2005年3月





「趣味の競馬」の前身でしたか  投稿者: ふてき  投稿日: 3月22日(火)23時29分37秒 

ということは史料価値的にも申し分なし、ということになるのですかね。
いや、勿論どちらも目にしたことはないのですが(笑)

ここ↓辺りで検索してみても、引っかかるのは熊本県立図書館のみです。
やはりかなりのレア本なんでしょう。 
http://unicanet.ndl.go.jp/psrch/redirect.jsp?type=psrch




疑問やや解明  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月22日(火)22時07分37秒 

『趣味之競馬』第1巻第2号(昭和11年2月刊、第1号は不明)

尚従来『馬事之友社』発行の予想は本年から『趣味之競馬社』の予想として発行致しま
すから御承知の程願ひます。
馬事之友社と趣味之競馬社は発行人が同一人でありますから、本誌創刊と同時に馬事之
友社を解消し、趣味之競馬社に於て総てを継承することに致しました。
過去十年の永い間、御背顧を賜りました馬事之友社の名は昨年限り解消し趣味之競馬社
が相続したのでありますから、何卒おやぢ同様御支援と御鞭撻をお願ひ致します。

驚いたのは同じ号の南満競馬協会総会記事の中に、旅順競馬倶楽部という文字があった
ことで、全く聞いたことがありませんでした。協会の会員は大連競馬倶楽部・奉天競馬
倶楽部・安東競馬倶楽部・金関産馬協会・撫順競馬倶楽部・旅順競馬倶楽部・鞍山競馬
倶楽部、オブザーバーは奉天国立賽馬場・新京賽馬倶楽部、招待者は関東軍・関東局・
満州国・満鉄、総会の会場は新京ヤマトホテルでした。 




おはようございます  投稿者: ふてき  投稿日: 3月13日(日)12時24分21秒 

動画に関してはうちのパソの問題が大きいんじゃないかと。
どこかで性能良いのを入手できたら、動画コレクションもいいかもですね。
まぁいつになることやら、ですが。

今日は長雨も上がり馬場も回復したのか「ノーマル」発表でした。
時計も57秒台なら水準以上だったといえるのでしょうか。

そういえば現地にシェイク・モハメドのエージェントが来てたらしいんで、
もしかしたら勝ち馬がそっち方面に流れていく可能性あるのかも。 




ねむい・・・  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月14日(月)02時50分49秒 

スタートは7時近かったですね。ラティノ大賞を見て再び布団に入りました。
ラティノの生中継ですが、僕のほうは画面が止まることもなくスムーズに見れたけどな。。。。
ペルーの競馬チャンネルは非常に面白いですよ。頻繁に名馬物語や他の南米各国の重賞年鑑を
放映したりしてますしね。昨日はチリの2004年重賞回顧も放映していました。
時々みると暇つぶしになっていいです(^-^)

Don Incauto は抜け出してから強かったですね。チリ勢の追い込みが凄かったですが、
直線の長いサンイシドロで届かないのだから完敗でしょう。
バルディビエソはSavage Toss 以来2度目の勝利ですね。
今回は芝の適正が強く結果に反映したと言えそうです。
ウルグアイ勢は・・・来年は地元開催ですから(^-^)


Grey Terrorの母系ですが、今のところそれ以上の情報はありません。
また調べて改めて報告します!
編集済




仕様が変わったのか  投稿者: ふてき  投稿日: 3月13日(日)10時09分16秒 

生年不明馬を複数紡ぐ形で追加することが出来なくなってるようです。
ひとまず断念。 




母系どうも  投稿者: ふてき  投稿日: 3月13日(日)07時10分23秒 

後ほどわかる範囲でデルマに入れときます。

レース見ました。紙芝居風味になりつつ。
ドンインカウト楽勝でしたか。チリ勢はその後ですね。

ペルーのアレはグリーンチャンネルっぽい構成っすね。
重賞リプレイとか名馬物語的なのとか。
ラティノ特集見逃したのは痛恨でしたよー。

#流石にペルーではラミシレーラの単勝が売れてましたね。2番人気でしたかな。 




Grey Terror の母系  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月13日(日)00時54分5秒 

例に漏れず、また手抜きをしてしまいました(^-^)
下記の情報まで血統記載されていました。

          Saint Simon
    Simonburn
          Saint Helen
Pokotynka
               Springfield
          Arrandale
               Morgiana
    San Marino II
               Carnelion
          San Marino
               Seduction

暇なんで、ずっとペルーの“Turf TV”を見ています。
一時間ほど前からずっとラティノ大賞史を放映していますよ。
第1回は写真でしたが、第2回以降のレース映像をすべて流していました。
実に興味深いです。今やっと去年のラティノ大賞まで来ました。
今の馬場入場を流しているので、その間に書き込みしておきます。
では、寝坊せずにラティノ大賞を見ましょう!

そうそう回線は今のところは快調ですよ。この調子で本番のレースもいってほしいです。 




ありがたく頂戴します  投稿者: ふてき  投稿日: 3月12日(土)20時09分50秒 

Eminence Grise と言うのは La Sagittaire の兄弟馬のようですね。
生年は判別できなかったですけど。FTにも記載いですし。。。
Simonburn の方はFTにありました。
Simonburn(GB)(b c 1891 St.Simon out of St.Helen) ですね。
牝系はちょっとお手上げっぽく。
ひとまず父系がわかっただけでも大収穫ですよ。感謝感謝。
期せずしてロイヂュールと同一父系。経典見てて気付かされました。

ラティノ中継はペルーかチリでしょうね。テレトラックでも中継あるそうです。
ただアクセス殺到するんで満足に視聴できるかどうかは微妙な気が。
ペリェグリーニの時もまともに見れなかったんすよね。
発走は日本時間の朝6時半(ですよね?)なんで、目覚ましかけて一旦寝るつもりです(^_^;) 
http://diario.elmercurio.com/2005/03/09/deportes/hipica/noticias/B1646C79-23D4-4E60-87A8-2BF4D57F9E0F.htm?id={B1646C79-23D4-4E60-87A8-2BF4D57F9E0F}




今日のラティノ  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月12日(土)19時25分44秒 

今日のラティノ大賞ですが、ペルーの“Turf TV”で生中継しないですかね?
というか、今日のモンテリーコの番組表に第7競走にラティノ大賞が組まれているので、
確実に生中継すると思います。

今日の夜は暇にしているので、ネット中継することを期待して待ってみます(^-^)

ネットで生中継が見えると言えばパレルモのTVもありますが、
サンイシドロ開催なので、さすがにラティノ大賞だからといって中継はしないですよね。。
編集済




話は遥か遠くに飛びますが  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月12日(土)17時56分1秒 

Guru 氏はこちらのBBSは見ているかな?
以前から不明だった1924年のソ連ダービー馬 Red Terror の父親 Grey Terror の父系ですが、
当時のあるフランスの資料にロシアの記事がありまして、
そこにGrey Terrorのことが書かれていました。
おそらくこのGrey Terror で間違いないかと。


        Le Sancy
   Eminence Grise
        La Dauphine
Grey Terror 1914
        Simonburn
   Pokotynka
        San Marino II

Le《Grand Handicap de Cloture》 autre epreuve importante de la saison 
a ete gagne facilement par Gray Terror cheval gri age de 8 ans 
par Eminence Grise (propre frere de La Sagittaire) et Pokotynka 
par Simonbun et San Marin la gagnante du Cesarevitch a Moscou. Grey Terror 
qui avant la revolution appartenait a M. de Weliaminoff 
a ete un cheval tres utile. 
Il a remporte une dizaine de victores presque toutes sur de courtes distances ce cheval etant atteint dans ses voies respiratoires. Grey Teror a ete tres favorise par le terrain lourd de la journee tettain qu'il a toujours affectionne. Le deuxieme du handicap 
Cocasse est fils de Carbineer et Ladorna 
qui est demi-soeur de la mere de Maintenon 
le grand etalon du Quesnay Sirocco fils de Cicero 
etait troisieme et Ossovetz 
un ils de Palmiste (vainqueur du Derby francais en 1897) non place.
編集済




ありそな話で  投稿者: ふてき  投稿日: 3月10日(木)22時24分9秒 

ロイヂュール産駒を並べてみるとサラブレッドが大半ですよね。
たまに出てくるサラ系産駒なんかも有名なホーエイの系統だったりとか。
そういう背景を考えると「来陽」なる内洋馬が本来サラブレッドの
「第何サイレニス」で、何らかの理由で素性を偽った上ロイヂュールを
付けたという可能性も一概に捨てきれないのでは、と。

素人考えではありますが。 


本日もローテクなり。  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月10日(木)19時51分31秒 

メールの仕方も知らず。まあ現物に当たってみます。

ところで旧帝室御賞典最後の拝受馬タイシは昭和12年春札幌の新馬で
2戦目に古馬を破って御賞典を勝ったわけですが、当時の雑誌に3歳時
北海道の地方競馬で評判で4歳になって南関東でも活躍、帰道して江別
競馬を叩いてから公認デビューという経過が書かれていました。血統は
父内サラ・エミグランド、母内洋・マルコ(父サラ・ロイヂュール、母
内洋・来陽)。ところが続秀太郎氏が来陽は早くに民間に流出した奥羽
種馬牧場産のサラブレッドで父インフォーメーション、母サイレニス、
従ってタイシはサラブレッドだと『馬の世界』に書いているのです。

サイレニスは血統書第1巻に載っていないので奥羽種馬牧場の繁殖台帳
を点検しました。該当する馬はいません。サイレニスがインフォーメー
ションと交配されたこともない。何らかの勘違いという可能性もありま
すが、むしろ続氏が聞いたことをそのまま書く人だったかと。 




まとめということで  投稿者: ふてき  投稿日: 3月10日(木)17時31分24秒 

ハアリーの主要産駒を「歩み」から抜粋してみました。

第二ハアリー(ハアリー)(1907)アア、ハアリー×パレード(ミグノン)
2着帝室御賞典(東京)
2着帝室御賞典(横浜)
3着帝室御賞典(横浜)
3着帝室御賞典(東京)

第六ハアリー(1908)サラ系、ハアリー×サガシチー(ミグノン)
2着帝室御賞典(東京)

産駒として馬名索引に出てくるのは上記2頭だけでしょうか。
BMSとしては

グードホープ(f1915)サラ系、ブラマンテー×ブランチエー(ハアリー)
2着古呼馬特ハン(中山)
3着帝室御賞典(東京)

ラクトーゲン(1923)サラ系、イボア×第二筑波(ハアリー)
1着抽籤馬特ハン(京都)
1着抽籤馬特ハン(小倉)
1着抽籤馬特ハン(小倉)
2着抽籤馬特ハン(阪神)
3着抽籤馬特ハン(小倉)

ダイヤアプリ(1925)サラ系、ダイヤモンドウヱツデイング×第二アブリアル(ハアリー)
1着新潟特別(新潟)
1着各古馬特ハン(新潟)
2着福島特別(福島)

ロール(f1926)サラ系、ローヤルメツセンジヤー×第二ウワイルドローズ(ハアリー)
1着障害特ハン(宮崎)
2着障害特ハン(阪神)
2着障害特ハン(阪神)

マドンナ(f1927)サラ系、ペリオン×第二筑波(ハアリー)
1着帝室御賞典(札幌)
1着各古馬特ハン(札幌)
1着各古馬特ハン(新潟)
1着障害特ハン(中山)
1着障害特ハン(京都)
2着各古馬特ハン(札幌)
2着障害特ハン(阪神)
3着各古馬特ハン(札幌)
3着障害特ハン(東京)
3着障害特ハン(中山)

イプソム(1928)サラ系、ダイヤモンドウヱツディング×第二アルバーチナス(ハアリー)
3着帝室御賞典(函館)

マスト(f1930)サラ系、クラツクマンナン×第二筑波(ハアリー)
2着抽籤馬特ハン(新潟)

クラックハアリー(f1933)サラ系、クラツクマンナン×第二筑波(ハアリー)
2着新馬特ハン(札幌)

この位の成果をあげたようです。 




情報頂きます  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月 9日(水)12時06分47秒 

ハアリー問題は解決ですね。これまた謎が一つ解けました。
別の"Morna" がいると推測したのは的外れではなかったみたいで(^-^)
ホントに文殊の知恵です。みなさんの情報も良いところ取りで、
今回も頂いておきます。

『馬事之友』などの雑誌は大陸には残っているのかも。
一度、図書館などの蔵書を確認する必要がありますね。。
朝鮮や台湾でも、知らないだけで競馬雑誌が存在したのかもしれませんね。 




ハアリーの情報ありがとうございます  投稿者: あべちゃん  投稿日: 3月 9日(水)06時59分57秒 

Fair Rosamond がこんなにあっさりと判明するとは、思っておりませんでした。
サラ系などと疑ってしまいましたが、本当にサラ系だったら、スプーネーのように
昭和初期に「濠洋」に訂正されていたでしょうね。

『馬事之友』ですが、コピーのコピーでよろしければ、お送りいたします。
送り先など、メールでご連絡ください。
# ご期待に添えるようなモノではないかもしれないし、またこの図書館の競馬関係の
# 蔵書は、まったくと言っていいほど充実しておりませんので。




解決しましたかね  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 8日(火)20時56分8秒 

Fair Melrose はここに出てくる Newminster 産駒で登録しときました。
http://www.bloodlines.net/TB/Bios/Thormanby.htm

当時の上級ファミリーですかね。半兄に2000ギニーの Lord of the Isles とか。

アメリカやオーストラリアのその手のエピソードには裾野の広さ深さの違いを
痛感させられます。ホビーレベル層が最底辺を担うピラミッド構造って健全だと
思うんですよね。なんとなくですが。 
http://www.pedigreequery.com/harry6




前言はすべて撤回します。  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月 8日(火)19時31分38秒 

思いつきで書くと恥を掻く好例ですね。しかし、お蔭で真実が見えてきました。
豪州血統書第4巻に FAIR ROSAMOND (imp.) の繁殖記録があり、確かに1887年に
鹿毛の牝駒を産んでいます。ハアリーの血統表記が途中で変わったのは日本側から
AJCに問い合わせをしたからでしょう。だからその牝駒が MORNA で間違いないと
思います。この頃の豪州血統書は名前のない産駒だらけですよ。おそらく登録なんか
しなくても困らないクラスの馬主や生産者が大勢いたんじゃないでしょうか。モルナ
もサラブレッド競馬じゃなくてポニー競馬に出て、登録されないサラブレッドを毎年
産んでたんじゃないですかね。
FAIR ROSAMOND by ROSICRUCIAN out of FAIR MELROSE by NEWMINSTER

アメリカにも南西部を中心にジョッキークラブではなく米国クォーターホース協会に
登録されてクォーターホース競馬に出ているサラブレッドが結構いますよ。

『馬事之友』
すごい情報ありがとうございます。全く知りませんでした。
九州へ行く機会があれば読んでみたいと思います。 




ありがたき幸せ  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 8日(火)16時20分25秒 

早速教えていただいた父母に修正しました。感謝です。

確定ではないのでしょうが、一応その線で話を進めますと、
父の Correze がAJCセントレジャー馬、母父の Sardonyx が
名馬で名種牡馬の Nordenfeldt 半弟となりますね(父系表@GURUをフル活用)

やはりサラブレッドだった可能性の方が高いんじゃなかろうか。
そんな印象を受けたのであります。 
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=HARRY6&g=5&p=0&f=1&l=




『馬事之友』です  投稿者: あべちゃん  投稿日: 3月 8日(火)06時24分19秒 

この雑誌のコピーは例によって行方不明なのですが(^^;、たしか『馬事之友』だったと
思います。
熊本県立図書館にありました。
書名からは大連競馬どころか、競馬関係の雑誌とも思えませんけど。
http://www.library.pref.kumamoto.jp/cweb/servlet/search.detail_list?tilcod=1008910008367

ちょっと出遅れましたが、ハアリーの件です。
『馬匹血統登録書』で父ハアリーの血統表を見ると、第3巻までは「コレージ、モルナ」
なのですが、第4巻(第三アブリアルの父)では以下のように書かれています。
(第5巻以降は調べていません)

    Newminster 1873
  Correze 1887
    Ouida 1878
Harry 1900
    Sardonyx 1878
  Morna 1887
    Imp. Fair Rosamond 1875

1887年生まれの母 Morna がオーストラリアのスタッドブックのサイトで見つからない
ので、本当はサラ系なのかもしれませんね。
でもその母 Fair Rosamond に“Imp.”の記述があるので、英国あたりからの輸入サラ
だと期待したいのですが、私がわかる範囲では1875年生まれの Fair Rosamond という
馬も見あたらないので、結局この牝系は怪しいです。
いちおう参考程度にしておいてください。




『趣味の競馬』ですか?  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月 8日(火)02時14分3秒 

それとも全く別の雑誌? どこにあるんでしょう。
福岡県立図書館・市立図書館には競馬雑誌はなかったと思います。

営口競馬というのは日本の競馬関係者が臨時にやった競馬ですから・・・
2回目も企画されたけどポシャったんじゃないかな。

満州国の競馬場はなぜか阪神を極端にしたようなおむすび型の
トライオーバルがデフォだったみたいです。 




資料って  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月 8日(火)01時00分44秒 

営口競馬の番組表ですか。非常に心そそられます。
資料はどこに残っているのか分からないものですね。
営口競馬は満洲国のころには既に行なわれていなかったようですね。
いつごろまで続いていたのかな。興味が尽きません。

以前、"あべちゃん”が地元の九州の図書館で見つけた大連競馬の専門雑誌の
全コピーを送ってくれました。非常に充実し内容の雑誌なのですが、
地域の図書館の所蔵らしく、この雑誌はネットの所蔵検索では引っかかりません。
なぜこんな雑誌がそんなところに所蔵されているのかわかりませんが、
あるところにはあるのですね資料って。
お宝資料はまだまだ人の目に触れないところで眠っているのでしょうね。

帝室御賞典史の本はですか!まさかJRAがそんな本を出版するとは思いませんでした。
JRAはことさらJRA創設以前の競馬史整理には感心がないように思えたので。。。
大いに期待です! ただ血統情報はどうなのでしょう。
JRAの編集者がコアな調査するかなぁ?表立った血統資料のみしか当たらないような気がする。
日本のサラ血統書にしたって第1巻には疑わしい部分があるにも関わらず、
再調査・訂正ということは聞きませんし。。。
こういう本はむしろ外部の研究者に依頼して、JRAは資料集めを全面的に協力すると
いったほうが良いものを作れるような気がします。
JRA関係者がどれほど当時の帝室御賞典について理解しているか疑問ですしね。
でも出版されるからには期待してしまいますね。

JRAは移転を重ねるごとに古い資料を散逸させてしまったと聞きますが、
まずはそうした資料を探す努力などもしてほしいものです。




営口  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 7日(月)20時27分52秒 

この場所だったら一行が海路で移動するにしてもそれなりに都合が良さそうです。
しかし当時の関係者のバイタリティーには目を見張るものがありますなぁ。。。

御賞典本は期待大です。
果たしてエクウス辺りに行けば閲覧できる類の書になるのやら。

インドの父なし仔誕生話はいーかげんな種付け作業が主因でしたか。
インド的な達観した性文化でも背景にあるのかと邪推しておりました。


#Gigli 惜しくも空き巣に失敗!残念! 
http://www.equibase.com/premium/eqbChartResultsDisplay.cfm?TRK=GP&CY=USA&DATE=03/06/2005&STYLE=EQB




盛岡の一條家秘蔵の資料に  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月 6日(日)23時42分37秒 

営口競馬の番組(全レースの結果が鉛筆でメモされている)がありました。これ
明治42年のウラジオストク日露大競馬会に味を占めて大正2年に行われ、日本
から馬・馬主・騎手・ファンが渡航して馬券を楽しんだものです。営口について
は下記のサイトが詳しいですね。競馬場は載ってませんけど。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/sokaimodoki.html

今年末にはJRAから帝室御賞典史の本が出るらしく、初期の御賞典拝受馬の
血統もかなり明らかになるのではないかと期待してます。
血統不詳の大部分は自由恋愛というより血液検査による親子関係否定なんです
が、埼玉県で2頭の牝馬を持っていた人が千葉の牧場に種付けに送って、2頭
とも親子関係否定で登録拒否という例がありました。 




ハアリー  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 6日(日)07時56分39秒 

根拠は何もありませんので(^_^;) >父と母
違ってましたら即修正いたしまする。

「歩み」に出てくる馬の血統・成績だけでもSireLineに再入力しようか悩んでます。
ネット検索ではほとんど手におえない連中ですし、かと言ってデルマに入力するのは
英語表記がネックで、ドえらく大儀ですし。。。 




ハアリーって  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月 5日(土)17時29分7秒 

『上海時代』は興味深いですね。週明けにで図書館にいってまます。
そういえば、確か戦前の朝日グラフかなんかで、上海競馬の写真集があるようです。
一度見てみようとは思っているのですけど。

ハアリーの血統については、僕も以前調べて頭を抱えました。
サラブレッドではないMornaが別ににて、
ハアリー自身もサラではじゃないんじゃないかって。。 




悲運の日吉丸  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 5日(土)09時32分29秒 

競走馬登録キター!っすね。
しかしインドの放牧地ってのは恋愛自由で、文字通りの放任主義ですか(笑)

「血統不詳のサラブレッド」というのは管理する人間の側に対して
強烈に皮肉な存在にみえて、個人的には憎からず思っていたんですが。
実際のところはそういった事務処理上の不手際が理由の大半なんでしょうね。

で、*ハアリーの血統をデルマに登録しました。一応血統は
父 Courage(Trenton - Margaret)
母 Morna(Gozo - Doris)
にしてます。 
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=HARRY6&g=5&p=0&f=1&l=




ホーエイで思い出しましたが  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月 5日(土)03時56分39秒 

昔は随分変な(奇妙なという意味ではなく)血統の馬を輸入してますね。
スプーネーがサラブレッドじゃなかったというのもそれですが、
特に豪州からは血統不明の「サラブレッド」なんてのも来てますし、
高砂系など古い下総のアングロアラブの血統表によく出てくるハアリーは
栗毛、1900年生、父コレージ、母モルナと記録されてますが、
豪州血統書におけるMORNAの1900年は「missed」なんですよ。
この年だけ報告がなかったのか報告書が紛失してしまったのかはわかりませんが、
成長した産駒は日本に売り払って一件落着みたいな・・・
HARRY ch.c. 1900 Courage - Morna
で間違いないとは思いますが。

全然関係のない話ですが、インドでは父不詳の馬が結構走ってます。
日本だと登録されない→出走できないですけど、
モリケイの子もインドだったらレースには出られたようです。 




機会があったら  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 4日(金)18時22分51秒 

是非読んでみたいものです。
(とりあえず最寄の図書館には蔵書されてないようです)

松本重治氏→松平公→千本松農場→ホーエイ
と、この位まで一気に連想できるようになりたいものですなぁ。。。 




上海と言えば松本重治の  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月 4日(金)03時00分21秒 

『上海時代』が抜群に面白いですね。松本氏は母方の祖父が松方正義で
少年時代は千本松農場で夏休みを過ごしていたようです。上海在勤中は
西安事件をスクープしたりしていますが、競馬に出すと2着には来るが
絶対勝たないという馬を持っていて、毎朝江湾まで乗り回すのが一種の
健康法にもなっていたみたいです。明治の横浜居留地の外国人がやって
いたようなことを昭和の上海で日本人がやれたわけですね。 




事実上の  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 3日(木)07時31分4秒 

第一人者による最新の調査報告、ということで。

個人的に漠然と抱いていたイメージよりは「広範に行なわれていて」
「それなりの地位にあった」感じです。
さらに調べが進むと、意表をつくエピソードが出てきそうですねー。

いずれ現地調査ってのもあるでしょうか。なにかと大変そうですが。 




まだまだ不明  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月 2日(水)19時53分23秒 

>通りすがりさん

参考情報ありがとうございます。
それは1920年前半の番組表からでしょうか。
ハルピンやチンタオは1925年ごろの番組表から名前が見えますね。
それは後から公認に参加したということなのかな。調査が必要ようです。

江湾競馬場設立の経緯は実に興味深いですね。
確か日本で成功した中国人が日本国籍を取得した後に、
上海競馬クラブの会員になろうとするもあっさり拒否。
これに反発して自ら競馬場設立に乗り出したのが、江湾競馬場です。
この中国人入会が認められていなかった上海競馬クラブとは違い、
江湾の国際競馬クラブは内・外国人の双方に門戸を開いたので、
それまで競馬界に参入できなかった中国人成金が積極的に参加しました。
しかし上海競馬クラブが所属馬の江湾競馬場出走を禁止したので、
江湾競馬場は慢性的な競走馬不足になります。
それを打開したのが、イギリス皇太子の上海訪問で、
江湾競馬場の関係者は英国政府筋を通して皇太子の江湾競馬場観戦を実現させ、
王室の影響力を利用して上海競馬クラブの圧力を削ぐことに成功します。
これにより両者の交流は活発になり、
さらには中国各地の競馬クラブ同士の競馬規則の統一につながることになる・・・
という流れです。

ただ、日本の場合は競馬クラブの法人化をもって“公認競馬”としましたが、
当時の中国においてそのような法整備がなされてたのか、まだ確認を取っていません。
もしかしたら“公認競馬”とはあくまで便宜上の言い方で、
実際は有力競馬クラブ同士が組織した“競馬クラブ連絡会”的な交流組織の
加盟団体を指すに過ぎないのかもしれません。
香港は英国植民地でしたし、上海租界では中国政府は税徴収権のみが唯一の権力行使
でしたので(競馬は良い税収入だったようです)、
統一した法体系下にあるとは思えないのですよね。
まだまだ勉強がたりないなぁ〜〜。

満州競馬ですが10近くある競馬場のうち、ハルピン競馬のみが大陸公認の前身がありです。
ちなみに関東州の競馬は満州国の管轄でした。

> Hongkong Course というのは今のハッピーバレーのことですよね。
そうです。 




賽馬事情  投稿者: ふてき  投稿日: 3月 2日(水)07時45分31秒 

満州の競馬には中華政府公認の前身があったんすか。
これまた知らんかったです。

公認競馬がその歴史を閉じる最後の方、それこそ青島に遠征した日本馬の一件ですとか、
日本人運営の上海江湾あたりではサラブレッド(というか、時期的に考えれば
父だけ純粋サラなサラ系辺り?)が出走してた可能性があるんでしょうかね。
まぁあったとしても日本産か日本経由の豪州産くらいでしょうけど。。。

下記 Hongkong Course というのは今のハッピーバレーのことですよね。 




上海競馬倶楽部の番組に  投稿者: 通りすがり  投稿日: 3月 1日(火)23時14分19秒 

チャイナポニーのクラシックレース一覧が出てまして
それを見ると中国競馬の「本場所」が大体わかります。

PEKING CLUB Peking Course
 Spring Meeting Autumn Meeting
INTERNATIONAL RECREATION AND RACE CLUB Peking Nanyuan Course
 Spring Meeting Autumn Meeting
TIENTSIN RACE CLUB Tientsin Course
 Spring Meeting Interclub Meeting Autumn Meeting
CHINESE RACE CLUB OF CHIHLI Nankai Course
 Spring Meeting Autumn Meeting
SHANGHAI RACE CLUB Shanghai Course
 Spring Meeting Autumn Meeting
INTERNATIONAL RECREATION CLUB Kiangwan Course
 Chinese New Year Meeting May Meeting October Meeting November Meeting
HANKOW RACE CLUB Hankow Course
 Spring Meeting Autumn Meeting
TONGSHAN CLUB Tongshan Course
 Spring Meeting Autumn Meeting
HONGKONG JOCKEY CLUB Hongkong Course
 Annual Race Meeting

このうち江湾競馬場は上海市北東部に日本人主体で作られたものです。 




厳しいかな  投稿者: Lucky Boy  投稿日: 3月 1日(火)23時20分11秒 

台湾競馬は6つぐらい競馬場があったのじゃなかたっけな。
もちろん台北や高尾にもありました。
資料がどっかに埋まっているので出てきたら報告します。

チンタオ競馬までは手がでないかな(笑)
ただ戦前の中国の公認競馬の法的根拠などは調べなきゃいけないと持っています。
1920年ごろから香港や上海、北京、青島、その他諸々の中国各地の競馬クラブは
統一した規則のもとに競馬交流を行うようになり、
それらを総称して公認競馬と理解されるようになるのですが、
それにどのような法的根拠があるのかよく分からないのですよね。
実は僕が今もっとも気になっていることがこれなのですよ。
Austin Coates著『China Races』(1983 Oxford University Press)という、
中国競馬史に関する良書があるのですが、その書では非公認競馬扱いになっている
トンシャン競馬が、当時の競馬規則をみると公認競馬に組み込まれていることが
確認できるのなど、少なからず事実誤認もあるのですよね〜。
個々に確認していく必要がありそうです。
ハルピン競馬は中国公認競馬から満州国競馬に組替えになるという歴史があり、
このあたりの変遷を調べるのも面白いと思っています。
興味を持ったら切りがない分野ですなぁ〜中国競馬は。