2006年8月 南関東は 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 8月29日(火)22時29分45秒 やっぱり『地方競馬ダイジェスト』が便利ですね。 ただ、その他の地方競馬場となるとより困難度が増しそうです。 そう言えば以前に馬事文化財団で「地方競馬成績書」を見かけたような記憶が…。 昭和40年中ごろから刊行されていたと思うのですが、現在もNRAが刊行しているのかしら。 やはり地方での十七ニは振るわなかったのですね。 中央競馬騎手としては昭和30年12月26日付けで転業となっていますから、 昭和33年6月1日に南関東で免許を取得するまでの二年半、 彼の動向が気になります。 もしかしたら、南関東以外の地方競馬で騎乗していたりして…。 昭和33年は25戦1勝 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月29日(火)21時27分48秒 昭和35年は1戦0勝です。34年はいずれ調べるつもりです。 簡単に調べるなら『地方競馬ダイジェスト』ですね。31~33年と 35~39年はJRAにあります。川崎競馬場には全部あります。 その昔○○○と○○○○にもかなりの部数あったんですが、 少し前に確認したところなくなってました。 年度末に不要な書類を捨てるとき古い汚いイラネーになりがちなんですよね。 修正しました 投稿者:ふてき 投稿日: 8月29日(火)07時30分16秒 十七二の生涯成績どうもです。 昭和30年代の南関競馬の成績って簡単に調べがつくんでしょうかね。 仮に騎乗していたとしてもほんの僅かな期間だったのでしょうけど。。。 なるほど 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 8月29日(火)00時17分20秒 これはまた面白い裏話ですね。 結局はアヅマライが菊花賞を買ったこということが 話のオチと言えましょうか。 名前では一也は長男っぽく思えますが、一也は十七ニの3歳下の弟だとのこと。 戦後すぐのこと、伊勢健二厩舎では自身が体の自由を失ったことで 直属の弟子が集まらずに厩舎経営の危機を迎えていたところ、 それを不憫に思った稗田虎伊が十七ニと一也を送り込んで、 窮地を救ったそうです。 稗田牧場は鶴次郎→実で問題ないようです。実はどのような血縁関係なのでしょうね。 TONAJI HIEDA(稗田十七ニ) -------------------------- Year wins starts -------------------------- 1931(S06) 0 2 1932(S07) 11 55 1933(S08) 27 134 1934(S09) (*)44 162 1935(S10) 13 83 1936(S11) 26 94 1937(S12) 28 115 1938(S13) 12 69 1939(S14) 28 132 1940(S15) 33 180 1941(S16) 33 159 1942(S17) 34 222 1943(S18) 25 166 1944(S19) 8 61 1945(S20) - - 1946(S21) 5 19 1947(S22) 13 71 1948(S23) 11 64 1949(S24) 12 98 1950(S25) 8 74 1951(S26) 20 57 1952(S27) 22 61 1953(S28) 23 125 1954(S29) 4 107 1955(S30) 3 46 -------------------------- TOTAL 443 2356 (*)Champion Jockey in 1934 まるで 投稿者:ふてき 投稿日: 8月28日(月)22時50分57秒 横山のやっさんを思わせます。>十七二父 武文らしい歯に衣を着せぬ物言いですね。 命名批判はいかがなものかと思いますが。 武田文吾師って稗田虎伊師とほぼ同世代ですよね。 もしかして札幌競馬時代に稗田一族と因縁でも生じていたんですかな。 目のカタキぶりが半端じゃないですもん。 稗田牧場は鶴次郎→実 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月28日(月)21時44分41秒 なので違うでしょうね。『競馬ニホン』が「競馬史記」という連載をしてた ことがあって中身は武田文吾師の語りによる戦後競馬史みたいなものですが 「十七二はひどいやつ」という小見出しを発見しました。 話は菊花賞のことになるが、わたしが乗ったアヅマライである。これは稗田 十七二が乗っていた。(中略)十七二の親父さんが例のことが好きなんだ。 それで、子供につけた名前が一也、十七二、三郎。一也は一八、十七二はそ のものズバリ、三郎は三六のこと。これで意味がわかるでしょう(笑) ある朝高橋直三師がアヅマライを曳いてきて「これに乗ってくれないか」。 訳を聞くと坂口正二が乗っていたトヨワカが実力随一と考えた稗田十七二が 馬主の村上芳太郎氏に「俺が乗れば勝てる、坂口じゃ危ない」と吹き込んで 乗ることにしてしまった。アヅマライの熊谷新太郎氏が怒ってどうにもなら ないが「武田が乗るなら我慢する」ということで。 一流の商売人なら 投稿者:ふてき 投稿日: 8月28日(月)08時04分54秒 馬天狗は選ばないでしょうね。余勢でやってくれていたら、という感じですか。 Lunatico を始め、ガルデルの持ち馬は総じてイマイチの成績みたいですね。 それでも引退後は種馬にして、生まれた仔をまた所有し自分で走らせてるのですから 競馬の基本をハズシてませんし、馬に対する愛情も十分感じられます。 デルマに母の血統が未登録の馬が多いということは、良血度という点で さほどの馬はいなかった、と言う事ですかね。。。 そんな中では Mocoroa が一番の良血と言えそう。 母 Marest がポージャとジョッキークラブ大賞の二冠馬 Vadarkblar の下なので。 #ちなみに牝系がアルゼンチンファミリー(Ar-2)ですね。この馬。 タンゴの父と国益の親玉 投稿者:GURU@偏屈爺 投稿日: 8月27日(日)22時08分55秒 役立たずの脇道情報ですが、Francisco Maschio 師 がかのカルロス・ガルデル (歴史的な大タンゴ歌手、というかタンゴの創始者)の親友で、彼の馬を調教した こともあるという記述を発見したので置いときます。デルマには Lunatico ほか 8頭のガルデルの持馬がリストアップされてます。 http://www.todotango.com/English/gardel/cronicas/Caballos_gardel.asp 肝心の岩谷(?)宗谷氏の方は調査力不足で情報なしです。サイアー(と呼びたい) の松平父はタバコが専売になった後は馬産じゃなくて残念、養豚を始めたとか。 http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventJan06/index.html 普通に考えると 投稿者:ふてき 投稿日: 8月25日(金)19時03分58秒 Francisco Maschio師が大調教師ならば、そこで修行を積んだ と考えるのが自然でしょうね。年代的にも辻褄が合いそうですし。 宗谷の苗字はもしかして岩谷じゃないのかもしれませんね。 もし妾の子供だったとしたら、松平が認知していたとしても 別姓だったでしょうから。 8頭4枠アルゼンチン方式ってのはホントでしょうか。 昔のレーシングプログラムは見たことがありませんが、LBさんに見せてもらった 成績書からは8頭限定とか4枠制とかいう痕跡は感じられませんでしたが。。。 ひょっとしたら 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月25日(金)02時15分16秒 というだけの話です。全く無関係かもしれません。 連勝式馬券はもともと上海でやっていたのを八王子が真似たものですが、 大陸方式と言って6頭立以上は6番以後の馬を全部6枠に入れていました。 これを公認競馬でもやろうとなったとき大陸方式では興趣が薄いと考えた 志田三木投票課長の所に、元外交官と名乗るファンがやってきて、 アルゼンチンでは出走馬を8頭に絞ってこれを2頭ずつ4枠に分けるのだと 話していったのが、枠番連勝式の基本になったアイデアだということが 『日本競馬史』に書いてあるのです。 後方追走 投稿者:Lucky Boy 投稿日: 8月24日(木)21時02分58秒 稗田十七二は南関東でしたか。どこの地方競馬に移ったのか疑問だったので、 大変に貴重な情報です。ただ実際に南関東で騎乗したのでしょうか。 そのような情報は皆無だったので…ちょっと調べなければ! 戦前の『優駿』記事を見ると、しばしは十七二は虎伊の子であると間違って書かれています。 実際は甥であるようなので、となると十七二は虎伊の弟である鶴次郎の 子なのかな。鶴次郎が稗田牧場の創設者ですね。 明治41年に出来た島原の京都競馬場に参戦にた友村哲二君の父親とは、 友村常吉のことですよね。友村姓は彼だけですし。 常吉と哲二が親子だとは…てっきり血縁関係はないと思っていました。 岩谷宗谷について。ざっと当時のアルゼンチンの調教師統計を確認しましたが、 彼らしい人物は発見できませんでした。 もしかしたら見過ごしている可能性もありますが。。 名前は現地風に変更している可能性はありますが、 名字はそのままだと思うのですけどね。もうちょいと調査が必要なようです。 フランシス・マキロの名もリストの中にありませんでした。 おそらくFrancisco Maschioのことだと思います。 彼が最も似た名前です。 Francisco Maschioはアルゼンチン史に残る伝説の調教師の1人です。 1927年から1936年まで10年連続で首位調教師を獲得しています。 ただFrancisco Maschioの調教師デヴューが1922年なので、 岩谷宗谷が彼と共に調教馬専門の実習を受けたというのは怪しい。 Francisco Maschioの下で実習を受けていたというのが真相ではないでしょうか。 いえいえ 投稿者:ふてき 投稿日: 8月24日(木)08時37分52秒 全く存じませんでした。 岩谷宗谷氏ですか。初耳です。 日本国内では競馬に関わらなかった人なんでしょうかね。。。 フランシス・マキロ師というのはもしかしたらFrancisco Maschio師のことでしょうかね。 当時のトップトレーナーでペリェグリニを3勝(Lombardo、Cocles、Payaso)、 他にも大レースを数多く制している名調教師のようですが(LBさん調べ)。 時代的にはピッタリ合いそうですが、どんなもんですかね。 岩谷宗谷師も登録上の名前をむこう風に変えていたとしたら、資料を見ていても 見逃していた可能性があるかもしれません。新たな歴史発見につながるかも。 訂正 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月24日(木)01時11分48秒 著聞された岩谷松平氏 → 著聞された煙草王岩谷松平氏 フランソス・マキロ氏 → フランシス・マキロ氏 この人ご存じでしたか? 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月24日(木)01時07分58秒 『競馬界』昭和13年7月号。ググッてみましたが52人子供が いた岩谷松平のことなので宗谷という子はわかりませんでした。 明治時代に岩谷天狗の名で著聞された岩谷松平氏は仲々の愛馬家 で、自らも終生乗馬に趣味を有されてゐたが、其息宗谷氏は世界 の三大馬産国であり、且つ英国に次での競馬旺盛の国であるアル ゼンチンに十三年間牧場生活をなした後、調教師として更に十二 年間を精進して今回二十五年振で帰朝された。 大正元年日置特命全権公使に随行して南米智利国に赴き同国の各 牧場を視学の上アルゼンチン国ラアルトーナ牧場、ヲンスエ牧場 に各二年を送り、大正五年同国に於る斯界の大家コルテン・サン トス氏の懇望により騎手見習として二年を練習したが体重増加の ため騎手たる資格を得なかつた。依つて只管競走馬の飼育調教に 就て六ヶ年を研究し、其後調教師フランソス・マキロ氏等と共に 調教馬専門の実習をなし昭和二年に同国調教師の免状を受けた。 続秀太郎氏 投稿者:ふてき 投稿日: 8月21日(月)23時48分2秒 やはり長命ではなかったですか。 昭和16年に故人だったということは長めに見積もっても55歳位迄に 他界されていた、と考えられますもんね。 稗田虎伊師のエピソードとして伝えられる 「花札をさせたら誰にも負けない博才を持つ(先読みの達人)」 「英語が出来ないにも関わらず渡英し、信用取引(資金が全然足りてなかった!)で 種牡馬を3頭(*ミンドアー、*アデージ、*タラップ)買い付けてきた」 この辺からもそのキャラクターを窺い知る事が出来ますもんね。 スイテンで御賞典を制した佐竹武士師の晩年は発馬助手でしたか。 調教師の系譜をみても随分な数の弟子を育成していたようですし いささか意外な転身ではあります。 (-人-) 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月21日(月)20時48分40秒 昭和16年に用紙の統制で競馬関係の新聞雑誌が廃刊させられ『馬事日本』が 出来たのですがその9月号に稗田虎伊師が競馬40年の回想を載せてました。 「いまの京都」とあるのは誤りで明治41年に出来た島原の京都競馬場です。 いまの京都の馬場が完成したといふので早速出掛けて行つた。いまの発馬助手 の佐竹武士君、友村哲二君の父親、故人になった続秀太郎君などが盛んに乗つ ている時分であつた。 私の感触では稗田師は騎手調教師というより大馬喰なのですが、馬券禁止時代 には苦労した先人が多い中で、牛に商売替えして大儲けしたそうです。それも 牛乳で3万円、売買で7万円といいますから、今なら橋本善吉氏タイプかも。 凄いっすね 投稿者:ふてき 投稿日: 8月17日(木)09時50分54秒 エミールって当時のユートピア牧場の繁殖ではエース格だったのでは、と思われるんですが。 牝系図から推測するに、マイユートピアの上のマリーユートピアと下のベッキーユートピアは わざわざエミールを岩手に運んでシアンモアをつけたように見えるってくらいなもんで。。 一体どういうご乱心だったのか。 *エミール Emile (AUS) 1925 牝 青 / FNo. C1 / St. Simon 系 父 - Maori King (NZ) 1906 牡 / FNo. 14-e / St. Simon 系 母 - Enileme 1909 牝 / FNo. C1 / Herod 系 牝系図 Emeline ( 1899 牝 Osculator ) Enileme ( 1909 牝 Gauleon ) | [ *エミール Emile ( 1925 牝 青 Maori King ) ] | | メリーユートピア ( 1930 牝 青 *クイッケロ ) … 各古馬特H(東京秋)-1933 | | 古呼馬特H(京都秋)-1933 2着-ダービー(東京春)-1933 | | 札幌特別(札幌秋)-1933 3着-帝室御賞典(東京秋)-1933 | | 第三メリーユートピア ( 1939 牝 青 *ダイオライト ) | | | 新潮 ( 1943 牝 鹿 ファインモア ) | | | ライトリア ( 1956 牡 栗 トサミドリ ) … 最優秀障害馬 中山大障害 | | | 2着-東京障害特別 3着-中山大障害 | | | ユウビ ( 1944 牝 黒鹿 キミタカ ) | | ミヤコマ ( 1950 牡 鹿 クレタケ ) … 2着-京都大障害(2回) 3着-中山大障害 | | ミラクルユートピア ( 1931 牡 栗 *クラックマンナン ) … 帝室御賞典(東京春)-1934 | | ハッピーユートピア ( 1932 牡 栗 *レヴューオーダー ) … 農林省賞典(横浜特)-1936 | | マリーユートピア ( 1933 牝 鹿 *シアンモア ) … 牝馬特別(横浜春)-1936 | | | タマリュウ ( 1944 牝 栃栗 *ダイオライト ) | | | | ナガト ( 1953 牝 栗 シマタカ ) | | | | | コウエツ ( 1959 牝 栗 *グレーロード ) | | | | | タカラピート ( 1966 牝 栗 *ネヴァービート ) | | | | | | メイワリボン ( 1974 牝 栗 *ファーザーズイメージ ) | | | | | | | ナリタチカラ ( 1988 牡 黒鹿 *サーペンフロ ) … 札幌記念-G3 | | | | | | | 3着-新潟大賞典-G3 阪急杯-G3 | | | | | ゲッコウ ( 1961 牝 栗 *マイナーズランプ ) | | | | メルサ ( 1971 牝 鹿 *オンリーフォアライフ ) | | | | ニシノヤクイン ( 1979 牝 鹿 *アレツ ) … 関東オークス | | | | | ブルーメルセデス ( 1986 牝 鹿 *スイフトスワロー ) … 3着-3歳牝馬S(東)-G3 | | | | 勇竜 ( 1954 牝 栗 *グレーロード ) | | | | シンニッケイ ( 1960 牡 栗 *タークスリライアンス ) … 東京ダービー | | | 東京大賞典 ニューイヤーC | | | 山宝 ( 1948 牝 鹿 トシシロ ) | | | | ガガーリン サバンナ ( 1959 牝 栗 *タークスリライアンス ) … エンプレス杯 | | | | 克宝 ( 1960 牝 栗 *マイナーズランプ ) | | | | フブキ ( 1970 牝 鹿 *パーソロン ) | | | | | ゲッショウ ( 1975 牝 栗 *トピオ ) | | | | | セイキ ( 1980 牝 鹿 *ダストコマンダー ) | | | | | | ユアウエルカム ( 1985 牡 鹿 *ホットスパーク ) | | | | | | フブキオウ ( 1986 牡 鹿 *タクラマカン ) … 2着-NZT4歳S-G2 | | | | ライデン ( 1961 牡 鹿 *マイナーズランプ ) … 3着-京王杯オータムH 福島記念 | | | フソウ ( 1950 牡 鹿 トシシロ ) … 安田記念 日経賞 2着-中山金杯 クモハタ記念 | | | 3着-NHK杯 ラジオたんぱ賞 | | マイユートピア ( 1937 牡 青 ミラクルユートピア ) | | リリアンユートピア リリアン ( 1938 牝 青 セントユートピア ) … 2着-桜花賞 | | | ハツハナ ( 1949 牝 鹿 トシシロ ) | | | フジエース ( 1964 牡 黒鹿 *ニンバス ) … 神戸新聞杯 2着-鳴尾記念 3着-小倉記念 | | | アオバ ( 1953 牝 黒鹿 ロックフォード ) | | セッシュウ ( 1959 牝 芦 *グレーロード ) | | | ハクセツ ( 1965 牝 芦 フソウ ) … 中山金杯 府中牝馬S 七夕賞 | | | 2着-安田記念 3着-毎日王冠 中山金杯 福島大賞典 | | | ジョセツ ( 1967 牝 芦 *シーフュリュー ) … 最優秀古牝馬 高松宮杯 | | | | ダービー卿CT 七夕賞 目黒記念 福島大賞典 | | | | 2着-京王杯オータムH 3着-ビクトリアC | | | | フソウライデン ( 1976 牡 黒鹿 *ラディガ ) … 3着-クモハタ記念 | | ペッキユートピア ( 1940 牝 黒鹿 *シアンモア ) | ヨシミノリ ( 1950 牡 鹿 クモハタ ) … 京都大障害(2回) 2着-京都大障害 3着-中山大障害 |*エミレット Emilet ( 1929 牝 鹿 Mirthmaker ) |*エミカー Emiker ( 1932 牝 青 Mirthmaker ) ------------------------------------------------------------------------------------------ SireLine for Windows Ver 1.50 - Build 496 近親交配で強豪が生まれる 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月16日(水)19時42分22秒 ようですが、この馬は旧4歳の秋に6戦して入着できませんでした。 マイユートピア 昭和12年生 青毛 牡 室蘭市・ユートピア牧場産 ユートピア氏(小林国威氏)所有 中山・大久保房松厩舎 父ミラクルユートピア(父クラツクマンナン、母エミール) 母エミール(父 Maori King 、母 Enileme ) 捜し物をしてると目的物は見つからず変なものばかり見つかります。 稗田十七二騎手 投稿者:ふてき 投稿日: 8月15日(火)22時59分57秒 地方の騎手免許も取得していたんですね。 さほどの稼動もなく、程なく厩務員へ転進した、と言う流れでしょうかな。 ブック今週号の調教師リーディングを見てみると、稗田研二厩舎は現在196位なんすね。。 もし何時の日にか、稗田姓が競馬界から消えちゃうようなことになれば、 それはそれで寂しいでしょうね。稗田牧場が消えたことで余計にそう感じるんでしょうか。 いかにそれが競争原理の賜物で、詮無き事と判ってはいても。 ウルリツクスペンサー 投稿者:通りすがり 投稿日: 8月15日(火)20時19分5秒 産駒特別というのも昭和35年から38年まで水沢で行われたようです。 競走用に輸入され、コウラクエンの名で走ったトロッターですけど。 話は変わりますが、『昼夜通信』昭和33年5月30日号に以下の記事が。 この時44歳でした。以後活躍したという話は聞きません。 毎年六月一日免許の更新期に当る騎手試験の結果は、 昨日関東地方競馬組合から発表された。 国営でサチミツ、クモノハナに騎乗した稗田十七二君が 千葉県から合格しているのが注目される。