2012年3月、2月、1月




現代でも 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 3月26日(月)22時10分14秒  返信・引用  

たまに活躍馬を輩出する牝系の祖として名が出てくる馬のようですね。
コメント付記してみました。

http://www.pedigreequery.com/sunflower4

古いレースの賞金が記載された資料は貴重で、ネットではなかなかお目にかかれませんね。
タテの比較(時系列)とヨコの比較(レース別、または国家別)が一目でわかるような
サイトがあれば楽しいでしょうけど。    
 



幻のオークス馬 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 3月26日(月)20時31分15秒  返信・引用  

http://www.pedigreequery.com/sunflower4

愛オークスは1895年創始だそうですが、1815年に Irish Oaks Stakes を発見しました。
カラ4月開催に追加された5月1日。出走登録料30ギニー、出走取消20ギニー。
イヤリング(4月開催なので)牝馬。イヤリングコース(2ハロン程度)。
7ストーン10ポンド。4頭が登録しましたが3頭が取り消したので、
Ld Rossmore's ch. の単走となりました。この時点ではまだ馬名なしです。

この時代、古馬のレースで1000ギニーってのもありました。
セントレジャーはドンカスターのよりニューマーケットの方が高賞金ですね。    
 



デルマの 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 3月22日(木)07時00分8秒  返信・引用 編集済  

掲示板かメールで伝えれば対処してくれるんでしょうけど、
英語でやり取りしなきゃならないので何卒お許しを(汗)

産業革命・農業革命の頃合でしょうか。
景気も大きく揺れ動いていたんでしょうね。    
 



なるほど。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 3月22日(木)00時42分33秒  返信・引用  

18世紀後半は英国競馬が大きく動いた時代ですね。
後半の前半はマッチレースの時代とでも言いましょうか、
人生終了かと思えるほどの大金を懸けたレースが散見されます。
後半の後半は不景気みたいで、
比較的安価に申し込めるステークスが人気になります。
ダービーもそういう時代風潮にマッチしたような気がします。    
 



修正できませんでした 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 3月21日(水)23時34分50秒  返信・引用  

この辺りの馬は根幹馬なので悪戯防止のロックかかってますね。
確かに Tartar Mare の母は Sister to Mogul Mare ではなく
Mogul Mare のようなんですが。
http://www.tbheritage.com/HistoricDams/EngFoundationMares/Family9/Family9Chart.html
ここでも Tartar Mare の生年は1757になってますね。 
 



mercury 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 3月21日(水)20時45分29秒  返信・引用  

これもちょっと変ですね。GSBによれば
母は Tartar Mare (栗毛、生年不祥)
2代母は mogul mare8 です。    
 



ご推察通りのようです 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 3月20日(火)20時49分28秒  返信・引用  

Thoroughbred Heritage の識者の投稿なので確度高いかと。
http://finance.groups.yahoo.com/group/TBHeritage/message/8009
この情報を元に他の馬も生年や毛色を付記しました。
Cade Mare は別名 Sister to Cardinal という事で。
ご確認下さい。
http://www.pedigreequery.com/alexis9    
 



↓ ちょっと間違い 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 3月20日(火)10時15分17秒  返信・引用  

shakespere mare が1771年に産んだのはではなく1770年に産んだのはです。
つまり syphone mare3 のことでした。
で、alexis9 も本当は1770年生まれなので shakespeare mare の子ではない。

18世紀の競馬を調べてるといろいろ面白いことがわかってきます。    
 



alexis9 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 3月20日(火)01時14分27秒  返信・引用  

shakespeare mare が1771年に産んだのは父 syphon の黒鹿毛牝馬なんです。
1775年5月にこの年の最高賞金レースに出た alexis9 は 5 yrs old と成績書に
書いてありますから、1770年生まれに間違いありません。
GSBによれば
母 Shakespeare Mare (生年毛色不祥)、shakespeare mare7 の可能性あり
2代母 Cade Mare15

デルマの投稿者が何か新事実を掴んでいた可能性はありますが、
生年を間違えているのでは信用できません。    
 



鍛錬競走危険すぎます 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 3月12日(月)07時18分13秒  返信・引用 編集済  

これまで頂いた情報をまとめると

・大正末~昭和初の京都競馬倶楽部所属騎手に「川田若彌」名あり
 勝ち星はなし。大正10年秋の宮崎競馬で2着入線

・昭和5年10月発行「鹿児島県騎手会役員及び会員名簿」に
 宮崎県東臼杵郡西郷村 川田若彌

・同時期に福岡、長崎早岐で「川田」騎手が勝ち星~『馬事月報』

・昭和初期の佐賀・豆津・目達原競馬場の騎手~『佐賀競馬史』に
川田若弥の名あり

Wiki の記述と照らし合わせると、

小倉競馬倶楽部渋川厩舎所属で騎手デビュー
 ↓
京都競馬倶楽部に所属(勝ち星なし)
 ↓
1日全レース勝利達成(春木?で11戦11勝?)
 ↓
九州各地の地方競馬で活躍
 ↓
戦後は佐賀で調教師に

といったところでしょうか。  
 



『佐賀競馬史』で発見 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 3月11日(日)21時25分37秒  返信・引用  

しました。やっぱりツンドクではいけませんね。

昭和初期の佐賀・豆津・目達原競馬場の騎手
高田時松、乗富松次、執行初二、嶋田国雄、竹田順吉、川田若弥
中村芳夫、山口茂次郎、緒方重泰等役30名

軍用保護馬鍛練競走は
 体重50キロの騎手は負担重量90キロの場合、40キロの砂袋を持つこととなり、
その格好を想像すると気の毒が先に立つ。馬術の境地を人馬一体というが、ここ
では人、馬、砂袋の三者一体である。発走合図で各馬一斉に突撃開始、直線コー
スの間は騎手の懸命な均衡騎乗によって、なんなく通過するがカーブに入って向
う直線にかかる頃は、他馬との接触もあり、砂袋の安定がなくなる。上下、左右
に踊り出す。騎乗技術は心得た騎手諸君も、砂袋の動揺制禦までは素人である。
砂袋に翻弄されながら大奮戦である。いよいよ最後の直線になり無我夢中で追い
込み、砂袋の躍動も最高潮となる。
というものでしたが、佐賀の騎手
千綿亮次、山田国次、早川利男、川田若彌、武田順吉、
勝田登、羽根寅造等約30名

昭和23年に結成された佐賀県騎手会の会員には川田の名はありませんので、
戦後の競馬には復帰しなかったようです。    
 



こちらこそ 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月24日(火)08時16分4秒  返信・引用  

楽しいネタ提供ありがとうございました。
またいつでも些細な事でもOKですのでお気軽にお書きこみくださいませ。    
 



ありがとうございます 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月23日(月)23時15分13秒  返信・引用  

震災・戦禍を免れて存在しているという点だけでも価値があると考えていますので、
大事に保存したいと思います。

なにか新たに面白い事実がみつかったらまたご報告しますね。    
 



そうですか 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月23日(月)08時40分1秒  返信・引用  

確かにこのカチドキと坪内氏の2ショットは世間に広まっている
ものより上下左右全て大きめに処理されてますね。
ご当人の所有品でしたし、原板とみていいのでしょう。
裏書の存在といい、かなりのお宝ですよ!    
 



いえいえ 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月22日(日)22時52分59秒  返信・引用  

よくわからない写真の謎解きを、皆さんとの話の種にしたかっただけですので。
今回の近代競馬150周年記念キャンペーンの中でどこかで紹介されるといいのですが。

明治時代の写真について、その著作権などがどのような扱いになってるのかググって
みたのですが、よくわからないですね。
ただ、JRAがこれだけ使っているのだから問題ないだろうということで。



    
難題のようですね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月22日(日)21時30分10秒  返信・引用  

恐らく御賞典拝受馬クラスの一流どころの可能性が高いですよね。
明治末期で、目黒で、毛色が…更に牝馬という事になれば
かなり絞れそうですけども…。

レープロ掲載が事実だったとしたら、もっと集客力のある場所
例えばYahoo!知恵袋辺りで聞けば正解が得られるかも?    
 



スタンドは目黒ですね。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 1月22日(日)20時24分34秒  返信・引用  

この馬は見たような気もするのですが、わかりません。 
か
   
 


横顔の写真のみで 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月22日(日)18時05分1秒  返信・引用  

人物の顔を見分けるのは難しいですね。騎手について他の写真と見比べてみても、
坪内さんに似ているようで似ていないような・・・なんとも判断がつきません。

柵の形が根岸とはちょっと違うようで、池上もしくは目黒かもしれません。
あと、馬について言えば牝馬じゃないかなと思います。

いずれにしても、まったく同じ写真がどこかで紹介されていた記憶があるんです。
競馬関係の書籍はほとんど読まないので、競馬場のレーシングプログラムでは
ないかと思い競馬博物館に問い合わせたんですが、わからないみたいでした。
   
 


皆様のお知恵を拝借したく 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月22日(日)12時16分27秒  返信・引用  

後ろに見えるスタンドの形状からしても場所は横浜?
騎手は日本人風で、勝負服は濃色で胴に薄色の一本輪?
馬は鹿毛系統?で馬番が3。それなりの大レースを勝った直後?
口を引いている人物が外国人に見えないこともない?
ヒントとなるのはこのくらいでしょうか。

個人的には騎手はやはり坪内さんなのかなって感じました。
ブック掲載のハナゾノと一緒に写っている写真と横顔が似ていたので。    
 



ありがとうございます 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月21日(土)23時15分11秒  返信・引用  

この写真なんです。
裏にローマ字で「カールルイス」と撮影者のスタンプが押されてまして、
明治時代のものではないかとは思うのですが。
保存用のフィルムが反射していて見づらくてすみません。  
 
設定変更で 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月21日(土)19時53分26秒  返信・引用  
   アップ可能になったみたいです。
上の「画像・ファイル」アイコンをクリックして
直接ファイル名を指定してみてください。 
    
 


ところで 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月21日(土)13時42分45秒  返信・引用  

こちらの掲示板に画像をアップすることは可能なんでしょうか?
せっかくなので、一枚、ぜひ見ていただきたい写真があるのですが。

レーシングプログラムか何かで以前一度見た記憶のある写真なんですが、
どーしてもどこで見たのか思い出せず、内容不明なんです。
見る人が見ればすぐにわかる写真かもしれないのですが。
   
 


なるほど 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月21日(土)08時39分22秒  返信・引用  

そういう経緯だったのですか。
長らく個人所蔵されていた写真が大半でしょうから、
世に広まっていない貴重なショットも多数あることでしょう!

裏書のない名馬の写真、実馬を特定できれば最高でしょうけど、
当時の白黒写真だとなかなか厳しいでしょうね。
ゼッケン、騎手、勝負服…仮に全部揃っていたとしても
よほどの専門家じゃないと判断できないでしょうし。

機会を見て、是非専門筋にお持ち込みになって下さい。    
 



すみません 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月20日(金)21時57分7秒  返信・引用  

そうですね、著作権等について私にはまったくわからないので、ネットでの公開については
控えた方がよいのかな、と考えております。すみません。

ただ、詳しい方に実物を見ていただきたいな、という気持ちはあります。
競馬博物館からはあんまり興味をもたれていないのですが、一度、根岸の馬の博物館に
写真をもっていってみようかなとも考えています。

コレクターというほどでもないのですが、坪内さんが所有していたと思われる品々が
大量にネットオークションに出品されたことがありまして、これは貴重な資料だなーと
感じ、写真については3分の2ほどを私が落札しました。裏書がなく、いわれのよく
わからない写真も多かったのですが、ほとんどが明治~昭和初期の名馬だと思います。

写真のほかにも、ワカタカ号が第1回東京優駿勝利時に配られたと思われる時計や
トクマサ号の東京優駿勝利時につくられたと思われる銀製花盛器、ヒサトモ号の
ダービー勝利記念バックルなど、優勝杯・記念品がたくさん出品されていました。
(落札額が高すぎて私には手が出なかったのですが。)
坪内さんは騎手引退後、日本競馬会の発走委員をされていたみたいで、その関係で
いろいろな記念品を所有していたのだと思います。
   
 


すごいですね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月20日(金)19時21分47秒  返信・引用  

本格的なコレクターでらっしゃるのですね。
お話伺っていて、門外漢の自分も興味をそそられました。
是非拝見してみたいものですが、ネットに写真をアップなされるのは…
果たして著作権?肖像権?的にどうなんでしょうかね。

坪内騎手の詳しい経歴はこれまで目にした事がないような気がします。
ただ函館を拠点としていた大経の直弟子は北海道出身者が多かった
らしいので坪内騎手もその可能性が高いでしょうね。
横浜進出したのは弟弟子の函館大次辺りとほぼ同時期でしょうか?
大レースの結果位しか判断材料ありませんが、佐々木勇太郎、
二本柳省三は二人より少し遅れて名前が出てくるような気がします。    
 



そのとおりかもしれません。 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月20日(金)00時43分53秒  返信・引用  

いろいろとありがとうございます。

「モトサブロウ」さんなのか「ゲンザブロウ」さんなのか、なにかヒントになる記載は
ないかと写真をつぶさに見てみたのですが、すべて漢字で書かれてました・・・。

濁点を記す習慣がなかったのではないか?というのもまったく考えていなかったのですが、
そのように考えると、なるほど~たしかにそのとおりかもしれません。
漢字カタカナ交じりでいろいろ書いてあるのですが、濁点のカタカナはひとつも使われて
いないです。オトワという馬の写真にいたっては、「オトワ」「ヲトワ」と両方使われて
いまして、当時の日本語表記のルールがまったくわかりません。

坪内元三郎さんは函館大経さんの弟子ということになっているみたいなんですが、
明治31年には横浜に来ていたのですか。明治26年に札幌の写真館で撮影された
写真(17歳との表記)がありますので、北海道の人ではないかと思うのですが。
いつ函館大経さんの弟子になって、どういう経緯で横浜に来たのか興味は尽きないです。

「天皇賞競走100年の記録」という本を見てみたところ、「黒鹿毛」となっている
のですが、写真には「鹿毛 5尺2寸5分」とあります。まったく関係ありませんが、
牧畜雑誌によれば第2メルボルンも5尺2寸5分とあったので、同じ位の馬格だったん
だなーと思いました。




フォロー感謝です 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月19日(木)23時07分16秒  返信・引用  

「カチドキ」或いは「カチトキ」の件ですが、
明治37年当時に中高年以上だった一般人が手書きした際
未だに濁点を記す習慣がなかった可能性はありませんかね。
口語や紙面上では「カチドキ」でも、書き言葉では「カチトキ」。    
 



坪内氏はてっきり 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 1月19日(木)21時32分5秒  返信・引用  

モトサブローだと思っていましたが、ゲンザブローの可能性もありますね。
明治31年春の横浜競馬に登場していきなり3連勝しますが、しばらく姿が見えず
レギュラーで乗るようになるのは36年秋からですね。
当時の騎手には珍しい教養のある常識人だったのではないかと思います。

カチドキは明治の横浜の馬なのでアルファベットが本名だとすると「Kachidoki」
毎日新聞は「かちどき」と平仮名で書いています。

図書室は広報部の担当者に目的を話して了解を取ればよいはずです。

ところで今気づいたのですが、函館大経の履歴で明治2年4月4日兵部省出仕
とありますが、兵部省が出来たのは同年7月で4月はまだ軍務官ですね。
軍務官知事は仁和寺宮(後の小松宮)。そのまま兵部卿になります。
するとアラビア馬を献上したのは就職活動だったのかもしれません。 
か
   
 

こちらこそ 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月18日(水)20時30分10秒  返信・引用  

貴重なお話をお教え頂いて感謝感謝でございます。

自分はそういう方面は全く疎いのですが、お話を伺った限り
相当レアな写真と言うのは間違いないのではないでしょうか。
ご調査の結果、なにやら面白げな展開になったら…と期待してます。

また何かありましたらお気軽にお書き込み下さい。    
 



ありがとうございます。 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月18日(水)00時55分38秒  返信・引用  

情報ありがとうございます。

知られざるエピソードというのはあんまりないのかもしれませんが、
一般的に「カチドキ」と表記されている名前は、写真裏の墨書に
「勝時」「カチトキ」とあり、正確には「カチトキ」なんだろうな、と
思います。

CMに使われている写真は、「牧畜雑誌」に掲載された明治37年の横浜ダービー時の
ものだと思うのですが、私の手元にある写真は45センチ×35センチの大きな
写真で、牧畜雑誌の写真の原本と言えるものだと思います。牧畜雑誌掲載写真よりも
写っている範囲が広いです。

また、翌年のエンペラーズカップ(第1回帝室御賞典)勝利時の写真もありまして、
こちらはカチトキ号の右側面が写されており、牧畜雑誌掲載写真にはない数字の
烙印が見えます。坪内さん(もしくは馬主さん)はよほどうれしかったらしく、裏に
和歌(俳句?)のようなものまで墨書されていておもしろいです。

とくにこのエンペラーズカップ勝利時の写真は、JRAも天皇賞の起源として扱っている
レースなので、個人的には貴重なものだと思ったのですが、競馬博物館に画像を送付
したところ、「初めてみる写真です。」「めずらしい写真です。」という回答があった
のみで、特に調べてもらったりもしていません。

しかたがないので、こちらやLucky Boyさんのブログなどを参考に、いずれJRA図書室や
馬の博物館で個人的にいろいろ調べてみたいと思います。

これからもよろしくお願い致します。 
 



はじめまして 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月17日(火)19時29分20秒  返信・引用  

書き込みありがとうございます。

随分と貴重な品物をご入手なされたのですね。
もし差し支えなければ、何処かで内容等ご紹介頂ければと思います。
知られざるエピソードが飛び出してくるかも。

カチドキのその後…一体どうなんでしょうね。
産駒の話題は聞いたことがありませんが…。

自分は全く利用したことがないので伝聞で恐縮ですが、
JRA図書室は基本的に一般の利用は不可だったはずです。
ただし「利用目的に公的価値が認められる場合はその限りではない」
ではなかったかと。例えば研究本を執筆するためですとか
大学の卒論を作成するためですとか。
ただこれはもう10年近く前に Lucky Boy さんにお伺いした記憶
ですので、現在どうなっているのか定かではありません。
もし間違っておりましたらどなたかフォローお願いいたします。

では、今後ともよろしくお願いいたします。    
 



失礼いたします。 投稿者:しゃとる  投稿日:2012年 1月17日(火)01時12分28秒  返信・引用  

はじめまして。突然の書き込み失礼いたします。しゃとると申します。

私も坪内元三郎氏とカチドキ号を調べておりまして、Lucky Boyさんのブログから
こちらに参りました。

偶然、ネットオークションで坪内元三郎氏が所有していたと思われる当時の写真を
数枚入手したのですが、とりわけカチドキ号の写真については裏に詳細な墨書きが
あり、大変興味を惹かれております。

カチドキ号の競走馬としての戦績はLucky Boyさんのブログで詳細に紹介されており、
拝見した時にはとてもうれしかったのですが、詳しく知るにつれて、競馬を引退した後
どうなったのか等、とても気になっています。

こちらの過去ログを拝見しましたところ、JRAの図書室についてふれられておりますが、
こちらの図書室というのは一般の人でも利用可能な施設なのでしょうか?

新参者ですが、よろしくお願い致します。

   
 

はじめまして 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月14日(土)08時06分12秒  返信・引用  

書き込みありがとうございます。

古の競馬関係者名の読み、確かにわかりませんよね。
活字媒体でしか登場する機会がないので致し方ないですが…。
CMの騎手はお察しの通り、坪内騎手とカチドキのようですね。
読みはどっちなんでしょ?
自分はその前に出てくる三人の髭の外国人がわからないのですが…。

金者斤奉はキン・シャキンポーでOKのはずです。
昔の競馬ブックに出ていました。
韓国人で戦後帰国し韓国競馬復活に関わったとか…。

今後ともよろしくお願いいたします。    
 



君の名は 投稿者:ドサにっき  投稿日:2012年 1月14日(土)00時07分30秒  返信・引用  

はじめまして。日本の競馬史が好きです。
まだヨチヨチ歩きのレベルですが、とても勉強になるのでこちらを拝見しております。

昔の競馬関係者で、「これ、なんて読むの?」とか、「どう読もうかな?」とか、よく見か
けるにもかかわらず名前の読み方がどうにもわからない人。さらに調べてみてやっとその人物の記録を見付けても、結局読み方だけはわからずじまいだったり。こうなると爪楊枝が欲し
い気分になりますが、それが割りと楽しかったりもします。

ところで、今JRAの"近代競馬150年"のCMが放映されていますが、冒頭で登場する優勝騎手は坪内氏でしょうか? 坪内氏も「もとさぶろう」なのか「げんざぶろう」なのか?
「ひがしはら」師も騎手系統図の並び順を見て初めて間違いと気づいたり、
止めは黒坂さんのお弟子さんで「金者斤奉」。この方など完全にお手上げですね。

馬鹿馬鹿しい話をしてしまいましたが、今後とも数々のネタを期待しております。
(個人的には大野市太郎の写真が見たいですが・・)
自分もいつか提供できたらとも思います。長々と失礼いたしました。    
 



登録しました 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 1月12日(木)07時19分20秒  返信・引用  

他にもご希望あればご遠慮なくどうぞ。 
http://www.allbreedpedigree.com/mambrino+lance
   
 

この馬 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 1月11日(水)20時37分10秒  返信・引用  

 http://www.allbreedpedigree.com/mambrino+lance

1869年生、青毛、母はサラブレッドの Lucy Garnet, bl. 1864
母父 endorser 母母 lucy+fowler です。

1869年に生まれた父マンブリーノパッチェン、母サラブレッドの青毛の牡馬を
探していたらこの馬だけ見つかりました。ドンジユアンは依然として謎です。