2007年3月、2月、1月




メキシコ土着父系  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月28日(水)00時38分12秒   

ほとんど聞いた事無いですもんね。
ロバは有名だと思いましたが、あれって血統管理を。。。しちゃいませんか(笑)

牝系三代によるダービー制覇の偉業が逆に内国産馬の層の薄さ、繁殖水準が低値で安定
していたことを物語っているのかもしれませんね。

メキシコと言えばアグア・カリエンテ競馬場絡みのニュースがちょっと前に
流れてました。復興への模索が始まった、とかそんな内容ですかね。自信ないですが。

早々たる顔触れの勝ち馬↓ 
http://www.pedigreequery.com/index.php?query_type=stakes&search_bar=stakes&field=view&id=1694
   
 


メヒコの支配者  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日:2007年 2月27日(火)23時39分18秒   

例のナスルーラ・名誉マイナー父系の一つです。父系とまでも行きませんが。

Rulership      (1955, Brother to Prince John, Brave Lad)
|Antequera(f) (1964, Sister to Milagrito, Almudin)
|Colinders(f) (1962, GP Nacional)
|Galopera(f)  (1961, Derby Mexicano, dam of Loripori(f), Nagore(f))
|Cachava(f)   (1963, GP Nacional, Derby Mexicano)
|Chumbero     (1961, GP Nacional)
|El Comanche  (1964, GP Nacional, Clasico del Caribe)
|Milagrito    (1963, Brother to Antequera(f), Almudin)
|Almudin      (1968, Jockey Club Mexicano, GP Nacional)
|Ferrol       (1964)
| |Habano     (1978)

  ** 名種牡馬 Prince John の半弟。競走成績は貧弱で、メキシコで供用された。
     当地の活躍馬を輩出したが、如何せん競走レベルは極めて低く、産駒も使い
     捨てで終わったものと想像される。なお牝系では Orizaba(f) (1951 by
     Combat) --- Galopera(f) (1961 by Rulership) --- Loripori(f) (1971
     by Dedicate) および Nagore(f) (1972 by All Hands) と三代続けて
     Derby Mexicano の勝ち馬が出ている。    
 



ども~  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月27日(火)23時32分58秒   

3日ほどネットを離れてました。
たった3日ですが、HP更新するので手一杯、溜まったニュースサイトを
全部見ていく気にはなれないっす。
この分だと1ヶ月もネット離脱したら、HPは間違いなく自然放置に陥るでしょう(笑)

Storm Mayor はラプラタどうなんですかね。
コース試走の感触は「まあまあ」だったようですが。。
小回りコースの他頭数競馬で酷く揉まれたり、抜け出してこれなかったりとか
まぁ色々と紛れは出てきそうではあります。

しかし色々見てると、今年もラティノへの意気込みが一番強いのはペルー勢ですかね。
ペルー馬も南米内限定ならそんなに見下されるほどの成績でもないんですが、
北半球での実績は笑っちゃうほど乏しいですもんね。
そういう意味では奇跡のパート1国と言えるんじゃないですか!



    
つぶやき  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 2月27日(火)22時43分38秒     編集済  

ラティノはドバイとの兼ね合いで出走が流動的な馬が多いですね。
移籍馬も多く、ストルムマヨールが実績で抜けた存在になってしまったようで。
ラプラタの小回りコースを裁ける起用さがあるか?が唯一の死角でしょうか。

Naipe Marcado のドバイ初戦は2着と健闘。インバソールと違ってUAEダービー前に
1回使えたのは大きいです。やはりウルグアイ競馬復活の印象を植えるには
URU産馬の北半球での活躍が必須!上手く北米の牝馬ダートG1路線に乗るようなことがあれば、
将来のウルグアイパート1国復活に向けて好印象間違いなし!
ペルーのパート2国落ちが先か、ウルグアイの昇格が先か(笑)    
 



果たして  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月18日(日)19時56分18秒   

ほんとに実現するのか半信半疑なのですが(笑)
ペルーはボイコットしかねないんじゃないかと。

まぁ帰ってくる馬はほとんどいないんじゃないですか。
売れなかった馬もそのまま向こうで使うような気がします。
輸送費負担も片道分だけだったりして。

既に向こうにいる南米馬にも参加資格与えたりとかするような気も(笑)    
 



メヒコ  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 2月18日(日)19時34分38秒     編集済  

助かりました。
こちらの資料でもまだ空白が埋められそうなので、
後日再アップします。

話は変わりますが、ラティノの北米開催というのはどうでしょうね。
南米で開催するから趣きがあるのだと思うのですが。
ただでさえ毎年各国ともに輸送費でもめているのですから、
開催するとしたらマグナ側が全額輸送費持ち&お土産付になるのかな。
そのまま本国に帰らずに北米に売られていく馬が多発しそう。
もはや事実上のクレーミングレース化でしょう(笑)    
 



聖人エル・サント  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月18日(日)11時43分29秒   

そんな伝説のルチャドールがいましたが、名馬にもいたんですね(笑)

さすがのFT4もメヒカーノの前にはほとんど役立たず。
一応、赤いのが生産国か毛色が不明の馬、緑がデルマから毛色情報を仕込んだ馬、
黒がFTかBBR誌から毛色・産国情報を確認できた馬と分けてあります。

#Caronte はBBR誌で English Bred となっていたので (GB) に変えておきました。 
http://homepage1.nifty.com/futeki/Mexico2.doc
   
 


メキシコ  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 2月17日(土)17時41分34秒     編集済  

しばらく時間が空いてしまいましたが、マイナー国のレース整理の続きです。
メキシコ3冠にラスアメリカスHと2歳王者戦です。
毛色なども追加していたふだけると助かります。 
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/Mexico.doc
   
 


感謝です  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月16日(金)18時55分48秒   

速攻のフォローどうもです。LBさん。

お久しぶりです。Gペガサスさん。お元気でしたか?
エルダービー勝ち馬一覧の検証ありがとうございます。

やる事為すこと何時も投げっぱなしで、見返しをしない性分なもので、
こういったミスを指摘いただけると非常に助かります。
HP本体もブログの方も相当間違いが溜まってると思うんですよね。
些細な事でもなんでも構いませんので、気がついた事がありましたら
お知らせ頂けるとありがたいです。

http://www.pedigreequery.com/extremado
http://www.pedigreequery.com/malhoa2 
http://www.pedigreequery.com/index.php?search_bar=stakes&query_type=stakes&field=view&id=902
 
 


同着  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 2月16日(金)14時37分2秒   

>Gペガサスさん

はじめまして。1965年のエルダービーは EXTREMADO と MALHOA の同着優勝です。    
 



エルダービー勝馬  投稿者:Gペガサス  投稿日:2007年 2月16日(金)14時07分59秒   

ふてき様、Lucky Boy様、いつもQualityの高いお仕事ご苦労様です。
El Derby勝馬について質問です。1965年の勝馬が別の資料ですと
Extremado(by Agasajo )になっています。デルマーのinformationも
勝ち鞍El Derbyとなっています。これは間違いですか?    
 



確かに  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月13日(火)08時32分40秒   

記載ありますね。
デヴィアスはイタリアに行って良かったんじゃないですか。
今のイタリア馬産だと、国際舞台での活躍ってのはなかなか厳しいでしょうけど、
低レベルであってもローカルな小父系をつくり上げる可能性はあるんじゃないかと。

まぁ日本に後継残せなかったのもお約束ですけどね!    


 

レーポスの回顧記事  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 2月12日(月)23時24分38秒     編集済  

はもう消えてしまっていますね。
一応、そのページは保存してありますが、
ドイツのページに関しては、交流協会が翻訳しています。
http://www.jair.jrao.ne.jp/japan/newsprot/2007/body/0201.html
ここにイタリアの首位もモンズンとあります・
それにしてもドクターデヴィアスが首位とは…。
でもここ近年は、海外供用馬に上位をもっていかれていたので、
イタリア生産界としてはニンマリなのではないかと。    
 



どもです  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月12日(月)08時25分51秒   

レーポスの回顧記事は見たことないのですが(見つけられず)、毎年違いがあるのならば
集計範囲か何か違う条件でまとめてるんでしょうね。
にしてもドクターデヴィアスがリーディングですか。なんとも言えぬ感慨。

チリのナシオナル三冠って「三競馬場のダービー格レース」をピックアップしたような形で
出来上がってるんですよね。
エルエンサーヨ(芝2400m)
セントレジャー(ダ2200m)
エルダービー(芝2400m)
各競馬場にもローカル三冠があって、そっちはわりと普通の三冠体系になってます。
チリ三冠を強引にたとえると
ジャパンダートダービー、東京優駿、黒潮ダービー
を全て制して「日本三冠」みたいな感じでしょうか。
うーん、確かに達成困難だ(笑)    
 



感謝  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日:2007年 2月11日(日)22時44分0秒   

エルダービーの勝ち馬データありがとうございます m(_ _)m
父系だけでも埋められて嬉しいです。

チリのクラシックは以前話が出たような記憶がありますが、もう頭から抜けてしまいました(^^;
普通の國とは逆で、ダービー(芝)がセントレジャー(ダート)より距離が長く、時期も後、
でよろしかったでしょうか。競走体系の変遷や細かいところまでは結構です(汗)    
 



エルダービーは  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 2月11日(日)17時22分35秒     編集済  

了解です。

話は変わりますが、レーシングポストの2006年世界競馬回顧で、
昨年のイタリアの首位種牡馬はモンズンであったとありましたが、
イタリア生産者協会発表の統計ではドクダーデヴィアスです。
レーシングポストが発表する各国の統計は毎年微妙に該当国の発表と違うのですよね~~。 
http://www.anacpurosangue.com/PDF/pdfstatis/2006ClassificheITY.pdf
   
 


パナマ  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月10日(土)23時19分56秒   

自分もそんなに深く探した事は無いですが、公式以外は新聞系を二つ
ブックマークしてるだけですし。
競馬人気の問題なのかネット事情の問題なのか。。
良さげなとこ見つけたら報告いたします。

ウルグアイの一件は良い方向に向かいました。人脈は宝です。
その昔、アルゼンチン以外の国からの遠征がどの程度あったのか或いはなかったのか
興味深いとこですもんね。

ブログのコメント欄にも書きましたがエル・ダービーの勝ち馬をデルマに
登録しました。承諾なしに独断で動きました。お許し下さい。
作業してて気付いたのですが、1886年の勝ち馬のスペルが Genoves でした。
エクセルファイルの方は間違ったままだと思いますので訂正お願いします。    
 



パナマ関連  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 2月10日(土)22時50分50秒     編集済  

の良い競馬サイトはないですね。オフィシャルサイトぐらいしかないというのは、
パナマでの競馬人気はイマイチなのでしょうかね。

話は変わりますが、このたびホセペドロラミレス大賞の過去の成績が解決しました。
19世紀末から20世紀初頭のウルグアイ成績書が現存せず、
数度の現地調査でも苦労を強いられていたことはお話通りですが、
現地の競馬史研究家兼ジャーナリストが国立図書館で当時の新聞から調べてくれました。
最近は僕の依頼がキッカケで暇を見ては国立図書館に行って当時の新聞を
調べているほど調査にはまっているいうことです(笑)。
近いうちにラミレスの勝ち馬表をアップします。

これでホセペドロのデータが集まってので、カルロスPとともに
暇を見て歴代の全出走馬を整理したいと思います。
過去のどの国からどんな馬が遠征してきたかを完全に把握しておくためです。    
 



なんと  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 2月 1日(木)20時40分12秒   

3ランナーの1ウインですか。これはやはり趣味の領域ですかな。
間違いなく自前の肌馬にしか付けてないんでしょう。

もしかしたら相手には非サラブレッドも考えてそうな気がします(笑)  
 



これの159位に注目。  投稿者:通りすがり  投稿日:2007年 2月 1日(木)16時09分28秒   

住所はテキサス州 SEQUIN と思われます。http://breeding.bloodhorse.com/sirelists/States06/state.asp?id=TX    
 



フランスの権力志向  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月24日(水)22時36分31秒   

なるほど、です。

ギャロの影云々はまともな見識を持った人なら察しがつくところ。
にしても「条件付きの昇格措置だぞ。更なる精進をせい。」ですか。
なんか情けない気分っす。プライドが無いんですかね。

パートII国万歳企画ということで今年からパナマをフォローする事にしました(笑)
しかしこの国、下級重賞の名前が毎年ボロボロ変わるんですかね? 
http://homepage1.nifty.com/futeki/cal_pan_2007.htm
   
 


炎上  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 1月24日(水)02時03分29秒     編集済  

アルゼンチンJCの図書室は無事だったのですが、図書室の室長さんは多くの美術品が
焼かれたを今でも残念がっていましたよ。日本ではエビータを良いイメージで語られますが、
少なくともアルゼンチンの競馬関係者にとってみれば悪女でしかありません。
パーティ開催の要請を断ったジョッキークラブに腹を立てて、子飼いの連中に火を
放たさせたのですから。
炎上以前のジョッキークラブの建物&美術品については、
1920年代に製作された立派なアルバムがありまして、その当時の様子を知ることができます。
全コピーしてきましたので、いつか紹介したいです。

欧州競馬ではフランスの発言力が一番強い、というのが実情です。
そのフランスも競馬の母国イギリスには気を使わざるを得ない・・・といったところです。
そもそも各近代スポーツの母国となったイギリスに対するフランスの潜在的なコンプレックスは、
現在、各スポーツ協会の本部がフランスに多いことが物語っています。
イギリスが近代スポーツの母国という"権威”ならば、
フランスはその中心に立とうとする"権力"を目指した・・・といったところでしょうね。
実は日本のパート1昇格の裏にはフランスギャロの影があるのですが・・・これはあまり
表沙汰にしてはいけない話だそうなので詳細は×ということで。。。    
 



資料喪失  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月19日(金)20時56分56秒   

震災被害でしたか。アナログ時代の宿命ですもんね。。
アルゼンチンジョッキークラブが放火された時は不幸中の幸いと言うか、
図書室(資料室)の被害が少なかったんですよね。

新聞調査が限界に達してしまうと、残るは当時の関係者所蔵の個人資料位に
なっちゃいますね。オーナーか調教師か競馬会職員の子孫。。まぁ残ってないでしょう(笑)
しかしいつも思うのですが、JRAは明治大正期の失われた競走成績なんぞを
本腰入れて復元しようとした事は無いんですかね。
JRAが動けば資料の集まりは段違いだと思うんですが。
今となってはそんな予算も出やしないんでしょうけど、バブルの頃に
そういう方向にお金を使って欲しかったですね。

レーティングやらパターン会議やらってのは政治力が支配する世界すか。
ミシュランとか美味いラーメン店ランキングとか、その類の範疇っつう認識っす、自分は。    
 



むむむ~~  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 1月19日(金)17時07分25秒     編集済  

解読難解の文字は当時の番組台帳をみればすぐに解決できるので問題なしです。
成績等はホントは複数の新聞を対照して確認できれば良いのでしょうけど、
首都圏ならともかく、地方紙にそこまで求めるのは難しい。。。
明治末期から大正期の競馬は札幌に限らず、藤枝・京都・小倉・宮崎なども
情報をコンプリートするのは厳しい状況です。
記録好きの日本人の性格ならちゃんと記録が残っていてもおかしくないのに。。
一番の痛手は、関東大震災で農務省や馬政局の図書室が被害を受けて、
大半の資料が焼失してしまったこのなのでしょうね。。

話は飛びますが、イタリアの両ギニーがG3に、オークスがG2に格下げだとか。
昨年のイタリアのクラシックの凋落はここまできたか・・・という感じがします。
個人的にはイギリスやフランスのG1の中にも、格下レベルだろう?っていうのが
多々あると感じます。でも欧州パターン会議は英仏の発言力が絶対。
不可解なレーティングもしばしばだし(笑)    
 



さすがに  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月17日(水)22時41分37秒   

一筋縄では行きませんね。
頭数違い、馬名の読み違いも仰山ありました。
第四競走は四頭立てであってます。こちらの勘違いです。晴天は天気じゃなくて馬orz
勝は二文字で「○勝」の間違いです。○は「二」の上部の横棒があるように見えますが、
下部分は擦れて何も見えてません。
第六レースのサラブは馬名でしたか。そりゃそうです。サラ混合の意味なわけないですもんね。

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▲第七競馬
内国産沿雑種古馬競走(距離一哩)はファスト、池見、福園、○勝の四頭立てにて
変化なき競走即ち一着福園時間百二十秒騎手廣瀬、二着池見、三着ファスト    
 



お疲れ様です。  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 1月17日(水)22時12分24秒   

欠号が多かったですか。。残念です。
小樽新聞に限らず、北海タイムスもマイクロは
欄外記事が切れていたり鮮明ではないケースがあり困ります。。
ちょうど肝心なところが見えなかったりして(笑)
道立の調査は将来お願いします。


大正元年秋季三日目の第7競走ですが、
小樽新聞では4頭立てですか。。これが正しければスイテンが
出走していなかったことになりましが、北海タイムスでは7頭立てになっているのですよ~~。
ですので、まだスイテンが出走しなかったと確定するまでにはいかなさそうです。

北海タイムスと小樽新聞で出走頭数が違うケースが多々あります。
一応、僕は北海タイムスの情報を中心に考えることにはしてますが、判断に困るのは確かです。
第4競走は北海タイムスでは4頭立てになっています。
もう1誌ぐらい、地方紙が現存しれば。。
そうそう明治末期ごろから函館の新聞から札幌競馬の記事が掲載されなくなっていますが、
大正に入り再び札幌競馬の記事が掲載されるようになっています。
もしかしたら函館新聞か函館毎日新聞に情報が掲載されている可能性もあります。
来週あたりでも時間があれば、国立図書館で調べてみます。 
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/sapporo.htm
   
 


おつかれさまでした。  投稿者:通りすがり  投稿日:2007年 1月17日(水)21時45分49秒   

スイテンが出走した可能性のあるレースは1着フクゾノと思われますので
「出走しなかった」と解してよいのなら大収穫ではないかと。    
 



行って来ました  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月17日(水)19時15分34秒     編集済  

が、先に結果を書いちゃうと「解決ならず」でした。

まず明治44年(1911年)秋の札幌毎日新聞はマイクロがありませんでした。
http://www.lib.hokudai.ac.jp/cgi-bin/opac/binding-query?smode=1&key=B116902467915573&zcode=30042937&zlplace=901112119
↑ここの一番下にあるやつは明治44年6月と明治45年2~4月のみの収録でした。
道立にある
http://www.library.pref.hokkaido.jp/HKPLIB/servlet/search.detail_list?tilcod=3009830007468
これに収録されているかもしれませんので、またの機会に調査したいと思います。
(道立は遠いんで他の調査もありましたら一緒にお願いします。ご遠慮なしにどうぞ。)

大正元年(1912)9月27日に関しては札幌毎日新聞は競馬面収録無し(27日版のマイクロには
一面、二面?とズタズタの断片一枚のみの収録でした。8~12月1リールなので道立と一緒かも)、
小樽新聞には一応掲載があったのですが、網羅頁に欠けがあると言うか全面マイクロ化されて
ないようで、一部の競走結果しか判明しませんでした。
参考までに以下(無関係のレースを含み)全出走馬名を記載します。判読不能活字多々あり。

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札幌競馬第三日
第一競馬~第三競馬までマイクロ収録漏れ。
第四競馬(ハナカスミ、龍○、ケ○マイ)3頭立-内国産沿雑種明四才新馬優勝馬競走
第五競馬(雪國、○、初高、トウブク、クサナギ、白河)6頭立-内国産洋雑種新馬優勝馬競走
第六競馬(第二ラピアス、本桐、北洋、露○、真駒内、第一玉○、萩園)6頭立-内国産沿雑種優勝馬競走
第七競馬(ファスト、池見、福園、勝)4頭立-内国産沿雑種古馬競走
第八競馬(1着艶勢、2着太○、3着○山、以下記載無し)9頭立-内国産沿雑種新馬
第九競馬(省略)12頭立-内国産洋雑種明四才新馬競走
第十競馬(花田、豊○、開勢、キング、太○○、末廣)6頭立-内国産新古馬混合長距離

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可能性が残るのは、やはり第八競走ですかね。
一応そこだけ全文転載しますと(デジカメとかないもんで)

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▲第八競馬
内国産沿雑種新馬競走(距離一哩、これは所謂敗馬競走にて九頭立、最も期待されしは
艶勢なりしが果して騎手廣瀬坐乗して百二十一秒にて一着となり二着太○、三着○山なり)

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これだけです。さあてどうしたものか(笑)    
 




明日ですか  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 1月16日(火)23時20分25秒   


もし時間がありましたら、明治44年秋の札幌の成績を
札幌毎日新聞で調査しもらえないでしょうか。
北海タイムスも小樽新聞もこの開催の情報がとても薄いのです。
開催日は8月27・28・29日です。
あとこの開催も曲線競走が開催されていますので、
曲線競走のレース雑感などでどのような競走だったかちょっと探っていただけると助かります。 
 



気分はマルコ  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月16日(火)21時45分28秒   

裾野の広さと歴史の古さはやはりガウチョ文化の賜物でしょうか。
競走数を見ると、年間数日しか開催してないところも結構ありそうです。

ロサリオなんかはレコードタイム見ても恐ろしく古い時計が並んでますもんね。
http://www.revistapalermo.com.ar/hipodromos/recordro.htm
20世紀初頭におけるアルゼンチン馬のレベルが高かったこと、それプラス
当時のロサリオ所属馬の質も高かったということでしょうけど。
アルゼンチンには芝の競馬場が4つある(あった)ということなので、
地方側に3つもあったことになります。今はどうなってるんでしょうかね。

#明日時間が取れたら図書館寄ってきます。    
 



地方競馬補足  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 1月16日(火)20時19分26秒   

1974年のアルゼンチンの統計をいると、
32競馬場で計7106競走が行われています。
Palermo & San Isidro (1106), La Plata (1097), Rosario (489), Cordoba (372), Tucuma (326),
Mendoza (337), Corrientes (287), Santa Fe (275), Gualeguayehu (261), Parana (203),
Salta (175), Rio Cuarto (157), Concepcion del Uruguay (168), Gualeguay (120),
Posadas (151), Rafaela (117), San Juan (146), Victoria (118), Azul (114), Concordia (116),
La Paz (114), Tandil (95), San Francisco (97), Villa Maria (101), Venado Tuerto (88),
San Luis (102), Villaguay (80), Bell Ville (78), Villa Mercedes (81),
Comodoro Rivadavia (77), Esquel (44), Paso de los Libres (14)

2005年度の統計では22競馬場で7268競走なので、競走総数は30年前とそうかわっていません。
しかし競馬場の数は10減っていますし、さらには、現在パレルモ、サンイシドロ、ラプラタで
各々1600競走ほど、3競馬場だけでトータル約5000競走開催しています。
それを考えると、地方競馬が元気が無いのは瞭然です。
最近の地方競馬ごとの細かな数字は分かりませんが、
ロサリオなどは、今では年間200競走も行っていないのではないでしょうか。
レビスタ・パレルモに掲載されていた地方競馬の騎手成績などは、
ロサリオやコルドバなどでも20勝ぐらいでリーディングを争っていましたから。

アルゼンチンの地方競馬は歴史の古いものが多いです。
ロサリオは1900年のジョッキークラブが創設し、翌年には現競馬場がオープンしていましたが、
それ19世紀末から競馬は行われていましたし、コルドバは1887年創設、
リオクアルトは1875年創設、フアレグアイチュは1867年創設など、
創設が19世紀にまで遡るクラブも多々あります。    
 



地方競馬各場  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月16日(火)06時56分51秒   

随分長い歴史があったんですね。
今ではロサリオも月一開催、コルドバやメンドーサも似た規模なんでしょう。
マールデルプラタは敷地を売って賠償金にあてるとか言われてますから
もうちょっと逆転は厳しいんでしょうね。
コースも調教で使っているホームストレッチ以外は既に使用不能な状態になっているとか。

集計'06完了されましたか。お疲れ様です。
ファレーロは今年一杯という噂が流れてますね。
本人が何も語ってないようなのでアレですが。。    
 



地方競馬の受難  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 1月15日(月)23時45分59秒     編集済  

は日本だけではないようですね。
アルゼンチンでは1980年代以降、地方競馬のレース数は激減しています。
4大地方競馬(ラプラタ、ロサリオ、コルドバ、メンドーサ)の中、
ラプラタ以外はレース数が1/3ぐらいになったのじゃないかな。

それにしてもブエノスアイレス五競馬場とはどれでしょうね。
パレルモ、サンイシドロ、ラプラタ、マールデルプラタ、タンディルにアズールを入れて
6つだと思うのですが(笑)ラナシオンの数え間違えでしょうか。
マールデルプラタは創設が1908年なので、ちょうど100年目にアウトです。
タンディルは創設1866年で、パレルモよりも10年も創設が古い競馬場です。
アズールは4大地方競馬場に次ぐ地位にありまして、5大地方競馬といってよいほどです。
かつてはパレルモやサンイシドロからも遠征馬ていました。
現在、タンディルとアズールで"南部ブエノスアイレス競馬”を形成し、
南部大賞を2競馬場で一年ごと交互に開催しています。

あとネットではまだ出ていないようですが、昨年のアルゼンチン首位騎手・調教師は、
いつもの名前でした。
ファレーロは2位エレーラに160勝の差をつける圧勝でしたが、
マルドッティは2位ペリェガッタに7勝差と近年にない僅差でした。
調教師ランクが一桁の僅差で決まったケースは1994年以来です。
ちなみに1994年はマルドッティが僅か1勝及ばすの2位で、
以後1995年に初リーディングを獲得して以降、
12年連続12度目のリーディングとなっています。
過去5年のリーディングは以下の通りです。

(騎手)
2002 Pablo G. Falero (URU).....406 (190 wins at Argentino, 216 wins at San Isidro)
2003 Pablo G. Falero (URU).....396 (181 wins at Argentino, 215 wins at San Isidro)
2004 Pablo G. Falero (URU).....346 (165 wins at Argentino, 181 wins at San Isidro)
2005 Pablo G. Falero (URU).....412 (180 wins at Argentino, 232 wins at San Isidro)
2006 Pablo G. Falero (URU).....362 (177 wins at Argentino, 185 wins at San Isidro)
(調教師)
2002 Juan C. Maldotti..........136 (40 wins at Argentino, 96 wins at San Isidro)
2003 Juan C. Maldotti..........162 (59 wins at Argentino, 103 wins at San Isidro)
2004 Juan C. Maldotti..........167 (52 wins at Argentino, 115 wins at San Isidro)
2005 Juan C. Maldotti..........157 (51 wins at Argentino, 106 wins at San Isidro)
2006 Juan C. Maldotti..........148 (47 wins at Argentino, 101 wins at San Isidro)


大正元年秋の3日目は雨で順延を繰り返し、開催が9月26日になりました。
調査お願いします。    
 



では今週中にでも  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月14日(日)10時37分20秒   

小樽新聞もあるようなので、両方にあたってきます。
北大図書館は一度も行った事無いんですが、まあ問題ないでしょう。

確認するのは大正元年9月26日前後ということでよろしいのでしょうか?    
 



ふむふむ  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2007年 1月13日(土)23時43分49秒   

北海タイムスは、大正元年秋の3日目はちょうどスイテンが出走したと思われる第7競走と
第8競走だけ3着までしか掲載されていない。他は出走馬も掲載されているのに。。
札幌毎日も欠だとすると、小樽新聞はどうですか。
小樽新聞は札幌競馬の記事が大きく、しばしば全出走馬が掲載されていたと思うのですが。    
 



北大で確認して  投稿者:通りすがり  投稿日:2007年 1月13日(土)23時24分33秒   

いただけるとありがたいですね。この件はそもそも札幌競馬倶楽部の
ボス持田謹也氏が社長だった北海タイムスが結果を載せてないという
のが何をやってんだかという感じですけど。    
 



通りすがりさんは  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月13日(土)21時51分34秒   

もう帰京なされたんですよね。
ご希望でしたら近いうち北大行って確認してきましょうか?    
 



道立にあったのは  投稿者:通りすがり  投稿日:2007年 1月13日(土)01時19分21秒   

大正元年は7月までは欠、8~12月で1リールのフィルムでした。
それと同じなら1つの原資料から作られたものでしょうね。    
 



北大にある  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月12日(金)23時56分32秒   

このマイクロも道立図書館のと同一なんすかね。
一応1912年版があるようなんですけど。。 
http://www.lib.hokudai.ac.jp/cgi-bin/opac/binding-query?smode=1&key=B116861323929764&zcode=30042937&zlplace=901112119
 
 


道立  投稿者:ふてき  投稿日:2007年 1月12日(金)22時43分6秒   

調査されましたか。
マイクロに欠けがあったと言う事は事実上のギブアップですか。。

実紙を持っているコレクターがどこかで公開してませんかねぇ。  




札幌毎日も  投稿者:通りすがり  投稿日: 1月12日(金)20時37分46秒   

3日目はアウトですね。夕刊しか残っていないようです。
「初日の続き」「2日目の続き」という記事はあったんですが。    
 



見ました  投稿者:ふてき  投稿日: 1月11日(木)07時46分30秒   

お客入ってますね。売上げも過去最高だったそうで。
外国勢の顔触れがもうひとつかと思ったんですが、レース自体の盛り上がりはあったんですね。

モンテリコもリプレイコーナーができましたから、ライブを見逃しても安心です。    
 



コルデロ親父  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月10日(水)23時03分48秒     編集済  

ですね。ミドルネームまで全く同名で、シニアとジュニアで区別のようですね。

気が付かなかったのですが、麻呂のHPでも動画が見れるようになったのですね。
ホセペドロを見ましたが、ウイニングランや表彰式の様子まで見られるのはGood!です。
客の入りも多く、ヒカルドの喜びの様子までよく見えます。    
 



よくわかりませんけど  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 9日(火)07時58分41秒     編集済  

スペイン語風に変えちゃう習慣があるんですかね。

しかし名馬が生産に結びつかない競馬の構造は残念ですね。
いかに自治領とは言え。    
 



Corazon 判明  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日: 1月 8日(月)23時43分26秒   

Cardiologo の母 Sun Boots(f)の別名でした。
http://www.pedigreequery.com/cardiologo

同じ国のはずなのに改名しちゃうところなどは、何となくかつての
中央と地方の関係を連想させます。    
 



殿堂入りの価値  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 8日(月)22時30分48秒     編集済  

馬名の左の数字は殿堂入りの年のことかと。
Perla Fina は1899年生まれのプエルトリコ最初の活躍馬で「クリオージョ」の
ようですね。写真を見るとずんぐりと小さな体形で、サラブレッドの血は全く
入っていない土着馬じゃないでしょうか。
Corazon はどれなのかちょっとわからなかったのですが。。
血統不明部分があれば仰ってください。判る範囲で入力しますので。

殿堂入りの顔触れを見るとクリオージョの Perla Fina を含め全てがプエルトリコ産ですか。
いかに「プエルトリカンロールスロイス」がケンタッキーのダービーを制覇しようとも
殿堂入りには至らないわけですね。
自治領なりのプライドは日本よりプエルトリコが一枚上なんじゃないかと。    
 



こりゃ凄い  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日: 1月 8日(月)21時58分15秒   

Perla Fina(1958), Corazon(1985) の2頭以外はほぼ把握できました。
次回更新をお楽しみに。
レベルの差が大きく(本土からの流入もある)、競馬の規模が小さい→
同じ相手と何度も対戦 → 連勝記録 ということなのでしょうか。
Bold Forbes なんてそのまま走ってたらおよそ負けそうにない。。。

ちなみに私は、日本は「アメリカの51番目の州」ではなく、プエルトリコに
次ぐ2番目の自治領(連邦税を納めなくてよいかわりに大統領選挙権がない)
だと思ってます(w    
 



殿堂サイト  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 8日(月)16時57分13秒   

紹介どうもです。鞍上はコルデロ親父ですか?
http://www.famahipismopr.org/index.htm
トップ頁のPDFには馬房で倒れた Camarero の亡骸写真までが!

プロフィールを見ると、Galgo Jr. とか Chorisbar 以外にも何頭か100勝越えがいますね。
連勝記録も49連勝とかそんなのがゴロゴロ。さすが記録の宝庫プエルトリコ(笑)。
何頭か未掲載馬がいるようですので、次回作で是非 > GURU    
 



プチ情報  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 8日(月)12時54分26秒     編集済  

西ドイツではHeinz Jentzsch師が首位調教師を31回(1960-65,67-87,89,91,93-94)
獲得しています。連続としては1967~87年の21年です。
フランスは賞金順でランキングされていますが、勝ち鞍順でみるとFrancois Mathet師が
を29年連続29回(1957-85)獲得しています。
ちなみにFrancois Mathet師は賞金順では16回(1954,56,58,61,62,64-71,73,77,82)
リーディングを獲得しています。
フランスやドイツで調教師成績が集計され始めるのは1920~30年代ごろなのかな。


プエルトリコのこの馬の記録は不滅でしょうね。 
http://www.famahipismopr.org/nativos/chorisbar-nativos.htm
   
 


訂正しました  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 8日(月)08時56分36秒   

「現役」がついてましたので「南米最多」位だったのですかね。
http://www.jair.jrao.ne.jp/japan/newsprot/2004/body/1109.html
連続記録も怪しいですね。小規模国だとまだまだ知られざる記録が眠っていそう。

プエルトリコは馬券の控除率が高くて有名だそうですね。
売上げ自体は悪くなかったそうですが。。
あとブログに書き忘れましたが、4コーナー奥にシュートを作る案があるようです。  
 



プエルトリコ競馬再建ですか。  投稿者:通りすがり  投稿日: 1月 8日(月)01時47分58秒   

あそこは昔エルコマンダンテが郊外に移ったとき名前も引き継いだんですよね。
あの狭い島に500も600も場外があったと思いますがそのせいか競馬場には
ホントにお客がいませんでした。

余談ですが Dale Baird や King Leatherbury が引退したという話は聞きません。    
 



展開が早いっすね  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 3日(水)23時23分46秒   

楽しみな事になりました。
本番ギリギリでサイト更新かけるつもりなんでしょうかね。
いずれにせよしばらくはサイトチェックが欠かせません~。

南アはハンデ戦の重賞が多かったりもしてますか。
その辺もコモンウェルスとしては異色なのですかな。    
 



早速  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 3日(水)21時47分27秒     編集済  

マロ国際フェスタのレース史については、6日までに僕の写真と経歴を
送れとの連絡がありました。早速、僕の資料を公開するとかしないとか。。。
まぁ、よくわからないのですが、ともかく現地の関係者が間違いに気が付いてくれれば、
資料を整理している者としては助かります。

南アフリカの重賞のスポンサー依存度は高いですね。
サマーカップの賞金が下がったのも、メインスポンサーがゴマゴマチャレンジに
移ってしまったからなのです。
この国はダービーの価値が低いですし、イギリスの直系の植民地にしては、
なんだか不思議な競馬の発展のしかたです。

画像ファイルを整理していたら、
Gran Ducato の有名な写真とクラブイピコ内にあるお墓の写真がでてきました。
どこに保存したか不明になっていました。
アップしたのでどうぞ。 
http://www.d4.dion.ne.jp/~ken.ooka/granducato.htm
   
 


どうもです  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 3日(水)16時39分0秒   

新年早々のグッドニュースかと。>マローニャス
調査の甲斐がまた一つ報われました!

南アの競走事情に関しては不勉強で相変わらず疎いのですが。
単純にスポンサーサイドの力が強くって、統括組織(南アJC?)が本来持っている
思惑とか理想とはかけ離れた運営形態になってしまっているという事でしょうか。
そういや昔から企業冠競走多いですもんね。。    
 



おめでとう!です。  投稿者:Lucky Boy  投稿日: 1月 2日(火)22時27分13秒   

今年もよろしくお願いします。

今週のマロ国際フェスタですが、公式HPの各レースの歴史が去年同様に間違いが多い。
最近コンタクトを取ってる現地の競馬ジャーナリスト兼競馬史研究家に
その旨をメールしたところ、僕の整理したデータをもとに詳しいレース変遷史を
発表してくれるとの返事を頂きました。
来年は公式HPの間違いがなくなっていることを期待です。

あと気になったことは、南アフリカのG1サマーカップの賞金がJ&Bメットに抜かれました。
南アフリカのレース賞金は変動が激しいのですが、
それでも国内最高賞金競走との触れ込みで創設されたサマーカップだけに、
突然とも思える冷遇は如何なものかと(それでも国内4番目の高額賞金だが)。
ヒューメレラ社は完全に最重要競走をゴマゴマチャレンジ(賞金はサマーカップの2倍)に
移したようです。

バルジューが初リーディングを獲得しましたね。    
 



謹賀新年  投稿者:ふてき  投稿日: 1月 1日(月)01時03分36秒   

旧年中は大変お世話になりました。>みなさま
本年も引き続きよろしくお願いいたします。

東欧社会主義国競馬大会ですが、改めて初期の記事を見直しました。
んで、一部に誤記(誤引用)を見つけましたので、訂正しお詫びいたします。

どうやら、記事を読む限りでは「ダービー」は1951年から、「オークス」は1955年から、
「平和賞(2歳戦)」は1953年から始まったように思いました。

あくまで暫定的ですが、今回その線で更新してみましたのでご確認ください。 
http://homepage1.nifty.com/futeki/int_meeting.htm