2021年10月





わざわざすいません  投稿者:ふてき  投稿日:2021年10月25日(月)17時05分5秒	返信・引用

ご確認下さりありがとうございます。	 




それで結構です。  投稿者:通りすがり  投稿日:2021年10月24日(日)22時19分45秒	返信・引用

一という名前も長男っぽいですね。	 




ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年10月24日(日)21時32分28秒	返信・引用

現時点では野辺氏の思い違いだったという線が濃厚でしょうか。
通りすがりさんの御見解もお伺いしたいところですが、ご不在でしょうかね。	 




多賀一  投稿者:三村  投稿日:2021年10月24日(日)11時47分4秒	返信・引用

図録の執筆担当者がわかりました。馬の博物館学芸部長の日高嘉継さんです。
1860年の元町での競馬開催について、フランシス・ホールの日記を挙げて明らかにされた方ですね。	 




多賀一  投稿者:三村  投稿日:2021年10月24日(日)10時28分8秒	返信・引用

没年は1946年と記載されています(年以外の記載はなし)。
91,2歳で亡くなったという記述は合うようです。	 




情報ありがとうございます  投稿者:ふてき  投稿日:2021年10月24日(日)10時02分29秒	返信・引用

なかなか興味深そうな展示会ですね。
過去ログを読み返してみましたが、多賀一が三兄弟の一番下と看做す根拠として
野辺好一氏による口述と『尾形藤吉』の記述内容があげられてますね。
それらに拠れば『尾形藤吉』が発行される昭和39年の少し前に91、2歳位で
亡くなったと。とすれば出生は西暦の1870年位でしょうか。
通説とされる1855年生まれの長男ということであれば、90歳を超えていたとしても
昭和25年位には亡くなっていたという事になりますね。
真相や如何に。
あと母の幸という名は初登場でしょうかね。これが手掛かりになればいいのですが。	 




馬の博物館秋季特別展  投稿者:三村  投稿日:2021年10月23日(土)19時56分55秒	返信・引用

本日、馬の博物館で行なわれた講演会を聞いてきたのですが、それはさておき、
秋季特別展の展示の中で「多賀一」に関するものがありました。
三兄弟に関しては、この掲示板で2014年頃に書き込みがあったのですが、この展示では、
多賀一を1855年(安政2年)生、多賀右金治と幸の長男として誕生、と記載しています。
この情報のよりどころはわからないのですが、1855年生まれだと長男になるのでは、
と思います。ご参考になればと思い投稿いたします。	 




少しづつでも  投稿者:ふてき  投稿日:2021年10月 2日(土)20時28分37秒	返信・引用

古いログも整理してアップ出来たらいいなと思ってます。
ただ読み返すと、同じ事を何度も尋ねていたり、知ったかぶりが露呈したりと
恥ずかしいことこの上ないですが(汗)




過去の記事  投稿者:三村  投稿日:2021年10月 2日(土)14時41分38秒	返信・引用

は消えていないということで了解しました。ありがとうございます。
この掲示板には貴重な情報がたくさん記載されているので、
時間がある時に一番最初からまとめておこうかと思います。	 
 	

 

承知しました  投稿者:ふてき  投稿日:2021年10月 2日(土)10時45分18秒	返信・引用

父名に番号と性別を付記して区別していたという事ですね。

掲示板内に残っている最終投稿は御指摘の通りのようです。
それ以前の分は既にサーバーから消去されているのかなと思われます。
初期の分は手作業にてログをコピペ保存していたのですが、結構うっかりして
抜けてしまった期間も多いです(ご希望の方がもしおられれば、簡易的な過去ログとして
2010年1月23日以前の分のアップも可能かと)。
アラブの馬名に関してはここ10年内の事であれば、この掲示板内の過去ログに残っている
はずですが、これ調べるの案外大変なんですよね。
一応検索窓が付いてますが、役に立たないような気もします…。	 




九州種馬牧場  投稿者:三村  投稿日:2021年10月 2日(土)09時54分24秒	返信・引用

へ繋養される予定であった1頭(鹿児島で焼死)は名前不明でお願いします。
他の資料でも焼死した事実の記載はありましたが、名前まではありませんでした。
この時代だと、輸入元での名前をそのまま使うケースも多いですが、
特にバボルナ・メソヘギス両牧場からの馬は日本に来てから命名されたもの
と推測しています(以後は、命名規則に沿った名前の馬も輸入されていますが)。
例えば、明31に輸入された分で、バボルナ牧場から九州・奥羽の両種馬牧場に送られた
5頭は、第8号ダヒス(牡)・第9号ジンギスカン(牡)・第10号第一ガヅラン(牝)
・第11号ジンギスカン(牝)・第12号ジンギスカン(牝)と記載されています。
(順に、ダヒス・コマロム・ナーギー・ジンギスカン(牝,1895)・ルーナー)

以前、この掲示板でアラブの名前についての議論があったような気がするので、
参考になるかと思い探してみたのですが見つけることができませんでした。
ちなみに、この掲示板の最初の書き込みは「デンマークの父」(642ページ)で
あってますでしょうか?	 




ご迷惑をおかけしました  投稿者:ふてき  投稿日:2021年10月 1日(金)16時28分59秒	返信・引用

復活しましたので、各作業にも手を付け始めております。

三村さん、ガヅランとガズランの修正ありがとうございます。
これ自分も同一扱いしてしまってましたが、ネット上でもそういう感じで
情報が伝わっているようですね。非常にありがたいご指摘でした。
ありがとうございます。
あと、輸入馬名欄のガヅランの一個下(2160行目)の牡馬の馬名欄が空欄でしたが、
これはこのままでよかったのでしょうか。