2006年11月



花崗岩?  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日:11月30日(木)22時56分57秒   

手持ちの独和辞書がショボくて"Fuerstenstein"が載ってないのですが、参考になればと。

福建省アモイ(厦門)はアヘン戦争でイギリスに占領され、その後は租界地になりました。
海運の要衝、また石材の産地として有名。近くのコロンス島は島全体が花崗岩でできています。
アモイはまた鄭成功の根拠地でもあったので、日本(人)ともつながりがある。鄭成功の立像は
もちろん花崗岩製(高さ20m)。ここらへんから連想した可能性もありますね。
http://amoinoko.z1.bbzone.net/amoi/amoi.htm

普通名詞としてなら花崗岩は "Granit" です。「あの」Granit の他にも何頭かいるらしい。
http://www.pedigreequery.com/granit6
http://www.pedigreequery.com/granit2
http://www.pedigreequery.com/granit    
 



花崗岩ですか  投稿者:wilde katze  投稿日:11月30日(木)22時10分34秒   

僕は馬名の意味はおそらくNeckarと同じようにFumarie d Opiumの
繋養地イザーラント牧場があるバイエルン地域の
地名(Fuerstenstein)のほうだろうと思います。
フュルステンシュタイン人って意味と思います
あと、あの辺はケルトの地名が多いらしいですね
ネッカル(川)もそうだろうし、イザー(Isar)ってのもそうらしいし

下リンクがイザーラント牧場で右下にモンズン四代母の
Motetteが見れますね。

頭文字をしかし時々変える時ありますよね
Danubiaとか 
http://www.gestuet-isarland.com/deu/geschichte.html
   
 


花崗岩ですか  投稿者:ふてき  投稿日:11月30日(木)21時24分22秒   

繋がり(連想ゲーム)があるのかどうかは。。言語の壁でようわからんす。

ABC順命名法はフランスが起源だったんすか。
ブラジルは大オーナー中心にそれが主流なんですよね。
抜くのは26文字中でWとYですかな。Kを抜くオーナーもいるかも。
あとブラジル馬といえば冠名ですね。

アルゼンチンあたりはドイツスタイルの人も結構いるようですけど、
日本チックな、と言いましょうか、例えば Bernstein 産駒の牡馬なら Storm~、
牝馬なら Stormy~とか、Numerous 産駒なら Mr.~、Miss~ とか
そんな安易なのも多いですね。
向うは当歳とか二歳とか早々に馬名登録しますから、日本で言う所の幼名
みたいなのがそのまま馬名になっちゃってるのかな、などと妄想しますが。 
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=progeny&search_bar=progeny&h=EARLDOM2&sort=Year&done=y&filter=All%20Horses&cf
   
 


意味は花崗岩です。  投稿者:通りすがり  投稿日:11月30日(木)20時30分16秒   

ドイツ馬は母馬名のイニシャルを継承するので
Fで始まる馬名を付けたことは間違いないと思いますが。

こうした変わった習慣は他の国にもあって
フランスではサラブレッド以外の馬は農務省の規定により
22年周期でA~Vで始まる馬名を付けることになってます。
アルカポネの次の世代はBから、その次の世代はCからですね。    
 



オピウム吸飲  投稿者:ふてき  投稿日:11月30日(木)07時54分51秒   

Fuerstensteiner とはどういう意味なのですか。王子様関係ですか?
阿片やアジアとは関連してなさそうですかね。

例の競走は通称ドレスデンダービーでしたか。
当時の記事で紹介されたり、歴代勝ち馬の顔触れがが揃っていたという事は
少なくとも今より重要度は高かったんでしょうね。

関係ないですが、この馬ってGERじゃなくDDR産(デルマ的にはGDR)ですよね。
http://www.pedigreequery.com/seebirk
当歳(二歳かも)でハンガリーに売られて行き、東欧諸国のクラシック路線で大活躍、
その後、西ドイツに遠征し Priamos らを倒すなどした、と。    
 



祖母のLupercaleの意味は  投稿者:wilde katze  投稿日:11月30日(木)03時30分54秒   

古代ローマのバレンタインデーにありですか

そしてDark Japanと出会って阿片の煙(?)に包まれる
中国と日本がごっちゃになってるなw 
http://www.ukinfo.jp/culture/valentine.php
   
 


Preis der Dreijaehrigen  投稿者:wilde katze  投稿日:11月30日(木)03時15分40秒   

という名前で、これはヘンケルとウニオンの間に
行なわれるダービートライアル(今もある)で
俗にいう『ドレスデンダービー』ってやつですね。

勝ち馬も歴代そうそうたるメンバーで(統一後は駄目だが)、
ハリケーラン弟Hibiscusはライスシャワーを思い出させたw

Herold-R、そしてPreis der Volkseigentum Gestuetに変わり、
統一後、なんかビールの名前になったんですよね

まぁ、ドレスデン開催っていうだけで、かなり価値が下が・・・・

下のFuerstensteinerの血統見てると、なんでフランス競馬関係の
ウェブが無いのかなぁ・・とか思いますね。異国情緒溢れる血統でいいなぁ
母方の名前って、どっから思いついたんだろ 
http://img407.imageshack.us/img407/125/chine19096ks.jpg
   
 


癖になりますよ  投稿者:ふてき  投稿日:11月29日(水)23時49分42秒   

東独版ウニオンレネンにあたるのかどうかわかりませんが、それらしい記述を
LBさんの資料(1977年のBBR誌)から見つけましたので紹介します。ご参考まで。

(2000ギニーの結果紹介に続き)
Antrieb finally re-Appeared in the Preis der Volkseigenen Gestute
over 2200 metres in Dresden. He was heavily supported, and in the
absence of Traumwandler and Brachtvogel the second favourite was
Indikator, who had shown a lot of improvement in his gallops.
With 200 metres to run three horses were all in line and after a
tremendous struggle Antrieb prevailed by a length over Indikator,
with Anwarter a neck farther away in third place.
(ダービーへと続く)

ちなみにここで取り上げられているこの年の全牡牝3歳限定競走名&勝馬名は以下の通りです。
Preis des Kreises Strausberg (1600m) Traumwandler
Fruhjahrszuchtpreis der Dreijahringen - 2000 Guineas (1600m?) Traumwandeler
Preis der Volkseigenen Gestute (2200m) Antrieb
Derby der DDR - Derby (2400m) Antrieb
Grosser Preis der Dreijahringen - St.Leger (2800m?) Asta

Preis des Volkseigenen Gestutes Graditz - 1000 Guineas (1600m) Kamtschatka
Grosser Stutenpreis der Dreijahringen - Oaks (2000m) Drossel

http://www.pedigreequery.com/traumwandler
http://www.pedigreequery.com/antrieb
http://www.pedigreequery.com/asta9
http://www.pedigreequery.com/kamtschatka
http://www.pedigreequery.com/drossel    
 



Fuerstensteiner  投稿者:wilde katze  投稿日:11月29日(水)21時52分35秒   

始めて入力したw
なんか癖になりそうですね

ちなみに母はロートシール卿生産で、戦後返還されてますね 
http://www.pedigreequery.com/fuerstensteiner
   
 


解説どうも  投稿者:ふてき  投稿日:11月29日(水)18時37分19秒   

整理するとこんな感じですか。

1941 Deutches St.Leger(Hoppegarten)
1942 Lehndorff-R(Hoppegarten)
1943 Lehndorff-R(Hoppegarten)
1944 Deutches St.Leger(Hoppegarten)
--------------------------------------------------------------------------------------------
1947 Deutches St.Leger(Dortmund)                                 Lehndorff-R(Hoppegarten)
1948 Lehndorff-R(Dusseldorf)       Bayerischen St.Leger(Munchen) Lehndorff-R(Hoppegarten)
1949 Deutches St.Leger(Dusseldorf)                               Lehndorff-R(Hoppegarten)
1950 Deutches St.Leger(Dortmund)                                 Lehndorff-R(Hoppegarten)


公式の方は Fuerstensteiner になってる事が多いようですね。
でも言われてみると Angeber の方が筋が通ってるような気も。

そのサイト様、DDR重賞もフォローしてくれたらありがたいんですが。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月29日(水)04時17分25秒   

ここの最初に詳しく書かれております。

そして

(注)ディレクリウム(ドイツ競馬胴元)の公式の統計では
バイヤン・セントレジャー勝ち馬Fuerstensteinerが公式の勝馬として
記載されています。
ナチス独裁によってセントレジャーは1940年レンドルフレネンと
改名されました。
そしてそれは1948年、2800mのクラッシックレースとして
デュッセルドルフに決まりました。
私達の解釈では正しい勝馬はAngeberで、よってリストにも
そう記載しました。

ということです

僕の理解するところでは
『バイヤンは戦後のドサクサにバイェリシェス・セントレジャー
などと名をうったレースを開催したが、前後関係考えたら
デュッセルのレンドルフレネンこそが正統なセントレジャーだろ?ボケェ』
ってとこですね。

ということで48年はレンドルフレネンという名のレースが
東西に計二つ存在していた、と。

あとウニオンレネンが東では存在していなかったのかもね。
だいたい政治的にもウニオンクラブは社会主義的に合わなそうだし 
http://www.galopp-sieger.de/galoppsieger/sieger?rennkz=DL&backlink=0
   
 


fr. とか v. とかは  投稿者:通りすがり  投稿日:11月29日(水)03時31分55秒   

わかりませんが、als は「~として」、 gelaufen は「走った」でしょう。    
 



お大事にです  投稿者:ふてき  投稿日:11月29日(水)00時27分18秒   

Pelagonia も登録しましたが、あとから Pelargonia 名で既に登録があったことに
気付きまして。
http://www.pedigreequery.com/pelagonia
http://www.pedigreequery.com/pelargonia2
一方を削除しようと思ったんですが、何故かデリート機能が使えません。
しょうがないので、しばらく放置ですね。
牝系は頂いた情報で繋いでおきました。

LBさんに頂いたドイツ(西独)セントレジャー勝ち馬一覧の冒頭にこんな注釈がありました。
Grosser Thier-Preis(Deutsches Saint Leger)(GII)3-jahrige
(fr.Norddeutsches Saint Leger (v.1940-1948 als Lehndorff-Rennen gelaufen)

これってどういう意味かわかりますでしょうか。
恐らく東ドイツの Lehndorff-Rennen 絡みだと思うんですが。

20世紀前半の独セントレジャーはグリューネヴァルド競馬場の看板競走だった感じですね。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月28日(火)22時48分0秒   

ひどい風邪引いたんで、取り敢えず73年のプラハ賞だけでも

Pelagonia(su)Antej-Pretensia(1964)-Ebonit-Panama-Part Four-
Notwehr(1939)-Lampos-Narcisse(1934)-Herold-Nespola-Cicero

それからDDR最初の三冠馬はFaktotumと言われていますが、
これはSt.Legerに該当するのがLehndorff-Rで、実はビルクハーンも
そのレースは勝ってるが三冠馬とは呼ばれない。
多分、ビルクハーン当時は三歳馬、古馬混合レースだったから
なんでしょうが。    
 



そんな  投稿者:ふてき  投稿日:11月25日(土)21時37分6秒   

著名な曰くがありましたか。勉強になりました。
その昔、山野氏が「ニューマーケット、シャンティイ、ホッペガルテンが
欧州三大調教場である」と記されてましたね。

Detvan も Hajek もナパジェドラ牧場の生産馬ですか。
両馬の父 Gradivo がヴァルドフリートの馬なので、想像するに
ホッペガルテン競馬当局=ヴァルドフリート牧場=ナパジェドラ牧場
には強固なコネクションがあって、その線から実現した参戦だったのかな、と。    
 



グリューネヴァルトは  投稿者:通りすがり  投稿日:11月25日(土)01時07分37秒   

独版ロンシャンですかね。ホッペガルテンが独版シャンティイで。
そんでもってヒトラーの号令でベルリン五輪の主会場になったと。    
 



グリュンヴァルドについては、また後日  投稿者:wilde katze  投稿日:11月24日(金)22時32分41秒   

最近、知ったのは、以前DDRが社会主義国際競走に
参加したのは54年だと書きましたが、自国で国際競走を
開催したのは、52年のDDR大賞で、手元の資料(Rennkurier)には
『52年開催日には1500人のチェコ人が駆けつけた。』と書かれております。

というのもDetvanが一番人気で出走したからで、結局、勝利したのも
『外国馬』西側のブッシュホフ牧場のMamertusで、その翌年は
DDR馬FilouがHajek(チェコダービー馬)を降しています
そのようにこの二年間は西独とチェコスロバキアから、
馬が参加したようです。

もっぱらブッシュホフの馬は48年から58年まで793競走を
走ったみたいなので、西からの招待馬って感じはしませんが。
その他の西の馬が走ったのかどうかは知りません。

あと53年は開催が六月十七日事件の影響で遅れたらしいです。  
 



DATE: 11月24日(金)22時14分7秒
TITLE: なんか
NAME: ふてき  MAIL: 

作業増やしちゃって申し訳ないです。おひまな時で結構ですので。

下の1887年勝ち馬間違ってました。本当のところは。。不明です。
何かの拍子に発掘できたらご報告しますんで。
性別、生年などはデルマでご確認ください。




DATE: 11月24日(金)21時39分6秒
TITLE: どうもです
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

ブリュッセル大賞馬情報、サンクスです。
追加しておきます。




DATE: 11月24日(金)20時45分33秒
TITLE: なるほど
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

1949年に正式に東ドイツ国家が成立する以前は、
ドイツがどう転ぶかわからずに、当時の競馬人も先が見えない状況だったということですね。Birkhahnが東西両ダービーを制覇できたのも、まだ厚い壁ができる前の
微妙な時期だったからなのかな。

敗戦前の3歳クラシックはすべてホペガルテンに集中していたのですね。
ダービーも1943年からハンブルグからホペガルテンに移されていたということは、
戦渦により地方でのクラシック開催は厳しい状況だったと推測です。
これを見るとホペガルテンを持つ東側がド3歳クラシックの本流を主張しても
全然不思議ではない気がします。

                     1944          1947
Schwarzgold-Rennen   Hoppegarten   Koln
Henckel-Rennen       Hoppegarten   Dusseldolf
Union-Rennen         Hoppegarten   Koln
Preid der Diana      Hoppegarten   Dusseldolf
Deutsches Derby      Hoppegarten   Riem
Grosser Thier-Preis  Hoppegarten   Riem




DATE: 11月24日(金)20時22分5秒
TITLE: 初期の
NAME: ふてき  MAIL: 

ブリュッセル大賞馬です。FT4より。

1885年 Mineure(FR).......Blenheim(GB)-Marchioness(GB)
1886年 St.Honore.........Dollar(FR)-Vivienne(FR)
1887年 Vert-Vert(BE).....Fripon(FR)-Vivacity(GB)
1888年 Faust(FR).........Saxifrage(FR)-Finance(FR)
1889年 Tire-Larigot(GB)..Plutus(GB)-Dollar Mare(FR)
1890年 War Dance(FR).....Galliard(GB)-War Paint(GB)

St.Honore は産国表記なしです。Borgia も(牝馬だと思うのですが、性別記載なし)。

あと Abbey's Grey も三冠馬のようですね。
http://www.pedigreequery.com/abbeys+grey

ベルリンといえば、昔の資料を見ていると Grunewald(グリューネヴァルド?)
競馬場というのがあったようで、ここでダービー代替開催もしてたりしますね。
20世紀前半くらいまではその名を見かける気がしますが、今は一体どう(廃墟?)
なってるんですかね。




DATE: 11月24日(金)20時04分22秒
TITLE: 諸々
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

ベルギーファイル、父母情報の追加までしてもらい、大変感謝です。
ちょっと整理方法を考えてからhtm形式でアップします。

DDR2000ギニーは当初は西側と同じ名前だったのですね。
ドイツの3歳クラシックは、東西分裂後は西ドイツ側に継承されと理解されていますが、
これは東ドイツでも、分裂以前の3歳クラシックを継承していると考えていたということは
ないのでしょうか?東ドイツが、本山のホッペガーテンを継承していたわけですし、
「我が国のダービーが、ハンブルグダービー以来の正統なダービーだ!」
とか言っておかしくないような(^-^) 回次も1947年を第1回とせず、
それ以前の競走から数えていたのでは?と想像するのですが。。。




DATE: 11月24日(金)19時37分11秒
TITLE: 雑談
NAME: wilde katze  MAIL: 

当時の新聞は読んだことないので、量り知れませんが
ダービーはハンブルグのものとしても、総本山は勿論
ホペガルテンですからね。

色々、記事を総合して考えると、初期はドイツの国自体が
どう転ぶかわからなかったので、名称はそのままにしておいて
その後、早急な統一は望めないとわかり、新名称を付けたんじゃないか、と
推測なんですが。

あと新たなレース名を付けるのは社会主義的には一向に問題無く、
しかしそれに反するかの如く、古い名称、特に
Fervor、Festa、A-Weinbergなどヴァルドフリート牧場絡みの
名を付けたのは、理事長が個人的にヴァルドフリートと以前深い関係に
あったのかな?とか思ったりします




DATE: 11月24日(金)12時44分4秒
TITLE: 諸々
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

ベルギーファイル、父母情報の追加までしてもらい、大変感謝です。
ちょっと整理方法を考えてからhtm形式でアップします。

DDR2000ギニーは当初は西側と同じ名前だったのですね。
ドイツの3歳クラシックは、東西分裂後は西ドイツ側に継承されと理解されていますが、
これは東ドイツでも、分裂以前の3歳クラシックを継承していると考えていたということは
ないのでしょうか?東ドイツが、本山のホッペガーテンを継承していたわけですし、
「我が国のダービーが、ハンブルグダービー以来の正統なダービーだ!」
とか言っておかしくないような(^-^) 回次も1947年を第1回とせず、
それ以前も競走から数えていたのでは?と想像するのですが。。。




DATE: 11月24日(金)07時32分38秒
TITLE: 登録しました
NAME: ふてき  MAIL: 

ギニーもダービーと同年創設なんですね。
という事はセントレジャーもですかな。
なぜかオークスは遅れて始められたようですけど。

HOMEPAGE: http://www.pedigreequery.com/patriot22




DATE: 11月24日(金)06時36分26秒
TITLE: 自己解決2
NAME: wilde katze  MAIL: 

申し訳ないPatriotはPaceの全兄でした

HOMEPAGE: http://www.pedigreequery.com/pace2




DATE: 11月24日(金)04時33分37秒
TITLE: 自己解決
NAME: wilde katze  MAIL: 

Patriotでした。血統はわかんねw

47年から53年まではHenckel-Rで、その後Fervor-Rennen
そしてFruehjahr・・・・って名前に変わったんですね




DATE: 11月23日(木)21時22分2秒
TITLE: 大量どうもです
NAME: ふてき  MAIL: 

更新しました。
http://homepage1.nifty.com/futeki/int_meeting.htm
Grum は血統部分なしでコメント他の情報だけ入った仮登録?があったので
それを肉付けしました。母、兄弟ともどもウクライナ産のようで。
東独二千ギニー勝ち馬、手元資料ではわかりませんでした。

ベルギー一覧、情報加味しました。施行条件とかほとんど手をつけてませんが。
ファイルは数日で削除します。ニフのHP容量が一杯一杯なんで。

HOMEPAGE: http://homepage1.nifty.com/futeki/belgium3.doc




DATE: 11月23日(木)19時32分49秒
TITLE: 補足
NAME: wilde katze  MAIL: 

Brigantinaの母もBaltimoraでRapallo母はRaba(1919)ですね

HOMEPAGE: http://www.pedigreequery.com/baltimora2




DATE: 11月23日(木)19時20分22秒
TITLE: プラハ賞
NAME: wilde katze  MAIL: 

80 Latina(cssr)Masis-La Legion
81 Struna(su)Athens Wood-Skala
82 Swetscha(su)Athens Wood-Sosnowka
83 Nursja(pol)Freefoot-Napajedla
84 Jaka badz(pol)Kasjan-Jazda
85 Femina(su)Montcontour-Feljuga
86 Romantika(su)Mont..-Rumynija
87 Diorama(su)Mont..-Desna
88 Diamina(pol)Parysow-Diamanta
89 Salvia(su)Athens Wood-Semra

60年以前もちらほら見つかるものもあるけど
時間がかかりそう。
アニリン母もプラハ賞勝ってます

あとGrum母はミスプリでGrangaですね。デルマで72年産のやつです。

それと誰かFervor-R(DDR2000ギニー)の53年勝ち馬わかりますか?
52年Mamertus、54年Wilfriedだと思うのですが
53年がわからず。レース名も正しいかどうかわかりません。




DATE: 11月23日(木)19時19分22秒
TITLE: プラハ賞
NAME: wilde katze  MAIL: 

61 Laba(su)Bims-Lucette
62 Grafirowka(su)Faktotim-Geran
63 Gwineja(su)Element-Geran
64 Taman(su)Maranon-Tiefsee
65 Tawerna(su)
66 Etna(su)Faktotum-Egina
67 Afina(su)Faktotum-Aragwa
68 ausfiel
69 gemischt
70 Driada(pol)Negresco-Dobrawa
71 Aika(su)Craighouse-Ananasnaja
72 Skala(su)Craighouse-Sekunda
73
74 Florina(su)Skarb-Fraza
75 Tengerszem(hun)Seebirk-Theba
76 Smuzka(pol)Mehari-Synogarlica
77 Andorra(su)Derski-Alfa
78 Vanessa(pol)Saragan-Viola-Surmacz
79 Faluna(su)Athens Wood-Florina




DATE: 11月23日(木)14時30分26秒
TITLE: まるなげ
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

>ふてきさま
了解しました。

ベルギーのデータファイルですが、暇な時でよいので、
勝ち馬の産国と性別だけフォローしてくれると助かります。
父馬情報は…労力も大変ですし、
デルマーみれば殆んどわかりますから無しということで(^-^)
ノルウェーは父馬情報を追加してみましたが、
労力だけが大変であまり需要もないので、削除しようかと思っています。

HOMEPAGE: http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/norway.doc




DATE: 11月22日(水)22時20分51秒
TITLE: あとそれから
NAME: ふてき  MAIL: 

私信ですが、DVD使用不能でした。申し訳ないっす。>LBさま




DATE: 11月22日(水)22時17分4秒
TITLE: どうも
NAME: ふてき  MAIL: 

FTで血統がわかる馬(ダービー&ブリュッセル大賞勝ち馬)中心になりますが
こちらでフォローしましょうか。父、母、産国くらいしか出てこないでしょうけど。




DATE: 11月22日(水)21時59分22秒
TITLE: ベルギー
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

昔作ったファイルに、最新情報を追加したものです。
気力を失い、恥ずかしいほどに未完成です。
一応、青色が牡とセン馬、赤色が牝ですが、
ほとんど調査しておらず黒色のまま。
生産国もほとんどが未入力です。
こんな具合に、他のマイナー国も整理して、
途中のまま4~5年間放置中。。。
最新情報&父馬情報ぐらいは追加するかなぁ~~。

HOMEPAGE: http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/belgium.doc




DATE: 11月22日(水)19時09分46秒
TITLE: 更新しました
NAME: ふてき  MAIL: 

万人が満足するカタチってのはありえないですもんね。
良くも悪くも今の姿は末端ファンからトップまでひっくるめた総意で
作り上げられたものなんでしょう。
あとはすんなりそれを受け入れられるか、文句垂れながらも付き合いつづけるか、
それとも黙って姿を消すか。

#ジャパンカップ週のブックを買わなかったのは15年ぶり位だろうか。

だいぶ前、LBさんの資料にFT4情報を加味してブリュッセル大賞勝ち馬一覧作ろうかと
思ったことがあるんですが、さすがに需要もなさそうなんで。。




DATE: 11月22日(水)11時20分50秒
TITLE: ちょっとですが
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

1965 プラハ賞,3yo(f), 2400m, 2:35.0, TAVERNA(SU)
1967 プラハ賞,3yo(f), 2400m, 2:33.6, AFINA(SU)
1971 プラハ賞,3yo(f), 2400m, 2:33.1, AIKA(SU)




DATE: 11月22日(水)03時50分13秒
TITLE: 日本にいないのでわかりませんが
NAME: wilde katze  MAIL: 

ちょんまげして紋付き袴姿で、馬名に漢字を
復活させるようなブリーダーがそろそろ出てもいいのに
神道式馬産とかで『うけひ』で種牡馬決定するとか

生産者サイドも小商売人だけになってしまっているのが
競馬のダイナミズムを妨げてるような気がする

69年Brigantina(udssr)2s.G.W.-Bartimore

70年平和賞
Immunis(hun)2c,Imperial-Mikroszkop

80年 プラハ賞
Latina(cssr)3s.Masis-La Legion




DATE: 11月22日(水)02時02分32秒
TITLE: JRAの説明では
NAME: 通りすがり  MAIL: 

中央の重賞及びオープン特別と地方の統一グレード競走の内、
外国調教馬に門戸を開いているレースが国際格付けを得ると。
すると日本ダービーなんかはリステッドのままみたいですね。
国内向けには相変わらずダービーもGⅠで通すでしょうから、
国際的にもGⅠのGⅠと国際的にはLのGⅠができるのかな。
あれ、ダービーは門戸を開いたんだっけな、確認しなくちゃ。




DATE: 11月21日(火)23時47分11秒
TITLE: ありえないでしょうが
NAME: うーむ  MAIL: 

カタログに記載されている地方競馬の統一グレードも
世界的に認められるものになるのでしょうか。
海外からの地方競馬(JBC等)への参戦があったりしたらおもしろいですが・・。
題名どうりでしょうね。
しかし パート1になったのことで 海外からサラブレッドの購買者が
増えるのかどうか可能性は未知数。




DATE: 11月21日(火)23時10分31秒
TITLE: 今年の
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

ジャパンカップの招待馬の少なさと日本のパート1国昇格、
この2つのニュースは国際化を謳ってきたJRAにはとっても皮肉めいていますね。

ジャパンカップの未来は原点回帰にあると思うのだけどなぁ。
今こそ地域内の国際競馬色と強めてよいのではないでしょうか。
日本の競馬関係者の国際化って単に“欧米第一主義”って感じで、
典型的な日本人の思考回路ですね。
自国が競馬二流国と自覚していたころ、ジャパンカップを創設時は、
インドやトルコから招待馬を呼ぶというと考え方ができたのでしょうが、
競馬レベルが上がったと見れば、もうインドやトルコなどのアジア競馬を卑下している。。。
いまでこそシンガポールを持ち上げていますが、15年ほど前の某騎手のJRA移籍問題の時の、
多くのシンガポール競馬を扱き下ろした論調、今でも嫌な気分を覚えています。
情報が無い=競馬更新国、という単純な図式。
これは日本の海外競馬ファンもそう。某巨大掲示板には、かつてジャパンカップに
招待されたインドやトルコの名馬、さらにそれらの国の競馬さえも小馬鹿にする意見が
多く見られる。
そもそも、インドやトルコなどの競馬レベルを正しく判断できているのだろうか。
インドなんかは、かつては一度入国したら二度と出国できない、
というぐらい厳しかった競走馬の輸出入規制があったわけですし、
頻繁に他国と交流を持つ状況下になかったわけです。
国内の生産頭数、競走数、競馬場数、近年の良血種牡馬の輸入、
それに歴史を鑑みて、全体のレベルには差があっても、
個々に突出した名馬が登場した場合、国際レベルで良い勝負ができる
可能性を秘めていると思うのです。

それに、本当に日本が一流国であるという自覚があるのなら、
JRAが競馬後身国見なしているアジアの国に国際競走の門戸を開いて、
それらの国の競馬レベルの向上に貢献するべきではないでしょうか。
それが先を歩く者の使命ではないのかな。
かつて、欧米から日本が競馬未開の国と言われていた時代、
凱旋門賞やワシントンDS国際の世界の一流馬が集まった国際競走に
日本馬が出走できた歴史を忘れてはいないだろうか。
今一度、ジャパンカップにインドやトルコ、さらに東南アジアからの招待枠を設けて、
「アジア各国の代表馬が世界と戦う」国際競走を作り上げてることはできないだろうか。
まぁ、パート1国になって喜んでいる、見栄だけは一人前のJRAには
鼻から無理な話だろうけど。

ベルギーは首都ブリュッセルの競馬はなくなってしましたね。
ダービーはダートですし(^-^)




DATE: 11月21日(火)22時37分7秒
TITLE: ベルギー、スペインともに
NAME: ふてき  MAIL: 

フランス競馬界の多大な影響下にありましたからね。
クシャミをしたら風邪をひく関係どころの騒ぎじゃなかった、と。
まぁ繁栄あっての凋落なわけで、歴史と名誉を残せばそれで十分じゃない
などという達観(?)の域に至る廃人もここにいるわけですが。

プーサンでも記載されていた1911年BBR誌の主要競馬国種牡馬ランク一覧の
1913年版を紹介しときます。
網羅範囲が、英愛、仏、伊、独、白、二重帝国、露、亜、伯、宇、豪、新、南阿、米
の14カ国(地域)で、首位種牡馬の獲得賞金(ポンド)順に並べ直すとこうなります
ARG     Cyllene        (40,013)
GB/IRE  Desmond        (30,973)
FR      Flying Fox     (28,166)
AUS     Ayr Laddie     (26,140)
GER     Ard Patrick    (24,777)
ITY     Signorino      (22,103)
NZ      Soult          (20,685)
BEL     Talion         (15,730)
USA     Broomstick     (15,202)
AUT/HUN Gouvernant     (14,767)
RUS     Darley         (14,500)
URU     Diamond Jubilee (7,756)
SAF     Greatorex       (6,535)
BRZ     Pericles        (3,889)

何かの参考までに。




DATE: 11月21日(火)20時33分59秒
TITLE: 1983年の本はまだ
NAME: 通りすがり  MAIL: 

青表紙じゃなかったですね。パート3もなかった。
パート1は北米2国と西欧5国の計7国で、パート2は

ベルギー・スペイン → 脱落
デンマーク・スウェーデン・ノルウェー → スカンジナヴィアとしてパート2を維持
パナマ・プエルトリコ → パート2を維持
メキシコ・ジャマイカ・トリニダードトバゴ → パート3に降格
ブラジル・アルゼンチン・チリ・ペルー → パート1に昇格
ウルグアイ → パート1に昇格してからパート2に逆戻り
ヴェネズエラ → パート2を維持
豪州・NZ・南ア(ジンバブエを含む) → パート1に昇格
日本 → このたびめでたくパート1に昇格

新たにパート1に入ってきたのは阿連酋
新たにパート2に入ってきたのは香港・澳門・星馬・印度
こう見るとアジアの地位が上がってるようですね。

ベルギーの凋落には驚かされます。仏PMU進出の成果ですね。
ブリュッセルの駅の売店にもパリチュルフがあって地元競馬の新聞なかったのは
新潟駅の売店に中央の専門紙ばかりで県競馬の新聞がなかったのと共通してます。




DATE: 11月21日(火)18時41分43秒
TITLE: ありがとうございます
NAME: ふてき  MAIL: 

第1回ジャパンカップを前にして感じた、あの言い様の無い期待感と高揚感。
時代が進歩すると競馬はさらに面白くなる、と真剣に思っていたあの頃。
ところが結果はどうだろう、情報化とグローバル化と交通手段の進歩と市場の寡占化が
もたらしたこの現実は。

最近つくづく思いますが、往年のワシントン国際以上に娯楽性の優れた国際競走は
今後二度と現れないでしょうね。




DATE: 11月21日(火)17時44分49秒
TITLE: 偏屈妄語
NAME: GURU@偏屈爺  MAIL: 

昔の毒気があれば、日本パート1国入り大反対イィィィィィィ~!の電波論説を
飛ばすところなんですが、もはやその気力もなし(笑
せいぜい国内競馬の空洞化を招き、馬券売り上げの減少が続いてJRAが自分の
首を絞めるのを物陰から楽しませてもらうことにします。

思うに、いわゆる「名勝負」とか「豪華メンバー」が集まるというのは、馬主や
厩舎サイドからすれば決して合理的ではない。海外遠征がやりやすくなり、能力
的にも手が届き、出走するレースの選択肢が増えるとなれば、「日本」などと
いう枠にこだわらず、どこでも勝てる見込みのあるレースを選んで使えばいい。
競馬の情報化が進み、さまざまな不確実性が減ることで、出走馬のレベルとレース
のクラスのミスマッチも減る。どのレースも実際に勝負になる少頭数の間で争わ
れる傾向が強まり、またレース自体のレベルも序列化され、明確になっていく。
それを究極まで押し進めれば、「真の最強馬」が出るレースは単走になり、相手が
いなくなって引退する。世界の強豪が一堂に会して名勝負を展開するなどという
のは、他に出走レースの選択肢がないか、互いの能力を見誤っているのでなければ、
勝者以外には無駄な頑張りなわけです。無駄な努力を敢えてさせるのは賞金以上の
”オーラ””伝説”とでもいうべきもので、それは競馬のビジネスサイドに情報が
行き渡るにつれて雲散霧消していくだろうと。まあ実際には「南米から来た怪物」
がそうした情報化と序列化が作り上げた鉄の檻をぶちこわし、大レースを再び混沌
たる不確実の祭典に戻してくれるものと期待してますが。。。

他に書くところもないので書き慣れた掲示板を汚させて頂きました。失礼をば m(__)m




DATE: 11月21日(火)16時56分17秒
TITLE: 昇格ですか
NAME: ふてき  MAIL: 

馬のレベルと賞金額はとっくの昔にパート1級(スーパーパート1級)で
したからね。直接の関係者以外はあまりピントこないかもしれません。

ところで、ICSCってのは各国からの拠出金で運営されてるんですかね。
だとしたら92年にウルグアイが降格した真相は
「おまえら、もう何年も金払ってないだろ。罰として降格処分ね。」
だったりして。

あと、余談ですがこのニュース、英語圏だと「ブルーブックのパート1国入り」、
ブラジル(ポルトガル語)だと「リブロアズウ(青い本)のパート1国入り」って表現で
報じられてますが、日本ではこのフレーズあまり使われてない感じです。




DATE: 11月21日(火)13時24分2秒
TITLE: やっと
NAME: うーむ  MAIL: 

パート1に日本も仲間入りのようですね。




DATE: 11月20日(月)08時03分45秒
TITLE: 桃色真珠
NAME: ふてき  MAIL: 

ポーランド産ですね。失礼しました。
オークス(プラハ賞)もフォローした方がいいですかね。

サラレコって何気にワールドワイドな内容だったんですか。
確かサラブレッドタイムズの前身でしたよね?
今でもそこはかとなく伝統は感じられますけど。




DATE: 11月20日(月)03時14分27秒
TITLE: (無題)
NAME: wilde katze  MAIL: 

英語読めねぇーwww
実は来月からとるコースでは英語を少し理解する
必要があるかもしれないんですが・・・・・

下記リンクのダービー一覧のところではPink Pearlはポーランド産と
なっていますが、どうでしょうか?

HOMEPAGE: http://www.velka-chuchle.cz/listiny.php?dostih=18&idtrener=0&idjezdec=0




DATE: 11月20日(月)03時06分57秒
TITLE: ↓
NAME: 通りすがり  MAIL: 

冒頭の udeas は ideas の間違いです。その他にもタイプミスはあると思うので
変だなと思う箇所は適当に読んで下さい




DATE: 11月20日(月)03時04分17秒
TITLE: ついでにこの前話題に
NAME: 通りすがり  MAIL: 

なっていたハンガリーの初期血統書の記事を。いやこの雑誌スゴイわ。タヒチの
競馬やらボルネオの競馬やら所構わず書きまくりです。『世界の競馬と生産』の
ネタもかなりここから取ってますね・・・というか翻訳してるだろコラって感じ。

Other English udeas flooded in: A privately-compiled Stud Book, edited by
Count Nadasdy in 1832; a race for gentlemen riders, in the same year (won by
Szechenyi); the first hurdle race, still in 1832; and the first steeplechase
in 1839. Many Englush jockeys, trainers, and lads came over and the number
was continuallu growing. A new epoc began when John Nevin set up as a public
trainer in 1837 (a date at which public trainers were still virtually unknown
in England).




DATE: 11月20日(月)02時46分27秒
TITLE: 1980年の国際開催を
NAME: 通りすがり  MAIL: 

伝えるサラレコの記事が見つかったのでちょっと書いときますね。

When the Hungarians announced their program for 1980, however, many were
taken aback. There was to be only a single day of racing, instead of two.
Furthermore, the traditional set-up was to be changed and most of the races
consequently discontinued. What remained were seven races, four of them
conditioned to be East European championship events─the 2,400-metre Warsaw
Prize for three-year-old colts and fillies, regarded an International Derby,
the 2,400-metre Prague Prize for three year old fillies, effectively the
International Oaks, the 1,400-metre Budapest Prize for two-year-olds, and
the 2,800-metre Moscow Prize, a new name for the Socialist Cup, for three-
to six-year-old entire horses and three- and four-year-old fillies.

This changed program would foster little protest, for it had been pointed
out on many occasions that the two-day meeting was too grueling a test,
taking a tremendous toll and effectively ruining the chances of the best
horses to venture West and compete with honour there. What dod foster a
great deal of ill-feeling, however, was the Hungarian announcement concerning
severe restrictions on expenditure. Up to and including the 1979 meeting,
the host country paid for everything, including transport. Now the Hungarians
refused to pay for the expenses of the delegates of the annual Congress, a
traditional part of the meeting, and severely cut their sponsorship of the
whole of the event.

For a time the very existence of the International Meeting seemed in danger.
The Russian party, however, insisted on the continuation and others finally
gave up. With the exception of Bulgaria they all came, but with far fewer
horses and very dampened enthusiasm. The Poles, for example, nominated only
two juveniles, while Czechoslovakia sent none at all.




DATE: 11月19日(日)23時04分51秒
TITLE: 確か
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

スロベニアも参加資格があります(実際、参加したことはないかもしれませんが)。
今のところメンバーは6ヶ国ですね。




DATE: 11月19日(日)21時27分50秒
TITLE: その時代も
NAME: ふてき  MAIL: 

国内優先か国外優先かで問題になってましたか。
古今東西、解決しえない永遠のテーマですかね、これは。

もし中欧BCに他の旧ユーゴ諸国が参加してくるとなると、各JCがまとまりをみせますかね。
どんな連中がトップに立っているのかわからないんですが、互いに反目しあったりは
してないんでしょうかな。
他のスポーツ競技のように国際大会ですんなり協力しあうかどうか、ですね。




DATE: 11月19日(日)18時03分0秒
TITLE: (無題)
NAME: wilde katze  MAIL: 

正直、ここならクロアチアも参加していいような
気もするんですが、

あと65年のワルシャワ開催から、それまでの5日間22競走(基本的に)を
3日間18競走に変更したらしいですね。
原因は主催者側の負担が重過ぎるのと、あまりにも長期の開催日程だと
自国のレース開催に影響が大きく、結果として競走馬の質の低下に
つながるおそれがあるということがある、と

例えばDDRではレンドルフレネン(DDR St.Leger)に
国際競走後、良馬が参加しづらいということがあったらしい

80年には開催日程が最終的に一日になったことを考えれば
最初に大風呂敷広げ過ぎだろ、とw

HOMEPAGE: http://www.hipodrom.hr/01_07_06.asp




DATE: 11月19日(日)12時44分59秒
TITLE: チェコ主導でしたか
NAME: ふてき  MAIL: 

それで第1回がプラハだったと。
BBR誌の扱いからしても、最初の数年は割と小さなイベントだったんでしょうね。
東独が参加し、ソビエトが参加して、一大フェスタになりあがったと。

CEBC勝ち馬一覧、拝見しました。
生産の観点からすると、ポーランドの躍進が目立ちます(中東欧諸国内で相対的に、ですが)。
種牡馬 Dixieland(POL) に期待する者として心強い限りっす。

HOMEPAGE: http://www.pedigreequery.com/soderano




DATE: 11月19日(日)12時04分15秒
TITLE: やはり
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

1989年が最後ですか、社会主義国国際競走は。
あとは最初の3年ですね。

フランスの競馬雑誌「Courses & Elevage」の1991年4月号に掲載された中欧競馬の特集記事が
JRAの機関紙に翻訳されていまして、そこに各国の戦後競馬史が紹介されいました。
国際競走は西欧と隔離された中欧諸国がサラブレッド生産の孤立化を避けるために、
協力関係の強化をねらってチェコスロバキアのヴァクラフ・ミハルが主導して
創設されたものだそうです。
最盛期には8日間29競走が開催されたとあります。

一応、中欧ブリーダーズCをまとめてみました。
整理しておかないと、わからなくなりますから(^-^)

HOMEPAGE: http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/cebc.htm




DATE: 11月19日(日)12時02分15秒
TITLE: 糠喜びでしたか
NAME: ふてき  MAIL: 

情報有難うございます。
各馬修正したつもりですが、どこかに問題あったららご一報を。
http://www.pedigreequery.com/goldregen2
http://www.pedigreequery.com/gobelia2
http://www.pedigreequery.com/komet3




DATE: 11月19日(日)10時42分12秒
TITLE: Trakehner
NAME: うーむ  MAIL: 

残念ながらKometの父は そのGoldregenではなくて
TrakehnerのGoldregenですね。(Born 1943)
Sternのところだけがサラブレッドのようです。




DATE: 11月19日(日)09時09分26秒
TITLE: あと寝る前に
NAME: wilde katze  MAIL: 

やっぱり89年で社会主義国国際競走は最後みたいですね




DATE: 11月19日(日)08時52分49秒
TITLE: すんません
NAME: wilde katze  MAIL: 

DDRの国際競走参加が51年でGoldregenによって
初勝利がもたらされたのは54年でした。

で、下の馬はどうかなぁ・・・
Koketteその子供Kometってのは存在してたのですが
Goldregenとは関係無く、Komet(1945)-Ladro od.Monitor-Kokette(1930)
って感じで、Koketteはそれ以外では存在してないと思いますが・・

下のHerbst・・・もなんか温血種っぽい気が・・・
ドイツじゃないのかな

あと仔の母父Sternは正しいですが、他は???

一応、その時期の血統書は持ってるつもりなんだけど...




DATE: 11月19日(日)07時25分23秒
TITLE: 懐かしいです
NAME: ふてき  MAIL: 

バイオニックジェミー。友達と冒頭のナレーション覚えて遊んだ記憶ありますよ。
あと謎の円盤UFOとかも。

51年に関してはこんな記述でして
----------------------------------------------------------------------
The international meeting was held on the first three Sundays in September.
Eleven horses from Poland, 14 from Roumania and two from Germany were
sent to the meeting. The foreign raid was quite successful; of the ten races
seven were won by Roumanian horses and two by Polish horses.
----------------------------------------------------------------------
ハンガリーの部の記述なので、他に地元ハンガリーが参加してるわけですが。
結果は10レース中ルーマニア7勝、ポーランド2勝、ハンガリー1勝ってことかと
思ったんですが(とは言え文中で紹介されているのは下記の9レースなんですが)。
それとも10レース以外に行われた競走ってことですかね。ブカレスト賞。

ところで Goldregen デルマに登録した(もともとあった骨に肉付けした)んですが、
この馬からの枝が結構続いてたんですね(デルマを信じるなら、ですが)。
http://www.pedigreequery.com/herbststurm
この馬が種牡馬で、牝駒が一頭登録されてます。
なんでしょ、これは。それこそドイツの田舎で半愛玩用ですか!?
ともあれハイフライヤー系衰亡史に新たな1ページが刻まれました。




DATE: 11月18日(土)18時12分13秒
TITLE: (無題)
NAME: wilde katze  MAIL: 

なおGoldregenが勝ったのはブカレスト賞です




DATE: 11月18日(土)18時10分0秒
TITLE: (無題)
NAME: wilde katze  MAIL: 

よく書かれてるのは49年50年にはDDRは国際競走に参加せずに
51年に初参加しGoldregen(Norbert-Goldliesel-Ricardo-Goldlese-Laland-Ginestra)2c
が初勝利した、ってので、51年も二歳馬戦はあったと思いますが
しかし平和賞についてはわかりません

>通りすがりさん
あの辺は震災で大変だったんじゃないですか?直後に仕事で
行ったとき、ちょっと場所はズレるかもしれませんが
東灘の住宅地の崩壊には唖然としました。

僕も祖母が浜甲子園の団地に住んでて、ベランダから見える
地平線の船舶をよく眺めていました

ミスターエドはさすがに知らない(笑
ドイツにいるとたまに田舎の家を訪問することがあって
そういうところでは馬飼うのも犬飼うのも手間は同じって
感覚はありますね。散歩するのにも充分な道がありますし
あと、こっちの田舎は家が安い。古い見捨てられた農家の
物件が一杯ありますからね

HOMEPAGE: http://www2.hi-nobori.net/yukiusagi/dorama/others/mistered.html




DATE: 11月18日(土)07時57分39秒
TITLE: いえいえ
NAME: ふてき  MAIL: 

こちらこそ過去ログ保存公開してなくって申し訳ないっす。
その分、既出ネタ振りも余裕でOKですから、ここは。

ミスターエドは見たことなかったですね。微妙に世代ズレではあるんですけど。
そういや奇しくも昨夜は馬が喋る映画を地上波でやっていたようで(観ていない)。

たしかコーリー・ナカタニ騎手も自宅で馬飼ってましたよね。
日本で純粋なペットとして馬を飼っている人ってどのくらいいるんでしょう。




DATE: 11月17日(金)21時42分27秒
TITLE: >トニック渡露
NAME: 通りすがり  MAIL: 

ありがとうございます。自分で書き込んだような記憶はあったんですが。
近頃の発見としては千住競馬、深川競馬なんてのがありますが、これも
既に発見していてどこかに書いたのを再発見してるんじゃないかという
気がしないでもない・・・脳が腐りかけてますね。

>子供時代を
自分も西宮の浜の方で育ってるんでなんとなくわかりますよ。びっくり
したのは武庫の荘に住む医者の息子の家に行ったとき。バックヤードが
全部芝生で米TVのホームドラマみたいでした。ミスター・エドという
ドラマがありましたが、主人公の家の裏庭に厩舎があってエドって馬が
人間の言葉をしゃべるという。あれなんか設定自体信じられなかったん
ですが、アメリカには愛玩用の馬が何百万頭もいるそうです。




DATE: 11月17日(金)21時23分46秒
TITLE: 資料漁り
NAME: ふてき  MAIL: 

1951年はそこそこ詳しい記述がある(競走名は全く書かれていない)のですが、
2歳戦って行われてないっぽいんですよね。

first day
???---------Musaca(GB/1946)--Roumania
1+1/2miles--Pink Pearl(CZE/1948)--Czeko-Slovakia
1mile-------Broadway(GB/1946)--Hungary

second day
7f----------Conga(ROM/1946)--Roumania
10f---------Malaga(ROM/1948)--Roumania
2miles------Epigon(ROM/1947)--Roumania

last day
10f---------Pasha(ROM/1948)--Roumania
1mile-------Musaca(GB/1946)--Roumania
14f---------Pink Pearl(CZE/1948)--Czecho-Slovakia

49、50年はほとんど情報ないっす。
50年は3歳以上でKozienice Prizeというのがあったらしいですが。
ダービーと2歳王戦が整備されたのは52年以降なのかもしれませんね。

Bagrowy と思われる馬はデルマに2頭いますね。
http://www.pedigreequery.com/bagrovy
http://www.pedigreequery.com/bagrovoi
両方に産駒がいますね。一頭はgelding登録ですが。




DATE: 11月17日(金)16時05分29秒
TITLE: 子供時代を
NAME: wilde katze  MAIL: 

尼崎のボロ長屋で暮らしたものには
東南アジアなんかは懐かしい気持ちにさせるよね

まぁ日本が欧米から学んだものっていっても
激しく日本化させてのものだろうし、なんらかの拍子で
没落した時には、元のアジア的原風景に戻るだろうし
ていうか日本が欧米化してると思ってるのは、日本人だけだと
思うんだけどね。なにが欧米化か?ってのも難しいけど・・・

あと、初期の社会主義国際競馬大会49年から51年ってのは
競走名はわからないのかな?

ロシアスタッドブックの父系でGistの仔Ambergってのが
ありましたが、Bagrowyって仔も種牡馬になってたみたいで
探したけど名前はなかった。




DATE: 11月17日(金)08時00分26秒
TITLE: トニック渡露
NAME: ふてき  MAIL: 

>ウラジオ余聞  投稿者: 通りすがり  投稿日: 8月19日(金)19時41分44秒
>今度は昭和34年の優駿です。石井三郎という人の記事ですが、半沢喜一郎元騎手が
>競馬共助会に勤めていたので、半沢氏からの聞き書きと思われます。
>(中略)
>44年にはマスレンコからサラブレッドの種馬をとの依頼があり、半沢がカナダ人の
>主人が持つトニックを4月にウラジオへ運んだとのこと。トニックといえば明治末期
>の日本最強馬であり、その後半生が謎だっただけに、渡露したと知って一安心です。

優駿だったですね。それ登録したの自分ですから。

デルマへの登録希望馬とかありましたら、ここに血統情報書き込んでくださいまし。
牝系牡系が繋がるところまでわかればありがたいです。

昔の新聞記事の特徴ですよね。残酷性全開ってのは。
殺人事件の記事とか「おいおい、そこまで書くか」って内容ですもん。
まぁ今で言う際物雑誌の役割も果たしていた、という事かもしれません。




DATE: 11月17日(金)01時20分48秒
TITLE: 国際競馬花盛りですね。
NAME: 通りすがり  MAIL: 

百年前の日露大競馬会もほぼその全容が判明しました。
スイテンは5勝したそうですが、最終日以外は日本馬同士のレースみたいです。
ところでデルマでトニツクのインフォーメーションを見ると1911年ロシアへと
書いてあるんですが、これのソースは何でしたかね。さっぱり思い出せなくて。
ご存じの方よろしくお願いします。

昔の新聞読んでると殺人や児童虐待は日常茶飯事、窃盗も電線を盗んだとかまるで
フィリピンみたいですが、昔は日本もインドもマレーも同じようなものだったんで
日本だけなぜか欧米化しちゃったんですね。
馬の感電力試験なんてのもありました。一度に高圧にさらすと100ボルトで死ぬ
けど10ボルトずつ上げていくと280ボルトで死んだとか・・・




DATE: 11月16日(木)21時26分45秒
TITLE: なるほど
NAME: ふてき  MAIL: 

それで距離が2400mだったわけですね。
59年もそのパターンっぽいです。

ブルーソンによればソフィア、ロッセ、チョウメン、ヴァルマに競馬場がある、と。
おそらく現存するのがソフィアと言う事でしょうね。




DATE: 11月16日(木)13時49分43秒
TITLE: 追記
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

1969年はダービーと国際競馬会議記念賞は、統一した形で開催したとのことです。




DATE: 11月16日(木)13時41分12秒
TITLE: (無題)
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

> 先ずソフィアで牡馬の競走はおかしい(女性名なので)

単純にブルガリアの首都名からレース名を拝借しただけで、
そこまで深く考えていなかったのでしょうね。
女性名詞・男性名詞という考えがあるのですから、
レース条件も踏まえてレース名を決めるほうが最もらしいのだけど(^-^)

そうそう、ブルガリアの競馬場はソフィアにあるそうです。




DATE: 11月16日(木)13時34分13秒
TITLE: ふむふむ・・・
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

OrfeiはOrpheyが正しいのでしょう。
ロシア語の競馬本から引用したので、
キリルを単純にローマ字に変換したのですけどね。。。




DATE: 11月16日(木)13時33分31秒
TITLE: 追走
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

諸々の訂正ありがとうございます。
NOTASH KAPITANI はハンガリーです。

国際競馬会議記念賞です。ダービーとW制覇がありますね
1962 Detvan
1963 Imperial
1965 Gabona
1966 Anilin
1967 Aktash

開催地はJRAの報告書では1959年も回次に含まれています
1959年の第11回大会はブカレスト(ルーマニア)になっています。
これは実はベルリンに代替となったということでしょうか。
1963年は、ブダペスト(ハンガリー)
1965年は、ワルシャワ(ポーランド)
1966年は、モスクワ(ソ連)
1967年は、ベルリン(東ドイツ)
1968年は、プラハの予定でしたが、政治情勢で中止。




DATE: 11月16日(木)08時32分47秒
TITLE: お知恵拝借
NAME: ふてき  MAIL: 

諸々更新しました。
牝系がわからないものも、とりあえず登録してたり。。。

Goldpokalはステイヤー戦じゃないでしょうか。
69年で言うところのワルシャワ賞みたいな。
初期だと4000m戦だったりしたようですし。

69年のプラハ賞も社会主義国ダービーとは言いがたいですね。
59年ともども参考扱いで一応全レース記載してみましたけれど。

よく考えると、アニリンのホームモスクワはサンドコースなんですよね。
米国ではワシントン国際以外のダート競走の走りも見てみたかったところ。
ジョッキークラブGCとか未だ当時は2マイル戦だったはずなんですが、
登録条件だとか何かしら垣根が高かったんでしょうかね。




DATE: 11月16日(木)06時18分41秒
TITLE: (無題)
NAME: wilde katze  MAIL: 

ここに80年以降の開催の原型が見えますね

先ずソフィアで牡馬の競走はおかしい(女性名なので)
最高賞金額のレース(国際競馬社会記念賞)は宗主国である
ソ連がとる、と

DATE: 11月16日(木)04時06分17秒
TITLE: 1969年
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

の代替開催は、1日のみ(9月7日)で、レースは6つ。
プラハ賞(3歳牡牝、1600m)
ソフィア賞(2歳牡、1200m)
モスクワ賞(3歳上、2400m)
ブダペスト賞(2歳牝、1200m)
ベルリン賞(3歳牝、2000m)
ワルシャワ賞(4歳上、3200)
です。2歳戦は牡・牝それぞれ限定戦なので、
2歳王者戦としての平和賞の代替と考えることはできないかもしれませんね。




DATE: 11月16日(木)03時40分38秒
TITLE: ふむふむ・・・
NAME: Lucky Boy  MAIL: 

OrfeiはOrpheyが正しいのでしょう。
ロシア語の競馬本が引用したので、
キリルを単純にローマ字に変換したのですけどね。。。




DATE: 11月16日(木)02時49分50秒
TITLE: (無題)
NAME: wilde katze  MAIL: 

平和賞
1967年 Sagon(udssr)2c.Gay Warrior-Sastawa-Sektor II (Sambar全兄)

Orfeiは尊師の言う通り!って他にないか(笑
Fak*o**mのことです

AmpullaはPastoralの傍流みたいですね
Pad-v.Deligence-Panama-v.Marconi-Pastralと続くのかな?
なんか足りないような気もするが

この年アニリンは社会主義国賞でそのOrfeiを四馬身差楽勝してる。
あと社会主義国賞はGoldpokalとも呼ばれてるのかな?
そうなら探せばまだ出てきそうだが、こういう作業って
シンドイですよね・・・平和賞ってソ連国内にもあるし・・・

個人的にはアニリンはシーバード以上の名馬なんだけどね
当時の輸送事情とか馬場適性とか想像すれば

HOMEPAGE: http://www.pedigreequery.com/pad2




DATE: 11月15日(水)23時45分37秒
TITLE: **totum からの連想
NAME: GURU@偏屈爺  MAIL: 

東欧系ですぐ思い浮かぶのが東独三冠馬 Faktotum ですが
年代は合ってるでしょうか?

http://www.pedigreequery.com/faktotum




DATE: 11月15日(水)18時21分57秒
TITLE: 追加しました
NAME: ふてき  MAIL: 

59年はそんな経緯のようですね。
やはりダービー相当の3歳戦は行われてない感じ。

Orfei は Orphey で記載があったのですが、肝心の血統部分がコピーミスで
一部解読できず。
by **otum(***otum)
この父の名がわからないんですよね。
もしかしたら二(三)文字目はtで、*totum(**totum) かも。

アニリンはそのあとに走ったブダペストの国際開催(ソフィア賞)でも負けてるんですね。
平和賞を使ってないようですから、何か問題が生じていたのかも。

HOMEPAGE: http://homepage1.nifty.com/futeki/anilin.htm




(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月15日(水)03時06分6秒   

平和ショー
65年 Libretto(Hun)2s.Imi-Libretta
66年 Aramis(udssr)2c,Rasgar-Albina

あと59年ですが、どうもブカレストで行なう予定だったのが
中止になり、当時、馬産中央局プレジデントだった
Dr.Dr.ギュンター・ゲレケという人物がホペガルテンで
代替という形で四競走を開催させた、と書かれてます

なお、このベルリンの国際競走というのは東独で
ミーティングが開催されない年には、外国馬を呼んで
開催されていて、二歳時のアニリンが負けたのがそれですね

90年の分はわかりませんでした。無いことを証明するのは
難しいw    
 



いや凄いですね  投稿者:ふてき  投稿日:11月14日(火)19時45分54秒   

ちょっと見ただけですが、種牡馬連中(その父も)デルマ未登録だらけっす。
ウクライナ馬とか特にそんな感じ。

例の Degazator の輸出記録はないですね(91年以降ですが)。
種牡馬リストにも名前が無いようで。
まぁ最後まで謎の馬であり続けるのも乙なものですけど。    
 



話によると  投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月14日(火)17時10分40秒   

ロシア血統書は3度改編されているようです。
19世紀前半に最初の血統書の第1巻が刊行されてからソ連崩壊時まで刊行されたのが第1期。
1990年代に血統書を国際基準して刊行されたのが新第1巻で、第2期にあたります。
そして、昨晩アップしたのが新々改編版の第1巻です。
第1期の血統書を見てみたいものです。    
 



頂戴しましたm(_ _)m  投稿者:ふてき  投稿日:11月13日(月)22時43分50秒   

いつも頂くばかりで何のお返しも出来ず申し訳ありません。
大切に活用させていただきます。

#グルジアもありますね。恥ずかしながら"Georgia"がグルジアとは知りませんでした。    
 


wao!  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日:11月13日(月)21時13分55秒   

363頁以下の種牡馬リストだけでもワンダフル!
3079 Zvonkij まで出てました。いや本当にありがとうございます。
当分ネタが尽きそうにないッス。

UKR、MDA(モルドバ)はちゃんと別扱いになってますね。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月13日(月)19時44分15秒   

いやー
貴重なものをどうも有難う。
マニアからしたらバーミヤン大仏の胎内経並の
インパクトがあるものですね

1990年の競走の有無については、今週中に図書館に
行って確かめてみよう。なんか中止のような気もするが

1990年夏にいつものように国際競走をホペガルテンで行ない
その時はチェコと西独から馬を招待したのですが、
そこでFilutek,Loreleiが西の三流駄馬に全く歯が立たなかった
っていうことがあったんですね。

とは言ってもCompass,Los Molinos.Tosca Stella,Obandoの
重賞、リステン級ではあったんですが 
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200611110299.html
   
 


期間限定  投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月13日(月)17時50分16秒   

英語版ロシア血統書第1巻をpdfで整理してみました。
サイズをなるべく小さくするために画像は最低限判別できるぐらいになっています。
解読できないようでしたら、作り直しますので
お知らせくださいませ。

一晩で削除する予定です。
間に合わなかった方がいらしゃったら、
個別にご連絡ください。 
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/russia.pdf
   
 


英語版ロシア血統書  投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月13日(月)12時39分10秒     編集済  

を見ると、
×Awat→○Avat
×Dersky→○Derzkij
となっています。

"ий"は"y"や"iy"でなく"ij"で統一されているようです。

キリル語からローマ字への転字は、
発音の違いから英語流とドイツ語流があり、
これが混乱の一因のようです。さらに言えば5・6種類の転字方法がありようですが(^-^)
一番信用できる方法は、ロシア政府がパスポートなどの公的に発行物で、
どのような基準で転字しているかが分かれば、それに統一できるのですが。
ただ、オリンピックなどのスポーツの国際競技に出場しているとロシア人の
ローマ字転字をみていると、なんとなく一般に流通している転字法がわかるような気がします。    
 



どもです  投稿者:ふてき  投稿日:11月12日(日)19時54分53秒   

おかげで、だいぶ様になってきたかと。

英語表記つきの新しいロシアスタッドブックが発行されたらしいんで、
いずれ一本化される流れにあるんだろうとは思うんですけどね。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月12日(日)19時00分12秒   

Editの母も当然Expertisaなんですよね

Auerberg母はリンク先ですね。ディレクトリウムが
未だ使えるとは知らなかった。有料じゃなかったんだな

読み方については、終始不毛な論争を
続けるのがネット上では慣習になってるみたいですね 
http://www.galopp-sport.de/dvrWebApp/htdocs/aktive/nonsecure/renndaten/pferdeDetail.jsp?PIDNR=1292947
 
 


記入しました  投稿者:ふてき  投稿日:11月12日(日)08時42分22秒   

しかし相変わらずアレですね。デルマのロシア馬情報は混乱してますね。
同一馬が別スペルで2頭3頭と登録されていて(へたすると系統ごとごっそりと)
これはもうどちらかを削除して片方に統一すると言う次元じゃなくなってます。
もはやどもならん、ってやつです。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月12日(日)04時38分50秒   

平和賞
63年Sekunda(udssr)2s.Element-Skabiosa
74年 Bresent(udssr)2c.Sadorni-Barchotka-Charkow-Baby-Baltic Baron    
 



初期の情報  投稿者:ふてき  投稿日:11月11日(土)17時18分25秒   

わかった分だけ記入しました。
第一回大会の大賞典がなかなか凄かったようですね。
ポーランドで2年間不敗を続けていたテシオ生産の Turysta(ITY) が絶対の本命だったものの
ハンガリーの名牝 Lubica(HUN) が壮絶な叩き合いの末にこれを1馬身差切って捨てる
名勝負だったと。

http://www.pedigreequery.com/lubica
http://www.pedigreequery.com/turysta    
 



ソフィア賞じゃなく  投稿者:ふてき  投稿日:11月11日(土)11時22分42秒   

ブダペスト賞でした。すみません。
Katze さんの勝ち馬リストでOKでしょう。
牡馬ばかりですし、それが旧平和賞に該当してるはずです。

どうやら1989年のベルリンがオーラスということですか。    
 



あれですね  投稿者:wilde katze  投稿日:11月11日(土)11時14分1秒   

どうも1980年から開催日が一日に短縮されたみたいですね
そして残ったのが
ソフィア賞(2牝1000)
ブダペスト賞(2牡牝 1400)
プラハ賞(3牝2400)
ワルシャワ賞(3牡2400)
モスクワ賞(3上混合 2800)
ブカレスト賞(3上混合 1400)
ベルリン賞(3上混合1800)

よって僕の書いた平和賞分の1980年からは
ブダペスト賞で別物ということかな
国際競馬会議記念賞はモスクワ賞に該当する分を
書きこんだということで

開催地は80年から89年までで、ブダペスト、プラハ、モスクワ
ワルシャワ、ベルリン、ブダペスト、Karlovy Vary(チェコ)、
モスクワ、ワルシャワ、ベルリンと    
 



一応  投稿者:ふてき  投稿日:11月11日(土)08時35分12秒   

競走名を括弧括りにしているのは未確定と言う事で。
ただ、1986年のサラレコ情報とkatzeさんのデータが一致してますから
他の年度に関しても恐らく問題ないんじゃないかと。
80年代(後半?)は
「ダービー」がワルシャワ賞
「大賞典」がモスクワ賞
「2歳王戦」がソフィア賞
となるケースが多かったんじゃないですかね。

Solozzo はもともと登録があったものの、生年か何かで問題が生じていたようなんですよね。
登録しようとすると、こんな文章が

1984 --- 1979
Sorry, this horse's pedigree has been locked into place by our group of
pedigree researchers so that it can't be changed. If you feel there's a
mistake or problem with the pedigree of SOLOZZO, please use the Research
Request Form to let us know about it.

出てストップします。この先は無料ユーザーでは無理っぽいです。    
 



両親とも登録されてるのに  投稿者:通りすがり  投稿日:11月11日(土)03時20分55秒   

登録できないってどういうことですかね。

サラレコによれば1986年の国際開催の勝ち馬は
CENA BERLIN, 3&up, 2000 meters, KORAB (Pol)
CENA BUCHREST, 3&up, 1400 meters, HAROS
CENA BUDAPEST, 2yo, 1400 meters, SOLOZZO (Pol)
CENA MOSCOW, 3&up, 2800 meters, RAZGROM
CENA PRAGUE, 3yo,f, 2400 meters, ROMANTIKA
CENA SOPHIA, 2yo,f, 1000 meters, KAZNA
CENA WARSAW, 3yo, 2400 meters, FLAGMAN    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月11日(土)01時13分11秒   

ひょっとしたら、国際競馬会議記念賞と
平和賞に関しては僕が勘違いしてるかも・・・・

というのは一日目のブダペスト賞と平和賞、
モスクワ賞と国際競馬会議記念賞を間違えてる気がする

80年以降は両競走は保留にしてもらえますか?    
 



89年頃には  投稿者:ふてき  投稿日:11月11日(土)00時05分34秒   

名称「モスクワ賞」が旧国際競馬会議記念賞の方になり替わってっていたわけですか?

平和賞は自分が入れた箇所も所々怪しいっす。
一日開催だった59年、69年はベスト2歳馬戦を記入しておきました。
あと、この2回に関しては「社会主義国ダービー」は行われなかったんですね。
そもそもこの国際開催のパターンとして、初日に社会主義国ダービーを行い、
最終日に古馬とダービー上位馬が相まみえる、という図式だったようですから
一日開催のこれらの年にはメーンイベントの大賞典のみ施行される事態になったのでしょう。

Solozzo だけ何故かデルマが登録受けてくれませんorz
他の血統がわかる馬は全て登録しました。
デルマへのリンクがない数頭は牝系不明のため登録不能と言う事です。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月10日(金)22時42分18秒   

89年のモスクワ賞はKrezus(pol)3c,Pyjama Hunt-Kresydaですね

平和賞はところどころ自信がない

78年 Gazsi(pol)Athens Wood-Gasetka
79年 Dzudo(pol)Conor Pass-Dzuni
80年 Damas(udssr)Maikop-Diechkanka
81年 Albion(udssr)Ivory Tower-Aktinija
82年 Sorbonna(udssr)2s.Ivory Tower-Sosnowka
83年 Art(udssr)
84年 Auerberg(ddr)Tuny-Aue
85年 Fart(udssr)Raut-Fesa
86年 Solozzo(pol)Dixieland-Sonora
87年 Atlantik(udssr)Trusted-Andorra
88年 Krezus(pol)
89年 Filutek(ddr)  
 



ですか  投稿者:ふてき  投稿日:11月10日(金)20時58分48秒   

共進会優先ってところでその当時の背景、お国柄が窺い知れますね。

あと個人的にツボだったのがポイント加算式団体戦の存在です。
これって凄く楽しそうなんですけど。
現代の国際競馬にも導入っ。。。まぁ無理でしょうね。    
 



アグリカルチュラルショー  投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月10日(金)20時44分47秒   

は農業共進会のことです。
ルーマニアの競馬場pでは競馬だけでなく、農業共進会も随時開催されていたそうです。    
 



どもです  投稿者:ふてき  投稿日:11月10日(金)20時14分56秒   

ひとまず回次はずらしておきました。
ただBBR誌では1973年大会を第23回としているんですよね。
はて?

11回大会開催までの経緯はこんな感じだそうで
--------------------------------------------------------------------------
The 11th Central and East European International Meeting should have
taken place for the first time in its history at Bucharest.
It had to be cancelled because the Roumanian Ministry of Agriculture,
which also controls racing, wanted the racecourse for an agricultural show
held in connection with the 15th anniversary of a meeting on such a scale to
another country.
However the East Germans Stepped in and Staged a one-day fixture with
four international events at Berlin Hoppegarten on July 26th.
The Meeting was Attended by representatives of the Soviet Union,
Czechoslovakia, Hungary and of Course the Organisers.
--------------------------------------------------------------------------
アグリカルチュラルショーってなんのことですかね。    
 



追走  投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月10日(金)18時06分30秒   

諸々の訂正ありがとうございます。
NOTASH KAPITANI はハンガリーです。

国際競馬会議記念賞です。ダービーとW制覇がありますね
1962 Detvan
1963 Imperial
1965 Gabona
1966 Anilin
1967 Aktash

開催地はJRAの報告書では1959年も回次に含まれています
1959年の第11回大会はブカレスト(ブルガリア)になっています。
これは実はベルリンに代替となったということでしょうか。
1963年は、ブダペスト(ハンガリー)
1965年は、ワルシャワ(ポーランド)
1966年は、モスクワ(ソ連)
1967年は、ベルリン(東ドイツ)
1968年は、プラハの予定でしたが、政治情勢で中止。    
 



どうもです  投稿者:ふてき  投稿日:11月10日(金)08時20分25秒   

更新しました。
見返しとか全然してないんで、間違いに気付いた方はお知らせください。

初期の開催は結構長期だったようですね。
後期になると中一週の2日開催が基本の感じですか。

とりあえず。 
http://homepage1.nifty.com/futeki/int_meeting.htm
   
 


国際競馬会議記念賞  投稿者:wilde katze  投稿日:11月10日(金)02時35分46秒   

77年 Gasomet(udssr)4c
78年 Aden(udssr)3c, Derski-Alfa
79年 Czubaryk(pol)3c
80年 Goboi(udssr)3c,Behistoun-Ganka-Balto-Grafirowka-Faktotum
81年 Gasolit(udssr)3c
82年 Kastet(udssr)3c,Susdal-Kalipso
83年 Cisow(pol)3c,Babant-Cinia
84年 Art(udssr)3c, Raut-Andora
85年 Rumb(udssr)3c,Montcontour-Rudbekija
86年 Rasgrom(udssr)3c,Montcontour-Rajgnerija
87年 Baltimor(udssr)5c, Montcontour-Besengi
88年 Dietmar(pol)3c,Dakota-Dorylea

これ位かな。早い時期と最後が不明なんだなぁ    
 



あれ?  投稿者:wilde katze  投稿日:11月10日(金)01時34分3秒   

62年はLyonですね。

この年はどうも五日間も開催されたみたいですが、
普通二日間じゃないのかなぁ・・・

ちなみにブルガリア産馬種牡馬は
Aist,Globus,Klewerchow,Makarってとこで、
Makarはチェコ産なのかな。他はわかりません

なお、二歳牝馬競走『開幕賞』でVampir産の
Dvinaってのが勝ってますね 
http://www.pedigreequery.com/lyon2
   
 


頂いた情報含め  投稿者:ふてき  投稿日:11月10日(金)01時21分36秒   

突貫工事で作りました。ちゃんと見えてますかね。

NOTASH KAPITANI はハンガリーですよね?
途中からで施行年と勝ち馬が一年ずれてましたので修正しました(したつもり)。
1959年は1969年と同じく急遽振り替えられたワンデイイベントのようですが
こっちだけは回次も外れていて正規の扱いには無いのですね。
一応記載はしておきましたが。
血統も可能な限りデルマに登録しました。
とりえあずこんなところで。
寝ます。 
http://homepage1.nifty.com/futeki/int_meeting.htm
   
 


追加  投稿者:wilde katze  投稿日:11月 9日(木)07時24分49秒   

77年はSusdal(udssr) Derski-Safaですね    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月 9日(木)07時20分27秒   

82年から88年で空欄は
82年Grum(udssr) Maikop-Granki
83年 Ingul (udssr) Gej-Ilawa)
84年 Adrar
85年 Sador
86年 Flagman(udssr)
87年 Omen(pol) Dakota-Ombra
88年 Diablik(pol) Dakota-Da grazia

78年 Staur(udssr) Sajan-Stoika
というところか

あと77年もわかると思うが・・・寝るです  
 



感謝です  投稿者:ふてき  投稿日:11月 9日(木)07時13分29秒   

お借りした資料を元にして少しずつ肉付けしていこうかと。    
 



貧弱なリスト  投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月 9日(木)02時39分46秒   

どんどん作ってくださいませ。
こっち方面は個人の力で限界があります(笑)

社会主義国際競馬は多くの競走がありますが、
やはり整理するとなれば、2歳戦の平和賞、3歳戦のモスクワ賞(ダービー、のちのワルシャワ賞)
あと4歳以上の国際競馬会議記念賞の3競走ということになりますね。

とりあえず馬名だけですが、昔、整理した社会主義国際競馬ダービーの
勝ち馬リストは以下の通りです。空欄ばかりです。
国際競馬会議記念賞も整理したはずなので探してみます。

1  1949
2  1950
3  1951
4  1952
5  1953       DORPAT (POL) ch.c. 1950
6  1954       SYMBOL (CZE) br.c. 1951
7  1955       MASIS (CZE) b.c. 1952
8  1956       IMI (HUN) b.c. 1953
9  1957       DERZKY (RUS) ch.c. 1954
10 1958       GARNIR (RUS) b.c. 1955
11 1959       ZABEG (RUS) b.c. 1957
12 1960       EXPERT (RUS) ch.c. 1958
13 1961       LYON  (CZE) b.c. 1959
14 1962       GUDZON (RUS) b.c. 1960
15 1963       TAUROW (POL) dkb/br.c. 1961
16 1964       EPIKUR (POL) b.c. 1962
17 1965       ORFEI (RUS)
18 1966       AKTASH (RUS)
19 1967       NOTASH KAPITANI (BUL)
1968-1969 (NO RACE)
20 1970.09.13 ALTAISK (RUS)
21 1971.09.05 BOPPARD (RUS)
22 1972.08.28 GEROLD (RUS) b.c. 1969
23 1973       DARGIN (POL) b.c. 1970
24 1974.08.25 WILDSCHUTZ (GER) c. 1971
25 1975.08.17 TAUCHSPORT (GER) b.c. 1972
26 1976.09.05 SCIBOR (POL) c. 1973
27 1977
28 1978
29 1979        CZUBARYK (POL) b.c. 1976
30 1980.08.31  AVAT (RUS) blk/br.c. 1977
31 1981.09.06  BOPRIT (RUS) c. 1978
32 1982
33 1983
34 1984.08.26  ADRAR (POL) c. 1981
35 1985        SADOR (RUS) 1982
36 1986
37 1987
38 1988
39 1989       SAIGON (RUS) 1986
40 1990    
 



いやはや  投稿者:ふてき  投稿日:11月 8日(水)18時37分41秒   

招待されたことがあったんですか。JRA。
派遣して欲しかったですね。1972年じゃスピードシンボリというわけには
いきませんけども。

モンゴルの一件はそういうことでしたか。納得ですm(_ _)m
Central and East European International Meeting の勝ち馬一覧
ネットのどこかに落ちてますか?
とりあえずデルマのステークスレーシズでは見つけられなかったんですが。
各国持ち回り競走なので探しきれなかっただけかもしれませんけど。。。

もしどこにも無いのなら、お借りした資料から「判る範囲」で自分が作ってみましょうか?
なんかLBさんの褌で相撲を取るみたいで気は進みませんが。。。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月 8日(水)03時41分44秒   

なぜかわからないけど、英語でInternational meetingなんですよね
エスペラントとかにしろよ、とか・・

その会議の記事でモンゴルについて少し触れてたかもしれない
確か温血種生産について書かれたような気もするが
あと、59年分のは図書館にないんですよ、62年からで。

チェコ、オーストリア間の競走は知らなかったなぁ。
鉄のカーテンにほころびが・・・w    
 



実は  投稿者:Lucky Boy  投稿日:11月 8日(水)03時07分33秒     編集済  

1972年の社会主義国際競馬にはJRAが招待されていて、
その時の報告書が残っています。
それによると1965年から国際競馬に情報交換のための会議が持たれるようになり、
イベント名も国際競馬から国際会議を改称したそうです。
で、1972年は国際会議には、会議加盟9ヶ国(ソ連、ブルガリア、東ドイツ、モンゴル、
ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、チェコスロバキア、ユーゴ)のうち、
ユーゴを除く8ヶ国が参加。しかしモンゴルは会議のみで競走に出走しなかったそうです。
思うに、モンゴルの競馬はサラブレッドではなくポニーだったのではないかな。
そうそう、1959年の国際競馬はブルガリアで開催されたそうです。

社会主義国際競馬以外の中東欧競馬大会ですが、
チェコとオーストリア間では行っていたようです。
春はウィーン、秋はプラハで国際親善競走を開催していたそうですよ。    
 



(無題)  投稿者:wilde katze  投稿日:11月 7日(火)23時19分15秒   

実は今日、暇だったもんで中央図書館に行きまして
Rennkurierの72年度分を読んでたのですが、
モンゴル馬ってのはみつからなかったです。

ソ連で開催されたのですが、一応国際競走分は
全馬国号付きで結果とかは載ってるんだけどなぁ・・・
実は中東欧競馬大会ってのは社会主義国の国際競走以外に
存在するのかな?

因みに旧東独には毎年他国馬を招待した、競走を
催してたみたいですが