2012月9月、8月、7月、6月、5月、4月




当初は 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 9月30日(日)22時38分49秒  返信・引用  

サンイシドロに配慮して芝の重賞は当面施行しないって
言っていたと思うんですが、なんのなんの(笑)
やはり速めの時計が出る傾向みたいなんで、強力な顔ぶれが集まる
G1が行われればサンイシドロのレコードと遜色ない時計が出るかも。

当方の近況は相変わらず最低限の巡回とサイト更新のみに甘んじておりまして、
データ整理作業は遅々として進んでおりませぬ(謝)
何かありましたらお気軽にお声掛け下さい。    
 



ほほう 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2012年 9月30日(日)20時38分3秒  返信・引用  

G1サンマルティン大賞も芝変更の候補でしたか。来年の重賞番組が楽しみです。
伝統のチャカブーコを芝に変更したということは、パレルモの芝コースへのアピールかな。
でも基本的にG1路線は、サンイシドロが芝、パレルモがダートで変わらないのでしょうね。

少し余裕ができたので、ぼちぼち南米競馬に復帰しています。    
 



お久しぶりです 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 9月30日(日)19時46分45秒  返信・引用  

そうなんですよ。ここかブログで広報すればよかったですね。
今年のGレースはチャカブーコとカサレスだけですかね。
ただこれきっと来年は大幅に増えると思いますよ。
確かラ・ナシオンの報道だったと思いますが、当初サンマルティン大賞も
芝に変更しようとした、と。ただISCS的にG1の条件変更がアウトだった
ため今回は取りやめた、との記事だったかと。    
 



今頃ですが 投稿者:Lucky Boy  投稿日:2012年 9月30日(日)19時22分25秒  返信・引用  

昨年12月16日にパレルモ競馬場で芝コースか開設されたのですね、競馬から少し離れているので全く知りませんでした(造る話は知っていましたが。。)。早速今年のチャカブーコ賞(G2)は芝コースに変更になますし(^.^) サンイシドロとの補完関係からしても実によいと思います。一方、老朽化の激しいラプラタの凋落ぶりが…。  
 



ど素人ですが 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 9月 6日(木)22時48分57秒  返信・引用  

興味深い話を教えて頂きました。
豪州馬の故障率が他国と比して相対的に高い事が証明されれば
より一層信憑性を帯びてきますかね。

しかし、この方面の研究は日進月歩で進んでいるんでしょうね。
より研究が進めば、逆に故障率を下げる配合なんていうのも
オカルトの域を脱却して実現するのかもしれないぞと。

ttp://blog.goo.ne.jp/rowdy_pony/e/0fe217baf0c88280728a0bcfd276df5a    
 



無粋な話ですが 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 9月 6日(木)03時01分33秒  返信・引用  

最近やたら骨折や腱を傷める馬が多いような気がしていたのですが、
『ヒポファイル』48号に載った戸崎晃明ほか「ミオスタチン遺伝子
多型がサラブレッドに与えた影響」が参考になるような気がします。

18番染色体の66,493,737番目の塩基が通常はシマウマや
ロバも含めてすべてチミン(T)であるのに、シトシン(C)に置き
換わった個体が存在する。T/T型は長距離指向、T/C型は中間、
C/C型は短距離指向がある。重賞勝ち馬のTとCの割合は全世界を
平均して概ね半々、ただし豪州では36対64、クォーターホースの
場合は10対90である。エクリプス以来20世紀前半までの名馬の
骨を調べるとすべてT/T型であり、現代サラブレッドにCをもたら
したのはニアークティックであろう。ざっとこんな論文です。

Tは骨格に対する筋肉の量を適正にする遺伝子で、Cはリミッターを
外してるんですね。下級馬にはT/Tが多いと思うんですが、ノーザ
ンダンサーに汚染された上級馬にはCが溢れている。骨や腱は鍛えら
れないのに筋肉は鍛練でどんどん増えてしまう。距離適性に有意差が
あるなんてノンビリした話じゃない気がしました。    
 



いい時代でしたね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 7月 8日(日)07時31分25秒  返信・引用  

そういう部署への予算も今とは比較にならなかったんでしょうね。
まあしかし貴重なバブルの遺産ですから丁重に管理して後世に伝えて欲しいものです。

関係ないですが、アルゼンチンの Expressive Halo がブラジル大賞に登録する
可能性あるみたいですね。    
 



この洋書の山は 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 7月 7日(土)20時51分45秒  返信・引用  

ラベルから察するに1981年の受け入れで、古書店からまとめ買いしたみたいです。
関係あるかどうかは知りませんが、北原義孝氏がジャパンカップ実現の予備調査に飛び
回っていた頃ですね。JRAに金もあれば知識欲もあった時代の象徴でしょうか。    
 



7歳時ですかね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 7月 7日(土)07時23分18秒  返信・引用  

まともな調教積んでいたら更に時計は詰まったでしょうから、なんとも空恐ろしいですね。
正体を紐解く新たな手がかりがどこかに眠っていないものでしょうか・・・。

JRA図書室はカオスですか(笑)
毎日のように通われている方でも把握なされていない本が奥から続々。
図書館というよりは集めるだけ集めて山積み状態の古本屋かマニアの書庫って感じですね。    
 



快速ジヨンアール 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 7月 6日(金)22時01分17秒  返信・引用  

明治22年10月13日の函館臨時競馬で顔見せしたようです。

此の間に七重牧場胤馬ジヨンアール号の一頭立ち騎手武彦七にて一回五十五秒、
一回半九十一秒、この馬は嘗て競馬に出でたることなきものの由なるが、頗る
逸物にして殊に騎手の妙とにより実に満場目を驚かすばかりなり。(函館新聞)

半マイル馬場で29年の最終開催に至っても1周56秒、1周半92秒が限度
だったので、ジヨンアールは群を抜いています。血統不詳がつくづく惜しい。

まだ大英博物館の中に図書館があった頃、蔵書は外にあるので申し込んでから
2日後に出てくるというじれったい環境でハクニーの血統を調べていました。
先日JRAの図書室で古い洋書の山の中にハクニー血統書があるのを見つけて
愕然。第1巻から最終第42巻まで全部揃ってました。笑うしかないですね。    
 



観光牧場チックですね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 6月16日(土)22時47分3秒  返信・引用  

ホテルの部屋に名馬の名ってのはオーナーの特権とは言え、やるもんですな。
オーソドックスに「エクリプスの間」とかでしょうか?
いや、手前味噌全開で「プレッチーポリーの間」って可能性が高いような(笑)    
 



大正7年5月5日の 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 6月16日(土)01時35分53秒  返信・引用  

函館新聞に2つの広告を見つけました。

應輸入名馬種付
金根號 父カノパス 母ゲレン
○父ハ英國皇室ノ名馬ニシテヱドワード七世陛下ノ愛馬タリ
○母ハ米國競馬界ニ於テ其ノ名高キ花形ナリ
○種付希望者五十人ニ限リ金十圓ニテ
湯の川千人風呂附属 伯樂園 九一九

大運動場の公開 當館の前庭に約壹千坪のグラウンド
眺望三層楼絶佳
日本第一の大浴槽千人風呂大湯瀧 善美を盡したる成金風呂家族湯とは
函館新名所の一に數へらる
佛國式馬術指南
佛蘭西料理 純日本料理 温泉旅館 湯ノ川ホテル 電話九一九

カネネは千人風呂で供用されてたんですね。
別の記事によれば湯の川ホテルは
本館が2階建て+離れで全18室に名馬の名が付き
新館は3階建てで全18室に軍艦の名が付いていたそうです。    
 



うちもそうですけど 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 5月10日(木)08時04分7秒  返信・引用  

一人でやっていると一旦間違えて記入したデータに気が付く事が少ないんですよね。
見返しチェックよりも新規入力を優先してしまうためなんですが・・・。    
 



ありがとうございます。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 5月10日(木)01時40分52秒  返信・引用  

サラブレッドに関しては一応信用できそうですね。
銀霜の件はどこからか間違った情報を仕入れたのでしょう。
アラブ系に手を広げると現状では情報が少なすぎるのだと思います。

ところで銀霜にせよ白雪にせよ、実際のところ純血アラブではありません。
ハンガリーの土着馬をアラブ種牡馬で改良したシャギア・アラブで、
国際的にはシャギアの血が一滴でも入っているとアラブとは認められません。
日本国内でのみ通用する「アラブ」ということですね。  
 



すごいですよね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 5月 9日(水)19時45分24秒  返信・引用  

一個人でこれだけのデータベース作れるものなんですね。

間違いの指摘等はこちらのブログにコメントとして書き込めば
対応してくださるようです。
http://p.bogus.jp/wp/

ひとまず Polly の件と銀霜の産駒の件は自分が書き込んでおきます。 
http://www.pedigreequery.com/creeping+polly
   
 

ネットの血統表サイト 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 5月 9日(水)08時00分51秒  返信・引用  

これは信用できるのでしょうか。
日本で作っているようで、大いにありがたいと思えるのですが。

http://p.bogus.jp/ped.php?id=133992
とりあえずこの馬は間違っています。
父はこの Othello ではなく Black and All Black(競走名 Othello)です。    
 



訂正ありがとうございます 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 5月 2日(水)08時44分27秒  返信・引用  

乗り馬に内国産はいませんでしたか。
当時同名馬が多かったことも混乱の一因でしょうけれど、
こうしてネットで誤情報が拡散するのは恐ろしいですね。
自戒を込めて。    
 



そのサイトは信用できません。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 5月 2日(水)01時16分33秒  返信・引用  

銀霜は1935年秋に死んでいるので36年、37年産駒はいませんし、
34年産駒は久霜です。また、初雪は銀霜の母です。
銀霜の半妹岩雪の子に峰雪がいますが、下記とは同名異馬です。
天皇の御乗馬である初雪、吹雪、峰雪はハンガリー産です。

終戦後進駐軍の軍属として将兵の慰安にあたっていたロデオ興行師が
帰国を前に白雪を所望したため、身代わりとなったのが初霜です。
朝鮮で種牡馬の後、東京乗馬クラブに老いの身を寄せていました。
ロデオで日本の天皇の乗馬として見世物になっていたそうです。

種影(米国産、1913)
 カゼーナ(1920)父フアルタク
  初霜(1927)父ワツデーシルハン    
 



古今東西 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 5月 1日(火)23時17分12秒  返信・引用  

やはり芦毛が選ばれやすいという事でしょうね。

ちなみに昭和天皇が観兵式で騎乗した芦毛達は*初雪系のアングロアラブ
http://www.asahi-net.or.jp/~KA5K-AB/arab/family.html#AR
だったのですね。
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/02052.HTM
ここでは初雪、嶺雪(峰雪)、初霜は異母兄弟と記されてますが、
実際は父山正、母銀霜の全兄弟だったのではないでしょうか。
http://p.bogus.jp/ped.php?search=progery&id=22531    
 



よかったです。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 5月 1日(火)20時15分27秒  返信・引用  

The Baron なんてのも怪しいんですけど、確証が得られません。

明治3年4月に駒場野で日本初の陸軍観兵式が行われましたが、
天皇は芦毛の馬に乗っておられたと記録にありました。

先導は兵部卿宮つまり後の小松宮でして、当然前年に献上された
アラビア馬に跨がったものと思います。すると先導する兵部卿が
立派なアラビア馬に乗って天皇陛下が見劣りする和種馬に乗ると
いう光景は想像しにくいのですが、そのへんはまた追求します。    
 



Grandmaster 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 4月29日(日)18時54分55秒  返信・引用  

mundialogist さんがメールで指摘して下さったそうで、
目出度く Libaros の父が修正されました。
http://www.pedigreequery.com/houli2

誤登録されていたその他のフランス産産駒も修正されてます。
http://www.pedigreequery.com/progeny/grandmaster4

感謝です。    
 



そうなのでしょうね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 4月22日(日)09時27分8秒  返信・引用  

「なりすました」とはちょっと違うんじゃないか、と。

ところで先週の頭にインフルエンザに罹り5日間寝込みました。
皆様も健康には十分ご留意下さい。    
 



失礼しました。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 4月21日(土)00時27分28秒  返信・引用  

勿論 houli です。

ところで函館から江戸に上った池田少年は小野義三郎に成り代わったわけですが
これが奇想天外かというとどうやらそうでもない感じなのです。

彦根藩世田谷領代官大場家文書が大量に現存しているのですが、
幕末の当主信愛は先代景福の妻美佐(父は中延村鏑木善兵衛)の弟ですが
対馬藩士村鉱八郎弟弘之介として景福の養子となり
妻の以佐(鉱八郎の妹)を善兵衛の娘として届け出ています。

士分でないと大場家を継げないという制約があったからですが
江戸時代は形式さえ整っていれば内実は無視が横行していたようです。    
 



hauli では無く houli ですよね 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 4月20日(金)21時07分9秒  返信・引用 編集済  

ひとまず houli は削除して、そこから成績と獲得賞金情報を
houli2 の方に移植しました。

libaros の父を変更しようとするとこのコメントが。

Sorry, LIBAROS has more than three offspring listed in our database. To prevent
tampering with information that's already included in the database, we won't allow
you to edit this horse's record. If you feel there's a mistake in the pedigree,
please contact the database research group and we'll check the
pedigree/information for you.

となりまして(笑)こちらが全面的に正しそうなので、掲示板で指摘すれば
対応してくれそうですが、正直自分には荷が重いです。
grandmaster3 の登録産駒に他にもフランス産がいるので、これらも grandmaster4 の
方の仔どものような気がしますね。 
http://www.pedigreequery.com/grandmaster4
 
 


パリ大賞典優勝馬 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 4月20日(金)20時17分38秒  返信・引用  

hauli と hauli2 は同じ馬ですね。
そして hauli には血統情報がなく、hauli2 の血統は間違っています。

父の父は grandmaster3 ではなく grandmaster4 なのです。
grandmaster3 にはフランスへ輸出された記録はありません。
grandmaster4 は 1884年にフランスへ輸出され、20年にわたって供用されました。    
 



馬名間違えました 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 4月 3日(火)19時04分2秒  返信・引用  

オダービーは wiki の愛ダービーの項でもさらっと触れられていますね。

http://www.pedigreequery.com/golden+fleece10

すいません35歳差は Young Miss Doe の父母の方でした…。
http://www.pedigreequery.com/mr+dalys+grey+filly    
 



登録ありがとうございます。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 4月 2日(月)23時51分40秒  返信・引用  

Psyche の父 buffer4 は1784生、母 young louisa は1793生です。
Waxie Mare (b. 1806) の母は dam of tekeli でどうかなと。

オークスに対応するレースは O'Darby Stakes でした。人の名前でしょうけど
さすがにこれを愛ダービーとは言えないですね。綴りも違いますし。
英国でもアスコットダービーが始まってましたし、セントレジャーに至っては
各地で行われていて、ドンカスターはグレートセントレジャーと名乗ったり。
この頃から商業主義的になってきましたね。    
 



暫定的ですが 投稿者:ふてき  投稿日:2012年 4月 2日(月)23時21分37秒  返信・引用  

http://www.pedigreequery.com/mr+hassards+bay+filly

http://www.pedigreequery.com/golden+fleece10
"Highflyer Mare"という馬名は新規登録できないので牝系登録はここまでです…。

「1818年」は Psyche の父母の生年が35歳離れてるようなので…ひとまず保留に。

http://www.pedigreequery.com/letitia4

http://www.pedigreequery.com/mr+prenderdasts+bay+filly

http://www.pedigreequery.com/rebecca22    
 



1821年まで行われていました。 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 4月 2日(月)19時11分44秒  返信・引用  

1816年4月29日 登録料30ギニー 出走取消20ギニー
イヤリングコース 7ストーン10ポンド 5頭登録 3頭出走
1着 Mr. Hassard's bay filly(1814生) 父 paynator
母 Jupiter Mare(生年毛色不祥) 母父 jupiter6 母母 thatchella

1817年6月12日 この年から3歳牝馬 登録料25ギニー
出走取消規定なし 距離 Post on the Flat(どういう意味か不明)
8ストーン7ポンド 以上は以後毎年同じ 12頭登録 2頭出走
1着 Mr. Prendergast's ch. f. Golden Fleece 父 election
母 Moll Roe (ch. 1810) 母父 walton
2代母 Waxy Mare (sister to Tekeli) (b. 1806) 2代母父 waxy
3代母 Highflyer Mare (b. 1790) 3代母父 highflyer 4代母 squirrel mare7

1818年6月11日 12頭登録 2頭出走 1着 Mr. Daly's grey filly
父 Actaeon (gr. 1805) 父父 commodore2
父母 Young Miss Doe (gr.) 父母父 bagot 父母母 miss doe
母 Psyche (ch. 1806) 母父 buffer4 2代母 young louisa

1819年6月10日 8頭登録 2頭出走
1着 Mr. Prendergast's ch. f. Letitia (血統書上 b. 1816) 父 rugantino
母 Jannette (ch. 1809) 母父 camillus 2代母 helen3

1820年6月15日 9頭登録 3頭出走
1着 Mr. Prenderdast's bay filly (sister to Rosstta) 父 rugantino
母不祥(ロゼッタは英国で走った1歳下の妹で母に関する情報なし)

1821年6月14日 8頭登録 単走 rebecca22