2006年1月





早速どうもです  投稿者:ふてき  投稿日: 1月14日(土)21時32分57秒   

母父ジルドレと言う事はこの馬でしょうかね。

Dauphine 1959 F Gilles de Retz - Joan III

ウェザビーズのアニマルサーチから引っ張ってきました。

インドは気候のせいもあるのかも知れませんが、年が明けた
この時期からがクラシックシーズン本番なんですね。 
http://www.weatherbys.net/eol/index.htm
   
 


新幹線の血統どこかに  投稿者:通りすがり  投稿日: 1月14日(土)21時08分8秒   

あった気がするんですが整理が悪いので見当たらない。
いずれまた。とりあえず母父はジルドレです。
カガワが勝ったのは Seshadripuram Plate ですね。    
 



東海道新幹線  投稿者:ふてき  投稿日: 1月14日(土)17時54分46秒   

登録しました。母は不明のままですが。
他の印産3頭も「天皇賞の世紀」に従って多少情報修正しました。 
http://www.pedigreequery.com/tokaido+express
   
 


騎手学校理事って  投稿者:ふてき  投稿日: 1月13日(金)23時34分50秒   

ある種の名誉職だったのかもしれませんね。

成績を見ますと、当初はそれなりの勝率を残していたのがわかりますね。
それに自分が思っていたよりも長い期間騎乗していたんだなぁ、と。

中神騎手がブラジルの歴史的名馬にどのくらい騎乗していたかは
全く定かじゃないのですが、手元で一頭だけ把握してるのは往年のマイル王
Quartier Latin のデビュー二戦目の手綱をとっていたことです。

28.04.1968 ? 1.300m (A.L.), em 1'20”7/10, com Koichiro Nakagami, sobre Maledetto, Uchoti, Iank e Intimo; 
http://www.pedigreequery.com/quartier+latin
   
 


たぶん  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月13日(金)08時59分26秒   

中神騎手のサンパウロでの成績は以下の通りです
---------------------------------------------
Year   Rnrs   Wins    Earnings     Ranking
1967    56     10     32,545.00   --
1968    248    42    199,125.00      9th
1969    202    32    210,335.00     14th
1970    180    23    156,045.00     24th
1971    120    17    159,780.00     43rd
1972    142    16    219,050.00     44th
1973    205    29    388,055.00     17th
(1974年以降は下位成績者(10勝以下)統計がなく、確認できず)
-----------------------------------------

昭和44年(1969)時はバリバリ現役なので、、
中神騎手が騎手学校の監督になったというのは、
違うでしょうね。
ただ騎乗技術は高く評価されていたようですよ。
やっと日本でもモンキー乗りが完成していた時期ですから、
そういう面で、ブラジルでも騎乗技術が歓迎されたのではないでしょうか?
それにJC会長アルメイダに優遇されていたそうなので、
何らからの肩書きを与えられたのかもしれませんね。    
 



『優駿』昭和44年5月号に  投稿者:通りすがり  投稿日: 1月13日(金)00時02分43秒   

中神騎手が騎手学校の監督者になったという記事があり
ジョッキークラブ会長直々の任命によるものであること
全騎手の憧れの職であることが書かれていました。
2月25日付けの就任を示す新聞記事も添付されており
タイムラグから考えて本人が家族に健在を通信したもの
が『優駿』に回ってきたのでしょう。
まだ若いので騎手をやめて教官になったとは考えにくく
おそらく Director は理事だと思います。
騎手は馬主(この場合は会長)のペットなのだとしたら。    
 



そ〜なんです  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月12日(木)20時14分35秒   

僕も小林氏の記事が記憶にあったので、
中神騎手の死亡が確証もてないのですよ。
ちょっと記事を探して確認してみます。


>むーさま
送りました。。。    
 



貴重なお話ですね  投稿者:むー  投稿日: 1月12日(木)02時34分9秒   

中神騎手のブラジル失踪後は、下記のとおりすがりさんの書かれた話や
(確かプーサンの南米情報記載号にそのような内容が書いてあったような?)、
騎手のエージェントのような仕事をしていたとか、本当かどうかわからない
話ばかりで半ば伝説化していましたからね。

Lucky Boy様、先日メール送りました(1/9だったかな)。
ウルグアイ等情報お待ち申し上げております。m(__)m    
 



人に歴史ありですね  投稿者:ふてき  投稿日: 1月10日(火)23時21分58秒   

逸話紹介ありがとうございます。
彼もまた破滅型でしたか。
JC会長のお抱え騎手としてそのまま横道にそれずに活躍を続けていたとしたら。。。
想像が果てしなく広がります。まぁ所詮は歴史のイフでしょうけれど。

ブックの記事が手元に無いので断言は出来ませんが、小林氏が帰国後の中神氏に
インタビューしたのは2、3年前の事だったような気がするんですが。
確か彼の故郷(九州じゃなかったでしょうか)へ出向いて取材したのではなかったかと。
あるいは御存命という可能性もあるんじゃないかと思います。    
 



中神騎手  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 9日(月)08時15分58秒   

お亡くなりになっていたのですか?
数年前のブック小林皓正氏コラムに帰国後の取材内容が記載されていて
スクラップして保存していたはずなんですが、今探しても出てきません(苦笑)

記憶にあるのは
・大統領に謁見したこと
・ブラジル三英雄の一人と呼ばれたこと
位です。

大レースを勝ったわけでもないのに英雄とはこれいかに、とは思いましたが。。。  
 
噂としては  投稿者:通りすがり  投稿日: 1月 9日(月)00時02分59秒   
   サンパウロの騎手の溜まり場で博打の相手をしたりして
小銭を稼いでいたというような話は聞きましたが・・・
本当のところや帰国の経緯やその後のことは知りません。
差し障りのない範囲で教えて下さるとありがたいです。    
 



中神  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 8日(日)22時33分9秒   

> ふてきさま

帰国して数日たちますが、まだブラジル資料の整理まで手をつけていません。
近いうちにブラジルに手をつけるので、またペルプをお願い致します。

実は、今回のブラジル訪問で、例の失踪した中神騎手の面倒とみたという
日系人の競馬関係者に会うことができたのです(中神騎手の帰国の援助をした
人物でもあります)。彼に中神騎手のブラジルでの動向を聞くことができました。
その内容というのが、なかなかショッキングなものでして、
どう公表してよいものなのか悩んでおります。
死んだ人を悪く言うのも気が引けますし。。。
で、確か以前に、帰国した中神騎手について書かれた記事があったと思いますが、
どういう内容だったか覚えていますか?
記憶にありましたら、少し教えてください。    
 



諸々  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 8日(日)21時52分43秒   

>むー様

メールにてOSAF賞のファイル&ウルグアイ情報を送りますので、
下記宛てにメールアドレスを送ってください。
ken.ooka@hotmail.co.jp
幾度とないPCのクラッシュにより、以前お聞きしたアドレスが
分からなくなってしまったので。。。


アジア経済研究所はよく行きましたよ。
La Nacion は国立図書館でも閲覧できますが、
一度に請求できる冊数が少ない上にコピー代がめちゃ高い!
その点、アジア経済研究所は職員の方も親切ですし、
融通が利いていいですよね。コピー代も安いし(^-^)
ただEl Comercioは閲覧しても競馬記事はゲットできないですよ。
El Comercioはカテゴリーによって分冊(政治・経済・文化・スポーツなど)されている
のですが、アジア経済研究所の所蔵のマイクロは、El Comercioは文化・スポーツの分冊が
含まれていませんでした。これはアジア経済研究所が文化・スポーツの分冊の
マイクロ購入するのをケチったのかもしれないですね(^-^)    
 



アジア経済研究所  投稿者:むー  投稿日: 1月 8日(日)12時48分56秒   

お訊きするばかりでは何なのでLa Nacionを調べに行ったアジア経済研究所図書館
のことを少し書きましょう。
(Lucky Boyさんはもう行かれましたか?)
おそらくwebで検索する限り、La Nacionのバックナンバーが30年前から置いてあり
誰でも自由に閲覧できる国内唯一の施設がここでしょう。
私は1月4日と6日に行きましたが、冬休み中だったためか人も少なくマイクロフィルム
閲覧室には私一人ということも多かったです。
ただ、マイクロフィルムを見るのは10年ぶりくらいだったので、勝手がわからず
初日は見方をマスターするのに精一杯、二日目は麻呂フェスタとLa Plataフェスタ
(いわゆるDardo Rocha開催)に絞って検索したのですが、頭を上下に動かして
しまうので、首と肩がこってこって仕方がなかったです。
あと、海浜幕張は遠いし寒い。(^_^;)
今後はあまり暇がないのですが、時間ができた時にEl MercurioやEl Comercioも
閲覧してこようと思っています。

>ふてき様

>むーさん。実にディープなとこまでフォローされてるのですね。
>自分なんぞ、もはや自力ではなんの調査活動もしておりません。
>頂きものや拾いものなど、至って他力本願な現状なのであります。

自分もほとんど拾いものばかりで、特に南米の情報についてはふてきさんの
ホームページがなかったらどうしようもありませんし、
Lucky Boyから教えていただかなければ立ち行かないことも数々ありました。
情報のディープさなんてお二方の足元にも及びません。
以前も書きましたが1985年からの世界のG?レース勝ち馬を調べるというのも、
始めてからもう7、8年になろうとしていますのに、なかなか終わりません。
でも南米はウルグアイを除けば、アルゼンチンが残り1レース、
ペルーが1レース(1985年のO.S.A.F.賞なんですが、Lucky Boyさんが作成された
一覧は落とし損ねました(^_^;))、チリが16レースですから、もう少しでしょうか。
ただ、webなどからの二次資料が多くて正確性に欠けるのが難点ですね。    
 



ウルグアイのG?レース  投稿者:むー  投稿日: 1月 8日(日)12時43分42秒   

Lucky Boyさん、早速ご回答くださり、ありがとうございます。
おかげさまで1985年から1987年までのJ.P.Ramirezと
同一日開催の競走は勝ち馬が判明しました。
この年あたりまではJ.P.Ramirez以外のレースには記事に言及がありません
ので、同一日のレースかどうかでしか勝ち馬がわからなかったのです。

実は前回書き込みをした時点では1985年の麻呂ファスタの記事コピーしか
持っておらず、なんとなく4競走とも同一日開催のような気がしていたので
日程をお訊きしてみたのですが、翌日1986年から1993年までを調べに
行きましたところ、1987年までは前述のごとくで1988年からはJ.P.Ramirezと
同一日のG?勝ち馬についてのみ記載があるという内容で、例えば1989年は
1月6日にJ.P.RamirezしかG?はないので4冠馬amodeoの記事しかない
(4冠馬の事ですから記事の量は多いのですが)という感じでした。

それでも随分とわからなかったレースの勝ち馬が判明しましたが、ウルグアイ
のG?についてはもう国内ではわからないかなあと考えており、もしご存知ならば
下記のレースについて勝ち馬を教えてくださいませんでしょうか。
(ウルグアイのG?がこれで全部ならばという前提付きですが)

Ciudad de Montevideo
1986年
G.P.Maronas
1994年,1995年
Pedro Pineyrua
1986年,1992年,1994年
Estimulo
1986年,1987年,1989年
Gran Criterium
1985年,1986年,1987年
Seleccion
1987年
G.P.de Honor
1985年,1986年,1987年,1988年,1989年
(1986年と1988年はFerrolだと思いますが)
Municipal
1985年,1986年,1987年,1988年,1989年
(1986年はTizanoか?)

よろしくお願いします。    
 



ことしもよろしくです。>お二方  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 7日(土)08時43分59秒   

むーさん。実にディープなとこまでフォローされてるのですね。
自分なんぞ、もはや自力ではなんの調査活動もしておりません。
頂きものや拾いものなど、至って他力本願な現状なのであります。

LBさん。情報は収集する苦労もありますが、それを整理推敲する方が
作業時間的にも大きなウェートを占めてしまうのでしょうね。
質と量と。。。シンプルですが大変な問題です。    
 



麻呂ファスタ  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 6日(金)13時44分16秒   

>むー様

あけましておめでとうございます。
開催日でよろしいのかな?。一応以下の通りです。
J.P.Ramirez    P. Pineyrua      Maronas      C. de Montevideo
06/01/85    06/01/85        06/01/85     06/01/85
06/01/86    05/01/86        06/01/86     05/01/86
06/01/87    06/01/87        06/01/87     04/01/87
06/01/88    06/01/88        06/01/88     03/01/88
06/01/89    08/01/89        07/01/89     08/01/89
06/01/90    07/01/90        06/01/90      07/01/90
06/01/91    06/01/91        06/01/91     05/01/91
06/01/92    06/01/92        06/01/92     05/01/92
06/01/93    06/01/93        06/01/93     03/01/93
06/01/94    06/01/94        06/01/94     02/01/94
06/01/95    06/01/95        06/01/95     08/01/95
06/01/96    06/01/96        06/01/96     07/01/96
06/01/97    06/01/97        12/01/97     06/01/97
06/01/04    06/01/04        06/01/04     04/01/04
06/01/05    06/01/05        06/01/05     08/01/05

ちなみに公式サイトで述べられている、各競走の歴史は間違いばかりです。
ちょっとヒドすぎるかと。
http://www.maronas.com.uy/noticias/index.php?id=2172

まずGRAN PREMIO PEDRO PINEYRUA。
 (誤)第83回→(正)第87回
です。このズレが生じた原因は、
 (誤)創設1916年 → (正)創設1913年
 (誤)1975・1976年は開催せず → (正) 1975・1976年も開催(06/01/1975,11/01/1976)
です。さらに訂正がもう一つ。
 (誤)1916年勝ち馬Solis → (正)1916年勝ち馬Belkiss。Solisは2着。
1916年はPremio Carlos Pellegrini として開催。ちなみに1916年のPremio Benito Villanueva
の勝ち馬がSolisなので、恐らくこの競走と混同したと思われます。G.P.Pedro Pineyrua は
1947年までPremio Carlos Pellegriniの名で開催され、1948年から1982年までPremio Benito Villanuevaの名で開催されていたからです。

次にGRAN PREMIO MARONAS
 (誤)第38回→(正)第44回
です。このズレが生じた原因は、
 (誤)1958年〜1970年は開催せず → (正)1964年〜1970年は開催せず
です。1958〜1963年はPremio Jockey Club de Rosarioの名で開催されています。
競走名の変遷は以下の通りです。
1950 to 1957 Premio Ciudad de Rosario
1958 to 1963 Premio Jockey Club de Rosario
1971 to 1973 Premio Ciudad de Rosario
1974 to 1982 Gran Premio Ciudad de Rosario
1983 to 1985 Gran Premio Maronas
1986     Gran Premio Direccion Nacional de Turismo (Maronas)
From    1987 Gran Premio Maronas

最後にGRAN PREMIO CIUDAD DE MONTEVIDEO。
これは創設1934年が誤りです。1933年以前はPremio Turismoの名で開催されています。
この競走の創設年については、色々と問題があるのですが、
新年初開催の牝馬重賞としては1921年が最初です。


まぁ、マローニャスは過去の資料を持っていないので、
このような間違いが生じるのはある意味しょうがないのかなぁ〜。
成績書を確認すればよいだけの話なのですが、
成績書も散逸している上に、ここ20年は刊行すらされなかったので、
詳細な成績の把握が困難になってしまっているのです。
このあたりの事情については、改めて報告する予定でいます。    
 



Buenos Nuevo Anos!  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 6日(金)13時43分4秒   

あけましてしておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

そうですね、スイテンや続氏の成績は一度整理しておかないと。
暇をみて整理します!
あべちゃんと共同で、明治40年〜大正11年までの公認競馬の成績を
エクセルに入力していますが厳しいです。
京都・小倉・宮崎など強敵が沢山ありまして。。。
それでもエクセルのファイルが10MBを超える事態になっています。
札幌は8割は入力が完了したと思います。明治40年代は終わりました。
ただ細かな確認作業が残っていまして、なかなか発表までには至らないのが実情です。
函館はこれから入力作業です。夏までには函館を終わらしたいなと思うのですが、
移り気なので、色々なことに手を付けてしまい先に進まないのが現状です。
東京競馬の着外馬の入力も終わっていないし。。。完成まで先は長いです。
とりあえず整理が付いたところから、順次公開しようかとも思っています。


ベネズエラのクラシコは以下のサイトで把握できるので問題ないかと。
さすがに日付まではありませんけど。
http://www.geocities.com/historialclasico/HistorialLaRinconada.html
http://www.geocities.com/macedojuan/

エクアドルは・・・現地に突入しないと無理っぽいですね。
グアヤキルJCと現競馬場の関係なんかもよく分からないですし。
あとパラグアイ!競馬場が新しくなったので調子いいみたいです。
ぜひ調査に行きたいです。そうそう「世界の競馬と生産」には
パラグアイJCの創設が1952年ありますが、
1920年代のブラジルの成績書にはパラグアイJC賞という競走がありました。
このあたりも気になるところです。    
 



あけまして  投稿者:むー  投稿日: 1月 6日(金)03時17分13秒   

おめでとうございます。
今年も楽しくホームページや掲示板を拝見させていただきます。
さて年明け早々から教えて君なのですが(スミマセン)、
ウルグアイのG.P.Jose Pedro Ramirezは昔から1月6日開催だと
例の「世界の競馬と生産」にも書いてありますが、同時期に行われる
他のG?レース(G.P.Maronas、Pedro Pineyrua、Ciudad de Montevideo等)
も昔(1985年頃からで結構なのですが)から同日開催なのでしょうか?
というのも、当時のLa Nacionにはウルグアイのレース結果が
少ししか載っていなくて、Jose Pedro Ramirezだけはレース名称が
入っているのですが、他の同日開催レースは第〜レースという数字と
距離しか入っていないため、重賞なのかそうでないかもわからないからです。
おそらく、ふてきさんやLucky BoyさんはウルグアイnG?重賞成績は
もうまとめられていると思いますが、こんなこともわかりましたら
教えてください。
よろしくお願いします。    
 



謹賀新年  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 1日(日)13時08分50秒   

今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

もう数年前になりますが、Lucky Boy さんに頼まれて明治39年の
函館競馬の成績(一部ですが)を調べた事があります。
その後の調査も順調に進行している、とのお話は窺いましたが。。。
(あべちゃん+LBさんで作成されている)明治期の成績編集作業の成果は
いずれ何らかの媒体で発表なさってくださるものと1ファンとして期待しております。

ベネスエラに関しては案外楽観視していいんじゃないか、と言う話がありました。
プログラムのクラシコ名に回次を振ってくれたりして、ラテン諸国では
稀有なメンタリティーを持ってるのだろうという単なる妄想からですが(笑)
エクアドルは公式サイトの更新もストップしてますね。開催はしてるのかどうか。
この辺、カリブ機構の本拠みたいな場所で全て事足りるならば楽な事この上ないんでしょうけどねぇ。