2021年6月





ひとまず  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月30日(水)19時41分19秒	返信・引用

非公開の作業中のシートは加筆修正させていただきました。
チツプトツプとオーチヤードベルの購入額及び第二玉垣の牝系です(シートの一番下)。
三村さんが追加して下さったその他のデータを確認したのちに
公開版の方をアップさせてください。

 
 	

 
鹿児島分  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月30日(水)10時01分34秒	返信・引用

鹿児島県の貸下牝馬については、ご指摘いただいたものも含め、以下に記載されています。
(ふてきさんには量が多いのでシートには記載していない旨伝えています)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949454/48	 
なるほど  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月30日(水)08時15分30秒	返信・引用
 	命名されないまま繁殖してましたか。どういう命名基準なんでしょうね。
私も乗用馬についてはしつこく調べましたが、農用馬はほとんど手付かずです。

明治39年に鹿児島県に配布された輸入豪州産馬のリストがありました。
よい馬は種馬牧場に置いて残りを民間に出したはずですが、競馬で活躍
する子孫を出したのは各地の素封家に貸与した馬が多いですね。
五ツ城 鹿 7歳 薩摩郡樋脇村   津曲伊平太
萩沼  鹿 7歳 姶良郡東国分村  池田次郎右衛門
坂雪  鹿 5歳 曽於郡市成村   関兵之進
月夜野 鹿 8歳 曽於郡東志布志村 坂元藤十郎
村夕  鹿 7歳 曽於郡東志布志村 森村善次郎
海夜半 鹿 6歳 肝属郡大根占村  落司彦太郎
真葛原 鹿 6歳 肝属郡田代村   小牧昌平

こんなのも。
チツプトツプ   1,400ドル
オーチヤードベル 1,200ドル	 
春水について  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月30日(水)07時31分27秒	返信・引用
 	鑑定ありがとうございます。デンマークは乗用第一號と呼ばれていたのですね。
その知識が無く不正確な記述になってしまいました。春水の母は、農用第一號を指して書きました。
史料上は、農用第一號は「第一號」のまま繁殖生活を送っていたようには
見えるんですが・・・史料の読み方はなかなか難しいですね。根拠史料への
リンクを張っておきます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/842096/74	 
春水は  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月29日(火)23時49分45秒	返信・引用
 	内ペルとなっています。乗用第一号はデンマークなので春水の母ではありません。
農用第一号は明治19年11月輸入の北米合衆国産鹿毛で、これがペルと思われますが
毛色からするとクライズデールだった可能性が高そうです。命名前に亡くなったか
民間に出されたかしたのでしょう。生年は達筆で読めないのですが1881年かも。	 
農トロ  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月29日(火)19時14分28秒	返信・引用
 	馬匹血統登録書や競馬成績書など当時の資料で「内洋」と記載されている場合、
軽種を想定していたのですが、母系を追うとこういう馬がいましたので・・・
当時(今で言う)平地競走を使われていた馬でも重種の血が入った馬がいるようで、
注意深く見ないといけないなと感じました。
(品種呼称の話と合わないかもしれず、すみません)

タマガキ 1916(父 第十六ヂプロマツト、母 第二玉垣) 大8秋 各古馬特H(福島) 3着
⇒ 第二玉垣 1909(父 オードンガー、母 玉垣)
⇒ 玉垣 1901(父 第二マークダイアモンド、母 春水) ★ この馬がトロ×ペルになるのかと
⇒ 春水 1892(父 シユペルブ、母 第一號)	 
確認ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月29日(火)08時51分9秒	返信・引用
 	品種区分の歴史変遷は全然理解できていないので、図表にして頭に叩き込みたいですね。
馬匹血統登録書の血統表中に登場する馬の品種をみていても、誤記なのか登録間違いなのか
わかりませんが、その父母とは関係ないと思われる品種名が書かれていることが
ままありますね。
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1MZA-FUwT0n1teDMd8Um7GhEMJ2SHXDTzXMnafLwb2bQ/edit?usp=sharing

 


間違いないでしょうね。  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月28日(月)21時25分7秒	返信・引用

第二マークダイアモンドもデンマークもサドルブレッドと思われます。
函館大経時代の品種は純粋乗用種でしたが、明治28年に品種呼称の統一が図られ
トロッターになりました。軽い馬はトロ、重い馬はペルに統一されたのです。
その両者の混血が「農トロ」で、北海道馬産の基本になりました。	 
ありがとうございます  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月28日(月)21時07分17秒	返信・引用
 	今回もいろいろとありがとうございました。
道庁種畜場の資料だと、第二マークダイアモンドは何れも1875年生となっているのですが、
1874年生と判断するほうが自然な気がします。
後志の産地の記述は見つからなかったのですが、明治20年に七重から真駒内に繁殖牝馬を
移動させている(乗用種6頭、乗用1回雑種15頭)ので、アメリカ、ワシントンなどは
そのタイミングでの移動、よって真駒内産で大丈夫だと思います。

ちなみに、北海道庁種畜場沿革誌の種牝馬リストのうち、内国産の乗用種は、
七重産:アメリカ、ワシントン、七重緑、第二キングスリー
真駒内産:岩見、利別
浦河赤心社産:第二八重錦
となっています。

道庁種畜場の資料を見ていると、「日本競馬の歩み」の馬名索引で出てくる馬にも、
農トロの血を引くものがみられますね。母の名前に「玉垣」「墨染」の文字が見られる
ものはそう思います・・・	 
ここの宿題はラストで願います  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月28日(月)19時12分56秒	返信・引用
 	生年のご指摘ありがとうございます。シートも訂正しました。
飛花の牝系に、七重の緑→八重霞という連想?命名パターンがあるようですから、
八重錦も飛花の孫あたりに該当する可能性があるかもしれませんね。

第二マークダイアモンドは母不詳だったと思いましたが、父はこの馬で大丈夫でしょうかね。

https://www.allbreedpedigree.com/mark+diamond
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1MZA-FUwT0n1teDMd8Um7GhEMJ2SHXDTzXMnafLwb2bQ/edit?usp=sharing




第二マークダイアモンドは  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月28日(月)18時21分44秒	返信・引用

1884年生です。明治19年11月ジエービーフエルグーソン、名牝デンマーク、
ペルのシユペルプと一緒に輸入されました。後志は3歳時の種付けですね。
明治21年生で23年12月移出ですから供用開始は24年、やはり3歳です。
下の「確かで」は書き過ぎでした。八重錦が明治22年生であれば真駒内産の
可能性があります。とはいえ七重の血統には違いないでしょう。

図書室は今日オープンしましたが、別件で至急調べなければならないことが
あったのでここの宿題は明日以後に。	 
 	

 

ご検証に感謝です  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月28日(月)16時28分17秒	返信・引用

こういうことでしょうか。

第二マークダイアモンド(明治18/1885生まれ)…明治19年当歳で輸入
 ↓2歳で種馬に(真駒内)
後志(明治21/1888年生)…2歳時の種付け産駒
 ↓2歳で種馬に(浦河で)
第二八重樫(明治26/1893年生)…4歳時の種付け産駒

当歳で輸入された第二マークダイアモンドは母と一緒だったのでしょうかね。	 
間違いなく  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月27日(日)22時47分42秒	返信・引用
 	ご高察のとおりかと思います。
後志は牧牛場だった真駒内に馬を入れて初めて生まれた洋種馬で
明治21年5月1日生、鹿毛、星、父第二マークダイアモンド、
母亜米利加、母父ボツブエークルス、母母飛花という血統です。
古いノートに明治23年12月20日赤心社へ貸与と書いてありました。
八重錦の血統はわからないのですが真駒内産でないことは確かで
品種が内トロとなっているので七重産だろうと思います。飛花が
アラブなのに後志も内トロにされていますから八重錦の内トロも
飛花の血が入っていておかしくありません。	 
第二八重錦  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月27日(日)19時25分56秒	返信・引用
 	少し前(3/24)に通りすがりさんに記載して頂いた「第二八重錦」に関して、
「北海道庁種畜場沿革誌」を基に考えてみました。

P.112〜113に、明治31年(1898年)12月末現在の種牝馬の一覧があり、
> 種類・乗用種、名称・第二八重錦、毛色・青毛、年齢・明4歳、産地・浦河赤心社
とあります。

> 真駒内の北海道庁種畜場にいた繁殖牝馬第二八重錦は明治29年生
> の青毛で浦河赤心社産。洋種ですが血統は不明です。
> ところが北海道庁種畜場に八重錦という繁殖がいて、明治26年に
> その名も第二八重錦(青毛、父トロ・後志)という牝馬を産んで
> いるのです。

と記載いただいているのですが、生年(明治26年)は合っているので同じ馬と
考えてよいものと思います。

また、P.86に以下の記載があります。
> 本場産出の牡馬を始めて種馬に供するに至りしは明治23年にして、即ち農洋種
> 北門を七重農場に、乗用種後志を浦河赤心社に、乗用種雨龍を八雲村に移畜
> 若くは貸与せり。

また、P.103〜P.108の各種牡馬毎の産駒一覧と、P.108頭の生産数から、北海道庁
種畜場(真駒内)での、明治26年の生産は23頭で、第二マークダイアモンド産駒が16頭、
レギユリエー産駒が7頭と数が合致するので、父馬・後志、母馬・八重錦とも、
浦河赤心社にいたのではないかと思います。

血統についてはわかりませんでした・・・
 


Thoroughpedia も  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月22日(火)11時06分50秒	返信・引用

牝系の各馬名を個別検索していくとかなり遡ったあたりから父母 unknown となっていて、
クリック表示すると血統が入っている状態なので、最近になって更新された感じですかね。
途中の毛色・生産国など情報付記しました。ケニアからの出戻り牝系のようですね。

https://www.pedigreequery.com/ambiorix3

equineline は母 Darling Moon の登録があるので、品種でどうこうではなさそうですね。
この母の血統表で牝系に NB とあるのはサラ系の意味なのですかな。	 




そうなんですね  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月21日(月)21時54分27秒	返信・引用

F22-dなんですね。ありがとうございます。
昨日デルマ見た時はyour graceで止まっていたんですが、ふてきさんの修正による
ものでしたか。
equineline.comでも当馬は登録されていないので、認められてないのではないかと
推測してました。	 




ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月21日(月)21時40分11秒	返信・引用

修正しました。

https://www.pedigreequery.com/your+grace6

NTB の記載がデルマの Ambiorix 牝系代々に入れられているようですが、これも
削除した方が良いのですかな。
一応、NTB Ambiorix〜、non-thoroughbred Ambiorix won the Gold Medallion で
検索してみたのですが、それらしい記事が出てこないわけですよね。
パート1国平地G1のサラ系勝利はいつまで遡るのですかね。
全然知りませんが、イメージだと豪州あたりでしょうか。	 




Ambiorix  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月21日(月)21時17分7秒	返信・引用

の母系は、サラペディア(南アフリカ競馬サイト)にでてました。
サラブレッドのようです。
http://ado3.objectonline.net/index.php?page=sixgendetail&horseid=16152&personid=&resulttype=1	 




ambiorix  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月21日(月)20時25分36秒	返信・引用

全然違う話題ですが・・・
6/6のG1ゴールドメダリオンで、ambiorixという馬が勝ったのですが、サラ系なんでしょうか?
https://www.pedigreequery.com/ambiorix3

検索してみても余り話題になっていないので、どこかでサラブレッド扱いに
なっているのかと思いますが、サラ系の平地G1勝利はだいぶ久しぶりだと思うので
書き込んでみました。	 




日進月歩  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月19日(土)20時32分18秒	返信・引用

20年前とは環境が激変しましたねー。
文書のデジタル化が進んだ事により、資料保全のあり方が全く別物になりました。
紙にはアナログの良さがあるのですが、いかんせん紛失焼失の危険性が付きまといますから。

Lucky Boy さんが明治大正期の公認競馬全成績の復元を目指しておられるので、
自分は補助的な情報整理を行って、恩返ししたいと思っております。
まずは、今スプレッドシートでやっている馬の個別プロフィールの作成が
その一助になればよいのですが。




資料収集  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月19日(土)19時28分16秒	返信・引用

は、ほどんどネット取引は使っていないです。
南米の競馬資料が出回ることがほとんどないのでw

現地から持ち帰ってきた資料の整理も全然終わっていないので、
その整理で精一杯というのもありますが、
どうしても必要な資料は、現地の関係者の送ってもらっています。
それも忘れたことにお願いするので、
チリのレーシングカレンダーは2005年と2007年を入手しそこないました(在庫切れで。。)
別ルートで確保はするつもりです。

最近は、南米の図書館で新聞資料がデジタル公開されているので、
そちらを活用することが多いです。
サンパウロの某新聞は定期購読を契約すると創刊号から見ることができるので、
そちらは契約をして、データを保存しています。

明治・大正期の資料は、役立ちそうな資料がありましたら、
またデジタル化してご紹介したいを思います。
とりあえずは、新聞資料のデジタル化を終えるつもりです。
競馬台帳(番組表)も全ページではないですが
(出走馬の馬名・馬主が確認できるよう初日の買い開催分だけですが。。)、
デジタル化してあります(横浜なら明治29年秋から大正11年春まで)。
そちらも機会があればご紹介したいと思います。	 
 	
 


ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月19日(土)17時53分59秒	返信・引用

https://www.pedigreequery.com/hautnib

ダウン氏のスペルは Dawn にしましたが、違ってましたらご指摘ください。
シートの方も修正してあります。もう少し整理しましたら公開版の方もアップしますので。

馬のリスト化だけじゃなく人物のリスト化もした方が良いかもしれないですね。
やるべきことが増える一方ですが…。	 




プリンスチャーレー  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月19日(土)09時27分29秒	返信・引用

デルマの登録の件ですが、
・日本での出走は露遠征の後もあるハズですが、競走成績は持ち合わせてないです。
・鹿児島県畜産史には、種牡馬配置表が載っていて、ホートニツプは、
 明治45年と大正2年の場所に「姶良」とあるので、1912年から供用だと思われます。

シートのほうですが、馬主の欄が「川崎芳太郎」から始まってますが、通りすがり
さんが言われるように輸入したのはC.ダウンではないかと思われます。
1908年秋の根岸の競走成績では、馬主は「Mr. Punch」となっています。
 ⇒ この仮定名称がC.ダウンのものかは不明です(「スポーツマン」という
  仮定名称は使っていたようですが)。

ここからは私の現時点での推測なのですが・・・
つまり、高額(のようです)で購入し、コッフェーも連れてきて期待したのに、
成績が上がらないので、プリンスチャーレーを売ったのではないでしょうか。
オーストラリアの新聞では、「今後オーストラリアから馬を購入するかどうかは、
プリンスチャーレー次第だ」と語っているようですが、その後C.ダウンが
オーストラリアから馬を購入している感じでもないので、オーストラリアから
馬を買って競馬に使おうという計画も無くなったのかもしれません。

この時代の資料はほとんど持ち合わせていなかったのですが、Lucky Boyさんの
資料が本当に参考になっています。ありがとうございます。	 




感謝です  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月18日(金)14時48分27秒	返信・引用

https://www.pedigreequery.com/spring+tide12

ところで Lucky Boy さんは資料収集の手段としてネットでの取引はお使いでしょうか。
国内は大きな問題はないのでしょうけど、海外のオークションだったり個人間売買とか
ご利用なされてますか?南米は御人脈がおありでしょうから、信頼できるつてを
頼られてらっしゃるのでしょうか。	 



かれこれ  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月18日(金)07時02分30秒	返信・引用
ネットで交流を始めて20年になりますか。。。当時はまだ若かったですww

SPIRING TIDEの血統は以下です。
https://1drv.ms/u/s!AjDjp4uSzFizl-RUjBo-dbSWJxYI-w?e=3VOP4Y	 




了解しました  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月17日(木)22時15分9秒	返信・引用

https://www.pedigreequery.com/inca25

以前頂いたファイルの日付を見て、そんなに前だったかと、
時の流れの速さに愕然としておりました。	 




INCA  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月17日(木)21時59分42秒	返信・引用

INCAはペルー産馬でOKです。同時期にチリ産馬のINCAもいるのですが別馬でした。
 




ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月17日(木)21時43分15秒	返信・引用

こちらもついでの際で結構ですので。
以前いただいた勝馬一覧表では Inca(CHI) となってましたが、父がペルー輸出ならば
ペルーの内国産種牡馬だったのかもしれませんね。

https://www.pedigreequery.com/inca25	 




INCA  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月17日(木)21時09分6秒	返信・引用

確かINCAはSPIRING TIDE(GB産、1878年生、1883年ペルーに輸出)の産駒だったはずです。
すみません、ペルー血統書の第1巻は実家に置きっぱなしなので
(デジタル化したつもりだったのですがありませんでした)、
正確な情報は帰郷したときに報告します!	 




プリンスチヤーレー  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月17日(木)15時16分22秒	返信・引用

修正し忘れてました。

https://www.pedigreequery.com/hautnib

シートの方も修正してあります。お気づきの点がありましたらお知らせください。

ペルーダービーネタどうもです。
秘ダービー(生産者賞)勝ち馬の中で、父の系統不明として残っているのが
この馬と Mizpah の父 Inca なんですよね。もし血統をご存じでしたらご教授願います。
母系がわからない馬は沢山いますので(汗)、そちらはまたの機会で結構です。

https://www.pedigreequery.com/ano+nuevo5
https://www.pedigreequery.com/mizpah14




最終目標は  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月17日(木)07時00分58秒	返信・引用

明治39年から大正11年までの成績をコンプリートしたいです。
せめて公認競馬ぐらいは。僕は統計マニアなので、
騎手成績とか種牡馬成績を集計したいんですよ(笑)
まだ先は長いです。

最近発見したネタを1つ。
1904年のペルーダービー馬AÑO NUEVOですが、この馬は31/32の血量のサラ系でして、
血統書にも記載がないのですが、別の血統本で詳細は分かっていました。
後世の資料では1901年生まれとあり、
1904年のダービー馬なので妥当だと思っていたのですが、
同時代資料のペルー産馬の一覧を入手したところ、
生年月日が1902年1月1日でした。
名前がAÑO NUEVO(新年)というのにも納得です。
ただ、たった1日ですが1902年生まれなのに、すでに1901年馬と
各種資料で流布しているのは、ダービー馬ということもあり
少々面倒だなと思っている次第です。	 
 	

 

素晴らしい!  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月16日(水)21時48分58秒	返信・引用

自分は一次資料を調査する機会がほとんどなく、もっぱら皆様の御研究のお零れを頂戴する
身で恐縮ですが、せめて皆様の情報交換や相互補完の場をご提供できれば本望でございます。

Lucky Boy さんご自身における明治大正期の日本競馬の御研究の最終目標ってどこに
なるのでしょう。
馬券解禁以前の公認競馬の全成績を復元なされる事でしょうか?
「南米」との兼ね合いもあるので、想像もつかないほど困難な道のりでしょうね。
こういう研究って各人個々で行うのが本筋なのかもしれませんが、それだと
時間的物理的にも厳しい面が多々あろうかと思われます。
同好の士が集まる場もなかなか貴重だと思いますので、どうぞ当サイトをお気軽に
ご活用なさって下さい。

追伸。ジャマイカは優先順位最下位、ついでのついででOKですのでー。	 




アナログ資料  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月16日(水)20時31分25秒	返信・引用

デルマへの登録ありがとうございます。
やはりエルエンサーヨ勝ちの実績が光りますよね。

収集したアナログ資料は、どこに何があるのかわからないですよね。
たぶん時代とともに埋もれてしまうものも多いでしょうし。

収集した新聞は少しずつですがデジタル化を進めています。
ただ国立図書館で調べたものは当時金欠でコピーをしていませんでした。
あらためてコピーをして、デジタル化しておきたいものです。
基本、新聞資料は、競馬成績書が刊行される大正12年以前のものを収集しています。
開港資料館にある英字新聞は、競走成績のページはすべてコピーしてあります。
横浜市立図書館所蔵の横浜貿易新報も競走結果のページはコピーしてあります。
福島は福島県立図書館まで行って地元紙3つからコピーしてきました。
新潟や静岡(藤枝)は、国立図書館に新聞は所蔵されていますが、
一部は現地の図書館まで行かないとダメですね。
松戸・中山は新聞は期待できないので、別の資料から情報を収集しました。
京都は島原時代は新聞に記載されているのですが、須知時代は全くだめでして、
どうしようか悩んでいます。
小倉は、九州日報に競馬記事がほとんど掲載されておらず厳しいのですが、
まだ調査していあに門司新報には掲載されているらしいので、そのうち調査に行きます。
宮崎は、明治40年の12月以外は新聞が期待できるようです。これも近く調査に行きます。
札幌・函館は収集しました。
ただコピーのほとんどが実家の部屋に置きっぱなしでして、
なかなか作業が進まないのが現状です。なにせコロナで帰郷していないのでww

ジャマイカ血統は調べておきます!	 




文献など  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月15日(火)23時44分41秒	返信・引用

アナログ資料に関しては、どういった物が残っていて、どういう内容で、どこにあって、
というような、調査の手引きになるような情報をまとめていけたら良いかもですね。
(自分はアナログ調査に関してほどんど無知なのですが…)
どうしても個々人の研究が常なので、今後は横のつながり、そういった情報の共有が進められれば
後進の方々にとっても有意なものになりそうな気がします。

ジャマイカダービー勝ち馬ですが、Money Moon は moneymoon、Sunnydene は sunny dene で
登録がありました。デルマの勝ち馬表の抜け年度を取り急ぎ埋めておきました。

https://www.pedigreequery.com/index.php?search_bar=stakes&query_type=stakes&field=view&id=2668

あとわからないのは starlight44、blue gown7、Ferula 辺りですか。
ちなみに、blue gown7 はここでは Blue Crown になってます。

https://www.jamaicaobserver.com/sports-racing-guide/past-winners-jamaica-derby-1921-1958_205385?profile=&template=PrinterVersion	 




またまた資料  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月15日(火)18時06分23秒	返信・引用

LuckyBoyさん資料ありがとうございます。レーシングカレンダーが残っているとは、という感じです。
取得させていただきました。(前回の資料もいろいろ参考になっております。)

プリンスチャーレーですが、ウラジオストック遠征は1909年の春のことでは
ないでしょうか。1908年根岸秋出走 ⇒ 1909年春ウラジオストック遠征 ⇒
1909年秋日露大競馬会。

続競馬史落ち穂拾い(下)でも以下のように書かれています。(原文ママ)

馬券禁止後の明治42年(1909)春、豪州産馬プリンスチャーリーと豪州人騎手
H・W・コッフェー(これまでW・Hのイニシャルで知られていたのは誤り)を
連れてウラジオストックに乗り込み連戦連勝、現地の競走馬資源が乏しいこと
から日本馬との合同競馬を企画し、(以下略)

ということでご記憶も正しいものと思います。	 




御礼  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月15日(火)17時34分20秒	返信・引用

ありがとうございます。無事解凍まで漕ぎつけました。

ひとまず血統の入っていた gibelet を生かし、gaucho14 は削除しました。
大レースを勝った名前の方に敬意を払いましたが、逆の方がベターであれば、
いつでも変更は可能ですので(今のところロックはされてません)。

https://www.pedigreequery.com/rienzi18
https://www.pedigreequery.com/troya+ii

ジャマイカはご無理しなくても大丈夫です。
自分もじっくり検索もしてないですし、もし既にご存じならば?!と思っただけです。	 




情報の渦ですね  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月15日(火)08時50分41秒	返信・引用

皆様ありがとうございます。
出先なもので、お礼だけてす。すいません。
Lucky Boy さんファイルありがとうございます。
今日の夜にはダウンロード出来ると思いますので、今しばらくお待ち下さいm(_ _)m	 
どちらがよいか  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月15日(火)04時58分25秒	返信・引用
 	1905年と1906年のペルーダービー馬(Troya IIとRienzi)の父Gauchoの血統がデルマに登録されていないのですが、
このGauchoの正体は、1896年にチリのエルエサーヨを勝ったGibeletです。
競走名と繁殖名、どちらでも実績上げている場合は、どちらで登録したらよいでしょうかね。	 




レーシングカレンダー  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月15日(火)01時53分28秒	返信・引用

明治30年代〜大正期の成績は新聞で収集していますが、
ちょうど明治41年は、横浜競馬のレーシングカレンダーが現存しています。
横浜競馬では1904年からレーシングカレンダーを刊行していたようですが、
現存が確認できているのは明治41年の春・秋だけです。
コピーですがデジタル化してありますので、よかったどうぞ。

明治41年春(横浜)
https://1drv.ms/u/s!AjDjp4uSzFizl-RQ0OQD622k7XxyKA?e=38hV3H
明治41年秋(横浜)
https://1drv.ms/u/s!AjDjp4uSzFizl-RPVoeY6xYo2GJsrA?e=EbeksR
 




なるほどそうでしたか。  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月14日(月)22時06分15秒	返信・引用

プリンスチヤーレーはウラジオへ先乗りして走ってたという話を
何かで読んだ記憶があるのですよ。あの馬があれだけやれるなら
我々も稼げるんじゃないかというような。忘却の彼方ですけど。




ありがとうございます  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月14日(月)21時47分25秒	返信・引用

LuckyBoyさんフォローありがとうございます。明治期の競走成績もお持ちなのですね。

コッフェーにとってもプリンスチャーレーにとっても、この2戦が日本での初めて
のレースのようですね。	 
 	

 

ジャマイカの血統  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月14日(月)19時59分29秒	返信・引用

少し宿題させてください。
暇をみて調べておきます!	 




プリンスチャーレー  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月14日(月)19時37分8秒	返信・引用

明治41年横浜秋季競馬でプリンスチャーレーは2度出走しています。
は初日(10月30日)ヴォクトリヤステークスで着外、
3日目(11月6日)ブリスベーンプレートで3着です。
ちなみに騎手はコッフィーです。
 


ホートニツプ  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月14日(月)18時31分29秒	返信・引用

お手数おかけしてすみません。
ちなみに、オーストラリアの新聞では、Hautnib (now called Prince Charlie) もしくは、
Prince Charlie (late Hautnib) と記載されているものがほとんどでした。
1908年7月下旬には、Hautnibは買われて日本に行くという記述が出ています。
Harold Coffeyについては、1908年8月下旬の記事で日本に行く契約を受け入れたとか、
「in charge of Hautboy horse Hautnib」と記載されているので、オーストラリア側の伝えられ
かたも同じです。

プリンスチャーレーについては、トニツクの勝った横浜ダービーには出走してませんが、
3日目の第1レースのブリスベーン・プレートに出走(3着)しているようです。
立川健治氏は、参考文献として「横浜貿易新報 明治41年11月1日 根岸競馬雑観(初日)」を
挙げられています。(でも、Japan Weekly Mailに成績はあるのだと思いますが。)

同時期に輸入された「ペガサス」について、オーストラリアでの馬名は「Port Arthur」
だろうとの記述もありました。
 



私の記憶違いでしょうか。  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月13日(日)22時24分44秒	返信・引用

メモには Prince Charley とあります。別馬ですかね。
日本に来たプリンスチヤーレーの血統はデルマのとおりです。
木曜に開港資料館へ行くので明治41年秋を調べてきましょう。
横浜で走っていればWAで走ったはずはありませんからね。	 




ホートニツプ  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月13日(日)21時03分10秒	返信・引用

WA(West Australiaと判断しました)でPrince Charlieという名前の馬が別にいる
ようです。Le Var - Starlight という血統の騙馬のようですが、
こちらと取り違えされていないでしょうか。間違っていたらすみません。
明治41年秋の日本レースクラブの開催にプリンスチヤーレーが出走している
ようなので気になりました。	 




貸下牝馬  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月13日(日)20時15分21秒	返信・引用

現時点では他のリストは見つけられていないです。
馬政局統計書を見ると、昭和39年時点の貸下牝馬は総計3,493頭となっています。
陸軍省から保管転換された(繁殖に適すると判断された)牝馬は約3000頭となっているので、
何か混ざっている感じですね。	 




修正しました  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月13日(日)18時47分19秒	返信・引用

https://www.pedigreequery.com/hautnib

鹿児島に入った豪サラ、300頭弱ですか。姶良郡と曾於郡が二大馬産地だったのですかね。
福島は入力頂いた8頭を確認しましたが、こちらも増えそうですか。
やはりこの年は1万頭に迫る頭数だったのですかね。	 




鹿児島県畜産史  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月13日(日)18時04分48秒	返信・引用

シート修正ありがとうございます。確認させていただきました。
なお、鹿児島県畜産史下巻には、貸下牝馬(日露戦争時に輸入された濠州産牝馬★)のうち、
鹿児島県に行った馬のリストが載っているのですが、数が多い(300頭弱)ので一旦入力は控えます。
★実は濠州産以外の由来不明の牝馬も含まれている様子
通りすがりさんのホートニップの記載に気になる点があるので、考え中です。	 




ラフエツク  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 6月12日(土)23時46分16秒	返信・引用

私がメモを読み違っていたようで、鹿児島県畜連明治42年輸入、
43年供用、大正11年12月斃死でした。1909年輸入です。

ホートニツプはデルマの情報に不足があります。WAに流れて
プリンスチャーレーと改名し、1908年末まで走っています。
C・ダウンがウラジオ遠征用に輸入したものと思われ、おそらく
同時にコツフエーも来日したのでしょう。姶良郡組合で供用され
大正3年2月に死にました。




三村さん  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月12日(土)23時06分37秒	返信・引用

確認ありがとうございます。3点目の裏付け資料なのでほぼ間違いないのでしょう。
修正しました(公開版はまだです)が、間違いや追加すべき内容があるようでしたら
フォローをお願いいたします。


Lucky Boy さん。

解説ありがとうございます。
歴史が長かった割にレース体系の近代化はずいぶん遅かったという事ですかね。
Saraband はデルマ情報が正しければガイアナからグレナダへと流れて行ったようで。
デルマのジャマイカ馬の血統情報のいい加減さは国別ランクがあるならば
ワースト1を争うはずですが、今見た感じ歴代ダービー馬はかなり登録されてますね。
以下の不明点のうち、もしご存じの箇所があればお教えください。
(とりあえず父系関連だけにしておきます…)

・初期のダービー馬の父、母父として名前が登場する Starlightの血統?
・1927年の勝ち馬 Blue Gown の父馬?
・1934年同着優勝の一方 Ferula の父馬?
・1937年の勝ち馬 Money Moon の父馬?
・1960年の勝ち馬 Sunnydene の父馬?

上記以外の勝ち馬の父(系)は恐らくわかると思うのですが…。	 
 	
 


ラフエツク  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月12日(土)21時31分34秒	返信・引用
 	(話題が変わって恐縮です)

ラフエツクの輸入年度について、以下の記載から、私としては1909年を推しておきます。

鹿児島県畜産史(大正2年10月18日発行)
中巻 第21賞 鹿児島縣産馬組合聯合會(二) 施設事業(一) 種馬
P.280 ★ 一部旧字については直しています。

時恰も九州種馬牧場の設置ありたる為め其の純良種馬の余勢を與ふるあり、
続いて宮崎種馬所及び鹿児島種馬所の国有種馬に配し、空前の好成績を収めたる
を以て益々種馬の輸入熱を高むるに至り、遂に産馬組合連合会をして馬政局に托し
純血サラブレッド種の直輸入を計画せしめ、明治39年総計費4644円を以てラスバーン号を、
明治40年総計費6714円を以てジヨージホース号を明治42年総計費7157円を以て
ラフエツク号を輸入するあり、此時又神戸川崎芳太郎より有名なる競走用馬匹
サラブレッド種ホートニツプ号(競馬名プリンスチヤリー)を寄贈するあり、是れ
貴血輸入の第四期なり。

ホートニツプに関する記載もありました。別表(同書P.285)に
「44年川崎芳太郎氏より寄贈」とあります。	 




ジャマイカ競馬小史  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月12日(土)20時13分55秒	返信・引用

1926年のジャマイカ3冠馬SARABANDの調教師がJames Ramsingです。

以前に書いた自分の原稿を確認したところ(完全に自分でも忘れているのでw)、
ジャマイカの競馬の歴史はかなり古いです。
イギリスのジャマイカ総督の認可でジャマイカ最初の競馬が行われたのは1718年で、
最初の常設競馬場である公営キングストン競馬場が1783年に開場しています。
競走馬は、最初はサラブレッドの血が混じったポロポニーで、
次第にサラブレッドに移行し、1892年に血統書の第1巻が刊行され、
1905年に統括団体としえジャマイカ・ジョッキークラブが創設されています。

1905年にキングストン競馬場から移転して設立されたのがナッツフォードパーク競馬場で、
認可を得たナッツフォードパーク社が競馬を開催して3歳3冠クラシックなどを創設しています。
1934年にはジャマイカターフクラブ社もナッツフォードパーク競馬場の開催権を獲得し、
ガヴァナーズカップを創設しています。これによりジャマイカの3歳クラシックは4冠体制になったわけです。

1950年代には、国内に競馬場が6つにまで増えましたが、、
1959年にナッツフォードパーク競馬場がケイマナスパーク競馬場に移転となると、ケイマナスパーク競馬場に集約されました。
1967年にナッツフォードパーク社とジャマイカターフクラブ社が合併して
ケイマナスパーク社(現在のケイマナス・トラック社となり、
1972年からは、ジョッキークラブにかわってジャマイカ競馬委員会が競馬統括団体となり、現在に至っています。	 




ジャマイカの競馬史  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月11日(金)22時17分24秒	返信・引用

あまりよく知りませんが、駐留英国人の影響で歴史は古かったと思いますが、
ダービーは1921年創設と割と新しいのですよね?
ケイマナス開場以前のナッツフォードパークでしたか?或いはそれ以前の19世紀には
系統だった競走は行われてなかったのですかね。
英国からのサラブレッド輸入数は当時かなりの数だったと思うのですが。	 




なるほど  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月11日(金)20時21分21秒	返信・引用

ORQUIDEAは繁殖も優秀だったのですね。そこまでチェックしてませんでした。

Stud Alianzaのオーナーはアウグスト・レギーア大統領で、
1909年から1918年までは、Stud Oasis 名義変更され、
その後またStud Alianzaに戻ります。
どうやらStud Oasisの実質的なオーナーはアウグスト・レギーア大統領のようで、
なんらかの理由で名義変更をしていたようです。
美馬孝之はレギーア大統領の馬で勝ったと言っていましたが、
Stud Oasisがレギーア大統領が実質的なオーナーだったなら納得です。

ちなみにStud Alianza時代のORQUIDEAの調教師はジャマイカ人のJames Ramsingで
1905年と1906年にペルーダービーを制し、
その後ジャマイカに帰国してジャマイカダービーも勝利して名調教師です。	 




ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月11日(金)09時23分24秒	返信・引用

https://www.pedigreequery.com/orquidea16

息子に2冠馬 Cefiro もいますね。
名牝、名繁殖と言ってさしつかえないのでは。
美馬家に代々伝わる大統領からの秘蔵の逸品でも発掘されたら大ニュースですね。	 




追加情報  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月11日(金)07時03分7秒	返信・引用

ORQUIDEAは、1910年まではStud Alianzaの所属で、
1907年にCLASICO POLLA DE PRODUCTOS NACIONALES DE 2 AÑOS,
1909年と1910年にCLASICO APERTURAを連覇しています。
生涯成績は59戦21勝。全弟にジョッキークラブ賞や共和国大統領を2度制したFEBOがいます。


,	 

すでに  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月11日(金)06時43分51秒	返信・引用

先の投稿で言葉たらずでしたw
>日本人ホースマンが海外重賞を勝利した「初の」出来事かもしれませんね

血統はデルマーに登録されてました。
https://www.pedigreequery.com/orquidea16

馬主のStud OasisのオーナーはFoción A. Mariáteguiで、
アウグスト・レギーアの親戚で、下院議長を務めた大物です。
https://es.wikipedia.org/wiki/Foci%C3%B3n_Mari%C3%A1tegui

OQUIDEAは翌1912年のClasico Aperturaにも勝利していますが、
美馬孝之は1911年を最後にペルーを去っているので、
この勝利の調教師は、オーナーのFoción A. Mariátegui自身がしています。	 
Biba ではなく Mima でしたか  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月10日(木)21時17分15秒	返信・引用
 	大きな発見ですね。ご教示下さりありがとうございます。
Lucky Boy さんがいなければ歴史に埋もれかねない事実だったでしょう。

やはり馬主は大統領ですかね。思うに当時のラコパは今よりも格の高い大競走だったのでは。
牝馬だと思いますが、血統など判明しましたらお恵み下さいm(_ _)m	 
ちょっと話が逸れますが  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 6月10日(木)20時24分13秒	返信・引用
 	最近、資料を整理していて気が付いたことなのですが、
現在もペルーのG2に格付けされているClasico La Copa、
1911年の勝ち馬OQUIDEAの調教師が美馬4兄弟の長兄美馬孝之でした。
美馬孝之は騎手としてはペルーで重賞を勝てませんでしたが、
調教師では勝利をあげていたことが判明です。
この勝利が美馬孝之の唯一のペルーでの重賞勝ちです。
これは、日本人ホースマンが海外重賞を勝利した出来事かもしれませんね。




こちらこそ  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 6月 9日(水)21時36分40秒	返信・引用

ありがとうございます。
馬匹血統登録書の正誤表には大変助けられております。
しかし本当に誤記が多いですね。確認のしようがない部分も含めると
恐ろしいことになります。
輸入年と豪サラの生年はまず疑ってかかったほうがよさそうですね。
出先からなので今シートの確認は出来てませんが、引き続き
よろしくお願いいたします。
アイデアや改善点など、是非とも忌憚のないご意見を!	 
 	

 

お礼  投稿者:三村  投稿日:2021年 6月 9日(水)18時15分4秒	返信・引用

「明治大正昭和初期の輸入馬」の整理ありがとうございました。
散らかしてしまっていてお手数おかけいたしました。
『馬匹血統登録書』に登録されている輸入馬(中間種は除く。但し、歩み馬名索引で出現する馬は一部追加)
は一通り終わりましたので、『馬匹血統登録書』の3代血統表に出てくる輸入馬や、他資料からの輸入馬を
追加していこうと思います。
見づらくなるようでしたら、作業止めますのでご指示いただければ幸いです。