2009年12月、11月、10月




資料編自己発見 投稿者:通りすがり  投稿日:2009年12月31日(木)15時53分38秒  返信・引用  

イワヒメ      栗毛
イワヨシ      昭16生 鹿毛
キンギン      昭16生
サイタマホシヒカリ 栗毛
ダイニコナミ    栗毛 母父アア・第八一ブラマンテー
ダイリ       サラ系 母サラ系
チバミヤヒメ    昭14生
チヤルマ      昭14生
トヤマ       昭15生 鹿毛 父アノ系・コマバ 母半血・龍雲 母父半血・松風
ナツネ       昭14生 父トロ(米)リーハグヤード 母半血・根室 母父半血・北星
ナノハナ      サラ系 母サラ系
ビブン       昭19生
ポーキ       昭17生 栗毛
マツガヒメ     半血
ミスキンギン    昭17生 栗毛

既に多数の間違いを発見していただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。よいお年を。    
 



決まりましたか 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月22日(火)20時10分28秒  返信・引用  

長旅になりますね。折角の機会ですから可能な限りのご活動を。

ラミレスはダルド・ロチャ勝ち馬、エストレージャス・クラシック(昨年の)勝ち馬、
ベント・ゴンサウヴェス勝ち馬となかなかの顔ぶれになりそうですね。
個人的にはパラナ大賞3着馬に注目してます。
http://www.pedigreequery.com/rei+do+rock
ラミレス使ったブラジル馬はそのままウルグアイで走りきるケースが多いので、
それなりに活躍して種牡馬になれればいうことないな、と。    
 



報告 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月22日(火)18時11分52秒  返信・引用  

とりあえず麻呂遠征の報告です。
1月1日のフライトで、帰国は現地を23日に立ち、日本へは25日着です。
招待なのですでに諸々と気疲れしております(諸々と気を使うこともありまして)。
7日まではシェラトン・モンテビデオ・ホテルに滞在し、
その後、安宿に移って調査を続ける予定です。
3日ぐらい時間があればブエノスアイレスに足を伸ばそうと思っています。    
 



タラちゃん 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月14日(月)21時58分5秒  返信・引用  

これもう2度と破られない記録じゃないですか。
上位人気馬ばかりだったとは言え、ちょっと神がかってましたね。
馬はアルゼンチン、騎手はペルー、オーナーブリーダーがチリということで、
それぞれの国のメディアごとに違った切り口なのがまぁ面白いというか。

例の Internacional の位置にこだわりがあったんですか、胴元さん的には。
記録を纏める方としてはちょい面倒なことになりますね(笑)    
 



朝から 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月13日(日)23時50分59秒  返信・引用  

サンイシドロのライブ中継を見ていました。便利な時代になりました。
それにしても歴史的な日になりました。タレベラーノが3つ全部持っていくとは。
史上初の快挙ですね。

それにしても気になったのは今年のペリェグリーニの競走名。
毎年"Gran Premio Internacional Carlos Pellegrini"だったのが、
今年のプログラムは"Gran Premio Carlos Pellegrini Internacional" になっていました。
これってどうでもよい話なのですが、
実はラテン気質のくせに妙にこだわっていたいりします。
サンイシドロのHPに競走名の変遷について述べられています(Cambios registradosのセクション)。
http://www.hipodromosanisidro.com/pelle.html
ここの説明は間違っているのですが(おそらく間違って記されている某資料を引用している)、
競走名の"Internacional"の位置を区別していることは理解していただけると思います。
今年はプログラムでは"Internacional"の位置は最後尾なので、
レビスタパレルモのHPでも同様なのですが、
中継の画面表示や、アナウンサーの実況では"Gran Premio Internacional"なのですよね~~
ちょっと悩みます。    
 



ダルドロチャ大賞勝ち馬が 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月12日(土)08時57分51秒  返信・引用  

遠征するような話ですね。

エレーラ、どうなんでしょう。スタッド・マニングの馬を管理することになったようですが。
ラ・ナシオンを検索しても、復帰を目指してるという記事しか見つからないんですよね。
まさかの調騎兼業!・・・は流石にないですか(笑)    
 



どうでしょう? 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月11日(金)19時36分5秒  返信・引用  

ベントゴンサウヴェス大賞馬とパラナ大賞馬が強そうなので、
ラミレスに遠征してきたら怖いかな。
Relento は2着を復調と見るか、それともピークを過ぎたと見るかでしょう。
それよりも4連勝中の Sing-a-Sing かなぁ~。
出走すれば Escolaso も有力なのでしょうが、カルロス大敗で回避という流れのような...。
アルゼンチンからの遠征馬はカルロスが終わらないことにはわかりませんね。

カルロスのペルー代表馬 Zeide Isaac のアルゼンチンでの管理をハシント・エレーラが
行っているようですが、サンパウロJCのHPの海外ニュースに、エレーラを"元騎手"と
書かれています。Durf DiarioのHPには"調教師"という肩書になっています。
エレーラが正式に騎手を引退して調教師に転身したというニュースを見ていないのですが、
主禁さんはご存じですか?  
 



可能であれば 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月 8日(火)19時41分53秒  返信・引用  

せっかくの貴重な訪問機会ですから、現状でやれるだけのことは
やりたいところですよね。本音は「他の国にも足を伸ばしたい!」
ではないでしょうか。南米だとそう気軽に行けるわけじゃありませんしね・・・。

ラミレスは連覇を狙う Relento が前哨戦2着でしたね。
アルゼンチンから強いのが来なければ、チャンスありそうな感じですか。    
 



一応 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月 8日(火)18時35分42秒  返信・引用  

調査計画は練っています。
というか、すでに手は打っています。
これまで3度の訪問でも入手できなかった成績書がない1981~1997年の全成績は
入手のメドがつきました。
そのほか成績書が刊行されていない1904年以前の史料も、
1902年、1903年は全成績と統計が記されている資料が見つかったとの報告を受けています。
これは全部コピーしてきたいです。
19世紀分もちゃくちゃく資料を集めています。
1901年と1904年もどうにかなるとは思いますが、時間があるかなぁ~。

もし可能なら実費を出して帰路のフライトを変更して
滞在日数を延ばせないか画策してみますか。
でもまだ訪問に半信半疑なのですが(笑)    
 



来ましたか 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月 7日(月)20時09分31秒  返信・引用  

まぁさすがにキャンセルは無いでしょう。
帰国後、どこかに観戦記を掲載してもらって、それをルイス氏にお届けしましょう。
これで立派な競馬記者ですぜ。

もし行くことになったとして、調査関係に手を伸ばす時間的余裕はありそうですかね?
それともウルグアイの資料関係は既に全部押さえてたんでしたっけ?    
 



どうやら 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月 7日(月)01時47分43秒  返信・引用  

麻呂招待の内諾が出たようです。
5年ぶりの麻呂行きが現実味を帯びてきました、正直まだ信じていないのですが…。
まぁ正式な招待が来るまでは半分冗談話として聞いておきます。
毎年、正月の楽しみである箱根駅伝はどうなるのだろうか…見れないかなぁ。~。    
 



お言葉に甘えて 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月 5日(土)08時53分38秒  返信・引用  

マイペースで作業させていただこうかな、と。
脆弱サーバ対策として?全重賞結果をPCに保存しました。
これでいざ作業しようとしたらサイトに繋がらない><
という事態は回避できると思います。
ただ、血統・毛色の検索の際にはどうしてもアクセスする必要がありますけどね。
年末年始には纏めて作業できるのではと思ってます・・・。

ウルグアイの競馬ヲタの間ではちょっとした有名人ですかね。
しかし正確に発音できる人はいないでしょう。    
 



ゆっくりと 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月 5日(土)03時04分47秒  返信・引用  

ゆっくり作業をなさってください。
アルゼンチン重賞の全整理を丸投げしてしまったこと自体が申し訳ないというか。。。
ただ、1980年代~90年代を整理すればあとは簡単だと思います。
現地でもキチンと整理されていないので、完遂すれば快挙ですよ!
19世紀末に廃止された重賞などは、20世紀の資料では存在を忘れられていたりします。
20世紀の資料でパレルモ・サンイシドロ開催の重賞とされているブエノスアイレス賞は、
当初は州政府がスポンサーの競走だったので、数年間はラプラタで開催されています。
この事実も忘れられているようです。まぁチビチビと作業しましょう。

でも5ヵ国の全重賞整理は遠い夢となりつつありますね。
僕もウルグアイでいっぱいいっぱいです。ペルーはともかく、
チリの重賞の数は尋常ではありません。3大競馬場の格無し重賞まで手を広げると
ギブアップかも。。。ブラジルも…。まぁ資料だけは囲っておいて、
1つ1つ潰していきましょう。

関係ない話ですが、インペリオについて自分の名前が題に載っていて驚きました。
2年前のカキコですが、現地の雑誌にインペリオの調査のことが紹介されたらしく、
こんな書き込みがあったのでしょう。
http://poesiasyentrevistas.blogspot.com/2007/09/el-mejor-caballo-uruguayo-del-siglo.html    
 



あまり気になさらず 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月 4日(金)07時58分0秒  返信・引用  

あつかましく行っちゃいましょう。ご当地キティを手土産に。
招待状無くてもホワイトハウスに入れるご時世ですしね!
某誌に取材記事をご掲載頂ければ、外野として言うこと無いわけですが・・・。

業務連絡です。最近妙に忙しくて作業が遅れ気味です。御了承くださいませ。    
 



ですね 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月 4日(金)00時58分55秒  返信・引用 編集済  

言われてみればそうですね。太平洋戦争の終結100周年記念でしょう。
なぜ"Pacifico"と思っていましたが納得です。
チリスタッドブックのハイメ氏と歴史談義で盛り上がったのですが、
コンセプシオンに太平洋戦争で撃破したペルー戦艦が戦勝記念で展示されていて、
事あるたびにペルーから返還要求があるそうですが、
戦利品ということで無視し続けているそうです(笑)
ボリビアはこの戦争で海を失いましたが、もし海を失っていなければ、
今頃はアントファガスタ競馬場がボリビア競馬の中心地だったのでしょうね。
ボリビアの右翼がしばしばアントファガスト返還運動をしているみたいですが…。

麻呂の招待話ですが、全く心配ないから来いと言う話になっています。
心配なら公式の通訳付けるよと…ちょっとそれはプライドが許さないかも。
来る気があるようだったらプロフィールが必要だから送ってくれとメールが来ました。
まぁルイス氏が推薦しても麻呂に却下される可能性もありますが(笑)
ラミレスを直に観戦したいのは正直な気持ちなので、
とりあえずOKしておこうかなぁ~とちょっと心変わりです。
ルイス氏の同僚の奥さんがハローキティーのマニアで、
頼まれて限定MP3クリスタルプレーヤーを購入予約したのですが
渡航することになれば、それを送らずに持参すれば郵送の手間がないな~
なんて思ったりもしています。    
 



もしかしたら 投稿者:ふてき  投稿日:2009年12月 3日(木)07時31分30秒  返信・引用  

1884年に終結した太平洋戦争(ボリビア・ペルーとチリが戦った)の
100周年記念だったんじゃないですかね。レースタイトルからも伺えますから。

招待話、もったいないですね。英語力そんなに必要なんですか?
行っちゃえばいいのに、と勝手にけしかけておきますよ。
もしどうしてもご辞退なさるというなら、某氏をご推薦なさるのが吉かと。
さすれば我々が取材記事を目にする可能性も出てきますし。
しかし1ヶ月しかないんですね。スケジュール調整つくのかな。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89_(%E5%8D%97%E7%B1%B3)
   
 


1984秘智対決 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年12月 3日(木)00時09分41秒  返信・引用  

21/10/1984
Clasico Copa de Oro del Pacifico (Clasico Jockey Club del Peru) - Lan Chile (Gr.1)
参加資格はペルー産馬とチリ産馬。15頭中、チリ馬6頭です。
勝ったのはペルーのアルティガル、2着がチリのコベルティゾでした。
なぜこの年の開催が秘智対決になったのかな。資料を読めば分かるのでしょうが、
只今スペイン語を読む気力が…後日報告します。

マローニャス競馬場が来年のホセペドロラミレス大賞に海外の競馬ジャーナリストを
招待するそうなのですが、スタッドブックのルイス氏が僕を推薦するからどうだ?
との話を頂いています。
もちろん航空代・滞在費も込みということで非常に魅力的なのですが、
ここ3年、英語なんぞしゃべっていませんし、会話なんぞすっかり忘れております。
招待なのでいい加減なことはしゃべるわけにはいきませんしね。
まぁそれ以前に僕は趣味で競馬史を調べている素人で、ジャーナリストではないですから。
あとレーシングポストの記者を招待すると言っている中では、あきらかに場違いでしょう。
丁重にお断りの返事をしなければ、と思っている次第です。  
 



秘智対決 投稿者:ふてき  投稿日:2009年11月20日(金)21時25分54秒  返信・引用  

そういう過去があったのですね。
ただしこのニュース、スクープしたエル・コメルシオと、
それを引用したペルー・イピコ以外では全く目にしてないんですよね。
チリ側を含めて。JCPもまだ書いてませんしね。
果たして信頼できるんでしょうか(笑)

ttp://elcomercio.pe/impresa/notas/derby-ritmo-mambo/20091116/369425    
 


もろもろ 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年11月20日(金)21時13分20秒  返信・引用  

ゼニヤッタの評価は思ったほど高くないのでしょうかね。
地元での賛美は高いようですが。。。

来年にペルーで国際競馬ですか。久々です。
金欠のペルーにしては頑張りますね。15年ぶりくらいでしょうか。
チリとの対抗戦ならば25年ぶりくらいなのかな。
当時はランチリがスポンサーになってチリとの対抗戦になったはずです。    
 



お疲れ様でした 投稿者:ふてき  投稿日:2009年11月 9日(月)22時44分21秒  返信・引用  

来週号は忘れず買います。

YouTube にレース動画が一杯上がってますが、これが一番臨場感が伝わってきます。

http://www.youtube.com/watch?v=FinowjZFj48

何時にもまして黄色い歓声が多く感じます。
いやしかし直線、Summer Bird と Twice Over の間を突き損なった時は
一巻の終わりかと思いましたけどねえ。

三冠起源考証記事もいずれ拝読できそうですね?これまた楽しみ。    
 



ブルーピーター系とは! 投稿者:通りすがり  投稿日:2009年11月 9日(月)21時38分9秒  返信・引用  

ところで三冠ってバーラムが勝った時にはそんな記事ないんですよね。
米三冠の方はオマハの時に「父ギャラントフォックスと共に三冠馬」と
書いた記者がいたそうですがそれはその人だけのことで、一般化はして
ないようです。ウォーアドミラルの時ブラッドホースに「英のトリプル
クラウンに匹敵するトリプルヴィクトリーである」という記事があった
ので調べてみるとBBRがバーラムをトリプルクラウンホースと書いて
ました。年鑑で1935年を回顧した時に表現したわけですね。

昨日付けのサンタアニタパークの地元紙パサデナ・スター・ニューズは
「ゼニヤッタは年度代表馬にはなれないだろう。しかし、民衆は彼女を
支持した」と書いてました。競馬場では凄い歓声でしたよ。    
 



表彰モノは 投稿者:ふてき  投稿日:2009年11月 9日(月)20時00分57秒  返信・引用  

衆目一致の結果などまずありませんからね。
賞関係にはあまり権威や付加価値を持たせない方向に持っていった方がいいと思います。

ゼニヤッタも凄かったんですが、自分的にはパナマ2歳三冠の緒戦を
ブルーピーター系最後の生き残り?Forever and Ever(USA) の産駒が
勝ったことがインパクト大でした。

http://www.pedigreequery.com/testarossa9

これがデビュー戦だったようなので、今後にも大いに期待したいところ。
しかし例の Keyhaven の父系もそうですが、サン・ミゲル牧場には
途方も無い力が宿っているのでは。    
 



同名異馬 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年11月 9日(月)13時04分57秒  返信・引用  

ゼニヤッタ勝ちましたね。牡馬相手のG1も勝ちましたし年度代表馬はきまりでしょう。
ただ西海岸に引きこもりの感じは否めませんが。。。
僕としてはレイチェルアレクサンドラの方が厳しい相手とのレースが多く
評価は上にしたいですがね。

Donna Lydiaが同名異馬ですか。全く気がつきませんでした。
サンクスです。    
 


zenyatta 勝ちましたね 投稿者:ふてき  投稿日:2009年11月 8日(日)09時45分41秒  返信・引用  

そういえば Escorial も後年フランスに渡ったんですよね。
繁殖としてアレだった Farwell といい、「ペットは飼い主に似る」じゃないですが、
生産者同様に血を繋ぐことは得意じゃなかったのでしょうか。

ただ Dulce の牝系はドイツに渡った Dulciana の系統がそこそこ
粘っているのではないかと。
ギマラエス氏が勘違いされているのはこの系統の Donna Lydia(GER) と
レガシーワールドの母 Donna Lydia(JPN) のことでしょうね。

http://www.pedigreequery.com/donna+lydia5
http://www.pedigreequery.com/legacy+world    
 



Hara Guanabara 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年11月 8日(日)08時02分40秒  返信・引用 編集済  

Tanteo でOKです。Selim Hassan産駒です。

話は変わって以前から疑問で、
なぜHaras Guanabara(EscorialやEmersonの生産者)が
マチャード家のHaras Sao Jose e Expedictusよりも先に
国際競馬で成功することができたのか?というものがあったのですが、
ちょうどEmersonについて調べていたので、
サンパウロ州生産者協会理事のEduardo Guimaraesu氏に
その点についてブラジル国内での見解はどんなもの?と諸々尋ねてみました。
http://www.apfturfe.com.br/?pg=apfturfe

これはマチャード家がブラジルジョッキークラブ創設者として、
ブラジル国内の競馬のサポートに徹していた一方で、
新興のHaras Guanabaraのネルソン兄弟は移民一世目で、且つ頻繁に海外渡航をしており、
自然と国際派になったそうです。ネルソン兄弟の一方は
晩年の30年間をパリで過ごしています(Emersonのフランス輸出も納得です)。
ただネルソン兄弟は子供がいなかったので、両者の死後、
牧場の生産場は全て売られてしまい、現在は牧場は残っていますがサラブレッド生産は
行っていないそうです。

「記憶が間違っていなければ、Haras Guanabaraの生産場Dulceの子孫が
ジャパンカップかっていなかったけなぁ~」とおっしゃっていましたが、
該当馬がいないのですね~(笑)
Dulceの子孫で日本で活躍した馬っていましたっけ?    
 



整理の意味で 投稿者:ふてき  投稿日:2009年11月 7日(土)22時20分41秒  返信・引用  

全成績をまとめておきました。
例によってLBさんと通りすがりさんの記述を勝手に表にしたものですが。。

http://homepage1.nifty.com/futeki/yatasto.htm

1951年のペリェグリニは「芝」3000m、
1953年のパレルモ大賞2着馬は「Tanteo」で、オッケーですよね?    
 



ヤタストの故障について 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年11月 7日(土)10時28分2秒  返信・引用  

ヤタストの怪我の詳細について、ウルグアイのルイス氏に調べてもらいました。
最初のカルロルPが左後脚、サンパウロ大賞が左前脚、
引退の原因になったのが右前脚、と故障は全て違う脚といことが判明しました。
最後はパレルモ賞のレース中にやらかして、
軽い故障持ちのままオノール大賞を圧勝した後、
3度めのカルロスPの調教中に悪化させて引退、という流れです。

通りすがりさんがBBRで調べてくださいましたが、
どうやら2度目のカルロスの敗退は故障が原因ではないようです。
僕も以前に当時の調教師の回顧談で「いまだ敗北の理由が分からない」というような
内容だったと記憶していたのですが、
改めて調べてもらったところ、やはり故障ではなく、
当時の調教師の回顧録には「体調は万全だったのに、
なぜヤタストが敗北したのか理由が説明できない」と書かれているそうです。
BBRの記事の著者の勘違いなのでしょうかね。  
 

[投稿日時] 2009年10月19日(月)07時26分58秒
[題名] ですか
[投稿者] ふてき  

前にどこかのサイトで解説されてたのを見た記憶があるのですが、
なんか見つからなくなってたんですよね。
しかしこの手の決め事でアルゼンチンとウルグアイで違いがあるのは珍しいですね。




[投稿日時] 2009年10月19日(月)04時05分8秒
[題名] 着差
[投稿者] Lucky Boy  

V.min.とHocico の関係だけが微妙ですね。
以前にウルグアイスタッドブックのルイス氏に教えてもらったことを思い出して
メールを見直したのですが、Ventaja Minima が nose/short head とありました。
確かウルグアイは Hocico がないですよね。これは保留ということで。
ちなみにvarios cuerpos は several lenghts で、4馬身以上のときに使われるとありましたが、4馬身以内の時にも使われている例があるのですよ…また聞いてみます。
ちなみに昔は paleta という表記もありました。1/4馬身のことです。




[投稿日時] 2009年10月18日(日)18時09分30秒
[題名] サッカー実況が
[投稿者] ふてき  

あんな感じの国々ですから、競馬もまぁそうなんだろうと。
昔、狂犬ペーロ・アグアーヨなんてレスラーがいましたが、
あれもただ単に「ペーロ」というより「ペーロロロ」と言うのが正しかったか。
まぁいつかは巻き舌を交えて会話をしてみたいものです(笑)

今日はジョッキークラブ大賞が僅差の勝負でしたが、あれでも半頭差なんすね。
で、便乗で確認したいのですが、アルゼンチンで着差が僅差だった場合の表記は順に
Ventaja Minima(V.min.) 最小差?
Hocico ハナ差
Media Cabeza(1/2cabeza) 半頭差
Cabeza 頭差
Medio Pescuezo(1/2pescuezo) 半首差
Pescuezo 首差
ということで合ってますでしょうか?




[投稿日時] 2009年10月18日(日)14時30分22秒
[題名] 動画
[投稿者] Lucky Boy  

Clasico Mascagniの実況を確認すれば分かる事でしたね。
「マスカーニ」ですね、確実に。
でも、なんで向こうのレース実況って、スタートのとき、
“rr”音を延ばす(舌を震えさせて延ばすー「ロロロロロ~」って感じ)のでしょう(笑)
僕はこの音が発音できずに、チリのスタッドブックでからかわれましたよ。
ランチの時にpelo(髪)とperro(犬)の発音の話題となり、
面白がられて、皆から発音の特訓を受けましたが、結局できずにギブアップしました。
そもそも僕は"l"と"r"の区別すらできないの、"rr"の下の動きなんて無視な話。
舌が短いし。。。僕は"l""r"も気にせずに日本語のラ行で普通に発音して、
「そっちの言語なんだから"l"と"r"は別は文脈からそっちで理解して!」って話ましたよ。
"l"と"r"は全く違う音だけど、両方ラ行の音でもこっちで意味を判断できるから
全く問題ないよ、との言っていましたし。
ともかく、"rr"のスタート実況は、僕にとってはあこがれの発音だったりします。




[投稿日時] 2009年10月18日(日)09時09分25秒
[題名] レース動画見ましたが
[投稿者] ふてき  

実況アナは「マスカーニ」と言ってるようですね。

引退式はどうなんですかね、どこの国でもやっているのかどうかは?ですね。
アメリカなんかは割とシンプルな感じでやっているんじゃないですか。
ttp://www.flickr.com/photos/rockandracehorses/4013607462/
まぁちょっとした人気者クラスと数十年に一頭、その国の英雄級となると
また話が違ってくるんでしょうけど。




[投稿日時] 2009年10月18日(日)01時35分35秒
[題名] 引退式
[投稿者] Lucky Boy  

イタリア系の名でしたか。チリのリカルドライオンみたいに、
スペイン流にアレンジしていないケースもありますし、これはわからないですね。
まぁスペイン語読みで読んでおけば間違いないかと(笑)

種牡馬としては、マスカグニのほうが重賞馬を輩出しているのでまだ成功したほうかと。
ロマンティコは全くダメでしたね。
ただ、後年ブラジルに輸出されたこともあって、現在のブラジルの活躍馬の血統に
意外とロマンティコの名前が見えるのは嬉しいかなと。

ロマンティコは3冠戦線の最中のプレップレースでも敗北するなど、
取りこぼしが多いという印象ですが、
本質的には晩成のステイヤーだったというのが実際のところでしょうか。
勝ち鞍の殆どが2馬身以内で、切れる脚もなかったようです。
ウルグアイの歴代3冠馬は早熟の天才肌が多く、無敗もしくはそれに準ずる成績で
3冠を奪取した後は、成績はジリ貧になっていく…というのが多い。ロマンティコはタイプが異なります。
調教師は牧場時のロマンティコを見て「モンテビデオの丘よりも大きい心臓を持っている」と購入を決断したとか。3冠は本格化前の能力で勝ちとったものでしょう。
宇コンパラシオン賞の敗北以後は、マローニャスでは無敗ですし、
アルゼンチンの敗北は一流馬が集まったオノール大賞の2着と
亜コンパラシオン賞の3着ですからね。敵地に乗り込んでの戦歴とすれば申し分なしかと。

ロマンティコは本当にウルグアイの英雄だったようですよ。
コピー屋のおばちゃんも当然のように知っていました(笑)
引退後の1941年7月27日には、ロマンティコを偉業を讃えてマローニャスで引退式が行われています。
海外の競馬って名馬の引退式なんてあるのでしょうかね。
ロマンティコの記事を見ると、偉業を讃えた特別なセレモニー見たいな書かれ方をしています。
最初にカルロルP大賞を勝った時のゼッケン12を付けたロマンティコは、
主戦騎手アントニオ=バティスタを背に、ペトラグリア調教師に引かれ、
数千ものファンの喝采を受けたそうです。
このようなセレモニーは当時としては異例だったのではないでしょうか。




[投稿日時] 2009年10月18日(日)01時35分12秒
[題名] 引退式
[投稿者] Lucky Boy  

イタリア系の名でしたか。チリのリカルドライオンみたいに、
スペイン流にアレンジしていないケースもありますし、これはわからないですね。
まぁスペイン語読みで読んでおけば間違いないかと(笑)

種牡馬としては、マスカグニのほうが重賞馬を輩出しているのでまだ成功したほうかと。
ロマンティコは全くダメでしたね。
ただ、後年ブラジルに輸出されたこともあって、現在のブラジルの活躍馬の血統に
意外とロマンティコの名前が見えるのは嬉しいかなと。

ロマンティコは3冠戦線の最中のプレップレースでも敗北するなど、
取りこぼしが多いという印象ですが、
本質的には晩成のステイヤーだったというのが実際のところでしょうか。
勝ち鞍の殆どが2馬身以内で、切れる脚もなかったようです。
ウルグアイの歴代3冠馬は早熟の天才肌が多く、無敗もしくはそれに準ずる成績で
3冠を奪取した後は、成績はジリ貧になっていく…というのが多い。ロマンティコはタイプが異なります。
調教師は牧場時のロマンティコを見て「モンテビデオの丘よりも大きい心臓を持っている」と購入を決断したとか。3冠は本格化前の能力で勝ちとったものでしょう。
宇コンパラシオン賞の敗北以後は、マローニャスでは無敗ですし、
アルゼンチンの敗北は一流馬が集まったオノール大賞の2着と
亜コンパラシオン賞の3着ですからね。敵地に乗り込んでの戦歴とすれば申し分なしかと。

ロマンティコは本当にウルグアイの英雄だったようですよ。
コピー屋のおばちゃんも当然のように知っていました(笑)
引退後の1941年7月27日には、ロマンティコを偉業を讃えてマローニャスで引退式が行われています。
海外の競馬って名馬の引退式なんてあるのでしょうかね。
ロマンティコの記事を見ると、偉業を讃えた特別なセレモニー見たいな書かれ方をしています。
最初にカルロルP大賞を勝った時のゼッケン12を付けたロマンティコは、
主戦騎手アントニオ=バティスタを背に、ペトラグリア調教師に引かれた、
数千ものファンの喝采を受けたそうです。
このようなセレモニーは当時としては異例だったのではないでしょうか。




[投稿日時] 2009年10月17日(土)20時06分55秒
[題名] 貴重な品をどうもです
[投稿者] ふてき  

知られざる名馬ですね。
馬名由来がイタリア人の名だとしたら、マスカーニと呼んでいたのかも?
まあしかし普通にスペイン流にアレンジしてるんでしょうかな。

ロマンティコは取りこぼしが多いものの、大一番には鬼のように強いタイプだったと。
両馬共に種牡馬としてはイマイチだったっぽいのが残念ですが。




[投稿日時] 2009年10月17日(土)02時47分14秒
[題名] せっかくなので
[投稿者] Lucky Boy  

1938年の宇コンパラシオン賞の写真をアップしてみました。
手前の4番のゼッケンがロマンティコで、奥がマスカグニです。



[投稿日時] 2009年10月17日(土)01時57分41秒
[題名] こんなネタを
[投稿者] Lucky Boy  

やはりチェック済みですか。今連載しているところが第2巻のメインになるのでしょうね。

話は変わるのですが、ロマンティコの戦歴を調べていて、興味深い馬を知りました。
そもそもロマンティコの現役時のアルゼンチンは、3年連続三冠馬が登場した時期を
完全に重なるのですね。もっとも厳しい時期での快挙と言えそうです。
1938年のカルロスPでは、後に北米に渡りマッハッタンHなどを制したソルテアドを破り、
1939年は圧倒的1番人気だった無敗の3冠馬エンブルッホを破り、
1940年は故障発生で3冠牝馬ラミシオンに敗北。故障がなければ3連覇もあったでしょう。

1938年11月にカルロスPを制し、帰国して12月のコンパラシオン賞で地元の古馬と
初対戦したのですが、ここでマスカグニという馬に敗北します。
馬齢で8kgも斤量差があった上での敗北です。完敗と言えるでしょう。
マスカグニは前年度の宇ダービー2着馬で、この年にブレイクし、この勝利で10連勝を達成しました。
この年の南米最強馬はアルゼンチンではなく、地元のウルグアイにいたというオチです。
3冠+カルロスを制したにもかかわらず、ロマンティコは国内最強馬になれなかったのです。
マスカグニがこの競走後に故障を発生し引退。ラミレス大賞での再戦はなりませんでした。
この敗戦後、ロマンティコは最強馬への道を突き進むのですが、
マスカグニの故障がなければ、また状況が変わったかもしれませんね。
このマスカグニは、ウルグアイの重賞(Clasico Mascagni)に名前を残しています。




[投稿日時] 2009年10月13日(火)22時11分26秒
[題名] ご存じかな?
[投稿者] Lucky Boy  

メールマガジン「競馬の文化村「もきち倶楽部」」で、
5月から立川健治氏が連載している「横浜競馬史」が、読み物としてなかなか面白いです。
僕が以前にたミラの戦歴の誤り(×13戦10勝→17戦11勝)を指摘しましたが、
この連載では正確な戦歴が紹介されていました(少々前後不一致な誤りもありましたが)。
今は横浜の帝室御賞典を順に追っています。
最新号では、明治40年秋の帝室御賞典でのパトリシア、ラカンテニヤ、ソーヤの3頭の
疑惑の判定がテーマが主題でした。森謙吾の略歴も紹介されています。

僕は、近現代史の歴史論文は論が甘い印象を持っているので(近現代は史料が
多く残っているので、個々の史料の読み込みが薄くなるため)
立川氏の競馬論文も、ちょっと論が弱いかなぁと色眼鏡で見てしまうこともあるのですが、
立川氏の論文・著作自体はとても面白く、毎回興味を持って読ませてもらっています。
横浜競馬は日本史の研究対象としては史料も豊富で、
研究者としては手をつけやすい題材ですね。
他の地方の公認競馬も歴史研究と対象として誰かが研究してくれると嬉しいのだけどな~~。




[投稿日時] 2009年10月13日(火)19時44分30秒
[題名] メルマガ
[投稿者] ふてき  

もちろん購読しておりますです。

しかしアレですぜ。
あの手の著作物に突っ込み入れられる人間はそう居ない(笑)
ただしかし、毎度「流し読んで終わり」をやってたんじゃ勿体無いんですよね。
チト値は張りますが、出版された書籍を購入してみましょうかな。




[投稿日時] 2009年10月 9日(金)07時17分29秒
[題名] 解説感謝
[投稿者] ふてき  

名前は一緒でも他の国のソレとは全く違うものと考えた方がよさそうですね。
こういった世間に誤解が蔓延っている歴史認識なども、いずれどこかで
拝見する機会があれば嬉しいです。。。。。!?




[投稿日時] 2009年10月 8日(木)21時14分27秒
[題名] こんな感じです
[投稿者] Lucky Boy  

El Ensayo の場合は、"Trial"ではなく"Test"のほうが意味が近いです。
つまり能力検定競走の意味です。
"The Derby Trial Stakes"とあったのは、海外に分かりやすく説明するためでしょう。
サンチアゴ馬事クラブは、El Ensayo こそがチリダービーだとずっと主張していましたし、
今でもサンチアゴ馬事クラブはそう思っているようです(というか、そう言っていました)。
実際、El Derbyの賞金額がEl Ensayoの賞金額を上回ったことはないはずです。
格的にもEl Derbyのほうが上ということはありませんし、ましてやEl EnsayoはEl Derbyの前哨戦という
軽い存在でもありません。むしろEl Ensayoのほうが別格の存在です。
チリの競走体系はEl Eansayoを基準に体系づけられたという歴史があるからです。

19世紀はEl Ensayo、La Pureba、La Finalが3冠で、
20世紀初頭ごろは、Polla de Potrillos、El Ensayo、El Derby を3冠と見る流れがあったようですが、
最終的に、El Ensayo、El Derby、St.Leger が3冠(ナシオナル3冠)と見なされるようになります。
St.Legerがイポードロモ・チレに移管されて賞金が増額されてからは、
ナシオナル3冠は、個々が3つの競馬場のダービーという位置づけです。
チリでは、3冠の前に、南米型の3歳クラシック(Polla de Potrillos, Nacional Ricardo Lyon)が
が設定されており、ダービーと頂点とする他の国とはは少々事情がことなると言えるでしょう。




[投稿日時] 2009年10月 8日(木)07時21分52秒
[題名] 正確なところは
[投稿者] ふてき  

Lucky Boy さんがご存知かと思いますが。
元々 "Ensayo" には英語の "Trial" の意味があるようですね。
アルゼンチンやウルグアイやエクアドルなどで行われている同名レースも
そういう位置付けで理解できます。
で、El Derby が創設されて(1885年)暫くの間は両者の施行間隔も
1ヵ月半ほどで、まさに "Ensayo" ということで納得なのですが、
それ以前(1873~1884)は一体何の「トライアル」だったか?
ということになりますよね。
言葉の意味から考えても何か対象となる大レースがあったと考えられるのですが。。




[投稿日時] 2009年10月 8日(木)00時55分34秒
[題名] Criadres de Chile
[投稿者] 通りすがり  

というのが出てきて、雑誌の形をした北米向け宣伝パンフでしょうけど、
1ページを2段に分けて左にスペイン語、右に英語で記事が書いてある。

El Ensayo が The Derby Trial Stakes になっています。なるほどねえ。
バルパライソでやるダービーのトライアルだったんですね。えっ?、でも
エル・ダービーってエル・エンサーヨより古かったっけ・・・・

Gradually, it was decided that a racing programme was needed,
in which even the names of the races were to be the same as those
run in England. In the same way, as accounts of the time state,
prior to the inauguration of such races as the Oaks, the St. Leger,
or the Derby, a big qualifying stakes race to be called the Derby
Trial should be held, similar to the English Derby Trial or the
French Poule d'Essai. The Ensayo was run for the first time on
November 2nd, 1873 over "the distande of one block, i.e. 1,200 metres
with regulation weight, by age and sex, an entrance fee of $25 and
a purse of $400, plus the entries."

トライアルというより登竜門ですかね。




[投稿日時] 2009年10月 5日(月)21時09分14秒
[題名] よく見かけます
[投稿者] ふてき  

地方競馬の所属名。
ただ略号なので、どこをさしてるのかわからないこと多数ですが。

>Clasico Provincias Argentinas の出走条件ってよく分かりません。

昨年のパレルモ開催時のプログラムにはこう書かれてますね(サイトで確認できます)。

Para productos nacidos desde el 1º de Julio de 2005,
con actuación exclusiva en los hipódromos oficiales del interior del país.

さてどうなってるんでしょうか。
微妙なニュアンスが理解できませんが、LBさんの推測があたってる感じですかな?




[投稿日時] 2009年10月 5日(月)18時02分47秒
[題名] 諸々
[投稿者] Lucky Boy  

Brisnetは、7・8年前に血統検索に利用したことがありますが、
登録制になって面倒になったので、以後使っておりません。
今はどうなんでしょうね。

全く関係ない話ですが、カレラ・デ・ラス・エストレリャスで
地方馬のために設けられているClasico Provincias Argentinasですが、
1996年~2002年はその競走が設定されていないので開催されなかったと
理解していたのですが、どうやたこの7年間は地方競馬場で開催されていたようです。
1997年と2000年はロサリオ、1998年と2002年はコルドバ、2001年はトゥクマン
で開催されています。1996年と1999年の開催地は現在調査中です。

Clasico Provincias Argentinas の出走条件ってよく分かりません。
ラプラタ所属馬が出走しているのはまだ理解できますが、
二大競馬場の所属らしき馬も出走しているようなのですよ。
二大競馬場所属馬でも地方競馬のみにしか出走歴がない馬は出走資格があるのだろうか。
しかし、このレースって、異様に初出走馬が多かったりします。
二大競馬場所属でも初出走馬には出走資格があるのかもしれません。

諸々調べてみると、思っている以上に、ブエノスアイレスと地方競馬の交流が盛んですね。
というか、ブエノスの馬も普通に地方競馬に出走していますし、地方競馬の馬も
普通にブエノスに出走しています。ブエノスの競走をみてもスタッドの所属先に
各地の競馬場の名前が見られるので分かると思います。
そうそう、管理人さんが、昨年にオープンしたラプンタ競馬場で50万ペソの重賞が
創設されると報告されていましたが、今年の4月12日に開催されていましたね。
競走名はGran Premio Vicente Dupuy。予告動画がありました。
http://www.youtube.com/watch?v=cFQFJTe5XI0
ラプンタ競馬場はいま一番勢いがある地方競馬でしょうか。
独自の三冠も創設するようです。
http://www.hipodromolapunta.com.ar/




[投稿日時] 2009年10月 3日(土)08時41分49秒
[題名] 元管理者に
[投稿者] ふてき  

許可貰って、是非とも再公開を。

戦績データベースは各国・各地域単位では充実してきましたけど、
移籍後に改名してしまう国なんかが絡むと調べるのも大変ですよね。
ホントは古今東西あらゆる競馬場の成績を登録したデータベースが
あれば一番なんですが、まあ言うは易しで大変なんでしょうね。
Brisnet とか使ったこと無いですが、あれだってマイナーどころまで
押さえているわけじゃないでしょう?




[投稿日時] 2009年10月 3日(土)00時15分32秒
[題名] いただきました
[投稿者] Lucky Boy  

画像等を含めて完璧ですね。ありがとうございます。
再編集して公開したいですね。

アルゼンチン馬の戦歴は、2000年以降はパレルモ競馬場のHPのデータベースが
使えますので(メンドーサあたりの地方競馬の成績に抜けがありますが)、
大変に調べるのが簡易になったのですが、如何せん海外に売られるケースが多いので
海外移籍後の成績を調べるのが一苦労です。
少し前に、リティガド(1999年亜ダービー馬)の海外移籍後の戦歴を調べていて、
香港からUAEを流れていたのを初めて知ったぐらいです。
香港ではステイゴールドが勝った香港ヴァーズで最下位など、
14戦してすべて大敗と散々たる結果でしたが、
UAE移籍後は4勝をあげています。戦歴を見てると、カルロスで2着はありますが、
完全なダート馬だったことが分かります。香港に売られていったのが
運のつきだったようで、去勢されることもなかったでしょうに。。。




[投稿日時] 2009年10月 2日(金)07時45分49秒
[題名] メール
[投稿者] ふてき  

送りました。サイズが大きいので無事届いたかどうか不安ありで。




[投稿日時] 2009年10月 2日(金)05時34分28秒
[題名] さすが
[投稿者] Lucky Boy  

「アルゼンチンサラブレッドギャラリー」保存してありましたか。さすがですね。
時間があるときでよろしいのでお願い致します。

1952年のサンパウロ大賞の成績ですが、撮影ミスをやらかしてしまいました。
成績書で2ページにわたって成績が掲載されているのですが、
2ページがぬけていました。。
別の資料で全着順が分かると思うので調べておきます。




[投稿日時] 2009年10月 1日(木)07時16分20秒
[題名] これはありがたい
[投稿者] ふてき  

お手数おかけしました。
「一本の道路ほどの長さ」ってのが何とも(笑)

調べたら、Jornal do Turfe の名馬紹介にも Yatasto ありました。
サンパウロ大賞はジャルヂーンでの調教後に不安が出たみたいですね。
この年の目玉だったため関係者が説得して出走することに。
レースでは残り600m地点まで抵抗していたようです。
(サンパウロ大賞の全出走頭数は不明でした)

「アルゼンチンサラブレッドギャラリー」保存してありますよ。
よろしかったら送りましょうか?
ネットに上げるのはマズイですよね、さすがに。




[投稿日時] 2009年10月 1日(木)04時04分29秒
[題名] 「サラブレッドギャラリー」
[投稿者] Lucky Boy  

を現地の人が復活してくれないかと期待しているのですが。。。
アルゼンチンの名馬を知る上でとても良いサイトだったので残念でなりません。
今でこそ、それなりにアルゼンチンの名馬がそれなりに頭に入ってますが、
以前は3冠馬ぐらいしか名馬情報としてなかったですから。かなり勉強させてもらいました。
そのサイトで、ボタフォゴの3冠達成の写真を初めて見たとき、
ダイシンボルガードのダービーみたいと思ったりしましたよ。
長くアルゼンチンの賞金王に君臨したマコン(カルロスP大賞連覇、15戦全勝)を
知ったのも、そのサイトからでした。
ページを保存しておけばよかったです。




[投稿日時] 2009年10月 1日(木)03時47分32秒
[題名] 簡単な戦歴表
[投稿者] Lucky Boy  

04/03/1951  SIS  Pr.Gullermo Kemmis (CL)       T.1000    1/8   1:00.0     (Masua, 3 lengths)
18/03/1951  ARG  Pr.Orange (CL)                D.1000    1/3   0:57.4/5   (Heraclito, varios cuerpos)
08/04/1951  SIS  Pr.Santiago Luro (CL)         T.1200    1/4   1:10.2/5   (Balear, varios cuerpos)
29/04/1951  SIS  Pr.Old Man                    T.1200    1/4   1:11.0     (Aclarado, varios cuerpos)
20/05/1951  ARG  Pr.R.y R.E.Chevalier (CL)     D.1400    1/5   1:23.1/2   (Rubor, 3 lengths)
17/06/1951  ARG  Pr.Montevideo (CL)            D.1500    1/4   1:29.2/5   (Profano, varios cuerpos)
15/07/1951  ARG  Pr.Centenario M.Cane (CL)     D.1500    1/6   1:31.2/5   (Barbazul, 2 lengths)
05/08/1951  ARG  Pr.Polla de Potrillos (CL)    D.1600    1/14  1:36.0     (Extract, varios cuerpos)
02/09/1951  ARG  G.P.Jockey Club (CL)          D.2000    1/8   2:01.1/5   (Nilad, varios cuerpos)
07/10/1951  ARG  G.P.Nacional (CL)             D.2500    1/9   2:34.1/2   (Again, varios cuerpos)
02/12/1951  SIS  G.P.Carlos Pellegrini (CL)    D.3000    1/13  3:08.1/5   (Mancebo, 2 1/2 lengths)

04/05/1952  CJ   G.P.Sao Paulo (CL)            T.3000    4/?  (3:05.5/10) Gualicho
20/07/1952  ARG  Pr.Chacabuco (CL)             D.3000    1/6   3:06.2/5   (Away, varios cuerpos)
24/08/1952  SIS  Pr.General Pueyrredon (CL)    T.4000    1/6   4:40.4/5   (Egipto, varios cuerpos)
12/10/1952  ARG  G.P. de Honor (CL)            D.3500    1/6   3:38.4/5   (Pretexto, 2 lengths)
30/11/1952  SIS  G.P. Carlos Pellegrini(CL)    T.3000    3/5  (3:04.3/5)  Branding

01/03/1953  MRN  G.P. Municipal (CL)           D.3000    1/8   3:04.3/5   (El Aragones, varios cuerpos)
29/03/1953  SIS  Pr.Otono (CL)                 T.2000    1/5   2:00.4/5   (Ante, varios cuerpos)
12/04/1953  SIS  Pr.General Belgrano (CL)      T.2200    1/3   2:13.4/5   (Tanteo, varios cuerpos)
10/05/1953  SIS  G.P. San Isidro (CL)          T.3000    1/4   3:05.1/5   (Chantey, varios cuerpos)
21/06/1953  ARG  Pr.Vincente L. Casares(CL)    D.2500    1/3   2:33.2/5   (Tristan, varios cuerpos)
19/07/1953  ARG  Pr.Chacabuco (CL)             D.3000    1/4   R 3:04.1/5 (Assurance, varios cuerpos)
30/08/1953  ARG  Pr.Palermo (CL)               D.1600    1/3   1:34.1/5   (Yanteo, 3 lengths)
11/10/1953  ARG  G.P. de Honor (CL)            D.3500    1/5   3:41.3/5   (Sideral, varios cuerpose)

先に「5馬身差のレコードタイムでの勝利」と書いた記述は私の誤りです。
レコード勝ちは3000mのチャカブコ賞でした。すみません。




[投稿日時] 2009年10月 1日(木)03時45分16秒
[題名] ありがとうござます
[投稿者] Lucky Boy  

> 通りすがり様
お手数をお掛けしました。詳しい着差は大変に助かります。
BBRにそこまで詳しく書かれていたのですね。
コピーはしてあるのですが、資料の山に埋もれているので、
1950年代前半の記述は薄いだろうと確認せずにいました。。。失念です。

成績書より簡単ですが成績表を作ってみましたが、
"varios cuerpos"とBBRに掲載されている実際の着差の関連性が全く掴めません。
どうしたものでしょうか。やはり単純に着差ではなく、別の基準があるとしか思えません。
1953年のオトーニョ賞は1馬身差なのに"varios cuerpos"となっていますし。。。

それにしても、凄まじい破壊力を持った名馬だったことは間違いないですね。
特に1953年のパフォーマンスはまさに怪物です。
3度の脚部不安を克服して、4度目でさすがに引退、このような背景も
ヤタスト最強馬説を後押ししているのでしょうか。
それにしても、3冠後に出走した競走の多くが3000m以上、
当時のアルゼンチンが長距離大国であったことを改めて感じます。