2005年11月12月 DATE: 12月31日(土)16時12分29秒 TITLE: いろいろ NAME: 通りすがり MAIL: お世話になりました。来年もよろしく。 ところで続氏の完璧な騎乗成績やスイテンの競走成績、 ここにアップして下さるかどこかに記事として出して下さるかして いただけるとありがたい。ご自身のホームページでも結構ですが。 明治40年頃の札幌函館の成績なんか分かれば正に神の領域です。 コロンビアのクラシコの全成績は1986年までならW・F・Y・ マヤ氏の2巻本で判明してますから、それ以後を調査なさると完璧 になると思います。あとはエクアドルとベネズエラですが。 いよいよ 投稿者: ふてき 投稿日:12月10日(土)11時36分55秒 ラストっすね。 今回も手荷物が大変な事になってるようで。嬉しい悲鳴ですか。 ブラジルも人名のフルネーム調べは大いに難航が予想されますなぁ。。。 リオも来期の番組表を発表しましたが、やはり今年を踏襲したものになりましたね。 統一三冠案はあっさりサンパウロにふられちゃいましたから。 その辺の関係者の本音、こぼれ話でも聞き込んできてくださいまし。 gase deshita 投稿者: Lucky Boy 投稿日:12月10日(土)08時18分33秒 Gase-neta wa nagashitesimaimashita. Invasor no kounyuusha wa Sheikh Hamdan desu. kakunin wo torimasita-yo. asu wa GP Carlos wo mitekara Brazil ni mukaimasu. 日本語フォント 投稿者: ふてき 投稿日:12月 9日(金)21時17分43秒 閲覧することは可能なのですね。>@ウルグアイ 購入金額に関しては関係者談の方が信頼性ありそうな気が。 キャンディストライプス産駒じゃなかったらここまで高値にはならなかったんでしょうね。 もしこれがウルグアイの父内国産ドマイナー父系の三冠馬だったとしたら その半値にもならなかったんじゃないかと。 ペリェグリニは今年も南米各国でネット中継がありますね。 一番回線状態の良い所を選んで見るつもりです。 Thanks! 投稿者: Lucky Boy 投稿日:12月 9日(金)08時48分38秒 Invasor wa U$S 1.400.000 desuka. kottideha U$S 1.500.000 tte kiitampdaledp. Kounyusha-wa Prince Sheikh Mohammed rasiidesu. GP Pellegrini ga mirenakunattano-wa boku-no miss desu. Argentine no kankeisya ni "naze GP pellegrini wo miteikanainnda!" to itarutokoro-de iwareppanasi desita. Uruguay no kankeisya karamo "Argentina ni modorunoka?" to iwareru simatsu desu. honto-ni heta-na yotei-wo kunde shimaimasita. GP Pellegrini Day wa maronas ni irunode keibajou-no TV de GP Pellegrini wo kansen simasu-yo. ですか 投稿者: ふてき 投稿日:12月 8日(木)09時02分47秒 現地情報どうもです。 あと1ヶ月が待てなかったんですね(苦笑) 目標はUAEダービーでしょうか。 サウジ所属のチリ馬との後先がお楽しみになりますかな。 今回はペリェグリニは御覧になられないのですね。 調査優先の日程なんでしょうがないところっすか。。。 風邪の方は完治しましたでしょうか。 そろそろ疲れが出てくる頃ですので、体調管理には十分お気をつけ下さい。 yappari 投稿者: Lucky Boy 投稿日:12月 8日(木)07時49分18秒 Invasor wa DubaI ni uraremashita. 170,000,000 yen desu. GP Jose Pedro Ramirez niwa shussou simasen. 4 Kan-ba wa oazuke desu. どうもです 投稿者: ふてき 投稿日:12月 4日(日)10時30分15秒 良い感じで調査進められてるようですね。何よりです。 人脈もの方もどんどん広がってるようで。 いずれ面白い展開に発展しちゃったりしませんかな。 地元ではヤタスト最強が定説ですか。 まぁ日本の最強馬は何?って外国の競馬ファンに聞いたりしても シンザンやルドルフの名を出す人はまずいないでしょうし。似たようなもんですか。 まぁ種牡馬実績を含め、海外における名馬フォルリの知名度は群を抜いてますもんね。 わからんもんです。そういう意味でもこういうナマの声は貴重ですよ~。 #ヤタストは連覇をかけたペリェグリニで3着敗退と言う汚点?さえなければ #完全無欠の成績だったんですねぇ。。。 ブログが停止中なので 投稿者: Lucky Boy 投稿日:12月 3日(土)10時54分30秒 ただいまブエノスです。 順調すぎるぐらい調査ができました。 スタッドブック(特に広報&統計科の長、ダニエル氏)&生産者協会のみなさまに感謝です。 色々と情報があったのですが、ブログが停止中なので、 アルゼンチンネタは帰国後に、です。 生産者協会のチーフとも知り合いになりました。 名刺を頂いて、日本に帰ったら絶対にメールするようにと 半ば強制です(笑)。何でも調べてやるから、俺にまかせろとのことでした。 大物らしい(それに金持ち)ので、ちょっと期待です。 来年5月に国際生産者会議が東京であるから、日本にくるとか言っていました。 まぁ、ホントみなさん良い人ばかりです。 ただ頂いた本が多すぎて、持ち帰りに苦労しそうです。 生産者協会のチーフには 次回くるときはもっと本をやるから、次はいつ来るんだ?と突っ込まれたぐらいです。 そうそうそのチーフは、アルゼンチン最強馬はヤタストと言っていました。 ほとんどの人がヤタストと言うと断言してましたよ。 僕の印象では、亜でのフォルリの評価はオールドマンに次ぐぐらいかなぁ。 なるほどです 投稿者: ふてき 投稿日:11月16日(水)22時18分8秒 後付けによる第八号だったというわけですね。 茅八号ですとか、第八茅ですとか、これはもしかしたら血統判明の手掛かりになるかも? なぁんて淡い期待を抱いたりしておりました。<浅知恵 デンマークの血統なんかも下記の書に記載されてましたね。 「父マークダイアモンド、母不詳」とメモしてきましたが、これも定かではありません(笑) 「茅八号」は間違いですが 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月16日(水)19時41分9秒 ミスプリとは言い切れません。『優駿のふるさと日高』という本の性格上、おそらく 元史料は大塚牧場から出たものでしょうから、手書きだった可能性がありますので。 実は「第八号」というのも間違いないとは思いますが、厳密に言うと後代史料にしか 出てこない口碑なのです。飛花が米国産というのも口碑です。明治時代に北海道庁が 輸入した牝馬は次のようなものです。 飛花 アラブ? 月毛 明治5年入場 横浜で購入 桔梗にて病斃 デンマーク トロ 黒鹿毛 明治14年生 米国産 19年入場 米国で購入 34年真駒内にて病斃 真駒内供用良駒数頭ヲ算セリ(定山、瑞曄、岩見等) 一号 ペル 鹿毛・星 明治17年生 父ブリヤン 米国ヲハヨー州産 19年入場 米国で購入 225ドル 同前・真駒内ニテ供用産駒十一頭 二号 ペル 鹿毛・星 明治18年生 父ブリヤン 米国ヲハヨー州産 19年入場 米国で購入 225ドル 34年6月真駒内病斃 同前・産駒九頭第五シュペルプ最モ顕ハル 三号(フレドンヌ) ペル 芦毛・星 明治17年生 父ウリルテール 母ラミー 仏国産 19年入場 米国で購入 400ドル 33年3月真駒内病斃 同前・成績佳産駒数頭第三第九シュペルプノ母ナリ 四号(デルフィン) ペル 芦毛・星 明治17年生? 父パヒーヨン 母ブール 仏国産 19年入場 米国で購入 400ドル 28年6月真駒内病斃 同前・産駒少ナシ 馬名不詳 ペル 青毛・星 明治17年生 父ロールビラン 母ベロット 仏国産 19年入場 米国で購入 27年4月真駒内病斃 同前 ネプチューン 品種不詳 鹿毛 明治12年生? 20年入場 横浜で購入 沙流にて病斃 仏軍使用馬ニシテ「アルゼリー」ト同時ニ北海道ニ入ル(アン・ノル?) 五号 品種不詳 黒鹿毛 明治12年生 20年入場 横浜で購入 仏軍使用馬ニシテ「アルゼリー」ト同時ニ北海道ニ入ル(アン・ノル?) 巴里 品種不詳 鹿毛 明治14年生 20年入場 横浜で購入 沙流にて斃死 同前 七号 品種不詳 鹿毛 明治8年生 20年入場 横浜で購入 雨龍ニテ病斃 同前 馬名不詳 トロ 鹿毛 明治18年生 米国産 21年入場 米国で購入 札幌にて病斃 二二-三三年真駒内供用(豊平ノ母馬ナリ) オーチャドベル 米サラ? 栗毛・流星・左後白 明治34年生 父サンス 米国産 36年入場 レキシングトンで購入 1200ドル 36年10月真駒内病斃 供用セズ チップトップ 米サラ 黒鹿毛・星 明治33年生 父パイレート・オフ・ヘンサス 母パイクスピーク レキシングトン産 36年入場 レキシングトンで購入 1400ドル 真駒内供用中 ですよね 投稿者: ふてき 投稿日:11月16日(水)07時35分32秒 既にステークスDBの方とも連携取れてるようですし、そんな労力かけてまで 差し替えた意図がよくわかりませんよね。 (うちのように)直リン貼ってるサイトに対する軽い嫌がらせだったりですとか(笑) ありゃま。 投稿者: 有芝まはる殿下。 投稿日:11月15日(火)23時22分33秒 結構大分昔からあそこのGreen Grass2は日本馬に割り当てられてたのに、 一体何時の間に替えられちゃってたんだ?(^^;; 産駒いるとそう差し替えも簡単ではないのにねぇ……。 ネットも 投稿者: ふてき 投稿日:11月15日(火)16時38分35秒 これだけ一般化すると。。。。。なのでしょうね。 グリーングラスの件は単なる(と言うかド派手な)編集ミスのようです。 修正しましたんでご確認ください。 http://www.pedigreequery.com/green+grass5 グリーングラス2の方は多分合衆国産馬だと思いますけど、確認が取れないので そのまま放置しておきます。 http://www.pedigreequery.com/green+grass2 ところで「蹄跡」か「優駿のふるさと日高」のどちらかの書(或いは両書とも? 先日閲覧したばかりなのですが、既に記憶が混乱しておりまして。)で 豊平の母の名が「茅八号」になってました。 あれは単なる「茅」と「第」の誤植なんでしょうか。 宇三冠馬誕生ですか。 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月15日(火)15時26分34秒 ところでデルマのグリーングラス2って何でしょ? Wikipedia も捏造しまくりみたいですし ネットは便利な反面信用できないところもありますね。 いやいや 投稿者: ふてき 投稿日:11月10日(木)19時10分0秒 ほとんどお力になれず恐縮です。 なるほど、軍馬に乗ったムッソリーニの写真は見たことありますが、 ヒトラーのそれは見たこと無いですもんね。 そういう嗜好者だったら、牧場(繁殖馬)接収の可能性も十分あったとは思うんですけど 実際はあまり聞いた事無いような。。。話に上るのはいつもドイツ軍やロシア軍ですよね。 まぁ単に馬産地域を占領する機会が無かっただけなのかも知れませんが。 http://hsgm.free.fr/rajoutsguerre/dirigeants/mussolini.jpg ムッソリーニ 投稿者: kenji 投稿日:11月10日(木)18時33分35秒 有難うございます。 ヒトラーは馬に恐怖心があり乗らなかったが ムッソリーニは馬の乗って行進まで行なった と聞いたもんで。 他牧場を徴収することも無かったのですね 検証不能でした 投稿者: ふてき 投稿日:11月10日(木)08時15分4秒 なにせ「サラブレッドの生産」を始めとするテシオ本が手元に一冊も無く ネットに頼るしかない体たらくでして。 リンクしたサイトのトップページはここ↓でしょうかね。 もうほとんどのコンテンツが残っていないようで、確認のとりようが無いですね。 一応イタリア語でも検索してみましたが、力不足につきよくわからなかったっす。 http://swfuse.hp.infoseek.co.jp/myway.htm フォローする能力はありませんが 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月10日(木)02時10分38秒 そのサイト本当のこと書いてますか? テシオの著書やインチーサのテシオ伝と合ってない気がするんですが。 ご存知の方、フォロー願います 投稿者: ふてき 投稿日:11月10日(木)00時01分9秒 はじめまして。ですよね?(違ってたら平謝りですが。。。) 役立たずの管理人にできるのは有益なページをリンクする事くらいです。 少なくともムッソリーニ本人が前面に出て馬産に参入、と言うスタイルは 採っていなかった気配ですか。。。 テシオの方は自らの馬産のためにムッソリーニと言う存在を存分に有効利用していた、と。 検索していてこのページを見つけたんですが、何故かトップページに辿り着けないっす。 物凄く素晴らしいサイトがそこにある予感がするんですけど。 http://swfuse.hp.infoseek.co.jp/tesiostory.htm ムッソリーニ 投稿者: kenji 投稿日:11月 9日(水)21時51分4秒 唐突ですいませんが、ムッソリーニって 馬を生産してたんでしたっけ? そしてテシオとの関係はどんな感じだったのでしょうか? 日取りが決まりましたか 投稿者: ふてき 投稿日:11月 6日(日)10時12分1秒 この時期だとレースもそれなりに大きいのがありますし。 しかしいよいよ集大成ですか。さぞや感慨深いものがあろうかと。。。 シープスヘッドベイ競馬場の写真は結構貴重ですね。 一條氏の記述で「貨車が競馬場に横付け、馬を直接積み込む~」というのが あったと思うんですが、将にそんなシーンを捉えた一枚、と言う気がします。 ウイザース、ベルモント、ローレンスRを全て勝った馬といえばマンノウォー だと思うんですが、「(New York)Triple Crown, Man o'War 競走名」辺りで検索 した限りでは確かにそういうニュアンスを記述してるサイトは無さそうな感じが。 ヴィエンナ=ウイーンには素で気付きませんでした(汗) 旅にでます 投稿者: Lucky Boy 投稿日:11月 6日(日)01時14分55秒 ウイザース、ベルモント、ローレンスリアリゼーションで3歳三冠…と言うのは 山野氏の記述の他は、僕も見たことがないですねぇ~~。実に怪しい。 そもそも当時は競馬場ごとでクラブが違うのだから、 三冠なんて銘打つような企画があったのか疑問です。 ローレンスリアリゼーションが開催されていたのは下記の競馬場でいいのかな。 http://arrts-arrchives.com/mbbr9.html 個人的にニューヨーク競馬の変遷に非常に興味ありです。 ニューヨーク競馬協会が成立する以前には、数々のクラブと競馬場がありましたが、 自分自身、それらの変遷をちゃんと把握していません。 大レースの歴史をみても、多くが現存しない競馬場での開催実績がありますしね。 それらの競馬場がどのような歴史があり、又どのような関係にあったか、 一度整理してちゃんと理解しようと思っています。 そうそう、14日からしばらく南米へ競馬調査に行きます。 これで、南米の調査に区切りを付けるつもりです。 詳しくは追々報告します。 今日は疲れて夕方ひと眠り。 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月 5日(土)23時17分58秒 そして今起きたりとメチャクチャですが、え~とですね、 その三冠ってあったんですかね。アメリカ側の記録にはなかったと思います。 そういう三冠があればコリンはベルモントSのあとタイダルHを使わないでしょうし。 それとヴィエンナはウィーンでして、ミューニックがミュンヘンなのと同じです。 NY歴史散歩 投稿者: ふてき 投稿日:11月 5日(土)21時54分24秒 慌てて読み直しました。グレーヴセンドでしたね。 一時期はウイザース、ベルモント、ローレンスリアリゼーションで3歳三冠、 と見なす風潮もあったとのことで。 アニュアルチャンピオンSというのはジョッキークラブ金杯の前身ともいえる 競走だったんすね。「伝説の名馬」Sysonby の項にそういう記述が。 オーストリアダービーに関してはその昔 Vienna でも行なわれていた↓と言う 話だったので勘違いを。。。 Stockwell--Blair Athol 系の最長分枝の根元を担う事になる Goldsmith と言う馬は NY地区の高額2歳戦で荒稼ぎしていた馬なんすね。 ところで父系表のこの馬のスペル違ってるようです。>GURU http://www.bloodlines.net/TB/RaceResults/Aut/Aut-OesterreichischesDerby.htm Vie はウイーンで Gsd は 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月 5日(土)19時11分34秒 グレーヴセンド競馬場、主催者はブルックリン・ジョッキークラブです。 ブルックリンHはもともとこの競馬場の名物レースでした。 1901年のニューヨークの主要3歳戦は次のとおりで、他の5レースが 各場のダービーであるのに対しウイザースSはプレップと考えられます。 May 11 MoP Withers S. .............. 1,004 .... 8fd ....... The Parader May 23 MoP Belmont S. .............. 2,319 ... 11fd ....... Commando Jun 13 Gsd Brooklyn Derby .......... 1,550 ... 12fd ....... Bonnibert Jul 04 ShB Lawrence Realization .... 2,711 ... 13fd ....... The Parader Aug 01 BrB Brighton Derby .......... 1,660 ... 12fd ....... Watercolor Aug 10 Sar Travers S. .............. 1,350 .... 9fd ....... Blues ボローのブルックリンハンデ 投稿者: ふてき 投稿日:11月 5日(土)17時54分27秒 「世紀の蹄音」でピックアップされてた事に今頃気が付いたわけでorz 調査資料の一端をご紹介下さり感謝であります。 この時代でもウイザースステークスは入ってこないんですね。 ちょっと意外でした。 で、調べても判らなかった(=知識&資料不足)箇所が幾つかあります。 >>Gsd Junior Champion S. >>Gsd Annual Champion S. この略称Gsdというのはどこの競馬場のことでしょうか。 検索すると Annual Champion S. というのは一時モンマスパークでも 行なわれていたようですが。。。 >>Vie P. Jockey Club これはヴィエナで行なわれたオーストリアダービーの事でしょうか。 当時の呼称がジョッキークラブ大賞だったという。 あと目新しいとこではヴィシー大賞の前身レースてのが随分と高額だったんすね。 国際競走の冠を取り入れるなどして案外革新的だったのかなぁなんて。 #参考 GP.du Cercle International a Vichy 施行年、勝ち馬、2着馬、3着馬 1900 Kerlaz,Cravan,Eguzon 1901 Lady Killer,Passaro,Merry Go Round 1902 Red Cedar,Arkinglass,Olivarez 1903 Alpha,Savone,Marmot 1904 Gouvernant,Rataplan,Hebron 1905 Rataplan,Strozzi,Loriot 1906 Eider,Moulins la Marche,Punta Gorda 以降 GP.de la Ville de Vichy として施行。 (LBさんからお借りした資料より抜粋) 昔1着賞金1000ポンド以上の 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月 5日(土)04時01分28秒 重賞をリストアップしたことがありまして、全部は書き切れないので2500 ポンド以上の1901年の重賞を紹介しますと、こんな具合です。北米の3歳 戦ではアメリカンダービーとローレンンスリアリゼーションが入ってきます。 May 01 Nmt 2,000 Guineas S. ........ 5,300 .... 8f ........ Handicapper May 03 Nmt 1,000 Guineas S. ........ 4,450 .... 8f ........ Aida May 05 Lcp Poule d'E. Poulains ..... 3,161 .... 8f ........ Cheri May 05 Lcp Poule d'E. Pouliches .... 3,161 .... 8f ........ La Camargo May 11 Kem KemP. Great Jubilee H. .. 2,655 ... 10f ........ Santoi May 15 Nmt Newmarket S. ............ 2,966 ... 10f ........ William thr Third May 19 Lcp P. Lupin ................ 4,479 ... 10f110y .... Saxon May 26 Cht P. Diane ................ 3,450 ... 10f110y .... La Camargo May 31 Man Manchester Cup .......... 2,520 ... 11f ........ Rambling Katie Jun 02 Vie P. Jockey Club .......... 4,166 ... 12f ........ Carrasco Jun 02 HmG G.P. Hamburg ............ 3,957 ... 10f ........ Ohnesorge Jun 02 Cht P. Jockey Club .......... 7,575 ... 12f ........ Saxon Jun 05 Eps Derby S. ................ 5,670 ... 12f29y ..... Volodyovski Jun 07 Eps Oaks S. ................. 5,305 ... 12f29y ..... Cap and Bells II Jun 16 Ham Deutsches Derby ......... 4,225 ... 12f ........ Tuki Jun 16 Lcp G.P. Paris ............. 10,635 ... 15f ........ Cheri Jun 19 Asc Royal Hunt Cup .......... 2,550 .... 7f166y .... Stealaway Jun 20 Asc Gold Cup ................ 3,560 ... 20f ........ Santoi Jun 22 Was American Derby .......... 3,855 ... 10fd ....... Robert Waddell Jun 29 ShB Great Trial S. .......... 3,100 .... 6fd ....... Blue Girl Jul 04 Nmt Princess of Wales S. .... 7,185 .... 8f ........ Epsom Lad Jul 04 ShB Lawrence Realization .... 2,711 ... 13fd ....... The Parader Jul 20 Sdn National B. Produce S. .. 5,009 .... 5f ........ Game Chick Jul 20 BrB Foxhall S. .............. 2,600 .... 6fd ....... Compute Jul 29 Sdn Eclipse S. .............. 9,952 ... 10f ........ Epsom Lad Aug 04 Vch G.P. Cercle Int'l ....... 4,115 ... 13f ........ Lady Killer Aug 10 Sar Saratoga Special ........ 2,900 .... 5f110yd ... Goldsmith Aug 29 Bdn G.P. Baden .............. 2,950 ... 12f ........ Semendria Aug 31 ShB Futurity S. ............. 7,370 .... 5f163yd ... Yankee Sep 07 ShB Great Filly S. .......... 4,795 .... 6fd ....... Blue Girl Sep 11 Don St. Leger S. ............ 5,400 ... 14f132y .... Doricles Sep 15 Lcp P. Royal Oak ............ 2,638 ... 15f ........ Jacobite Sep 17 Gsd Annual Champion S. ...... 3,930 ... 18fd ....... Maid of Harlem Sep 17 Gsd Junior Champion S. ...... 2,530 .... 5f165yd ... Goldsmith Oct 03 Nmt Jockey Club S. .......... 7,190 ... 14f ........ Pietermaritzburg Oct 06 Lcp P. Conseil Municipal .... 4,000 ... 12f ........ Kilmarnock II Oct 08 MoP Matron S. ............... 3,519 .... 6fd ....... Heno Oct 19 Cfd Caulfield Cup ........... 2,500 ... 12f ........ Hymettus Nov 05 Fle Melbourne Cup ........... 6,117 ... 16f ........ Revenue なるほどです 投稿者: ふてき 投稿日:11月 4日(金)23時33分51秒 外国産として史上初めて薔薇を纏った馬の方でしたか。 ところで、この馬なんかも勝ってるレースですが、 この時代におけるローレンスリアリゼーションSの重要性って 痛感しますね。3歳チャンピョンだったと言う Africander や Ethelbert の 競走成績を鑑みても。(デルマ参照) このレース、確か米国版セントレジャーというフレーズもありましたよね。 ルロワデザニモーはブラジル競馬ヲチャーとしても非常に印象が薄い馬っす。 国内では3戦1勝。2歳チャンピオン戦で2着に入ってますが、ゴール前リプレイを見ると アイカランバの大圧勝で、ルロワは(多分出遅れたんだとは思うんですが) 最後の最後に追い込んで2着確保、という今のスタイルからかけ離れたものですし。 まぁ当然素質があるのは見抜かれてたんでしょうし、結局のところ北での受け入れ先にも ベストに近い陣営を確保できるTNTの(資本力の?)勝利、と言うことなのでしょうけど。 オーマーカイヤーム 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月 4日(金)22時02分40秒 (発音は保証せず)が古馬を相手に走ってしんがりみたいですね。 www.tbheritage.com/Portraits/Marco.html ルロワデザニモーは残念でした。 父に登録があったんで産駒分の追加登録だけで済んだんですけどね。 80万ドルのフル追加登録料を払ったスタークラフト、30万ドル払ったホスト、 結果は着外でしたが意気込みはよしです。 おつかれさまです 投稿者: ふてき 投稿日:11月 4日(金)18時59分26秒 今年のBC、識者によるレース評価も様々出ているようですが。。。 ジョイナー師とは Whisk Broom 等を引き連れて英国遠征した人なんですね。 Whisk Broom は父系史的にかなりエポックな存在なので、その名も知ってましたが、 ↓ Borrow と言う馬は全く知らなかったわけです。 父系表@グルの方には流石に記載がありまして、さらにデルマのコメント欄によれば 1917年のブルックリンハンデにおいて3頭のケンタッキーダービー馬を倒したのが 生涯最高の競走結果だった、とされているよう。 3頭のKダービー馬とは2着の Regret、3着の Old Rosebud、もう一頭は George Smith か Omar Khayyam でしょうか。年代的には。 ジョイナー師が滞英したのが1908~1915年のようですから、 一條氏が1910年に渡英した際に在英中の師匠と(ニューマーケットで?)邂逅、 という場面は有ったかも知れないですね。 http://www.racingmuseum.org/hall/trainer.asp?ID=265 ちょこっとアメリカに 投稿者: 通りすがり 投稿日:11月 4日(金)02時21分51秒 行ってきました。そこでサラブレッド競馬の名誉の殿堂のガイドみたいな パンフみたいなものを入手したんですが、1955年に殿堂が開設された とき最初に選ばれた6人の調教師の中に一條友吉氏の競馬場での師匠A・ J・ジョイナー師が入っているのを知りました。ホントに一流の人ばかり に師事してたんだなと驚きです。 ついでに昔の地下鉄駅を改造したニューヨーク交通博物館を見学した際、 1920年の時点で人口がマンハッタン230万人、ブルックリン200 万人、他の3区は合わせて170万人程度と知って、昔のブルックリンは すごかったんだなと。ドジャースなんて球団があったのもうなずけます。