ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月21日(日)02時22分57秒 

>むー様
いやいや済みません。
実はミステイクがありまして、一度撤収したのです。
またアップしたのでどうぞ。

ミスの部分は、Clasico Pamplona の1980・1981・1982年の勝利騎手が
(誤)Adolfo Morales → (正)Arturo Morales
です。あとCopa de Oro のG1だった時期が
(誤)1981~1992 → (正)1980~1992
です。Copa de Oro Potrillos もアップしたので
訂正版と合わせて必要な方は保存ください。

● Copa de Oro - Potranas
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/01.peru.pdf 
● Copa de Oro - Potrillos
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/02.peru.pdf 
● Enrique Ayulo Pardo
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/05.peru.pdf 
● Pamplona
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/11.peru.pdf 

ちなみにこの形式で作成しているペルー重賞は13(現G1(11)+金杯(2))です。
編集済



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ペルーの旧GⅠレース 投稿者:むー  投稿日:11月21日(日)01時14分45秒 

>Lucky Boy様
おとといはお気遣い、ありがとうございます。Enrique Ayulo Pardoを金曜日中に
再アップしていただいていたのですね。
現在仕事が忙しく、家に帰り着いた時には土曜日になっており、掲示板を拝見した頃
(午前3時頃)にはすでにアクセスできず、残念ながら落とすことはできませんでした
(Clacico Pamplonaも(泣))。
またまた再アップをお願いするのも心苦しいので、そのうちメールにて
お願いするかもしれません。
さて、下記標題ではペルー競馬の情報整理もほぼ終了とのこと、お疲れ様です。
そこで前々から訊く機会があれば訊きたかった質問を。
わたしは以前から1985年以降の世界中の全GⅠレースの勝馬とその血統情報を調べており、
Lucky Boyさんからは、現在行われているペルーGⅠの勝馬を教えていただいたことも
ありましたが、現在はGⅠではないが、以前GⅠだったレースの勝馬というのが
ほとんどわかりません。
いや、実は勝馬名はFT4を丹念に見ていけば、(おそらく)わかるのですが、
何年に勝ったのかということは、ほとんどわからないのですね。
特に3歳以上の条件のレースはだめです。
(これはペルーだけでなくアルゼンチン・チリの一部のレースやウルグアイの
旧GⅠレース等も同じです)
そこで、もしもすでに整理されているのならば、そういったペルーの元GⅠレースの
勝馬情報を是非教えていただきたいなあと思っているのですが、いかがでしょうか。
例えば、「Clacico Velocidad」はFT4によれば、1987-1992年がGⅠであり、
その間の勝馬は
Stratos(1982生まれ、牡)、Old Mario(1982、牡)、Chono(1985、牡)、
Quinke De Rosas(1985、牡)、Sukhoi(1985、牡)、Shenda(1988、牝)
の6頭(のはず)ですが、やはり、何年に勝ったのかわかりません。
こういったのがペルーだけでもあと5レースあります。
(Ciudad de Lima、Ernesto Ayulo Pardo、Felipe Pardo Barreda、
Hipodromo de Monterrico、Santorin)
いつもロムるのみで(今回の宝永の件も楽しく拝見しています)何の情報提供も
できない中、教えてクンは辛いのですが、どうかお願いいたします。



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宝永の1909年はミスですが 投稿者:通りすがり  投稿日:11月21日(日)00時00分58秒 

1907年だと思ってたのが1908年だったわけですから、
当時の他の馬にも波及するかと。
まあこのへんのことはザッと見るんじゃなくて
いずれ徹底的に洗い出す作業が必要になるだろうと思います。

ペルーには南北の地方競馬の馬がモンテリコで対戦するレースがあると聞いた記憶が。
そういうレースに出てくる馬の普段の成績はわからないんでしょうね。
大井がアラブをやめたとき、大賞典だけ残してくれないかななんて考えてました。
ペルーからボリビアへ陸路で入ったとき、国境を越えた途端に道がガタガタに。
なんのかんの言って、フヒモリ氏は大した人ですよ。夜のリマも普通に歩けました。

ドミニカの日本人からエクアドルの競馬はつぶれたなんて言われましたが
↓ちゃんとやってるようですね。隣国のボゴタの競馬は復活したのかな。



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金杯どうも 投稿者:ふてき  投稿日:11月20日(土)22時09分0秒 

2001年の情報がどこかネットに落ちてないかと思って馬名でググったんすが、
(本来の目的だったモノは何も拾えずに)ヘンな小ネタを拾いました。
http://www.tjcis.com/pdf/icsc04/EndMaterial2004.pdf
この年勝ち馬 Quetzal はいかな経緯があったのか、昨年の
エクアドル最優秀外国産スプリンターに選ばれているようです。

資料編馬名索引に記載のある豪州産輸入馬の中で、生年表記に誤りがあるのは
恐らくこの宝永の一件だけだろう、と一応そういう理解でいても差し支えないでしょうか。

Handsome(1900) の父が1894年生まれの馬のようですから、万一 Handsome の生年が
1900年じゃなくもっと前だったとしても精々1898年てのが限界になるでしょうしね。
まぁいずれにせよ前提が崩れてしまえば意味の無い推論になってしまいますが。



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改めて調べ直しても 投稿者:通りすがり  投稿日:11月20日(土)19時04分55秒 

個々の馬同士の年齢差について矛盾するところはありませんでした。
馬券黙許時代に輸入されたサラブレッドの年齢は満で間違いありません。
大正3年に御賞典を拝受したリナの年齢は間違いなく数え年。
で、気がついたのは馬券禁止直後の明治42~43年には競走馬の輸入がなく、
43年秋にはすべての外国産馬の年齢が長齢(Aged)になっていたことです。
44年春からまた4~6歳馬が出てきますが、唯一の論理的結末はそこから
数え年になったということでしょう。それが正解だとは言い切れませんが。

というわけで、ホーエイの生年は1908年で確定しました。
豪州の Appearance の場合、その母 Handsome が1900年生という点が難問ですね。
ホーエイが Handsome の孫なら4歳で子を産んで、それがまた4歳で子を産んで・・・




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ペルーもほぼ終了 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月20日(土)17時14分10秒 

ホーヱイの謎は長引きそうですね…恐らく探せばいくらでも同様のケースが
出てくるのでしょう。
草競馬というか、戦前の日本も競走成績などは殆ど不明と言えますね。
地方競馬に関する法が施行されて以降は、数年分の成績書は現存していますけど…。
馬券禁止時代の新聞などを確認してみると、
札幌・函館の公認競馬所属馬が、開催の合間の小樽や網走の地方競馬に
普通に出走して、競馬法が施行以前は何の制限もなかったのかと思われます。
交流が完全に禁止になるまでは、公認競馬の馬が地方に出走していた例が
多々あるようですし、そんな時代の馬の正確な競走成績を知ることは
不可能なのでしょう。


ペルーの2歳牝馬チャンピオン戦 Copa de Oro (旧Seleccion de Potrancas)です。
今年はClasico Libertador Jose de San Martinとして開催されたようです。
生産者協会が主導するペルー版ブリーダーズCだったのですが、
今年は撤退したのかな?
創設の1981年からG1で内国産限定戦でしたが、1986年から国際G1になり外国産馬にも開放。
1992年のOSAFの南米重賞の格付け見直しの際に、
ペルーも幾つかののG1が格下げとなったのですが、
この時Copa de Oro は内国産限定戦に戻り、自ら国際セリ基準名簿から外れました。
国内屈指の高額賞金(生産者協会の提供なので番組には記されない)です。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/01.peru.pdf


思わぬ波紋 投稿者:ふてき  投稿日:11月20日(土)00時35分43秒 

とりあえず*ホーヱイとその母 Appearance なる馬との繋がりに関しては
保留にしとくのが妥当でしょうか。いやまぁ、これを現地で再調査したとして
一体どれだけの見込みがあるというのか、と問われれば口を噤んでしまうのですが。

しかしサラ系種牡馬ってのは案外情報が少ないものなんすね。
当時のスタッドブックのスタンスを考えると、なるほどそれも合点がいくのですが。
ポニー競馬出走馬の登録・血統管理なんてサラのそれと比較すると、
天と地以上の格差があったんでしょうねぇ。
まさにそれがサラブレッドがサラブレッドたる所以だったわけですから。

デルマの Bradley も生年直しときました。
「From the New World」出してきて読み直したのですが、なぜか急に汗が(^_^;)
やはりこれを読んでから書き込むべきだったよ。そんなポイント多数あり。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=BRADLEY2&g=5&p=0&f=1&l= 



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ショックのあまり寝込んで 投稿者:通りすがり  投稿日:11月19日(金)22時58分50秒 

おりましたが、睡眠不足のため・・・
ブラドレーは1872年生ですね。1875~77年に18戦6勝してます。
フォーローンホープは昔さんざん調べてわからなかったような気が・・・
いわゆる競馬に出てればなんとかわかるんですが。

そうじゃない競馬ってのがあるんですよ。
数年前にもイギリスで非公認競馬の裁決で紛争があってJCに持ち込まれたとか。
BBRの1939年版だったと記憶してますが、イギリスのポニー競馬(これも豪州
のと同じでサラじゃないというだけ)の写真が出てて、立派な大型馬が揃ってました。
成績書にポコっと初出走の古馬が出てきたり、特に障害なんかそういう例が多い。
サラじゃない馬にポニー競馬だけで走られるともうお手上げです。

日本にも競馬法に縛られない草競馬というのが各地にありますが、
名古屋の現役競走馬が三重県の草競馬に出たことがあって問題になったり。
外国だとそんな競馬でもブックメーカーが出て盛大に賭けてますから、
そういう競馬だけで世渡りしてる馬もいるんですよね、特に昔は。



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ついでに 投稿者:グル・アガ  投稿日:11月19日(金)20時37分29秒 

bradley は 1875生 ではなく 1872生 としているものがあります。
どちらでしょうか。
あと、Forlorn Hope の生年はやっぱり分かりませんかね。。。 



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↓ 投稿者:通りすがり  投稿日:11月19日(金)20時11分47秒 

リナがホーエイより1歳下で1909年生ですからホーエイは1908年生ですね。
満年齢じゃなかった・・・・これは大変、全部調べ直さなくては・・・・



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ありゃりゃ 投稿者:通りすがり  投稿日:11月19日(金)18時06分27秒 

ホーエイの血統がわかった嬉しさに、生年のことなんか忘れてました。
結論から言うと、それ誤植です。というか、「歩み」筆者の誤入力ではなかろうかと。
ホーエイは大正2年秋の阪神抽籤馬でして、そのとき6歳。
当時豪州産馬は8月1日起算の満年齢だったはずで、
それからするとホーエイは1907年生まれになります。
このへん曖昧な記憶で書いてるので、今度きっちり調べたいと思ってますが。

そういえばスプーネーもサラブレッド種牡馬フォーロンホープと1歳しか違わなくて、
これ父親違うぞってことになったみたいです。



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たぶん 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月19日(金)16時56分38秒 

Claciso Pamplona ですが1989年も国際競走です。
修正したので、再度どうぞ。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/11.peru.pdf 

ホーヱイの母アツピーヤランスとAppearance(1908) が同一であるかも
疑問になってきますね。
ホーヱイが輸入される際に生年記録が誤っていた可能性もあるかと。
この時期はまだまだ血統証明に疎かった時代ですから。
豪州側にAppearanceの繁殖記録があれば、
ルームバアと交配された年を確認することができるのですがね。
ホーヱイの豪州での名前はわからないものかぁ~。



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むーさん、おひさです 投稿者:ふてき  投稿日:11月19日(金)15時44分38秒 

諸々とどうも。新作も頂戴いたしました。>LBさま
ミンテンザといえば目黒の御賞典を勝った持込の(第一)ミンテンザ以外に
妹で同名の(第三)ミンテンザ(父は*ビリーゼヴヱルガー)のというのがいて、
札幌の御賞典を勝っているようですね。
母の名も勿論*ミンテンザですからこれは一層ややこしいですよねぇ。

ホーエイ情報(毛色、勝ち鞍など)追記しました。>通りすがりさま
#もし英語表記がおかしかったら、どなたか訂正を。
しかし「日本競馬の歩み」によれば*ホーエイは1909年生まれになっていて(実際、
大正3年の御賞典馬ですからブックの誤植ではないと思います)、だとするとこの母
Appearance(1908) との整合性が全くとれない気がするのですが。
ちなみに豪スタッドブックの Hoei は生年不詳。。。
http://www.studbook.org.au/Horse.aspx?hid=770549
想像するに一番ありがちなパターンとしてはASBのデータベース上の Appearace 生年が
誤入力されており(1908年生まれではなくもう少し早く生まれていた?)、そこから
引用された情報がデルマ始め各方面に広まっている、という線あたりになるでしょうか。

実はデルマの既存の馬にかんたんな情報を付記するだけならば至極簡単な作業なんです。
ブラウザに対象とする馬の血統表を出した状態で上記のメニューから
「Meintenance」
「Edit Information」
と進んで、あとは出てきた各項目に情報を加えたり、修正したりして、
ボタンをクリックするだけです。失敗してもやり直せばいいだけですし、
「Delete」で馬を消してしまわない限り滅多なことにはなりませんので。
面倒じゃなかったら是非挑戦してみてくださいませ。

追伸。もし今お使いのブラウザの問題やプロバイダーの制約等で上記の作業が不能、
ということでしたら、全くもってあいすみませぬことです。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=HOEI&g=5&p=0&f=1&l= 



これは素晴らしい。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月19日(金)03時05分10秒 

ネット1周して戻ってきたらもう回答が。
AJCは結構ウェーラ馬情報つかんでるのかな。
あるいはサラブレッド競馬に出た馬だけかもしれませんが。
そういえばホーエイは阪神の帝室御賞典勝ってますから追記しといていただければ。



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馬名&バンザイの母の母 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月19日(金)02時51分38秒 

そう言えば横浜の番組台帳には英語版を公式なものとするいった趣旨が書かれていましたね。
そう考えると公認競馬倶楽部連合会で出場登録馬名表を刊行する明治43年以前の
横浜競馬の公式馬名はアルファベットと考えてよさそう。
メルボルン二世や第二メルボルン、第二メルボーンなど日本語表記に統一性が
無いのも納得です。
ただ明治43年以降で、一応は公認競馬で統一した出場登録馬名表があるのに、
馬名の乱れがあるのは腑に落ちないです。ミンテンザがミンテンとなっていたり…。

豪州はサラ系血統書ならぬウェーラ馬血統書は整備されていないのかな?
一応、AppearanceはAUS Stud Book のデータベースに登録されています。
http://www.studbook.org.au/Horse.aspx?hid=770534
現地に資料があるということでしょうか。

このサイトは殆ど有料になってしまったのですよね。
個々の検索は今まで通り利用できるのが救いですが。
編集済



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アップしました 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月19日(金)02時24分57秒 

> むー様
今日いっぱいアップしておきます。
あまり長くアップしているのも何なんで、
様子を見て撤収しているのですが、
とりこぼしの際はアップしますので言ってくださいませ。

●Enrique Ayulo Pardo
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/05.peru.pdf 

牝馬国際 Claciso Pamplona もアップしたので合わせてどうぞ。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/11.peru.pdf 



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横浜は外人の経営でしたから 投稿者:通りすがり  投稿日:11月19日(金)02時11分48秒 

メルボルン二世(第二メルボルン)は Melbourne II が本名なのかと。
ところで、この馬を登録したのはこの板の方でしょうか。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=hoei&g=5&inbred=Standard&x2=n
母の Appearance は豪血統書に出てこないサラ系だと思いますが、
ソースが判れば幸いです。韓国のサイトにも血統情報はないようですし。

100年前の豪州はウェーラ馬(サラ系)が7割と言われ、戦前はサラ系を
使ったポニー競馬(ポニーとはサラ以外の馬の意味)がさかんで、サラの
競馬に挑戦する馬も多く、メルボルンカップを勝ったりもしてるんですよね。
5歳になって突然成績書に現れて2戦して消えたなんて馬はこれだろうかと。
日本でもマル地が6歳で突然JRA成績書に現れて3戦で消えたりしますけど。



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Clasico Enrique Ayulo Pardo 投稿者:むー  投稿日:11月19日(金)00時48分2秒 

Lucky Boy様
Clasico Enrique Ayulo Pardoをいただき損なってしまいました。
もう少しの間、アップしていていただければと切に願います。
(個人的なお願いですみません)



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毎度感謝です 投稿者:ふてき  投稿日:11月18日(木)20時16分59秒 

早速頂きました。
この競走も50年代は大種牡馬 Postin の独壇場だったわけですね。
その時代を含む前後30年位はマッチェム系、トウルビヨン系が
恐らく過半数占めてるんじゃないですかな。
さぁ、Caracalla 直系、奇跡の復活はあるのか、と。

ペルーのスローワーキング、何でもかんでも高速化の時代に逆らっているようで
ある種の感銘を受けました。
まぁ他所事だから無責任に言えることではあるんですが。



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英文表記 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月18日(木)14時32分49秒 

産駒名に序数を付ける古き時代の馬名の英文表記は厄介ですね。
フルネームをノーマナイズすればくどい感じがしますし、
かといって省略しすぎるのも何かな~、海外の人が読めなくなる。
まぁ日本軽種馬登録協会の英文表記が良いのでしょうけど、
「D3 Aiueo 3」の「D3」の部分は略さずに「Dai-3」としたほうが良いと思うのですが…。
そうえば関係ないですが、古くはメルボルン二世は英文表記「Melbourne II」 であって、
「Melbourne Nisei」とは記されていませんね。
記録によっては「第二メルボルン」というのも見受けられますが「Dai-2 Melbourne」
という表記は無かったなぁ。


ペルーオークス“Clasico Enrique Ayulo Pardo"をアップしておきます。
2001年の成績書をまだ取り寄せていないので、その年だけ穴がありますが、
ご了承くださいませ。
ペルーの成績書は2~3年遅れで刊行されるのです。
去年訪問した際は2000年版成績書のワードへの入力が終わり、
2001年版の成績を入力し始めているいるところでした。
手元にある2000年度成績書もまだ印刷・刊行される前だったので、
ワードファイルのまま戴いたものなんですよ。
この実にスロー作業なので、このまま行くと
4年・5年と成績書の刊行ペースが遅れていきそうな感じです。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/05.peru.pdf 



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名種牡馬レキシントンの名声 投稿者:ふてき  投稿日:11月18日(木)07時48分46秒 

19世紀の極東にも轟いていた。というところでしょうか。
あるいは逆に情報不足な時代ゆえの神様仏様レキシントン様だったのかも。

>>英文表記

慌ててファミリーテーブルの方がどうなってるか見てみました。
大体のところは登録協会の表記法に準じてるんじゃないかと思うんですが、

第三スターリングモアノ一
なんかは
Dai-3 Sterling Mor no 1

と言う感じで、多少違うスタイルになってるようです。
これ最初見た時、不覚にも「第三スターリングモアナンバーワン」と誤読しました(笑)



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ありがとうございます。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月18日(木)02時12分59秒 

これは民間のサイトを直す必要もないことですが、
日本軽種馬登録協会の英文表記は現在、次のようになってます。
第三アイウエオ    Dai-3 Aiueo
アイウエオノ三    Aiueo-3
第三アイウエオノ三  D3 Aiueo 3

エグい血統も馬産の初期は優秀な遺伝子のプール自体が極めて少ないですし、
イギリスでも18世紀には優れた種牡馬は自分の牝馬にだけ交配しようとか、
そういう考えが主流だったと思われますしね。



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直しました 投稿者:ふてき  投稿日:11月17日(水)08時06分37秒 

サラと非サラの間にそれだけ露骨な能力差が認められる時代でしたら、
血統不詳馬でありながら抜群の成績を残した馬を「サラだっただろう」と
後世の歴史考証家が推測することには一定の妥当性が認められるのでしょうね。

第二スプーネーの血統の何が凄かったのかはわかりませんが、その母
第三ウォールダンスベリーの配合は確かにエグイですよね。

まぁどこの国でも生産黎明期の基礎を築いた繁殖の血統ってのは
そんなものなのかもしれませんが。。。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=DAISAN+WAR+DANCES+FILLY 

修正お願いします。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月17日(水)01時11分22秒 

Uncle Ned の産地はGB
The Sphynx の毛色はb

ミラがサラである可能性は0でしょうね。
一度自由購買馬に窓を開いたことがあって、シアトルあたりから三流馬を連れてきたら
天馬空をゆくありさまで、すぐ抽籤馬に限ったんですよね。
第二ミラ、第三ミラの優秀さはもっぱら第二スプーネーから来てるのではないかと。
馬券黙許時代になってまた窓を開けたらやっぱり抽籤馬より断然強くて、またシアトル
から連れてきた2頭が天下無敵になったりで。
大正の初めに抽籤馬の中にサラが混じっていたことがあって、11戦11勝だったり。
これはリナと言ってサラブレッド血統書第1巻にも載ってますけど。
競馬法成立後の抽籤馬にはサラが多いんですが、血統書第1巻作成時に振るい落とされた
のがいて、バウアーストックと釧路は間違いなくサラだと思いますが・・・



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なるほどです 投稿者:ふてき  投稿日:11月17日(水)00時11分28秒 

急いで国立国会図書館の近代デジタルライブラリーへ行ってきましたが、
残念ながら当該新聞は見れないようです(^_^;)

もしかしたら*ミラを始めとする一部豪サラは現地調査で現状を打開できる
可能性があるのかもしれませんね。
スタッドブック等の関係機関所蔵の輸出記録以外からのアプローチが可能であれば更に。。。



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そういえば以前 投稿者:通りすがり  投稿日:11月16日(火)23時31分31秒 

日本軽種馬登録協会がAJCにミラの血統調査を依頼したけれど
発見できずという回答だったという話があって、Millaというのは
そのとき日本側から依頼した馬名だったのではないかという気がします。
明治時代の文献が残っているなんて考えもしなかったのではと。

一番いいのは横浜開港資料館に揃っているジャパン・ウイークリー・メイル紙で、
紙焼きで読めますし、マイクロフィルムなら国会図書館にもあって、
ミラの全成績がわかります。たとえば明治33年5月15日の成績は
下記のとおりで(円はYで代用)他に詳しい説明も付いています。

 6.-The Yokohama Derby, for Country-breds and
Australian Subscription Horses; weight as per Scale;
Winner Y250, Second Y50, Third Y25; Entrance,
Y10. Mile and a half.
Mr. Russia's Mira, 140lb...............(Horikoshi) 1
Mr. Tatsuta's Tatsuta, 145lb..............(Rikizo) 2
Mr. Nishimura's Piber, 140lb...........(Takahashi) 3
Mr. Nemo's Savoia, 140lb...............(Kobayashi) 0
Mr. Starlight's Aldebaran, 130lb...........(Katsu) 0



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ということで 投稿者:ふてき  投稿日:11月16日(火)23時27分43秒 

関連系統のスペルも Mira に統一いたしました。
他に見落としてる馬があるかもしれませんが。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=all+fast&g=5&inbred=Standard&x2=n

あとデルマは基本的に一部の根幹馬を除き、世界中どこからでもデータ修正・追加が
可能になっておりますので、この情報が更に変貌(正誤を問わず)することが
十分ありえるということはご理解ください。

ちなみに(やはりというか)スペル Milla でここに登録されてる2頭は
ともにスペイン語圏の馬のようですね。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=milla&g=5&inbred=Standard&x2=n 



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ミラ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月16日(火)22時54分39秒 

Sir Samuel のGB産、ご確認ありがとうございます。
助かりました。

日本人自身が根性入れて現地に乗りこんで、
ミラの血統を調べたことはあるのかな?
嘗て豪州側に調査依頼してダメだったという話ですが、
結局は調査というものは、やる気のある個人が追求しないことには無理だと思うのだけどな。
そういえばトロの豊平についても、尾形藤吉が「豊平はサラだけどトロと偽っていた」と
公言していましたね。どうにか豊平の父系は判らないものかと
思う次第です…さすがにもう無理か。
編集済



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現存する横浜競馬の 投稿者:通りすがり  投稿日:11月16日(火)22時51分5秒 

英文プログラムやジャパン・ガゼット紙ではMiraですね。
女性の名前ミラベルの愛称またはミランダの愛称です。
新冠御料牧場の台帳にMillaと書き込んだものがありますが、
筆圧を考えると後世のものかと思います。
普通名詞、固有名詞、いずれも該当する単語がありませんし。



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ミラ関係 投稿者:ふてき  投稿日:11月16日(火)21時39分46秒 

とりあえず元の Milla スペルの系統に設定し直しました。
と言うか現在 Mira、Milla 両方残ってる状態です。
真偽がわかり次第違ってる方を削除するという方向で。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=QUEEN+MIND&g=5&p=0&f=1&l= 



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サーサムエルどうもです 投稿者:ふてき  投稿日:11月16日(火)21時16分6秒 

修正しました。
第二スプーネー
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=daini+spooney&g=5&inbred=Standard&x2=n
第三ミラノ四
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=daisan+mira+no+yon&g=5&inbred=Standard&x2=n

ちなみに*ミラはASBのネットDBでも Milla(1895)ntb になってるようなんですが、
これも誤登録ということになるのでしょうか。
http://www.studbook.org.au/Horse.aspx?hid=684983 



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追加 投稿者:通りすがり  投稿日:11月16日(火)19時16分8秒 

よく見たら抜けだらけ・・・(汗)

Citadel  毛色 ch
I Dare  生地 IRE
Uncle Ned  生地 IRE 毛色 b 生年 1857
Collingwood Mare  生地 IRE
Donnybrook  毛色 b
Minnow  生地 USA



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Sir Samuel は英国産ですね。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月16日(火)19時09分55秒 

ところでそのデルマというサイト、日本のサラ系馬も登録されてるんですね。
で、サラ系の父のような大種牡馬第二スプーネーについて訂正をお願いします。
Forlorn Hope  生地 IRE
Donnybrook  生地 GB (その父は愛蘭産です)
Fly  毛色 b
Sweetheart  毛色 b
Ambignity  毛色 b
Daisan War Dande Berry  馬名 Daisan War Dance's Filly
War Dance Berry  馬名 War Dance's Filly
Revenue Mare  生年 1863
Minnow  毛色 br

それからミラが Milla で登録されているようですが、この馬の名は Mira です。

いろいろ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月14日(日)22時19分3秒 

フィリピン血統書の裏事情、実にコメディー。
パキスタンが先輩風を吹かしたはいいけれど、
そのアドバイスもいいかげんだったということでしょうね。
こういうネタは後世になっても笑い話として伝わっていきそうです。

>管理人さま
調査ありがとうどざいます。
僕もGB産だとは思うのですけど…ちゃんと血統書あたります。



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まるでマンガですね 投稿者:ふてき  投稿日:11月14日(日)06時54分28秒 

脈絡無さそうですけど、どういうつながりだったんでしょ。この2国。

フィリピンといえばジンガロ産駒(多分比産)が2頭デルマに登録されてますが、
うち片方の牝系が意外と言うか意表を突いてると言うか。
ジャマイカ~バルバドス~フィリピンって。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=REAL+BLACK&g=5&l= 



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アドバイザーになったというか 投稿者:通りすがり  投稿日:11月13日(土)19時08分4秒 

なってたんですよ、パキスタン人がフィリピン血統書の。
比血統書は3回くらい内容の違う第1巻が出ていて、
少なくとも2回は国際血統書委員会(アジア地区の審査係は日印)から却下されたかと。
必要な質問をしても比島人が答えずに巴基の人がギャーギャー言うばかりだったとか。
実物もちょっと見ましたけど、輸入元の証拠資料にアメリカンプロデュースレコードを
挙げてたり(当然アメリカンスタッドブックでなきゃいけません)、もうメチャクチャ。
今ではちゃんと国際認定血統書の一員になってますから笑い話ですけど。



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力及ばず 投稿者:ふてき  投稿日:11月13日(土)18時52分10秒 

掲載外でした。。。
あとはもう想像するだけですが、
・普通に英国産。
・持込(持出し)の外国産。
・Royal Sovereign が晩年どこかに輸出されていたなら、英国外の産。
の3つくらいの状況が考えられますけど。

パキスタン競馬は歴史があるのですか。
確かに事情がほとんど知られてない国ってのも少なくなってきましたねぇ。
メアドはわかりませんが、ジョッキー倶楽部の電話とファックスなら(^_^;)
http://www.asianracing.org/contact/contact.html 



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たのみます 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月13日(土)17時09分2秒 

3冠馬Montreux、ダービー馬Naseeb ともに詳しい情報は不明としか言いようがありません。
調べる手段が今のところないです。メールアドレスだけでも判れば
聞くことぐらいはできるのですが…。
もしかしたら3歳クラシックは内国産限定なのかもしれません。
これだけネットが普及しまった中で、パキスタンのような歴史のある競馬国は非常に貴重。
こういうマイナー好きの興味をそそる国は後にとっておきましょう。
調べ甲斐があります(^。^)。
そう、フィリピンの血統書の整備に関してパキスタンがアドバイザーになったらしいですね。


またヘルプをお願いします。
1915年のペルー種牡馬ランキング5位の Sir Samuel の生産国をお願いします。
 Sir Samuel 1907, por Royal Sovereign y Miss Eleanor
チリで供用されていた種牡馬です。今、手元にチリ血統書がないので、
確認できるようでしたらお願いします。



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引用元 投稿者:ふてき  投稿日:11月12日(金)21時05分51秒 

コリアンスタッドブックより引いてきました。
(ここ結構登録ミスが目立つDBなのでそれなりの注意は必要かと。)
↓ここの検索窓に馬名 Balam を入れてみて下さい。もしそれで
何も出てこない場合は代わりに263312と入れ、クリックして下さいまし。
(フォントのインストールは不要です)
それで多分 Balam が出て来ると思います。
H2O が(GB)となってますが、BRISNETでも(IND)ですから
おそらくここの誤登録と思われます。。。

インドから韓国へは種牡馬、繁殖牝馬など少数ですが渡ってるようなので、
その近辺の馬の血統表上のどこかに Balam の名前があるために
この馬が登録されてるのでは、と想像しますが、その肝心の血を引く馬は
発見できませんでした。残念。

中国進出の某牧場のオーナーさんのインタビュー(多分ブック)も確か
「先行きは不透明だけれど、まぁ大丈夫だろう。」的コメントだったですよね。。。
嗚呼、北海ルソーよ。。。
http://www.studbook.co.kr/eng/eng_index.htm 



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登録ありがとうございます。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月12日(金)19時00分31秒 

お蔭でエイチツーオーとポンドリリーの生年がわかりました。
毛色までは無理ですかね。

ところでJBBAの会報によれば北京通順競馬場はある牧場の専属で、
中国に進出した日本の某牧場の生産馬は出走できないようですね。
スタンドもなく、入場者は千人程度らしいです。
昔競馬ブックに紹介されてた北京郷村競馬場は目下政府の手で封鎖されてて、
北京五輪の馬術とボート(近くに川でもあるのかな?)会場に使われた後、
1周距離を1200mから1800mに延ばして再開する予定なんだとか。
中国と言えばもう20年前のことですが、
内蒙古自治区のフホホトで昔の競馬場がそのまま残っているのを見ました。
JRAから指導員が行って、ソウル五輪に向けた中国馬術チームの訓練を
してたようです。ODAばかりじゃなく、いろんなとこで日本から中国に
援助してたんですけどね、後足で砂をかけられてばっかりなのは情けない。



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すごいっすね 投稿者:ふてき  投稿日:11月12日(金)18時40分1秒 

パキスタンまでもがダービースポンサーは携帯電話会社(家電一般?)ですか!

競馬場は外芝・内ダの右回りコースですかね。
見たとこ割りとフツーな印象(あたりまえ)。
今年の勝ち馬は Naseeb と言う名なんすかね。一体どこの馬だろか。。。

Montreux という三冠馬も存じませんでしたが、年跨ぎのシーズン体制を
採用していた事も今回初めて知りましたです。
うーん、やはり今ではインドと交流なんぞは行なってないんでしょうねぇ。



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どうもです。 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月12日(金)12時07分11秒 

調査助かりました。
またすぐに別の馬の調査をお願いすると思います。

パキスタン競馬と言えば一昨年ごろに、一時競馬場が閉鎖されて、
競走馬の処遇が問題になっていましたね。
無事に再開したとのことですけど。
競馬場が首都ではなくカラチにあるという点は、
この地の経済的重要性を考えると当然のことでしょうか。
パキスタン3冠馬といえば、古くは 1964/65年度に Montreux がいるようですが、
最近の情報は全くわからないですね。
下記のサイトに
今年のパキスタンダービーの写真が出ていました。
http://www.thuraya.com.pk/News.html 



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登録しました 投稿者:ふてき  投稿日:11月12日(金)08時12分0秒 

例によって(PAK)が存在しないので、(IND)で代用しましたが。

「キングジョージ」の前身的競走にインド馬が出走してたとは露知らず。。。
第1回JCの Own Opinion といい、国際競走の幕開けを華やかに演出するには
インド馬ってのは欠かせない存在なのかも。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=BALAM&g=5&p=0&f=1&l= 

キルバックは最後の 投稿者:通りすがり  投稿日:11月11日(木)23時28分10秒 

印グランドナショナル馬ですが、アイルランド産ですね。

1951年に行われた英国史上最高賞金のレース、
フェスティヴァルオブブリテンS(翌年から「キングジョージ・・・」)に
バラムという馬が出てますが、これが独立後はパキスタン領になった地域で
生産された馬でした。印ダービーの他、輸入馬に伍してエクリプスSオブイ
ンディア(2勝)、トライアルS(今のカルカッタGC)などを勝ってます。
パキスタンは造語で、独立前はそんな言葉なかったんですけど。
Waterweed (USA) ch.f.1908, by Watercress out of Florence Breckenridge
 Pond Lily (Pak) f, by Sir Geoffrey (GB)
  H2O (Pak) f, by Apothecary (GB)
   Hooishe (Pak) b.f.1935, by Sheridan (GB)
    Balam (Pak) br.c.1945, by Illuminate (Ire)   

30年くらい前のコース図だとプーナは外側からレース・トラック、
タン・トラック、サンド・トラックとなっていて、おそらくタンの
部分をつぶしてサンドベースの芝コースを造ったのではと。
ボンベイも外側からファスト・タン・トラック(今は砂です)、
レーシング・トラック、タン・トラック、第1グラス・トラック、
サンド・トラック、第2グラス・トラックとなっていました。
今は芝コースの内側はレースにも使うサンドトラックです。



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マルチ失礼 投稿者:ふてき  投稿日:11月11日(木)19時43分34秒 

>>タン馬場

リアル情報どもです。
恐らくどこかで情報が錯綜していたんでしょうね。
時代が時代ですから致し方ない部分もあろうかと。
インドネシア編など「信頼できる情報によると」と言う枕で解説が始まっていて
思わず失笑してしまいましたし。

http://www.indiarace.com/TurfClubs/Calcutta/RCTC.htm

ここなどを見てみると(文意は半分くらいしか掴めませんが)確かに
華やかな歴史の一端は感じられまするね。
後半のほうに「Kilbuck と言う馬が英国のグランドナショナルに出走した。」
とあるような気がするのですが、もしかしたらこの馬が現パキスタン領で
生産されたアジア馬初の国際レース出走馬だったり、ですとか?

>>近代中国競馬のポニー種。

その中でも具体的には蒙古馬が主役だったんでしょうかね。
「日本競馬の歩み」によれば、ダービー馬 Manna の馬主でもあったハリー・モリス氏が
当時の天津競馬で使う馬を求めて奥蒙古へと馬探しに出かけていた、ですとか、
チャイナダービー勝ち馬の品種に蒙古馬が多かったり、ですとか。

>>クリアドレス大賞勝ち馬

FT4では1982年以降のフォローになっておりまして。。。
Auvergne(ARG)(f 1913 Druid(ARG))
残念なことに、この一頭だけの掲載でした。真に忝く。
亜スタッドブックが血統検索でも始めてくれたら良いんですがねー。



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実は近代中国競馬史を始めています 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月11日(木)17時49分37秒 

インドではサラブレッド血統書が刊行されるようになるのが1940年代(記憶が正しければ)で、
競馬のが始まってから国内のサラの馬産が充実するまでに時間が掛かっているのに、
19世紀中ごろには洋種馬(サラ・アラ)による競馬が普通に行われていた感じがします。
同じくサラの馬産が行われなかった近代中国では、香港・上海・北京・天津・漢口など
すべての競馬場において初期の極一部の除きポニー種による競馬で一貫していたのですよね。
まぁこれに関しては幾つか理由は考えられるのですけど、
"居留地競馬と植民地競馬との比較”なんていう面でも、
インド競馬は興味がそそられる対象です。

>管理人さま
また調査をお願いします。母の生産国をヘルプです。
PETARADE (ARG) z. c. h. 1923, por Perrier (GB) y Auvergne.
GAYOLA (URU) z. h. 1932,por Schahrlar (ARG) y Giirom's Pride.
ORBEA (ARG) t. h. 1932, por Maron (ARG) y Oblicua.
これらはクリアドレス大賞の勝ち馬です。
Gayola は宇エスティミューロ大賞も勝っています。
Orbea がクリアドレス大賞を勝った時は、
ラモンビアウス(Ramon Biaus)賞の名で開催されています。



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インド競馬 投稿者:通りすがり  投稿日:11月11日(木)03時23分32秒 

タン馬場ってのは見なかったですね。
さんざん探したんだけど、現地の人も知らないと。
ウッドチップの元祖じゃなかろうかと興味津々だったんですが。
カルカッタのモンスーントラックはサンドベースの芝馬場です。
冬場に使う方はシーズントラックと言ってクレイベース。
プーナは1つの広い馬場の内側10mがサンドベースになってて、
天候によって内ラチを移動させてるみたいです。
面白いのはインドの競馬場にはポケットがないこと。
芝馬場の外ラチ際3mほどが砂になってて、そこでも調教が行われます。

あと、ジムカーナってのがありました。
正式な開催じゃなくて、馬主が乗ったり騎手の卵の小僧が乗ったり。
馬は最高級が競走馬引退後の廃馬で、乗馬やら馬車馬やらポニーやら。
場外馬券こそ売りませんが、場内ではブッキーもトートもありました。



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いや、しまった。 投稿者:魔春  投稿日:11月 8日(月)23時26分56秒 

Funny Cideは先天的にRidglingで、結局去勢したのですね。
何かであの馬がRidglingと読んでいたので(^^;;



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歴史は繰り返す? 投稿者:ふてき  投稿日:11月 8日(月)23時18分26秒 

>>Ridgling

と言うことは、オペで片抜きをした馬がそののち種牡馬としても成功した事例
ってのは案外少ないのかもしれませんね。
関係ないですが、人間の赤ちゃんが睾丸停留だった場合、原因によっては
生死にかかわることもある、と言う話は聞いたことあります。
案外怖い症状なんすよね。。。

>>インド競馬

100年前に○外・□外主体の競馬でアジア最高水準を誇っていたわけですね。
うーむ、100年後のドバイってのも見物かも知れません。

で、30年前の「世界の競馬と生産」をソースにして色々書くのもアレなんですが、
インドって競馬場がなかなか楽しそうな感じなんすよね。
芝馬場、砂馬場の他に雨季用のタン馬場(今で言うウッドチップコース?)を
備えたプーナ競馬場とか、カルカッタ競馬場のモンスーン馬場(これも似たものか?)
ですとか。



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いやいや 投稿者:通りすがり  投稿日:11月 8日(月)19時37分38秒 

遠征があった可能性は十分にありますよ。
今から100年前、カルカッタは間違いなくアジアの首都でした。
ウインブルドンやデヴィスカップで活躍した清水善造もカルカッタ在住でした。
この街はインドで最も独立運動の激しかった所ですが、皮肉にも凋落の主因は
独立だったと思います。ジュートの主産地が東パキスタンとして切り離されて
しまいますし、共産党が非常に強いのも・・・

昔のインド競馬は豪州競馬と同じで、各競馬クラブが年に1~2度の主開催
を持っていました。特に9月のプーナ第1及び第2、年末のカルカッタ第1、
新年のカルカッタ第2、2月のボンベイがメインだったと思います。
これらはシドニー、メルボルン、ブリスベーンの主開催とは重なりません。



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勉強します 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月 8日(月)18時54分47秒 

片方去勢 Ridgling > みなさまご教授ありがとうございます。
Ridgling で検索してみたところ、
森本氏が
http://www.bunkamura.ne.jp/mokichi-club/%5Eessay/morimoto/america/back
number/0046.html
と説明しておりました。
Monorchid や Cryptorchid などの区分もあるようですね。

カルカッタの総督杯の勝ち馬に数頭かオーストラリア重賞を勝っているものがいたので、
遠征があったのかなと推測したのですが、
>インドの馬主が豪州で生産して2~3歳時に使ってからインドに…
という流れでしたか。納得です。
同じ英国圏であったオーストラリアとインドとの競馬交流というのも、
調べていけば面白いネタがでてくるのかもしれませんね。
そういえば、ケニヤの競馬施行規定はカルカッタのを参考にしたと
記憶しています。ケニヤはイギリス上流階級の避暑地であったということですし、
ケニヤ-インド間の航路を通じて競馬が繋がりがあったとしても
不思議ではないのかな。
編集済



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ファニーサイドはセン馬ですね。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月 8日(月)16時45分37秒 

APインディは自然な状態で片方の睾丸が鼠蹊部に上がってるようで。
人工的に片方だけ切除したのは睾丸ガンに冒されたブラッシンググルームの例が
ありますが、あれは繁殖から引退した後だったと思います。

インドに豪州から遠征という話はあまり聞きませんが、インドの馬主が豪州で
生産して2~3歳時に使ってからインドに持っていく例はあったと思います。
基本的にインド競馬のトップクラスは19世紀は豪州産サラ系の時代ですね。
20世紀に入るとイギリスから買ってきた馬が主流、1960年頃から内国産。
子細に調べるとe.g.とかe.m.とあっても今世紀初頭は意外にアメリカ
産馬が多い。賭博禁止で大量安価にアメリカ馬が欧州に流れた時代ですから。
1920年代にはフランス産馬が増えます。第1次大戦後フランの価値が暴落
した影響でしょう。ヘミングウェイあたりが(本国では)安月給なのにパリで
豪遊できた時代です。

ところで欧米の国際レースに初めて出走したアジア産馬は今のパキスタンで
生まれてたりするのですよ。



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Ridgling 投稿者:魔春  投稿日:11月 8日(月)10時02分32秒 

というんでしたっけ? >カタキン
丁度ボスラ師のはてなで話題になってたですが。
主に睾丸の疾病(タマが体内にめり込んでる状態など)で片方だけ取るみたいな
ものらしいですが、有名どころではA.P.IndyとかFunny Cideとかがそうであっ
たと見た記憶が。
当然これらの馬がそうであるように、基本的には牡馬扱いですな。


英領印度へ 投稿者:ふてき  投稿日:11月 8日(月)08時46分37秒 

オーストラリアの一線級が遠征していたってのは全く知りませんでした。
恐らくこれも馬主つながりということなのでしょうけども。。。
当時はインドの賞金水準がそれなりに高くって、豪印間の輸送海路が
安定して確立していたと言うことでしょうか。

「片方だけ去勢」したってことは生殖能力を残す意図からなんでしょうね。
国によって微妙な違いはあるかもしれませんが、基本的には「牡馬」に準ずる
(と言うかほぼ牡馬同様の)扱いを受けるんじゃないかと。
もし完全なセン馬にされていたら当該競走をはじめ3歳クラシックなどの有力競走に
出走不能だったのかもしれませんし。特にペルー辺りですと。



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疑問 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月 8日(月)00時08分38秒 

インド競馬などはイギリス統治下時代にはオーストラリアから一線級の馬が
遠征に来ていたようですし、レベルも高かったのではと推測しています。
現地に行ったらインド競馬史本などは売っているのかな?
概略でもいいから知りたいものです。

話は飛ぶのですが、1989年のペルー Seleccion de Potrillos(2歳牡馬のチャンピオン戦)
の勝ち馬 Orizzonte の性別を確認したところ、"Castrado (Unilat.)"とありました。
「片方だけ去勢」ということだと思うのですが、これって性別はどう扱われるのでしょう。
他にこのような事例があるのかな????
編集済



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感謝です 投稿者:ふてき  投稿日:11月 5日(金)21時22分51秒 

ざざざっと目を通してきました。>トルコの深い事情

興味ある分野の関連から入ると、高い敷居も案外気にならないもんです。
実は当方、ガッコで「世界史」に触れたのが遥か25年前まで
遡れちゃう門外漢なもんでして。
これって恐らくこの界隈の血統ヲタ、競馬史ヲタの中では特異な経歴なんじゃないかと。

#メンディサバル騎手、来日しそうですね。

Fastnet インド入り後の顛末記、ありがとうございます。
ドサージュ評価は難解ですが、リアルな実績から垣間見える「距離適正」は
「2400mを頂とする富士山型」というところなのでしょうか。

pedigreequery はネットの利点を最大限に活用したシステムとは思うです。
巨大化した今なら古今東西競走成績のDB化ってのも夢じゃないんじゃないでしょうか。



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この板に来て初めて知ったわけですが 投稿者:通りすがり  投稿日:11月 5日(金)20時00分44秒 

www.pedigreequery.com というサイト、勉強になりすぎて怖いですね。
ファストネットを探ったらQE2Cを勝ってると(当時は Viceroy's Cup ですが)。
慌てて調べたら確かにそのとおり。てっきり Mas d'Antibes が3連覇したと思ってた。
下の方で書いた Goldfinger を含め、只今全世界に誤情報を発信中です。

米国で競馬賭事禁止の頃欧州で生産所有する大馬主が多かったんですが、
中にはその後も続けてた人がいてジョセフ・ワイドナー氏もその一人。
ファストネットは同氏の生産馬でフランク・カーター師に調教されましたが、
同師の死によりエドワード・エスモンズ氏に売られたようです。
同氏の兄弟にデヴィッド・エズラ卿がいるので英国人でしょう。
インドでは5戦2勝。実にわかりやすい成績を残しました。
1937.12. 4 Calcutta Wellesley Plate   10f 4th
1937.12.18 Calcutta Coronation Cup    8f unplaced
1937.12.27 Calcutta Viceroy's Cup    14f 1st
1938. 2. 5 Bombay  Eclipse S. of India 10f 3rd
1938. 2.19 Bombay  C.N. Wadia Gold Cup 12f 1st
この後馬主が持つモルトフォンテーヌ牧場で種牡馬になりましたが、
当時の年鑑によると場主がカーター師なので牧場ごと買ったのでしょう。



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近代チュルキエ 投稿者:魔春  投稿日:11月 5日(金)09時58分52秒 

要するに、現在のアナトリアを根拠とするトルコの独立に関しては、
このアタチュルク評伝などが参考になろうかと思われます。
http://ww1.m78.com/topix-2/kemal%20statesman.html
あと、Wikipediaのトルコ情報はなかなかこだわりの逸品ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

通りすがりさま>
> そのココロはガジ=ケマル・アタチュルクなんだとか。
アタチュルク賞が何でないんだろう、と思ったらそういうことでしたか。




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正直言って 投稿者:ふてき  投稿日:11月 5日(金)08時57分40秒 

トルコ近代史を全然知らなかったわけで。。。
しかしこうやって秘孔をピンポイントで突くようなイニシエーションを受けると
俄然興味をかき立てられますね。
とりあえずどっかのサイトで基本の基本を学んできまする。

インドへの出稼ぎ馬には他にも大物がいたような気がしたのですが、
どうしても思い出せませぬ。思い違いだったか。。。

Aboyeur は痕跡は細いものの東欧圏に残ってるようですね。
NAGRODA WIELKA WARSZAWSKA というポーランドの競走の勝ち馬 Fatima のBMSとも
なっているようで、そこからの牝系も波に土着し現存してるようです。
Craganour の一方的な勝利に終わったわけじゃなかったんだぞ、と。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=FATIMA13&g=5&p=0&f=1&l= 



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世界的には 投稿者:グル・アガ  投稿日:11月 4日(木)23時28分17秒 

インド競馬の方が影響があるようです。競走体系とか全然知りませんが、
Dark Legend や Fastnet のようにインドで走って英仏で血を残した
馬がいます。出稼ぎだったのかもしれません。ちなみにドサージュでは
Fastnet の血統構成は何と評するのでしょうか、少々異様な構成です。

イノニュは個人的にも興味ある人物ですが、やはり情報不足は否めませぬ。
ケマルの副官としてギリシア軍と戦い、敗戦国トルコを滅亡の危機から救って
後継者となったわけですが、第二次大戦後は立憲制を導入して軍人大統領から
政党(共和人民党)の党首に転身。選挙で敗れるときちんと憲法に則って
政権を明け渡し、のちに合法的に首相に返り咲いています。ケマルがいかに
偉大でも、この変わり身は(ケマルであるが故にかえって)できなかったと
思います。

今まで調べたことがありませんでしたが、Minoru とともに露西亜革命に
巻き込まれて行方不明になった Aboyeur には少数ながら子孫がいて、
母方で血を残していたんですね。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=ASZBESZT&g=5&l= 



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土ダービーはガジ競走 投稿者:通りすがり  投稿日:11月 4日(木)22時20分35秒 

なわけで、ガジってトルコ語で戦士を意味するそうですが、
そのココロはガジ=ケマル・アタチュルクなんだとか。
イスメット・イノニュは初代首相にして第2代大統領ですけど、
やはり独立戦争の英雄という色彩の方が強い人物ですね。
1イノニュ競走とか2イノニュ競走ってのもありますけど、
これも独立戦争時の第1次イノニュ戦役、第2次イノニュ戦役のことで。
カルディランは地名ですけどセリム1世がペルシャ軍を破った古戦場。
どうも戦闘的ですね。



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自分のような 投稿者:ふてき  投稿日:11月 4日(木)22時03分43秒 

翻訳サイト頼みでやってる人間は自然と足も遠ざかりがちに >トルコ語サイト

#土×英の変換サイトだったら確実にあるんでしょうけど。。。

「世界の競馬と生産」を読み返していたのですが(トルコは僅か2ページ!)、
意外と言うかトルコ近代競馬の歴史って浅いものだったんですね。
20世紀初頭が起源になるそう。
その黎明期に、英ダービー馬の Minoru が歴史の悪戯か何かで露西亜から転入し、
かの地で種付けも行なったものの、さしたる成果は残せなかった、とあります。

これは今更ながらの初発見でした。
グルの父系表でも「露革命で行方不明」と言うことでしたし。

いやぁデルマに Minoru のトルコ産が1頭でも登録されてれば大喝采だったんすが。



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トルコのレース 投稿者:魔春  投稿日:11月 4日(木)18時41分3秒 

レース名が全然翻訳できないので、どういうレース名がどういう意味なのか
全然分からなかったり。何かイスメト・イノニュ賞とかある辺り、結構人名
由来とかもあるのかなぁと妄想したりもしますが。


トルコとインド 投稿者:ふてき  投稿日:11月 3日(水)23時22分24秒 

最近はネットなんかでもチラチラとニュースが入るようになりましたけど、
その規模や歴史を鑑みるとまだまだ情報過疎な状況にある思うんすよね。
自分なんぞ両国ともにぼんやりとした輪郭程度しか掴めてませんし。

簡単な名馬紹介程度でも大満足なんで、いつかどこかの媒体で出会えないかな、
などと妄想しております(単なる独り言)

最新版頂きました。>グル
間違い探しなどは随時そちらに。



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インドといえば 投稿者:グル・アガ  投稿日:11月 3日(水)22時10分4秒 

例のザテトラーク末裔も最後の砦を死守してるらしいので、情報が欲しいところですね。
インド駐在邦人に Wilde Katze 師みたいな血統ヲタおらんかな (^^;

Topspin は Brisnet に出てましたが、東海道新幹線は見あたらず。
それから父系表更新しました。別に大きく変わってはいませんが、最近は Mozilla を
常用するようになったので、表示が崩れないように若干手直し。肝心のコンテンツは
日高軽種馬農協のセール資料(千頭以上)を使って公営馬を追加してるのと、あとは
クラ軍団関係が加わった程度でしょうか(笑

初期ヘロド系ページのリンク先画像と、「無知と狂信が世界を救う!」の元ネタは
ブラックな笑いを好む人にとってはニヤニヤ物かも。



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TUNKUTは歴史的名馬でした。 投稿者:通りすがり  投稿日:11月 3日(水)20時43分0秒 

ボスポラス杯、大統領杯、首相杯、ジョッキークラブ杯を各2勝。
古馬になってどんどん強くなり2400mで大活躍でしたが、
その父系がまだ続いているのは驚きです。
今トルコ・ハイペリオンと言えばこの馬ですかね。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=check&search_bar=horse&h=islambol&g=5&inbred=Standard&x2=n
2歳重賞勝ちまくり土2000ギニー、トプカピ国際も勝ってます。
近年を代表するマイラーの1頭に違いありません。
でもトルコは日本なんか問題にならないくらいの舶来崇拝ですから・・・



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いえいえ 投稿者:ふてき  投稿日:11月 3日(水)19時37分33秒 

再確認していただき恐縮でございまする。

ゴールドフィンガー関連でデルマを彷徨っていたら偶然ヘンな馬を発見しますた。
来年出生予定?で既に命名もされてます。
おまけに例のトルコ土着ハイペリオンですし。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=FLOWERGOLD&g=5&l= 



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ご指摘のとおり! 投稿者:通りすがり  投稿日:11月 3日(水)19時12分11秒 

誤情報流してすみません。えらいこっちゃ。
GOLDFINGER (IND) b.c.1963, State Trumpeter - Aconite
GOLDFINDER (IND) ch.f.1970, Hakuchikara - Lovely Dream
これが正しいゴールドフィンガーとゴールドファインダーですね。



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早速 投稿者:ふてき  投稿日:11月 3日(水)18時31分12秒 

頂戴しました情報をデルマに打ち込んだのでご確認ください(牝系情報のある3頭のみ)。
不明個所も多数あり、競走名のスペル・性別など推測含みですので
事情通の方は是非ともエディットをば。

ゴールドフィンガーと思われる馬はサラブレッド血統辞典、BRIS.NET ともに
Goldfinder となってるようなのですが、真相は如何なんでしょうか。
とりあえず finder の方で登録しました。

にしてもインド関連のデルマ登録状況は芳しくないっすね。
ハクチカラの産駒ですら一頭も名前が無かったです。
印度人血統ヲタのオルグが急務でしょうか。

http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=GOLDFINDER4&g=5&p=0&f=1&l=
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=KAGAWA&g=5&p=0&f=1&l=
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=TOPSPIN2&g=5&p=0&f=1&l=



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>円卓の上の靴 投稿者:通りすがり  投稿日:11月 3日(水)13時18分10秒 

ハクチカラの最後の2戦はデラウェアパークですね。

インドでは
ゴールドフィンガー(カルカッタオークス)
カガワ(セシャドリプラムプレート)
トーカイドーイクスプレス(カルカッタGC、カルカッタセントレジャー、
 グランドアニュアルH、ネパールGC、マドラスレースクラブC)
トップスピン(ブータンGC2回、カルカッタダービー、カルカッタセントレジャー、
 ガヴァナーズC、ヒリアードC、バードワンC、ネパールGC)
なんかを出したようです。



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ゴール前で 投稿者:ふてき  投稿日:11月 3日(水)11時04分37秒 

亜オノール馬 Anisado の猛追を辛うじて凌ぐ姿は当時リアルで御覧だった方にとって
さぞやアツイものだったのでは、と。

履歴を顧みると、基本的に西海岸芝サーキットが主舞台だったということになりますか。
しかし勝負にならなかったとは言え Gallant Man や Hillsdale ら当時のダートの
スーパーホース達にもぶつけているんですから、それなりに見所があり期待されていたのも
確かなんでしょうね。

#保田さんとアーキャロ騎手は親交があったそうで。



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円卓の上の靴 投稿者:グル・アガ  投稿日:11月 3日(水)07時16分6秒 

この表から読みとれるのは、最初は保田隆芳騎乗でダート戦を使ったが
大敗続き。アーキャロに乗り代わってターフを走ったら勝負できるよう
になり、条件に恵まれて大金星をあげる。あとは燃え尽きたのかマーク
がきつくなったのか、押せど叩けど動かなくなった、というまことに
分かりやすいお話ですね。アメリカで1年に17回出走というのも凄い
ですが、大敗したラウンドテーブルのそれからの立て直しも凄いです。
http://csx.jp/~ahonoora/haku_chikara.html
http://csx.jp/~ahonoora/round_table.html

父系表は更新が遅れてますが近日中に (^^;
http://www.jra.go.jp/50th/flash/50horse/17.html 



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ザ・シュー 投稿者:ふてき  投稿日:11月 2日(火)21時16分4秒 

当時は主催者にも熱意があって、体力もまだそれなりに残っていた
というところでしょうか。

全然関係ない話ですが、先週のグリーンチャンネルでハクチカラの
ワシントンバースデイハンデの映像を初めて見ました。
レース内容自体は軽ハンデ馬の典型的好走パターンとも言えるかも知れませんけど、
にしても単なるフロックで逃げきれるコース・距離じゃないってのもまた一理でしょう。

あん時の Round Table の鞍上がシューメーカー騎手だったかどうかは
全然定かじゃないのですが、何げに細ーいつながりがあったんで。


シューメーカー 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月 2日(火)19時40分58秒 

早速の調査、ありがとうございます。

GP.de Las Americas ですが、お気付きかもしれませんが、
1969年の勝利騎手がシューメーカーです。
名騎手が国際フェスタに騎乗にきたようで、
カルロスP大賞では Snow Sporting に騎乗して5着となっています。

Elite は当時の亜を表すような血統構成ですね。
調教師Juan Lapistoy、騎手Juan P. Artigasの首位調教師&騎手のコンビで
1954年の雨の中の亜1000ギニーを制しています。
ちなみにこの年の亜ダービーが泥んこレース、
ハワイアンイメージの皐月賞みたいなドロドロのコースで、
写真を見るとコースが川となっているのが確認できるほどです。



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限定品 投稿者:ふてき  投稿日:11月 2日(火)18時44分51秒 

頂きました。感謝です。まずは取り急ぎお礼まで。
しかしこの競走もご多分に漏れず名称変更が喧しいんですね。

亜関係一段落ですか。一息つけそうでなによりです。
伯関係は例の依頼分を放置したままで申し訳なく。
代わりにもならんですが、FT照合作業でしたら
いつでもOKですので、お気兼ねなく。
ということで、

La Guapa(ARG)(b f 1923 St.Wolf)

となっておりますた。

エンサーヨ勝ち馬は牝系が亜の名門らしく、4代母 Elite がかなりの名牝のようですね。
Harlan(USA)1989 なんかも同門になるようです。
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=ELITE2 



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亜の主要G1はほぼ整理できました。 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月 2日(火)16時26分38秒 

多くの偽G1競走は、距離・条件・勝馬だけの整理で逃げます(^。^)

で。今日はパレルモのマイル国際です。
相変わらず赤色(情報不充分)の個所が多い。
今日限定の品ですので必要な方は保存をしてくださいませ。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/arg08.pdf 



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本命クラッシュ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月 2日(火)14時31分19秒 

世界で最も困難な3冠の初戦は We Can Seek の大敗という結果ですか…。
次戦にセントレジャーに遠征するクラブイピコ組は期待できそうにないなぁ。

ちょっとヘルプを。
1933年の亜オノール大賞馬GUAPITO(ARG)1929の母La Guapa の生産国はわかりますか?