2014年10月




これで如何でしょうか  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月31日(金)21時52分10秒	返信・引用

http://www.pedigreequery.com/northcountryman
まだ間違いあるかも知れませんが。

http://www.pedigreequery.com/orchard+belle
こんな馬がいたんですね。あまりその名を知られてないと思うのですが、
日本での馬名登録前に逝ってしまったんでしょうかね。

ちなみに冨士ケ根の生年は確定しているのでしょうか。	 




大変失礼しました。  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月31日(金)16時23分38秒	返信・引用

まず、freney は関係ありませんので、生産者名を削除して下さい。
wolf-dog の父は Ferney 1836 bred by Mr. Rickaby
         その父 voltaire 母 bitter beer
      母は isora
ビタービアの母とその全姉については産駒の整理が必要ですね。調べてみます。

下記はラピアス、モルモン、チツプトツプと一緒に輸入され、その年に死んだ馬
です。他の3頭の成績が素晴らしいだけに、この馬も生きていればと思います。
Orchard Belle ch.f.1901 bred by J.F. Winn, Ky.
父 handsel bred by J.D. Neet, Kindergarten Stud, Ky.
母 royal nell4 bred by N. Schoenfeld, Ind.
祖母 nellie s bred by Her Majesty the Queen Victoria, G.B,	 




Bitter Beer は  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月31日(金)07時21分27秒	返信・引用

Ferney の母なのでしょうか?
Wolf-Dog の母が空欄なので、ひとまずそちらに埋めましたが、間違っていたら修正します。

大量に登録したのでコメント漏れやミスがあるかもしれません、お気づきの箇所があれば
ご指摘下さい。
http://www.pedigreequery.com/northcountryman

 


冨士ケ根(旧名レバンド)は  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月30日(木)19時49分17秒	返信・引用

明治17年に井田少将という人が買ってきた馬で、洪サラとなっているのですが、
父ノースガウンツリーマンはともかく、母ダマ第四なんて血統書に存在しません。
ハンガリー語のDamaは英語のDameなので、日本流に言えば牝馬4号。サラ
とは考えられませんが、せっかく調べたので父だけでも。これが難物で。

Northcountryman b.c.1868 bred by Graf Anton Eszterhazy, Hun.
父 Northcountryman b.1860 bred by Furst Paul Eszterhazy, Hun.
父父 cotswold 父母 Christiania b.1846 bred by Graf Szechenyi, Hun.
父母父 lightfoot12 父母母 Christine b.1829 bred by Mr. Garforth, G.B.
父母母父 figaro2 父母母母 comus mare4

母 Butterfly ch.1859 bred by Graf Anton Eszterhazy, Hun.
母父 Y. Wolfdog b.1850 bred by Furst Alois Liechtenstein, Hun.
母父父 Wolf-dog b.1842 bred by Lord Howth, Ire.
母父父父 Ferney 1836 bred by Major Rickaby, G.B.
母父父父父 voltaire 母父父父母 bitter beer(その母が全姉と混同されている)
母父父父母母 Trumpator Mare b.1801 bred by Lord Clermont, G.B.
母父母 The Colonel's Daughter ch.1834 bred by Mr. Combe, G.B.
母父母父 the colonel13 母父母母 frederica5

母母 Hazardess b.1853 bred by Graf M. Eszterhazy, Hun.
母母父 Phosphorus b.1840 bred by Graf M. Eszterhazy, Hun.
母母父父 Trap-ball br.1833 bred by Mr. Mostyn sent to Hungary in 1838
母母父父父 battledore2
母母父父母 Mercandotti b.1820 bred by Sir T. Mostyn, G.B.
母母父父母父 muley 母母父父母母 preciptate mare5
母母父母 Bielia b.1832 bred by Lord Egremont
母母父母父 gaberlunzie 母母父母母 blacking

母母母 Partisan Stute ch.1835 bred by Graf Hunyady, Hun.
母母母父 woful 母母母母 scratch3




コメント色々入れましたが  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月24日(金)20時46分0秒	返信・引用

文法とかかなり出鱈目と思いますが、ひとつご容赦を。
http://www.pedigreequery.com/rossitor
http://www.pedigreequery.com/aglow
http://www.pedigreequery.com/pyramus8
Chesnut Skim、Gohhana Mare、Phantom Mare はロック掛かっていて編集不可みたいです。
Buzzard Mare に関してはとりあえず差し替えせず、コメント欄に注釈を入れてみました。
他に良い案があればご指示下さい。編集可能な馬であれば対応できますので。
あと、情報抜けなどもご指摘下さい。	 




ロシターとアグロウも  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月24日(金)18時21分37秒	返信・引用

run as Aglow とかで正しい成績を入れたいものですね。

下記は明治11年にメルボルン国際博覧会総裁から明治天皇に贈られた馬です。
日本では驊騮(かりゅう)と名乗りました。
Pyramus br.c.1876 bred by W. Learmonth, Victoria owned by William Clark

父 manuka4 この馬とその母 waimea の生産者は H. Redwood, NZ
父母母 cornelia3 の生産者は T. Icely, NSW 生年は不詳(デルマは推測で入れている)
父母母母 manto2 の生産者は Mr. Goodison 毛色不詳 1817年生
GSBは初版で Buzzard mare7 の1817年産駒としましたが、2版以降それを削除し、
別の Bizzard Mare (別の sister to Lynceus )の産駒と注記しています。該当する馬は
1800年生と1803年生の2頭おり、いずれも Mr. Goodison に生産されました。

母 Lauline b.f.1871 bred by W. Learmonth, Victoria
母父 angler 毛色は br. 生産者は H. Fisher
母母 Evelyn b.f.1863 bred by W. Learmonth, Victoria
母母父 king alfred2 母母母 Dewdrop 毛色不詳 1855生 生産者は娘と同じ
母母母父 the premier 母母母母 cushla macree これが全然違うのです。

cushla macree は bred in Tasmania 父は little john6 ではありません。
Little John b.c.1825 bred by Lord Egremont タスマニアに輸出
 父 little john 生産者 Lord Egremont
 母 phantom mare4 生産者 Mr. Allen
  母母母 gohanna mare4 生産者 Lord Egremont
   母母母母 chestnut skim 正しい馬名 Chesnut Skim 生産者 Lord Egremont
cushla macree の母 Wanderer Mare bred in Tasmania
その父 wanderer12 鹿毛 生産者 Lord Egremont タスマニアに輸出	 




数十年前で  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月23日(木)21時10分5秒	返信・引用

そういうことなのですから、百年以上前はもう何でもアリだったのでしょうね。
近年になってDNA検査やら何やらで色々矛盾が見つかっているようですが、
まぁそれもむべなるかな、という所でしょうか。

http://www.pedigreequery.com/julian+avenel
http://www.pedigreequery.com/mary+avenel
http://www.pedigreequery.com/cervus
http://www.pedigreequery.com/tadcaster

国によって毛色登録が異なるケースって結構あるんですね。
というか、分類基準の違いはおろか、未だに毛色の種別区分が
各国バラバラってのもスゴイと言えばスゴイ話のような。	 




今はガイドラインが  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月22日(水)19時01分56秒	返信・引用

あるんでしょうか。外国で父馬を訂正した例や、日本ではアウトだった例なら
知っていますが。馬の入れ替わりというとそっくり見分けがつかない馬同士と
思いがちですが、実際にはお粗末な例が多くて、この場合も1982年3月、
種付けのため愛ナショナルスタッドを訪れた「アグロウ」が「パスポートには
脚は三白と書いてあるのにこの馬は一白だ。馬が違うんじゃないのか」と指摘
されて発覚したのです。カラグロウは3歳まで「母アグロウ」で走りました。

ちなみにアグロウと名乗ったロシターの競走成績は7=2・2・0・3です。
ロシターの名で走ったアグロウは6=0・0・0・6でした。
タドカスターは平地8=1・0・1・6、ジャンプ32=4・5・1・22。

ところで日本とは何の関係もないんですが、偶然見つけたもので。
julian avenel 毛色 ch. 生産者 J. Bathe, Victoria
mary avenel 生年 1861 生産者 G.S. Thompson, G.B.
cervus 毛色 英国 b. 豪州 br. 生産者 Messrs Painter(2人のペインター氏)	 




Kalaglow  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月21日(火)21時36分21秒	返信・引用

Kalamoun×Aglow で Kala+glow だったということですか。
この類の問題は、後年になって入れ替わっていた事が確定した場合に、
血統表の修正を行うのか否か、ということでしょうか。
或いは既にガイドラインがあるのかもしれませんが…。

http://www.pedigreequery.com/tyra8
http://www.pedigreequery.com/spooney2
http://www.pedigreequery.com/the+viscount	 




馬の入れ替わりは  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月21日(火)20時54分3秒	返信・引用

よくあることで、私も何度となく遭遇しています。日本には繁殖登録があるので
かなり防がれてはいますが、こっそり元に戻すので入れ替わった馬の競走成績が
付いて回ります。外国では入れ替わったまま繁殖入りする例が多いと思います。
有名なことろではロシターとアグロウの入れ替わりが後年発覚しましたね。今回
指摘した馬の場合は3歳時の馬名変更と再変更、去勢して売却という経緯から、
馬主サイドが入れ替わりに気づいていた可能性が濃厚な点が特色です。

Tyra は持込みで、マサチューセッツ州産です。

下総自慢のスプーネー spooney の生産者は Capt. Archdale, Ireland です。
その父 forlorn hope2 は1873年生、 G. Hanson の所有馬でした。
1879年夏に去勢され、ハードル競走に出て着外。この情報は不必要かも。

同時に輸入された本物のサラブレッド、ゼ・バイカウントは成績不良でした。
The Viscount ch.c.1881 bred by Mr. Dunlop
父 victorious3 生産者は自身、母、母母とも Jos. Carey 、母母の毛色は black 。
母 marchioness maria 毛色は brown 、生産者 J. Johnstone 。	 




セン馬に変更しました  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月20日(月)22時39分23秒	返信・引用

http://www.pedigreequery.com/tadcaster
http://www.pedigreequery.com/mormon7
http://www.pedigreequery.com/tip+top4

タドキャスターとベンドアの関係については「結論が出た」と考えていいんでしょうか?
ダービーを制した班を持つ名馬(ベンドアと称された)は実は(Doncaster×Rouge Rose)では
なく(Doncaster ×Clemence)であって、Rouge Rose の仔の方が、去勢され障碍を走った
駄馬(タドキャスターと称された)であり、そもそも最初の段階から馬名と実馬が
入れ替わっていたという事だったのでしょうか。
頭の中でちゃんと整理できてなくてモヤモヤしてます…。	 




問題ないと思います。  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月20日(月)19時50分47秒	返信・引用

ラピアスはベンドアの近交なんですね。というわけで tadcaster に追加情報。
2歳時 Duke of Westminster 名義で2戦1勝。 Municipal Stakes (Doncaster) 優勝。
3歳時 Bend Or II と改名。 Tadcaster に再度改名。不出走。去勢。
4歳時 H. Rymill 名義で6戦0勝の後転売。以後転売を繰り返す。
4~8歳時障害32戦4勝。6歳時 Sherwood Handicap Hurdle (Nottingham) 優勝。
7歳時 Oscott Selling Hurdle (Four Oaks Park), Rugeley Handicap Hurdle (same),
Open Selling Hurdle (Lichfield) 優勝。

ラピアスと並ぶ道庁の大種牡馬モルモンと基礎牝馬チツプトツプ(3頭同時に輸入)。

Mormon ch,c,1901 bred by J.B. Haggin, Elmendorf Stud, Ky.
父 george kessler 母 Tyra ch.f.1893 bred by W.H. Forbes, Neponset Stud, Mass.
母父 tyrant3 母母 Bargain ch.f.1887 bred by J. Porter, GB
母母父 barcaldine 母母母 booty

tip top4 青毛ではありません。日本では黒鹿毛、米国ではブラウン。
生産者 Milton Young, Ky.	 




なるほど  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月18日(土)06時19分15秒	返信・引用

解説ありがとうございます。
向うの競馬ヲタ達が割と手頃に入手できるので、登録の際に参考にしているのでしょうね。

http://www.pedigreequery.com/larkspur5
http://www.pedigreequery.com/rapius
http://www.pedigreequery.com/pancho7
http://www.pedigreequery.com/arthur+h3

Hock Hocking の生産者欄に Joseph Cairn Simpson と既に入ってますが、
これはミスという事で、削除しても問題ないですよね。(今は念のため併記してあります。)	 




カークスガイドは  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月17日(金)20時46分32秒	返信・引用

1880~90年代前半のアメリカ競馬の成績書と考えていいと思います。
DRFチャートブックのような細かいものではなく、厚めの新書のような本
に1年間の成績をコンパクトに詰め込んだものです。詳しい成績を知るには
競馬新聞(週刊 Spirit of the Times か隔週刊 Turf, Field and Farm)を
見るべきですが、大きな図書館に行かなければ無理ですからね。

larkspur5 生産者 Mrs. J.B. Ferguson, Ky. 日本では黒鹿毛ですが米では鹿毛
rapius 生産者 J.B. Haggin, Elmendorf Stud, Ky.

明治21年に広沢弁二が買ってきた種牡馬
Pancho ch.c.1885 bred by A.J. Alexander, Woodburn Stud, Ky.
owned by J.B. Haggin 父 king alfonso 母 penumbra
Arthur H. b.c.1882 bred by J.B. Haggin, Rancho del Paso, Cal.
owned by John Gries 父 hock hocking 生産者 Mr. Reber & Mr. Kutz, Ohio
母 maid of the mist7 生産者 Capt. George A. Johnson, Cal.




アメリカは  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月17日(金)17時52分12秒	返信・引用

この時代だと生産関係の記録不備がまだまだみられますか。
デルマのコメント欄で盛んに引用されている"Kirk's Guide"って書籍はどの程度の
信頼性があるんでしょうかねぇ。

*バランスは生年に関してコメント付記しました。
http://www.pedigreequery.com/balance8
http://www.pedigreequery.com/war+dances+filly	 




スイロンは当初宮城県にいて  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月16日(木)19時56分22秒	返信・引用

明治14~18年に下総で供用され、茨城県に出されています。
ブラドレー、ローストン、モンマースの娘に種付けする役割だったのでしょうか。
茨城からは代わりにトムビースが来ましたが成績不良で、イギリスから輸入された
本場のサラブレッド(と思われていた)スプーネーの時代になります。

スプリンブボツクは謎のままですね。実は son of Springbok だったという可能性
もありますが、今のところはさっぱり見当がつきません。

バランスとバギーのことが気になっていたのですが、ASBにはバレリーナの
1874年産駒の記載がなく、1875年産駒は第3巻では無名の栗毛牝馬、
第4巻ではバギーとなっています。バランスの生年を示す資料は日本にはなく
ASB第3巻が根拠となります。整合性を取るにはバランスを1874年生、
バギーを1875年生と考えるしかないと思います。

war dances filly の3代母 dolphin2 の毛色は鹿毛です。この馬、minnow3、
revenue mare2 といずれも Duncan F. Kenner, La. の生産馬です。	 




ご確認下さい  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月11日(土)08時12分11秒	返信・引用

http://www.pedigreequery.com/daini+jessie+ford
http://www.pedigreequery.com/daini+clara+mcgeary
http://www.pedigreequery.com/ceylon2
http://www.pedigreequery.com/balance8
http://www.pedigreequery.com/toulie
http://www.pedigreequery.com/war+dances+filly

*スプリングボツクの謎は解明されず、ですか。残念。
*スイロンは*ダブリンとも近親で、血縁に活躍馬がずらりですね。
早逝だったのか、残した産駒も少ない印象で、*ダブリンともども
なんとも勿体無かったです。	 




↓  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月11日(土)00時26分42秒	返信・引用

clala m じゃなくて clara m でした。

最近気がついたんですが、『仙台産馬史』に明治2年に藩から西洋種牡馬が下付され、
ナポレオン3世のアラブだろうと書かれていました。「函館大経氏の談話」に明治2年
徳川家親戚などに持ってもらったとありますが、伊達家にも頼んだのでしょう。

陸軍省は明治7年にアラビア産馬牡4頭、牝1頭、翌年アラビア産馬牡1頭を購入し、
牡馬の玉ノ尾は死に、無双は鹿児島へ貸与、濱名は水沢県(引き続き宮城県)へ貸与、
玉島と干城は宮城県へ貸与、牝馬の若紫は宮内省へ献上したが返納されたので宮城県へ
貸与。これらもナポレオン3世のアラブを集めたものと考えるべきでしょう。やたらと
宮城県にアラブが集まっています。	 




生年は不詳ですね。  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月10日(金)21時45分39秒	返信・引用

1877年の輸入馬
bradley2 娘の名を Daini Jessie Ford に、その母を Jessie Ford に。
clala m 娘の名を Daini Clara McGeary に訂正して下さい。
ceylon2 母vandalia2の毛色は黒鹿毛です。生産者は息子と同じ。
balance8 輸入した年に死亡。双子情報なし。
toulie 生産者 Jas. A. Grinstead, Walnut Hill Stud, Ky. 下記馬と同じ。

1878年の輸入馬
war dance mare3 馬名を War Dance's Filly に訂正して下さい。

springbok は種牡馬名簿には名がありますが系統表にも価格表にも名がなく、しかも
当該年にもアメリカで産駒を出していますから、おそらく日本には来ていませんね。
それならスプリングボツクの名で種付けした馬の正体は?となりますけど。	 




登録しました  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月 8日(水)23時10分18秒	返信・引用

http://www.pedigreequery.com/regent22
http://www.pedigreequery.com/bulldozer12
http://www.pedigreequery.com/lantenac
http://www.pedigreequery.com/planetary3
http://www.pedigreequery.com/monmouth4
http://www.pedigreequery.com/ralston2
http://www.pedigreequery.com/clara+m
http://www.pedigreequery.com/ceylon2

*ブールドウサルの母 Miss Music は生年不詳なんでしょうか?

他にも何かお気づきの箇所があればご指摘下さい。	 




1977年の輸入馬ではレゼンド  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月 8日(水)20時29分26秒	返信・引用

Regent b.c.1871 bred by Capt. Geo. A. Johnson も登録されていませんね。
父 lodi 母 eva coombs なんですが、母の父が本当は billy cheatham です。

デルマに登録されている馬では
bulldozer12 生産者 M.H. Sanford, Preakness Stud, Ky.
母 miss music は栗毛、生産者 Duncan F. Kenner, La.
母父 whale は鹿毛、生産者 Duncan F. Kenner, La.

lantenac 日本ではライトニングと呼ばれました。
母 zingara は鹿毛、生産者 J.M. Clay

planetary3 生産者名の一部 Grady は Graddy です。

monmouth4 日本に来たことが書かれていません。

ralston2 と clara m 生産者 J.B. Chase, Cal. (後者の生産者名は間違い)
両馬の母 hennie farrow は鹿毛、生産州テネシー
ASBも Clara M. なのですが、フルネームは Clara McGeary です。

ceylon2 生産者 A.J. Alexander, Woodburn Stud, Ky.	 




お久しぶりです  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月 8日(水)07時24分20秒	返信・引用

記載ありましたか。フォロー感謝です。

一條氏の手元で囲われていたんでしょうけど、早逝だったのか、
種付け能力が低かったのか、産駒の情報があまり出てこないのが残念です。

#ウルグアイのパート1復帰が決まったみたいですね。	 




Del Paso II  投稿者:Gペガサス  投稿日:2014年10月 7日(火)23時50分51秒	返信・引用

お久しぶりです。
面白い馬が輸入されていたんですね。
DRFのチャートによると、Hastingsが勝ったモーリスパークでのベルモントS(11ハロン)で
首-3馬身-3馬身差の4着ですから、4番手のままとは言え大差ではないようですよ。	 




感謝です  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月 4日(土)06時46分44秒	返信・引用

取り急ぎ登録しました。ご確認下さい。

http://www.pedigreequery.com/tom+bease
http://www.pedigreequery.com/kinlock2
http://www.pedigreequery.com/lady+woodburn
http://www.pedigreequery.com/woodburn




輸入年はそのとおりですね。  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月 4日(土)00時13分32秒	返信・引用

スターライトは1875年生で、前年に生まれたのは Enlight です。

1878年輸入馬には Kinlock gr.c.1874 bred by E.E. Eagle, Ky. もいます。
父 phaeton 母 la rieve

1877年の輸入馬では Tom Bease b.c.1876 bred by J.B. Boyd, Ky.
父 baywood3 母 dame winnie
Lady Woodburn b.f.1875 bred by J.M. Dickerson, Cal.
父 woodburn 母 emma barnes がデルマに入っていませんね。
後者の父は bred by R.A. Alexander, Woodburn Stud, Ky. Owned by Jno. Hall
私はかつて別のウッドバーン(1866、母ルルホートン)と勘違いしていましたが
名簿に父ヂヨンホールスウードバルンとありましたのでこの馬です。	 




了解しました  投稿者:ふてき  投稿日:2014年10月 3日(金)22時17分36秒	返信・引用

http://www.pedigreequery.com/kingsley12
http://www.pedigreequery.com/starlight21
http://www.pedigreequery.com/carrie+b3

もしや、*スターライトは1874年生まれではなかったでしょうか?
あと日本へ輸出されたのは*スターライトが1878、*キングスレーが
1880年だったと思いましたが正しいでしょうか?	 




私も最初は持込みかと  投稿者:通りすがり  投稿日:2014年10月 3日(金)20時38分44秒	返信・引用

考えたのですが、渡英記録もありませんし。
『優駿』昭和22年6月号に昔の種牡馬購買の話が載っていまして、石橋正人氏からの
聞き書きですが、全くの官費遊覧旅行だったと。馬の買い付けはエージェント任せで、
謝礼は払わない。つまりエージェントの取り分は馬代金に上乗せされているので、道理
でロクな馬を買ってこないわけですが、一條氏が護送してきたイボア、ラシカツター、
フリーボーンに限っては3頭とも大成功で、おそらくエージェントは一條氏だと思いま
す。高齢の二流種牡馬デルパソを買うくらいの儲けはあったのではないかと。

初期の輸入馬でデルマの生年・血統が間違っているのがいました。
kingsley12 生年は 1872、生産者は H.N. Horine, Ky.
母が katie7 になっているのは間違いで、
Katie ch. 生年・生産者不明 父 glencoe 母 Medoc Mare
Medoc Mare 詳細不明 父 medoc 母 kosciusko mare5

starlight21 i にいろいろ書いてありますが、現在の情報は正しいです。
日本に輸出したことと、生産者 Mr. Ward & Mr. Graddy, Ky. を追加で。

carrie b3 生産者 M.H. Sanford, Preakness Stud, Ky.
母が katinka7 になっているのは名前の間違いで、正しくは Katinska です。