2010年8月、7月 例の産駒20頭は 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月29日(日)06時36分5秒 返信・引用 全て繁殖入りしてたんですね。 当時のこととは言え、なかなかどうして大したものです。 4代父? Gain's Denmark がコメント欄でスタイルの良さに言及されてます。 http://www.allbreedpedigree.com/gaines+denmark 岩見にもサドルの影響が強く出ていたんでしょうかね。 『北海道功労馬写真帖』(昭9) 投稿者:通りすがり 投稿日:2010年 8月28日(土)21時41分53秒 返信・引用 根岸で発見しました。大部分種牡馬ですが牝のミラと岩見も入っています。 岩見にはびっくりしました。頭は軽く、背は短く、水平尻で尾離れが抜群。 この馬の写真を見てしまうと歴史的大種牡馬も皆イモに足が生えたようで。 人間で言えばミスユニバースが20年続けて子供を産んだって感じですね。 解説文によれば産駒は12頭が種牡馬、8頭が繁殖牝馬になったんだとか。 産んだ子が全部無事に育って次世代に血を伝えたというのもスゴイ話です。 そうですね。 投稿者:岸辺円六 投稿日:2010年 8月12日(木)00時56分55秒 返信・引用 中古も良いですが、最近は新品も安いですしね。 お役に立てずすいません<(_ _)> 大変失礼いたしました 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月11日(水)20時42分20秒 返信・引用 掲示板のアドレスが変更になっていたのに気づかず放置しておりました。 トップページのリンクも変更しました。深謝。 岸辺さん、ご助言ありがとうございました。 中古ノートを探す方向で行きます…。 メール致しました。 投稿者:岸辺円六 投稿日:2010年 8月 6日(金)21時58分51秒 返信・引用 よろしくお願い致します。 それこそ 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月 6日(金)20時23分39秒 返信・引用 作者さんの了解が得られれば…なのですけれど。 ところで別件で岸辺さんにご相談したいことがあるのですが、 メール頂けますでしょうか?そちら様のアドレスを存じませぬもので。 こちらのメールアドレスはトップページに載せてあります。 空メールで結構です。お手数ですが、よろしくお願いします。 うーむ… 投稿者:岸辺円六 投稿日:2010年 8月 5日(木)23時56分4秒 返信・引用 「SireLine」羨ましいです。前にも書いた様に思いますが…。 僕はネットを始めたの遅くて、始めた頃にちょうど無くなっちゃって、 後からその存在を知って凹みましたorz 牝系図 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月 5日(木)22時30分1秒 返信・引用 おそらくファミリーテーブルがベースになっているんでしょうね。 関係ありませんが(微妙に関係あるかも?)血統ソフトの SireLine が Windows 7 にインストール出来ないことが発覚してショック受けております。 いや、そっち方面の知恵者なら簡単に修正可能な話なのかもしれないのですが。 Win2000 の中古ノートでも買ってそれ専用機にするしかないのかな、と…。 もしかして、SireLine を愛用するヲタとして世界唯一の存在になっちゃったのかも!? 了解致しました。 投稿者:岸辺円六 投稿日:2010年 8月 5日(木)21時35分43秒 返信・引用 やはり牝系図は楽しいですね! 早速、確認のために開いたファイルがたまたま[19-c]Skirmisher Mareで、 19世紀末から20世紀前半には、正真正銘の名血と当時のホースマンは憧れていたんだろうなあ…等と、 牝系の栄枯盛衰を夢想しています。 おおっ! 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月 5日(木)20時31分42秒 返信・引用 良かったですね。ホッとしました~。 そしてそして、お裾分け下さるとの温かいお言葉! 感謝感激なのであります。 ただ、今は製作者さん御不在なのですよね?ネットでは。 もし無断でやり取りすることで、岸辺さんにご迷惑がかかってしまうといけないので 今回はありがたいお言葉だけを頂戴しておきます。 もし何かの切欠で製作者さんの御了承を得られたその暁には 諸手を挙げて頂戴いたしたく存じます(笑) お騒がせ致しました。 投稿者:岸辺円六 投稿日:2010年 8月 5日(木)02時52分37秒 返信・引用 だめもとで思いつくファイル名でHD内を検索したところ、 不思議なことにカーソルを保存しているフォルダに、 ダウンロードした元データがzip形式で残ってましたっっ! お騒がせして申し訳ありません。有り難うございました。 ふてき様、不都合が無ければお譲り致しますが…。 こういうのって再配布OKですよね? でも本当に不思議。何であんなところに元データが…。 更新しました 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月 4日(水)21時38分9秒 返信・引用 http://homepage1.nifty.com/futeki/ayumi.htm (オーストラリアで登録)→Truth→(シンガポールで登録)→The Crown→ (日本で登録)→ゼクラウン→(明35年改名)→メイクラウン という流れですかね。 お取り込み中ですが 投稿者:通りすがり 投稿日:2010年 8月 4日(水)20時04分38秒 返信・引用 メイクラウン(前名ゼクラウン)の生年と血統が違ってました。 ゼクラウンという馬は豪州にいたのですが、日本に来たゼクラウンには 横浜の番組に1ヶ所ですが前名トラスという括弧書きが付いていました。 Truth, 1894, Inniskillen - unknown ですね。 母不明はともかく父の Inniskillen もどんな馬か全くわかりません。 豪州から消えてから日本に現れるまで1年間のタイムラグがあるのですが、 シンガポールでジョホールのスルタンの所有馬 The Crown として走っています。 ゼカウントも豪州と日本の間に2年のラグがありますが これもやはりその間はシンガポールで走っていますね。 仄かに思い出しました 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月 4日(水)07時12分12秒 返信・引用 相当前ですが、自分もダウンロードしたような記憶が…。 念のためHD調べてみましたが、何の痕跡も残ってませんでしたorz もしファイルお持ちの方がおられたら、ご協力をお願い申し上げます。 早速のレス 投稿者:岸辺円六 投稿日:2010年 8月 3日(火)22時39分37秒 返信・引用 有り難うございます。 >「ファミリーナンバーごと」で「国内外の著名馬」が掲載されたサイト、ですよね。 解りにくくてすいません。 「ファミリーナンバーごと」で「国内外の著名馬」が記載された、 「牝系図」の「テキストファイル」が置いてあるサイトです。 これがあればファミリーテーブル不要(?)という優れものでしたので、悲しさ倍増です。 「Nashua さんのところ」は確認しましたが違いました。 ブックマークをチェックしまくって「怪しい」と思ったのが、 「Dimension-Z」さんのところだったのですが、閉鎖されていましたorz ご無沙汰しております 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 8月 3日(火)22時18分28秒 返信・引用 パソコントラブル、お察し申し上げます。 自分も何度痛い目にあっても性懲りも無くやらかしております…。 「ファミリーナンバーごと」で「国内外の著名馬」が掲載されたサイト、ですよね。 思いつくのは Nashua さんのところですが、フォルダ一括で落とす形式では ないようなので、違うかもしれませんね。 http://www1.kcn.ne.jp/~oak/index.htm 他にお心当たりのある方、情報提供よろしくお願いいたします! お久しぶりでございます。 投稿者:岸辺円六 投稿日:2010年 8月 3日(火)21時21分9秒 返信・引用 先日、フリーのバックアップソフトを使用したせいか、 貴重なデータが半分ほど消えてしまいました(涙)。 その中には、普通のファミリーナンバーごとの牝系図に、 国内外の著名馬と競争成績を記載したテキストファイルが含まれていたみたいなんですっっ! これをダウンロードしたサイトが思い出せず、難渋しております。 (たしかフォルダで一括ダウンロードした記憶が…。) いつも書き込みというと、お尋ねばかりで心苦しいのですが、 お心当たりがございましたらよろしくご教授下さい。 ローズホーキンス 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 7月23日(金)22時03分25秒 返信・引用 warning さん初めまして。 また機会があればお気軽に書き込んで下さい。 通りすがりさん、いつもありがとうございます。 Rose Hawkins は父も母父も実績馬じゃないですよね。 予算の縛りがある中でよく見繕ったものです。 デルマによれば、父 Stockwell のオーナーが J. S. Hawkins 氏だそうで、 馬名の由来はそこでしょうかね。まんま同氏所有だったかもしれませんし。 (無題) 投稿者:warning 投稿日:2010年 7月22日(木)22時52分42秒 返信・引用 ありがとうございました。貴重な情報ありがとうございました! 最初の3年間は 投稿者:通りすがり 投稿日:2010年 7月21日(水)02時42分25秒 返信・引用 盛岡市の古立直吉氏、その後函館郊外の前川農場(元の平出農場)が繋養しました。 大正から昭和初期にかけて一條友吉氏が前後6回にわたり、馬産家から出資を仰いで アメリカから繁殖牝馬を輸入したうちの1頭です。当時のアメリカからの輸入牝馬の 多くは一條氏が輸入したもので、社台の輸入馬も吉田善助氏はもともとホルスタイン 農家ですし、アメリカで一條氏と吉田夫妻が一緒に写っている写真がありますから、 一條氏が目利きをしたことは間違いないと思われます。 教えてください。 投稿者:warning 投稿日:2010年 7月20日(火)23時26分58秒 返信・引用 1928年に輸入されたと思われるローズホーキンスという繁殖がいるのですが、 小岩井でも御料でもないようで、どこが輸入したのか調べてもわかりません。 どなたがご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。 なるほど 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 7月17日(土)20時03分20秒 返信・引用 ありがちな「ヤラズ」とは逆の構図だったのですね。 ユレカの英語表記は Eureka で問題ないでしょうか。 無かったので登録しておきました。 http://www.pedigreequery.com/eureka23 御賞典の英語表記がわからんのですが(苦笑) 諸々間違いありましたらご指摘ください。 しかしこれ、*ペギーイートンって*デヴォーニアらと一緒に輸入した繁殖ですよね? どこかでひとつ歴史が違っていたら、種牡馬ユレカが大成功していた可能性も…。 勘違い失礼 投稿者:通りすがり 投稿日:2010年 7月16日(金)23時50分2秒 返信・引用 33、34、36年が甲級優勝です。35年が全馬800キロ。 ヤスヒラが出られなかったと思われるのは33年ですね。 ユレカ事件の真相がほぼわかりました。当時美馬信次厩舎。アサハギが苦手。 北海道の和田勇雄調教師の目黒遠征が失敗で、ノミヤに大金を入れて大損した馬主から 痛めつけられ、失地挽回のためユレカの馬主をアサハギのいない関東で走らせるように 口説いた。佃政こと金子政吉氏をを引受人にして函館孫作厩舎へ入厩させ、3月の中山 に使うはずのところ、その前に正月の市川で一稼ぎを狙う。騎手は函館厩舎の勝木三郎 を頼んだ。当時の地方競馬なので厩舎はほとんどなく農家の馬小屋を借りての滞在。 ここに佃政のライバル岩井亀二郎氏あり。柏の多門百之助騎手に指示して馬をユレカの 隣の馬房へ入れ、ユレカの馬丁に酒を飲ませて抱き込む。嫌がる勝木を「サブの身体に 迷惑はかけない」と説得し、小山内騎手を乗せ、念のためにオネストドーターに抹茶。 八百長したのは2日目だが、最終日の優勝戦は70キロを背負ってレコードの圧勝だか ら、昨日のあれは何だということになった次第。 簡単ですが更新しました 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 7月16日(金)22時42分34秒 返信・引用 http://homepage1.nifty.com/futeki/ayumi.htm 昔はU字コースだったんですね。今更知りましたorz しかし33年のバンユウハの時計(39年も1分台ですか)が凄い、 とてもばんえい記念とは思えない快記録ですな。 ヤスヒラが出なかったのは33年の事でしょうかね。 血統関係のツールを詰め込んだパソコンが壊れてしまいまして、 「歩み」の正誤チェックが停止しております。今しばらくお待ちを。 ばんえい記念に追記 投稿者:通りすがり 投稿日:2010年 7月16日(金)20時55分32秒 返信・引用 27~30年は旭川200米、31~35年は旭川220米、36年は北見200米。 31年までは全馬200貫、32年は全馬230貫、33年と35年は全馬800キロ の甲級特別に農林大臣賞典が出たものです。34年と36年はハンデ戦の甲級優勝に出 ました。当時は3日間開催の2日目(あるいは初日)に甲級特別があり、3日目に特別 の勝ち馬を除いて優勝が組まれることが多く、34年は初日の甲級特別をヤスヒラが勝 っていますので、この馬を除いた可能性が高いようです。 36年は結果が載っている新聞を発見できませんでした。 佐藤という騎手は誰だかわかりませんでした。里栄作かもしれません。 27.9.23 ①ホクユ- 中西関松 2.39.8 ②フウレン ③ハクキン 28.10.12 ①コトリ 佐藤 3.57.2 ②トカチコマ ③シンヤハツコマ 29.10.10 ①タワイサミ 七条好春 2.55.2 ②イシザカ ③シンヤハツコマ 30.10.3 ①キリンゴー 松原仁三郎 3.12.1 ②トカチコマ 6.4秒 ③シモカワハヤブサ 31.9.9 ①イシザカ 七条好春 4.38.0 ②タワイサミ 34.0秒 ③シンヤハツコマ 32.10.14 ①キリンゴー 加藤誠 4.33.2 ②ヤスヒラ 33.3秒 ③リキドーザン 18.3秒 33.10.20 ①バンユウハ 905キロ 鬼頭兼一 1.47.0 ②サツキ 26.2秒 ③イコイカチノボル 1.0秒 34.10.20 ①ヤスヒラ 中西関松 4.14.0 ②キヨユキ 7.0秒 ③アケマル 23.0秒 35.10.24 ①ヤスヒラ 中西関松 3.57.3 ②キヨユキ 20.3秒 ③コザクラゴー 37.0秒 36.10.2 ①バンユウハ なるほど 投稿者:ふてき 投稿日:2010年 7月 6日(火)20時58分7秒 返信・引用 それがきっかけで再び生産地に関わりを持つことになったんでしょうか。>中村一雄氏 明和牧場で仕事し始めるのは今暫く後のことですかな。 1周400mの陸上トラックを使ったのなら結構本格的な「競馬」ですよね。 奉納競馬って境内の直線を使うイメージがあったので意外でした。 余談ですが、徒弟関係でみると中村一雄師の系譜は断絶寸前なんですね。 (高橋孔照)-北郷五郎-美馬勝一-中村一雄-富田六郎-木原一良 『公営競馬』昭和44年10月号 投稿者:通りすがり 投稿日:2010年 7月 6日(火)00時41分35秒 返信・引用 日高のアラブ2歳(現在の1歳)せりのレポートを中村一雄氏がしています。 30年ぶりの北海道、その後は全く競馬とは縁がなかったと書かれています。 大井の抽籤馬購買官に誘われて見に行ったみたいです。 それはそうと大正末期の弥彦神社の奉納競馬は東京や新潟から騎手が呼ばれる ほどの大盛況だったそうで、東京はともかく新潟には当時常駐の厩舎がなく、 抽籤馬育成のためクラブに雇われていた美馬勝一騎手と弟子の中村一雄騎手が いただけですから、中村騎手も弥彦競馬に乗ったんじゃないかと思います。 境内の円形馬場ということなので、嘉納治五郎が監修した日本初の公式規格の 陸上競技場で行われたのでしょう。現在の弥彦競輪場です。