2006年6月7月




リルジオ記念三連覇ですか  投稿者:ふてき  投稿日: 7月15日(土)20時35分22秒   

編纂したのが、北海道新聞(道新スポーツ)だからこそああいう裏側に入り込んだ
内容になったのかも知れませんね。
当時関係者が寝泊りしていた粗末な掘建て小屋の写真をみるだけでも思うものがあります。
これはもう本当の馬好きじゃなければ続けられない生活ですよ。
若松師のエピソードも勝負の世界を越えた「馬好き」の証明ですね。

いやしかし戦後に調教師が中央・地方の二者択一を迫られた時の決断理由なんて
実に実にイージーなものだったんですね。
「食べ物が美味いから俺は帯広にする」ですか。。。    
 



『北の蹄音』はホントに  投稿者:通りすがり  投稿日: 7月15日(土)01時55分45秒   

スゴイです。地方競馬の歴史書の大半は公文書の羅列みたいなものですが、
この本はホースマンに密着して書かれていますからね。昔のジプシー競馬の
ありさまなんか特に。私の体験だともうかなり近代化が進んだ昭和50年代
でさえ、タイヤの取れた廃バスを越冬基地にしていた調教師もいましたし。

若松平師の父・若松進師は飲むと必ず西中尉の話をする人でしたが、ある時
釧路のアマチュア繋駕速歩の馬の写真を見せにきた人がいて、「ソフトゲイ
の子かね」とニコニコしながら見入っていたのを思い出します。最強速歩馬
ソフトゲイは鈴木英二師の馬で、若松師にはライバルのはずなんですが。    
 



帰りに  投稿者:ふてき  投稿日: 7月14日(金)22時53分30秒   

「北の蹄音」と「佐藤輔子」を借りてきました。
http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/216.html

どちらも未だ熟読してませんが、ざっと見て気付いた点をば。


  友右衛門=さわ         鹿討則武=かん
      |               |
      |     -----------------------
      |     |                     |
中島キヨ=佐藤昌蔵===きん                   直五郎=不詳
    |     |                         |
    |   -------------------------   |
    |   |  |   |   |   |        |   |
   昌次  スガ  サタ  昌介  スグ  ヤス=一條牧夫  輔子=鹿討豊太郎
  (次男)(長女)(次女)(長男)(三女)(四女)     (五女)


佐藤輔子が嫁いだのは札幌のようですね。許婚の鹿討豊太郎が札幌農学校にいた関係で。
「春」(この本は手元にありません)に出てくる「勝子(輔子)の姉から校長へ宛てた手紙」
の検証が行われてるのですが、この姉というのがどうやら一條トク(ヤス)ということのようです。
輔子は人格者である一條牧夫に対して敬意の念を抱いていたとか。

続家に関する記述はなさそうですが、しいて言うなら両者(一條家・続家)の接点と
言えなくもなさそうな記述がいくつかあります。
職を辞した佐藤昌蔵は明治9年に事業を起こそうとして函館入りする。
翌10年には一家は函館を離れますが、ここで続豊治と接触があった可能性はありそう。
ちなみにヤスが一條牧夫と結婚したのは明治11年とのこと。
あと輔子の親友、松井まん(「春」では磯子)が結婚式を挙げたのは
湯の川温泉の旅館だったそうです。

じっくり読みこんで新たなネタが見つかりましたらまた書きます。


「北の蹄音」は初めて読みましたが、この本は驚きの連続ですね。

・ドサンコによる3000m戦(走破時計は7分オーバー)
・ドサンコ800m戦で前方距離ハンデを実施!(競馬法違反か?)
・本物の馬車馬を使ったけいが競走の導入(ばんえいのルーツ)
・馬車馬による速歩競走(1ハロンが32、3秒)
・距離ハンデ実に800m(スタート地点はスタンド前と向上面!)でゴール前大接戦になる速歩
・アングロノルマンの怪物「オトコヤマ」は80キロまで負担した(2着)
・27歳の老牝馬ジョンキュが2着に100m差をつけて勝利(速歩)

うーん、無茶苦茶見てみたいじゃないですか。
まぁ今と比べちゃいけないですが、色んな知恵を絞り出していたんですよね、昔の人は。

当時主役だった速歩の重賞にはル・イック記念とかリルジオ記念とかあったようですね。
リーハグヤード、ル・イック、ジャニュー、オルバンから一文字ずつとって「リルジオ」ってのは笑えます。    
 



昔の地方競馬の成績を  投稿者:通りすがり  投稿日: 7月14日(金)03時13分46秒   

成績を調べ直しているところなのですが、
道営記念とか農林大臣賞典(ステイヤーズカップ)なんて
現在第1回とされているレース以前から行われていたんですね。
昔は速歩がさかんだったので、繋駕速歩のレースとして。
ところが昭和30年だけはどちらも平地。
長期間日本記録となる28連勝を遂げたタカマサが出現したので、
フレキシブルに対応したというわけです。昔の人は偉い。
旧4歳の身ながら道営記念は61キロ、大臣賞は62キロで勝っています。

一條友吉の母篤子は佐藤昌蔵の三女で、その長兄が北大総長佐藤昌介でした。
島崎藤村の思い人・佐藤輔子が函館のどこに嫁いだのかはわかりませんが、
ひょっとすると続秀太郎氏と一條友吉氏は当初から知り合いだったのかも。    
 



馬による競走というだけなら  投稿者:ふてき  投稿日: 7月 2日(日)10時05分55秒   

北アフリカ、東アフリカあたりには相当な歴史を持つ国がありそうですね。
ただサラブレッドによる近代英国型競馬となるとやはり南部(中西部も若干?)と
いうことになりそうですが。

>>ネット・インフラの問題ですかね。個々がトピック的なニュースとしての
>>報告している程度なんでしょうね。

そうですね。
本来の現地発信情報ではなく、観光者や一時滞在者による紹介的な代物なんでしょうね。    
 



お~~  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月 2日(日)08時39分44秒   

写真がありましたか。
なんだか、凄そうな雰囲気ですね。
それにしても写っている軽種は貧弱(^-^)ちゃんと餌を与えているのか。
競馬は反ブルジョアジーから圧力があるようで。

>どうでもいい話ですが、スーダンにしろセネガルにしろ文字情報より先に
>視覚情報が飛び込んでくるというのは一体どんな論理的理由があるのでしょうか(笑)

ネット・インフラの問題ですかね。個々がトピック的なニュースとしての
報告している程度なんでしょうね。
なんだか調べれば、思った以上にアフリカの国々で競馬は行われているのかも(^-^)    
 



写真がありました  投稿者:ふてき  投稿日: 7月 1日(土)23時52分52秒   

http://groups.msn.com/OMDURMAN/racingclubkhartoum.msnw

キャメルレースもやってます。
写真の軽種は果たしてサラブレッドでしょうかね。。。

スーダンでは馬券は違法ですか。
そういやもこの国もイスラムでしたもんね。

どうでもいい話ですが、スーダンにしろセネガルにしろ文字情報より先に
視覚情報が飛び込んでくるというのは一体どんな論理的理由があるのでしょうか(笑)    
 



スーダン  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 7月 1日(土)23時14分26秒   

かつて東アフリカの競馬国として知られたスーダンですが、
内戦により競馬は廃絶したと推測していましたが、
どうやら今も競馬は行われているようです。
競馬場は首都オムダーマンではなく、同国最大の都市ハルツームにあるそうです。
運営は Khartoum Racing Club が行っています。
スーダンの競馬は1929年にイギリス人によって始められたそうです
1994年のワシントンポストに以下のような記事が掲載されているとのことです。
--------------------------
Khartoum Journal; In Sudan, All the Horses Run Under a Handicap
By CHRIS HEDGES,

There isn't much incentive to race a horse in the Sudan. Betting is illegal. Jockeys earn a dollar a race. And the prizes barely cover the cost of a bag of oats. Nonetheless, horse racing, introduced by the British in 1929, has endured, if not always prospered. And the new season at the racetrack here, which began in October and will end in June, is drawing an eclectic collection of spectators who set aside their bitter political enmities for the love of sport, at least for a few hours.
------------------------

ネットに掲載されているスーダンの旅行ガイドにも競馬場のことが書かれています。
かつては、ケニヤや南アフリカから馬を輸入していたそうですが、
今はどうなのか気になるところです。    
 



詳細どうもです  投稿者:ふてき  投稿日: 7月 1日(土)22時43分56秒   

ご案内下さった地点をグーグルマップで確認しました。
そこには現在「ファームイングリーンヒルズヒラデ」なる施設があるようです。
施設と平出家との関係は?ですが、名称からしてもここが跡地と考えて良いのではないかと。

まぁ施設と言うか単に菜園のような気もしますが。。。    
 



not found ですかね。  投稿者:通りすがり  投稿日: 7月 1日(土)22時20分43秒   

国土地理院の25000分の1地図だと「五稜郭」のちょうど中央、
西旭岡町3丁目団地の先端の東方の谷間、北に173mの山、
南に老人ホームが建つ178mの山に挟まれたあたりだと思います。    
 



>平出農場跡地  投稿者:通りすがり  投稿日: 7月 1日(土)22時11分13秒   

敷地は大部分森林に戻ったんじゃないでしょうか。
事務所があったあたりはこのへんかと。
http://maps.google.co.jp/ie=UTF8&ll=41.809228,140.842881&spn=0.003743,0.004807&om=1  
 



平出農場跡地  投稿者:ふてき  投稿日: 6月30日(金)22時26分3秒   

今はゴルフ場か何かになってるんでしょうか。。。

あのマークイスが前川牧場生産の筆頭活躍馬でしたか。
ヒラデエナモールド×フロリースカップという平出=続血統の結晶のような馬ですが、
実際には平出氏はおろか続氏とも縁が切れた状況で生を受けていたことになるわけですねえ。

マークイス 1933 牡 黒鹿 / FNo. 3-l / Sterling 系
  父 - ヒラデエナモールド アラタマ 1925 牡 鹿 / FNo. 2-h / Sterling 系
  母 - 第三フロリースカップ フロリースカップ 1911 牝 鹿 / FNo. 3-l / Bend Or 系

  牝系図
   *フロリースカップ Florries Cup ( 1904 牡 黒鹿 Florizel )
    | 第二フロリースカップ ( 1909 牝 黒鹿 *インタグリオー )
    | | チェリーブロソム ( 1915 牡 黒鹿 *ルーヂゲーア ) … 2着-各古馬特H(阪神秋)-1921
    | |    各古馬特H(福島春)-1920 3着-各古馬特H(阪神春)-1920 各古馬特H(福島春)-1921
    | | フロリカルチュアー ( 1918 牝 黒鹿 *ルーヂゲーア )
    | | 第十一コイワヰ キングフロラー ( 1923 牡 栗 コイワヰ ) … 帝室御賞典(東京春)-1926
    |       各古馬特H(中山春)-1926 各古馬特H(福島秋)-1927 2着-目黒記念(東京特)-1926
    |       各古馬特H(福島秋)-1926 3着-目黒記念(東京秋)-1927
    | 第三フロリースカップ フロリースカップ ( 1911 牝 鹿 *インフォーメーション ) … 帝室御賞典(東京春)-1915
    | | ゴルデンカップ ( 牝 *ロイヂュール )
    | |   ヒダカヤマ ( 1933 牡 鹿 *クラックマンナン ) … 古呼馬特H(京都秋)-1936 2着-農林省賞典(阪神秋)-1936
    | |     各古馬特H(阪神秋)-1936 古呼馬特H(小倉春)-1937 古呼馬特H(小倉秋)-1937
    | | ソニヤ ( 1918 牝 鹿 *セントフヲスチノ ) … 3着-オールカマーH(横浜春)-1923
    | | 快俊 ( 1928 牝 *チャペルブラムプトン )
    | | [ マークイス ( 1933 牡 黒鹿 ヒラデエナモールド ) … 帝室御賞典(東京春)-1937 目黒記念(東京秋)-1937
    | |      オールカマーH(横浜秋)-1937 各古馬特H(東京秋)-1937 3着-オールカマーH(横浜春)-1937 ]
    | 第四フロリースカップ ( 1912 牝 黒鹿 *インタグリオー )
    | | フロリスト フロラーカップ ( 1919 牝 栗 *ガロン ) … 帝室御賞典(東京秋)-1924
    | |      連合二哩(東京春)-1924 各古馬特H(福島秋)-1924 3着-帝室御賞典(東京秋)-1923
    | |      福島県賞典(福島春)-1924 各古馬特H(福島春)-1924
    | | | 第弐フロリスト タマロック ( 1927 牝 栗 *ラシカッター )
    | | | ハクリュウ ( 1928 牡 栗 ラシデヤー ) … 帝室御賞典(東京秋)-1931 連合二哩(東京秋)-1931
    | | |    目黒記念(東京春)-1932 中山4000メートル(中山春)-1932 横浜特別(横浜秋)-1931
    | | |   各古馬特H(東京秋)-1931 古呼馬特H(中山春)-1932 2着-帝室御賞典(横浜秋)-1931
    | | |   オールカマーH(横浜春)-1932 各古馬特H(東京春)-1932
    | | | ハクセツ ( 1929 牡 鹿 *シアンモア ) … 帝室御賞典(横浜秋)-1933 目黒記念(東京秋)-1933
    | | |    5歳馬特別(東京秋)-1933 中山4000米(中山春)-1934 農林省賞典(阪神秋)-1932
    | | |    横浜特別(横浜特別)-1933 オールカマーH(横浜秋)-1933 各古馬特H(東京秋)-1933
    | | |   古呼馬特H(中山秋)-1933 2着-帝室御賞典(横浜春)-1933 農林省賞典(東京秋)-1932
    | | |   横浜特別(横浜春)-1933 中山春季5歳馬特別(中山春)-1933 3着-目黒記念(東京春)-1933
    | | |   中山秋季5歳馬特別(中山秋)-1933
    | | | スターカップ ( 1930 牝 鹿 *シアンモア ) … 帝室御賞典(小倉春)-1934 農林省賞典競走(阪神春)-1934
    | | |    古呼馬特H(京都春)-1934 古呼馬特H(小倉春)-1934 2着-帝室御賞典(阪神春)-1934
    | | |   3着-牝馬連合(京都春)-1934
    | | | アカイシダケ ( 1932 牡 鹿 *シアンモア ) … 帝室御賞典(横浜秋)-1935 目黒記念(東京秋)-1935
    | | |    中山4000米(中山春)-1936 農林省賞典競走(東京秋)-1935 2着-ダービー(東京春)-1935
    | | |    帝室御賞典(横浜春)-1935 横浜特別(横浜春)-1936 中山4歳馬特別(中山秋)-1935
    | | |   各古馬特H(東京春)-1936 古呼馬特H(中山秋)-1935 3着-目黒記念(東京春)-1936
    | | | 第四フロリスト フラワーカップ ( 1933 牝 黒鹿 *シアンモア )
    | | | 第五フロリスト ゼンヤ ( 1934 牝 黒鹿 *シアンモア )
    | | | 第六フロリスト フロラモア ( 1936 牝 黒鹿 *シアンモア )
    | | | ミナミホマレ ( 1939 牡 鹿 *プリメロ ) … ダービー-1942 2着-皐月賞-1942
    | | タチバナ ( 1922 牡 栗 *ガロン ) … 帝室御賞典(東京春)-1926 各古馬特H(小倉秋)-1927
    | | |   2着-連合二哩(東京春)-1926 連合二哩(阪神春)-1926 各古馬特H(京都春)-1928
    | | |   3着-福島特別(福島秋)-1928 各古馬特H(京都秋)-1927
    | | アスパイヤリング ( 1926 牡 青 *ガロン ) … 帝室御賞典(横浜春)-1930
    | 第五フロリースカップ ( 1913 牝 鹿 *インタグリオー )
    |   ヘンペッキー ( 1924 牝 鹿 *イボア ) … 目黒記念(東京秋)-1928 各古馬特H(小倉秋)-1928
    |      2着-連合二哩(東京秋)-1927 横浜特別(横浜春)-1928 横浜特別(横浜秋)-1928
    |      3着-帝室御賞典(東京春)-1928 連合二哩(阪神秋)-1927 目黒記念(東京春)-1929
    | 第六フロリースカップ ( 1915 牝 黒鹿 *インタグリオー )
    |   賀栄 ガエイ ( 1923 牝 栗 *ガロン ) … 帝室御賞典(福島春)-1929 2着-帝室御賞典(横浜秋)-1928
    |      各古馬特H(新潟春)-1929
    |   | ブーム ( 1937 牡 鹿 カブトヤマ ) … 3着-ダービー-1940
    |   | 栄幟 ( 1938 牝 鹿 *プライオリーパーク )
    | 第七フロリースカップ ( 1916 牝 黒鹿 *インタグリオー )
    | ハママツ ( 1918 牡 栗 *インタグリオー ) … 3着-オールカマーH(横浜秋)-1922
    | 第九フロリースカップ ( 1924 牝 栗 *ガロン )
    |   スターリングモア ( 1929 牝 鹿 *シアンモア ) … 帝室御賞典(札幌春)-1934 農林省賞典競走(阪神春)-1933
    |      各古馬特H(札幌春)-1934 各古馬特H(札幌春)-1936 各古馬特H(函館春)-1934
    |      各古馬特H(函館秋)-1934 2着-各古馬特H(函館秋)-1933 古呼馬特H(函館春)-1936
    |      3着-帝室御賞典(函館秋)-1933 古呼馬特H(函館秋)-1936
    | ヴィスカップ ( 1927 牝 栗 *ヴィセロイ )

  ------------------------------------------------------------------------------------------
                                       SireLine for Windows  Ver 1.50 - Build 496



クラーク博士に学んだ農学校生徒には岩手出身者が多かったようですね。
http://www.kouiki.chuo.sapporo.jp/purimail/old/no.2/2-history/2-history.html    
 



ついでに余談  投稿者:通りすがり  投稿日: 6月30日(金)19時38分48秒   

盛岡の一條家で雑談の折り「親戚に佐藤昌介と言って北大の総長を務めて
男爵を貰ったのがいる」という話を聞いていたのですが、
最近島崎藤村の『春』を読んだら末尾の解説に
藤村が生涯忘れ得なかった人、小説の安井勝子のモデル佐藤輔子は盛岡出身で
後に北大総長となる佐藤昌介の異母妹であると書いてありました。
輔子は明治女学校卒業後すぐ函館の婚約者に嫁ぎ、間もなく死んだそうです。    
 



その後の平出農場  投稿者:通りすがり  投稿日: 6月30日(金)19時31分6秒   

小林氏の牧場(続氏がマネージ)、前川氏の牧場(続氏と縁切れる)を経て
戦時中にドイツ人W・R・フォルスター氏の牧場になりました。
同氏はディーゼルエンジンの売り込みに来日して土着、自分の工場を持って
大金持ちになってから全国に5つ(+2)の牧場を所有しました。
北見浜頓別・エリカ牧場、函館市湯の川・前川牧場、八雲・牧場用地、
青森県乙供・羽陽牧場、地曳・山林原野、
千葉県千代田・フオクトランド牧場、
神奈川県茅ヶ崎・乳牛牧場
終戦後の昭和21年GHQに資産を接収されドイツに戻りましたが
日本の工場にドイツを追われた多数のユダヤ人を雇っていたことから
2年前にナチスによって国籍を剥奪されていたことが判明し、
秀子夫人、長女エリカ、長男ウイリーと共に無国籍者としてスイスに住んだとか。    
 



確かにやってますね  投稿者:ふてき  投稿日: 6月29日(木)07時56分6秒   

ダート風の馬場で、チョイ小さ目のコースに見えますね。
セネガルと言う国の成り立ちからして当然のこと?かもしれませんが、
黒人の手による黒人のための競馬、そんな雰囲気が何気に新鮮に感じました。
アフリカの国だと南アもジンバブエもケニアも白人主体ですもんね。

南アの種牡馬を調べていた時、チラチラとセネガル産馬が混じっていて
驚きましたけど、それなりの規模で競馬が行われてるのならそれも納得ですね。    




おまけ  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 6月28日(水)23時41分20秒     編集済  

セネガルのもう1つの競馬場Hippodrome de Thiesの
写真ページもありました。
http://www.mairie-thies.sn/resultat.asp?img_id=137

セネガルには競馬場は3つ、
ダカール、サンルイス、ティエス
だそうです。    
 



なにかスゴイよ  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 6月28日(水)23時38分7秒   

興味深いページをみつけました。
セネガル競馬です。
ダカール州のルフィクス市にあるHippodrome Tanor Anta Mbakharの様子だそうです。
http://208.179.27.199/fotoweb/Grid.fwx?folderid=5001&search=(IPTC025%20contains%20(Horse%20racing))

セネガルで競馬って怪しい情報でしたが…ちゃんとやっていたのですね。    
 



話題ループと言えば  投稿者:ふてき  投稿日: 6月18日(日)07時31分53秒   

管理人の十八番でもありますし。
まぁ実際、老人ホームの日常はそんなとこでしょう(^_^;)

Diamond Jubilee は向こうに残した唯一?の実績馬 Sancy が
種馬として失敗したのが大きかったのでしょうね。(失敗だったのか、
種無しだったのか、早死だったのか、デルマには産駒情報なしで。。。)
しかしこういうの見てると、やはり競走馬は血を残して何ぼですね。
今となっては Sancy と言えば Sancy(FR)(1969 by Sanctus) の事で、
Sancy(GB)(1903 by Diamond Jubilee) を連想するファンは皆無でしょう。
せいぜい一部の南米競馬ファンが Sancy(FR)(1953 by Scratch) を思い出すくらいで。

追伸。Llanero のスペルが違ってるようです↓    
 



断片情報ですが  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日: 6月17日(土)16時21分17秒   

現在把握してるのはこんなところということで。

|Diamond Jubilee (1897, 1900_Triple Crown, 極度の気性難)
| | → Poor Chap (by The Panther)
| |Taormina(f)   (1905, dam of Traumer, Traum by Polymelus)
| |Diamond Wedding * (1905, Brother to Best Man) --- 産駒省略
| |Sancy         (1903, Jockey Club St., Prince of Wales St.)
| |As de Espadas (1908, 1911_Gran Premio Nacional) → Coty (by Simpatico)
| |Smasher       (1911, 1914_Gran Premio Nacional)
| |Fripon        (1911) → Mineral (by Leteo)
| |Ricaurte      (1910, 初代ウルグアイ三冠)
| |Melik         (1912, Brother to Moloch, Mustafa)
| |Moloch        (1914, 1921_Gran Premio Carlos Pellegrini)
| |Last Reason   (1909, Chilean Champion Sire)
| | |Ultimo Dia  (1924)
| |Campanazo     (1912, Chilean Champion Sire) → Tabano (by Oregano)
| | |Brown Prince  (1933)
| | |Sin Sabor     (1922)
| | | |Rosarina(f) (1934)
| |Mustafa       (1910, Chilean Champion Sire, Brother to Moloch) → Caballero (by Royal Alarm)
| | |Portos      (1920)
| | |Urbion      (1921, El Ensayo)
| | |Almodovar   (1920, El Ensayo)
| | |Gin Cocktail (1921, Brother to Almodavar)
| |Chucker Out   (1911, ペルー土着化父系, 首位種牡馬2回)
| | |Carmela(f)  (1919)
| | |Misterio    (1922, ペルー二冠馬)
| | | |Dinah(f)  (1932)
| | | |Ya Voy    (1937)
| | | | |Lianero (1947, ペルー三冠)    
 



老人性記憶障害?  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日: 6月17日(土)16時19分26秒   

そういえば父系表に載ってましたか。他のどこで調べたということは
ありそうにないので、同じことを重複して調査願いだったようです (^^;
父系表は例によって次回(春シーズン終了後)まとめて更新いたしまする。

Hermit            (1864)
|St.Blaise       (1880, 1883_Epsom Derby, 米に輸出)
| |La Tosca(f)   (1888, Fashion Stakes, dam of Mohawk, Chuctanunda by Laureate)
| |Prince of Monaco (1892) → Nonpareil (by Yankee)
| |Potomac       (1888, 米三歳チャンピョン)
| |Margrave      (1893, 1896_Preakness St., Brother to Masterman)
| | |Dr. Barkley (1906)
| |Silver Fox    (1889, Brother to Ban Fox by King Ban)
| | |Sly Fox     (1895, 1898_Preakness St.)
| |St.Leonards   (1890)
| | |Dazzling(f) (1900, Northern Dancer の母方祖先)
| | |Injunction  (1900)
| |St.Florian    (1889)
| | |Flocarline(f) (1900, 1903_Preakness St.)
| | |Tonic *     (1904, 明治末期の日本最強馬, ロシアに渡る)
| |St. Carlo     (1887, Brother to Prince of Monaco)
| | |Tim Toolin  (1894)
| | | |Febo(PER) (1909, ペルー競馬草創期の内国産英雄)
| | | | |Febo II (1925, Clasico Polla de Potrillos)
| | | | |Volcan  (1926)    
 



ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日: 6月16日(金)19時14分14秒   

頂いた情報をフルにインプットいたしました。(Sienna だけ生年不詳で登録できず)
http://www.pedigreequery.com/febo
http://www.pedigreequery.com/misterio6

ついでに Gigolo(ARG) も登録
http://www.pedigreequery.com/gigolo7

父系表@GURUに Chucker Out と Tim Toolin の名が。。。確認怠りましてorz
おそらく以前ココでお伺いしたんでしょうね。申し訳ないっす>関係者各位    
 



ついでに補足  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 6月16日(金)13時17分37秒   

20世紀初頭のペルー競馬の最強戦は、Clasico Jockey Club Buenos Aires や
Clasico Comercio でした。特に前者はアルゼンチンジョッキークラブがスポンサーになったので、高額賞金競走となっていました。ジョッキークラブ賞は毎年開催されていたわけではなく、
通年開催になったのは1916年からです。
さらにちなみにですが、第2回ジョッキークラブ賞の勝ち馬Gigoloは
血量31/32のアルゼンチン産馬で、サンチアゴ馬事クラブに遠征して重賞を勝っています。
おそらくこれがペルー馬による最初の海外重賞制覇だと思います。    
 



補足です  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 6月16日(金)12時43分38秒   

FEBO (PER) ch.c.1909
(父)Tim Toolin (USA)1894, by St. Carlo - Sienna (by Stratford - Emma Hunter)
(母) Biondina (CHI) 1895, by Genoves - Slave(CHI)1890 (by Doncaster II - Fighting Cocks)
 ※Fighting Cocks (GB) 1880, by Cathedral - Mother Neasham
Races:65, Wins:26
Stakes Wins:
(1913)Apertura, Comercio
(1914)Presidente de la Republica, Comercio
(1915)Alfredo Benavides,
(1916)Alfredo Benavides, Carlos Von der Heyde, Ministerio de Fomento, Jockey Club

内国産馬としては、輸入馬を蹴散らした最初の競走馬です。内国産馬として初めてジョッキークラブ賞を勝った馬でもあります。1969年から1978年までClasico Feboという重賞が行われていました。

-------------------------------------------------------------------

MISTERIO (PER) b.c.1922
(父)Chucker Out (ARG)1911, by Diamond Jubilee - Catamarca (by Bruce - Catalape)
(母) Miss Ketty (ARG)
Races:33, Wins:13
Stakes Wins:
(1925)Inieiacion, Alfonso Ugarte, Polla de Potrillos, Junin, Derby Nacional
(1926)Almirante B. du Petit Thouars, La Copa, Jockey Club, Presidente de la Republica, Comercio, Navidad

まだ三冠クラシックが整備されていない時代の二冠馬。輸入馬を蹴散らし古馬の主要競走を制覇。ジョッキークラブ賞は、Febo以来二頭目の内国産馬の勝利です。(ちなみに次に内国産馬がジョッキークラブ賞を勝利したのは1941年)。1969年から1990年までClasico Misterio という重賞が行われていました。
母Miss Kettyはペルー競馬草創期を飾る名牝。生涯成績は53戦26勝(重賞14勝)。1915年と1917年は最多獲得賞金馬となっています。
父Chucker Outは1922年と1927年に首位種牡馬になっています。南米各国でのDiamond Jubilee系の成功に改めて関心させられます。一度、南米でのDiamond Jubilee系を纏めるのも面白いかな。    
 



ひとまず現状を  投稿者:ふてき  投稿日: 6月16日(金)00時39分1秒   

http://www.pedigreequery.com/febo
http://www.pedigreequery.com/misterio6
登録しました。
が、見ての通り血統不明個所だらけです。血統は以前Lucky Boyさんにお伺いして
SireLineに入力してたような気もする?のですが、今となってはデータベースが
開かないもので。。。
競走成績はLucky Boyさんの調査結果を丸々無断記載させていただきました。
お許しをm(_ _)m

Misterio、Miss Ketty は古馬大レースの共和国大統領賞、ジョッキークラブ賞を
母仔制覇のようです。
Febo は種牡馬としてポーリャデポトリーリョス勝ち馬 Febo II、セバリョスの勝ち馬
Volcan 兄弟を輩出しているようです。
http://www.pedigreequery.com/febo2
http://www.pedigreequery.com/volcan6
Misterio の方はポーリャデポトリーリョスの Ya Voy、ポトランカスの Dinah を輩出。
http://www.pedigreequery.com/dinah11
http://www.pedigreequery.com/ya+voy2
そして Ya Voy が三冠馬 Llanero を輩出。
http://www.pedigreequery.com/llanero4
以上の全てがLBさんの調査結果からの拝借情報です。    
 



再三の教えて君恐縮です  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日: 6月15日(木)23時00分17秒   

「1916年のジョッキークラブ賞を制したフェボや1925年のペルーダービー馬
ミステリオのような、内国産のチャンピョンホースも誕生したが、これらの
ケースはまれであった」(161頁) この二頭の情報おねがいします m(__)m    
 



選ばれましたか  投稿者:ふてき  投稿日: 6月 1日(木)08時24分32秒   

当然、北米でレース数を多く勝っている馬が選ばれやすいのでしょうから
南米名馬で初選出がこの馬だったのは妥当というべきでしょうか。

この馬が移籍したのはチリの3歳クラシック終了直後(成績は振るわず)なのですね。
青田買いが進んだ現代だと、この(遅い)タイミングで移籍する馬は
あまり北米で芳しい結果を残せない傾向にありますから、感慨深いものがあります。
この馬自身、晩成でもあったんでしょうね。    
 



クーガーの  投稿者:通りすがり  投稿日: 6月 1日(木)04時43分29秒   

北米競馬の殿堂入りが決まりました。
意外な気がしますが南米産馬はこれが最初っぽい。