2009年3月、2月、1月




[投稿日時] 2009年 3月18日(水)08時18分24秒
[題名] Japanese Pedigree Expert
[投稿者] ふてき/futeki  

I posted it.
Check it.

HOMEPAGE: http://futeki.moe-nifty.com/blog/2009/03/post-c048.html




[投稿日時] 2009年 3月18日(水)00時51分41秒
[題名] Re: eMatings.com
[投稿者] Sid Fernando  [メール] shfernando@rocketmail.com

ふてき/futekiさんへのお返事です。

> Can I post this subject on my blog?
> "Looking for Japanese pedigree expert for eMatings.com" (in Japanese)
>
> What is needful thing for expert?
> Working career? English ability?


Yes, please post it on your blog in Japanese....what is needed is the knowledge of pedigrees to give five stallion recommendations for each mare. All you need to do is give the name of each stallion and a brief explanation (in English to people in USA and Europe and Australia). The expert will get US$125 per report.....we have some famous experts already....Jack Werk, John Sparkman, Karel Miedema (South Africa), Major Nargolkar (India).....visit ematings.com to see........Thank you very much for posting!

--Sid Fernando

HOMEPAGE: http://ematings.com




eMatings.com  投稿者:ふてき/futeki  投稿日:2009年 3月17日(火)19時51分32秒    返信・引用  

Can I post this subject on my blog?
"Looking for Japanese pedigree expert for eMatings.com" (in Japanese)

What is needful thing for expert?
Working career? English ability?    
 



Re: I see  投稿者:Sid Fernando  投稿日:2009年 3月17日(火)07時54分36秒    返信・引用  

> No.1235[元記事へ]

ふてき/futekiさんへのお返事です。

> I understood better now.
> Thanks.


I am looking for a Japanese pedigree expert for ematings.com. Do you know anyone who would do this from Japan? 
http://ematings.com
   
 


I see  投稿者:ふてき/futeki  投稿日:2009年 3月17日(火)07時25分8秒    返信・引用  

I understood better now.
Thanks.    
 



Re: Dear Mr. Fernando;  投稿者:Sid Fernando  投稿日:2009年 3月17日(火)03時38分49秒    返信・引用  

> No.1232[元記事へ]

通りすがりさんへのお返事です。

> It apologizes if the mistake is found in sentences
> to which I wrote about you.  I'm sorry.

Apology is not necessary, but thank you. I just wanted to explain the story. 
http://ematings.com
   
 


Re: welcome!  投稿者:Sid Fernando  投稿日:2009年 3月17日(火)03時22分22秒    返信・引用  

> No.1231[元記事へ]

Yes, that is correct.

In fact, I was friends with Steve Crist. We worked together years ago at the Racing Times.

When Steve Crist took over DRF, I worked there briefly, then quit to do pedigree work for some clients.

Many old time DRF employees were let go, however, because Mr. Crist and his group brought in their own people. 
http://ematings.com
   
 


Dear Mr. Fernando;  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 3月17日(火)00時22分50秒    返信・引用  

It apologizes if the mistake is found in sentences
to which I wrote about you.  I'm sorry.    
 



welcome!  投稿者:ふてき/futeki  投稿日:2009年 3月16日(月)19時44分53秒    返信・引用  

As the result of power struggle, you quited.
You were not fired.
Is that correct?

Thank you very much for posting in Japanese, Sid.
You can post in English here.    
 



Pedigree writer  投稿者:Sid Fernando  投稿日:2009年 3月16日(月)06時55分21秒    返信・引用  

彼は一つのことについては間違っている:私はデイリーレーシングフォームでのSteve Crist解雇されるとの権力闘争ではなかった。彼と私は、同社のスティーブ.....それを購入したときに首に手に入れたのエド噴水で、現在はニューヨークポストが残っている。

私はいくつかのブリーダーのための研究を行う民間の血統を残した。 
http://ematings.com
   
 


そういう意味でしたか  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 3月14日(土)08時11分19秒    返信・引用  

ググってみると、今でも名残り的?に使われてるようですね。

シドさんとは御面識があったのですね。
ブログコメント欄、自由に使って下さって結構です。昔話でもひとつ。

自分も15年位前だったら、まだ若かったですし、それなりに
血統にも興味があって、なにより真面目に競馬を見ていたので
その気になったかもしれませんけど。
もうしょうがないので、ブログにエントリあげてみますか。    
 



Griffin とは  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 3月13日(金)23時29分11秒    返信・引用  

初めて東洋の競馬場に現れた馬のことだそうで、英国やら豪州やらで戦歴が
あっても東洋新馬ではあると。だから支那馬や日本馬に限らずミラなんかも
初出走の開催では Griffin なんですね。

一度だけDRFのNY事務所に行ったことがあり、その時応対してくれたの
がシドさんでしたが、私はもう一般的な血統のことは忘れてしまいました。
正に偏屈でして、昭和30年代の大井のアラ系で活躍したシズナイオーの母
は中半となっているがその正体は・・・ってな方面専門なのです。  
 



Griffin とは  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 3月13日(金)20時34分10秒    返信・引用  

新馬という意味なんですかね。
明治11年頃のジャパンポニー。
万が一出走歴があったなら、ちょっとした歴史ですよね。

シドさんのこと、ご存知でしたか。
力が足りてれば自薦もありなんでしょうけど、如何せん実用的知識が無さ過ぎで。
(無意味・無価値をこよなく愛する偏屈党員なわけで。)
謙遜でも何でもなく、血統がどうだとか配合がこうだとか、本当に知らないんですよ。
競馬ゲームもやらないので、下手すると甥っ子の中学生以下の知識しかないっす。

某お方にはメールしてみたのですが、今のところ反応が無いです。
(掲示板とかブログとかオープンな場には書き込んでません。)

通りすがりさんは如何ですか?
メアドを存じあげませぬ故、失礼にもこんな場所でお声掛けしちゃうのですけど。
年に一度、日本と世界を代表する活躍馬の血統を解析するあのシリーズ、
今でも大切にスクラップにして保存してますよ。    
 



昔も日本馬の海外進出?  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 3月13日(金)19時27分59秒    返信・引用  

今日発見した1878年の香港競馬です。

FIRST DAY, February 28th.
The WONG-NEI-CHONG STAKES; for China, Manila and Japan Ponies; Half Mile.
The COLONIAL STAKES; for the Subscription Horses of 1877, who have never won
                     a race in Hongkong; One Mile.
The ASHLEY CUP; for China, Manila and Japan Ponies; One Mile.
The HONGKONG DERBY; for all China Ponies bona fide Griffins at date of entry;
                    One Mile and a Half.
The FOOCHOW CUP; for China, Manila and Japan Ponies; Two Miles.
The GARRISON CUP; for all Horses; One Mile and a Half.
The VALLEY STAKES; for Subscription Griffins only; One Mile.
The SLASHERS' CUP; for China, Manila and Japan Ponies, One Mile and a Quarter.
The CANTON CUP; for China, Manila and Japan Ponies, that have never won a race
                previous to the Meeting; Three Quarters of a Mile.

3日間開催にオフ・デイを加えて4日の競馬があって、上記は初日の番組条件です。
実際はともかく可能性としては日本産馬の香港進出もあり得るわけですね。

シドさんは現NYポストのエド・ファウンテーヌ氏と共に、前体制時代末期のDRFで
健筆を奮ってましたね。スティーヴン・クライスト氏が経営権を握って真っ先にクビを
切られましたが、お元気そうで何よりです。サイト主が応募されてみては?    
 



どうやら  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 3月12日(木)08時11分11秒    返信・引用  

意中の人には未だ思いが届いてないようなので、ここにも書きますが。

http://ematings.com/

このサイトで日本の血統専門家を探してるようなんですけど、
一体どなたを推薦したらよいでしょう?
そっち方面はあまり詳しくないので、どうしたものかと思案投げ首です。
アドバイス願います。    
 



ありでしょうね  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 3月 4日(水)07時00分15秒    返信・引用  

現役調教師の馬主兼業が「大っぴらに」可能になっても良いくらいかと。

WIKI高峰三枝子さんの項目ではスウヰイスーは高峰氏と井門氏が
共同で所有していたことにされちゃってますね。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B0%E4%B8%89%E6%9E%9D%E5%AD%90
   
 


本業は鉱山でしたか。  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 3月 3日(火)22時22分32秒    返信・引用  

その少し上に岩本亀五郎氏の名前がありますね。元調教師が馬主になるのは
いいことだと思います。戸塚以来の生え抜きですし。川崎は小向に厩舎団地
がありますが、長谷川厩舎と岩亀厩舎は民家で、競馬場で調教してました。
岩亀師はアラブの名馬ナイトが自慢で肖像画を飾ってましたよ。

大阪毎日確認しました。ありがとうございます。    
 



あるんですね  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 3月 3日(火)18時19分4秒    返信・引用  

どこかちゃんとした場所(媒体)で全国のコレクターに呼びかけたら、
失われていた情報が一気に集まる可能性もあるんじゃないでしょうか。

トラックオーは岩本政一氏ですか。
6~7年前、豊羽鉱山に行ったんですが、もうかなりのゴーストタウンでした。
今では随分と解体が進んでるようです。
ttp://www10.plala.or.jp/dogeatdog/toyoha.html 
http://www.keiba-db.com/kdbsearch/ownermain.cgi?&index=%8A%E2%96%7B%90%AD%88%EA%8E%81&keys1=444411546&keys2=%8A%E2%96%7B%90%AD%
   
 


これはすごい。  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 3月 3日(火)01時59分10秒    返信・引用  

まだまだ出てくる可能性があるかもしれませんね。

スウヰイスーは女優高峰三枝子さんの愛馬として有名です。彼女は
当時の夫鈴木健之氏と昭和29年に離婚しますが、前年から夫婦の
仲はこじれていたのではないでしょうか。28年に入ると高峰さん
の馬は鈴木氏名義に変更され、夏には売られてしまいました。

俗説と言えばトラツクオーも競技場のトラックのことだと言われて
いて、JRAも Track O と欧文表記していますが、馬主は北海道
トラック協会会長、日本トラック協会副会長の運送業者でした。    
 



これもたぶん  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 3月 2日(月)22時20分12秒    返信・引用  

Sweet Sue(スヰートスー)から、単純に"t"を除いてSwee Sueかと。
当て字でしょうね。    
 



たぶん  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 3月 2日(月)22時15分41秒    返信・引用  

かなり以前に調べた事項でして、エクセルにデータ入力した後に、
書き写したメモは廃棄したかも、と思いながら探してみたらメモがでてきました。
ハルカゼ(後藤)のところに「毎日」と書いてあるので、
おそらく「大阪毎日新聞」で間違いないかと…記憶があいまいですみません。

スウヰイスーは国営の時に既に井門氏に譲渡されていましたか。納得です。
名前の件も完全に俗説を信じていました。まぁ~名馬であるからこそ、
もっともらしい俗説が生まれるのでしょう。
同時期のオパールオーキツトの戦歴も面白いですね。天皇賞を勝つためだけに移籍して、
勝ったらさっさと地方に戻って行った、といった感じさえします。

最近、下記のページで古い番組表が売られていたのを知り悔しい思いをしています。
http://www.geocities.jp/rune1978/new.htm
すべての番組台帳に鉛筆書き込みがあったとのこと。
明治41年の松戸競馬は番組台帳の現存が確認できていませんでしたし、
板橋競馬は着外馬の情報がないので、もし書き込みがあったならば
大変に貴重の情報でした。なぜに売られてしまうまえに、
売りに出されていることに気がつかなかったのか、残念でなりません。
もし収集家の手に落ちてしまったのならば、当分は陽の目にあたることはないでしょう。
僕としては、ただ内容が見たいだけなのですが…。昔ならば、古本屋に購入者を尋ねて
閲覧させてもらうぐらいのことはできたかもしれませんが、何せ個人情報の取り扱いに
厳しい時代ですからね…。ホントに残念です。
ただ、松戸の郷土史研究家の方が明治41年冬の番組表を持っているとのことなので
http://omotenouchi.jp/CCP131.htm
一度、連絡をとってみようかと思っています。    
 



スヰートハートが  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 3月 2日(月)21時27分22秒    返信・引用  編集済  

勝又泉吾厩舎(衛師の父だとか)に移籍していたようなので
その辺も混同の一因になったのでしょうか?>WIKI

<追記>調教師じゃなくて馬主だったようです。

妹はそのままだったようですが、姉は何故わざわざ馬名を(一見意味不明な表記に)
変更したんでしょう。
英語だと Swee Sue のようですが、Swee とは一体? 
http://www.keiba-db.com/kdbsearch/horsemainj.cgi?&index=222202702&keys3=%83X%83%90%81%5B%83g%83n%81%5B%83g
 
 


なるほどです。  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 3月 2日(月)20時17分10秒    返信・引用  

ハルカゼの騎手だけソースがわからないんですけど。

スウヰイスーは国営競馬時代に大井の馬主である井門氏に譲渡されてますから
移籍は既定路線でしょう。Wikiには大井の勝又衛厩舎と書いてありますが
栗田金吾厩舎です(勝又厩舎は川崎)。勝又専次郎騎手が乗ることが多かった
のは同じA1級に厩舎の大黒柱イチサチホマレもいて、主戦の栗田武騎手がそ
ちらに乗ったからです。

スヰートスーと名付けるはずが間違えてスウヰイスーになったというのも俗説
で、実際はスヰートスーの名で登録されデビュー前にスウヰイスーに馬名変更
されています。  
 



プランゲ文庫  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月28日(土)22時16分56秒    返信・引用  編集済  

プランゲ文庫の競馬資料、まだ見たことないのですよね~~。国立図書館に行っても
まだまだ他に調べなきゃならないことがあって、なかなかそちらに手が回らない。
まぁ~目録を見るとヨダレものの資料であることま間違いなさそう!
それにしてもスウヰイスーなんかも札束で頬を叩かれるように南関東へ移籍した組でしょうか。
このクラスの馬が地方に流れるなんて今じゃ考えられないことです。


「天皇賞の世紀」で気が付いたこと3点。
① 明治44年阪神秋季
 3着ハルカゼの騎手は後藤録三郎
② 大正2年阪神秋季
 ×ゾーナリ → ○ジヨンアール
"Zohnari"→"ゾーナリ"ということだと思いますが、登録馬名表には該当馬がいません。
確認してみると、"Zohnarl"で大正元年秋の抽籤馬とあり、
ジヨンアールだと判明しました。英字馬名とすれば"John R."とするのが良いでしょうね。
③ 大正15年東京春季
 ×トチギ(佐々木勇太郎)→ ○トチギ(佐々木安)
佐々木勇太郎は大正14年に厩舎を阪神から函館に移しており、移動後は道内でしか騎乗していないはずです。    
 



なるほど  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月26日(木)19時22分40秒    返信・引用  

経費がかかりそうな英愛産馬の名が見受けられることも
旨味があったことをうかがわせます。

しかし欧州時代の実績もかなりの騎手ですよね。
トップトレーナー付きの身分だったにせよ。
向こうで短期間しか稼動しなかったのは年齢的な理由なんでしょうね。    
 



Bougoure騎手  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月25日(水)23時50分32秒    返信・引用  

1953  Pen  X'mas Cup                   Best Bet (Ire)         $3,150
1954  Pen  Commissioner-General's Cup  Best Bet (Ire)         $3,850
1954  Sin  Liberation Cup              Prosperity (Ire)       $4,200
1954  Per  Sultan's Gold Vase          Sovereign (Ire)       $17,500
1955  Sin  Singapore Gold Cup          Bearer Bond (Aus)     $10,500
1956  Sin  Governor's Cup              Bearer Bond (Aus)      $7,000
1958  Per  Perak Derby                 On Stage (GB)         $17,500
1958  Sin  Summer Cup                  Amusement Park (Ire)   $5,600
1958  Pen  P & O Cup                   Red Sunrise (Aus)      $3,150
1958  Sin  Singapore St. Leger         On Stage (GB)          $5,600
1958  Per  Sultan's Gold Vase          Amusement Park (Ire)  $12,250
1962  Sel  Gold Cup                    Korrydale (Aus)        $7,700
1962  Sin  Hunter Memorial S.          Pulau Pangkor (NZ)    $10,500
1967  Pen  Gold Cup                    Top Power (GB)        $14,000
1968  Sin  Singapore Derby             November Sun (Aus)    $17,500
1969  Sin  Singapore Derby             November Sun (Aus)    $17,500

昭和30年代の日本円とマラヤドルのレートはおよそ1対120なので
1959年まではマラヤ上位、1960年以後は日本上位と思います。
向こうは植民地時代から安定し、日本は高度成長期から急上昇したと。    
 



もしかしたら  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月25日(水)21時53分17秒    返信・引用  

小林師は繁殖牝馬としてフライアースメードンを活用しようと
考えてなかったのかもしれませんね。

マレーシアって賞金水準高かったんでしょうか、戦後暫くの時期。 
http://en.wikipedia.org/wiki/Garnet_Bougoure
   
 


ひょっとしたらと思って  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月25日(水)20時01分12秒    返信・引用  

プランゲ文庫を調べてみたらありました。昭和24年9月の八王子競馬に
トヨカゼは出走していません。しかし血統書にはフライアースメードンは
昭和25~26年「種付セズ」とありますから、群馬あたりの地方競馬で
走った可能性は捨て切れません。

小林元治騎手は随分活躍した人ですが、昭和29年10月に自動車事故で
亡くなりました。最初1989年にイポーのスルタンゴールドヴァーズを
勝った小林真治騎手の父かと思ったんですが、それは小林文治師ですね。    
 



いやはや  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月20日(金)22時11分16秒    返信・引用  

ま坂という名の坂があるんですねえ。
ヒサトモの復帰とほぼ同時期ですか。いくら戦後の馬不足期とは言え
これほどの名繁殖も復帰画策しますか。
小岩井が戦後、繁殖放出した際に小林氏の手元に転がり込んだのでしょうけど。。

小林元治氏ってダービー馬ネンタカラ(ゴールデンウエーブ)の大井時代の
調教師でもあるんですね。
おまけに稗田一門(恐らく最後の方の弟子)のお方のようで。    
 



ヒサトモもびっくり  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月20日(金)20時58分39秒    返信・引用  

昼夜通信昭和24年9月8日の記事ですが

九月三日より開かれて居る八王子競馬に群馬系の小林元厩舎に
曾ての輸入繁殖牝馬フライアースメードンがトヨカゼと名乗つ
て出場してゐるが未だ攻馬不足を感ぜしめてゐる。
著名な産駒としてはオオヤシマ、トビザクラ、アヅマライ等が
あるが果してフライアースメードンとしても十九歳の老齢だけ
に如何に活躍するか未知数である。

血統書を見るとフライアースメードンの最後の飼養者は高崎の
小林元治氏となっています。当時の八王子競馬は衰退期で結果
の報道はまだ発見できていません。    
 



国営時代  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月16日(月)23時32分28秒    返信・引用  

 売り上げによる東西賞金格差があったんですね。
「国営」という単語から受ける印象とは掛け離れた感じ。

昔は不況に強いギャンブル産業とか言いましたけど、
今それ言ったら笑われますね。
パチンコチェーンの中堅クラスが相次いで撤退してますよ。
まぁ不況の度合いも全国有数の地域ですが。。    
 



昭和23年に  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月16日(月)19時48分28秒    返信・引用  

 国営競馬と公営競馬が発足してからの2年間はどちらも凋落の時代で
なにしろ戦時中そのままの37.5%もの控除率でしたから25%の
競輪に席巻されてしまいました。それが川崎競馬の新設、八王子競馬
の大井移転、柏競馬の船橋移転となり、控除率も下げられて、南関東
は我が世の春になったわけです。昭和25年7月からは国営・公営間
の人馬交流も決まっていたのですが、在厩頭数の減少が激化していた
国営側の都合で中止となり、長期の両競馬分立に繋がりました。当時
は売り上げに応じて賞金も差がありましたから不振の関西は窮乏化が
著しく、古馬のオープン級は札束で頬を叩かれるように南関東へ移籍
していきました。

南関東のリーディングジョッキーは須田時代の後、昭和31年は荒山
徳一が獲り、32年は小筆昌、33~35年は再び荒山徳一、36年
は宮下哲朗、37~38年は松浦備が獲って、佐々木竹見時代へ。  
 


どうもです  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月15日(日)22時04分2秒    返信・引用  

かように大活躍していた割には名騎手としての知名度は低いですよね。
地方競馬マニアな人くらいでしょう、その功績を知ってるのは。

大井競馬は昭和25年からですか。
各種統計の保存事情なんかもそこが分かれ目になってるんでしょうね。    
 



南関東リーディング  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月15日(日)10時50分10秒    返信・引用  

競週の集計です。須田茂は6年連続で首位で、勝ち鞍もぶっちぎりです。
残念ながらS24年以前は統計がありません。
機会があれば独自に集計してみようと思います。
S25
1 須田茂 (173)
2 田中利衛 (113)
3 斎藤正志 (108)
S26
1 須田茂 (282)
2 倉持十九二 (137)
3 小筆昌 (115)
S27
1 須田茂 (279)
2 小筆昌 (171)
3 佐野誠三 (94)
S28
1 須田茂 (174)
2 小筆昌(123)
3 鏑木文一朗(119)
S29
1 須田茂 (182)
2 平山明好 (127)
3 朝倉文四郎 (124)
S30
1 須田茂 (194)
2 荒山徳一 (169)
3 長沢保作 (168)    
 



恥ずかしながら  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月15日(日)09時31分8秒    返信・引用  

地方(特に過去)に関しては知識がほとんど無いんですよね。
南関なんかは馬のレベル(人もか?)が中央(国営)と同等以上だった時期が
過去にあったのですから、もうすこし広く知られてしかるべきなんだろう
とは思うんですが。    
 



間違い  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月14日(土)20時34分21秒    返信・引用  

ウィキの間違いでしたか~、井川為男ではなく須田茂ですね、
いやいや、ちゃんと確認もせずにすみません、お恥ずかしい~~~。
さらっと検索して出てきたもので、すんなり信じてしまいました。

話は変わりますが、須田茂の勝ち鞍はスゴイですね。
昭和20年代の日本のNo.1騎手は彼ではないのか、と思うくらいです。
当時の競馬ファンでの評価はどうだったのでしょう。
「保田よりも須田の方が上だよ!」なんていう当時の競馬ファンの声があったのかも。
戦後間もなくの南関東のトップ騎手の多くが戦前組ということですが、
国営~中央競馬に比べて、彼らにあまりに陽が当たっていないような気がします。
以前から少しながら気になっています。    
 



wikiでは  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月14日(土)19時28分4秒    返信・引用  

そうなってるようですが、実際の鞍上は須田茂ですかね。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%B3%9E%E5%85%B8
   
 


?  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月14日(土)19時07分18秒    返信・引用  

勝っていますか?    
 



井川為男は  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月14日(土)11時42分25秒    返信・引用  編集済  

昭和33年の秋の鞍(東京大賞典)をダイニコトブキで勝っていますね。
北海道から南関東へ移ったということでしょうか。    
 



走る将軍の  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月13日(金)21時10分58秒    返信・引用  

渡辺典六氏は元々騎手だったんですね。全く知りませんでした。
昭和20年代に井川勇蔵という騎手がいたようですが、
この方は為男騎手の実弟なのですかね。
一応、系譜上は為男→勇蔵という徒弟関係にあたるようですが。

思いもかけず、シドさんから声かけていただいたのですが、
どうも何かの競馬関係の人間と勘違いされてしまったようで。
知ったかぶりもほどほどにしとかないと、えらい汗をかく羽目に。
英語の得意なお方、随時横からヘルプを!    
 



まだ道営になる前ですが  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月13日(金)14時17分44秒    返信・引用  

昭和22年に北海道で免許を受けた騎手の中に
渡辺典六、西塚十勝、井川為男の名がありました。
後に渡辺氏は大典牧場を開き、西塚氏は国営競馬に
復帰しました。井川氏のその後は不明です。    
 



おはようございます  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月10日(火)07時07分51秒    返信・引用  

自分で書いてたのを忘れてましたね。
駄目だこりゃ。 
http://homepage1.nifty.com/futeki/2007-saudi-05.htm
 
 


産駒確認!  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月10日(火)06時41分39秒    返信・引用  

Sei Mi産駒、去年のキング・アブドゥル・アジズ杯(G1)に出走していますね。
サウジじゃチャンスは少ないでしょうが、一発大物を! 
http://www.frusiya.com/english/raceresult.asp?Season=1428&MeetingNo=56&RaceNo=7&PartNo=1
   
 


タイムリーと言うか  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月 9日(月)19時30分15秒    返信・引用  

今日のラ・ナシオンに Sei Mi の名前出てましたね。
Numerous サウジ行きの関連記事ですが、
近年随分とアルゼンチン馬が種牡馬入りしたようです。
Forty Licks、Fire Wall、Gold for Sale、Badajo、Sei Mi

今は Joe Louis や El Charleta あたりが現役トップにいますから、
いずれはこの辺の連中もあとを追うんじゃないでしょうか。    
 



ラティノ回避ですか  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月 8日(日)08時55分28秒    返信・引用  

今年は未知数の芝開催ですしね。
当初はドバイ挑戦という声もあったようですが、今の国内一人天下状態を
考えると現実的な選択ではありますかね。

Sei Mi はサウジで種馬なれなかったんでしたかね。
なんかもう記憶力が全然で(笑)

ラティノは未だメンバー確定して無いんでアレですけど、
回避が無ければアルゼンチン勢が有力でしょうね。
チリの Last Impact にもチャンス十分かと。
ブラジルはホームの利を考慮しても厳しいと思う。    
 



ちなみに  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月 8日(日)02時24分16秒    返信・引用  

So Shinyはサウジ所属なのですね。亜産サウジ所属といえばSei Miですが、
この馬は今どこにいるのでしょうかね。

個人的な興味といえば、Relentoがラティノ遠征はせずに、
ムニシパル大賞を狙いうことを決めたことでしょうか。
もしムニシパル大賞を勝てば、史上4頭目の大三冠(ラミレス、ムニシパル、オノール)と
いうだけでなく、アルティガス、共和国大統領、コンパラシオンを含めて、
古馬の中長距離の大賞を総なめという過去にないウルグアイ競馬史に残る大偉業です。
大方の海外競馬ファンはRelentoのラティノ回避を残念に思うでしょが、
僕はRelentoのムニシパルを獲りを期待していました。
海外流出が多く三冠馬すら期待できない南米で、このような国内の偉業へのチャレンジは、
もうないかもしれませんね。    
 



フォローどうもです  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月 7日(土)21時02分55秒    返信・引用  

自分なんかもネットでガセたれ流してる可能性ありますか。。
競馬ゲームって世界的に行われているようですね。
ちょっと前にジョッキークラブ・ブラジレイロのトップページで
ギャロップレーサー(英語版だったか?)が紹介されてました。

騎手統計は本来なら各団体毎と国内全網羅の二本立てでシンプルに
行きたいもんですが、その国その国の歴史や事情が絡んできますね。

昨年の両者の大活躍はライバル関係相乗効果が大きかったんでしょう。
国外(共に母国で)でも勝ち星挙げてますし、流石に全盛期は過ぎたと
思われていた二人だっただけに、ですね。ファレーロの早期引退もなくなったかと。

そういえば、Indygo Shiner 産駒、ドバイで活躍してるようですね。
未だこの後、真打ちといえる Tecla Shiner が控えているはずで。    
 



難しいですね  投稿者:ひさしぶり人  投稿日:2009年 2月 7日(土)18時32分15秒    返信・引用  

ちょちょいと書いて、感謝だけするのも
申し訳ありません。Lucky Boyさま。

最近だけでは、ないのですが、ネット情報の信ぴょう性のなさに
ほとほと困り果てています。
笑い話ですが、検索にアルゼンチンでもフランスでもいいのですが
ヒットしたから やったーと喜んだら、なんと2010.2011年の勝ち馬??

どうやら、日本だけでなく海外にもWinningPostまがいのゲームが
流行ってて 競馬ゲームサークルの主催者の情報だったということが
多いです。

あとは Gran Criteriumは いくつあるの?
なんてことも 多々。

ふてきさま、Lucky Boyさま ありがとうございます。    
 



亜の星星競馬  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月 7日(土)18時03分25秒    返信・引用  

San Isidro 1991-1994,1999,2001,2003,2005,2007
Palermo 1995-1998,2000,2002,2004,2006,2008
1991年のJuvenileのみ1500m。当時の名称は
Carrera de Las Estrellas de Potrancas
Carrera de Las Estrellas de Potrillos    
 



亜  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月 7日(土)17時49分47秒    返信・引用  編集済  

話は変わって、アルゼンチン首位騎手について。
パレルモ&サンイシドロは、450(250+200)勝のレコードでファレイロが首位でしたが、
ラプラタを加えるとヒカルドが国内最多勝利記録を更新する467勝で首位でした。
伝統的なリーディング算出は前者なのですが、去年、今年と国内年間勝利記録を
更新したこともありラプラタを加えたランキングがネットで普通に見られるます。
実際、現地での反応はどうなでしょう。正月の現地の新聞(新聞名を忘れた)に、
首位が異なった事に触れ、「喜びは分割された」的なことが書かれていました。
基本的に二大競馬場の首位とラプラタを含めた首位が異なることが珍しいので
このような表現になったのでしょう。伝統的な二大競馬場での集計も依然として重視
されているよです。正月のラナシオン紙上でヒカルドは「全国首位だけど、
シーズン後半のファレーロが驚異的で…。パレルモとサンイシドロは負けてるし、
首位という気分では全くないよ~」みたいなことを語っていました。
ラプラタに参戦しないトップ騎手も多いですし(ファレーロ5勝、ヒカルド55勝)、
やはり競馬場としては格が落ちます。パレルモとサンイシドロは合同で年間表彰をしますが、
ラプラタは独自で年間表彰をするなど、少なからず双方に壁があるのも事実。
どちらのリーディングに価値があるか、ヒカルドの心境で理解できそうです。    
 



遅れて参戦  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 2月 7日(土)17時03分2秒    返信・引用  

ガヴェアですが、写真を見る限り、当初はダートコースしかなかったようです。
いつ芝コースができたのが、ちょっと分かりませんでした。引き続き調べてみます。
ただ1932年のリオダービーは芝で開催されています。
サンパウロはモカ時代は全部ダートですね。    
 



今度はアルゼンチンのBC  投稿者:ひさしぶり人  投稿日:2009年 2月 7日(土)16時58分13秒    返信・引用  

日本語サイトのEstrellas BCは、単純に交互開催で
まとめられているのですが、最初の10年くらいはそうではないとおもうの
ですが、わかりますでしょうか。

1991,1992はたぶんSan Isidro。
1995,1998はたぶんPalermo。
1993,1994,1999,2000,2001はSan Isidro。
1996,1997,はPalermo。
2001以降、交互開催でしょうか。
あとは、初期のJuvenileは1500or1600のようですが、
どうでしょうか。
自分自身で混乱して間違いが多くて・・。  
 



信じられない  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月 3日(火)22時49分22秒    返信・引用  

頭おかしいとしか思えないんですが、これ(笑)
いかにもアメリカ人が考えそうな競技ですけど、まぁそれにしても。

メドウってそういう意味だったんですね。
英愛の競馬場なんかはダウンズにあるべきもの、というイメージです。    
 



確かにトリッキーですね。  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月 3日(火)22時13分1秒    返信・引用  

http://jp.youtube.com/watch?v=Z0TFvKolL64

ベイメドウズとかメドウランズなんてのも元は低湿地ですね。
テニスの全米オープンをやるフラッシングメドウも入江でした。
逆にダウンズってのは高燥な荒蕪地のようで。    
 



案外多いんですね  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月 3日(火)19時53分56秒    返信・引用  

ある程度の大都市で広大な土地が必要となると、
まぁそういう方向に目が向くんでしょうね。

ハインベールが設計した当初のコース原案というのが載っているのですが、
内馬場が8の字(figure-of-eight)コースになっているんですよね。
平地で使う意図だったと思うんですが、これが採用されていたら
相当トリッキーで面白そうだったんですが。    
 



もしかすると  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月 3日(火)00時21分27秒    返信・引用  

芝コースが出来たからビッグレースを作ったのかしれませんね。

ガヴェアはレブロン海岸から近いのに意外な気がしましたけど
考えてみれば鳥取砂丘だって裏側には水が溜まってますし
ナドアルシバもドバイ市街地を載せた巨大砂丘の裏の低湿地なんですよね。
ハッピーヴァレーも地獄のような所だったそうで(ネーミングは逆説)。
日本だと淀が今からは想像もつかないような湿原だったみたいです。    
 



以前  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 2月 2日(月)23時19分12秒    返信・引用  

LBさんに正確なところをご教授いただいたような気もするのですが、
ログ無し記憶無しと言う体たらくでして。
「ジョッキークラブ・ブラジレイロ130年史」という豪華本の
コピー(勿論LBさんに頂いたものですが)を調べ直してみたのですが、
ガヴェアの芝コース新設に関する記述は無かったような(見落としの
可能性は大)気がします。
ただ、確かに1926年開場時の写真ではメイントラックを砂煙を上げて
馬群が駆け抜けているように見えますし、開場前、建築中の写真の解説に
"..,and the full extension of the race tracks, melted on a single
strech of sandy terrain."
とあるので、開場した数年後に芝コースが出来たのではないかと思われます。
ちなみに第一回ブラジル大賞(1933年)の結果では
"..,he won the 3,000 meters in a final time of 3.09.4/5, on soft turf track"
とあります。

ダービークラブは(イラストですが)所々にぺんぺん草が生えた土の状態ですね。
ちなみにガヴェアを設計したのはフランス人建築家のアンドレ・ハインベール?
とかいう人で、メゾンラフィットのスタンドなんかを手がけていたそうな。

しかし埋め立て前は凄い湿地だったようですね。 
http://fotolog.terra.com.br/luizd:41
   
 


ちょっとした疑問  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 2月 2日(月)21時30分17秒    返信・引用  

南米では珍しく芝主体と思われてるブラジルですが
Revue des Eleveurs de Chevaux de Pur Sang 1930 という本があって
読めないんですけどフランス以外の写真も載ってることに気づいて見てみると

リオのJCとダービークラブ、サンパウロJCのレース写真があって
これが全部砂塵を蹴立ててサンドコースを走ってるんです。

サンパウロはモーカ競馬場でしょうけどリオのJCはガヴェアが
1926年開場なわけでいつ芝コースに代わったんですかねえ。
1955年のガヴェアの写真は見たことがありますが芝コースでした。  
 



事情が変われば  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月31日(土)21時57分19秒    返信・引用  

いずれ再開する可能性はあるかもしれませんね。
ラティノみたいに。

重賞結果をフォローする国の範囲を広げてみたんですが、普段あまり
チェックしてないところが多いんで、ミスが多々あろうかと思います。
間違いに気づかれた方はお知らせくだされば、と。
一枚モノの重賞日程が見つけられなかったトルコとインドは特に怪しいっす。
トルコはここ http://www.tjk.org/Tjk.Public.Web_v2/S/YillikProgram.aspx
からGレースを絞込んだんですが、昨年と随分様相が違っていて不安。
インドは indiarace.com も racingpulse.in もチェンナイやウータカマンドの
扱いが芳しくないですね。クラブ間におけるカースト構造でしょうか。    
 



10年もたなかったですね  投稿者:ひさしぶり人  投稿日:2009年 1月31日(土)09時27分30秒    返信・引用  

徐々にレース内容は増えていたものの
開催する国が近年は マグナラシノばかりで そのマグナラシノも
長年 続けられる財政の状態ではなかった。
いっぱいいっぱいの中で頑張っていたのでしょうね。
スポンサー探しは、世界どこでも むずかしぃ?
うーん。
2010年から再開も ないかな。    
 



調べてみると  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月31日(土)07時56分13秒    返信・引用  

中止だったようですね、昨年は。
http://www.paddock-revue.cz/?q=en/node/6009
マグナ・ラシノの財政事情の煽りを食ったようです。
今年の(マグナの)重賞日程にも名前無いっぽいですねえ。    
 



去年はなしの方向でしょうか  投稿者:ひさしぶり人  投稿日:2009年 1月30日(金)23時17分50秒    返信・引用  

2007年に Central European Challenge Cupと呼ばれた
CEBCは しばらくは オーストリアで続いていたようですが
2008年は どうなったか わかりますか?
開催なしでしょうか?  
 



なるほどですね  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月28日(水)19時23分10秒    返信・引用  

当時は馬の絶対数が少ない上、品種によって能力差(繁殖としても)が
大きかったので、妄想と言うか推理する楽しみはありそうですね。

もう一頭のセントマリアに関しては前から気になっていまして、
実はクモヰ、ハツコの生産地とされる場所が割と近くなんですよね。
一度現地行って何か手がかりでも掴めないかな、と思ったりもしたのですが、
図書館と言うものが無く、文化センター図書室があるだけの土地のようで。。
生産者名だけが頼りでは厳しいですかな。    
 



展開のあやというか  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 1月28日(水)02時05分46秒    返信・引用  

大きく引き離して逃げたので自分の走りをしただけかと。
3歳以降行方不明なので繁殖成績もわかりません。

セントマリヤという繁殖牝馬が2頭いたことは競馬ブックに載っていたと
思いますが、同名の輸入馬は1頭しか確認できません。もう1頭の正体は
何かと考えると、帝室御賞典拝受馬を2頭も産んだ馬なのでサラブレッド
だと推定して、最初はセツツかと思ったのですが洪水で死んだと判明し、
他に候補はいないか探していてこの馬に行き当たった次第です。勿論何の
証拠もない妄想ですが。

youtube を見ていると次々に昔のレースが拾えて飽きませんね。    
 



顔ぶれが  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月27日(火)20時48分25秒    返信・引用  

揃っていたのなら、一概に展開のあやだったとも言えないんでしょうね。
繁殖としてはイマイチだったのかな。

流石にクーガーのリアルタイムは知りませんが、北米賞金王として
良くその名を目にしました。
チリ時代の成績をみると、エンサーヨは出ていない(本格化前だった)ですし、
ダービーは3着、最後(今とは順序逆)のセントレジャーが4着ということで
晩成型と言うか、取りこぼしが多いタイプだったと言うか。。

http://jp.youtube.com/watch?v=n4aJq-CWHUc

1972年のビッグキャップ(クーガーは2着だった時)で、発走直後に
芦毛が物凄い勢いで内埒に突っ込んでますね。  
 



チリは綺麗な国でした。  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 1月27日(火)01時33分37秒    返信・引用  

右回りがあるのも西半球では珍しいんじゃないでしょうか。海外競馬に興味を
持った頃に活躍していたのがクーガーで、チリには特に興味を惹かれました。

ところで以前お尋ねしたコンプレックスの件は自己解決しました。
出典は『畜産界』第2号(明治43年11月)。この年秋の盛岡競馬に出場し、
9月21日に1マイルレースを2戦2勝。22日の優勝戦2マイルは3周目まで
先頭でしたが最後の4周目に抜かれて4着でした。1着は萬龍、2着は第四ヂプ
ロマツト、3着は豪州産馬カツドキ。公認競馬顔負けのメンバーと思われます。    
 



言われてみれば  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月26日(月)20時16分39秒    返信・引用  

確かにそうですね。
基本的にチリは古馬が住みにくい体系(賞金配分的にも)ですし、
有力馬の国外流出が半端無いのはそのせいもあるんでしょうね。
まぁ卵が先か鶏が先か、的なところもありますが。。

あとチリって直線1000mのコース設定が無いですよね。
他の南米主要国の競馬場には大概あると思うのですが、
この辺もスプリント軽視の伝統と関連があるのかも?
ちょっと無理筋かな(笑)    
 



チリ  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 1月26日(月)01時57分52秒    返信・引用  

Copa de PlataはいつG2に格下げなってもおかしくないと思うのだけど…
これはバルパライソに気を使っていますね(笑)。
あと3歳G1路線は大いに改編の余地ありかな。
それよりも問題は古馬路線。スプリントとマイルの目標レースが全くない。
一応は、12月に芝・ダートのスプリントG2を揃えてはいるが、インパクトが…。
そのそも、チリの短距離の名馬って全く思いつかない。
アルゼンチンはウァリイー、ペルーはフロルデロート、
ウルグアイはハンデキャップホースとしても名を残したエルグランティーネ、
と名前が出てくるのですけど。
チリは伝統的に短距離路線は軽視、レースの殆どは2000m以下なのに。
スピード馬のセレクションは2~3歳で決してしまうということでしょうね。    
 



ありがとうございました  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月24日(土)21時14分0秒    返信・引用  

単走時に走破時計で賞金に差をつけるシステムってのは
ままある話なんですかね。

チリと言えば、2大競馬場の今年の重賞日程が出てましたけど
格や条件の変更はほとんど無かったですね。    
 



お手をわずらわせました。  投稿者:ひさしぶり人  投稿日:2009年 1月24日(土)19時38分44秒    返信・引用  

2002-2005年の情報 ありがとうございます。
Piscoは 3連勝ではないのですね。    
 



取り急ぎ  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2009年 1月23日(金)21時09分55秒    返信・引用  編集済  

VSCのClasic Sporting Club は1885年創設。第1回は1884年10月26日に
Sporting Club Plateの名で開催。勝ち馬はPiscoで単走によるもの。
距離は2400で、賞金はタイムによって7段階に設定され(2分47秒以下は400ペソ、
2分46秒以下は500ペソ、2分45秒以下は600ペソ、2分44秒以下は700ペソ、
2分43秒以下は800ペソ、2分42秒以下は900ペソ、2分41秒以下は1000ペソ)、
Picsoは2:45.3/5で走破し、賞金は500ペソでした。

CHSのClasic Sporting Clubの第1回は1921年12月4日で、
距離は2000mの3歳&4歳限定戦、勝ち馬はPaf(父Pirapo)。

CHS Clasic Valparaiso Sporting Club
2002 SE VERA
2003 CACHONDEO
2004 MOROÑAC
2005 GADANES

イポードロモ・チレやコンセプシオンでも同名の重賞を行ってます。

HCH Clasic Valparaiso Sporting Club
2002 GESTO TRIUNFAL
2003 EL BIONICO
2004 TINQUILCO
2005 NOBLE GUERRERO

CHC Clasic Valparaiso Sporting Club
2002 ALLANADO
2003 FRANCO BELGA
2004 FRANCO BELGA

>>管理人様
まだ2002年~2004年の成績書のCDは送っていませんでしたか。
ぼちぼち2005年以降の成績CDを郵送してもらおうと思っているところですので、
ゲットでき次第送ります。
クラブイピコのHPの2005年のリンクは間違っていて、2008年に飛んでしますが、
ネット上にはちゃんとページは存在します(2004年分も)。
別の年度のアドレスを「2005」「2004」に変更してみてください。    
 



やはり続いていたのですね  投稿者:ひさしぶり人  投稿日:2009年 1月22日(木)21時55分48秒    返信・引用  

ありがとうございます。
2002-2005は、わかりましたら お願いします。
Gの格は 無しだったかと。(調べてません。)
ただ、どちらも 歴史はあるようでして、、、
失礼いたしました。
また、お邪魔できたらきます。    
 



お久しぶりです  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月22日(木)21時31分33秒    返信・引用  

その節は大変お世話になりました。

正確なところは Lucky Boy さんの御降臨を待たねばならないのですが。。
バルパライソの方はG2、クラブイピコの方は格無し(リステッドの下)のクラシコ
ということですよね。
元々は後者の方もG競走だったんですかね?
05年以降の結果は公式サイトにありますが、02~04年はちょっとわかりません。
(05年分は無かったです。リンクミス?)
06.Apartheid
07.Staccato
08.Bamboche
elturf.com が無料のままだったらすぐにでも確認できたんですが。
あと00、01年、及びそれ以前の重賞結果に関しては頂き物のCDが
手元にあるのですが、CDドライブが逝かれていてチェックすることが出来ませぬ。

中途半端ですが、ひとまずこんなところで。    
 



クエスチョンで失礼です  投稿者:ひさしぶり人  投稿日:2009年 1月22日(木)13時05分18秒    返信・引用  

数年前に 書き込んだことがあります。
分からないことがありまして、VSCのSporting Club勝ち馬は
2000-Franbulo,2001-Dia Libre.1700m
CHSのSporting Club勝ち馬は
2000-Zankiu,2001-Vitra.1600m
のようですが、この後ろのCHSのレースは2002年以降どうなったか
わかりますでしょうか?    
 



82、3歳ですか  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月20日(火)21時41分24秒    返信・引用  

なんともお達者な限りで。
ここで名の出てくるGN勝ち馬 Seaman もその例のようですが、
この頃(19世紀末)既に英愛と仏の間で一流障害馬の交流があったんですね。
ちょっとイメージとは違ってました。  
 



こちらは元気な晩年  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 1月19日(月)20時20分28秒    返信・引用  

ハリー・ビーズリーという愛蘭のアマチュア騎手。競馬人名録1932年版によれば

BEASLEY, H.
Owner and breeder.  One of four brothers all brilliant ex-amateur jockeys.
Father of W.H. and Pat Beasley.  Mr. Beasley was born 1852 and had his first
winning mount in 1877.  In all he had thirteen Grand National mounts and rode
the 1891 winner, Come Away.  He was second on three occasions and third once.
Mr. H. Beasley rode five winners of the Grand Sefton, won the Grand Hurdle Race,
Paris, with Seaman, 1881; the Grand Paris Steeplechase, 1883, on Too Good; and
again in 1890 on Royal Meath.  Won over Punchestown on his own horse Pride of
Mist, at Baldoyal, in 1923, and has ridden over a country since.

1935年6月10日ボールドイル競馬第3レース。アマ騎手戦のようで。

Corinthian Plate of 50 Sovs, of which the second received 5 sovs and
the third 3 sovs; a handicap flat race for four yrs old and upward;
entrance 1 sov; 1 m., 1 fur., 80 yds. (L41)
Mr E. Trainor's Anna's Pride, 4 ys, 10st 12lb - Mr J.A. Mangan ............ 1
Mr T.D. M'Keever's Kniki, 6 ys, 9st 9lb - Mr D.L. Eccles .................. 2
Mr E. Delany's Magnum II, aged, 10st - Mr P. Sleator ...................... 3
Sir James Nelson's Shino, 5 ys, 11st 3lb - Major R.H. Scott ............... -
Mr H. Beasley's Mollie, 4 ys, 9st 7lb - Owner ............................. -
Mr R. Cargill's Prince Carrick, 6 ys, 9st 7lb (car. 9st 8lb) - Lord Fingall -    
 



寂しき晩年  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月14日(水)20時40分47秒    返信・引用  

http://en.wikipedia.org/wiki/Tod_Sloan_(jockey)

1933年に58か59で亡くなっているのですね。
誕生会に登場したのは50そこそこのスローンになりますか。
その数年前には映画にも出演してるようで。

まぁそれにしても、ここでの Disguise とスローンの2ショットは
好き者にとっては堪らないものがあったでしょうね。
共に米国から英国へ渡り、一山を当てた名手と名馬、ですか。。    
 



モンキー乗りの元祖  投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 1月14日(水)19時32分9秒    返信・引用  

トッド・スローンは英国を追放された後、第1次世界大戦の頃までパリで
英米の金持ち相手に勝ち馬を予想して暮らしてましたが、その後の消息が
ひょんな所で判明しました。帝国競馬協会会報第11号(大正15年)。

米国では老名馬過去の功労を記念し又其幸福なる余生を祝福する為人間と
同じ様に誕生祝の式を行ふことが屡々ある。去る五月九日ジヨン・ロスタ
ー氏はカリフオルニヤ洲サンタ・ローサ附近の同氏所有のウイキアツプ牧
場で其愛馬デイスガイスの誕生会を催したが招かれて参集した人々は悉く
此地方社交会の知名の士のみである。デイスガイスは競走馬としても又種
馬としても偉大の功績を挙げた馬で本年は実に其第二十九回の誕辰日に相
当する。来賓一同は大きな蹄鉄形に配列せられたテーブルに着席し卓上に
は高さ一尺三寸許りの大きな菓子が一箇置かれてある。其菓子には二十九
箇の胡蘿匐が美しく飾りつけられた。やがて二十九歳の老馬は一牧夫に牽
かれて静かに蹄形卓子の中央に進んで来た。此牧夫はトード・スローン君
といふ元の騎手で、今から二十六年前の一九〇〇年英国のダービーに此馬
に乗つて出走し三着を得た男である。菓子の原料は麸であり之に飾りつけ
てある胡蘿匐は馬の大好物である。老馬の食志を煽ること夥しい。何等の
面倒もなく馬は自ら進んで胡蘿匐を一個一個食ひ始め遂に二十九個を悉く
食ひつくして式は無事に芋出度く終了した。功労ある老馬を労はるについ
ては誠に意義あり且面白い趣考の催である。    
 



最近は  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月13日(火)20時28分44秒    返信・引用  

どこの国も指導者に知性を求めないのがブームなんでしょうか。

金返さん宣言ですか。
借金と人殺しは個人レベルだと大きな問題(当たり前か)ですが、
スケールが大きくなればなるほど(とりわけ国家の話だと)、
有耶無耶になっちゃったりしますしねえ。

http://www.revistalafija.com/
エクアドルの競馬雑誌のサイトだと思いますが、結構楽しいです。

#競馬ブック久々に買いました。今週号は要保存と思います。
#とりあえずデルマの産国表記を修正してみようかと。    
 



エクアドルというか  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日:2009年 1月13日(火)18時43分0秒    返信・引用  

ガラパゴス諸島なのでは (^^;

ラファエル・コレア現大統領曰く、「ブッシュを悪魔に比べるのは悪魔に失礼だ。
悪魔は邪悪だが、少なくとも知性はある」

ところでエクアドルといえば、外国から借りた金返さねーどぅ宣言しましたね。 
http://jp.reuters.com/article/domesticFunds/idJPnTK833185120081213
   
 


10秒待たないで  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月12日(月)19時32分6秒    返信・引用  

クリックしちゃうと何故かそうなるようですね。
自動転送を待つか、URL自家打ちすればイケるかと。
ただこのサイトも更新停止してからずいぶん経ちますね。。

ピーターパン系の最期は競馬世界の最果ての地とも言えるエクアドルなのでしょうか? 
http://www.bloodlines.net/
   
 


禁断の血脈?  投稿者:GURU@偏屈爺  投稿日:2009年 1月12日(月)18時33分56秒    返信・引用  

Forbidden
You don't have permission to access / on this server.
と出ちゃいますけど、どうでしょうか?    
 



よかったです  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月11日(日)23時00分29秒    返信・引用  

他にもお力になれそうなことがあれば、お気軽にどうぞ!    
 



それです!  投稿者:岸辺円六  投稿日:2009年 1月11日(日)22時43分35秒    返信・引用  

早速の返信、有難うございます。助かりました。
今から中東欧のレース史に埋没して参ります。    
 



今年もよろしくお願いいたします  投稿者:ふてき  投稿日:2009年 1月11日(日)21時38分12秒    返信・引用  

パソコントラブル、お見舞い申し上げます。
自分も何度か痛い目にあっているのですが、根っからダメ性分なもので
小まめなバックアップというのが未だに出来ないんですよね(苦笑)

こちらのことでしょうか?
http://www.bloodlines.net/

何時でもご遠慮なく何なりと書き込んでくださいまし。  
 



明けましておめでとうございます。  投稿者:岸辺円六  投稿日:2009年 1月11日(日)21時24分5秒    返信・引用  

新年早々すいません。お願いがあります。
サイト名は失念してしまったのですが、中・東欧のレースの歴代勝ち馬が一覧されているサイトをご教授願えませんでしょうか。

正月早々、PCトラブルでブックマークが全部飛んでしまいました。
一生懸命に修復しているのですが、そのサイトがどうしても見つかりません。
(検索下手のせいかも知れませんが。)

P.S 場違いでしたら無視して下さい。