2005年5月6月




図書館に寄って来ました  投稿者: ふてき  投稿日: 6月15日(水)21時25分13秒 

「函館市史」に平出氏によるカムチャツカ遠洋の失敗が記載されてまして
それに拠れば、「英国の商社から13万5千ポンドの融資を受け、
2隻の母船を含む船団(総船員数1千人以上)を組み、15万函の水揚げを
想定して出漁したものの、その成果僅か7百函という絶後の空振り劇に終わり
翌年には同社からの融資を断られ忽ち窮地に陥った。」
と、そんな内容だったと思います。(記憶で書いているので、数字が違ってる
かもしれませんが。)

マークイスも続・平出コンビの生産馬でしたか。
よく考えると、母は平出氏の御賞典馬第三フロリースカップですし、
父はズバリ「平出」エナモールドですもんね。これぞ純粋平出血統にして
迷コンビ最後の傑作ということにもなりますか。

ところで函館でよく知られた洋食屋に「五島軒」があるのですが、
ここの経営者だった若山徳次郎氏は続豊治の曾孫なんだそうです。
郷土史研究もなされているようですから、続秀太郎(叔父・甥の関係?)に
関する知られざる資料を所蔵されてらっしゃるかもしれませんね。 
http://www.gotoken.hakodate.jp/default.htm




大正時代の湯の川遊覧案内に  投稿者: 通りすがり  投稿日: 6月15日(水)00時03分45秒 

湯の川電車の終点から右折して数丁、松倉川の畔に峙つ宏壮なる三層楼がある、これ
湯の川ホテルである。館内には日本第一の大浴槽千人風呂があるとと書かれてます。
今の湯の川停留所は昭和34年に延伸されたものなので、湯の川温泉停留所を起点に
考えると湯の川観光ホテルですか、最近ラーメンテーマパークが出来たそうですが。
日本第一の施設の記憶が函館市民の誰にもないのは淋しいですね。で、『馬の世界』
に続氏の没落を知ることのできる寄稿がありました。

昭和五年十一月(私は牧場の相談で大阪より帰り親不知で遭難したのは十一月五日で
あった)私の経営して居った、私と平出氏との共同牧場を平出氏の露領カムサツカに
於ける鮭鱒沖漁業の失敗の為め(現今は大成功を奏し昭和六年平出氏没後其の遺業を
継ぎ太平洋漁業株式会社創立せられ年々一千万円以上の水揚げを示せるが義兄平出氏
は此の成功を見ずして逝去す)私は関西に於ける古門九一郎、古立直吉氏に懇請して
牧場を買って貰ひ、此の金で一時平出氏の苦境を救済し、私も引続き此の牧場の顧問
として永久に其の経営に携はる約束であったが、古門氏は家事上の都合にて一時競馬
を廃める事となり、昭和八年十月、今の前川道平氏に移り、此の牧場は今は私とは関
係がないのであるが、平出氏の漁業に於ける失敗は私に取っては一生の恨事であると
せねばならない。

東京での最後の旧帝室御賞典拝受馬マークイスは血統書では前川道平氏生産ですが、
昭和8年の当然ながら春の生まれですから、上記のとおりなら続氏の生産馬ですね。 




フォローありがとう御座います  投稿者: ふてき  投稿日: 6月 5日(日)08時50分44秒 

アメリカにおける純血アラブ繁殖の実質的魁にあたるんでしょうね。

#Linden Tree は予定されていた馬の怪我による急な代替えだったんですかな。

当時は「馬」そのものが国際外交上重要な役割を果たしていたんすね。今更ですが。
そういえば、グラント来日を歓迎するため戸山に競馬場を開設したと言う
エピソードもありました。日本の競馬(場)が国際政治の舞台として
機能していた歴史があるという数少ない実例なのでしょう。

ガイヨルに関してはわりと知られてるようですね。
後継種牡馬の第七ガイヨル(奇しくも吾妻の牝系)の産駒
・カーネーション
・第五ホーソーン
の二頭から派生する牝系が未だ健在ですか。
あべちゃんのとこで調べてみると、健在どころか、細くなってしまったアラブ牝系の中では
今やメジャーな存在といえるくらいなのかも?

大正2年秋の連合二哩でシンコイワイの2着しているローヤル(第二ローヤルメッセンジャー)
が父*ローヤルメッセンジャー、母第五ホーソーンと言う血統。
この馬あたりが種牡馬*ガイヨルの残した最大の成果になるのでしょうか。 




昔宮内庁書陵部で書き写した  投稿者: 通りすがり  投稿日: 6月 5日(日)03時49分32秒 

ノートがありました。「下総御料牧場明治卅一年度牛馬名籍簿」というもので、
原本は存在せず大正8年の写本ですが、吾妻は「仏蘭西サラブレッド」となって
います。父不詳、母高砂。アラブやアングロアラブ種牡馬との間に産まれた子も
サラブレッドになっていますから、やはり純血種という意味で使っていますね。
お騒がせしました。

アメリカ産の純血アラブは大正時代に赤星鉄馬氏が大量輸入していますが、父母
共にデザートブレッドか、父がデザートブレッドで母の父母もデザートブレッド
という馬ばかりですから、その頃でもまだ純血アラブはアラビアから買ってくる
もので、国内での純粋繁殖はあまりやってなかったみたいです。赤星氏は今不評
のブラックバスを日本で初めて放流した人でもありますね。 




スルタンからは明治天皇にも  投稿者: 通りすがり  投稿日: 6月 5日(日)00時00分27秒 

牡牝4頭のアラブが寄贈されてますね。
ガイヨル
 トルコアラブ 鹿 明17生 明24土帝より我帝室へ寄贈 明40?南蒲原にて病斃
 明24~26下総種用 明27以降肺気腫の為供用せず 明39新潟県下へ売却
シルベル 
 トルコアラブ 芦 明19生 明24土帝より我帝室へ寄贈 明29下総にて病斃
 明24以降下総種用 成績不良

他にこんな馬もいます。
カザン
 アラブバルブ 青 明26生 明35仏国大統領より寄贈 明40南蒲原にて病斃
 明35・36年下総種用 明37年新潟県下へ売却 成績不良
シヤミー
 アラブバルブ 黒鹿 明26生 明35仏大統領より寄贈 明44静岡病斃
 明35~38新冠明39以降静岡県組合種用 成績不良
メサウー
 アラブバルブ 栗 明28生 明35仏国大統領より寄贈
 明35以降外山種用 明38年9月廃売 成績不良 




帝政  投稿者: GURU@偏屈爺  投稿日: 6月 4日(土)22時05分31秒 

Linden Tree は本当は Barb で、純血アラブ牝馬とは配合されなかった云々も
出てました。 
http://www.wiwfarm.com/BHGrantsArabians.html




もうご存知かもしれませんが  投稿者: GURU@偏屈爺  投稿日: 6月 4日(土)22時00分34秒 

Grant がアブデュル=ハミト2世から寄贈された Leopard と Linden Tree が
Randolph Huntington という馬産家の努力で、アメリカにおけるアラブ種の
祖となった経緯について書かれてます。これ以前に輸入されたアラブ馬は改良に
用いられても、純血種を繁殖、維持させようとはしなかったのですね。 
http://www.wiwfarm.com/BHGrantsArabians.html




吾妻~イナボレス  投稿者: ふてき  投稿日: 6月 4日(土)12時59分52秒 

この世代(1870年生まれ?)の繁殖馬がもし米産のサラブレッドだったとして
時期的にそれに該当するような輸入記録って存在してるんでしょうか。
有名な明治10年11年の内務省による買い付けよりも前の話になりそうで。
「新世界より」に記載のある明治7年陸軍省がイギリスから入れた三頭の繁殖の
うちの一頭で品種不詳の牝馬、というのが時期だけみると合いそうな気もするんですが、
残念ながら根本的に国違いではありますし。
あるいは単に横浜で走っていた競走馬の繁殖入りって事も。。。
いずれにせよ、吾妻が万が一サラブレッドだったと判明したなら
競馬史を塗り替えるような新発見になるのは確かですね。 




ナポレオン3世のアラブは  投稿者: 通りすがり  投稿日: 6月 4日(土)00時07分17秒 

日本競馬史に残る巨大な遺産と言うべきなんでしょうね。それも下総御料牧場の
基礎牝馬・吾妻がナポレオン3世から幕府に贈られた高砂の子だということで。
ところが昔の馬名簿なんかには吾妻の子孫の品種がよくサラブレッドと書かれて
いて、僕なんかは定説との整合性を保つためフランス語で純血種をピュールサン
と言うからピュールサンアラブを縮めて英訳しちゃったんではなんて苦しい解釈
をほどこしてたわけなんですが・・・

昨日JRA図書室のロッカーの奥から『馬匹新報』1~5号(明治39年11月
~40年3月)という今まで誰も知らなかった雑誌が出てきて、「吾妻の墓」と
いう記事に「亜米利加産サラフレツト」と書いてあったんですよ。これだけでは
定説を崩すまでには至らないと思いますが、なんとなくホントっぽい。
アラブにサラを2代連続で交配すれば25%アアになりますけど、サラにサラを
2代連続で交配してもサラですからね。勝つのは当たり前です。 




Leopard and Linden Tree  投稿者: ふてき  投稿日: 6月 2日(木)22時31分13秒 

このタイトルで書籍になってたりするようなので、日本で言うところの
「ナポレオンから徳川幕府に」チックに著名エピソードだったのかなぁという勘違いを(笑)

試しにデルマーのALL BREED DATABASEで調べてみたら、この系統バタバタ登録されてるようです。
Leopard に至っては重複で二頭登録されちゃってる始末で。
Anazeh もありますね。流石に牡系としては残ってないようですが、牝系に深く潜んで
現存してます。この辺ですとか。
http://www.allbreedpedigree.com/index.php?query_type=horse&h=GOOD+LIFE+MOR+GAZEK&g=5&cellpadding=0&s mall_font=1&l= 
牡系としての最後はこの馬辺り?
http://www.allbreedpedigree.com/index.php?query_type=horse&h=NAAMAN+II&g=5&cellpadding=0&small_font= 1&l= 
Linden Tree の方の産駒はアングロアラブとパートブレッドアラブが
各一頭登録されてるだけですね。
しかし写真貼付されてる馬が多いのが嬉しいです。純血アラブの場合特に。 
http://www.allbreedpedigree.com/




こんな馬いました。  投稿者: 通りすがり  投稿日: 6月 2日(木)21時43分42秒 

NEJD,ch.c.1894/NARKEESA,ch.f.1897/NARESSA,ch.f.1898
by ANAZEH,ch.c.1890 (by LEOPARD,gr.c.1873, out of NAOMI,ch.f.1877)
out of NAOMI,ch.f,1877

Anazeh は Leopard の純血アラブとして登録された唯一の産駒のようです。
Linden Tree には純血アラブとして登録された産駒はありません。

競馬の世界では名前を聞かないですね、グラント将軍。
というか、当時の名士なら馬を飼ってるのは当たり前ですし。
上記の両馬もトロッターや半血アラブに種付けされて
お金持ちが使う乗用馬・馬車用馬を生産したのではないでしょうか。 




そういうことですか  投稿者: ふてき  投稿日: 6月 1日(水)18時07分55秒 

了解いたしました。

グラント大統領って将軍時代にトルコ皇帝からアラブ種牡馬を寄贈されたり
してるんですね。
http://www.geocities.com/Heartland/Ranch/3479/LeopardLindenTreeI.html
馬産界でもそれなりの影響力をもっていたんでしょうか。
当時の名残かどうかグランツファームというのが今でも観光牧場として残ってるようで。

シープスヘッドベイ!
一條氏の人間くさい一面ですね。
http://naid.sppsr.ucla.edu/coneyisland/articles/horseracing.htm
氏が訪れた頃がここの全盛期だったんでしょう(賭博禁止法施行寸前ですね)。
嗚呼それにしても百年前のコニーアイランドの贅を尽くしたテーマパーク。
写真眺めてるだけでも言葉を失ってしまいます。
一條氏がその虜にされたのもむべなるかな、ですか。。。 
http://naid.sppsr.ucla.edu/coneyisland/index.html




と言いますか、  投稿者: 通りすがり  投稿日: 6月 1日(水)04時24分55秒 

父 Citadel、母 I Dare の生年不詳がどこに居て何をしてた馬なのか
今までさっぱりわからなかったわけでして。この馬じゃあるまいかと。

一條友吉氏は百年前のセントルイス万国博で監視係をしてたようです。
その後、カリフォルニアの牧場で3年、ニューヨークの競馬厩舎で3年
と修行を重ねますが、晩年岩手の雑誌に書いた回顧記事がありました。
盛岡中学では金田一京助と同級生だったというから時代ですね。

おゝ、ランチョウ・デルパソ! これが私の第二の故郷です。
懐かしい懐かしい、心のふるさとです。

こうして生産された仔馬たちは、二歳の春を迎えると同時に、
ニューヨーク郊外にあるアメリカ一の競馬場兼マーケットで
あるシップス・ヘッド・ベーに送ります。年によって違いは
ありましょうが、まず二百頭は年々欠けません。

シップス・ヘッドベーでは競馬場のパドックに汽車が横付けでした。
早速おせりが始まりますが、これが終りますとポケットに久振りに
入ったゴールドやシルバーに心も楽しく、野人たちは早速ニューヨ
ークの繁華街に吸い込まれてゆきます。競馬場の穴場に殺到します。
飲む、打つ、買うの三拍子、あゝあの自由な息吹き! ほんとうに
ユナイテッド・ステーツの自由生活と、徹底した民主主義の権化が
そこに展開するものだと、思い出しても懐かしい限りです。 




永遠の謎と思われた  投稿者: ふてき  投稿日: 6月 1日(水)00時34分38秒 

豊平と Forlorn Hope の血統に新説出ましたね。
それに拠れば、Forlorn Hope は1873年生まれになりそうですが、
これまで伝えられてきた父 Citadel、母 I Dare の生年不詳とは
全くの別馬ってことになるんでせうかね。。。 




時代ですね  投稿者: ふてき  投稿日: 5月20日(金)21時50分36秒 

銀行を使ってそんな裏技が使えたとは。隔世の感。
世の中便利になっても決して良い事尽くめじゃないです(笑)

>>投注指南

当局から委託されたんじゃなくて、ファンが高じての勝手連ですか!?
なかなか出来る事じゃないですね。

今年から始まった日中国際哩定期戦(違)もどうやら成功の部類に入りそうで。
個人的にはもっと両国の対抗戦色を濃く打ち出してくれたら、なお嬉しいですね。
折角のホーム&アウェイなんですから。
今のようなオールカマーな国際競走もいいですけど、ラティノJC大賞のように
地域対抗の戦いがあってもいいんじゃないかなぁと思うわけです。
「ナショナリズムの無い競馬には興味が無い」立場からの戯言ですけど。 




えらい情熱  投稿者: 通りすがり  投稿日: 5月20日(金)17時24分51秒 

香港では昔「投注指南」という馬券の買い方を記した小冊子を無料で競馬場に
置いてましたが数年前からなくなってました。ところが今回行くとあったので
持って帰って今中を見たら日本語じゃありませんか。しかも香港競馬の初歩的
知識やレープロの見方や最近の名馬についての解説も。奥付を見ると土屋真光
著、ワークス東風発行。日本人が作って持ち込んだものだったんですね。

一條家では宮内省からの手紙も見ました。購買費と旅費が決済されたので支出
するが住友信託銀行横浜支店に入れておくから渡航の際に引き出せと。盛岡に
送金すると何かに使われる恐れがあるということですか。しっかりしてます。 




聖牛後継キター  投稿者: ふてき  投稿日: 5月 8日(日)09時08分43秒 

これでこの系統も今後50年は安泰でしょうなぁ。
系統が危機に陥る度「大一番の一発屋」現れ、奇蹟的に血を繋ぐのがお家芸ですから~。

「野にあって国家に尽くす」ですか。>廣澤安任
果たして今の我々は馬産黎明期に血の滲む苦労を重ねた先人の遺志をどれだけ
大切にしてるのだろうか、と。
草葉の陰で泣いてるんでしょうねぇ、最近のニュースを聞いて。 
http://www.misawasi.com/~tonamihan/village07.html




瓢箪より駒。  投稿者: GURU@偏屈爺  投稿日: 5月 7日(土)23時39分44秒 

コンサーンの母系を遡っているうちに変な脇道に迷い込み、これは俗世から隔絶された
桃源郷にたどり着いたかと思いきや、ランチョデルパソから廣澤安任の開牧社(?)に
つながる道とほんのちょっとの距離で交錯していたとは Σ(゜д゜;) 

ところで気がついたのですが、初代ケンタッキーダービー馬 Aristides の血が入った
現代の馬の血統を見るのは、これが初めてです。まさかそのおかげで Henlopen(f) 
から今日まで続いてきた・・・とも思えないのですが。

ともかく調査&御教示 有り難うございました m(_ _)m > 通りすがり様 




51 races って恥ずかしい。  投稿者: 通りすがり  投稿日: 5月 7日(土)22時33分40秒 

51 starts でないと英語風じゃありませんね。

それはともかく、ファーミントンは益田に比べてさえ人口少ないわけで、
それで日本じゃ競馬は続けられなくて米国では続けられるというのが・・・
この血統に関しては周囲にクォーターホースの種牡馬が沢山いたでしょうから
サラブレッドばかり交配され続けたことがむしろ奇跡だったような気がします。
日本に例えれば100年前に九州に移り、60年前からは種子島に移ったような。 




これは凄っ!  投稿者: ふてき  投稿日: 5月 6日(金)23時52分36秒 

感謝です!

ニューメキシコの土着血統でしたか。
ちょっと検索してみましたが、この界隈の馬達の主戦場はファーミントンにある
サンレイパーク(サンフアンダウンズ)になるんでしょうね。ルイドソ辺りに巡業したり。
サンパウロのトップスプリンター Thyers(BRZ) がルイドソダウンズでクォーターに混ざって
走ってましたが、きっとこの辺の生産馬もそんな感じのスプリンターに特化してるんでしょう。
あと、自州産馬に対する番組上の優遇措置も大きいんだろうなぁなどと想像してますが。。。

ディナーパーティーSは現行のディキシーSのルーツだったのですね。
引っ張り出した切り抜き大活躍です(オルローフトロッターの記述もありました)。
広沢氏の馬購入は実用馬改良目的がもっぱらだったのですか。
6頭のサラブレッドの中でも *Pancho(USA) は抜けて良血だったのかと。
購入した時期的にも従兄弟の Harry Bassett(USA) がベルモントS、
トラヴァーズS、サラトガカップ等を制した10年少々後のことのようですし。
さらに輸入7年後には甥の Agile(USA) がケンタッキーダービーを制してるようで。
まぁこれだけの血統背景の馬を3歳の時点で手放したのですから、それなりの
理由があったのかもしれませんがね。。。
にしてもこの馬が本邦サラ改良に利用されなかったのは返す返すも残念なことです。

デルマに*パンチョウ登録しときました。
ログインしないとコメント書けなくなっちゃいましたね。 
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=PANCHO7&g=5&p=0&f=1&l=




ニューメキシコの砂漠に60年  投稿者: 通りすがり  投稿日: 5月 6日(金)21時12分50秒 

16. Birthy d'Or, 1905, Ill.
17. Nameless, 1914, Mo.
18. Pan d'Or, 1926, Ill.
19. Rusty Pan, 1943, Ill., 51 races, 7 wins, $3,159
20. Pere's Pan, 1954, N.M., 6 races, 0 wins, $10
21. Becky Pere, 1964, N.M., unraced
22. Secret World, 1970, N.M., 8 races, 0 wins, $162
23. Shady Secret, 1975, N.M., unraced
    1987 Northern Bearcuda by Northern World
    2nd San Juan Downs H.
24. Miss Queen High, 1982, N.M., 21 races, 2 wins, $2,608
25. Dee High Queen, 1995, N.M., unraced
26. High Pache, 2003, N.M.

ニューメキシコはクォーターホース生産の中心地のひとつですが、馬産のさかんな
南東部ではなく、北西部のファーミントンあたりで生き延びてきたようです。 




ピムリコ開場に際して  投稿者: 通りすがり  投稿日: 5月 6日(金)20時59分48秒 

ディナーパーティーSが行われ、勝ち馬の名を3年後に行う大レースの名にした
という話は有名ですが、プリークネスが勝ったディナーパーティーSの出走馬に
スーザンアンもいました。一流とは言えないまでも目立った馬の1頭でしょう。

12. Henlopen, 1880, Ky.
13. Nehushta, 1884, Tenn.
14. Carolita, 1889, Calif.
15. Warble, 1896, Calif.

カリフォルニア産の2代はジェームス・ベン・アリ・ハッギン氏のランチョ・デル・パソ
で産まれています。明治21年に渡米した広沢弁二は予算も少なく思うように馬を買えま
せんでしたが、ハッギン氏の好意で持ち馬を多数売ってもらうことができました。ひとつ
間違っていればこの系統は日本に来ていたかもしれません。 




完全に間違ってるよなあ。  投稿者: 通りすがり  投稿日: 5月 6日(金)20時50分13秒 

1.  a thoroughbred mare
2.  by Fearnought
3.  Kirtley Mare, Va., by Madison's Milo
4.  by Union
5.  Minerva, Ky., by Melzar - by Union - Kirtley mare by Madison's Milo
6.  by Lewis' Eclipse
7.  Diamond, 1821, Ky., by Turpin's Florizel - by Lewis' Eclipse -
    Minerva by Melzar - by Hall's Union - the Kirtley Mare by Madison's Milo -
    by Fearnought
8.  Tolivia, 1832, Ky., by Contract - Diamond by Turpin's Florizel - 
    by Lewis' Eclipse - Minerva by Melzar
    1840 Olivia by Tranby
9a. Olivia, 1840, Ky., by Tranby - Tolivia by Contract - 
    Diamond by Turpin's Florizel
    1846 Roxana by Chesterfield
9b. Levia, by Tranby - Tolevia by Contract - Diamond by Turpin's Florizel
    1846 Roxana by Chesterfield
10. Roxana, 1853, Ky., by Chesterfield - Levia by Tranby -
    Tolevia by Contract - Diamond by Turpin's Florizel
11. Susan Ann, 1867, Ky., by Lexington - Roxana by Chesterfield - Livia by Tranby