2006年4月5月 DATE: 5月21日(日)07時51分20秒 TITLE: 勝ちましたね NAME: ふてき MAIL: 倒したメンバーがショッパ過ぎるという話は出ているようですが。 まぁしかし、どうせ空き巣狙いするんだったら、ピムリコスペシャルという 一時代を築いた「過去の」大レースを使ったのは良かったんじゃないでしょうか。 この馬の評価としては例年のアルゼンチン産馬世代トップ級の一頭。 その位のとこにはあるんじゃないでしょうかね。 そう考えるとこのレベルの米G1勝っても全然驚かないわけで。 ただひとつ、ドバイ帰りで順調に滑り出したってのはなかなかのものですね。 ドバイ通のマクラフリン師の手腕も大きいのですかな。 DATE: 5月20日(土)19時29分51秒 TITLE: 内心オドロキ NAME: Lucky Boy MAIL: インバソール勝っちゃいましたね。 ウルグアイ国内の評価では、 ウルグアイ最強馬ランキングの暫定10位ってところで、 あとは海外での戦歴を見てからっていうのが 大方の意見だったのですが、 これで10位入りは確定かな。。 DATE: 5月17日(水)07時46分23秒 TITLE: ヴルームヴルームは NAME: ふてき MAIL: 3年前の2000ギニー勝ち馬ディズニーウォルトのことですね。8月16日。 http://homepage1.nifty.com/futeki/cal_arg_2003_2.htm その直後に香港に移籍(ここで改名)。大いに期待されたものの水が合わなかったためか 全く振るわず。昨年オーストラリアに転出し、そこそこ復活という流れのようですね。 情報錯綜の理由は簡単に改名を認めちゃう事にありそうです。香港やサウジで特に顕著。 (ただしこの馬の場合は元名に問題があった可能性もありそう。 Jackson Five という名前の伯馬がちょっと前に米移籍しましたが、 米JCの馬名審査を通過できず Jackson Fire と改名させられてました。) アルゼンチンをはじめ南米のネット記事では当然のように「ディズニーウォルト4着」 という見出しになってますね。記事を読み進めていって初めて「今はヴルーム ヴルームと呼ばれてる」そんな感じです。 まぁそりゃそうですよね。仮にディープインパクトが某国に移籍し、海外のレースを 別の名前で走ったとしても、日本の競馬ファンやマスコミにとっては あくまでも「ディープインパクト」という名前の存在でしょう。 こんなのも競馬グローバル化のもたらす悲哀の一面でしょうかな。 DATE: 5月17日(水)04時08分17秒 TITLE: シンガポール国際には NAME: 通りすがり MAIL: アルゼンチン産馬が3頭 豪州、サウジアラビア、シンガポールの代表として出てましたが ヴルームヴルームってアルゼンチンダービー馬なんですか? 現地の情報じゃそうなってて人気の要因の1つだったかもと思いますが 競馬ブックだと2000ギニー大賞典の勝ち馬だと・・・ ご高察の通りかと 投稿者:ふてき 投稿日: 5月15日(月)22時09分23秒 20世紀初頭ですと、まだまだ相当な格差があったものと>亜、宇両国に比して 生産レベルが急激に上がったのはやはり50年代以降なのでしょうね。 この時代の馬達が名馬伝の類で伝わっていない最大の理由は 以前LBさんがおっしゃってましたが、(国民性のためか)ブラジル競馬ファンに 歴史発掘系の人が極めて少ない、ということなんだろうと思われます。 >>「リオとサンパウロの両方のダービーを初めて制したサンライズ」(p.155) この事実を知っているブラジル人競馬マニアは現地にもほとんどいないはずです。 1931年以前の南十字星大賞の存在は「忘れ去られた歴史」になっていると思われます。 これは数度に渡るLBさんの調査旅行により、晴れて日の目を見ることになった 紛れもない「歴史発見」なのです! http://www.tbheritage.com/TurfHallmarks/racecharts/Brazil/GPCruzeidrodoSul.html とりいそぎ 投稿者:GURU@偏屈爺 投稿日: 5月15日(月)21時35分42秒 サンクスです。 記録上は素晴らしい成績ですが、両親は英国からの直輸入馬、名馬伝の 類では滅多に名前を見ないということは、この時代の伯は亜や宇に比べて まだまだ”夜明け前”だったということでしょうか。。。 血統情報だけですが 投稿者:ふてき 投稿日: 5月14日(日)21時00分39秒 どなたが登録されたのか知る由もないのですが、後ろのローマ数字を つけたまま新規登録したのはまずいでしょうね。 この馬についたIIは所詮ブラジルスタッドブック上でのIIなんですから。。。 #そういえば次刊のゼネラルスタッドブックが英・愛分割で発行されるらしいとか。 http://www.pedigreequery.com/sunrise+ii ついでに 投稿者:GURU@偏屈爺 投稿日: 5月14日(日)19時57分40秒 「リオとサンパウロの両方のダービーを初めて制したサンライズ」(p.155) についてもお教えを~ m(_ _)m サンパウロ、ブラジウ両大賞発足以前のブラジルサンバについての情報は ネットでは非常に貧弱なり。。。 南米が片付いたら 投稿者:ふてき 投稿日: 5月12日(金)22時11分17秒 次なるターゲットは南アになるのでしょうか。 しかしイメージとしては旧英国植民地系の国々って、競馬史ヲタの連中が ふんだんに居そうというか、その手の情報は既に纏められてそうな気もしますね。 案外現地調査の必要性は低いのかも知れませぬ。 おそらく 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 5月11日(木)22時18分34秒 編集済 Talma(ARG) はジュライHを勝っていましたか。 全くノーマークでした。 1920年以降の南アフリカ重賞は公式サイトに勝ち馬一覧がありますが、 http://www.jockeyclubsa.co.za/pubs/volumes/vol98/volume98-section3-Winners-of-principal-races.pdf.pdf それ以前は断片的に情報があるだけなので、把握していないアルゼンチン産やAUS産&NZ産の 活躍馬がいそうです。 Talma 投稿者:ふてき 投稿日: 5月10日(水)20時00分51秒 あらら、ほんとですね。気がつきませんでした。 FTでも網羅してないようです。この馬。 「世界の競馬と生産」の南アの項に 「この時代、アルゼンチン共和国の競馬と生産は、国際的な名声を得ていた。 1902年のアルゼンチン三冠馬であるピッパーミント(父、セントミリン)を始 めとするアルゼンチン産馬の輸入がその事を説明している。ピッパーミントは、 南アフリカできわだった活躍を示し、アルゼンチンに戻って立派な種牡馬とな った。また、他のアルゼンチン産馬も、さまざまな勝利を収めた。その中には、 チャーコット(父、ゲイハーミット)、レジア(父、コンベイト)、ラメンデ ィ(父、アミアント)、シノワ(父、ネアポリス)、ピルコマーヨ(父、ゲイ ハーミット)等がいる。 オーストラリアとニュージーランド産馬の輸入も行なわれた。その中では、チ ェスニー(父、マルア)が特にすぐれている。」 とあります。 http://www.pedigreequery.com/pippermint http://www.pedigreequery.com/ramenti http://www.pedigreequery.com/chesney どうやらデルマにはこの3頭しか登録されてないのでは、と。 Charcot はGURUのところに名がありますね。 Pippermint 以外はFT4にも載っていないようで。 まぁしかし当時のディープインパクトみたいな存在の Pippermint が (移籍かレンタルか純粋な遠征かは知りませんが)、行ってる訳ですから 当時の競馬世界地図の中でもそれなりの位置(賞金的に?)を占めていた のではないかと想像します。 初期の南半球交流 投稿者:GURU@偏屈爺 投稿日: 5月10日(水)08時47分24秒 1899年のジュライH勝馬 Talma(ARG) は 1896年のポーラデポトリージョス 勝馬と同一馬だったとは初めて知りました。 初期にはオーストラリア産馬も勝っていたりして、ブリティッシュコロニアル競馬の ネットワークがあったんじゃないかと想像されますね。 #香港が英国植民地でなくなってから世界に冠たる(徹底した)植民地競馬国に 昇り詰めるとは、競馬史の大いなる皮肉というべきか。。。 http://www.tbheritage.com/TurfHallmarks/racecharts/Arg/ArgGPPolladePotrillos.html 記録より記憶 投稿者:ふてき 投稿日: 5月10日(水)06時59分35秒 物語になるタイプでしたか。 ハンデ戦主体の競走体系。案外にもご本家英国チックじゃなかったのですね。 若干、豪州的色彩も感じますが、いずれにせよ独自の文化を背景に変貌を遂げた と言うことなのでしょうね。 追補 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 5月 9日(火)23時24分8秒 編集済 1917年のサマーHの勝ち馬Trockoは、Pamphletと一緒に輸入されたそうです。 たぶん・・・ 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 5月 9日(火)23時22分25秒 かつての南アフリカでは、古馬戦線の主要競走は全てハンデ戦でした。 ですので実力馬には酷な重量が課せられてしまうので、 有力馬が勝鞍を増やすのは困難であったという歴史があります。 Pamphletの評価は、そのような背景を汲み取る必用がありそうです。 重い斤量を背負って常に好走を見せるPamphletは“グレート”と称されたそうです。 1919年のサマーHでは感冒にかかりながらも2着に入線するパフォーマンスを見せています。 このようなことも一層ファンを引き付けたのかもしれません。 1920年のジュライHでは122ポンドを背負い、ラスト直線を後方から追い込んで勝利しています。 ジュライHでは、第1回・第2回を連覇したCompanajoが131及び132ポンドを 背負って勝利していますが、これは19世紀の話。 Pamphletの122ポンドは、20世紀で最も重い斤量を背負って勝った事例となっています。 インド的な 投稿者:ふてき 投稿日: 5月 9日(火)23時19分40秒 疎開競馬ですね。確かにその可能性はありそうです。 ジュライハンデの勝ち馬を見ると1910~20年代にとりわけ英国産馬が 猛威を振るっていたようで。。。 http://www.tbheritage.com/TurfHallmarks/racecharts/SouthAfrica/SADurbanJHcp.html 救済ありがとうございます 投稿者:GURU@偏屈爺 投稿日: 5月 9日(火)22時22分30秒 「言葉はしばしば二つの意味を持つ」とはこのことか!? 1913生まれで大戦中に輸入ということは、戦争で本国での出走が制限 されたので、機会を求めて外国に出稼ぎに行った(あるいは売られた)、 という可能性も考えられますね。 勝ち鞍の数や勝率では大したことがないように見えますが、それほど 高く評価されているということは、よほどパフォーマンスが印象的 だったのでしょうか。 どうもです 投稿者:ふてき 投稿日: 5月 9日(火)21時43分0秒 FT4では勝ち鞍はジュライハンデのみ記載です。 サマーハンデはごく近年の分だけフォローしてるんですかな。 Pamphlet は内国産じゃないのがチト残念ですが、20世紀前半だと まぁ致し方ないとこですかな。南アの当時の外国産馬(英国産馬) ってけっこう血統レベルの高い馬(=価格の高い馬)が集まって いたんじゃないでしょうかね。 鉱山王とかそういう連中が馬主だった可能性が高いわけで。 超簡単ですが… 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 5月 9日(火)01時33分28秒 Pamphlet は1916年に英国から輸入され、 1917年にサマーH、1918と1920年にジュライハンデを制した名馬です。 1919年のメトロポリタンH(現J&Bメット)では惜しくも二着となり、 “ビッグ3”全制覇を逃しています。20世紀前半の最強馬とされているだけでなく、 絶大なる人気を博したポピュラーホースでした。生涯成績は44戦11勝2着7回3着3回。 代表産駒には1929年のサマーHで2着入線した牝馬Pavlovaがいます。 http://www.pedigreequery.com/pamphlet2 無知なる狂信者に救済を~ 投稿者:GURU@偏屈爺 投稿日: 5月 8日(月)22時44分43秒 南アフリカ編、「また、パンフレットは20世紀前半に絶大的な人気を誇った 伝説的名馬だ」(p.165) が特定できませぬ (:_:) 戦績、血統などお教えを~ 助かりです 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 5月 2日(火)11時15分12秒 お願いします。続きは随時送ります。 受け取りました 投稿者:ふてき 投稿日: 5月 1日(月)20時00分32秒 血統以外の周辺情報もレビスタなんかで調べのつく近年分は埋めてみようかと。 完成次第返送いたしますんで少々お待ちを。 どうもです 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 5月 1日(月)16時01分33秒 メールしました ご遠慮なくどうぞ 投稿者:ふてき 投稿日: 4月30日(日)23時03分13秒 ヘルプが必要な時はいつでも気兼ねなくお送りくださいまし! 結局・・・ 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 4月30日(日)16時57分42秒 編集済 無視していたアルゼンチンのマイナーG1ですが、 少しずつ整理することにしました。 もし余力があるようでしたら、ペルプして欲しいのですが…如何でしょう? 滅びの美学 投稿者:ふてき 投稿日: 4月 7日(金)07時15分22秒 と言う言葉もありますし、いずれ潰えてしまうものだからこそ 馳せる思いも一層大きくなろうってものですよ。 過去しか視野に入れない、そう後ろ向きに生きる敗者の権利があってもいいはずです。 さらば青春 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 4月 6日(木)23時46分29秒 彼が鬼籍に入ったことは、自分の競馬人生の中でとても悲しいこと…。 ただ、かなり冷静な自分がいるのも事実。 かつてマイシンザンの故障再発にショックし、一年以上競馬からに興味が離れたように、 今回のことは、同様のショックがあっていいものなのですが…昔の自分であるならばねぇ。 恐らく、サンデーさんの登場で、それ以前の日本の土着父系は殲滅させられることを、 心のどこかで思っていたわけで、つまり、すでに心の整理が付いていたということなのだと 思います。 近い将来、日本の土着父系といえるのもサンデー系のみ…古い父系の駆逐は、 競馬の歴史から見れば普通のことなのですが、でもちょっとさみしいですね。 頂戴しましたm(_ _)m 投稿者:ふてき 投稿日: 4月 6日(木)22時35分29秒 #良馬場で殺人ペースの大逃げなんか一度みてみたかったですね。 当時屈指の人気者で、レースでも頗る優等生で、臍曲がりの自分なんぞが 好きになるタイプの馬じゃなかったはずですが、不思議なことに惹かれました。 父系三代云々とか、それだけが理由じゃなかったような気もするんですが。。。 我々には輝かしい「過去」がある。もうそれで十分じゃないかと。 一サマナとして、ついにそう思える境地に達した気がします。 供養(一つの時代への) 投稿者:GURU@偏屈爺 投稿日: 4月 6日(木)19時04分41秒 ボーナストラックとしてローマ皇帝ページと、ネットで拾った当時の 思い出の動画つきです。パスワードは前回と同じ、ローマと戦って 行方不明になった蛮族英雄の直系でアメリカで戦って行方知れずに なった南米名馬。 ttp://teenoso.hp.infoseek.co.jp/present.lzh.enc 私も明け四歳の秋がいちばん印象深いですね。 いろいろな記録を背負っていたから乗り手は慎重になりがちで、 だから優等生ぽいイメージがあるのですが、もしこの馬に破壊的 なレースをさせていたら、どれだけのパフォーマンスを見せて くれたことだろう、などと思ったりします。 喪明け 投稿者:ふてき 投稿日: 4月 6日(木)00時10分10秒 3日間喪に服しました。 失ったことで改めて気付かされたその存在の大きさ。 「菊を獲るかも」と色めき立ったあの夏の函館がつい先日の事にように思い起こされます。 あの時、競馬をしていて本当に良かった。今はただそれだけです。