2021年9月





解説ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 9月27日(月)18時35分5秒	返信・引用

なるほど、時代背景から考えてもそういう事だったのですね。

インディアナはサラではあまり目立ってないようですが、別の世界で大名馬を輩出していたと。
ペーサーズもコルツもまさか速歩由来だったとは思いもよりませんでした。


#ワクチン接種後、なかなか熱が下がらなくって難儀しております…。	 




補足  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 9月26日(日)22時13分13秒	返信・引用

農用種と書きましたが、政府が力を入れていたのは
徴発して砲兵輓馬や輜重輓馬に転用できる馬です。	 




その馬ですね。  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 9月26日(日)21時59分45秒	返信・引用

NFLのインディアナ・コルツ、NBAのインディアナ・ペーサーズは
ダンパッチに由来する球団名だと思います。

アングロノルマンは大正から昭和にかけて奨励された農用種で、現在の
セルフランセです。「その他の品種」と言うべき存在で、体型も用途も
固定されておらず、日本の官僚が騙されて大量輸入したとしか思えない
のですよ。ただし中には速歩競馬に使われたトロッテュールフランセが
混じっており、ルイツク、ジヤニユー、ヲルバンという速歩の大種牡馬
もいました。日本の速歩馬はこれらを父とする馬もいましたが、大半は
後に中半血種とされた雑種でした。	 




ダンパッチ  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 9月26日(日)20時41分23秒	返信・引用

この馬でしょうかね。

https://www.allbreedpedigree.com/dan+patch2

馬匹血統登録書を見ていると、昭和初期におけるアノの繁殖登録数が凄いんですが、
これら生産馬の大口の受け皿が繋駕速歩だったのですかね。
しかし程なくして戦争に突入したことで、内国産の血の淘汰・選抜が行われる前に
事実上廃れてしまった感じですか。	 




今では競馬なんか  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 9月26日(日)18時25分25秒	返信・引用

ガン無視のニューヨークタイムズも戦前は1ページ丸ごと競馬だったり
します。スポーツイラストレイテッドだったと思いますが20世紀前半
の偉大なスポーツマンを選んだ時も、1位ジム・ソープ(アメフト)、
2位マンノウォー、3位ベーブ・ルイス、4位ジェシー・オーエンス、
5位ダンパッチ(スタンダードブレッド)でした。	 




修正しました  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 9月26日(日)08時53分51秒	返信・引用

https://www.pedigreequery.com/port+arthur7

馬券の締め切り忘れと言えば以前プエルトリコでもあったと伺いましたが、
あれはサイマル発売でのトラブルなので、単純なベル鳴らし忘れとは違うんでしょうね。

昔は娯楽やスポーツが少なかったことがありますが、一般紙での競馬の扱いが大きくて
驚きますね。オーストラリアの新聞を少し見ているくらいですが、遠い日本がらみの
内容でも結構仔細に記事にされていて、競馬の存在感が今とは段違いだったのでしょうね。



port arthur7  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 9月26日(日)00時02分8秒	返信・引用

stood in Aomori Prefecture from 1910 to 1923.

昔の新聞を読んでいて知ったいくつかのこと。

明治40年秋季横浜競馬から確定着順による払い戻しが始まりました。
それまでは1位通過馬の番号が掲示されるとすぐ払い戻しされたので
失格覚悟で借金してまで馬券で勝負という騎手がいたとのこと。
ただこの開催では妨害ではなく後検量での重量不足による失格があり
1位通過馬の馬券を持つ観客が騒いだため元金を返しました。

発馬係はスタートの合図と同時に鈴を鳴らさなければならないのに
明治41年春季目黒競馬で鳴らし忘れがあり、馬群が第4コーナーを
回るまで馬券を売り続ける事件がありました。ただし1番人気馬が
勝ったので観客も騒がず馬政官からの注意もありませんでした。

初めてアメリカへ行った時ゲートが開くと同時にベルが鳴るのに驚き
ましたが、あれは馬券発売締切の合図だったのですね。	 
 	

 

失礼しました  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 9月24日(金)20時06分19秒	返信・引用

少し検索すればわかることを、大変申し訳ありません。
Port Arthur の血統ですが、この記事の中にある、「P. Reynolds 氏のアカウント」欄に
イヤリングの兄として名がありました。

https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/165388378

生年は1903年と思われるので、少しだけ情報を付加してデルマに登録しておきました。

https://www.pedigreequery.com/port+arthur7

同一馬ということでご異論はなかったでしょうか?ご忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。

シートの修正はどうぞご自由にお願いいたします。
そもそも叩き台としての役割が大きいコンテンツですので、間違い上等、
トライアル&エラーの精神でやっていきましょう!	 




Port Arthur  投稿者:三村  投稿日:2021年 9月24日(金)19時11分44秒	返信・引用

ペガサスのオーストラリアでの名前の件は、私が書いたのと思いますが、
例えば、以下のような記事(当該記事の最後のほうに記載あり)があります。
https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/124471149

それと、申し訳ありません。スプレッドシートの記載に関して、ずっと間違って
認識していることがありました。明治30,31年の輸入の状況に関してわかったことがあるので、
それと合わせて編集用のシートを直させていただきます。
ずっと間違って認識していたことは、「ガズラン」という名前の種牡馬が、
2頭いることです・・・すみませんでした。	 
運気が落ちていきましたか > 堀越騎手  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 9月24日(金)08時44分36秒	返信・引用
 	ペガサスの豪州名 Port Arthur がどこで仕入れた情報か失念してしまいましたが、
それが正しいとすると、この記事に出てくる Port Arthur ではないかと思われます。

https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/139198559

1905年10月の記事でピックアップされた2歳の活躍馬ですから、1903年生まれの
ペガサスとも整合性とれそうですし、ニューサウスウェールズのホバートヴィル生まれと
あるので、濃厚ではないでしょうか。
血統は父 simmer ですが、母の記述はないっぽいですかね。
他の記事も探しましたが、見つけられませんでした(探し方悪かったかもですが…)。	 




同一馬のようです。  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年 9月24日(金)00時05分18秒	返信・引用

横浜貿易新報 明治41年5月7日
ペガサスはサミユル商会主デビス氏が万金を投じて豪州より呼馬せる
牡馬なりしが輸入当初根岸調教中足部を痛め始めて目黒に登場せしも
善良の速度を示さず川崎に於ても初日二日目は不十分なりき然るに三
日目には俄然駿足を示しミツビキの急追を物ともせず静かに決勝点に
入り四日目チヤンピオンにはベゴニアが全力を以て追ふに対し是亦た
余力を貯へつゝ一馬身の差を決勝点に先着せり

万金を以て輸入した牡馬ならサラブレッドでしょう。
ついでに堀越騎手のその後。ついてないですね。

同紙 明治41年1月17日
十五日午後十時五十分頃市内中村町一四〇〇競馬騎手神崎利木蔵所有
厩放火したるものあり大事に至らんとせしを神崎の弟子松村亥三郎と
云へるが発見し大事に至らしめず消し止めたるが旧臘も同じ中村町に
住む堀越騎手宅へ放火したるものありて同家を烏有に帰せしめ今回又
騎手の神崎方へ放火せるは或は競馬等の為めに此等社会に怨恨あるも
のゝ仕業にあらざるかと云へり	 




情報入れました  投稿者:ふてき  投稿日:2021年 9月12日(日)10時43分21秒	返信・引用

https://www.pedigreequery.com/guerrillero

母の petticoat4 の所有者欄の2番目に Mr F. Archer と入ってますね。
1886年にフランスへ輸出とあり、これが売却だとすると自殺の時期とも合いそうですし、
guerrillero がウルグアイへ売られたのも同時期っぽいので、このクレジットが
騎手のアーチャーという可能性はかなり高いような気がしますね。	 




書き間違え  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 9月11日(土)22時32分1秒	返信・引用

フレッド・アーチャが自殺したのが1886年11月ですw	 




ちょっとネタを  投稿者:Lucky Boy  投稿日:2021年 9月11日(土)22時31分17秒	返信・引用

少し気になっていることですが、
1891年のホセ・ペドロ・ラミレス大賞の勝ち馬 GUERRILLERO(GB)1886の生産者ですが、
英国血統書には"Mr F.Archer"とあります。
このMr F.Archeという人物、1886〜87年(1887年は1頭だけ)を最後に
生産者の名としては出てこないのですが、
フレッド・アーチャが自殺したのが1886年1月なんですよね。。。
ひょっとしたら可能性ありますかね。