2009年9月、8月、7月




[投稿日時] 2009年 9月30日(水)21時57分40秒
[題名] 続き(1953年)
[投稿者] 通りすがり  

休養後馬主の地元ウルグアイに遠征
マローニャスで3月 Gran Premio Municipal, 3000m 10馬身
帰国後馬齢戦 2000m  1馬身
2週後 Gral/ Belgrano, 2200m  キャンター
5月中旬 Gran Premio San Isidro, 3000m  大差
6月末の馬齢戦 2500m  20馬身
1ヶ月後 Premio Chacabuco, 3000m  大差
8月末 Premio Palermo, 1600m  3馬身
Gran Premio Honor, 3500m  10馬身
この後脚部不安を発症し引退




[投稿日時] 2009年 9月30日(水)21時50分0秒
[題名] BBRで調べてみました。
[投稿者] 通りすがり  

1951年
3月初旬 Premio Guillermo Kemmis, 1000m でデビュー 3馬身
2週後 Premio Orange, 1000m  10馬身以上
すぐ後 Premio Santiago Luro, 1200m  5馬身
Premio Old Man, 1200m  6馬身
3週後 Premio R. y R.E. Chevalier, 1400m  3馬身
6月17日 Premio Montevideo, 1500m  5馬身
3歳になって Premio Centenario Miguel Cane, 1500m  2馬身
Polla de Potrillos, 1600m  4馬身
Gran Premio Jockey Club, 2000m  4馬身
5週後の10月7日 Gran Premio Nacional, 2500m 5馬身
Gran Premio Carlos Pellegrini, 3000m  2馬身半

1952年
ペレグリニの後脚部不安で休養、ブラジル遠征して帰国
Chacabuco, 3000m  15馬身
Gral. Pueyrredon, 4000m  一本の道路ほどの長さ
10月12日 Gran Premio, 3500m  2馬身、最後の100米で逆転、生涯初の消耗
Gran Premio Carlos Pellegrini, 3000m  3着、レース中脚部不安発生




[投稿日時] 2009年 9月29日(火)20時40分0秒
[題名] varios
[投稿者] ふてき  

時代によってもクラブによっても基準はバラバラでしょうしね。
まぁお国柄もありますし、普通の日本人が納得する理由は得られないかも。

それより「サラブレッドギャラリー」消滅以降、何故に現地の愛好家が
名馬紹介系サイトを作ってくれないのか、と。
歴代ナンバーワン級の馬の全成績をネットで見れないのってのは流石に厳しいかと。
日本で言えばシンザン、ルドルフ相当でしょうに。
いや、世代的にはトキノミノル辺りですか(笑)




[投稿日時] 2009年 9月29日(火)15時39分35秒
[題名] 確認しました
[投稿者] Lucky Boy  

以前に僕が紹介した動画ですね。忘れていました。
ふむふむ、確かに大差は付いていません、どうしたもだろう。
今では20馬身以上離れていても正確な着差が発表されるようになったので、
見かけなくなりましたが、昔は大体8馬身以上の着差がつくと"varios cuerpos"の
表記がされていました。
しかし改めて調べてみたところ、"varios cuerpos"は大差の時に使用されるだけでは
ないようです。まぁ"varios cuerpos"の直訳からしてファジーな意味合いですが。。。

成績書で"varios cuerpos"と表記されている着差を、別の資料で詳細な着差を知るには、
手元の資料では厳しいのですが、確認できた範囲では、
最短で4馬身の時に"varios cuerpos"の表記が
使われており、もちろん10馬身以上の着差でも使われていました。
参りました。少なくともヤタストの時代で"varios cuerpos"を
全て大差と定義するわけにはいきませんね。

動画で分かるように、あの程度の正確な着差が分からない訳はないでしょうし、
なぜ"varios cuerpos"と表記されたのか良く分かりません。
ヤタストの3冠初戦・第2戦についても、レース写真が掲載された本を持っているので、
あとで確認してみます(山積みにした競馬書籍が詰まったダンボールの
一番奥の下に埋まっているので、出すのがシンドイのです。。。)
とりあえず、ヤタストの着差及び"varios cuerpos"の正確な使用方法について、
ちょっと問い合わせてみます。確認できましたら報告します。




[投稿日時] 2009年 9月29日(火)13時21分34秒
[題名] 三冠すべて大差勝ち
[投稿者] 通りすがり  

とのことですが、これ5馬身くらいじゃないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=YyCIm765D0Y




[投稿日時] 2009年 9月29日(火)05時15分35秒
[題名] ぬけがありました
[投稿者] Lucky Boy  

サンパウロ遠征は1952年で、ちゃんと出走していました。
4着です。これが初の敗北です。左前脚?を負傷していて回避するつもりだったそうですが、
サンパウロJCに説得されて出走したらしいです。
ブエノスアイレスから担当の獣医が急遽飛んできて、出走に大もめだったようです。
調教タイムが素晴らしかったので、出走しちゃったのでしょうかね。
勝利したグアリチョのオーナーは、勝利インタヴューで「私の馬はヤタストには勝てない。
ここにいるだれもが、ヤタストが4本の脚ではなく3本の脚で敗北したことを
理解している。」と観客の前で述べています。

以前、存在した「アルゼンチンサラブレッドギャラリー」に、海外遠征はウルグアイだけ
しか書かれていなかったので、完全にブラジル遠征は回避と思い込んでいました。
カルロス大賞での敗北は大記事になっているので、
こっちが初敗北だと勘違いしていました。
調査の怠慢です。。。反省。生涯成績は24戦22勝に訂正です。
でも、古い時代の海外馬の海外遠征の成績を網羅するのは大変なのですよ~~~と
ちょっと言い訳です(笑)




[投稿日時] 2009年 9月28日(月)21時35分2秒
[題名] ウルグアイ競馬の殿堂
[投稿者] ふてき  

楽しみです。
例の英国遠征史辺りになるのでしょうかね、LBさんのヘルプ部分は。

以前頂いた各書籍のコピーを見ても、残念ながらヤタストが活躍した
時期の部分はないんですよね。いやいや、ヤタスト凄いですなあ。
デルマのコメント欄みると、シダーヂ・ジャルヂーン1200mのレコードを
調教で出したと書かれてますね。これ勿論参考記録なんでしょうけど、
ホントなんですかね?52年か53年のサンパウロ大賞に遠征するも
回避した、とかそんな感じでしたっけ?




[投稿日時] 2009年 9月28日(月)05時37分37秒
[題名] いろいろ
[投稿者] Lucky Boy  

1つお知らせを。ウルグアイスタッドブックの責任者ルイス氏がかねてから作成中の
ウルグアイ競馬史サイト「ウルグアイ・ターフ・ミュージアム」が
来年のマローニャス国際競馬のころにオープンできるとのことです。
僕もちょこっと調査のお手伝いをしています。

あと関係ない話を。アルゼンチンってオールドマンやボタフォゴ、タタンや
アルトゥロエーのように驚異的な成績を残した名馬がこれまでに登場しています。
しかし、それらを抑えて最強馬として評価されているのがヤタストです。
近年のインバソールの活躍ももってしても、ヤタスト南米競馬史上最強馬との
評価が揺いでいません。なぜなんだろ~疑問に思っていました。
あらためて成績を調べてみたら納得です。
生涯成績23戦22勝で、そのうち16勝が大差勝ちという怪物でした。
3冠もすべて大差勝ちで制しています。決して負けることのない馬と評価されていたので、
連覇のかかったカルロス大賞での唯一の敗北では、関係者は凄まじい非難を浴び、
調教師はこの唯一の敗北によりクビになっています。
この調教師はのちにアルトゥロエーで各国の国際競走を制覇するのですが、
敗北から25年後のインタービューで「毎日思い出さない日はないほど、今も悔しい」
と語っています。
ヤタスト引退の年の1953年は凄まじいです。8戦8勝で7つの大差勝ち。
大差勝ちできなかった1勝も5馬身差のレコードタイムでの勝利です。
これだけのパフォーマンスをすれば、南米競馬史上最強馬の称号も当然でしょう。




[投稿日時] 2009年 9月28日(月)05時15分42秒
[題名] 判明
[投稿者] Lucky Boy  

門井佐登宣さんの素性が判明ですか。これは驚きです。
もう分からないと思っていましたから。
あの特集が掲載されていた当時、ソ連競馬について見識がある方は限られていたでしょう。
気になるのは購読していたソ連競馬雑誌の行方ですかな。
もう処分されてしまったのでしょう。一度見てみたいものです。

学生の時、京都産業大学馬術部顧問の教授がソ連競馬雑誌を購読していて、
その雑誌は京都産業大学に所蔵されているとの記事を見つけましたが、
京都産業大学に問い合わせたところ、
雑誌は所在は不明とのことで、残念な思いをした記憶があります。




[投稿日時] 2009年 9月20日(日)08時15分36秒
[題名] そんな方が
[投稿者] ふてき  

いらっしゃったんですか。
でも、あの連載の元ネタがどこにあったか、と考えると至極納得。

元々ソ連と関わりのある本業をされてた方じゃないでしょうかね。
空港の関係で旭川には貿易関係の会社とか結構あったような気がしましたが。




[投稿日時] 2009年 9月20日(日)00時12分26秒
[題名] やっぱり・・・
[投稿者] 通りすがり  

古い書籍や雑誌を捨てているのですが、読み返しながらやっていて、
『競馬ブック』に門井佐登宣「ソ連競馬’85」という記事を発見。

これで門井佐登宣=阿久津武雄はほぼ確定です。手元に名刺があるの
ですが、どこで会ったのかもどんな人だったのかも覚えていません。
しかしソ連の競馬雑誌を講読していて、『優駿』にソ連の競馬を紹介
する記事を書いていたことは確かです。職業は競馬コンサルタント、
住所は旭川市となっています。既にかなりの年配だったと思います。




[投稿日時] 2009年 9月17日(木)23時26分58秒
[題名] 騎手系譜
[投稿者] ふてき  

昭和の始めに関係者に聞き取り調査をしたものが最初のソースのようですから
その当時既に薄れかけていた記憶/記録のために、歴史に埋もれたままの存在も
多いのでしょうね。

鈴木甚吉は東原玉造や矢野氏と同様、淡路島から石狩に入植した家系なんですね。
もし仮に斎藤琴冶も同じ集団の出だったとしたら、東原らと一緒に林義和に師事していたとか?
100パーセントの妄想ですが。




[投稿日時] 2009年 9月17日(木)21時42分2秒
[題名] なるほど。
[投稿者] 通りすがり  

斎藤琴治の師匠は誰なんでしょうね。

ところで東原玉造師が諏訪佐市師宅で死んだのはなぜかと思って
いたのですが、東原師の長女が諏訪師夫人だったとのことです。




[投稿日時] 2009年 9月17日(木)21時06分5秒
[題名] 交流禁止は
[投稿者] Lucky Boy  

昭和9年にユレカ事件と大宮競馬の騒擾事件がおきて、
これを受けて昭和10年1月1日をもって騎手・馬の禁止を施行のようです。

当時は、普通に騎手会も公認・地方の両方に所属してたのですね。
川田若彌は、京都競馬倶楽部の所属騎手として騎手講習会に出席していますが、
京都競馬で騎乗した記録が見つからない…ただ名義だけだったのかしら。


雑誌「馬匹世界」によれば、明治40~42年にかけて、目黒・板橋・松戸・札幌で
“斎藤光之丞”という騎手が活躍しているのですが、
札幌競馬倶楽部の記録によれば、この騎手の名前が“斎藤琴治”となってます。
音も相似からして、斎藤光之丞=斎藤琴治、で間違いなく、
斎藤琴治が正しい名前なのでしょう。




[投稿日時] 2009年 9月17日(木)00時37分54秒
[題名] 昭和6年に禁止されたのは
[投稿者] 通りすがり  

公認競馬在籍馬の地方競馬への出走で、
騎手の交流禁止は12年の日本競馬会以後だったかも。

ところでいわゆる騎手の系統図の祖の1人とされる鈴木甚吉ですが、
『優駿』昭和18年7月号に略歴が載っていました。

父鈴木萬吉は明治24年に淡路島から札幌郡篠路村石狩河畔に入植、
甚吉は50歳とあるので数えなら明治27年生まれで、13歳頃から
父の馬に乗って地方競馬に出場し、15歳頃「競馬界の花形」だった
斎藤琴次の指導を受けて中島遊園地にあった札幌競馬に出場したのが
公認競馬に関わったきっかけとのことです。札幌の現在地への移転は
明治40年秋なので、同年春だとすれば数え年で14歳になります。
騎乗馬はいずれも父が生産したフジヒラ、イナズマ、ミナガワなど。

斎藤琴次の名は初めて知りましたが、札幌では活躍したのでしょう。




[投稿日時] 2009年 9月10日(木)19時39分1秒
[題名] その当時は
[投稿者] ふてき  

ままあることだったのでしょうね。
ある意味、免許制度一本化が既に実現していたと。




[投稿日時] 2009年 9月 9日(水)20時06分58秒
[題名] 昭和5年10月に
[投稿者] 通りすがり  

帝国馬匹協会が発行した『地方競馬騎手団体調査』の
「鹿児島県騎手会役員及び会員名簿」の会員の項に

宮崎県東臼杵郡西郷村 川田若彌

がいます。当時福岡で発行されていた『馬事月報』を見ると
福岡や長崎県早岐の競馬で川田という騎手が勝っています。

また、小倉市外三萩野競馬場という住所で後にダービー騎手
となる中島時夫(時一)や上田武司師のことと思われる上田
武次の名があります。公認競馬所属騎手の地方競馬出場禁止
は昭和6年です。東海地方の騎手会には武田文吾の名前も。




[投稿日時] 2009年 8月18日(火)07時19分17秒
[題名] お忙しいところ
[投稿者] ふてき  

お手数をおかけしました。
近いうちに某氏からメールが届くかもしれません。

南米競馬人の丸投げ行為、受けますね。
でも何故か憎めないんですな、これが(笑)
まぁしかし、それだけ Lucky Boy さんが信頼されているということで
喜ぶべきことなんでしょう。

ベルギーの凋落は古今随一なのでは。
最盛期(非常に短期ですが)に今で言うパート1クラスの競馬国だった国がここまで、という。

それにしても随分と各方面に交流が進んでおられますね。
機会があれば、こぼれ話でもお聞かせくださいな。




[投稿日時] 2009年 8月17日(月)23時46分17秒
[題名] 近況2
[投稿者] Lucky Boy  

あと先週、ウルグアイスタッドブックのLuis氏から、カトゥルーチェの情報がないかと
緊急の依頼があり、忙しい最中情報を調べて送ったところです。
カトゥルーチェは、1896年に亜のオノール大賞を勝ち、その後インペリオとともに
イギリス遠征をて、1898年のアスコット金杯で3着に入線しています。

もう1つ気になったことを。昨年、お知り合いになった松田壮平さん(『優駿』に
マンガを掲載しているイラストレーター)に、川田将雅騎手の曽祖父について
尋ねられました。彼が川田騎手に取材したときに、曽祖父も騎手で、どうやら関西あたりで
騎乗していたらしい、との話を聞いたのだが、確認できなかったそうです。
ソースは分かりませんが、ウィキには「曾祖父(川田若也)が佐賀競馬場所属の騎手」と
書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%94%B0%E5%B0%86%E9%9B%85
古い成績を調べてみたところ、大正末~昭和初に京都競馬倶楽部所属の騎手に
「川田若彌」という騎手がいまして、勝ち鞍は1勝もないのですが、
大正10年秋の宮崎競馬で2着入線という記録を見つけました。
この「川田若彌」が川田将雅騎手の曽祖父だと思われます。




[投稿日時] 2009年 8月17日(月)23時20分23秒
[題名] 近況1
[投稿者] Lucky Boy  

ここ2年ぐらい前から、イギリス人の競馬研究家と交流があります。
彼が南米競馬の情報収集のために南米各国のジョッキークラブや
スタッドブックに色々と問い合わせメールを送ったところ、
「日本に南米競馬マニアがいるから」と僕を紹介されたことに始まります。
思いっきり現地から丸投げされた形です(笑)
でもそのことがきっかけで、色々と情報を交換するようになりまして、
逆に東欧競馬の情報なども頂いたりしています。
ベルギーの三冠競走の歴代勝ち馬も彼から頂いたのですが、
主禁さんはお気付きでしょうか?昨年からベルギー2000ギニーが開催されていないことを。
イギリス人の彼もそのことが気になって、ベルギージョッキークラブに
問い合わせたそうです。答えは、予算不足による休止だそうです。
現在スポンサー探しをしていて、将来的には復活させる方向だそうですが、
来年の開催はまだ目処が立っていないとこと。
ここ20年ぐらいのベルギー競馬は、歴史ある競馬場の相次ぐ閉鎖など、
こんな話題ばかりですね。




[投稿日時] 2009年 8月17日(月)23時00分17秒
[題名] つづき
[投稿者] Lucky Boy  

Trial Stakes (1940-1982)、Midsummer Classic (From 1983)
1940 TELEVISION (BAR)、1941 HARVEST QUEEN (GRE)、1942 GLENEAGLE (TRI)
1943 PIPPIN (TRI)、1944 JETSAM (TRI)、1945 SWEEPER (BAR)
1946 WHITSUN POLLY (GUI)、1947 CORONADO (TOB)、1948 IDGAN (TRI)
1949 OCEAN PEARL (TRI)、1950 BOW BELLS (STV)、1951 THE JESTER II (JAM)
1952 BRIGHT LIGHT (STV)、1953 COLIANA (STK)、1954 DARJEELING (BAR)
1955 HEADACHE (BAR)、1956 FAIR JET (TRI)、1957 DEBUTANTE (BAR)
1958 SHALIMAR (BAR)、1959 PERFECT JET (TRI)、1960 HAPPY LANDING (TRI)
1961 SOLOMON (BAR)、1962 PEPPERPOT (BAR)、1963 AURELIAN (TRI)
1964 JACKPOT (BAR)、1965 ROSAE BEGUM (BAR)、1966 TWILIGHT ZONE (TRI)
1967 CHIP CHIP (TRI)、1968 PICK POCKET (BAR)、1969 SEA HAWK (BAR)
1970 VANDAGAN (BAR)、1971 TRUE GRIT (TRI)、1972 IRONSIDE (TRI)
1973 REY PELE (TRI)、1974 VALENCIA BOY (TRI)、1975 SKY GLORY (TRI)
1976 JONATHON (TRI)、1977 KING SAILOR (TRI)、1978 REFLECTION (TRI)
1979 TIDUC (MAR)、1980 BEHEADED (TRI)、1981 IRISH HONOR (TRI)
1982 ROYAL COLOURS (TRI)、1983 MERCURY (TRI)、1984 CARL STAR (TRI)
1985 STRAVINSKY (TRI)、1986 SKY ROCKET (TRI)、1987 NORTHERN REGENT (TRI)
1988 HILARIO (TRI)、1989 NORTHERN BIRD (TRI)、1990 TUNE IN TIME (TRI)
1991 HAVE A HEART (TRI)、1992 CRESCENDO (TRI)、1993 RENEGADE (TRI)
1994 CONEY ISLAND (TRI)、1995 SPEED MERCHANT (TRI)、1996 ADORING GROOM (TRI)
1996 ADORING GROOM、1997 GERONIMO、1998 BRAVEHEART、1999 EL VAGABUNDO
2000 BOUND TO DANCE




[投稿日時] 2009年 8月17日(月)22時56分57秒
[題名] 遅くなりました
[投稿者] Lucky Boy  

毎年のことですが、この時期は多忙でして…。
お盆も明け、ぼちぼちと時間がとれそうです。

トリニダード・トバゴ三冠ですが、まとめたファイルが見つからず、
詳しい資料も書類の山に埋もれてしまっていて、探すのにちょっと時間がかかりそうです。
とりあえず、ネットで歴代勝ち馬が確認できるダービー以外の
2競走の勝ち馬名をあげておきます。

Easter Guineas
1951 THE JESTER II (JAM)、1952 BRIGHT LIGHT (STV)、1953 FAERIE QUEENE (STV)、
1954 DARJEELING (BAR)、1955 HAIROUM (STV)、1956 HAPPY LEGEND (STV)、
1957 DIAMOND MARKET (TRI)、1958 SHALIMAR (BAR)、1959 PAKISTAN (BAR)、
1960 HAPPY LANDING (TRI)、1961 SOLOMON (BAR)、1962 FASTNESS (JAM)、
1963 AURELIAN (TRI)、1964 TEA BREEZE (BAR)、1965 ROSAE BEGUM (BAR)、
1966 TICO TICO (TRI)、1967 CHIP CHIP (TRI)、1968 ABU AHMED (BAR)、
1969 SEA HAWK (BAR)、1970 CONTESSA (TRI)、
1971 (D.H)BOUNTY HUNTER (TRI)、(D.H)FAIRY GOD (TRI)
1972 AQUARIUS (TRI)、1973 REY PELE (TRI)、1974 ARABESQUE (TRI)、1975 THE SING (TRI)
1976 WALTER QUEEN (TRI)、1977 KING SAILOR (TRI)、1978 REFLECTION (TRI)
1979 SATURN (JAM)、1980 ISIS (TRI)、1981 FLYING COLOURS (TRI)、
1982 ROYAL COLOURS (TRI)、1983 ROYAL SALUTE (TRI)、1984 ARK ROYAL (TRI)
1985 BARBAROSA (TRI)、1986 SKY ROCKET (TRI)、1987 NORTHERN REGENT (TRI)
1988 KIMAFOUTIESA (MAR)、1989 HIKARI (TRI)、1990 LONGCHAMP (TRI)
1991 HONEY GIFT (TRI)、1992 MISS PRIORITY (TRI)、1993 LAST CHANCE (TRI)
1994 (NO RACE)、1995 STEVEN ALAN (TRI)、1996 INDIAN MUSIC (TRI)
1997 GERONIMO (TRI)、1998 MATADOR (TRI)、1999 INFALLIBILITY (TRI)
2000 BOUND TO DANCE (TRI)、

2001年以降の成績は以下で確認してください。
ra.net/racedayresults/racedayresults.asp




[投稿日時] 2009年 8月14日(金)19時53分53秒
[題名] Lucky Boy さま
[投稿者] ふてき  

お暇が出来てからで構いませんので、トリニダード・トバゴの三冠競走歴代勝ち馬を
お願いできますでしょうか?(ブログによれば既に整理済みということですよね?)
実はリクエストを頂いたのですが、当方そちら方面全然把握しておりませんで、
何卒お助け願えれば、と言うことなので御座います。
ちなみに2歳重賞など他のレースの勝ち馬情報はお持ちではありませんよね?
http://www.ttra.net/index.html
で、一部だけ確認できるのですが。。

お手数をおかけいたします。
「くれぐれも」時間が取れるようになってから、でひとつ宜しくお願いいたします。




[投稿日時] 2009年 7月21日(火)06時14分55秒
[題名] そういうことでしたか
[投稿者] ふてき  

残念ですね。
まあしかし地道な神保町巡り、ネット古書チェックにヤフオクと
そんな活動を続けるしかないですもんね。

下総御料の件は気にしておきます。
古書集めはしておりませんが、何かの拍子に情報に触れる可能性もありますので。




[投稿日時] 2009年 7月20日(月)21時35分54秒
[題名] 結論から言うと
[投稿者] 通りすがり  

今回は空振りでした。

下総御料牧場の生産馬は明治36年産駒まで記録が残っていて、それ以後も断片的に
わかるんですが、30年代半ばに馬名を一斉に漢字から英語風のカタカナに切り換え
ています。第五吾妻→第五チユーリツプ、春園→パンジーという調子です。戦後まで
牝系子孫が残った系統はほぼわかりますが、大正や昭和に走った競走馬で出自が下総
と判明していながら、漢字からカタカナへの切り換えがわからないために先祖を特定
できない馬がかなりいるのです。

昨日明治44年の『下総御料牧場競売馬匹名簿』を入手しましたが、血統が父母だけ
で母の父母を書いていない。競売番号4番、バツトルアツクス、内国産洋種、栗毛、
4歳牡、父第四ボイターギドラン、母バターフライ・・・・何それ? バターフライ
って初期に輸入されたどの馬に繋がるの? 残念!って感じです。




[投稿日時] 2009年 7月19日(日)14時49分48秒
[題名] 血統新発見楽しみです
[投稿者] ふてき  

近いうちに拝読できることを期待します。

選ばれたのがその4人だったのは何故か。
素人目には第1回ダービーを特別視していた感じは受けますが。。

Lucky Boy さんのご指摘も含めて正誤表更新しました。

HOMEPAGE: http://homepage1.nifty.com/futeki/ayumi.htm




[投稿日時] 2009年 7月18日(土)23時55分12秒
[題名] 早速のご指摘
[投稿者] 通りすがり  

ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
私の方は貴重な古書を発見して、古い血統の調査に進展がありそうです。

ところでJRAは有馬理事長時代の昭和30年秋、法人を含む307人に
終身通行章を贈呈しています。旧華族ら名士、未来の首相を含む政治家、
日本競馬会役員OB、有力馬主生産者などですが、競馬関係者の名もあり
ました。函館大政、函館孫作、東原玉造、内藤精一の4氏で、同姓同名の
可能性は低いでしょう。東原氏は中京競馬場の諏訪佐市師宅に身を寄せて
いましたが、直後の11月11日に脳溢血で亡くなられました。




[投稿日時] 2009年 7月17日(金)03時18分52秒
[題名] 気がついたところ
[投稿者] Lucky Boy  

お心遣いありがとうございます。
面接試験で凹られまして、その精神的ダメージを引きずって、
些細な言葉をちょっと気にしすぎたようです。

『日本競馬の歩み‐資料編』で少々気になったところを。
コイワヰの戦歴で、明治44年11月24日の各内国産馬は、雑誌『日本之産馬』の情報により、
騎手は黒坂佐吉で、時計は1:54.4/5 → 1:54.73 とした方がよいと思います。
当時の阪神はコンマ100分の1秒まで計測していますしね。
なぜJRAは未だコンマ10分の1秒なのでしょう?それはさておき、
あと大正元年10月12日の内国産馬は、『日本之産馬』では2:26.55です。
Japan Chronicle にはこの開催の記事がないので、
2:22.3/5は日本語新聞の情報でしょうか。
複数の新聞を確認しないと何とも言えませんが、前者の時計の方が正しい気がします。

レツドサイモンの騎手不明の2つは、整理したデータでは両方ともコッフィーです。
典拠が思い出せないのですが、恐らくどこかの新聞に掲載されています。
また1つのレースのほう(内国産馬優勝)の騎手(2着コッフィー)は、
『阪神競馬倶楽部史』にも掲載されています。

大正5年春の東京の帝室御賞典の騎手は、×杉原清吉→○杉原利一です。
天皇賞の世紀では、ちゃんと杉原利一になっていました。




[投稿日時] 2009年 7月14日(火)20時09分26秒
[題名] どういたしまして。
[投稿者] 通りすがり  

読んで役立てていただける方に差し上げたいというだけのことですから。

今日JRA図書室に行って『フィリス氏の馬術』クソ本2冊と翻訳本2冊を確認。
日本馬術のバイブルと言うべきこの題名は普通遊佐幸平氏による論述本を指すので
それがJRAに存在しないとは驚きで、先日わが家で見つけた本を寄贈することに
しました。 Ganadores Clasicos En Colombia (1993) と同書 Volumen II (2001)
も寄贈するつもりです。




[投稿日時] 2009年 7月13日(月)22時13分39秒
[題名] ありがとうございました
[投稿者] Lucky Boy  

>通りすがり様

昨日試験が終わりまして、早速今日、JRA図書室のほうへ伺いました。
アジア競馬資料本も合わせ2冊の資料本、大変に感謝致します。
「日本競馬の歩み、資料編」のあまりの大作に、驚きを覚えました。
じっくり内容を拝見させていただきます。

今日図書室の受付の方に、これほどの本を頂くのだから、深くお礼をしておきなさい!と
念を押されてしまいました。受付の方は初対面でしたが、
他人からは、私はお礼もしない非常識な人間にみえるのかしらと、
日ごろの自身の振る舞いに反省し、少々凹んでいる次第です。
過去、諸々失礼な振る舞い・言動等がありましたならば、
重ねてお詫びしておきます。
直接にお会いした時に、また改めてご挨拶させていただきます。




[投稿日時] 2009年 7月10日(金)21時32分13秒
[題名] ベトナムですか
[投稿者] ふてき  

ハノイには来年?新競馬場がオープンするそうですね。
サラブレッド競馬なのか、フートゥのようなポニー主体なのか。
下のリンクのがそれですかね。ノイバイ空港から約6キロでそれらしいところというと。
すぐ横にはトヨタとホンダの工場が。

正誤表には(とりわけ古い馬は)ウラをとりきれない半信半疑な情報も
取り上げていきますので、間違いが混ざっていたら指摘してくださいませ。

HOMEPAGE: http://maps.google.com/maps?q=21.229282,105.709741&t=h&sll=21.228822,105.709763&sspn=0.333014,0.512238&hl=ja&ie=UTF8&ll=21.2300




[投稿日時] 2009年 7月 9日(木)23時54分46秒
[題名] ありがとうございます。
[投稿者] 通りすがり  

やはりとてつもない間違いがありますね。ア行の場合は特に初期故障の類が。
今後もよろしくお願いします。私も既にいくつか発見しております。

ところでベトナムにはホーチミン市の旧チョロン地区に植民地時代から続く立派な
競馬場がありますが、今日『歩兵第八十二連隊乗馬小隊史』に昭和17年南洋協会
発行『仏印案内』から転載された地図「西貢市」と「河内市地図」に知らなかった
競馬場が描かれているのを発見しました。ローテクのためここにアップできません
が、場所は特定できます。

http://www.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=10.77528,106.679285&spn=0.009422,0.009377&z=16
昔は 3 Thang 2 という道はなく、Nguyen Thuong Hien は鉄道線路でした。

http://www.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=21.040407,105.814497&spn=0.008952,0.009377&z=16
これはそのものズバリ、競馬場スタジアムというのがありますね。




[投稿日時] 2009年 7月 8日(水)21時53分46秒
[題名] あらためて
[投稿者] ふてき  

途方も無い労作に感嘆しつつ読み進めております。
最初の帝室御賞典は明治21年の横浜(セサレウイッチ景物)で一応「暫定」ということですか。
このあたりの話はいずれ試験あけの Lucky Boy さんと喧喧諤諤やってくださいまし。

主要競走優勝馬一覧(馬名索引)最初の2ページだけチェックしました(アアは除く)。
で、こんな感じで簡単な正誤表にしてみましたが、問題なかったでしょうか。
http://homepage1.nifty.com/futeki/ayumi.htm
よければ暇をみて継続していきたいな、と。




[投稿日時] 2009年 7月 5日(日)21時15分24秒
[題名] 一條氏
[投稿者] ふてき  

米国から英国を経由して帰国した折、ですよね。
まだ一目置かれる前のことでしょうけど、当然通訳的な仕事もしたのでしょうから、
交渉の際に助言する場面なんかは考えても良いんじゃないかと。

#血統ピカイチのフリーボーンは何故鹿児島だったんでしょう。

キープセークの血統情報ありがとうございます。ミラの系統ですか。
3歳で既に供用されてますから、どこかに問題があってデビューに至らなかったんでしょう。

http://p.bogus.jp/index.html
最近こちらのサイトを活用させてもらっています。
昔の馬がかなり登録されていて重宝してます。
ホントは自力でこういうデータベースを作って、競走成績と繁殖情報なんかを
公開できればよいのですが、そっち方面はからきし駄目でして。




[投稿日時] 2009年 7月 5日(日)18時53分39秒
[題名] キープセークは
[投稿者] 通りすがり  

大正10年新冠御料牧場産、鹿毛
大正13~昭和2年下総御料牧場供用、昭和3~11年新冠御料牧場供用
父サラ・イボア、母サラ系・第二ミラ、母父サラ系・第二スプーネー、母母サラ系・ミラ

余談ですが昭和3年夏、イボアが日高種馬牧場で、ラシカツターが奥羽種馬牧場で、
フリーボーンが鹿児島種場所で死亡しました。それぞれ北海道、東北、九州の馬産に
多大な貢献をした大種牡馬ですが、明治43年にイギリスで購買され、一條友吉氏に
護送されて一緒に来日しています。馬政官が買ってきた馬には外れが多いのですが、
3頭買った馬が3頭とも大成功を収めるとは非常に珍しい。さて、一條氏は護送した
だけなのだろうかと疑問に思っている次第です。




[投稿日時] 2009年 7月 5日(日)14時20分53秒
[題名] ご報告が遅れて申し訳ありません
[投稿者] ふてき  

あの後、早々に送っていただきまして、すでに活用させて頂いております。
なんせ分量が膨大なので、まずは付箋紙を見出し代わりにベタベタと貼り付けて。

自分がチェックできるのは馬名索引のところが専らになると思いますんで、
データミスがみつかったら正誤表など作ってUPしようかなと。

ピコロの甥キヨマサというのが活躍馬なのですね。
http://homepage1.nifty.com/futeki/piccolo.htm
キープセークは血統不詳でしたか?
はや記憶も記録も失ってしまったようで。




[投稿日時] 2009年 7月 5日(日)12時49分58秒
[題名] 早く着くといいんですが・・・
[投稿者] 通りすがり  

ところでまた妙な馬を発見しました。産地が九美上牧場となっているので
おそらく今の菅井牧場でしょう。菅井氏は社団法人時代の軽種馬登録協会
の実権を握った有力者ですから下総御料牧場の看板種牡馬も自在に種付け
できたと思いますが、それにしてもこれはすごい。昭和15年春の東京と
横浜に登録がありますが、出走はしていません。

サラ系・ピコロ 昭12 鹿 牡
父サラ・トウルヌソル 1922 鹿
母サラ系・岩豊 昭5 鹿
 母父サラ・トウルヌソル 1922 鹿
 母母サラ系・銀豊 大14 鹿
  母母父・サラ系・キープセーク 大10 鹿
   母母父父・サラ・イボア 1905 鹿
   母母父母・サラ系・第二ミラ 明44 鹿
  母母母・サラ系・種頼 大3 鹿
   母母母父サラ・サツパーダンス 1897 鹿
   母母母母アア・カラブリア 明41 栗