2006年12月




やってる事自体は  投稿者:ふてき  投稿日:12月28日(木)09時39分55秒   

まるっきり競馬のようですね。
http://www.10thgames.org.cn/sports/ydxm40.html
写真をみると、芝馬場だったり砂馬場だったりするようですが。
よくわかりませんが、施行距離の幅がどえらい感じ。    
 



中国の国体みたいな  投稿者:通りすがり  投稿日:12月28日(木)01時30分44秒   

大会に速度賽馬という種目があって、これを競馬と言うなら
全国で10ヶ所以上の競馬場があると思うんですが。

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9F%E5%BA%A6%E8%B3%BD%E9%A6%AC    
 



めでたく  投稿者:ふてき  投稿日:12月28日(木)00時31分22秒   

確認とれましたか。

中国本土の競馬は進展してない(むしろ後退した?)っぽいですね。
北海牧場の一件もナニでしたが、オーストラリアやアイルランドあたりの牧場も
随分と投資していたと思うんですけど。

御大尽による自作自演みたいな開催は今でもやってるんでしょうかねぇ。    
 



トンシャンはやっぱり唐山  投稿者:通りすがり  投稿日:12月27日(水)22時47分9秒   

でした。以下は参謀本部『支那産馬族の研究』(大正15年)より。

而して現今の所謂競馬なるものの起源は英人の来支以来の事にして、
千八百六十年英人の支那より香港を割取するや諸施設を行ふと共に、
娯楽機関として競馬場を設置せるに始まる。而して上海・漢口・天津
等の諸都市に於て外人の居住容認せらるると共に、是等の各地に亦競
馬場設置せられ、遂に今日の盛況を見るに至れり。現在支那に於ける
競馬場の所在地及場数を示せば左の如し。

 香港一(英)、上海二(英・支)、青島一(万国)、漢口二(英
 ・支)、開封一(英)、北京二(英、万国)、唐山一(英)、奉
 天一(日)、大連一(日)、天津二(英、支)

合計十四箇所にして、英人に依りて組織せるものは会員組織とし、支
那人に依りて組織せるものは株式或は会員組織となせり。而して支那
人に依りて設置せられたるものも表面政府の許下を要す可きも、事実
は政府と無干渉にして、其地方に於ける督軍又は省長の許可の下に行
はる。    
 



今で言うところの  投稿者:ふてき  投稿日:12月26日(火)08時29分54秒   

カントリー競馬の範疇なのですかね。
まぁしかし、それ用の繁殖がいてそれ用の種馬がいて、生まれた仔どもを
日本に連れてきたら天下を獲るほど大活躍、とそんな図式ですか。わかりやすいっす。

Appearance の本当の血統は、も一度倉庫に潜られてもわからないほどの難題なんでしょうね。。    
 



インドの競馬が  投稿者:通りすがり  投稿日:12月26日(火)05時17分43秒   

凋落したのは独立したからでしょう。(-人-)

全く別の資料を探していて妙なものに遭遇しました。
昔AJCの倉庫に潜った時の書き付けですが。ご参考までに。

Appearance
1900.5.10 に Dubbo T.C. (NSW) で2戦する
Trial S. (6f) と Final H. (6f) で共に着外

Baverstock (Brown Meg) 1922 Baverstock - Frivolity
1926.1.2  Moorfield (NSW) 3yo hcp 6f (2nd div.) £105のレース
          7 st. also run/13
     1.16 Rosehill (NSW) 3yo hcp 7f (1st div.) £175のレース
          6.9 (carry 7.1) also run/
2=0・0・0・2

この時 Loombah の成績も調べてます。22=2・7・4・9
NSWで田舎回りしてた馬で、£10とか£15とかのレースを走ってますから
年代が違うとはいえバウアーストックはかなり上級ですね。    
 



活躍馬でしたか  投稿者:ふてき  投稿日:12月25日(月)22時24分16秒   

テシオは何故にこの馬を手放したものか。
幼駒のうちに眼鏡に適わなかった馬は結構売り払っていたという話があった?
ような気がするので、これなんかその一例だったのでしょうかな。

インド競馬(基本は外国産馬による植民地競馬でしょうけど)がアジア随一のレベルだったのは
十九世紀(初頭?)から始まり第二次大戦直後くらいまででしょうかね。
戦後どこかの時点で日本と逆転するんでしょうけど。 
http://www.pedigreequery.com/bistolfi
   
 


Bistolfi は  投稿者:通りすがり  投稿日:12月25日(月)21時49分25秒   

1941年の MacPharson Cup (Calcutta, 1 1/4) と
Trial Plate (Poona, 1 mile) を勝ってますね。
前者は当時としては世界的に見ても大レースです。    
 



ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:12月25日(月)20時49分39秒   

おかげさまでほぼ解決です。
一通り情報入れて登録しました(産駒情報が反映されるのに一日位かかるかも)。

1935年のイタリア入りですと、当歳の Bistolfi と一緒だったんでしょうね。
まさしく Ribot パターンかと。

それにしても Bellini の姉がマレーに行ってたとは! 
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=progeny&search_bar=progeny&h=BELLA+MINNA&sort=Year&done=y&filter=All%20Horses
   
 


相変わらず  投稿者:通りすがり  投稿日:12月25日(月)19時05分32秒   

Cavalier とか d'Arpono なんて書いてますけどご勘弁。

伊血統書は仏血統書と似た仕様ですね。純血種血統書です。
アラブの部、アングロアラブの部、アングルの部って感じですか。    
 



GSBだとイタリア入りは  投稿者:通りすがり  投稿日:12月25日(月)19時00分35秒   

1935年ですね。34年はテシオが買った年じゃないかと。
履歴をまとめるとこんな感じだと思います。

1929 Master Buchan, b.g. by Buchan
1930 不受胎 (by Buchan)
1931 Genevra, ch.f. by Hurry On
1932 Call Bell, ch.f. by Hurry On
1933 Bell Press, ch.f. by Press Gang (sent to Malay States)
1934 不受胎(前年種付馬記載なし)
1935 Bistolfi, b.c. by Singapore (sent to Italy, return to England
          in 1938, sent to India in 1939)
     covered by Felstead, sent to Italy
1936 不受胎 (by Felstead)
1937 Bellini, b.c. by Cavaliere d'Arpino (sent to Italy)
     covered by Sandwich, sent to Italy
1938 生後直死 (by Sandwich)
1939 不受胎 (by Cavaliere d'Arpono)
1940 不受胎 (by Clairvoyant)
1941 Borromina, ch.f. by Cavalier d'Arpino
1942 生後直死 (by Ortello)
1943 不受胎 (by Ortello)
1944 不受胎 (by Niccolo Dell'Arca)
1945 死亡(前年 Niccolo Dell'Arca & Giunta Pisano 種付)    
 



確実なところは  投稿者:ふてき  投稿日:12月24日(日)19時43分54秒   

ゼネラルかなんかに載ってる輸出入記録を見なきゃ駄目なんでしょう。
こういうことあるとブツが欲しくなっちゃうんですよね。。

関係ないっすが、いつの日か「競馬歴史図書館」でも開きたいもんです。
世界中の血統書や成績書や新聞やら雑誌やら引っ掻き集めて。
年末ジャンボ当たった人は是非ともカンパしてください。    
 



持込?  投稿者:うーむ  投稿日:12月24日(日)19時03分39秒     編集済  

1934年の輸入時にSingaporeの仔を宿していました。
翌年は失敗です。
が 他の年代は 性別のみ記入されている
年もあるので ふてきさんのおっしゃるように
毎年交互に 逆に BelliniやBistolfiが 記入されていないかたちで
あちらのスタッドブックにあるのかもしれないですね。    
 



勘違いですか  投稿者:ふてき  投稿日:12月24日(日)18時30分44秒   

イタリア血統書の仕様がわからないので歯切れが悪いのですが。。
ただ、Bistolfi はFT4だけじゃなく、デルマも元から(GB)だったんすよね。

ちなみに配合相手となっている Singapore、Felstead、Sandwich は英か愛、
Clairvoyant は仏、Cavaliere d'Arpino、Ortello、Niccolo Dell'Arca は
伊にいたと思うんですよね、その当時。    
 



これは  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月24日(日)17時34分5秒   

イタリア血統書の情報ということなので、
Bistolfi も Bellini もイタリア産馬ということが正しいのでは。    
 



繁殖記録  投稿者:ふてき  投稿日:12月24日(日)17時01分49秒   

貴重な情報どうもです。
やはりリボーのケースと同様なんすかね。
受胎した牝馬を翌年の配合種牡馬のいる牧場へ連れて行き、その地で出産させる。
種付けした後に仔連れでドルメロに連れて帰るという手法。
だとすると、Bistolfi(GB) なのも Bellini(GB) なのも理解できます。
翌年の配合種馬 Felstead、Sandwich は当時英国(か愛国)供用だったでしょうから。
逆に Borromina は翌年 Ortello を付けてますから伊内国産でいいのだろう、と。

http://www.pedigreequery.com/borromina
http://www.pedigreequery.com/bellini

Bellini の成績欄を修正追記しましたのでご確認くださいまし。    
 



提供  投稿者:うーむ  投稿日:12月24日(日)14時13分30秒     編集済  

Bella Minna 1923 Irlanda

1934年に Italy入り、
1935 Singapore - BISTOLFI (M)
1936 Felstead
1937 Cavaliere d'Arpino - BELLINI (M)
1938 Sandwich
1939 Cavaliere d'Arpino
1940 Clairvoyant
1941 Cavaliere d'Arpino - BORROMINA (F)
1942 Ortello
1943 Singapore
1944 Niccolo Dell'Arca
1945 ご臨終

以上イタリア血統書13~15でした。    
 



サンクスです。  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月24日(日)09時54分34秒   

頂きました。
続きはすぐ用意します。

Bellini はイギリス産ですか。母Bella Minnaをイタリアに運んで種付けして、
また英国に戻した、ということはないですかね。
ちょっと調べる必要ががるかもしれません。    


 

一通り入力しました  投稿者:ふてき  投稿日:12月23日(土)22時34分39秒   

結構ヌケは多いです。

http://homepage1.nifty.com/futeki/hungary2.doc
http://homepage1.nifty.com/futeki/poland2.doc
http://homepage1.nifty.com/futeki/czech2.doc

Bellini ってファミリーテーブル的には Bellini(ITY) ではなく Bellini(GB) なんですね。
Cavaliere d'Alpino(ITY) を英国に運んで配合、そこで生まれたということですかな。
Ribot(GB) パターンというか。

http://www.pedigreequery.com/ribot

今見たら、Ribot(USA) になってたので Ribot(GB) に直しときました。
定期的に同じ作業してる気がするんですが(苦笑)    
 



バルジュー  投稿者:ふてき  投稿日:12月18日(月)08時24分5秒   

どうやら獲りそうですね。
初なんすね。ちょっと意外な。

Hollin には驚きました。時計も速いです。
移籍先としては香港も考えられますけど、あそこへ行く南米馬はほとんど
活躍できてないんですよね。厩舎ノウハウの問題が大きいと思われるんですが。

ペリェグリニ関連といえば、15日サウジで行われたクラウンプリンスカップを
昨年 Storm Mayor に惜敗した二冠馬 Forty Licks が勝ちましたね。
http://www.frusiya.com/english/raceresult.asp?Season=1427&MeetingNo=38&RaceNo=6&PartNo=1
一馬身差の2着には一昨年の勝ち馬 Fire Wall ということで、何かと
ペリェグリニと結びつきが強い競走になってます。
この2頭、以前の Sei Mi のように来年のドバイに顔出しするんでしょうか。
もしかしたら来年のドバイは侵略者じゃないアルゼンチン馬がアッと言わせたりして。

あと関係ないですが、内国産馬限定で行わる方のクラウンプリンスカップ勝ち馬が
*タップオンウッド系でした。
http://www.pedigreequery.com/sway+yed    
 



それでも  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月18日(月)01時36分41秒     編集済  

最近の興味はバルジューの初リーディング獲得なるか!かな。
毎日チェックしております。
http://www.hippoweb.it/classifiche/fantino_nv2006.html

カルロスはストルムマジョールの連覇で終わりましたね。
でもバイヤーらには、ウンスエ勝ちのホリィンとアンチョレーナ勝ちのストルムミリタリィの
ほうが魅力でしょうね。特にホリィンは注目なのでしょうけど、
スプリンターは北米の層が厚いこともあり、あまり人気がないのですよ。
ただ、レース数が少ない上に、圧倒的なスピードを持っている。
それに古馬で活躍するロイ産駒は長い距離をこなす傾向がある上にダートも得意。
マイルはもとより、上手くいけは2000mぐらいは持つのではないかな。
まぁ、来年は北半球で走っていることは確実でしょう(笑)

あとはラミレス大賞で、南米競馬も一区切りですね。    
 



いやいや  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月18日(月)01時13分58秒   

モチベーション低下は続いております。
急速に競馬への興味が失せつつあるのですよねぇ。。    
 



ども  投稿者:ふてき  投稿日:12月16日(土)19時10分56秒   

LBさん>

ぼちぼち作業させていただきます。
一時のモチベーション低下は乗り越えられたのでしょうか?
何事も距離感がポイントかと。

通りすがりさん>

当時のことですから誤解やら行き違いやらも考慮しなければなりませんが、
まぁそれにしても興味深い記述がありますね。
戦前の米国へ遠征するということは「名誉じゃなく賞金目当て」だったと
考えるべきなんでしょうね。東松氏や続氏が中心にいたとなると更に。。    
 



こんなのありました。  投稿者:通りすがり  投稿日:12月15日(金)22時27分25秒   

クレオパトラトマス遠征計画の発端かもしれません。農学博士松葉重雄氏
講演「欧米競馬視察談」(昭和11年7月4日中山競馬倶楽部講堂)

露国は競馬場も競走馬も皆官有でありますから、其の関係者も皆官吏であ
ります。即国営でありますから賞金とか報酬などは無く、騎手は自分の競
走成績が上れば良い馬に乗せられますから益々成績が上る、そうすると月
給が上る、地位が上ると云ふ仕組になって居ります。

独逸は国営ではないが非常に良く統制されて居ります。之は統制機関たる
「ユニオン・グルブ」が総てを統制して居るからであります。従て「ユニ
オン・グルブ」も絶大な権力を以て居り何人に限らず競馬場を見に行くも
のは、クラブ首脳部の許可を得ませんと視察する事は出来ません。一体に
競馬に関係して居る人は片意地の処があり少し変人の様です。ハインツと
云ふ独逸の騎手が云ふて居りましたが、競馬関係者は常人と少し違ふ処が
あり、講習会などでも講師の話し具合が悪いと之を殴打するなどいふ事も
あつたさうです。

米国の競馬は一番だらしがなく、出馬も十二頭が普通で、発馬機は特殊の
箱式であります。馬そのものは日本より非常に進歩して居るとは見受けら
れません。従て日本で相当に良い馬ならば米国へ持つて行けば勝てると思
はれます。最近に出来たロスサンゼルス近郊のサンタ・アニタ競馬などは
賞金も多く一着が三十五万円ですから各地から馬が集まりますが左程良い
馬は居ない様に見受けます。日本でも一奮発して見てはどうかと思ふので
あります。    
 



どうもです  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月15日(金)15時28分17秒   

整理、どうもありがとうございます。
不明個所はこちらで再度ファイルをアップします。
スイスの2歳チャンピオン戦ですが、
どうやら"Criterium der Zweijahrigen" ではなく"Chance"という重賞でした。
申し訳ありません。改めて整理した上でアップします。

で続きです。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/hungary.doc
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/czech.doc
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/poland.doc

空欄が多いです。
競走名の変遷などは未完・調査中です。
ハンガリーの最強戦、Kincsem Dijは公式では創設1949年となっていますが、
その前身に1897年創設の"Erzsebet Kiralyne Dij"という競走がありました。
恐らく東側に組み込まれたので、"エリザベス女王賞"という名称ではマズかったのでしょう。
一応、"Erzsebet Kiralyne Dij"が廃止されて"Kincsem Dij"が創設、という流れのようですが、
"Erzsebet Kiralyne Dij"時代の成績も後々加えていく予定です。    
 



暫定版  投稿者:ふてき  投稿日:12月14日(木)23時23分20秒   

表示おかしくなってなきゃいいのですが。

http://homepage1.nifty.com/futeki/slovakia2.doc
http://homepage1.nifty.com/futeki/swiss2.doc
http://homepage1.nifty.com/futeki/austria2.doc

判る範囲で情報記入しました。
緑色の馬は血統がわからない、生産国がわからない、性別がわからない等です。    
 



ふむふむ  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月13日(水)22時29分22秒     編集済  

DDRウニオンは西側ほど格は高く置かれなかったのですね。
統一して15年以上たちますが、競馬の中枢は首都ベルリンには帰らず、
ホペガルテンの復権も、もはやありえなのかな。    
 



ロバルカ氏  投稿者:ふてき  投稿日:12月13日(水)18時04分3秒   

驚きました。
LBさんを通じて身近に感じていただけに。

>それは無かったと思うなぁ・・

Birkhahn の印象が強かっただけかもしれません。
あと単にその当時の活躍馬が後世まで血を残してる(血統表見てて自然に名前が頭に残る)
ケースが多いために、そんな思い込みをしてしまうのかも。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:12月13日(水)00時07分55秒   

>ドイツでは古本屋でか成績書が売っているのですか?

ググれば結構あるのですが、高いですから
なるべく調べないようにしてるんですけどねえ
見れば欲しくなるし

>東独ウニオンは古いJRAの現地報告にも出てこないのですが、
>重要競走だったのですね。

Renn-Kurier誌を読んでたら、何度かそう記されてることが
ありました。

賞金は変化があったんだろうけど、すぐ見つかった79年度では

Preis des Kreises Strausberg(ex Preis von Dahlwitz)8000M
Preis des VE Gestuetes Graditz(牝馬1000ギニー)20000M
Fruehjaehrzuchtpreis d.3Jaehrigen(ex Henckel)40000M
以下略
DDR Oaks30000M
Preis der VE Gestuet(DDR Union)12000M
DDR Derby80000M
GP der DDR80000M
DDR St.Leger25000M

というところで牝馬1000ギニーより低いんですね。
2000ギニー前にもう一つPreis des Kreises Strausbergが
あり、これも1600mの三歳戦で準クラッシックみたいな扱い
なんでしょうね、ドレスデンの競走も    
 



有り難や、有り難や  投稿者:wilde katze  投稿日:12月12日(火)23時43分41秒   

>通りすがりさん
やはりそうか・・・って感じですね
オーストリアダービー牝馬の全兄ですね

>40年代後半から50年代前半くらいまでは乱暴に言って、東>西の図式だったのかなと
>思ってましたが。。

それは無かったと思うなぁ・・グラディッツの馬が
大量に流出して壊滅状態だったしね。西のレーメアホフ牧場
だったかが多くのグラディッツ馬を救いあげたみたいですが

ハルレキン、ビルクハーン、ブルガーマイスター
その後のハルレキンの仔ファクトトゥムなんかは名馬だと
思いますが、以前書いたように、西のブッシュホフ牧場産馬
(Wilfriedもそうですが)に大レース荒稼ぎされる程度のレベルでは
シュレンダーハン、レットゲンにはとても歯が立たなかったでしょうね

ソ連占領地域で大牧場はグラディッツだけだったからね    
 



(無題)  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月12日(火)23時42分36秒     編集済  

47年度のRennkalenderを衝動買いですか。
戦後のセントレジャーは知れば知るほど複雑。。。
ドイツでは古本屋でか成績書が売っているのですか?
日本の古本屋で中央競馬成績公報なんて見かけたことないけどなぁ。
東独ウニオンは古いJRAの現地報告にも出てこないのですが、
重要競走だったのですね。東独2000ギニーとはどちらが賞金が上だったのでしょう。


ペルーJC会長のロバルカ氏逝去ですか。。。
急なニュースです。
3年前の訪問時には自宅にも招待してもらい、
昨年は氏の新刊本を頂きました。
全然元気なご様子だったのに。。。お悔やみ申し上げます。    
 



感謝!  投稿者:ふてき  投稿日:12月12日(火)19時54分52秒   

一通り入力してみました。ご確認ください。
http://www.pedigreequery.com/wilfried2
戦績は東独時の分がわからないのでひとまず保留しておきます。

しかしこの馬、西独では案外な成績だったのですね。
40年代後半から50年代前半くらいまでは乱暴に言って、東>西の図式だったのかなと
思ってましたが。。 
http://www.pedigreequery.com/index.php?search_bar=stakes&query_type=stakes&field=view&id=6976
   
 


Wilfried, ch.c.1951  投稿者:通りすがり  投稿日:12月12日(火)18時45分22秒   

bred by Gestut Buschhof
by Reinald, b.c.1943
  by Aventin, ch.c.1929 (Teddy - Abhazia)
  out of Risiko, b.f.1935 (Anakreon - Reiherbeize)
out of Wilma, ch.f.1945
  by Comet, br.c.1937 (Charlemagne - Confiserie)
  out of Wilde Katze, ch.f.1934 (Godiche - Winged Bird)

Wilfried は1955年夏に西独に現れその年7戦0勝
翌年13戦4勝+障害6戦1勝、翌々年4戦0勝+障害6戦1勝
58年9戦1勝+障害3戦0勝、4~7歳時計33戦5勝+障害15戦2勝

Wilde Katze はフランス産
Wissimy の名で37年9戦2勝、38年障害2戦0勝、40年・41年出産
その後ナチスに連行され改名したと思われます。    
 



告知どうも  投稿者:ふてき  投稿日:12月11日(月)21時53分38秒   

リスト作成感謝です。
残るは Wilfried と、初期の東独ウニオンですか。

ハルレキン劇場?なにやら意味深ですね。    
 



ブログ揚げ  投稿者:wilde katze  投稿日:12月11日(月)20時42分52秒   

一応勝ち馬リスト込で仕上げました
各リンク無断でしてしまいましたので、迷惑であればご一報を

ドレスデンの1956年以前の勝ち馬は後に調べてみます 
http://blog.goo.ne.jp/roggenbrot06/
   
 


Wilfried  投稿者:ふてき  投稿日:12月10日(日)09時31分40秒   

手元では判明せず、でした。
ご存知の方いらっしゃいましたら、情報お寄せくださいまし。
http://www.pedigreequery.com/wilde+katze
ファミリーテーブルでは Wilde Katze はフランス産になってますね。

戦後すぐの西ドイツ競馬界は(当然ながら)統率された状況になかった
ということでしょうね。
勝ち馬表作るんであれば、ひとまず注釈つきで併記するのが妥当ですかね。
なんらかの決定打が出るまでは。。    
 



あーあ、なんか俺も  投稿者:wilde katze  投稿日:12月10日(日)02時17分31秒   

衝動買いしちゃったよー。Rennkalenderの47年度なんですが・・・

それでセントレジャーの件では、ドルトムントで
Lehndorff-R、ミュンヘンでBayerisches St.Leger、フランクフルトで
Hessisches St.Legerって感じですね。

おそらくミュンヘンは比較的戦争被害が少なかったこともあって、
例えばPreis des Bayerischen Winterfavoritenというのも開催してるように、
代替え地的要素があったのではないか?と想像しますね
有名どころではミュンヘン開催ダービー46年ってのもありますし。

そしてホッペガルテンのほうはLehndorff-Rではなく古馬混合の
10月開催80Jahre Hoppengartenっていうレース(2800m)が翌年
Lehndorff-Rになるのかも。
ホッペガルテンは牝馬のクラッシックも無く、取り敢えずは
Hoppegartener Henckel-R、G.P.3あとは古馬のレースを整備することで
一杯一杯な感じですね。

あと不適様、手直し有難う。牝系の生年は調べてみます。
今DDR2000ギニーの血統を調べてるんですが、一頭だけわかりません。
Wilfried(c)1951生まれ、母Wilmaなんですが、父はわかりますか?
オーストリアダービー牝馬Windeと同系なんですが    
 



そうっすか  投稿者:有芝まはる(ry  投稿日:12月 9日(土)09時54分6秒   

基本的にJRAの成績広報くらいのイメージではありましたが、向こうの方が
レースの数や頭数が少ない分、それほどの量にはならないかなというのも
あったのですが、なかなかそうはいかんものですな。
船便もそう安くないという話も聞くし、どうしたものか……。    
 



鋭意調査いたします  投稿者:ふてき  投稿日:12月 9日(土)08時27分3秒   

FT4フォロー外の馬ははネット頼みになっちゃいますが。。
あと相変わらず古いバージョンのワード使ってるんで、再編集すると
表示ズレ起こしちゃうかもしれません。    
 



ドイツ血統書は  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 9日(土)02時36分49秒     編集済  

1冊が厚い英和辞書ぐらいあるので、3冊で2kgぐらいかな。
20kg越えは確実かと思いますよ~~。

>ふてきさま
少しマイナー国の整理をしました。近年の情報を加えておかないと、
ネットから情報が消えてしまったらマズイので。。
とりあえず、オーストリア、スロバキア、スイスをアップしますので、
大変に大変に恐縮ですが、生年、産国、父馬、性別のヘルプをお願います。
ちなみに母馬情報は除外しました。スペースがなかったので。
個人的に手が回る限界ということで、対象の競走は1カ国につき、2歳王者戦、3冠、チャンピオン戦の5つです。
オーストリアセントレジャーは、1984年と1985年に古馬に開放された後、
1986年から1990年代の後半まで年に2回開催されました。
3歳限定戦セントレジャーと3歳上の国際競走のセントレジャーです。
正統なセントレジャーは前者ですが、デルマーなどのネット情報では
この2競走が混乱しているようです。
今回は確実に裏がとれたものだけを掲載しました。
空白は後に調査で埋めますので、ネットで情報を見つけても
そのまま空白にしておいてください。
スイスはサンモリッツが入っていないとご指摘を受けそうですが、
それは別に整理する予定です。
暇なときでよいのでよろしくお願いしますぅ。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/austria.doc
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/slovakia.doc
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/swiss.doc    
 



ところで  投稿者:有芝まはる(ry  投稿日:12月 8日(金)21時44分0秒   

Lucky師辺りが詳しいかと思われますが、48~90年の43+91~97年*2の14冊で
〆て57冊になると、このブツに関して、目方はどれくらいでしょうかねぇ?
日本で手配できる向こうからの宅配が安く済むなら、店側にそれを使えと
指示できるようなのですが、重さの想定が今ひとつつかなくて。
#一応、3冊/kgで20kgには収まってくれるといいなぁという心証。
#それ超えると、通常の小包で収まるか微妙になりそうです(笑)    
 



これであってますか  投稿者:ふてき  投稿日:12月 8日(金)19時45分40秒   

http://www.pedigreequery.com/margot8

生年不詳馬登録の禁じ手「?」を使いました。
生年がわかった時は修正しておいてくださいまし。あと、出来れば生国も。    
 



苛々  投稿者:wilde katze  投稿日:12月 8日(金)09時01分7秒   

すんません。誰かデルマで
Margot(1945)Arjaman-Morgensonne(1940)-Cassius-Mowe(Moewe)Prunus-Majaのところを
Moewe-Prunus-Maja-Spearmint-Majalis-Gaga以下キンツェムの
ライン分に変えてもらえますか?

どうもMoewe以前牝馬の生年がわからないせいか、うまく入力できません。
なんか使い方が難しいな 
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=horse&search_bar=horse&h=MORGENSONNE
   
 


ココログメンテ長すぎ  投稿者:ふてき  投稿日:12月 6日(水)19時55分59秒   

GSBvol.1~43が1500ポンドとかって、安いのか高いのか
さっぱり見当つきませぬ(いや勿論、高いは高いんですが)。

まぁ日本関係(血統センター物)の出版物をみると、妥当な線という気もしますけど。    
 



早速  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 6日(水)19時10分50秒   

お買い上げですか。行動が早い!。
300ポンド・・・さすがに金欠の僕には躊躇していまいます。
それに別途請求の送料がどれほどかかるのか。
50冊ほどですから重量を考えても、国際小包が高いといわれるイギリスであることを
考えると、送料の請求が怖いですね。    
 



買われましたか  投稿者:ふてき  投稿日:12月 6日(水)08時22分2秒   

曲がりなりにもああいうマーケットが存在してるってのが凄いですね。

リスト直ってますね。1940-1948 Lehndorff-Rennen
どなたかメールでもしてくれたんでしょうか。
それとも管理人氏がアクセス解析かなんかで、ここの(日本語の)やり取りを
チェックしていたとか?
まぁアルファベットの箇所だけ見ても概ね意図は通じそうですしね。
LBさんの写真も効果大だったでしょうし。    
 



ひぃーっー  投稿者:wilde katze  投稿日:12月 6日(水)02時25分28秒   

ブツが到着したらUpお願いします!

リストも直してくれたようで。 
http://www.galopp-sieger.de/galoppsieger/sieger?rennkz=DL&backlink=0
   
 


すみません  投稿者:有芝まはる(ry  投稿日:12月 5日(火)23時19分9秒     編集済  

何か気がついたら、自分のメールボックスに
「注文を受け付けました」
というメールが来てしまいました(;´Д`)。
平たく言えば、衝動買い、いわゆるSpendthrift。
ご教示頂き誠に有難うございます。>Lucky Boy師
そして、普通に1冊しかなかったので、注文しようと迷われていた方がいたとしたら、
誠に申し訳ありませんでした。ボーナス前なのでむしゃむしゃして食っちまった次第。
因みに、こないだJCで当てた馬券でも半分にしかなりません。デカいわ、300ポンド。
後で、どう同居人に申し開くべきか……。暫くは節約生活しよう……。    
 



マニア垂涎  投稿者:ふてき  投稿日:12月 5日(火)20時48分21秒   

さすがに本場は違いますね。
アレン書店から流れてきた分もあるんですかな。    
 



ほほう~  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 5日(火)20時28分45秒   

早速の静岡新報を調査、仕事が早いです。
大正元年秋は欠号ですか、残念です。
でも大正2年春だけ判明しただけでも収穫ですね。
僕としては明治42年秋の第1回の藤枝競馬の記事が
静岡新報に掲載されてるか気になるところです。
静岡民友新聞は写真だけで、記事はなかったので。。。

連合軍の分断統治が始まってからは、
東から西への遠征にはソ連当局の許可が必要だったようですし、
まったく先が読めない状況下だったのでしょうね。
ウニオンクラブはさっさとケルンに移転しましたけど(笑)
下記の古本屋にドイツ成績書が1948年~1997年まで売っています。
http://www.way-books.co.uk/books/category.asp?alpha=G&cat=14
ここの店、怖いくらいに各国の競馬成績書が売られています。
これはセット価格なのか?1巻ずつ販売してくれるなら、
買っちゃうのだけど。。。    
 



有難うございます  投稿者:wilde katze  投稿日:12月 5日(火)02時34分30秒   

どうもライプチヒの図書館に48年度の成績書はあるらしいが
他に用事もないしなぁ・・・まぁいつかチャンスがあった時にでも

ブルガーマイスター、ハルレキンなんかが西側ダービーに
参加しなかったのは、そのまま没収されるのを怖れたとか
セントレジャーの件とか、もうあの頃のベルリンなんかは
明日どっちに転ぶかわからない状態だったんでしょうね

89年秋以降もそうだったらしいが    
 



静岡新報は  投稿者:通りすがり  投稿日:12月 4日(月)21時48分18秒   

大正元年秋は欠落してます。2年春は残ってます。
14日の優勝戦は出走馬4頭と書いてありました。
出走権のあるのがスイテンを含めて4頭ですから、
4着で確定ですね。    
 



三月に  投稿者:ふてき  投稿日:12月 3日(日)22時26分56秒   

訳あって京都の本山まで行ってきました。
改修中につき一部しか入れませんでしたけど。
自分の近く居る熱心な信徒さんに、二十二代法主の武勇伝を話した事がありますが、
「だから何?」って感じでしたね。信仰とはそんなものなんでしょうけど。

「飲む、打つ、買う」何でも来いのお坊さんを知ってますが、あの人たちって
金持ってるだけに始末に負えないんですよね。
それも「打つ」とはいっても、勿論ばんえいの馬券なんかじゃなく、
ススキノの違法カジノかパチンコですし。    
 



静岡県立図書館と  投稿者:通りすがり  投稿日:12月 3日(日)20時06分55秒   

北海道立図書館ですか。こないだ北見へ行ったんですが、帯広が今季で終了に
なる場合(そうなってほしくはありませんが)また渡道しようと思ってます。

スイテンは安田氏の著書によれば生き仏と言われる東本願寺法主にならと考え
譲渡したというんですが、値段は書いてない。静岡民友新聞には「例の五万円
の名馬」とあって、衰えの目立つ老馬を5万円で売ったならボッタクリです。
しかも新馬主は大谷光瑩伯爵、光演師に法主の座を譲って前法主ですが、賭博
好きな上に新聞紙上にはどこぞの芸者と情約を結んだとか艶種満載、俗物ぶり
では知らぬ者のない人物で、とても生き仏とは思えません。

しかし昔の人に聞きますと、真宗信仰のさかんな地方では法主の威光は大した
もので、風呂の残り湯を争って飲んだりしたそうですから、生き仏なのかも。    
 



各位  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 3日(日)10時06分23秒   

>通りすがりさん
静岡民友新聞にありましたか。なぜ初日だけ掲載がないのだろうと
疑問に思っていましたが、僕の見落としですね。
静岡新報は欠号が多いですが大正期は残っています。
ただでさえ藤枝競馬の情報は少ないので、調査する価値はありそうです。
http://sinbun.ndl.go.jp/cgi-bin/outeturan/E_S_kan_lst.cgi?ID=002486
http://sinbun.ndl.go.jp/cgi-bin/outeturan/E_S_kan_lst.cgi?ID=010545

> wilde katzeさん
1948年の成績書はJRA図書室に所蔵してあるのですが、
1000ギニー、オークス、ウニオンは調べてきませんでした。
次に、調査に行ったときに調べてきます。
JRA図書室には1920年代からの成績書が所蔵されているのですが、
第二次大戦の前後は抜けているのです・・・残念。
ただ1949年は東側でウニオンは開催されてませんでした。
あと1948年の東2000ギニーは"Hoppegartener Henkel-Rennen"とあり、
頭にホペガルテンをつけています。
1000ギニーとオークスも東側のは"Hoppegartener”が頭についているのかもしれません。
ちなみにGrosser Preis der Dreijaehrigenにも、
確認した1948年と49年はHoppegartener Grosser Preis der Dreijaehrigen
となっていました。    
 



スイテン  投稿者:ふてき  投稿日:12月 3日(日)09時01分34秒     編集済  

なんだかんだで、70回前後は走らされていた感じですか。
時が時なら芦毛のアイドルとして国民的ヒーローになってたでしょうに。

1948年ドイツ"Re-organisation of Breeding and Racing"という項より

After the war, regional authorities were appointed in the various zones.
At the head of the central directorate is Count Rudolf von Spreti,
who was managing-president of the Union-Club until 1934, and is the
joint owner of the Waldfried Stud.
The General Secretary is F. Charles de Beaulieu, formerly the holder of
that position in the Union-Club. They are now responsible for the Stud Books
in all Zones, and they drafted and published at the beginning of the year
the new code of rules of racing, which stood the test in 1948.

シュプレッティ卿と東独側の蜜月関係に触れられた記述は見つけられず。
この辺の年度はレース結果に関しては西独側の紹介ばかりです。    
 



パソコン復活おめ  投稿者:通りすがり  投稿日:12月 2日(土)19時38分22秒   

でとうございます。私初心者でしてどういう状況なのかわかりませんが。

静岡新報は廃刊じゃないですかね。私が見たのは静岡民友新聞で、10月27日に
前日の入着馬が報じられている他、28日に前々日の主なレースの内容が書かれて
いて、そこにスイテンの名もありました。東京については4月19日に着外だった
ことが時事新報でわかりました。18・19日じゃなくて19・20日でしたね。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:12月 2日(土)17時54分58秒   

これまた貴重な資料有難うございます。

これはDVRも混乱してたのでしょうね。
BBR誌のほうはフランクフルトのセントレジャーってのまで
書いてるみたいで、大盤振る舞いですねw

48年のカレンダーではSchwarzgold-R,Preis der Diana,そして
Union-Rはどうなってますか?ウニオンレネンは社会主義サイドの
性質からして廃止してGrosser Preis der Dreijaehrigenを新設したと
推測してるのですが

あと外出前にもう一つ、その後多くのレースにヴァルドフリート牧場馬の
名前が使われたので、ヴァインベルグ卿かシュプレッティ卿(確か両者
Graf付き)とDDR上層部が深い繋がりがあったのでは?と以前書きましたが、
そのレース名もホーネッカー政権に変わって一掃されたようですね    
 



PC復活!  投稿者:Lucky Boy  投稿日:12月 2日(土)14時53分23秒     編集済  

僕も1940~1948年がLehndorff-Rennenのタイトルだと思ったのですが、
やはりそうぽいですね。ただ正確には1947年の成績書を確認してみないとわかりませんが・・・。
ふてきさんが参考にした勝ち馬一覧ですが、
そこに注記されている競走名の情報はあまり信用できないかもしれません。
創設当初のNorddeutsches Saint Leger 時代の年代も記載されていませんし。

公式成績書附の勝ち馬一覧にはFurstensteinerが勝ち馬とされているのに、
あまにり影が薄い。。。気の毒ですね。
一応、成績書のコピーを挙げておきます。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/germany.htm
1949年にはミュンヘンでセントレジャーは開催されていないようです。

さて、どちらを正統としたらよいか。。。
賞金はドュッセルドルフのほうが高いです。
それに公式成績書附の勝ち馬一覧には1948年の競走名はLehndorff-Rennenとなっている。。
となるとドュッセルドルフとなりますが、現に掲載されている勝ち馬は
ミュンヘンのFurstensteiner。悩みますね。    
 



BBR誌より  投稿者:ふてき  投稿日:12月 2日(土)12時20分42秒   

1947年にもミュンヘンセントレジャーは行われてたようですね。

Singlspieler beat Xantos in the Bayrischen Derby at Munich, and he also won
the Deutschen Derby, at Cologne, for which Xantos did not compete.
Later on in the year he won the Hessischen St.Leger at Frankfurt.
Xantos, however, had previously turned the tables on Singlspieler in the
Bayrischen St.Leger, at Munich.

と同時に、

Aikern, a son of Adventin out of Adlerfee, by Ferro, who won several races,
including the Lehndorff-Rennen at a mile and three-quarters.

ともあります。
淡々とした事実関係の記述のみで、レースの意味合い的な解説はみつかりません。

1948年版にあるセントレジャー絡みの記載箇所は

The Best of his representatives in 1948 were the four-year-old Der Lowe,
a good winner last year and winner in the current season of the
Grosser Preis von Iffezheim at Baden-Baden and Frankfurt, and the
three-year-old Meerwind, who finished second to Angeber in the
Lehndorff-Rennen at Dusserdorf.

これだけのようです。
Fuerstensteiner は一度も名前が出てこないと思います(見落し御免)。

参考資料のひとつとしてあげておきます。    
 



パソお見舞い申し上げます  投稿者:ふてき  投稿日:12月 2日(土)10時27分6秒   

調べモノOKです。札幌毎日以外もありましたらご遠慮なく。

1948年問題は結局のところ主催者側と歴史考証家の見解の相違ってことでしょうかね。
政治・思想がらみとなると、ひと筋縄では行かない気もしますが。

サイトの注釈に 1940-1948 als Lehndorff-Rennen gelaufen とわざわざ入れてあるの
ですから、1947年(44年も)のレース名も Lehndorff-Rennen と記入されているのが
普通だと思うんですけどね。それとも単なる編集ミスですかね。

あと、そのサイトでは1882年、83年の勝ち馬が Marie と Maria となってますが、
本当は82年が Marie と Brocken、83年が Maria と Botschafter の同着ですよね?

1948年ミュンヘンで行われたセントレジャーも2800mのようですよ。勝ち時計3:07.と。    
 



ドイツセントレジャー  投稿者:wilde katze  投稿日:12月 2日(土)07時52分41秒   

おそらく下リンク先のリスト制作者達は
戦前との継続を考慮して、と(注)を読んで思いましたが、
僕はRenn-Kalender読んでないので、なんとも言えませんね

しかし不思議に思うのは、先ず、1975年にDVRが出版した『Die Klassischen Sieger』
という本では、47年Aikern、48年Angeberのところには
St.Lger(Lehndorff Rennen)と書かれていて49年Aubergineからは
St.Legerとのみ記載されている。しかしリンク先のほうは
47年はSt.Legerとだけ記されています。

ミュンヘンにDeutches St.Legerがあったのは48年だけですか?
僕が思うに、彼らの考えは、『St.Legerはナチ時代に名前を変え
Lehndorff Rennenとなった。そして戦後Lehndorff Rennenは
デュッセル(ドルトムントも)で継続して開催され、49年から
名前を正式にDeutsches St.Legerとし、50年からドルトムントで
同開催が続けられた』と主張してると思います

前記の本は因みに、1946年から1975年までの、いわゆる牡馬と牝馬の
クラッシック馬を写真付きで紹介した、非常に便利な本でこっちの
ちょっとした競馬フリークなら必需品といってもいい代物で
ここに載せられなかった幻のフュルステンシュタイナーには同情する。
あとちょっとで名球会入りを逃す桑田みたいなもんかw
DVRも罪なことをする

あとミュンヘンのSt.Legerも2800mだったんですか? 
http://www.galopp-sieger.de/galoppsieger/sieger?rennkz=DL&backlink=0
   
 


諸々  投稿者:LUCKY BOY  投稿日:12月 2日(土)02時54分17秒   

パソコンがやられました。。。データはバックアップしてあったので、
全く問題なし。この二日間、復旧に努めていますが、
いまだメドが経たず。とりあえず古いノートパソコンで
ネットを繋いでいます。

>通りすがりさん
スイテンの成績はほぼ同じです。
北海タイムスは着外馬まで掲載されているケースが多いのですが、
該当のレースは着外馬が掲載されていない。。。。
札幌毎日新聞を調べれば判明するかもしれませんが、
関東にマイクロが所蔵されていないのが難点です。
藤枝は静岡民友新聞はチェックしましたが、
静岡新報はまだ調べていません。
たしか静岡民友新聞はに大正元年秋季の初日の成績が
掲載されていなかったような。
通りすがりさんは静岡新報は調査済みでしょうか。
大正2年春季の東京は、どこかに着外の情報は残っているかもしれませんね。

>ふてきさま
スイテンに限らず、北海タイムスでは情報不足な札幌のレースが
幾つかあります。そのうちに札幌毎日新聞の調査をお願いするかも。。。

明治末~大正期の公認競馬の成績は、あべちゃんに協力を得ながら、
エクセルにデータ入力していますが、まだまだ終わりは見えていません。
最近は牛歩状態です。協力を得ながら整理しているので
僕の一存では決められませんが、整理が終わったところから
公開していくことも考えています。


ドイツセントレジャーついて。
ドイツの成績書を確認しましたが、1948年度版は東西の成績・統計は一緒。
1949年版は東西の成績・統計が分けて掲載。1950年度版からは
西の成績のみ掲載、といった具合に成っていました。
公式に東西が分裂したのが1949年でしたっけ?そうならば成績書も
それにならったということでしょうか。
で、1948年のドイツセントレジャーは、Dusseldorfではなく、
オフィシャルの見解通りMunchenが正統で問題無いと思います。
Munchenのセントレジャーは"Deutsches St. Leger"の名で開催されており、
"Bayerischen St. Leger"というタイトルではないです。
ウニオンクラブの許可なしに勝手に"Deutsches St. Leger”と銘を打った競走が
開催されるわけがありません。それに1947年と1949年も"Deutsches St. Leger”の名で
セントレジャーは開催されているわけで、1948年のLehndorff-Rennenを正統とするのには
無理があるかと思います。
あと、東のセントレジャーですが、1948年はLehndorff-Rennenの名で開催されていますが、
1949年は開催された形跡がありません。僕の見落としかもしれませんが。。    
 



色々とどうも  投稿者:ふてき  投稿日:12月 1日(金)19時22分43秒   

こういう歴史ネタの醍醐味ってのは「諸説入り乱れた状況、それ自体」にあるんじゃないかと。
典型的外野ファンの自分なんかは「真実を突き止める」ことよりも、その過程で起こる
「あーだこーだ」の段階が断然楽しいわけです。

http://4travel.jp/traveler/9874/album/10005669/
コロンス島っていい感じですね。
自動車禁止の島って、都会じゃ想像できないほど静かなんですよね。
天売島(禁止じゃないですがほとんど走ってません)に行った時
ちょっとしたカルチャーショックを受けた経験があります。

Seebirk、2歳時に国際競走に出たようですが、入着どまりだったようですね。
3歳時が文句なしの黄金期で、3カ国で8戦7勝ですか。
デルマに成績入れましたんでご確認ください。 
http://www.pedigreequery.com/seebirk
   
 


Birkhahnの呪い  投稿者:wilde katze  投稿日:12月 1日(金)03時19分44秒   

Seebirkはグラディッツ生産ですね。

バーデンバーデン市賞でPriamosを降したほうが
おそらく実力を裏付けるものなのだろうけど、
その前に三歳戦のFuerstenberg-Rでダービー上位馬
Elviro、Bacchus、WillingtonそしてCortezなんかを蹴散らし
Literatの雪辱を果たしたのが、痛快ですね
結局ダービーで負け引退したLiteratを浮かび上がらせた

おそらくインターナショナル・ミーティングが開催されていれば
実現されてなかった遠征なんだろうな、と    
 



ところで以前  投稿者:通りすがり  投稿日:12月 1日(金)01時41分28秒   

Lucky Boy さんに引退を1年勘違いしていることを指摘されたスイテンの
晩年の成績ですが、以下のようなものでよろしいでしょうか。

明45.6.7 新潟 各内国産馬 2着
    6.8 新潟 各内国産馬H 2着
    6.9 新潟 内国産馬H 1着
大元.9.21 札幌 内国産洋雑種古馬 2着
   9.22 札幌 内国産サラブレッド洋雑種古馬 3着
   9.26 札幌 内国産洋雑種古馬 出否不明
  10.26 藤枝 内国産馬 3着
  10.27 藤枝 内国産馬 出否不明
  10.28 藤枝 内国産馬H 出否不明
  11.16 東京 内国産馬 着外
  11.17 東京 内国産馬 3着
  11.23 東京 内国産馬H 2着
  11.24 東京 内国産馬撫恤 着外
大2.4.12 藤枝 内国産馬 着外
   4.13 藤枝 内国産馬 1着
   4.14 藤枝 内国産馬優勝 出否不明
   4.18 東京 内国産馬 出否不明
   4.19 東京 内国産馬 出否不明
   4.26 東京 内国産馬H 着外
   4.27 東京 内国産馬撫恤 2着    
 



これは失礼しました。  投稿者:通りすがり  投稿日:12月 1日(金)01時21分15秒   

思い違いのようです。ついでにフランスの馬名制限の方も「サラブレッド以外」
じゃなくて「純血種(サラ・アア・アラ)以外」ですね。この頃軽率すぎる。